2023年4月15日

棟方志功の絵画、版画を買取り致します。

棟方志功の買取価格を知りたい、高額査定がご希望なら北岡技芳堂にお任せください 。
棟方志功作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、棟方志功作品を探しています。もし棟方志功の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。
棟方志功の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

 

棟方志功は肉筆の作品を倭絵といいます。
棟方志功は版画以外にも肉筆の倭画や書も非常に人気あり、
北岡技芳堂ではコレクター作品を探しております。

 

棟方志功 本人写真

棟方志功 本人写真

 

 

北岡技芳堂で買取りのご相談が非常に多いのが棟方志功の買取りです。
棟方志功の大首など人気の図柄の場合は、高額買取り致します。
贋作も多い為、評価や査定の回答も慎重に行っております。

 

現在所蔵している棟方志功の自画像の板画

現在所蔵している棟方志功の自画像の板画

 

 

棟方志功の大首絵

棟方志功の代表作は、何と言っても女人をテーマに構成された作品のシリーズが有名で、女性の顔を大きく描いたいわゆる大首絵の独特の大首絵シリーズは最も人気があります。「弁財天妃の柵」「くちなし妃の柵」「門世の柵」「弘仁の柵」「沢潟妃の柵」などふっくらとした女性の顔をえがきながら、季節の花や詩も織り込まれています。

 

棟方志功 大首絵「弁財天妃の柵」

棟方志功 大首絵「弁財天妃の柵」

 

 

いわゆる大首絵と言われる胸から上の顔のアップの作品は、棟方志功の代表的のカテゴリーの一つですが今回はその中でも代表作とも呼べる「弁財天妃の柵」をご紹介いたします。

 

「弁財天」(河川を神格化した女神)は棟方志功にとって自らの姓のルーツだとの思いがあったようです。

『板極道』昭和39年の中で棟方志功はこのように述べています。 「宗像という神社は、どこの国へいっても弁天さまなのです。 宗像神社というのは、ご承知のように、福岡県宗像郡というところにあります。 それで「むなかた」という姓も、九州が最初らしいのです」

 

ご紹介する弁財天妃の柵は、本紙の裏打ちを致しておりません。裏打ちをしていない棟方志功の作品を好まれる傾向にあります。板画の素地には、半紙のような棟方独自の薄紙を用いていますが、多少の経年劣化などでシワ、オレなどがあっても修復せずにシワシワのままにしておいた方のが好ましいです。裏打ち等でピンと伸ばした作品も見かけますが、棟方志功の独自の風合いが損なわれ、評価が低くなる場合があります。修復や額装などについても北岡技芳堂にて、行っておりますのでお気軽にご相談下さい。

 

擦りの状態がよく、彩色の濃い色味の作品となると、評価額は300万から500万以上する逸品もあります。
健康的で豊かに描かれている女人は棟方志功にとっての理想的な姿であり、ビーナスのような存在であったと思われます。黒一色の作品も御座いますが大首は比較的高値でお取引できます。

 

棟方志功の釈迦十大弟子

菩薩様、観音様の全身像に彩色した作品や、釈迦十大弟子シリーズも大変評価が高いです。こちらのシリーズは日本神話やインドを旅行した際の寺院壁画などの影響を受けたとされています。

 

十大弟子とは釈迦の弟子の中で優れた10名のこと。 「目鍵連」、「舎利弗」、「優婆離」、「須菩提」、「阿難陀」、「羅睺羅」、「魔訶迦葉」、「阿那律」、「富楼那」、「迦旃延」を指し、その両端に「普賢延命菩薩」と「文殊止利菩薩」が配されています。

 

1956年ヴェネツィア・ヴィエンナーレで絶賛され、日本人初のグランプリを受賞した記念すべき作品です。12作品全て揃っていて、かつ擦りの良いものとなれば、現在なら1億超えの評価も過言ではないでしょう。

 

棟方志功の釈迦十大弟子

棟方志功 二菩薩釈迦十大弟子板画

 

 

 

棟方志功の肉筆と板画のどちらが高いのか

 

棟方志功の作品は、板画(版画)の他、肉筆の絵画、油絵もあります。

 

画家を志した初期のころの油絵は珍しく、ミュージアムピース級のものもありますが、圧倒的に数は少ないのでめったに見ることはありません。

 

また倭絵(肉筆の絵画)も大首絵や仏画が多数描かれ、棟方の筆遣いがとてもよく表れた作品ですが、どちらが高いかといわれると、意外なことに、肉筆よりも裏彩色された板画の方が評価が高い傾向があります。

 

やはり海外のヴェネツィアビエンナーレで棟方志功が板画(版画)で評価された為ともいえるかもしれませんが、板が削られ作品が刻み込まれる過程そのものが棟方芸術の神髄と言えるのではないでしょうか。

 

棟方志功の作品は、「〇〇の柵」と画題が付けられています。 棟方にとってこの「柵」の字は、囲いを意味するものではなく、四国の巡礼者が寺を廻るときに首に下げる廻札の意味を含んでいます。 1つ1つ自分の願いをそのお寺に納めるという意味を込め、1つづつ作品を置いていく、念願をかけて置いていくというお札のような願いが作品に込められています。

ただ、必ずしも板画の方が高いとも一概には言えませんので、作品を1点ずつ評価をいたします。

 

 

棟方志功 菩薩像 倭画

棟方志功 菩薩像 倭画

 

 

 

棟方志功の相場評価と価値

 

① 倭絵

紙に墨や水彩などで描かれた直筆作品です。描き込み具合や色の有無によって評価が変わりますが数十万円~数百万円と幅広いです。

 

② 板画

木版画の事です。木を使っているため「版」ではなく「板」の字を使い板画(はんが)と呼んでいました。多くの作品は木版で摺られた後に裏彩色で色を付けています。図柄や裏彩色の有無で大きく評価が変わります。数万円の作品もあれば、200~300万円で買取できる作品もあります。価格差が非常に大きいです。

 

③ リトグラフ

棟方志功の没後に制作された版画作品です。構図はどれも素晴らしいですが希少価値や作品の成り立ちを考慮すると、生前作と比べると安価で10万から20万ぐらいの価格帯となります。

 

④ 陶芸

柳宗悦の民芸運動とのつながりから焼き物も多く制作していました。志功らしい大胆な絵付けが特徴的です。人物などの具象的なモチーフが茶碗や皿に描かれていると高評価です。

 

⑤書

棟方志功の書はダイナミックな筆さばきで力強く、非常に評価が高いです。出来の良い書であれば、板画より高値で買取りさせていただく事が出来ます。

 

棟方志功の査定と鑑定

 

棟方志功の作品は種類により買取金額が異なります。また、棟方志功の作品は贋作が多く作られているため、没後に制作されたリトグラフ以外は鑑定が必要となります。

また、棟方志功作品にはご子息の棟方巴里爾(パリジ)のシールが付いているケースもあります。 この場合には真筆の証明にはなりますが、昨今では、残念なことにこのパリジシールの贋物も出回っているので、 いづれにしても、あらためて東急百貨店の棟方鑑定委員会登録を取得する必要があります。

 

棟方巴里爾の鑑定書

棟方巴里爾の鑑定書

 

鑑定が必要な作品は(板画・油彩画・倭絵・書・陶芸)です。

 

棟方志功の場合は渋谷の東急百貨店美術部内の棟方志功ギャラリーで鑑定・登録を行っています。

 

 

棟方志功鑑定委員会 鑑定書

棟方志功鑑定委員会 鑑定書

 

 

真筆の場合は登録番号札と割印が押されます。 共シールの有無など条件によって多少金額が変わってきますが、鑑定書取得に2~3万、残念ながら贋物だった場合も鑑定代として1万円かかります。 また、既に鑑定登録済みの作品でも、再鑑定が必要な場合もあります。

 

現在、東急百貨店閉店の影響により鑑定に関する状況が明示されておりません。鑑定書が無くてもお気軽にお問合せください。

 

また、万が一贋作という結果でも、鑑定料等の実費は支払わなければなりません。 事前に査定依頼をいただければ、鑑定に出したほうが良いかアドバイスすることができます。

 

また、最近では、安川電機さんの発行された複製画(印刷画)を持ち込みになるケースも非常に増えています。 こうした事例も含めて、経験豊富な北岡技芳堂にご相談ください。

 

倭絵・板画作品は湿気等によるシミやカビ等のダメージが発生しやすいです。

 

作品によっては数十年以上経過していますので、状態のチェックは必要です。コンディションにより評価が変わりますので、現物確認後に最終的な判断させていただきます。

 

北岡技芳堂では棟方志功の作品を高価格にて買取り致します。売却を検討されております方は、お電話やメールにて受付けております。また、簡単LINE査定も致しておりますのでお気軽にお申し込みください。

 

棟方志功以外の絵画も買取り致しております。

 

 

棟方志功の木版画作品は全てこちらの棟方志功全集に収録されています。

作品の種別や調査に使用いたします。

全集に収録されている作品は高値でお買取りさせて頂く事ができます。

 

 

棟方志功全集

 

棟方志功全集

1巻:物語の柵/2巻:神々の柵(1)/3巻:神々の柵(2)/4巻:花鳥の柵/5巻:詩歌の柵(1)/6巻:詩歌の柵(2)/7巻:女人の柵(1)/8巻:女人の柵(2)/9巻:想いの柵(1)/10巻:想いの柵(2)/11巻:海道の柵/12巻:雑華の柵

 

棟方志功の代表的な作品

 

「弘仁の柵」「文殊菩薩の柵」「湧然の柵」「普賢菩薩の柵」「沢瀉妃の柵」「波乗妃神の柵」「須菩提の柵」「妙如菩薩の柵」「没然の柵」「富楼那の柵」「薔薇妃の柵」「琵琶弁天妃の柵」「なでしこ妃の柵」「阿那律の柵」「揚髷の柵」「くちなし妃の柵」「妙如菩薩の柵」「弘仁の柵」「吉祥天吉祥妃の柵」「大顔の柵」「揚鷹妃の柵」「山梔妃の柵」「右首の柵」「柳仰板画柵」「摩訶迦葉の柵」「騎象普賢の柵」「騎獅文殊の柵」「赫不動明王の柵」「阿難陀の柵」「阿云妃の柵」「沙羅双樹の柵」「濡髪の柵」「名久井の鷹妃の柵」「優婆離の柵」「太首の柵」「二の腕妃の柵」「仰向妃の柵」「美女神誕生の柵」「あかえくぼの柵」「ハイビスカス妃の柵」「救世観音の柵」「カスタネットの妃踊の柵」「夜訪の柵」「胸肩吉祥妃神の柵」「金富士の柵」「妙肌韻板画柵」「颯子の柵」「美業の柵」「凡聖一如の柵」「吾妹の柵」「鷹持妃の柵」「天狗の柵」「獅子窟の柵」「角屋の柵」「雷紋の柵」「菩提の柵」「壺眺妃の柵」「姐肌の柵」「秋扇の柵」「紫袂の柵」「踊鯉の柵」「はまなす妃の柵」「風神の柵」「振向の柵」「広鰭の柵」「バラライカの女の柵」「女人鷹の柵」「雷童子の柵」「足揚の柵」「救世観音の柵」「巌鷹の柵」「白頭巾の柵」

 

上記の棟方志功の絵画の板画作品は高値にてお買取り出来ます

 

棟方志功の簡単な略歴

1903年(明治36年)、刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの三男として生まれる。

豪雪地帯出身のため、囲炉裏の煤で眼を病み、以来極度の近視となる。

少年時代にゴッホの絵画に出会い感動し、「ゴッホになる」と芸術家を目指した。

(友人たちとの会話の中で「大きくなったらお前は何になりたいか」の問いに「私だったら絵描きになりたい」という趣旨であった。

ゴッホとは個人ではなく絵描きという職業のことだと思っていた。

青森市内の善知鳥神社でのスケッチを好んだ。

1924年(大正13年)、東京へ上京する。

帝展や白日会展などに油絵を出品するが、落選が続いた。

1928年(昭和3年)、第9回帝展に「雑園」(油絵)を出品し、入選する。

1930年(昭和5年)から文化学院で美術教師を務める。

1932年(昭和7年)日本版画協会会員となる。

1934年(昭和9年)、佐藤一英の詩「大和し美し」を読んで感動、制作のきっかけとなる。

1936年(昭和11年)、国画展に出品の「大和し美し」が出世作となり、これを機に柳宗悦、河井寛次郎ら民藝運動の人々と交流する様になり、以降の棟方芸術に多大な影響を及ぼすことになる。

1945年(昭和20年)、戦時疎開のため富山県西礪波郡福光町(現南砺市)に移住。

1954年(昭和29年)まで在住した。志功はこの地の自然をこよなく愛し、また多くの作品を残した。

1946年(昭和21年)、富山県福光町栄町に住居を建て、自宅の8畳間のアトリエを「鯉雨画斎(りうがさい)」と名付けた。また住居は谷崎潤一郎の命名によって「愛染苑(あいぜんえん)」と呼んだ。現在は栄町にあった住居を移築保存し、鯉雨画斎として一般公開している。 1

1956年(昭和31年)、ヴェネツィア・ビエンナーレに「湧然する女者達々」などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞。

1969年(昭和44年)2月17日、青森市から初代名誉市民賞を授与され、翌年には文化勲章を受章する。

1975年(昭和50年)9月13日、肝臓がんのため東京で死去。72歳没。死没日をもって従三位に叙された。青森市の三内霊園にゴッホの墓を模して作られた「静眠碑」と名付けられた墓がある 。

 

北岡技芳堂では棟方志功の作品を高価格にて買取り致します。売却を検討されております方は、お電話やメールにて受付けております。また、簡単LINE査定も致しておりますのでお気軽にお申し込みください。

 

棟方志功以外の絵画も買取り致しております。

 

 

棟方志功記念館

 

【青森県】 棟方志功記念館

【出典】https://munakatashiko-museum.jp/

【入館料】大人550円/学生(専門含む)300円/高校生200円/小・中学生無料 (20名以上の団体割引・各種割引:大人450円/学生(専門含む)200円/高校生100円) 無料開館日:11月3日(文化の日)

【アクセス】〒030-0813 青森県青森市松原2丁目1-2

【駐車場】有

【公式HP】棟方志功記念館 1975年に棟方志功の生誕地・青森に建てられた記念館です。2012年に鎌倉の棟方版画館を吸収合併したことにより、棟方志功作品の国内最大の所有数を誇る記念館となりました。校倉造を模した建物と日本庭園の調和が非常に気持ちよく、四季折々に応じて展示を変えるという興味深い展示方法を行っており、青森の棟方志功に対する愛を感じ取ることが出来ます。

 

 

棟方志功記念館愛染苑

 

【富山県】棟方志功記念館愛染苑

【出典】https://nanto-museum.com/aizen-en/

【入館料】大人310円/大・高校生210円/小・中学生無料

【アクセス】〒939-1654 富山県南砺市福光1026-4

【駐車場】有

【公式HP】南砺市福光美術館 富山は、棟方志功が1945年から6年8か月疎開した場所です。実は棟方志功がこの地を選んだのは、富山の「善知鳥(うとう)」という能にインスピレーションを受けたからだと言われています。福光美術館には常設展として棟方志功作品を展示、さらに別館の愛染苑には40代の脂ののった棟方志功が豊かな自然と優しい人々に囲まれて創り出した作品が寄贈され、ゆっくりと楽しむことが出来ます。近くには、当時住んでいた住居なども訪ねることが出来ます。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
 
 
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
 
 
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
裁判所にも有効な書類を作成させて頂く事も出来ます。
 
 
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
 
 
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。
 
 
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2023年4月12日

ピカソの絵画、版画を買取りいたします。

パブロ・ピカソの買取価格を知りたい、高額査定がご希望なら北岡技芳堂にお任せください 。

パブロ・ピカソ作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。

豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、パブロ・ピカソ作品を探しています。もしパブロ・ピカソの作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。

パブロ・ピカソの作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

北岡技芳堂では、パブロ・ピカソの絵画を買取りいたします。

 

古くからピカソの版画は日本国内に入ってきており、様々な版画作品を拝見させて頂いております。それらの中でも銅版画が多いです。

 

まずは、簡単なピカソの作品について、ご紹介を致します。

 

 

パブロ・ピカソ 本人写真

パブロ・ピカソ 本人写真

 

パブロ・ピカソの現在の評価と価値

 

ピカソは多作の作家としても有名ですので、作品は多く残っております。

 

ギネスにも最も作品を残した作家として記録され、生前に約15万点を残しました。

 

どれだけ一流の作家でも作品を作りすぎると、

 

需要と供給のバランスが崩れて市場価値が下がる事があります。

 

実際に市場の反応を読めずに作品を作りすぎてしまい、

 

市場価値の暴落を招いた作家も存在します。

 

しかしピカソは世界で最も多作な作品でありながら、

 

世界で最も市場評価が高い作家と言えるでしょう。

 

ピカソの油絵作品は近年世界的なオークションでも高値を更新し、

 

世界の富裕層から安定資産として選ばれています。

 

パブロ・ピカソ 夢 1932年 

パブロ・ピカソ 夢 1932年 

 

高額で売買されたのは、1932年に描かれた(夢)です。

描かれているのは、当時の愛人マリー・テレーズ・ワルテルです。

 

テレーズの身体と、肩の部分が性器のような形になっており、

 

それらが融合した状態をダブルイメージで描かれています。

 

この作品は1941年にコレクターが7000ドルで購入して長く所有していましたが、

 

死後の1997年にオークションに出品され、4800万ドルで落札されました。

 

さらに2001年には6000万ドルで売買、2013年には1億5500万ドルで売買されるなど、

 

取引のたびに価格が大きく上昇しています。

 

日本国内ではキャンバスの油絵画が市場に出ることが少なく、

 

版画や陶磁器などのマルチプル作品が殆どです。

 

油彩画と比べるとお値打ちな価格帯になりますが、

 

現在の市場相場をもとに概算価格などを紹介させていただきます。

 

ピカソの絵画といいますと何十億円と思いがちですが、

 

版画は比較的に安価でお買い求め頂ける作品もございます。

 

といいましてもピカソですから、1000万円を超える版画作品もございます。

 

ピカソの版画作品の画集

パブロ・ピカソの版画作品は、版画カタログ・レゾネ 全4冊揃 「Pablo Picasso Catalogue de l’oeuvre grave et lithographie Tome 1-4」に殆どが収録されております。

 

 

版画カタログ・レゾネ 全4冊揃

版画カタログ・レゾネ 全4冊揃 

vol.1 鼠色本1904-1967

vol.2 黒色本1966-1969

vol.3 茶色本1949-1971

vol.4 赤色本1970-1972

となっております。

 

 

ピカソの版画の作品の評価

 

ピカソは生涯を通じて版画を制作しました。

 

最初の作品は1899年で、まだ10代の頃です。

 

1972年、彼が90歳になったとき、彼は最後の作品を制作しました。

 

その間ずっと実験を続け、エッチング、リトグラフ、リノカットなどのさまざまな技法を使用して、

 

合計で約 2,400 点の版画を制作しました。

 

絵画とは異なり、版画は共同作業であり、ピカソは何十年にもわたってさまざまな印刷をアトリエのマスターと

 

協力し、指導を受けてきました。

 

制作年代・技法・作品のモチーフ等で大きく金額が異なります。

 

基本的には、没後遺族が作った版画は値段がお安くなります。

 

パブロ・ピカソの版画の技法の種類

 

版画に関しては【技法】を分けて考えると理解しやすいです。

 

【リノカット】、【エッチング】、【リトグラフ】の3種類に分けられます。

 

 

自作の版画を見るピカソ

自作の版画を見るピカソ

 

 

銅版

銅版(どうばん)とは版画、印刷の技法の一種である。銅板とも表記する。
銅の版に絵画、文字などを彫ってその銅版の表面を凹版にしてインクを流して印刷を行う。
また、このようにして作ったものをさす。
主に銅版画の制作に使用されており、これは銅版を直接道具を用いて彫る彫刻銅版と、硝酸などの薬品によって腐食させる腐食銅版とに大きく分類される。
主としてルネサンス期以降のヨーロッパにおいて銅版画として広く使用された。
1600年代の作家Ambrosius Hannemannの銅板 彫刻銅版というのは主にビュラン(Burin)という鑿(のみ)で銅版に刻線を得る方法で、エングレービング、ドライポイント、メゾチントというものがこれにあたる。
腐食銅版というのは凹状にする部分の銅面のみを露出させて、その部分を腐食させることによって原版を作るものをさし、エッチングやアクアチントがこれにあたる。
日本においては司馬江漢が天明3年(1783年)に日本創製と銘打って初めてのエッチングによる銅版画を製作している。

 

リノカット

リノカット(Linocut)とは、リノリウムと呼ばれるコルクや木の粉から作られる合成樹脂材を彫って版にする版画の技法のひとつ。
木版と同じく凸版技法に分類されるが、材質が木材に比較して柔らかく、木目の制約を受けないため、どの方向にも無理無く彫ることができる。
いっぽう、素材の軟性により細い線が描きにくいことから、繊細な描写よりも大胆な線や形を活かした作品に向くといわれる。

 

リトグラフ

リトグラフ (lithograph)とは版画の一種たる平版画。水と油の反発作用を利用した版種で、製作過程は大きく「描画」「製版」「刷り」の3工程にわかれる。
ほかの孔版画、凹版画、凸版画などに比べると複雑で時間も多く要するが、クレヨンの独特のテクスチャや、強い線、きめ細かい線、筆の効果、インクを飛ばした効果など、描写したものをそのまま紙に刷ることができ、多色刷りも可能で、版を重ねるにつれて艶を有した独特の質感が出てくる。
19世紀頃、ヨーロッパで偶然から原理が発見され、以降ロートレックなどの画家が斬新で芸術性の高いポスターをこの方法で描いた。
以前は巨大な石(石灰岩)に描いていたので石版画(石版印刷術、リトグラフィ)とも呼ばれるが、扱いやすいアルミ板に描くことが近年は多い。

 

パブロ・ピカソの版画作品の紹介

 

パブロ・ピカソ ヴォラール・シリーズ エッチング 1930~1937年制作

パブロ・ピカソ ヴォラール・シリーズ エッチング 1930~1937年制作

 

 

 

アンブロワーズ・ヴォラール」は、1930年から1937年にかけて制作された100点の連作版画である。

 

ちょうどピカソの49歳から56歳までの絶頂期の作品であり、ピカソの版画作品の最高傑作のひとつです。

 

サルタムバンク・シリーズの制作で、エッチング、ドライポイント、ビュランなどの銅版画技法を自家薬籠中、ものにしたピカソの能力を最大に発揮したのが、このヴォラール・シリーズです。

 

1930年に最初の3枚が制作され、32年に1枚、33年に61枚。34年に24枚、35年に2枚、36年に2枚、37年に3枚がそれぞれ描かれました。

 

ピカソは画面の中に制作年月日を記入してあるので、ピカソの制作リズムがよく理解できます。

 

このシリーズに描かれたテーマは、途中から色々と飛躍はします、基本的には彫刻家とモデルの関係です。

 

最初はモデルが単身で描かれ。彫刻家との対話や性のドラマが展開されます。そして、動物や神話に登場するミノタウルスが登場し、また、サーカスや曲芸師(サルタムバンク)が加わり、場所もアトリエから闘牛場へと移っていきます。

 

このシリーズが制作された1930年から1937年にかけては、ピカソの変貌期にあたります。社会的には1920年代終末からのアメリカを中心とした世界大恐慌がおこり、30年代初めにはファシズムの台頭によるヨーロッパの政治情勢が険悪化していました。

 

ピカソの芸術も、一時期の新古典派的安定から、内的葛藤が繰り返されていて、現状打破を自己に課した時代でした。

 

このヴォラール・シリーズには含まれていませんが、やはりピカソの版画の最高傑作のひとつ、ミノトルマシーも1935年の作品で、1937年にはピカソ自身の記念碑ともいうべき、ゲルニカが制作されています。

 

1936年までに、ピカソは計画した通りの作品を制作し終えると、最後にこの版の注文者であるヴォラールの肖像を3枚描き、このシリーズを完結させました。

 

この100点の原版を受け取ったヴォラールは、アーティストと版元のオリジナル作品である証左として、ヴォラールとピカソのサインを特別に漉き込んだモンバル紙(Montval)を使用して、二種類のセットをつくりました。44.5 X 34cmのスモール・マージン(小版)が250部、50 X 38.5cmのラージ・マージン(大版)が50部です。(なお、この他、作者保存用3部あり)

 

この二つのマージンは1939年に全部すりあげられたましたが、版元のヴォラールが自動車事故で急死し、さらに第二次世界大戦が勃発したため、実際に世に出たのは戦争が終ってからでした。

 

作品番号は付されていませんが、ピカソの署名は全作品になされており、特に最後のヴォラールの肖像を書いた3枚の作品は赤鉛筆でサインがされました。

 

 

パブロ・ピカソ 347シリーズ エッチング 1968年

パブロ・ピカソ 347シリーズ エッチング 1968年

 

 

制作年が1968年 限定部数:50部 「347シリーズ」は、ピカソが晩年の1968年に制作した、347点の連作版画の大作です。

 

ピカソの命題でもあった女性に対する「愛」を中心テーマとしながら、
創造的イメージを展開させていると同時に、ピカソの生涯に取り上げた多くの題材を回顧している作品でもあります。

 

晩年ながら、わずか204日で完成させたピカソの強靭な精神力には驚嘆すべきものがあります。

 

 

自作リノカットの作品とピカソ

自作リノカットの作品とピカソ

 

 

 

リノカットの特徴は、大胆で荒削りな躍動感のある描画を表現できる事です。

 

ピカソはリノカット技法を80歳近い晩年になってから取り組み始めました。

 

リノカット技法とは、普通、薄い色から濃い色へ順番に刷り重ねていくものなのですが、ピカソはこのリノカットを常識にはとらわれず、刷る色の順を変えました。

 

それにより独自のダイナミックな迫力ある作品に仕上げられました。

リノカット自体、木版と同じく彫刻刀で彫りますが、リノリウム板は柔らかく彫り易く伸びやかな表現に適しておりますが、繊細な表現には適しておりません。

 

ピカソは、リノカット技法の持つ特徴を見事に活かし、独自にアレンジすることでより迫力ある個性的な作品を作り上げることができました。

 

 

パブロ・ピカソ ヘアーバンドを付けた女性 リノカット 1962年

パブロ・ピカソ ヘアーバンドを付けた女性 リノカット 1962年

 

 

 

 

パブロ・ピカソ 花飾りの帽子の女性 リノカット 1962年

パブロ・ピカソ 花飾りの帽子の女性 リノカット 1962年

 

 

上記のようなリノカットの作品は高額買取りが出来る作品が多いです、大抵の場合は百万円以上の買取り査定が出来ると思います。

 

パブロ・ピカソ 若い女性の顔 リトグラフ 1947年

パブロ・ピカソ 若い女性の顔 リトグラフ 1947年

 

 

パブロ・ピカソ 想像の中の肖像 リトグラフ 1969年

パブロ・ピカソ 想像の中の肖像 リトグラフ 1969年

 

 

29枚のリトグラフ(石版画)により構成されるシリーズの一枚です。

 

ピカソは南仏への引っ越しの際、開梱後のダンボールに創作意欲をかき立てられ、次々に29点の肖像を描きました。

 

グワッシュにより描かれたそれらの作品は、ピカソ本人の強い希望により直ちにリトグラフ(石版画)化されました。

 

肖像画から独自のイメージを発展させた、斬新かつキュビズムを連想させるピカソらしい秀作です。

 

 

パブロ・ピカソ 貧しき食卓 エッチング 1904年

パブロ・ピカソ 貧しき食卓 エッチング 1904年

 

 

ピカソの最も芸術的評価が高い「青の時代」に製作された傑作、(貧しき食事)。当時、自らも極貧状態にあったピカソが、貧しい人々を鋭くも情緒的な眼差しで描いた作品です。

 

ピカソ作品の中でも、最も著名な版画となっている本作は、パンとワインのみの粗末な食事を前に、盲目の男性とその伴侶と思われる女性が食事を進めている。

 

ピカソは当時、30枚の版画をこの原版から作成したと言われているが、その後、画商のアンブロワーズ・ヴォラールが1913年に原版を買い取った。

 

ヴォラールは、原版に薄い鉄の被膜をコーティングして補強を施したが、それ以前の原版によってすられた作品はより高い評価を受けている。

 

実際、2014年6月にはヴォラールによるコーティング以前に作られた作品が、ロンドンのオークションで、120万2500ポンド(当時、約2億1千万円)もの金額で落札された。

 

サルタンバンク・シリーズの本作は、初期ピカソの傑作「サルタンバンク・シリーズ」のひとつとして知られている。

 

貧しく、高価なジンク版を買うことができなかったピカソは、他人からジンク版をもらってこのエッチングを制作した。 サルタンバンクとは、スペイン・ヴィニャン街に住む大道芸人たちで、これ以外にもピカソはこの時期、貧しい人々や病気の人々に積極的に目を向けて作品を生み出していた。

 

 

ピカソは多作ですので、まだまだご紹介したい作品がありますが、以上で版画作品の紹介を終わりにします。

 

パブロ・ピカソの作品を買取り致しております。

 

ご相談だけでもお気軽にお問い合わせください。

 

ピカソは専門的な知識が必要でございますので、ご売却の際は北岡技芳堂までご連絡ください。

 

 

パブロ・ピカソの略歴

スペインの画家。20世紀を代表する画家である。創作活動の中で次々と作品のスタイルを変え、そのたびに絵画の新境地を切り開いた。

絵画以外にも彫刻や版画、陶芸にも才能を発揮するなど、生涯エネルギッシュな活動を続けた。

1881年、スペインのマラガに生まれる。

美術教師をしていた父のもと、幼少時代から絵画に非凡な才能を示した。

1900年、パリに出てロートレックらの影響を受ける。1901年、友人の死をきっかけに、「青の時代」にはいる。背景に青色を多用したことから、この時期に制作した作品群は「青の時代」と呼ばれる。青は貧困や悲しみを象徴しており、貧民を題材に哀感あふれる作品を制作した。

1904年、モンマルトルの「洗濯船」 (Bateau-Lavoir)という安アトリエに入居。ここで詩人のアポリネール、後の恋人フェルナンド・オリヴィエらと出会う。この頃から「バラ色の時代」に移行し、「青の時代」より温かみのある色調で旅芸人やサーカスを主題とした作品を作り出した。

1907年、『アヴィニヨンの娘たち』を世に送り出す。この作品は今でこそ「現代美術の出発点」と呼ばれるが、当時は轟々たる非難を浴びた。

対象を分解し、複数の視点から再構築するというこの作品はセザンヌの手法をさらに追求したものであり、これをもとにジョルジュ・ブラックらと共にキュビズムを発展させていく。ピカソのキュビズムは分析的キュビズムを経て、総合的キュビズムへと至る。

1918年ごろから、キュビズムでは消し去られていたモチーフを復活させ、 新古典主義的な絵画を制作する。画面から抽象性は無くなり、おおらかでボリューム感のある人物像を描くようになる。

1937年、スペイン市民戦争でナチスがゲルニカに対し行った空爆に抗議するため、『ゲルニカ』を発表する。これは縦3.5m、横7.8mという巨大な作品である。ピカソの作品は色彩豊かなものが多いが、『ゲルニカ』はモノトーンで描かれている。死んだ子を抱き泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬、などが戦争の悲惨さを訴えている。

スペイン市民戦争後にフランコ独裁政権が成立すると、以降ピカソは二度と故郷スペインの地を踏むことはなかった。『ゲルニカ』自体も長らくアメリカのニューヨーク近代美術館に所蔵されていたが、フランコ将軍の死後、1981年スペインに返還された。現在『ゲルニカ』はスペインのプラド美術館に展示されている。

その後も、様式にとらわれない作品を制作しつづけた。第二次大戦後は、「画家とモデル」をテーマにした連作のほか、彫刻、版画、陶芸なども数多く制作した。80歳代になってもその制作意欲は全く衰えず、作風はますます自由奔放になっていった。

生涯に制作した作品は約8万点にものぼる。ピカソの作品を多く収蔵する美術館として、バルセロナとパリの両方にピカソ美術館がある。また、日本では箱根の彫刻の森美術館に「ピカソ館」がある。

 

※ピカソ以外にも様々な絵画を買取り致しております。
絵画の売却を検討されていましたら北岡技芳堂までご連絡ください。
高価格買取り致します。まずはお電話、メールにて受け付けております。

絵画を買取り致します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
 
 
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どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
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2023年4月12日

北川民次の絵画を買取り致します。

北川民次の買取価格を知りたい、高額査定がご希望なら北岡技芳堂にお任せください 。

北川民次作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。

豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、北川民次の作品を探しています。もし北川民次の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。

北川民次作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

北川民次の買取り、その他の様々な絵画も買取り・販売を行っております。

 

 

北川民次 本人写真

北川民次 本人写真

 

 

北川民次の作風

北川民次といえば(メキシコの絵)、(瀬戸の民衆生活)、(母子像)、(花)、(バッタ)を題材にした絵画作品ではないでしょうか。

戦前から生涯を過ごした瀬戸の民衆生活を題材に、独創的なデフォルメによる原始的な生命感を表す作風を展開しました。

デザイン化された人物や花は北川民次の代名詞と言ってよいでしょう。
フランスを含めたヨーロッパ留学が一般的な時代に、
民次の場合はアメリカ・メキシコで学んだ経験が如実に表れています。

 

 

 

北川民次「花」 油彩画 1973年 

北川民次「花」 油彩画 1973年 ギャラリー北岡技芳堂内にて

 

 

 

はっきりとした輪郭線や色の配置はその賜物でしょう。
北川民次の作品は油絵や水彩だけではなく、
メキシコ時代に学んだ銅版画、石版(リトグラフ)、木版画などの作品も数多く残しました。

北川民次の現在の評価と価値は、没後30年以上経過した現在でも相場がある作家の一人ですが、
買取価格は下落傾向にあります。私はもっと評価されても良い作家の一人だと思っております。

高価買取のポイントは鮮やかな色彩です。
原色を少し薄くしたような色味が特徴的で、北川民次が描く独特な対象物の魅力をより引き出させます。
色合いがはっきりしている方が高額査定しやすい傾向にあります。

北川民次の作品は、油絵、水彩、版画と大別する事ができます。

 

 

北川民次 母子像 リトグラフ

北川民次 母子像 リトグラフ

 

買取りのポイント

 

① 油彩画作品

キャンバスや板に描かれた作品です。
残念ながら全盛期に比べると、大きく評価額が下がっているのが現状です。
良質な作品でも、50万円以上で買取できるものは少ない印象です。
母子像や花を北川民次らしいタッチで描かれている作品でも、
サイズが小さいと10万~15万円前後の買取となる場合が多くございます。

 

② 水彩作品

紙に水彩で描かれた作品です。
描き込み具合やサイズにより異なりますが、数万円台になることが多いです。

 

③ 版画作品

北川民次の版画作品は挑戦的なモチーフや構図が多く、
技法の特性を生かしながら作られていますが市場価格は低いです。
厳しい評価になるでしょう。10万以下が殆どなのが現状です。

 

 

 

 

 

瀬戸市を愛した芸術家

北川民次の作品は、瀬戸市立図書館の陶板壁画が有名です。 
陶芸の街に絵画という新たな息吹をもたらし、多くの作家たちに影響を与えました。
図書館では北川民次画伯に関する資料も揃えております。

 

 

瀬戸市立図書館 北川民次 陶壁画

瀬戸市立図書館 北川民次 陶壁画

 

 

 

北川民次が瀬戸の町に暮らすようになったきっかけは奥さんの実家があったためで、
メキシコから帰国してまもない1937年に半年暮らし、それから1943年に東京から疎開して再び瀬戸へ戻ってきました。
この町を気に入った民次は、戦後も瀬戸に留まりました。

北川民次が瀬戸を愛したのは、丘の傾斜地に沿って工場や住居が建つ風景が、
メキシコ時代に暮らしたタスコの町のそれと似ていたことです。

メキシコのタスコが銀鉱山で働く労働者たちの町だったのに似て、
瀬戸も陶土を採掘する鉱山の労働者や焼物づくりで陶工が泥まみれになって働く町でした。
メキシコのタスコの人たちと気質的に共通するものを感じて愛着を覚えたのでしょう。

 

 

北川民次 煙突のある風景  1937年 セルロイド凸版

北川民次 煙突のある風景  1937年 セルロイド凸版

 

 

民次の言葉「ぼくは、これまでに知ったどこの街よりも瀬戸の働く人たちが好きだった。彼等は一日じゅう、泥まみれになって働く~(中略)~彼等は清らかだった。心が清浄だった」(北川民次「ぼくの愛する瀬戸」『栄養と料理341号』1967年)。
そして民次は瀬戸の人や町をモチーフに絵を描きました。

 

 

 

北川民次のアトリエ跡

北川民次のアトリエ跡

今でもこの場所が実際に使われているのではないかという雰囲気が漂っているようです。

 

民次の支援者が1974年に敷地を購入、その購入者から1992年に土地の寄付が瀬戸市にありました。
民次の死後、1994年には「北川民次のアトリエを守る会」が支援者の間で発足、
アトリエの手入れと、春秋年2回の一般公開をその方たちが行ってきました。
しかし会の主要メンバーが高齢化、主だった方々は亡くなってしまい、2018年からは瀬戸市が管理を担当しています。

 

 

北川民次 瀬戸風景 1936-7年 水彩画 ガッシュ

北川民次 瀬戸風景 1936-7年 水彩画 ガッシュ

 

 

 

私が思うところ、北川民次には金縁の額装が合わないのではなでしょうか。
これからは額縁もどういった額に変えるか、研究しなければいけないと思っております。
これまでのように重く立派な額縁ではなく、今の住宅環境などに合う額縁

 

北川民次の絵画を買取り致しますが、北岡技芳堂では、様々な絵画も買取、販売を致しております。

北川民次のご所蔵品を高価格買取り致します。売却を検討されております方はご連絡をお待ちいたしております。

下記のリンクから

絵画買取りページ

北川民次の絵画の買取りページ

 

 

北川民次 略歴

 

元二科会会長の洋画家北川民次は、426日肺線維症のため愛知県瀬戸市の陶生病院で死去した。
享年97

特特なデフォルメによる生命感あふれる作風で知られ、
はやくから児童美術教育のすぐれた実践者でもあった北川民次は、
明治27(1894)117日静岡県榛原郡に生まれた。
生家は農業で製茶業を営み、アメリカへも茶を輸出していた。

明治43年県立静岡商業学校を卒業し早稲田大学へ入学したが、
大正2年中退しカリフォルニア在住の伯父を頼って渡米した。
3年ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグに入り、
社会的主題を描いたジョン・スローンに師事、ここで国吉康雄と相識った。

大正10年、アート・ステューデンツ・リーグを卒業するまでの間、
苦学を重ね主に舞台美術家として生計をたてていた。
12年、アメリカ南部からキューバへ放浪、同年9月メキシコのオリサバに着き、
サンテーロ(聖画行商人)となって村々を転々とした。
同年中、サンカルロス美術学校に入学、特待生となり3カ月で卒業する。
13年、チュルブスコ村の旧僧院で研修する画学生の一員となり、
この頃、リベラ、オロスコ、シケイロスらと交際、彼らの推進する野外美術学校に関わることになり、
14年からのトランバムの野外美術学校奉職を経て、昭和6年タスコに移した野外美術学校の校長となった。
8年には、メキシコ旅行中の藤田嗣治が訪問する。
11年、学校を閉鎖して帰国し、一時愛知県瀬戸市に寓居した。
12年上京し豊島区長崎仲町1-241に居住、藤田嗣治の紹介で同年の第24回二科展に
「メキシコ、タスコの祭日」「同、銀鉱の内部」「同、悲しき日」「メキシコの三人娘」「瀬戸の工場」を出品し、会員に推挙された。
同年、数寄屋橋の日動画廊で第1回目の個展「メキシコ作品展」を開催する。
13年久保貞次郎を知る。
戦前は、二科展の他、聖戦美術展(14)、紀元二千六百年奉祝美術展(15)、新文展(18)にも出品した。
18年、瀬戸市安土町23番地に転居し、以後同地に定住した。
戦後は、二科展をはじめ、美術団体連合展、日本国際美術展、現代日本美術展、国際具象美術展、国際形象展、太陽展などに制作発表を行う。
その間、瀬戸の民衆生活を題材に、独自のデフォルメによる原始的な生命感の横溢する作風を展開、1960年代からは色彩の上で一転し、それ以前のいわゆる「灰色の時代」から鮮烈な原色の明るさをました。
一方、メキシコ時代に身につけた銅版画をはじめ、石版、木版画もよくした。
また、児童美術教育にも力を注ぎ、昭和24年名古屋市東山動物園内に名古屋動物園美術学校を開設(26年迄)
26年名古屋市東山に北川児童美術研究所を設立、翌27年には創造美育協会の創立に発起人として参加した。
30年から翌年にかけ、メキシコを再訪したのち、中南米、フランス、スペイン、イタリアを巡遊する。
39年、第6回現代日本美術展出品作「哺育」で優秀賞を受賞。
48年東急日本橋店他で「画業60年北川民次回顧展」(毎日新聞社主催)が開催された。
53年、東郷青児の死去のあと二科会会長に推されたが、
「残る人生は、ただ描くために」と同年9月会長を辞し、翌年二科会も退会した。
『北川民次画集』(昭和31年、美術出版社、同49年、日動出版)のほか、
『絵を描く子供たち』(岩波新書、同27)、『子供の絵と教育』(28年、創元社)
『メキシコの誘惑』(35年、新潮社)などの著書がある。

 

北川民次の絵画を買取り致しますが、北岡技芳堂では、様々な絵画の買取、販売も行っております。

北川民次のご所蔵品を高価格買取り致します。

売却をご検討中のお客様はご連絡をお待ちしております。

下記のリンクからも詳細をご覧いただけます。

絵画買取りページ

北川民次の絵画の買取りページ

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
 
 
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
 
 
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
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2023年4月11日

日本刀を買取り致します。

北岡技芳堂では、日本刀を買取り致しております。

古い日本刀は貴重です。

しかし、どれほどの価値があるのか分かりにくいことと思います。

 

画像上:拵  画像下:白鞘

画像上:拵 
画像下:白鞘

 

日本刀は、大体このような形になっております。
代々引き継がれた日本刀や、先代様や先先代様がコレクションなさった日本刀など、
様々なご事情があるかと思います。
ご来店頂いたり、お電話頂きましたら専門スタッフが丁寧にお答えいたします。

 

 

銃砲刀剣類登録証

          銃砲刀剣類登録証

 

日本刀を所持する場合は、銃砲刀剣類登録証が必要です。

※持ち運びにも必要ですからご注意ください。

 

 

日本刀 短刀

日本刀 短刀

 

日本刀 太刀

日本刀 太刀

 

 

日本刀を登録する際に、事前に価値があるか知りたい

登録証の発行には費用と時間がかかります。
登録証のない刀をお持ちご売却をお考えの方は、
デジカメやスマートフォンなどで撮影した刀剣の写真を、メールまたはLINEにてお送りください。

お値段がどのくらいつくのかどうかなど、事前に画像査定を行うことができます。
日本刀の登録手順に関してのご説明なども承りますので、お気軽にお問い合わせください。

 

日本刀は、状態や作行きによってお値段は変わります

 

日本刀にはさまざまな種類のものがあり、作られた時代・作者などによっても買取金額が大きく異なってきます。
日本刀の参考買取り価格をお伝えいたします。
専門の鑑定士が当社独自の査定基準にて適正評価をいたします。

 

日本刀は錆びやすいです

こまめなお手入れと状態確認が必要です。
刀は手入れをしていないと錆びてしまいます。
鞘に収めてあるからといって大丈夫ではありません。
湿気の多い場所で何十年と放置している場合には、刀身全体が錆びてしまい、
鞘から刀が抜けないこともございます。 
放置期間が長くなればなるほど錆は進み、買取金額もどんどん下がってしまいます。
日本刀の錆を手入れするのは、研ぎに出さなければいけませんので時間と労力をかなり費やします。そうなってしまう前に、ご売却をお勧めします。

 

 

上記のような日本刀を買取り致します。

上記のような日本刀を買取り致します。

 

 

※初めて日本刀の処分を検討されるお客様は、どこに売却・査定・鑑定を相談するべきか、
どのような形で買い取ってもらえるのか等、ご不明な点が多いのではないでしょうか。
ギャラリー北岡技芳堂では古刀、中古刀、末古刀、新刀、新々刀、昭和刀、現代刀などの日本刀を鑑定し、高価買取いたします。
ご売却の際は、出張による日本刀の買取も行っております。
どのようなご質問、売却・鑑定のご相談も、お客様にご納得いただけるまでお話させていただきます。
ご相談だけでも大歓迎です。
引越しなどで日本刀の売却・鑑定を検討の際、また解体の際の日本刀の売却や、
ご家族様、先代様が収集された日本刀売却・鑑定をお考えの際などお気軽にご連絡下さい。
秘密厳守にて高価買取させていただきます。
また、同業者様からの日本刀についてのご相談も歓迎いたしております。

 

日本刀の買取りはこちらのページからご覧ください

 

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2023年4月8日

草間彌生の作品を買取致します。

草間彌生の網目模様の作品、水玉模様の作品を買取り致します。

 

 

草間彌生 本人写真

草間彌生

 

 

1929年長野県生まれ、幼少期から幻視や幻聴を体験し、その体験から網目模様や水玉模様をモチーフにした絵画を制作する。

 

これらの模様は草間の代名詞にもなっており「水玉の女王」と称されることもある。

 

 

草間彌生 無限の水玉

草間彌生 無限の水玉

 

 

 

 

様々なオブセッションを乗り越え、単一モチーフの強迫的な反復と増殖による自己消滅という芸術哲学を見出している。

1957年に渡米し、細かい網目模様を巨大な画面に描くネット・ペインティングや、
男性器をモチーフにしたソフト・スカルプチャー、鏡や電飾を使ったインスタレーションやハプニング、
ボディ・ペインティングなど様々な作品を発表し、前衛芸術家としての地位を確立した。

 

 

 

草間彌生 無限の網

草間彌生 無限の網

 

 

 

 

1966年には第33回ヴェネチア・ビエンナーレに参加するいっぽうで、
映画製作や新聞の発行などメディアを使った表現も行う。

 

1973年に帰国すると、小説や詩集を発表するなど活動の幅を広げました。

 

 

草間彌生 小説 心中櫻ヶ塚

草間彌生 小説 心中櫻ヶ塚

 

1983年には第10回野性時代新人賞を受賞。

 

1994年より野外彫刻を世界中で手がけ、その作品が街中で見られるようになる。

以降も精力的に活動を続け、次々に新作を発表。

 

 

草間彌生 野外彫刻  松本市美術館

草間彌生 野外彫刻  松本市美術館

 

世界中の美術館で展覧会を開催し、いずれも好評を博します。

 

2017年、東京・新宿に草間彌生美術館が開館。

 

 草間彌生美術館 東京都新宿区弁天町107

 草間彌生美術館 東京都新宿区弁天町107

 

2021年における草間彌生のオークション実績について、 2000年前後と比べると徐々に市場価格が上がり、とどまることを知りません。

 

国内外のオークションで草間彌生作品を見かけますが、落札予想価格の下限で落札される事は殆どなく、上限、もしくはそれ以上競り上がっている印象です。

 

日本人アーティストの中で最も注目されている作家でございます。

 

2021年7月に中国のオークションハウスで、無限の網と無限の網の2点セットが約17.8億円で落札されました。

 

2019年にサザビーズ香港にて約8.8億円で落札された、無限の網を上回り、草間彌生の注目の高額落札がうかがえます。

 

 

北岡技芳堂 所蔵 草間彌生 花 0号

北岡技芳堂 所蔵 草間彌生 花 0号

 

 

作家の評価

昭和から現在に至るまで活躍している文化勲章受賞の現代アート画家。
1998年より世界各国を巡回する大規模回顧展「ラブ・フォーエバー: 草間彌生 1958年~1968年」をきっかけに
1960年代の草間彌生の輝きを世界中に知らしめ「世界の草間彌生」となりました。
年を経ても失われない旺盛な創作意欲とチャレンジ精神、そして初期から一貫して続く、
強迫的に繰り返し描かれる模様の蠱惑的な魅力、さらに水玉模様や網目模様やかぼちゃといったモチーフのポップさが特徴です。

 

技法の評価

作品の奥行きを感じることが出来るキャンバスの直筆作品は、大量に流通していない為評価が高く、
サムホールでも高価買取に繋がりやすいです。
特にサイズの大きな作品や版画作品の原画は、高価買取に繋がりやすい傾向があります。

 

図柄評価

「かぼちゃ」作品、その他の作品も全般的に探しています。
かぼちゃの作品は人気ということもあり、特に黄色は高値で取引されます。

「ダンスかぼちゃ」「かぼちゃの神様」「かぼちゃと果物」や、
大判の「黄色かぼちゃ」「コラージュ作品」「ラメ入り作品」は、買取を強化しております。

 

 

草間彌生作品 北岡技芳堂店内ギャラリーにて

草間彌生作品 北岡技芳堂店内ギャラリーにて

 

ここ10年で急激に市場価値が上がりました。

現在の価格になるまで相場は上がったり下がったりしましたが、2000年以前の評価と比べると別格の価格で取引されています。

2000年以前に購入された方の多くは、想像以上の金額で売れるかもしれません。

モチーフとしてはかぼちゃを描いた作品が最も評価が高く、油絵も版画も同様です。

版画作品の多くはシルクスクリーンで制作され、数十万円台から1千万円前後と様々です。

 

かぼちゃが描かれていると基本的には三百万円~七百万円前後となり、サイズが大きい場合は、一千万円を超える相場となっております。

かぼちゃに関しては同じサイズでも色によって評価が変わり、一般的には黄色が最も高いとされております。

草間彌生の相場は安定していると言えないため、お問い合わせいただいたタイミングで買取金額が若干変わる可能性があります。

草間彌生の油彩画、版画作品のご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。高価格にて買取致します。

 

※草間彌生作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。

 

携帯電話からのline査定も随時お受けしております。

 

お手持ちの草間彌生作品の買取情報をお伝えくだい。買取査定の際に、お電話やメールにてご説明致します。

 

こちらから草間彌生の絵画買取りページに行きます。

 

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