2023年4月6日

堂本印象の絵画を買取り致します。

堂本印象の日本画を買取り致します。

堂本印象の買取価格を知りたい、高額査定をご希望でございましたら北岡技芳堂にお任せください 。

近代日本画の巨匠堂本印象を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、堂本印象作品を探しています。堂本印象は初期から晩年まで掛軸もございます。掛軸の鑑定や査定も行なっております。もし堂本印象の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。

堂本印象の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

北岡技芳堂では、様々な絵画を買取致しておりますが、堂本印象は特に自分自身が好きな作家でもあります。

 

筆を持つ堂本印象

筆を持つ堂本印象

 

印象先生の一番最初の記憶は、私が小学生の頃です。

 

表具師であった祖父は、堂本印象先生の掛軸を仕入れてきては修復をしたり、額装に変更したりしておりました。

 

2代目である父は、京都での修行中、苔寺の堂本印象先生の襖絵を仕立てたこともあり、

 

幼い頃よりとても身近に感じる作家の一人でありました。

 

現在では私も作品を買取などさせていただいておりますので、親子3代で堂本印象先生の作品をお取り扱いしております。

 

弟は表具師を継ぎましたので、堂本印象先生の軸装や額装、修復などを行なっております。

 

 

堂本印象先生の凄いところは、画風の変化でしょうか。

江戸時代の仏教的な絵画から師匠の西山翠嶂風、大和絵から漢画、仏画、文人画へと展開した。

 

フランスのミッシェエル・タピエと出会い、必然的に抽象絵画絵へと変化して行きました。

 

これだけ画風が変化した作家は他にいないのではないかと思うほどです。

 

今回は、堂本印象先生の晩年の抽象絵画をご紹介いたします。

 

堂本印象画「次元結晶」

堂本印象画「次元結晶」

 

こちらの絵画は1964年に描かれた作品となり、画集にも掲載されております。

 

(1965年、編集者:堂本四郎、発行者:藤岡健太郎、発行所:株式会社京都画院)

 

最近の現代アートブームで、堂本印象先生の作品も抽象絵画のが人気が出てまいりました。

 

私が若い頃は、抽象絵画はまったく人気がありませんでした。

 

堂本印象 画集

堂本印象 画集

 

堂本印象 画集掲載部分(77p)

堂本印象 画集掲載部分(77p)

 

堂本印象の抽象画に関しての言葉を中尾泰斗先生の論文から一部抜粋してご紹介します。

 

堂本印象は、1966 年の『みずゑ』にて、作家の発言として対談を行っている。

 

その中には抽象表現に至る動機について述べており注目できるため、対談の問いと共に 3 カ所を以下に引用する。

 

問「 抽象の世界に飛びこまれた動機はどこにあったのですか。」

堂本印象 「私は日本の美術史をかえりみて日本画というものを考えたんです。そして、自分としての思想なり欲望なり希望なりを検討したわけですけど、それともうひとつには(略)こういう仕事をやれという状態に置かれたんやないかと思います。それが正しいんやないかとおもうんですが・・・・。」

問「 去年、出版された画集の中で富永惣一氏は、抽象への転向を、超論理的な飛躍という言葉で解釈していますが・・・・。

 

堂本印象「飛躍とか何とかではありませんで、その道が開けたところに私が入っていったということで、たいした障害とか飛躍とかはあんまりないと思うんです。」

 

問「とにかく思い切って今のような仕事に入られたわけですが、いろんな批判を受けられたことでしょうね。」

堂本印象 (略)私としては何かほかに今までとは違った日本画の行くべき道がありそうなと思うてたんです。しかし日本画というものが分かるところまで行かんと、やっぱり今までのものに引きづられますよ。」

 

対談で記されている内容をまとめると、印象は自身の思う新しい日本画の表現を模索するにあたって、これまでの日本美術史を振り返った結果、抽象表現に至ったとすることができる。つまり、抽象への移行は印象にとってごく自然なものであったことが読み取れる。

このような印象の抽象表現への意識については、「欧風の表現を如何に日本画独自のものに昇華させるかという印象の思索 」や、「抽象の取り組みには印象の伝統に対する強い意識が見られる 」、「自己の情念の自由な発露 」との指摘がなされている。このような指摘と印象の発言を踏まえると、印象は日本画を礎として、西洋の抽象絵画を昇華した表現を目指していた。その根底には、自身の思想や希望を自由に表現するという目的があったと考えられる。

 

堂本印象先生 本人写真

堂本印象先生 本人写真

 

 

堂本印象の創造の観点

印象におけ る創造の意味を読み解くことは「新抽象芸術論」を理解する上で必要であろう。

堂本印象、創造という行為は、「自己に似て他には似ないものであり、自ら純芸術的に、新しく作り出す、生み出すもの」である 。

「絵も線や色の濃淡だけの構成で本質的な作品が生み出される。(略)墨画や書道は 幾百年前、既に今の抽象芸術に近づいていた。(略)抽象芸術も絵画の本質を問うこ とから誕生した。」牧渓の筆遣いに「抽象絵画の形態にも似た妙味」を感じています。

 

堂本印象の技法と表現の関係性について

 

『看心有道』に記されている以下の文章から、その一端を読み取ることができる。

 

「日本画は本来高揚されたる精神内容を要求することを第一義におきます、が、日本画は精神内容だけでは成立しないからこの精神内容を十分に表出するだけの画面への技巧即ち日本画技法が要ります。しかし、技法は末であり精神が主でありますが技巧が不十分であれば筆者の心を十分に表現することができません。」

 

印象は縄文土器を例示して、「人体造形を行った縄文土器よりも縄文中期の非対象な純粋造形のほうがはるかに自由で力強くはっきりとして、より美的である」と述べている 。このことからも、美術において具象物を描写することを必要としていないことがわかる。つまり、堂本には形態の描写という技巧的な側面を超越した造形要素を見出すことを重んじていた姿勢が見られる。このような突き詰めた単純化や、縄文土器 への注視は、絵画において本質的な造形要素を抜き取り構成するためには必要不可欠な 視点であると考えらえる。

 

 

上記のように堂本印象の画論をしるしておきます。

 

 

フランス美術評論家 ミッシェル・タピエ

フランス美術評論家 ミッシェル・タピエ

 

画集には「高度な文明をもつ芸術家」というタイトルで、

 

フランス美術評論家のミッシェル・タピエが印象について書いおりますので、91pより一部抜粋いたします。

 

「印象先生の作品は、たとえば、絵を描くという制作活動が目標ではなく、またそれが終局の目的でもなく、

 

先生の身についている数多い表現手段のうちの一つである。」

 

「わたしが、型破りの特性をもつ印象先生の物の考え方に私淑し、先生の芸術に学び、美学を発展させるために、

 

基本的な判断となる非常に多くの教えをうけるようになって、まもなく10年になるが、わたしは、今なお先生に私淑し、教えられるのである。」

 

「印象先生は、最も自由に、そしてまた最もゆたかに言語を創造し、それらのことごとくをわたしに教えているのである。

 

それは、完璧に完成された芸術である。つまり、完璧な芸術のエッセンスそのものである。」

 

(1965年1月 フランス美術評論家 ミッシェル・タピエ・ド・セレイラン)

 

ミッシェル・タピエ

第二次世界大戦後、フランスを中心に興隆した美術運動。

 

運動の推進者・提唱者となったのは批評家のミシェル・タピエである。

 

タピエは戦時下の不安な人間存在を表現したフォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルスらの作品に触発され、」

 

1951年、ギャラリー・ニナ・ドーセで「激情の対決―非具象絵画の最先端」展を組織する。

 

その後、2度に渡る展覧会「アンフォルメルの意味するもの」の企画や画集兼著書の『別の芸術』の刊行を通じ、

 

未分化な形象を前面に打ち出した一連の抒情的抽象を「アール・アンフォルメル(不定形の芸術)」として括った。

 

構成主義をはじめとする幾何学抽象が「冷たい抽象」と呼ばれるのに対し、

 

アンフォルメルはその激しい感情表現から「熱い抽象」と定義されることがある。

 

日本の美術界全体に「アンフォルメル旋風」と呼ばれる一大ブームを巻き起こした。

 

とりわけ具体美術協会の美術家たちを一挙に絵画制作に向かわせた影響力は、

 

その成否も含めて特筆すべきものがある。

 

※堂本印象の絵画は抽象絵画に限らずどんな作品でも買取致します。売却を検討されております方はご連絡ください。高価格にて買取いたします。

 

下記のような抽象画以外の作品も買取り致しております。

 

堂本印象先生の絵画の変化

堂本印象 大原女

堂本印象 大原女

一般的にこのような風景画を数多く描きました。美術商や画廊がデーパートや展覧会で昭和から平成にかけてかなり好まれて高値で取引されていたと思います。

10万前後の買取り相場となります。

 

堂本印象 梅に雀

堂本印象 梅に雀

日本画の画題に梅に小禽の図は多く印象も頼まれてよく描かれたと思います。かなりの数が残っております。お正月から春先に好まれて床間に飾ったと思われます。

15万前後の買取り相場となります。

 

堂本印象 風景画 

堂本印象 風景画 

印象先生は様々な風景画を描かれております。初期から晩年までも画風の変遷が面白いですね。

20万前後の買取り相場となります。

 

堂本印象 薔薇

堂本印象 薔薇

抽象画を描くと同時に床間から応接間に飾る絵画が増えてきた時代です。このような晩年に作品は数百万円で取引されていた時代があります。非常に人気があり富裕層に好まれる雰囲気が今でもしますね。このような画風の時代に同じようなタッチで風景画も多数残っております。

50万前後の買取り相場となります。

 

上記のような作品んがあればお問い合わせください。高価買取いたします。

 

 

※堂本印象の兄弟、親族の紹介

堂本寒星 – 長兄、演劇評論家

堂本漆軒 – 次兄、漆芸家

堂本四郎 – 弟。印象の画集を編集するなどしている。

堂本元次 – 寒星の養子、日本画家。

堂本阿岐羅 – 漆軒の息子日本画家。

堂本尚郎 – 四郎の息子、洋画家。

 

 堂本印象の弟子、岩澤重夫、久保吉郎、三輪晁勢、山本倉丘、堂本元次、岩澤重夫、山本茂斗萌、中尾英武

 

堂本印象の簡単な略歴

1891年 明治24年 12月25日、京都市出身。

1910年(明治43年)京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)を卒業後、西陣織の図案描きの仕事をしていたが、日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。

1924年(大正13年)京都市立絵画専門学校研究科修了。

1919年(大正8年)、帝展初出展作「深草」が入選した。帝展第3回展では「調鞠図」で特選、第6回展に出展した「華厳」は帝国美術院賞を受賞するなど第一級の日本画家として認められた。

1936年(昭和11年)京都市立絵画専門学校教授に就任。

1937年(昭和12年)には、この年から始まった新文展の審査員に就任した。

1940年ごろには、新造される戦艦大和に大和神社の分霊を祭るために海軍が奈良県に発注した日本画の製作依頼を受け「戦艦大和守護神」を描く。堂本には建造中の新戦艦に納められることは知らされなかった。奈良県の大和神社の神殿を描いたこの日本画は戦艦大和の艦長室に祭られるが、沖縄への海上特攻前に大和から降ろされ、現在は海上自衛隊第1術科学校教育参考館が収蔵している。

1944年(昭和19年)7月1日帝室技芸員。

1950年(昭和25年)日本芸術院会員。

1961年(昭和36年)文化勲章、文化功労者。

1962年(昭和37年)密教学芸賞受章。

1973年(昭和48年)京都市名誉市民。1975年、心不全のため死去。従三位に叙せられる。 また、私塾東丘社の主催者として、画壇の指導者としても活躍した。 戦後は抽象表現や障壁画の世界にも活躍の場を広げ、国際展覧会に多くの作品を出展するなど国際的にも活躍。

1963年(昭和38年)、大阪カテドラル聖マリア大聖堂に壁画『栄光の聖母マリア』を描く。

1966年(昭和41年)堂本美術館設立。

1973年(昭和48年)にはローマ教皇パウロ6世の委嘱により、バチカン美術館に飾る『母と子』を制作(翌1974年完成)。聖シルベストロ教皇騎士団勲章大十字章を受章した。

1975年(昭和50年)9月5日、逝去。

 

※堂本印象の絵画や掛軸を買取り致しております。小さな作品から大作、出品作まであらゆる堂本印象の作品を買取り致します。

 

堂本印象の買取ページはこちらからご覧ください

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
 
 
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どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
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2023年4月6日

中島千波の桜の絵画を買取り致します。

中島千波の買取価格を知りたい、高額査定がご希望なら北岡技芳堂にお任せください 。

中島千波作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。

豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、中島千波の作品を探しています。もし中島千波の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。中島千波の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

中島千波の桜の絵画は、千波先生の作品の中でも特に人気がある作品でございます。

中島千波の桜の絵画を買取り致しますが、北岡技芳堂では、様々な絵画も買取、販売を致しております。

 

 

中島千波先生 自筆の桜画の前で

中島千波先生 自筆の桜画の前で

 

今回ご紹介する中島千波先生の絵画は肉筆の日本画でございます。

後ろの共シールには「夜桜」とあります。

一見暗く感じるかもしれないのですが、ライトスポットを当てていただくと、

絵の具の美しい色が浮かび上がりシックな雰囲気となります。

大きさも程よく、4号となっております。

このくらいの大きさですと、マンションのちょっとした場所にも飾っていただくことができます。

やはり日本画の良さは絵の具の美しさでしょう。

中島千波先生は、非常に綺麗な色使いをされております。

 

中島千波「夜桜」

中島千波「夜桜」

 

そろそろ、桜の時期も終わりそうですが、桜は日本を代表する花でございます。

 

日本の国華ですから、年中飾っていただいていても良いのではないかと思います。

ここで日本からニューヨークに行った桜の小話を挟みます。

ニューヨークの桜は、1909年(明治42年)の「ハドソン・フルトン祭」の一環として、

当時のニューヨークの日本人コミュニティ(Committee of Japanese Residents of New York)が、

ニューヨーク市に2,000本の桜を寄贈する計画を立てたのが始まりです。

しかし、日本からの桜を積んだ蒸気船は途中航路で行方不明となり、1909年に間に合いませんでした。

その後、東京市がワシントンDCに桜を再度寄贈することを聞いたニューヨーク在留邦人日本クラブと高峰譲吉博士らは、

ワシントン寄贈用の桜とは別にニューヨーク植樹用として苗木作りを興津の農事試験場に依頼しました。

1912年(明治45年)、ワシントンへの桜と同時に輸送され、3月に無事ニューヨークに到着、

4月28日に植樹式が行われ、翌29日に植樹されました。

現在でも桜は人気で、ニューヨーク全体で桜の時期に様々な場所で桜祭りが開かれております。

日本人も桜は好きですが、桜は美しいので世界中の人々から愛されるのでしょう。

中島千波の桜の作品は版画の作品も多く制作されていて、当店でも買取実績が多数ございます。

弊社が過去に買取させていただいた中島千波先生の版画作品をご紹介いたします。

 

中島千波の評価と価値

 

① 日本画の最も評価が高いのは桜を描いた日本画です。サイズや描き込み具合によりますが、桜以外の花や静物ですと少し安めの買取金額になります。共シールとシミ、痛み具合、額の破損が関係してきます。 本画の買取金額は数十万円から数百万円までと出来により大きく異なります。 鑑定書等は現存作家ですからございません。お気軽にご相談ください。

 

② 水彩の描き込み具合によって金額は異なりますが、日本画と比べると評価額は下がります。要因としては日本画を描くための下絵のような扱いが多いからです。 ただ、水彩画作品でも日本画のような書き込みがあれば、そのクオリティに応じた評価にはなります。

 

③ 版画に関しても桜が描かれた作品数が多く、最も高額査定しやすいです。シルクスクリーン、木版、リトグラフなど様々な技法によって制作されていますが、作品技法による価格差はあまりないです。作品の大きさ構図のほうが重要です。桜以外の花に関しては安値の買取金額になる事が多いです。シミや退色などのダメージが出ていると評価額が下がります。

 

 

 

 

 

 

中島千波 醍醐桜

中島千波 醍醐桜

中島千波 石割桜
中島千波 石割桜

 

 

中島千波 千歳桜

中島千波 千歳桜

 

 

中島千波 臥龍桜

中島千波 臥龍桜

様々な場所へ中島千波先生は取材に行かれたのでしょうね。

桜を中心的にこだわって描かれているのが分かります。

やはり、資産価値で考えますと肉筆が良いと思いますが、

インテリア感覚で気軽に飾って頂けるのは版画ではないでしょうか。

中島千波先生の描かれた作品でございましたら、桜以外の図柄でも買取を行なっております。

売却をご検討中のお客様は、北岡技芳堂までお問い合わせください。

高価格にて買取りさせていただきます。

 

 

 

中島千波 略歴

昭和20(1945) 1021日、中島清之の三男として長野県小布施に生まれる

昭和44(1969) 東京藝術大学美術学部日本画科卒業 第54回院展初出品、初入選「窓」

昭和46(1971) 東京藝術大学大学院修了

昭和49(1974) 現代日本美術展(神奈川県立近代美術館)に「草の主」出品、同館に収蔵される

昭和52(1977) 32回春の院展、第62回院展でそれぞれ奨励賞受賞

昭和54(1979) 5回山種美術館賞(山種美術館)「衆生・視」優秀賞受賞

昭和55(1980) 2回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に選抜出品

昭和58(1983) 裸体画100年の歩み展(国立国際美術館)に出品

昭和59(1984) 横の会結成に参加(以後平成5年の最終回まで出品)

昭和62(1987) NHKテレビ「きょうの料理」のテキスト表紙絵を3年間担当

昭和63(1988) 宮尾登美子著『きのね』(朝日新聞)の挿絵制作

平成2(1990) 1回両洋の眼展(日本橋・三越)に出品 三溪園臨春閣第六室襖絵「不二と桃花図」「松林図」完成

平成4(1992) 永井路子「姫の戦国」(日本経済新聞社)の挿絵制作 おぶせミュージアム・中島千波館開館

平成5(1993) 中島千波展(北澤美術館) 中島千波展-いきなり拒絶反応しないで「なんでこんな絵を描くの」と思ってくれればいいんです-(横浜市民ギャラリー)

平成6(1994) 東京藝術大学美術学部助教授に就任 鎌倉鶴岡八幡宮  斉館貴賓室床の間画  孔雀図制作

平成7(1995) 中島千波の世界展(パリ・三越エトワール) 歌舞伎座緞帳「淡紅白梅」が完成

平成8(1996) 1回「目-それぞれのかたち展」(日本橋・三越)

平成10(1998) 日本美術院退院  無所属となる

平成12(2000) 東京藝術大学美術学部デザイン科教授に就任

平成14(2002) NHK教育テレビ番組・NHK趣味悠々「中島千波の日本画基礎講座  花を描く」の講師をつとめる

平成16(2004) 2年前から制作していた成田山東京別院深川不動堂の内仏殿大日堂の格天井絵が完成

平成17(2005) 還暦記念「中島千波の世界展」開催(日本橋高島屋ほか横浜・京都高島屋、おぶせミュージアム・中島千波館、北澤美術館、新宿タカシマヤを巡回)

平成18(2006) 小布施名誉町民に選出される

平成20(2008) 中島千波展〈花がたり  おもちゃシリーズ〉(日本橋高島屋ほか、京都・名古屋・大阪・新宿・横浜・高崎・岐阜・米子の高島屋を巡回)

平成22(2010) 中島千波の花菖蒲の世界展〈平成花菖蒲〉(日本橋・三越本店新館) 四曲七隻屏風「神池花菖蒲」が披露された。福岡、松山、高松三越巡回。 第1521世紀の目展〈目それぞれのかたち〉(日本橋・高島屋ほか大坂・京都高島屋巡回)この15回をもってこの展覧会を解散。

平成23(2011) NHKBSプレミアム「旅のチカラ」「まぼろしの牡丹  中国・玉龍雪山」の取材のため中国雲南省・玉龍雪山を訪れる 中野嘉之、畠中光享とともに公募グループ展「Artist Group風」を立ち上げる

平成24(2012) 1回「Artist Group風」(東京都美術館) 中島千波展宮尾本「平家物語」の挿画と花々の宴(ウッドワン美術館)  おぶせミュージアム・中島千波館開館二十周年記念 「横浜美術館所蔵作品による中島千波・清之親子展」 東京藝術大学退官展(東京藝術大学美術館)

 

中島千波先生以外の絵画も買取り致しております。どんな絵画でもまずはお電話、メールにてお問い合わせしてください。

 

こちらから絵画の買取りページをご覧ください

 

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2023年4月6日

名古屋市内の絵画の買取りを致しております。

北岡技芳堂名古屋店では、絵画の買取を重点的に行なっております。

名古屋は昔から歴史や文化があり、様々な美術品が残されております。

 

名古屋市内の絵画を買取り致します。

名古屋市内の絵画を買取り致します。

 

 

素晴らしい画家も数多く存在し、現在も高値で取引されている場合もございます。

名古屋市内にお住まいの方で絵画の売却をご検討中の方は、

北岡技芳堂までご連絡ください。

遺産相続のご相談もお受けしております。

評価査定だけでもお気軽にお申し付けください。

愛知県出身の画家

中村正義の絵画(買取絵画の例)

日本画、洋画、版画にかかわらず、具象画、抽象画にかかわらず様々な絵画を買取致しております。

店舗へ直接お持ち込みいただく方法、

点数が多かったり持ち運びが難しい場合は出張査定をご利用ください。

査定だけでも無料でご利用いただけます。

高額商品も、最新のオークション相場を参考に高価格買取致します。

まずは絵画のお写真をメールやLINEにてお送りいただいても、

おおよその査定額をお伝えさせていただいております。

絵画のことは名古屋の北岡技芳堂にお任せください。

絵画の買取りページです。ご覧ください。

 

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2023年4月5日

翠巌宗珉和尚の掛軸を買取り致します。

翠巌宗珉(すいがんそうみん)和尚の掛軸を買取致します。

様々な掛軸を買取しております北岡技芳堂ですが、お茶会に使用する掛軸も買取り致しております。

 

堺 南宗寺

堺 南宗寺 

 

私の考えるところ、大徳寺の和尚の掛軸はどの千家でも、どの流派でも使用が出来ますから、万能と言えると思います。

高僧は立派ですし修行を積まれておりますので、お人柄が文字に伝わり拡張が高いです。

お茶室に掛けても茶味があり、茶室に相応しい文字や表装仕立てとなっております。

その中でも幕末の大徳寺の和尚は、近年、ご高齢のお茶の先生がやめられた後の茶道具の売却時に、

非常に多く出てきて値下がりしている掛軸が多くなっております。

江戸時代後期の掛軸は、ますます「お値段が下落しているなぁ」という感じです。

江戸時代初期の大徳寺の和尚の掛軸も一部を除いて下落していますが、

江戸初期はやはり古いのと掛軸の残っている数が幕末より少ないのとで値打ちがあると考えております。

美術品は江戸初期より桃山時代というように、基本的には古いものを喜びますよね。

 

 

大徳寺 龍光院

大徳寺 龍光院

文字も古い方がピシッっと張り詰めた感じが致します。

表装の布地も「金襴緞子」も古い方のが良いですね。

しかし、古ければ古いほど真贋の問題は付き纏います。

よく知り合いの茶道具商は、茶道具商は印(落款)を見ないと仰ってましたが、

掛軸は書かれれた文句や茶に相応しいかで選ばれる傾向にあります。

私は印も非常に大切な真贋の見分け方の一つだと思っております。

優れた茶道具商は、最終的には印を見るのではないかなと考えております。

今回は、翠巌宗珉和尚一行物の掛軸をご紹介いたします。

 

翠巌宗珉和尚の掛軸

翠巌宗珉和尚の掛軸

この一行書は、論語から来ていると、宗匠のお茶人様に教えていただきました。

215(09-10)
顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人。博我以文、約我以禮。欲罷不能。旣竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已。
 
とても難しいのですが、上記から1部分抜粋して一行にしたと考えられます。
 
在 前 忽 焉 在 後
 
(前にあり、たちまちいずくんぞ、後ろにある)
 
もしかすると千宗旦も、当時の大徳寺の和尚や茶人とこちらの一行物を掛け、色々な事を話し合っていたかもしれませんね。
 
そのようなことを想像しながら、こちらの掛軸を眺めてお茶を頂くのが至福の時間です。

千利休の孫の千宗旦とお付き合いがあった和尚ですから、千家のお茶にはなお相応しいですね。

下記をご紹介いたします。

千宗旦にとっては、気心知れた人たちや大徳寺の和尚方と交わる茶の湯がおもしろく、しかもそれは「一世のおもしろさ」であると言っています。実際、江岑宗左の茶会記には、宗旦と江岑の親子が、天祐紹杲、江雪宗立、玉舟宗璠、天室宗竺、翠巌宗珉ら、大徳寺和尚方の茶会に招かれた記録があります。また、宗旦は天室の大源庵の三畳半茶室や、玉舟の芳春院の一畳半茶室の作事にもたずさわっています。 宗旦が大徳寺の和尚方と親しく交わったのは、幼き日に三玄院の春屋宗園のもとで喝食として修行していた縁もあるでしょう。千家の屋敷から大徳寺までは歩いても近い距離です。ことに晩年の宗旦にとって、大徳寺の和尚方との直心の交わりは精神的なよりどころになっていたともいえるでしょう。

 

龍光院 国宝 密庵

龍光院 国宝 密庵

 

翠巌宗珉のお祖父様は津田宗及

千利休や今井宗久と共に、茶の湯の天下三宗匠と称えられた堺の豪商・津田宗及。天王寺屋の3代目。

宗及の次男・江月宗玩は大徳寺の156世に出世し、娘の南窓栄薫は宮中医・半井云也(なからいうんや)に嫁ぎその子供・翠巌宗珉も大徳寺の195世に出世するなど、津田宗及のDNAは京都で引き継がれていった。

江月宗玩と翠巌宗珉が参禅し茶の湯の修業をした南宗寺には、津田一族の墓碑と利休三千家の墓碑が並ぶようにある。

大御所の潮田洋一郎さんが、中国人の書を掛けたら大徳寺の和尚が見られないというような事を仰っておられましたが、
私は大徳寺の和尚は茶味があり、茶室の床間に相応しいと思っております。

翠巌宗珉の掛軸を買取いたします。
現在でも良い掛軸は高値で取引されております。
掛軸は古くなって掛ける場所がないから全て安くなったと思われる方もいらっしゃいますが、
良い掛軸は今でも高値で取引されておりますので、一度お問い合わせいただけますと幸いでございます。

 

翠巌宗珉の簡単な略歴

江戸前期の臨済宗の僧大徳寺百九十五世

宗珉は名、号に似玉・栖蘆子等。勅諡は法雲大仰禅師。江月の法を嗣ぎ、紫野寸松庵に住む。

1608 慶長13年〜1864 寛文4年 寂、57才。

和泉堺生、俗姓 半井、 自号 似玉じぎょく 栖櫓子せいえし、江月宗玩の甥、法の師

1657 明暦3年 3月18日 奉勅により大徳寺へ入寺 195世

1664 寛文4年 7月23日 遷化

1672 寛文12年 3月18日 冷厳天皇より 法雲大仰禅師号を諡された。

どんな掛軸でも先ずはご相談ください。高価買取致します。

こちらから掛軸の買取をご紹介するページに行きます

 

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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
 
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2023年3月31日

松尾芭蕉の掛軸作品を買取り致します。

松尾芭蕉の掛軸を買取り致します。

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北岡技芳堂は様々な掛軸を取り扱っております。現在でも有名作家の掛軸は高値で取引されています。

今回は松尾芭蕉の掛軸をご紹介いたします。

 

松尾芭蕉像 小川破笠筆

松尾芭蕉像 小川破笠筆

 

松尾芭蕉の掛軸は偽物だらけで99%偽物です。

京都の有名書画商の大御所が、生涯に1回でも松尾芭蕉の真筆の掛け軸を扱う事が出来たら、その人は書画商での成功者だと言われるぐらいなかなか真筆がございません。

今回ご紹介する松尾芭蕉の掛軸は芭蕉の俳句が2首入っております。

 

松尾芭蕉筆 俳句入軸装

松尾芭蕉筆 俳句入軸装

最初、同業者が一番右に俳人山口素堂の素堂の文字が書いてありますのでこの書は山口素堂だと言った方もみえました。

(こちらの意見を言った先輩もこの道40年以上の大先輩)

私は以前から芭蕉全図譜を拝見してましたし、芭蕉全図譜に掲載されている作品を1点所持しておりましたので、わりと気にして芭蕉の書体を意識しておりました。

この芭蕉の掛軸は名古屋の骨董屋さんが何処かの旧家から買い求めた作品が市場に出て私が買い求めたので真筆であれば新発見でございます。

しばらく、私はワクワク芭蕉の掛軸を見ながら俳句を読み芭蕉が書いたであろう字面を毎日眺めておりました。

 

芭蕉全図譜

芭蕉全図譜

 

松尾芭蕉の書は、こちらの岩波書店の芭蕉全図譜に掲載されていたら真筆とされております。

 

 

私は、なかなか嘘けがないし、表具の布地や表装のセンスも良いし、箱もなかなかの良い箱に入っているし、間違いないと思っておりました。

しかし、今回の掛け軸には印が押してありませんし署名も歌の流れにしか入っておりませんのでなかなか真贋が難しいなと思いました。

 

そこで今回はテレビのなんでも鑑定団に出ていて、皆さんご存知の増田孝さんのご意見を伺いました。

増田先生のご意見は

松尾芭蕉の書状拝見しました。
画像を見るかぎりでは、真筆と判断いたします。
署名などはないのですが、筆法に不自然さはありません。
安心して見ていることができるものだと思います。

との事でした。

 

松尾芭蕉筆 俳句入掛軸

松尾芭蕉筆 俳句入掛軸

素堂

市《(まち)》に入てしはし心を師走かな
  

こふく食し木らふく飲し
  

花に貪り月にうえて
  

やを□かつゑもしなす年の

くれけれは

     

めてたき人の数にも入ン老のくれ

はせを

されはこそ

幾霜にこゝろはせをの松かさり

おなしく

おのふ《(能)》まてふり《(古)》にし人の顔若し

杉風

すら〳〵とやすくも立り門の竹

らんらん

増田先生が1箇所どうしても読めないと仰ってました。

 

伊賀鉄道上野市駅前立像

伊賀鉄道上野市駅前立像

 

 

私の先祖が伊賀上野出身で松尾芭蕉は伊賀出身ですので馴染みがあり常に意識の中にありました。

私は、美術品は常日頃から常に反復の様に何度も何度も考え作品を見てまた考える事が大事だと思っております。

松尾芭蕉の掛軸の真贋は鑑定所や鑑定家がいないので、基本的には自己判断になると思いますが、その中でも評価される作品とされない作品がございます。

結局のところ松尾芭蕉の書の真贋は知る人ぞ知る、わかる人には分かる世界だと思います。

どんな物にもそれは言えるのではないでしょうか?

しかし、分かる人には分かる世界はなんと魅力的で楽しい世界ではないでしょうか。

 

実際に毛筆で書を嗜んでいる人が、より分かると言っていた人がいたのも覚えております、私もその通りだと思います。しかし持って生まれたセンスや経験、感覚、神経質なまでの細かいところに気がつくかなどが必要だと思います。

これからも書の世界をじっくり味わいたいと思います。

 

簡単な松尾芭蕉の人生

1644年 0 才伊賀国(現在の三重県)で生まれる。 父親の松尾与左衛門は、この地域の有力者だったとされる。

1662 年18 才伊賀国を治めていた藤堂家の一族、藤堂良忠に仕える。 良忠と共に、北村季吟の下で俳諧の勉強を始める。

1666年 22 才主君である良忠がなくなったため、藤堂家から離れる。

1674 年30 才北村季吟から俳句の腕を認められ、彼の元を離れる。

1675 年31才 この頃から江戸に住み、多くの俳人と交流する。

1684年 40才 出生地の伊賀へ向けて「野ざらし紀行」の旅に出る。

1686年 42才 春の発句会で「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」を詠む。

1689年 45 才弟子の河合曾良と「奥の細道」の旅に出る。 この旅によって、芭蕉の代表作となる多くの句が詠まれた。 また、訪れた地で多くの弟子を獲得することにも成功した。

1694年 50 才江戸から、伊賀、奈良、大阪へ向かい、大阪にて病死する。 葬儀には300人以上の弟子が参列したと言われている。

 

北岡技芳堂では松尾芭蕉の掛軸を買取いたします。

特に岩波書店の芭蕉全図譜に掲載されている作品がありましたら高値で買取いたします。

ご連絡をお待ちいたしております。

北岡技芳堂は様々な掛軸を買取り致しております。

下記のリンクからご紹介ページに行きます。

掛軸の買取りページ

 

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