2023年10月20日

白亜器 陶展 -猫のオフ会-

白亜器 陶展 -猫のオフ会-
【会期】
混雑緩和のため、ご観覧のみの日とご購入いただける日を分けております。
▶︎プレビューのみ:10月30日(月)~11月2日(木)
※プレビュー期間はご観覧のみとなります
▶︎販売(チケット制):11月3日(金)、4日(土)
※販売日の3日、4日のご購入には【ご購入チケット】が必要となります。
▶︎販売(フリー入場):5日(日)
※ご購入いただける作品がご用意できない場合がございます。
【営業時間】
10時~18時/最終日は16時まで/会期中無休
【会場】
ギャラリー北岡技芳堂
名古屋市中区大須3-1-76
大須本町ビル1F
0120- 516-145
会期中の状況、作品点数などにつきましては弊社X(旧twitter)より随時お知らせいたします。
ご不明な点などございましたら、お気軽にご連絡くださいませ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023年9月18日

下重ななみ展   初恋の人

『下重ななみ展 – 初恋の人 -』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2023年9月20日(水)〜9月26日(火)
 
作品の販売方法についてのご案内でございます。
全作品、抽選となります。
 
 

応募締切:9月24日(日)12時まで

 
結果発表:9月24日(日)18時以降より順次ご連絡いたします。
 
1・住所、氏名、電話番号、メールアドレス、ご希望の作品名をお知らせください。
 
★第1希望〜第5希望までご応募いただけます。
 
(複数ご希望の場合は、ご希望順に作品名をお知らせください)
 
2・ご応募を確認後、24時間以内にメールにてご連絡いたします。
 
3・抽選結果は当選/落選に関わらず、メールにてご連絡いたします。
 
詳細につきましてはメール、またはお電話にてお気軽にお問い合わせください。
皆様からのご応募をお待ちしております。
 
 
 
もっと教えて
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023年6月29日

山田想陶展

山田想陶展
 
【営業時間】
 
10時〜18時(最終日は16時まで)/会期中無休
 
初日の7月1日(土)のみ12時オープンとなります
 
【作家在廊日】
 
7月1日(土)、2日(日)、7日(土)
 
 
 
 
年々、作品の品格が増す山田想の急須をこの機会に是非ご覧ください。
 
 
 
 
 
 

2023年6月3日

徳川家康の掛軸を買取りいたします。

徳川家康の書状を買取りいたします。徳川家康の真蹟は貴重です。多くは掛軸に仕立て上がっております。

400年ほど前の歴史的、重要人物、徳川家康の書かれた筆蹟を探しております。

北岡技芳堂では様々な掛軸を買取り致しております。

その他の戦国武将、茶人、公家。僧侶の書かれた書状や和歌などが描かれた手紙、消息を探しております。

大変貴重な徳川家康の書状をお持ちの方は是非ともお問い合わせください。

高価格にて買取りいたします。

 

 

徳川家康像 狩野探幽画 大阪城天守閣蔵

徳川家康像 狩野探幽画 大阪城天守閣蔵

 

徳川家康は、室町時代後期から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名。

江戸幕府初代征夷大将軍。安祥松平家5代当主で徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の始祖。織田信長との織徳同盟を基軸に勢力を拡大。

豊臣秀吉の死後に引き起こした石田三成との関ヶ原の戦いに勝利し、豊臣氏に対抗しうる地位を確立。

1603年に後陽成天皇により征夷大将軍に任じられ、264年間続く江戸幕府を開いた。

関ヶ原の戦いの後も、領地を削減されたとはいえ豊臣氏(豊臣秀頼)は一定の力を有していたが、方広寺(京の大仏)に納める梵鐘の鐘銘を巡る一連の紛争である方広寺鐘銘事件を契機として豊臣方と開戦し(大坂の陣)、1615年に大坂夏の陣により豊臣氏を滅ぼし、全国支配を磐石なものにした。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑の1人である。

 

作品の買取りの場合は実物を拝見させて頂き判断致します。高額でお買取させていただく場合はお時間が少々かかる場合もございます。

 

徳川家康の書かれた書には直筆と右筆があります

右筆(ゆうひつ)は、中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられた。

戦国大名としての徳川氏にも右筆は存在したと考えられる、徳川家康の三河時代の右筆は家康の勢力拡大と天下掌握の過程で奉行や代官などの行政職や譜代大名などに取り立てられたために、江戸幕府成立時に採用されていた右筆の多くは旧・室町幕府奉行衆の子弟の曾我尚祐や関ヶ原の戦いで東軍を支持した豊臣政権の右筆衆、大橋重保、関東地方平定時に家康に仕えた旧・後北条氏の右筆久保正俊などであったと考えられている。

 

徳川家康の真蹟を詳しく知りたい方は下記の書誌ご覧ください。

 

徳川家康真蹟集

徳川家康真蹟集

Amazonで販売しております。

徳川家康真蹟集

 

 

今回ご紹介する徳川家康は多胡藩久松松平家旧蔵

松平勝尹箱書
 
徳川家康の直筆は少なく、多くは祐筆です。
 
直筆は家康の人柄が筆から現れ出ているか…
 
小牧や江戸と日付が書かれているので身内や家臣と旅の日程を話し合った際に書き残した物か…
 
多胡藩は権現様の書かれた物である家康の書を有難く茶室に掛けたのであろう。
 
箱書きにも権現様御筆と書かれております。
 
上下が葵紋の裂で、中回しは龍が織り込まれた豪華な銀蘭になっていて好ましく、天下人に相応しい表装になっています。

 

徳川家康の書

徳川家康真蹟集にも同じような形式の作品が掲載されておりました。

 

徳川家康真蹟集より抜粋

〈道中宿付〉

「道中宿付」とは旅行日程表である。秀吉に「律儀」と評され実務家であつた家康は、旅行の予定も自ら策定したのであらう。本書に収録した自筆道中宿付のみでも十二点にのぼる。

慶長十二年、駿河城に退隠した家康は、以後慶長十九年の大坂出陣の年を除いて、毎年初冬、九月末から十月末に駿府を立つて江戸に下向し、十一月末から十二月前半に駿河に帰著する旅行を年中行事の様にしてゐた。そして行きがけに、或は江戸を起点として武蔵国中を放鷹して廻り、時には下総・上総にも足を延ばし、往復の道中にも放鷹を楽しんだ。

家康の放鷹の記録は、今川氏のもとに駿府に育つた少年時代から始まる。以後、機を得ては毎年の様に楽しんでゐたと思はれ、鷹狩に関する記録は少くないが、殊に太平の世となつに隠退してよりのちは、それを唯一の楽しみとしてゐた様に窺はれる。楽しみっても、鷹狩は単なる道楽ではなく、身体の鍛錬、武術・合戦の訓練、民情視察等の目的を兼ねた行事であり、七十歳を超えても時に一日十里の道程⋯⋯当然騎馬であらう⋯⋯を行き、鉄炮を撃ち、民の訴へを自ら聴いてこれを裁き、それを機に人材、家臣や側室までも得たことさへあつた。

 

徳川家康真蹟集

徳川家康真蹟集 道中宿付 

 

今日に伝存してゐる自筆の道中宿付は、いづれも駿府退隠後のもので、図版七五の慶長十四年十月執筆と推される宿付が初見例である。いづれも単なる街道上下の宿割書ではなく、放鷹を予定した日程であつたことは、その巡路や、一ヶ所に数日滞在を予定した日割からもあり、かつ『当代記』『駿府記』等の実際の行動記録によつても裏付けられる道中宿付は予定表であるから、実際の行動とは当然かなり相違を生じてゐるし、また予定を何回も立て直したり、途中で部分訂正を行つたり、旅行の前半部分または後半部分のみの予定を記すこともある。だから、一回の旅行に関して数種数葉の道中宿付が作製されることも十分にあつたわけである。

旅行の途中、風雨天候や家康の健康状態等、事前に予測し得なかつたと思はれる理由による日程の変更は常に行はれたが、出立日や経路・駿府帰著日等の大概は道中宿付に記された通りに実施されてをり、家康は晩年から最期に至るまで、已れの行動は自らの意志によつて策定し、実行してゐたと知られる。

 

徳川家康の書状

徳川家康真蹟集 道中宿付 

 

 

徳川家康の掛軸

徳川家康筆 道中宿付 掛軸

今年は、大河ドラマどうする家康が放映されています。

戦国時代はロマンがあり人と人とのやりとりを学ぶのには最強の教材だと思っております。

家康の軸を掛けて良いお茶碗で美味しいお抹茶を頂きたいですね。

 

徳川家康の買取相場

徳川家康は、数々の掛け軸が残されており、それらは時々買取市場に売りに出される場合があります。

作品数がそれほど多くない上に、ビックネームで沢山のコレクターがいることから、それらの掛け軸は高額査定になる可能性が非常に高くなっており、実際に300万円という高い査定金額が付された作品も存在し、文献などに掲載されている作品ではあれば500万以上の査定となる事もございます。芸術作品としての価値だけでなく、骨董的価値や歴史的価値も兼ね備えている徳川家康の掛軸作品は、多くの買取業者が積極的に買取りを行っている美術品の一つとなっていることもあって、その買取相場は将来的にさらに上がっても不思議ではありません。そのため、もし手元に徳川家康の作品があるという場合には、相場の水準をしっかりと確認した上で、少しでも高く買い取ってくれる業者を探すようにした方がよいでしょう。

 

 

※徳川家康の消息以外にも様々な掛軸を買取り致しております。
掛軸の売却をご検討なさっているお客様は、北岡技芳堂までご連絡ください。
高価格買取り致します。お電話、メール、LINEにて随時受け付けております。

掛軸の買取り致します。

 

 

 

徳川家康 簡単な略歴

1542(天文11年)三河岡崎城主・松平広忠の長男として岡崎に生まれる。(1歳)

1547(天文16年)人質として駿府へ向かう途中で連れ去られ、尾張へ送られる。(6歳)

1549(天文18年)父・広忠が暗殺される。今川義元の人質となり駿府へ移る。(8歳)

1557(弘治3年)今川氏の重臣・関口義広の娘・築山殿と結婚する。(16歳)

1559(永禄2年)墓参りで岡崎に帰る。長男・信康が誕生する。(18歳)

1560(永禄3年)桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取る。(19歳)

1563(永禄6年)長男・信康が信長の娘・徳姫と婚約。名を元康から家康へと改める。 三河一向一揆を鎮圧へ。(22歳)

1566(永禄9年)東三河・奥三河を平定し、三河国を統一。徳川に改姓し、朝廷から三河守に任ぜられる。(25歳)

1568(永禄11年)遠江国へ進出し、武田信玄と駿河・遠江の分割を取り決める。(27歳)

1570(元亀元年)織田信長の援軍で姉川の戦いに出陣し、浅井・朝倉軍を破る。 岡崎より浜松へ移り、浜松城を築いて本城とする。(29歳)

1572(元亀3年)武田信玄が遠江国・三河国への侵攻を開始(西上作戦)。 一言坂の戦い、二俣城の戦いで武田軍に敗北。三方ヶ原の合戦で武田軍に大敗する。(31歳)

1573(元亀4年)信玄が病死(53歳)。室町幕府が滅亡。本多忠勝らに長篠城を攻めさせる。(32歳)

1574(天正2年)次男の秀康(後の結城秀康)が誕生。母親は側室の於万の方。(33歳)

1575(天正3年)織田信長と連合し、長篠の戦いで武田勝頼を撃破。(34歳)

1579(天正7年)三男の秀忠(後の二代将軍・徳川秀忠)が誕生。 信長の命で正室・築山御前を殺害。嫡男・信康を自害に至らしめる。(38歳)

1581(天正9年)武田方の高天神城を攻略し、遠江を完全に平定する。(40歳)

1582(天正10年)武田氏の滅亡で駿河国を得る、本能寺の変で信長が自害、伊賀越えをして堺から岡崎へ戻る。 信長の死後、甲斐・信濃を奪い、5カ国の大名となる(41歳)

1584(天正12年)小牧・長久手で秀吉と戦い講和(小牧・長久手の戦い)。(43歳)

1586(天正14年)浜松城から駿府城へ移る。 秀吉の妹・朝日姫と結婚。大阪城で秀吉に謁見。(45歳)

1590(天正18年)小田原攻めで先鋒を務める。秀吉からの移封命令により、江戸城を居城とする。(49歳)

1600(慶長5年)会津の上杉景勝の征伐へ向かう。関ヶ原で石田三成らを破る(関ヶ原の戦い)(59歳)

1603(慶長8年) 征夷大将軍となり江戸幕府を開く。(62歳)

1605(慶長10年)秀忠に将軍職を譲り、自らは大御所となる。(64歳)

1607(慶長12年)駿府城を築き、隠居城とする。(66歳)

1615(慶長20年)大坂夏の陣。淀殿と秀頼が自害し、豊臣家が滅亡する。(74歳)

1616(元和2年) 朝廷より太政大臣に任じられる。4月17日に駿府城で病死し、久能山に葬られる。(75歳)

 

※徳川家康の消息以外にも様々な掛軸を買取り致しております。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
 
 
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
 
 
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
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北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
 
 
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。
 
 
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
 
 
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
 
愛知県名古屋市中区門前町2-10
 
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
 
 
#骨董品買取#骨董品#古美術#絵画#版画#茶道具#日本刀#彫刻#金#掛軸

 

 

 

 

 

 

 

2023年5月17日

中村正義の絵画を買取り致します。

中村正義の日本画を買取り致します。

中村正義の買取価格を知りたい、高額査定をご希望でございましたら北岡技芳堂にお任せください 。

近代日本画の巨匠中村正義を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、中村正義作品を探しています。
もし中村正義の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。
中村正義の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

北岡技芳堂では、様々な絵画を買取致しておりますが、
中村正義は地元、愛知県出身ですし、特に自分自身が好きな作家でもあります。

 

中村正義と子

中村正義先生と娘の倫子さんの写真

 

子供のころから病弱で、美術学校に行くこともできなかったが、
日本画壇の重鎮・中村岳陵の画塾に入門し、22歳で日展に初入選。
たちまち頭角をあらわす。
速水御舟の再来とも言われ将来を嘱望されたが、その後モディリアーニやデュビュッフェ、さらにポップアートなどを自分流に咀嚼した破天荒な画風に転じ、日展を脱退、師の元も離れる。
日本画壇から激しいバッシングを受け、外の世界に仕事を求めた結果、映画用の注文作品や、雑誌の表紙や、リアリズム風の絵も手がけた。
1977年4月16日、呼吸不全のため神奈川県川崎市の聖マリアンナ医科大学病院にて死去。52歳。死後、遺族(娘の中村倫子)が家を美術館として公開している。

 

 

 

 

現在、中村正義の美術館では、春秋の年2回、娘の倫子さんが企画をして展示をされていらっしゃいます。

 

日本画の買取り価格が全体的に下落傾向にあるということもあり、

少しでも日本画の良さを知って頂きたいと「再考中村正義展」を2023年2月に弊廊にて行いました。

若い方にも知って頂き、日本画のコレクターが増えれば値打ちが出てくるのではないか、

買取り価格が上昇するのではないかと思っております。

 

 

2023年アートコレクターズ2月号 

アートコレクターズ中村正義

Amazonでコチラの雑誌はご購入いただけます。

アートコレクターズ2023年2月号

 

120ページから123ページの 4ページにわたって、 中村正義の美術館 館長の中村倫子さんと対談致しました。
画家 中村正義について 深い話が出来たと思っております。

 

再考 中村正義 展

ギャラリー北岡技芳堂
2023年2月20日(月)から3月1日(水)まで
10時〜18時(最終日は16時まで)/日曜休廊
 

現在、こちらの展覧会は終了しております。

 

中村正義展

中村倫子館長との対談ページ①

中村正義 中村のりこ 北岡淳

中村倫子館長との対談ページ②

 

以下、生活の友社 『アートコレクターズ2023年2月号』より抜粋いたします。

特別対談 

中村倫子(中村正義の美術館館長)×北岡淳(ギャラリー北岡技芳堂)

 

バスキアに負けない「顔」

北岡

私は表具師の家に生まれ、日展や院展の画家の絵には馴染みがありました。
しかし20代のある日、中村正義先生の「題」を見た時の衝撃は今でも忘れられません。
当時、不平等や不公平な世の中への反発心を秘めていた私は、
こんなアバンギャルドな表現をする人がいたのかと共感したのを覚えております。
それから10年以上かけてようやく展覧会を実明することができました。

中村

今回、父が懸点にしていた名古直屋で個展をしていただけて嬉しいです。

北岡

アメリカの画家バスキアは1960年に生まれ、70年代後半からスプレーペインティングを開始しました。
その約20年も前に正義先生はストリートアートのような「顔」を描かれた。
自分自身を見つめ続け、「顔」というテーマで日本画とは思えない斬新な表現をした作家を他に私は知りません。

 

 

 

中村正義 顔

中村正義 顔 8号

 

 

日展脱退からの新しい表現

 

 

北岡

正義先生は36歳の若さで日展審査員になり、そして翌61年、日展会員になった直後に脱退された。
病気だけでなく世間とも戦い、悩み苦しまれたと思います。
日本画の基礎は中村岳陵先生に学ばれたのでしょうか。

中村

はい。父は岳陵先生を尊敬していました。
勉強熱心な先生で、毎月、先生の画塾「蒼野社」では研究会を行い、
作品の批評をし合ったりしていたそうですが、やがてそういうことをしなくなりました。

北岡

61年の中村岳陵先生の四天王寺大壁画の設置中に弟子の日比野嘉径が亡くなります。

中村

そうですね。その対応などもめぐって、以前のように研究会をしようと、我妻碧字さんや森緑翠さんら名古屋の仲間たちと父が働きかけ、先生も一度は納得されたのですが、それを妬んだ東京のお弟子さん達の進言によって元に戻ってしまいました。
それで我妻さんと森さんが画塾と日展を抜けることになって、年齢的に一番下の父も辞めざるをえなかったのでしょう。
でも今は、日展の作家さんたちもうちの美術館に父の絵を見に来てくれます。

北岡

その後、我妻碧字や森緑翠は白士会を結成しますが、正義先生は参加しなかった。
脱退の影響で百貨店で発表できない時期もあったそうですね。

中村

ええ。銀座の百貨店の方は「中村正義展なんて企画したら刺されるよ」と言われたことがあったそうです。

北岡

一方で、厳しい状況でも支援者がいたのは、絵にもご自身にも魅力があったからでしょうか。

中村

作家仲間によると、とにかく絵が魅力的だったと言います。
丸栄の社長、川崎音三さんにはお世話になりました。

北岡

日展に入選するには師事する先生に従う必要があります。
正義先生は脱退してよかったのかもしれませんね。自由に描けるようになられた。

中村

ただ食べていけるかは別問題。

北岡

現在も日展は力がありますが、草問彌生さんをはじめとする日本人アーティストが世界から評価されるようになって、その構造が崩されつつあります。
57年に草間さんが渡米し、60年代は日本と世界のアートがめまぐるしく動き出しました。
正義先生が無所属になって、作風を大きく変化された時期です。

 

 

試行錯誤して辿り着いた「薔薇」

 

 

北岡

正義先生の絵の色調は、はセピア色でしたが、脱退直後に原色的な色へと大きく変化します。

中村

ともかく絵を変えたかったんです。ふと、父は決まった色ばかり使っているのに気がついた。
変わるためには今まで自分が好まなかった色を使う必要があると思ったみたいです。
日展時代は畳に座って制作し、絵具が少しでも撥ねると拭いていました。
それが、絵を変えると思い立ったら、絵具が落ちてもそのままになった。
何もかも変えて、特に色は意識したと思います。

北岡

正義先生の作品でも「薔薇」と「雪景」が特に人気があります。

中村

でもその2つのシリーズのうち、「雪景」はうちの美術館にはありません。

 

 

中村正義 薔薇

中村正義 花 20号

 

北岡

人気があったからでしょうね。中村うちにあるのは「顔」がほとんどです。
「薔薇」も最初の頃は全然売れませんでした。

北岡

薔薇までの花の絵も目まぐるしく変化されています。

中村

絵を変えようと思って、変えられるから面白い(笑)。
最初はいろんな種類の花を描いて、ダリアやケシ、パンジ-、名のわからない花もあります。
61年1月に今の美術館のある場所に引っ越してきて、
脱退後は赤い花のシリーズ、63年から「薔薇」や「顔」を描くようになります。

北岡

「花」(120頁)の薔薇は怪奇というか妖艶というか、
画面から力強いパワーを感じます。なんだか怒っている感じがする。

中村

そういうふうに感じていただけるのはすごい。確かに日展を辞めた頃で怒っています。

北岡

私には試行錯誤を経て辿り着いた、圧倒的な存在感のある花の完成形に見えます。

 

 

一番多く描いた「風景」

 

 

北岡

「雪」(122頁)は太陽の光が射し込むあたたかい雪景色であり、
また月と枯れ枝の見える厳寒の雪景色にも見える。
あたたかさと厳しさが同居しています。

中村

太陽と月のシリーズですね。
69年の五都展に出品した「雪景色」が最初で、同じ年に銀座三越で「中村正義個展:太陽と月のシリーズ」を開催しました。
そこで美術部の方から「お客様が太陽か月か知りたがっている」と言われた父は、
「お客様がいいと思うように返事をしてくれたらいい」と答えたそうです。

 

 

中村正義 雪景

中村正義 雪 10号

 

 

北岡

鑑賞者に委ねるのはわかりますが、そう言い切れる作家はそういません。

中村

実は一番多いのが風景画で、ものすごい数のデッサンがあります。
日展や白士会の人たちとのスケッチ旅行では、みんなが1枚描く間に父は20枚も描いたとか。
筆が早くて、多く描くことを大切にしていました。
「雪」は父の風景の中でも最晩年の太陽と月のシリーズです。
見なくても描けるくらいに頭に叩き込まれている。
長年自分が描いてきた、記憶の中の風景です。一方、初期の作品は本画とよく似たデッサンや下図、写真があります。
その頃は風景を忠実に描くことを大切にしていたのだと思います。

北岡

長い間に風景画を試行錯誤された。出品作の「雪」は、その中でも非常にまとまっている優品だと思います。

 

 

「顔」=自画像

 

 

北岡

今、私が一番惹かれるのが顔です。常に死と向き合ったからこそ、「顔」すなわち自画像を描き、己の気持ちをぶつけたのでしょう。
だから怖くも悲しくも寂しくもある複雑な表情です。
当時の日本画家としては異端児で、早すぎる表現にも思います。

中村

だから全く売れなかったですし、冗談で描いているとか、頭がおかしくなったとか言われたようです。

北岡

「絵が変わって狂ったとされるのは進んだ芸術家にありがちです。
市場に「顔」はほとんど出てきませんが、美術館には何点くらいあるんですか?

 

 

中村正義 舞妓

中村正義 舞妓 SM

 

中村

300点程です。
把握している範囲で市場には80点くらいあります。
ただその中で売れたのはほんの少しで、他は御礼であげたものだと思います。

北岡

正義先生には油彩もあります。油絵具を使ったのはなぜですか。

中村

「顔」を描き始めた60〜61年頃は油彩で、立体的に表現したかったのだと思います。
でも思うように表現できず、乾くのに時間がかかる油絵具は合わなかったみたい。
途中から岩絵具に木工用ボンドを混ぜていました。やはり日本画の画材が性に合ったのだと思います。

 

 

死に向き合いながら描く

 

 

北岡

常に死を意識していたことが自画像に表れています。
絵が生々しく、真剣で気を抜いていない。

中村

考えていたようです。私が生まれた年に結核の手術をしてよくなりましたが、日展脱退後に癌になった。
そこから逆戻りして、病とともに生きてきました。
当時は癌になると死ぬしかない時代でしたが、病弱という印象はありません。
風邪で寝込むことはなくて、人一倍気を付けていたと思います。
絵をたくさん描いて、いろんなところにでかけて、写楽の本を作って、他にも活発に活動していました。
父は誰も描いていない、今までにない何かを描きたかったのだと思います。

北岡

真実を知る芸術家は自分と向き合い、己の芸術を追求します。
正義先生はやがてくる死を見つめ、地位や名誉にとらわれることなく、人間とは何か、どう人生を生きるべきかを考え、本質を求めて「顔」を描かれたのだと思います。
代表作の「舞妓」シリーズにしても、貧しい家に育ち、旦那衆に売られて囲われる美しい舞妓の真実を無惨に描いています。
私もあと2年で先生の亡くなられた52歳になるので、先生が晩年にどう生きてこられたかを展覧会に向けて考えています。
今日、お話できたおかげでより深く正義先生について知ることができました。ありがとうございました。

 

 

 

※中村正義の絵画以外にも様々な絵画を買取り致しております。
絵画の売却をご検討なさっているお客様は、北岡技芳堂までご連絡ください。
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絵画を買取り致します。

 

 

映画 父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯

 

中村正義 父をめぐる旅

映画 父をめぐる旅 異才の日本ん画家・中村正義の生涯

こちらの映画はDVDにてご覧いただけます。

当時の日本画の世界がわかりやすく、素敵なDVDでした。
一度、ご覧いただけますと幸いでございます。

 

 

 

 

 

反抗と祈りの日本画 中村正義の世界 (集英社新書) 大塚信一著 中村正義の世界

反抗と祈りの日本画 中村正義の世界 (集英社新書)

大塚信一著 中村正義の世界

こちらの本は分かりやすく中村正義の事が書かれております。
中村正義の事をあまりご存知ない方にも読みやすい一冊ではないでしょうか。

反抗と祈りの日本画 中村正義の世界

『画壇のエリートはなぜ異形の舞妓を描いたのか?』

日本の伝統的美意識の象徴として、昔から様々な画家に美しく描かれてきた舞妓たちですが、

しかしそれは本来の舞妓の姿を捉えているのでしょうか。

美しく表現するだけでは、舞妓の本質を捉えたことにはならないのではないか、

真実は他にあるのではないか。

中村正義はエリートの道を選ばず画壇の旧い体質と対決、

これまでの画風や使用する絵の具の色も全て変え、怪異な舞妓像を描き続けたました。

生涯を通して病気がちだった正義でしたが、そのような舞妓に自らを重ね合わせ、仏画のごとく描いたり、

舞妓の姿も様々な形に変化して行きます。

異端の画家と呼ばれた彼の生涯を見つめ、舞妓像や仏画、風景画、顔の連作といったジャンルごとにその作品を解説されています。

 

 

ドキュメント 時代と刺し違えた画家中村正義の生涯

中村正義の生涯

こちらの本は、中村正義の生涯が非常に細かく明記されております。

丁寧に書かれており、正義への愛情も感じます。

 

 

 

笹木繁男著『ドキュメント 時代と刺し違えた画家 中村正義 の生涯』

 

本著は従来の一般書籍とは全く異なる手法で、日本画家中村正義の生涯をたどったものです。

ご存じのように中村正義は、戦後の荒涼とした 1946 年に開催された、 第 2 回日展(10 月:第 1 回日展は同年の 3 月)に、彗星のように登場 します。

敗戦の翌年のことです。以来日展を主舞台として、生来の肺の病と闘い、一時画業の中断をするなど、苦難な道をたどりながら一度の落選もなく 10 回出品しました。

その間特選 2 回、最後の日展では審査員を務め、日展会員となります。

ところがその直後の 1961 年、正義は大方の期待を振り切って日展を脱 退します。特記すべきは、結核が再発し死線をさまよい、日展への出品を中断して、4 年後に日展に再登場した 1957 年以降の 4 作です。

爾来自分の描きたい絵を描くと宣言し、貧窮に甘んじ、それを実行に 移しました。

また国に買上となった作品を破棄するなど、自作に最後までこだわった稀有の画家でもありました。

その後、発ガンを自覚しながら「从展」「東京展」を創設し、絵画の変 革を試みました。

享年 52 歳の短い生涯でした。

その正義の語られざる画業が、ここで初めて 明らかになります。

本著ではまた、ドキュメントの手法で当時の展覧会評の全文、特定できた出品作をすべて明記し、時代の証言も丹念に収録しています。

一 方当時のパンリアル美術協会、日本画研究会、从展、東京展、などそ の全貌が初めて浮き彫りにされ、当時の美術状況も一望できるよう配 意されました。

 

 

※中村正義の絵画以外にも様々な絵画を買取り致しております。
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絵画を買取り致します。

 

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