2025年5月10日

茶道の流派 三千家やその他の流派の特徴などについて解説します。 茶道具買取コラム10

茶道は古くから日本の伝統文化の一つとして発展を遂げてきました。

その茶道には、表千家裏千家などの有名な流派以外にも、さまざまな流派が存在し、それぞれに独自の作法や理念を代々受け継いで継承して行っております。

このコラムでは、茶道における流派について、様々な流派や特徴などをご説明いたします。

 

 

京都市上京区・小川通に面する裏千家今日庵の兜門 茶道具を買取ます

京都市上京区・小川通に面する裏千家今日庵の兜門

 

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茶道の流派について

 

茶道における「流派」とは、茶を点てる技法や作法、精神性、そして茶室の様式や茶道具の選び方に至るまで、独自の伝統を受け継ぐ集団を指します。千利休が大成させた茶道は、時を経るごとに多様化し、現在では500を超える流派が存在しているといわれています。

流派ごとに大切にしている価値観や美意識が異なるため、茶の湯を学ぶ際には、各流派の特色を把握し、自分に合ったものを選ぶことが重要です。

 

三千家の概要と特色

 

なかでも知名度が高いのが、千利休の子孫によって受け継がれてきた「表千家」「裏千家」「武者小路千家」の三つの流派で、総称して「三千家」と呼ばれます。それぞれが利休の思想を基盤としながらも、表現や所作に独自の工夫が見られます。

 

表千家

表千家(おもてせんけ)は、千利休を祖とする茶道の家元三千家の一つで、千宗旦の長男・千宗左を初代とする流派です。千宗旦の茶風を最も正統に継承した家系とされ、「不審庵(ふしんあん)」を表千家の家元道場としています。不審庵は京都・小川通寺之内に位置し、現在も茶の湯の修練と伝承の拠点となっています。

表千家の茶風は「質実剛健」と評され、簡素で無駄のない構成を重んじるのが特徴です。利休以来の精神を重視し、道具の扱いや点前作法にも厳格さが保たれています。茶室の設えや道具組みにおいても、飾り気を排した幽玄な美意識が貫かれています。

歴代家元は茶の湯文化の発展に大きく寄与しており、特に七代・如心斎宗左は中興の祖として知られ、濃茶の点前に「相伴(しょうばん)」という形式を導入しました。明治期には十一代・碌々斎が、激動の時代の中でも茶道の伝統を守り抜きました。

現在の家元は十六代・千宗左氏で、国内外に茶道を広める活動にも積極的に取り組んでいます。表千家は伝統を大切にしつつも、現代社会との調和を図りながら、茶の湯の心を今に伝える役割を担い続けています。

 

裏千家

裏千家は、千利休の曾孫・千宗室(せんそうしつ)を初代とする茶道の流派で、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の中で最も多くの門弟を抱える最大流派として知られます。初代・千宗室(元は仙叟宗室)は、千家屋敷の裏手に自らの居所「今日庵(こんにちあん)」を構えたことから「裏千家」と称されるようになりました。

利休の「わび茶」の精神を受け継ぎつつも、裏千家は時代に即した柔軟な茶風を展開し、特に江戸時代以降、武家や町人の文化の中で広く普及しました。歴代家元は、茶の湯の技法だけでなく礼法や作法の体系化にも力を注ぎ、明治以降は近代化と国際化の中で積極的な茶道の普及活動を行います。

15代家元・千宗室(現・玄室)は、第二次世界大戦後に茶道を国際交流の手段として位置づけ、「一盌からピースフルネスを(Peacefulness through a Bowl of Tea)」という理念を掲げ、世界中に茶の湯を紹介しました。現在の16代・坐忘斎宗室もまた現代に即した活動を続け、学校茶道や海外支部の拡充にも尽力しています。

裏千家の特徴は、点前作法に柔軟性があり、台子や長板などの扱いに独自性があること、また客との間合いや所作において和やかさや親しみやすさを大切にする点です。宗教性よりも日常性を重視するその茶風は、多くの人々に受け入れられ、現在も日本全国、そして海外へと広がっています。千宗旦が隠居所を構えた「裏の家」が起源で、現在では最も多くの人々に親しまれている流派です。柔軟かつ開かれた姿勢を持ち、茶筅を細かく振ることで泡をしっかり立てるのが特徴。盆略点前といった簡略化された稽古法など、初心者にも親しみやすい構成が魅力です。

 

武者小路千家

武者小路千家は、茶道三千家のひとつに数えられ、千利休の孫・千宗旦の次男である一翁宗守(いちおうそうしゅ)を家祖とします。宗守は、宗旦の最初の妻との間に生まれた次男で、長男には宗拙(そうせつ)という兄がいました。その後、宗旦が再婚してもうけた子が、表千家の千宗左と裏千家の千宗室です。家督は次妻の長男・宗左が継いだため、宗守は自身の茶風を求めて、京都の武者小路に居を構えました。これが武者小路千家の起源です。

宗守は父・宗旦の教えを受けつつも、自らの思想と美意識を加え、理知的で清廉な茶風を築きました。その精神は「無駄を省き、動きに理を通す」ことに現れ、形式美と実用性の調和を大切にしています。彼が住んだ庵は「官休坊」と呼ばれており、後に官休庵(かんきゅうあん)と名付けられ、今日に至るまで家元の居所となっています。

武者小路千家は、表千家や裏千家に比べて門弟数は少ないながらも、精神性の高さと茶風の緊張感において独自の評価を得てきました。点前や道具組に無理がなく、客をもてなす所作にも洗練された節度があり、静かな美を好む流派とされています。とくに道具の選定や床のしつらえには簡素の中に格調を漂わせる意識が貫かれています。

代々の家元は「宗守」の名を継ぎながら、茶の湯の本質を守り続けてきました。近代以降も、流派としての誇示を避けつつ、文化的活動や教育面での貢献を重ねてきました。現在は十四代・千宗守氏が家元を務め、国内外での茶道振興にも力を注いでいます。武者小路千家は、茶の湯における「理」と「心」の交差点として、現代においても静かな存在感を放ち続けています。

 

 

三千家以外の代表的流派

 

三千家以外にも、独自の美学を持つ流派が各地に存在します。

 

藪内流

藪内流(やぶのうちりゅう)は、戦国時代末期に始まった茶道の流派の一つで、千利休の高弟であった武野紹鴎の弟子・藪内剣仲宗頴(けんちゅうそうえい)によって創始されました。初代宗頴は利休の孫・宗旦と同時代の人物で、侘び茶の精神を引き継ぎつつも、独自の礼法と点前を築きました。京都・上京区の「燕庵(えんなん)」を藪内家の茶室とし、代々の家元がそこを拠点として活動しています。

藪内流の特徴は、武家の礼法に通じた格式ある点前と、緊張感を帯びた凜とした茶風にあります。とくに袱紗の捌きや道具の扱いにおいて、直線的かつ端正な所作が重視され、動きに無駄がありません。また、床の間に飾る掛物や花入にも厳格な約束事が多く、静謐な空間の中に精神性を深く宿すことを重んじます。

表千家・裏千家・武者小路千家の「三千家」に比べると規模は小さいながらも、藪内家は代々京都御所や公家との関係が深く、その品格と格式から「御家流(おいえりゅう)」とも称されてきました。特に茶事の際における所作や道具組みの緻密さ、清楚な美意識は高く評価され、今もなお茶の湯の根源的精神を伝えています。藪内流は現在も伝統を守りながら、国内外に門弟を持つ茶道流派として存在感を保ち続けています。

 

遠州流

遠州流(えんしゅうりゅう)は、江戸時代初期の大名茶人・小堀遠州(こぼりえんしゅう)こと小堀政一(1579–1647)によって創始された茶道の流派である。遠州は近江小室藩主であり、徳川将軍家の茶道指南役も務めたことから、武家風の格式を備えた流儀として知られる。彼は千利休・古田織部の精神を受け継ぎつつ、より洗練された美意識を打ち出した。その理念は「綺麗さび(きれいさび)」に象徴され、簡素さの中に優美さを宿す美の世界を築いた。

遠州は作庭家・建築家としても名高く、茶室や庭園においても彼の美意識が表れている。代表的な遺構としては、京都・南禅寺金地院の茶室「八窓席」などがある。茶器の選定においても、唐物・和物を巧みに取り合わせ、文人趣味や公家文化の影響を受けた雅やかな構成が特徴的である。

遠州流の点前作法は、直線的で端正な所作を重んじ、型の美しさに定評がある。礼法にも通じており、茶の湯を通じて礼節を学ぶ精神が息づいている。現在も東京や関西を中心に多くの門人を抱え、茶会や講習会を通じてその伝統が受け継がれている。遠州流は、武家茶道と公家文化、文人趣味の融合という独自の美意識を持ち、茶の湯の多様性を今に伝えている。

 

江戸千家

江戸千家(えどせんけ)は、江戸時代中期に千宗旦の三男・江岑宗左の庶子である川上不白(かわかみふはく)によって創設された茶道の一派である。江戸において茶の湯を普及させた中心的存在であり、「江戸三千家」の一つとして知られる。不白は元来、表千家の出身でありながら、将軍徳川吉宗の命を受けて江戸に下り、武家社会を中心に茶の湯の布教に尽力した。彼の教えは質素で実践的、精神性を重んじるものであり、「不白流」とも称された。

江戸千家の茶風は、利休のわび茶の精神を根本としつつも、武家や町人に寄り添った柔軟な様式が特徴である。不白自身が書いた『茶道筌蹄(さどうせんてい)』や『不白筆記』などに、その教えの詳細が記されており、技術よりも心得や心の持ちようが重視された。不白は、宗旦の茶を「道の用」として体現することに尽力し、江戸という大都市での日常生活に即した茶の湯を追求した。

江戸千家は、表千家・裏千家に比べて知名度こそ劣るが、精神性の高さと簡素さに美を見出す姿勢に定評がある。茶室や道具も過度な装飾を避け、品位と静寂を尊ぶ設えが多く見られる。現在も宗家は東京・新宿区にあり、川上家によって茶道の伝統が守られている。不白の「稽古とは一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一」の言葉は、江戸千家の稽古理念を象徴している。

茶道の精神を都市生活に融合させた江戸千家は、現代においても静かに支持を集めており、質実な茶の湯を志す者にとって学ぶべき多くの教訓を残している。

 

松尾流

松尾流は、江戸時代中期に京都で成立した茶道の流派で、その創始者は松尾宗二とされています。宗二は表千家や裏千家の茶を学びつつも、自らの美意識と理念に基づき独自の茶風を築き上げました。流派の成立は18世紀前半とされ、京都の町人文化と深く結びつきながら発展していきます。

松尾流の茶風は、格式を重んじつつも、柔軟な姿勢を併せ持つ点に特徴があります。表千家の端正さと裏千家の温雅さの中間に位置づけられ、礼法と実用性を調和させた点が流儀の美徳とされてきました。亭主と客との間に生まれる静かな対話を重視し、道具の取り合わせには繊細な配慮が見られます。

また、松尾流は茶道の精神性に重きを置いており、「和敬清寂」の理念を日常の中で実践することを説きます。稽古では基本点前を丁寧に学ぶことを重視し、流派独自の点前や作法も伝承されています。近年では女性の家元が代々継承していることも特徴で、女性ならではの柔和な感性が流儀の中に表現されています。

関西圏を中心に活動しており、学校教育や地域文化活動との連携も進んでいます。茶道を通じた人間教育に注力し、現代社会においても心の育成や礼儀作法の指導として注目されています。伝統を大切にしつつも、現代に即した茶の在り方を模索している点で、松尾流は今日も静かに茶の道を歩み続けています。

 

石州流

石州流(せきしゅうりゅう)は、江戸時代初期の大名茶人・片桐石州(1605–1673)を流祖とする茶道の一派です。石州は大和国郡山藩の藩主でありながら、茶の湯に深く傾倒し、武家にふさわしい礼法と実用性を兼ね備えた茶風を確立しました。彼は千利休の精神を尊重しつつも、織部や遠州の流れを汲み、独自の「石州好み」を形成していきます。

石州流の茶風は、武士らしい簡潔さと格式を重んじる点にあります。茶室や道具には過度な装飾を避け、整然とした佇まいを求めます。また、客に対して丁重な作法を尽くすことを重視し、表千家・裏千家よりも礼法的な要素が強いのが特徴です。表千家の三代・宗左に茶を学んだことからも、千家との関係が深い流派といえます。

石州流では、四畳半の茶室を好み、直線的で明快な動作を大切にします。さらに、掛物や道具の取り合わせにも理が通っており、形式美と機能性が融合しています。江戸時代には武家社会に広まり、紀州徳川家などでも重用されました。現在では複数の分派に分かれつつも、「礼と理の茶道」としてその伝統を守り続けています。

 

宗徧流

宗徧流(そうへんりゅう)は、江戸時代前期の茶人・山田宗徧(やまだそうへん)によって創始された茶道の流派です。山田宗徧(1627〜1708)は、千宗旦の高弟として四天王の一人に数えられ、宗旦の侘茶を受け継ぎつつも、武家社会に適した格式ある茶風を確立しました。宗徧はもともと儒学を修めた学者肌の人物で、武士や知識人に向けて理知的で実践的な茶の指導を行ったことで知られます。徳川綱吉の側近・柳沢吉保の庇護を受け、江戸や甲府を拠点に茶道を広めました。

宗徧流の茶風は、簡素でありながらも端正な所作と明快な理論が特徴です。流派の理念としては「質実剛健」や「理と礼の調和」を重視し、道具の取り合わせにも過度な装飾を避け、機能性と精神性の両立を追求しました。また、宗徧自身が残した茶書『茶道四規』などの文献を通じて、合理的な教授体系を築き上げた点も注目されます。宗徧流は、その後甲府・駿河・尾張などの武家社会に浸透し、武士の教養としての茶道の発展に大きく寄与しました。現在でも山田家が家元を継承し、宗徧の精神を現代に伝えています。

 

三斎流

三斎流(さんさいりゅう)は、戦国武将・細川忠興(三斎)を流祖とする茶道の一派であり、千利休の高弟としてその教えを深く受け継ぎつつも、武家風の厳格さと美意識を融合させた独自の茶風を確立しました。忠興は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三代に仕えた有力大名でありながら、茶道への造詣も深く、利休七哲の筆頭とされています。

三斎は利休没後、その教えを基礎にしながらも、より簡素かつ機能的な道具遣い、端正な作法を重視しました。とくに茶室の構成や点前においては、無駄を省きつつも風格を失わないことを追求しており、武家の精神性を体現するものとして高く評価されます。

三斎流では、利休形を踏襲した小間の茶室を基本としながらも、時に書院風の広間も用いる柔軟性が見られ、茶事では実用と格式の両立が図られます。道具に関しても、唐物や名物よりも実直な和物を好み、抑制された美に重きを置きました。

今日では、熊本を中心にその流れが伝えられ、細川家の文化とともに受け継がれています。三斎流は、数ある茶道流派の中でも「武家の茶」の典型として、利休精神を実直に体現する流派の一つと位置付けられています。洗練と質実を兼ね備えたその茶風は、静けさの中に凛とした緊張感を湛えた魅力を持ち続けています。

 

織部流

織部流(おりべりゅう)は、安土桃山時代の武将茶人・古田織部(1544~1615)を祖とする茶道の流派です。千利休の高弟として茶の湯を学んだ織部は、利休の侘びの精神を継承しつつも、独自の美意識を追求しました。とくに豪放かつ斬新な造形を好み、歪みや非対称を積極的に取り入れた器づかいや道具選びが特徴です。

織部の名を冠した「織部焼」には、緑釉や大胆な文様、変形した器形などが多く見られ、従来の静謐な美とは異なる新風を吹き込みました。茶室の設計においても、窓の配置や炉の位置に工夫を凝らすなど、自由な発想が見られます。こうした「意匠の茶」とも呼ばれる独自性は、後の茶道界にも多大な影響を与えました。

一時は織部の切腹により流派としての継続が危ぶまれましたが、弟子や愛好者たちによってその系譜は受け継がれました。現在も織部流を名乗る流派が複数存在し、独創性と自由を重んじる姿勢を大切にしています。格式や型にはまらず、創意を大切にする点において、織部流は現代においても注目される茶風のひとつです。

 

有楽流

有楽流(うらくりゅう)は、織田信長の実弟であり、茶人としても高名な織田有楽斎(おだ うらくさい/長益)を流祖とする茶道の一派です。安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した有楽斎は、千利休の茶を学びつつも、独自の美意識と武家文化に基づいた様式を確立しました。利休が追求した侘びとは異なり、有楽流は格式と雅趣、そして武家の品格を重視した点が特徴とされます。

有楽斎は利休七哲に数えられる一方で、豊臣政権下において利休の切腹事件後も政治的影響力を保ち、徳川家康にも重用されました。彼が創設した有楽流は、その後、尾張徳川家を中心に伝承され、名古屋を拠点に発展していきました。流儀の名称も「有楽流」または「如庵流」と称されますが、これは有楽斎が晩年に建立した茶室「如庵」(じょあん)に由来します。

如庵は、国宝に指定された三名席の一つであり、有楽流の美意識を象徴する建築です。その意匠は簡素ながらも品格があり、有楽流の茶風の基礎となりました。有楽流の点前は、動作においては静謐で、所作はやや大ぶりで堂々としており、武家の所作としての美しさが際立ちます。使用される茶道具にも豪壮なものが好まれ、唐物や金銀装飾のある茶入なども用いられました。

また、有楽流は千家流とは異なり、家元制度による全国的な展開を図ることはせず、限定された家系と地域を中心に継承されてきたため、やや閉鎖的とも言えます。とはいえ、尾張藩をはじめとする有力な武家に支えられたことで、形式美を保ったまま静かに継承されてきた流派でもあります。現在では如庵を保存・維持する活動とともに、有楽斎の精神を受け継ぐ流儀として再評価が進んでいます。

 

上田宗箇流 

上田宗箇流(うえだそうこりゅう)は、戦国武将であり茶人でもあった上田宗箇(1563~1650)を流祖とする武家茶道の一派です。宗箇は、千利休・古田織部に茶を学び、特に織部から大きな影響を受けました。利休の簡素なわび茶に対し、宗箇流の茶は武家らしい威厳と華やかさを兼ね備えています。宗箇は加藤清正の家臣として文禄・慶長の役にも従軍し、のちに広島藩主福島正則の重臣となりましたが、改易後は安芸広島に入封した浅野家に仕え、広島城下に屋敷を構えました。

屋敷内に設けた庭園「縮景園(しゅっけいえん)」は、宗箇の美意識と茶の湯観を体現する名勝で、現在も上田家の茶の文化を今に伝えています。上田宗箇流の茶道は、点前においても独自性が高く、道具の扱いや所作、懐石の進行などに武家ならではの緊張感と格式が宿ります。茶室の設えも質実剛健ながら洗練されており、古田織部の意匠を継ぐ意匠が色濃く残っています。

また、宗箇流は「和敬静寂」に加えて「不易流行」の精神を重んじ、伝統を守りつつ時代に応じた創意工夫も許容する姿勢を持ちます。上田家は代々広島に居を構え、当主が家元を継承する家元制度を守っており、現在も広島を拠点に活動が続けられています。京都や東京にも支部があり、国内外に門弟を抱えています。武家茶道の凛とした空気と、芸術的な美しさが融合した流派として、現代においても根強い支持を集めています。

 

庸軒流

庸軒流(ようけんりゅう)は、江戸時代前期の茶人・久田宗榮(ひさだ そうえい)によって創始された茶道の一派で、宗榮の号「庸軒」に由来します。久田家は、千利休の孫である千宗旦の長女が嫁いだ家系であり、千家との深いつながりを持ちながら独自の茶風を築いていきました。とりわけ、千宗旦から直接茶を学んだ宗榮は、千家の精神を忠実に受け継ぎつつ、より武家風で質実な作法を重視する流儀を形づくりました。庸軒流の茶風は、簡素でありながら格調が高く、過度な装飾を避けた道具組が特徴です。

また、久田家は代々「表千家の家元代行」的な役割を担うこともあり、格式と実用の調和を重んじる姿勢が受け継がれました。茶室の構成や点前も千家と共通点を多く持ちつつ、より端正で練達な印象を与えるのが庸軒流の持ち味です。江戸時代には武家を中心に支持され、近代以降も数寄者の間で根強い人気を保っています。流派の教えには、日常の中にある礼節や静謐な心持ちを重んじる精神があり、現代においても茶道の本質を伝える存在となっています。

 

 

おわりに

 

このように、茶道は一つの形式ではなく、多様な流派によって育まれてきた総合芸術です。それぞれが独自の哲学や作法を持ち、学ぶ人の心に寄り添う奥深い世界を形作っています。自身の志向に合った流派を選ぶことで、茶道の魅力をより深く味わうことができるでしょう。

 

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北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

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2025年5月10日

黄冑(こうちゅう)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の掛軸買取りブログ

御所蔵の中国人作家 黄冑(こうちゅう)の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

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黄冑 こうちゅう/Huang Zhou

黄冑 こうちゅう/Huang Zhou

 

 

1925年3月〜1997年 黄冑(こうちゅう/ホアン・ジョウ、Huang Zhou)

本名は、梁淦堂は、中国現代美術を代表する人物のひとりであり、特に写意人物画の革新者として知られています。黄冑の作品は、豪放でありながら繊細な筆致と、社会への強いまなざしを兼ね備え、20世紀中国の大衆的リアリズム絵画において重要な位置を占めています。

 

作風と特色は、人物画の巨匠で特に農民、放牧民、革命兵士など、庶民のたくましい姿を題材とした作品で高く評価されました。 筆墨の奔放さと緻密さを融合し、力強く自由な筆致でありながら、対象の生命力をしっかりと捉えた画風で、新疆シリーズ、ヤクを引く牧童や、踊る女性など、民族色豊かな題材は黄冑の代表的モチーフです。 教育者としては、政策立案者としての貢献と後進の育成や美術教育にも積極的に関与しました。

 

黄冑は、現代中国における水墨画の巨匠といわれている画家です。黄冑の「掛け軸」は高価買取対象で有名になっています。中でも、「群驢」や「飛雪迎春」は本人の作品と確認できた場合には、150万円以上の値がつきます。

 

 

黄胄 飞雪迎春

黄胄 飞雪迎春

 

近代中国の画家ひとりで、河北省蠡県の人です。小さいころから画に親しんでいて、12歳より独学で画家を学び、14歳で師と出会い本格的に学び始めます。

 

日中戦争後は疎開先の陝西省から家族と共に西安に移り、呉昌碩の門人趙雲壑に認められ入門することになります。その後、人民解放軍として、蘭州や新疆の軍区で少数民族の写生に取り組みます。

 

新中国建設後には、様々な展覧会に作品を出品し多くの賞を獲得していきます。辺境の地域を舞台にした豪放な画は有名な作品のひとつで、驢馬や駱駝などのモチーフにしたものを得意としています。

 

その他の作品では、人物画や動物や風俗画などを絵筆で表しています。独特な筆使いはひと筆書きかのような手法で、動物の息吹などを表現し生きているかのように描いています。天才的な写生力として国内外で高い評価を得ている画家です。

 

 

 

 

黃冑 送糧圖

黃冑 送糧圖

 

 

黄冑の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.黄冑の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.黄冑の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.黄冑の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.王黄の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.書や絵画の作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

黄冑の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.黄冑の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

黄冑 査定価格におけるポイント

 

黄冑の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

黄冑先生の作品は、人物画や動物や風俗画の作品に高値の査定価格がつきます。

50万円から100万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

黄冑の作品は、農民、放牧民、革命兵士などの作品が評価されます。

 

額装や軸装の仕立てが良いと評価されます。共箱や箱書きにより値段が変わります。

 

黄冑展などの展示会での画集掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

黄冑の作品は、蘭州や新疆の軍区で少数民族の写生に定評があります。

 

※このように同じ黄冑の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

 

 

黃冑 鶏圖

黃冑 鶏圖

 

 

黄冑 こうちゅう/ホアン・ジョウ Huang Zhou 略歴

 

1925年
河北省徐水県に生まれる。幼いころから絵を好む。

 

1940年代
抗日戦争の時期に、革命芸術の影響を受ける。軍や人民生活を描く写実的な絵画に取り組む。

 

1950年代
北京中央美術学院で学び、呉作人や徐悲鴻らの影響を受ける。特に徐悲鴻のリアリズムと民族的要素を融合する姿勢に感化される。

 

1960年代
新疆(ウイグル)地方をたびたび訪れ、少数民族や放牧民の姿を生き生きと描いた作品群を制作。これにより名声を高める。

 

1970年代
文革期にも比較的活動を継続し、後に文化政策にも関与する。

 

1980年代以降
中国美術家協会副主席、中国画研究院副院長などを歴任。教育や文化行政にも力を入れた。

 

1997年
北京にて逝去。

 

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どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

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2025年5月9日

向付は、懐石料理(茶懐石)において用いられる器の一つ 茶道具買取ブログ

「向付(むこうづけ)」は、懐石料理(茶懐石)において用いられる器の一つであり、茶道具の中でも料理に供される食器として重要な役割を担います。

以下では、「向付」の基本的な意味、形状や種類、茶道での位置づけについて詳しく解説します。

 

 

織部切落向付

織部切落向付

 

 

【1】向付とは何か?

 

「向付」は、茶懐石で最初に出される料理(多くは刺身や酢の物、またはそれに準ずるもの)を盛るための器です。元々は客の「向かい側に置く器」という意味で「向付」と呼ばれます。

茶席では、正式な膳組み(膳+汁+飯)に続いて出される最初の副菜として供されるため、料理内容だけでなく器そのものも重要な演出要素となります。

 

 

 

 

【2】向付の形状と素材

 

向付にはさまざまな形や材質があり、季節感茶会の趣旨に応じて選ばれます。以下は代表的な種類です。

 

● 形状

  • 平鉢型:刺身などを平たく美しく盛るための典型的な形。

  • 小皿型・角皿型:織部焼などに多く、斬新なデザインが多い。

  • 高台付(こうだいつき)型:高足のようになっており、格調高い印象を与える。

  • 変形型:扇形、葉形、魚形など趣向を凝らしたものも多く見られる。

 

● 素材

  • 陶器・磁器:織部焼、志野焼、古伊万里、九谷など。

  • 漆器:格の高い茶事や冬季の茶会などで用いられる。

  • 木製や竹製:素朴さを演出したいときに選ばれる。

 

 

 

志野向付 桃山時代 17世紀 元屋敷東窯出土

本作は、ロクロで成形した素地を四方形に整えた平向付である。底部には三箇所に半環状の足を貼り付け、安定感のある造形を見せている。内面の見込みには、鉄絵で大きく樹木が描かれ、外面には文様を帯状に配置。対向する二面には間道文(縦縞文)、もう二面には上部に斜綿、下部に列点を配した構成となっており、外周に巡らされたこの幾何学的な意匠が本作の大きな特徴となっている。

全面に施された長石釉が柔らかな景色をつくり、焼成も良好で、鉄絵の発色は深みをもって際立っている。内面には円錐状のピン跡が四箇所、外底には大豆ほどのトチ跡が五箇所確認でき、当時の焼成技法を物語る重要な痕跡である。

同様の文様構成は、元屋敷束1号窯の最も新しい製品群にも見られることから、本作もその終末期に位置づけられる優品と考えられる。

 

 

 

【3】向付の茶道具としての位置づけ

 

向付は、茶事における料理のもてなしの心を表す重要な道具です。特に以下のような点で茶道具の一部とみなされます。

  • 料理を盛るだけでなく、季節や趣向を伝える演出効果がある

  • 名品の古向付(古伊万里、古九谷など)は茶人によって道具扱いされ、床の間に飾られることもある

  • 茶碗や棗と同じように、銘が与えられることもある

 

 

御深井釉向付 江戸時代 17世紀 5客

御深井釉向付 江戸時代 17世紀 5客

本作は、羽状複葉の葉を模した繊細な意匠をもつ向付で、型打ちによる成形によって薄手に仕上げられている。葉の中心には粘土紐を用いて葉柄をあしらい、底部には円錐状の三足を配して安定性と立体感を持たせている。

器面全体には、淡く柔らかな黄緑色を呈する御深井釉が施され、焼成も極めて良好。釉は見込みや外面底部に自然にたまり、美しい釉溜まりを生み出している。三足の周辺には焼成用ピンによる円錐状の痕跡が残るが、見込みには重ね焼きの跡が見られず、丁寧な焼成工程がうかがえる。

このような洗練された形状と柔和な発色を併せ持つ御深井釉作品は、織部様式が衰退し、器形に新たな変化が見られはじめた寛永年間(1624〜1644年)頃の窯業を象徴する優品である。

 

 

 

【4】代表的な向付の名品と流派による扱い

 

  • 表千家・裏千家など千家流派では、懐石の演出として向付の器にこだわりを見せる傾向があり、歴代家元が好んだ器が伝来品として残されています。

  • 金森宗和流(宗和好み)**の中には、絵付の美しい向付や色絵陶器を用いた例が多く、茶事の華やかさを表現します。

  • 大名茶人(細川三斎や小堀遠州)**は、中国陶磁や古伊万里の逸品を向付として用いた記録も残っています。

 

 

 

【5】向付と懐石の美意識

向付は単なる料理皿ではなく、茶事における「一期一会」の精神を伝える器です。料理を「どのように」「どんな器で」「どんな意図で」出すかによって、亭主の感性が伝わります。向付はその第一歩を担うため、慎重に選ばれるべき茶道具と言えるでしょう。

 

 

 

古染付寄向付 明時代・17世紀 中国・景徳鎮窯

古染付寄向付 明時代・17世紀 中国・景徳鎮窯

本作は、明末期に景徳鎮の民窯で焼成された古染付の向付で、いずれも日本の懐石文化に応えるべく制作されたと見られる。兎、魚、琵琶、貝、筍といった吉祥や風雅を感じさせる題材がそれぞれの皿の形としてあらわされ、いずれも型成形による精緻な作りとなっている。

底面にはしっかりとした足が設けられており、器高を持たせることで卓上に立体感を生み出している点も、日本的な配膳美に配慮した設計といえる。呉須による文様は素朴でありながら洒脱な筆致を見せ、器形と一体となって遊び心と上品さを同時に漂わせる。

寄せ向付として十種十様の意匠が揃う本組は、明末民窯の自由な気風と、日本の茶懐石が求めた趣向性とが見事に結実した佳品である。

 

 

向付の種類

 

 

【1】形状による分類

 

平向付(ひらむこうづけ)

 

口が広く浅い形。刺身や酢の物に多用される。

 

深向付(ふかむこうづけ)

 

鉢状でやや深さがある。汁気のある料理や季節の煮物に。

 

高台向付(こうだいむこうづけ)

 

高台のある、卓上で目を引く形。格調高い茶事に好まれる。

 

変形向付(へんけいむこうずけ)

 

葉形・貝形・舟形・六角形など。意匠を凝らした季節感の演出に。

 

蓋付向付(ふたつき)

 

蓋が付いた器で、温度の保持や香りの演出に。冬の茶事などに多い。

 

 

乾山色絵竜田川図向付 江戸時代 18世紀|尾形乾山作

本作は、風雅な和歌の世界を陶に写したかのような、乾山様式の向付である。器形は型打ちによって成形され、高台は別作りの貼り付け式。素地には白泥を刷毛で塗り、その上から銹絵で流麗な流水文を描出。さらに半透明の釉を掛けて本焼きし、焼成後に上絵で色彩を加えるという、乾山独特の多工程を経て仕上げられている。

上絵では、流れる川面に舞い落ちる紅葉が赤・黄・緑の三色で描かれ、その縁には金彩が施されており、竜田川の秋景を詩情豊かに表現している。十客すべての高台内には、角枠に囲まれた「乾山」銘が銹絵で記されているが、筆跡には差異があり、絵具の発色や白泥の塗布範囲にも個体差が見られることから、複数の工人による乾山工房の制作と考えられている。

この手の向付は、一般に乾山が京に移り住んだ二条丁子屋町時代(1712年以降)の作とされるが、鳴滝窯跡から同様の型物が出土しているとの指摘もあり、制作時期の確定はなお議論の余地がある。十客のうち二客には、高台畳付に窯道具が付着したまま残っており、当時の焼成の様相を今に伝える貴重な資料でもある。

 

 

 

【2】素材・技法による分類

 

陶器製向付 

備前、志野、織部、美濃など。 温かみと素朴さを演出する。

 

磁器製向付 

古伊万里、鍋島、九谷など。 華やかで格調高く、正客用などに最適。

 

漆器製向付 

木製に漆を施したもの。冬の茶事に用いられ、格が高い。

 

ガラス製向付

近現代の懐石で夏に多用。 透明感が涼を誘う。

 

竹・木製向付 

 

竹筒や木鉢など。 新春や秋の野趣ある茶事に向く。

 

 

【3】主な焼き物・産地による分類(代表的な茶人好みも含む)

 

 

織部焼

緑釉や幾何学模様。変形皿や角皿が多く、前衛的。古田織部

 

志野焼 

柔らかい白地と鉄絵。あたたかみのある風合い。古田織部、利休以降

 

伊万里焼(古伊万里)

色絵や染付が美麗。磁器として高級感がある。小堀遠州、宗和

 

九谷焼 

鮮やかな色絵。絵画的な表現が豊か。金森宗和

 

備前焼 

無釉の焼締め。土味を生かした野趣に富む。利休、遠州

 

信楽焼 

粗い土と灰釉の素朴さ。秋冬の茶事に好まれる。千宗旦

 

京焼(清水焼)

洗練された意匠。茶人や公家に好まれた。表千家・裏千家系統

 

 

 

【4】向付の選び方の例(季節や趣向に応じて)

 

 

桜型・貝形・桃の形の陶器向付新春の華やぎや芽吹きの季節感を表す

 

 

ガラス・白磁の平向付涼を感じさせ、清潔感を演出

 

 

黄瀬戸や志野の温かみある陶器落ち着いた趣と季節感の演出

 

 

蓋付き漆器・備前の重厚な器保温と格式、暖かみの演出

 

 

まとめ

向付は、単なる器ではなく**「料理の姿」と「亭主の心」を映す鏡**とも言える存在です。形状・材質・産地・意匠に込められた意味を理解することで、茶事全体の趣向や客人への配慮がより深まります。

 

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2025年5月9日

茶道具の価値を見極めるためのポイントとコツ 茶道具買取コラム9

茶道具は状態や由来、作家の名声などがその値打ちに影響を与えます。

それでは、茶道具の状態を確認することが第一です。

傷や汚れが少ないものは高い価値を維持できます

製作された時期作家の由来も確認することが大切です。著名な作家の作品は、特に高額で取引されることが多いです。

さらに、茶道具の背後にある歴史や文化を理解することも重要です。

伝わった伝来を理解することによって、より深い価値評価が可能になると思います。

 

 

盆手前 茶道具

盆点前 茶道具

 

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茶道具とは何か

 

茶道具とは、茶の湯を行う際に欠かせない器具一式を指します。茶を点てる茶碗や、抹茶を保存するための茶入れ、茶をかき混ぜるための茶筅などが代表的な例です。

これらの道具は単なる実用品ではなく、茶道においては美意識を表現する手段でもあります。道具選びや使い方は、茶席における礼儀や心遣いを体現する大切な要素となるのです。

また、素材や意匠の違いによって評価が分かれるのも茶道具の特徴です。

 

茶道具の歴史的背景

 

茶道具の歴史は、日本文化の発展と密接に関係しています。元は中国の喫茶文化に起源を持ちますが、日本で独自の発展を遂げました。

特に室町時代から安土桃山時代にかけては、道具の様式が大きく変化しました。中国・南宋の陶磁器が流行し、新しい形式の茶碗や茶入が登場します。

また、千利休の提唱した「わび茶」の考え方が広がることで、華美を避けた素朴な道具が重視されるようになりました。時代の思想が道具の形に反映されているのが茶道具の魅力のひとつです。

 

茶道具の種類と役割

 

抹茶を点てるための「茶碗」は形状や釉薬の違いが豊富で、作者の美的感覚が色濃く表れます。

また、茶釜や鉄瓶は湯を沸かすための道具で、材質や重さによって使い心地や評価が異なります。その他にも「懐紙」や「打掛」など、用途ごとに多様な道具が揃っています。

 

茶碗

茶碗は、茶の湯の中心ともいえる重要な道具です。

抹茶を点てる役割を持ち、形や釉薬の表情によって全体の印象が大きく変わります。平茶碗や高台茶碗といった分類があり、季節や場面に応じて選び分ける楽しさもあります。

作家の個性が最も表れやすい道具でもあり、色彩や造形にその特徴がよく現れています。

 

茶杓

茶杓は、抹茶をすくい取って茶碗へ移すための道具で、竹製のものが主流です。

一見単純に見える形ながら、長さや彫りの深さ、曲線の取り方などに作家の感性が宿ります。流派によっても形状に違いがあり、一点一点が工芸品としての価値を持っています。

 

棗は抹茶を入れておく容器で、名前の由来は形がナツメの実に似ていることにあります。

主に木製で、漆塗りや金蒔絵などの装飾が施され、美術的な魅力が高い道具のひとつです。茶席での扱いも丁寧で、蓋の開け閉めにも所作が問われます。

 

柄杓

柄杓は湯や水をすくうための道具で、多くは竹を素材とします。

自然の素材ならではの風合いや節の位置が、一本ごとに個性を生み出します。作法においても使用頻度が高く、見た目と実用性のバランスが求められます。

 

鉄瓶

鉄瓶はお湯を沸かすための実用道具ですが、重量感と造形の美しさを併せ持つ工芸品です。

鋳造技術の高さや、作家の銘があるかどうかで評価が大きく異なります。特に有名な産地のものは、茶会における格式を高める存在として重宝されます。

 

水指

水指は、茶席で水を用意しておくために使われる容器です。陶磁器を中心に、金属やガラス製のものもあります。

フォルムや絵付けの美しさが重視され、茶室の雰囲気に合わせた選び方がされます。

 

茶釜

茶釜は茶道の象徴的な存在であり、湯を沸かすために使われます。

鋳鉄製であることが多く、表面の意匠や細部の仕上がりにまで職人の技が凝縮されています。歴史ある茶釜は美術工芸品としても高く評価される対象です。

 

 

茶道具の評価ポイント

 

価値を判断する際には、保存状態、作家の情報、歴史的背景など、いくつかの観点から総合的に見る必要があります。

とりわけ、状態の良さは非常に重要で、目立つ欠けやヒビがないものは高評価を得やすい傾向があります。

加えて、誰が作ったか、いつ作られたかを把握することも重要です。著名な作家のものであれば、なおさら高額査定が期待されます。

共箱や栞などが揃っていれば、信頼性も上がります。

 

 

有名作家による作品

 

楽家の茶碗や中村宗哲の棗といった、有名作家の作品は特に需要が高く、美術品としての地位も確立しています。

作品には作家の銘が入っていることが多く、真贋の確認がしやすいのも特徴です。流通数が限られているため、希少性が価値を後押しします。

 

 

保存環境の重要性

 

保存状態は、価値を保つための大きな要因です。湿気や直射日光を避けた保管が基本で、特に漆器や陶磁器は慎重に扱う必要があります。

使用頻度が少なく、表面がきれいに保たれている道具は高く評価されやすいです。

 

共箱・付属品の存在

 

共箱や付属品が完備されている場合、査定額が上がるケースが多く見られます。

特に共箱には、作品の詳細や作者の花押などが記されていることがあり、真贋や来歴の証拠となります。信頼性を高める要素として重視される点です。

 

ストーリーと希少価値

 

その道具にまつわるエピソードや由緒があれば、それが大きな付加価値となります。特定の茶会で使用された逸品や、名家に伝来した品などは特に高い評価を受けます。

また、制作数の少ない限定品などもコレクターからの需要が高く、価格にも反映されやすいです。

 

茶道具を高く売るポイント

 

高値で売却を目指すなら、まずは丁寧な手入れが必要です。ほこりを払う程度の簡単な清掃で印象が変わりますが、過度な手入れは逆効果の場合もあります。

また、信頼できる専門店やオークションを通じて販売することで、より高値での取引が期待できます。

 

おわりに

 

茶道具の価値を見極めるには、様々な視点を組み合わせることが重要です。保存状態や作家の評価、背景にある物語が総合的に評価に影響します。

茶道具に込められた美意識と歴史を正しく理解することで、その魅力はより一層深まるはずです。

 

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2025年5月9日

黄公望(こうこうぼう)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の掛軸買取りブログ

御所蔵の中国人作家 黄公望の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

黄公望(こうこうぼう)の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、黄公望の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

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美術品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の黄公望の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

黄公望/Huang Gongwang 富春山居圖之剩山圖

黄公望/Huang Gongwang 富春山居圖之剩山圖 

 

 

黄公望/Huang Gongwangは、咸淳5年8月15日(1269年9月12日)〜至正14年10月25日(1354年11月10日))は、中国・元代の著名な文人画家であり、明代以降の山水画に絶大な影響を与えた人物です。とくに、彼の手によるとされる《富春山居図(ふしゅんさんきょず)》は、中国絵画史上、最も重要な山水画のひとつとされています。

 

元末の水墨画家。倪瓚・呉鎮・王蒙と並び「元末四大家」と賞され、その中でも、もっとも広い画風をもち、後代に与えた影響も一番大きいと言われます。あるいは董其昌・陳継儒・王思任・楊龍友・倪瓚・王時敏・夏雲鼎・孔尚任などとあわせて「金陵九子」とも呼ばれた。

 

黄公望は、北宋の李成(りせい)や范寛(はんかん)などの古典山水を学びつつ、それを再構成して自らの詩情と理想を融合させたスタイルを築きました。彼の山水画は、豪放でありながら静謐、構図は広がりがあり、筆致は自由で軽妙です。

 

特に重視されたのは、「斧劈皴(ふへきしゅん)」と呼ばれる、斧で割ったような岩肌の表現方法。力強い皴法(しゅんぽう)を用いて、岩山の質感や深遠な空間性を表現しました。

 

南宋の咸淳5年(1269年)、蘇州常熟県に生まれる。両親が早世したため、温州永嘉県の黄家に養子に出され、黄家で十分な教育を受け育ちます。

 

黄公望は才能はあったが、元代は士大夫の登竜門であった科挙が不定期にしか実施されず、行われたとしても旧南宋領域の住人(いわゆる「南人」)には著しく不利であったため長らく官に就けず、40歳を過ぎて初めて蘇州の属吏となるも、程なく黄公望自身は無関係の徴税不正事件に連座して失職し、官界での前途を断たれた。

 

その後黄公望は官途に就こうとせず占い師・戯曲家・道士などの遍歴を重ねるが、この間、趙孟頫の知遇を得て絵画を志し、50歳を過ぎて本格的な画家活動に入り「九峰雪霽図」などを世に送り出した。

 

79歳の頃、杭州富陽県に移住、この地で描かれた「富春山居図」は水墨画の代表的な傑作として知られている。

 

 

富春山居図

 

富春山居図は、連なる山並み、川の流れ、村落や舟を点在させた長巻構図を取り、墨の濃淡と筆致の変化で四季の移ろいや大自然の悠然たるリズムを表現しています。

 

遠景・中景・近景をゆるやかに変化させつつ、連続性を持たせる山水構成で、 建物や人物は極めて控えめに描かれ、むしろ自然との調和を重視しています。 「皴法(しゅんぽう)」と呼ばれる筆法を用いて、岩の質感や山の量感を表現し、墨の濃淡だけで色彩を排し、精神性の高い静謐な空気を醸成しました。 これは単なる写生ではなく、黄公望自身の理想的な隠者的生活への思いが投影された心象風景とされています。

 

富春山居図は、断裂と分裂の運命をたどり長らくひとつの巻物でしたが、明代末期に火災で損傷を受け、清代に2つの断片に分けられてしまいました。 分かれた2つの部分は、《無用師巻》(原本の後半)現在は、台北故宮博物院が所蔵の黄公望自身の筆による真筆とされ、完成度が高いです。 《剩山図巻》(原本の前半)現在は、浙江省博物館(杭州)が所蔵火災の焼損痕があり、巻頭の一部が失われている。 このため富春山居図は、離れた名作として有名になり、台湾と中国本土の文化的象徴ともなっています。

 

東洋絵画の最高傑作のひとつとして、宮廷画や文人画の理想的な山水画として高く評価される。 明・清代を通して無数の模写・模倣が生まれ、文人画の「規範」となった。 2011年には、台北と杭州の双方で《富春山居図》の「合体展」が開催され、両巻が360年ぶりに一時再会したことが大きな話題となりました。

 

富春山居図は、ただの風景画ではなく、画家の心と哲学、理想の生活観を投影した精神的風景です。その詩的構成と時間的展開は、絵画を超えた思想的表現として、今も多くの人に感銘を与えています。

 

 

 

 

黄公望 略歴

 

1269年
江蘇省常熟に生まれる(浙江省とも)。 科挙に失敗後、道士となり、「大癡道人(だいちどうじん)」の号を名乗る。生涯を通じて名利を求めず、清貧の文人生活を送る。

 

1320年代
以降 浙江・富春江流域に隠棲し、山水画に打ち込む。

 

1350年頃
晩年に《富春山居図》を描く(約4年かけて制作されたとされる)。

 

1354年
86歳で死去。

 

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