2025年5月11日

鈴木五郎の作品を強化買取中。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

鈴木五郎の陶芸作品をお持ちの方へ──高額査定は北岡技芳堂へ

御所蔵の鈴木五郎作品のご売却をご検討中の方は、ぜひ北岡技芳堂にお任せください。

当店では、鈴木五郎の作品を他社よりも高額で査定し、これまで多くのお客様にご満足いただいております。

買取価格の相場や査定のポイントなど、詳しい情報をご確認いただけます。LINEによる簡単査定も随時受付中です。

 

 

鈴木五郎 本人

鈴木五郎 本人

先代様のコレクションやご自身で蒐集された作品、または譲り受けたお品など、鈴木五郎の陶芸作品を丁寧に鑑定し、誠実に買取させていただきます。

遺品整理、生前整理、コレクション整理、お引越しやリフォームにともなう整理など、どのようなご事情にも真摯に対応し、ご要望に沿った適正評価で買取いたします。

 

鈴木五郎という陶芸家について

 

鈴木五郎は、型にとらわれない独自の作風で現代陶芸に大きな足跡を残した作家です。16歳で作陶を始め、若くして才能を開花。28歳で訪れたアメリカでアートとしての陶芸と出会い、以後、古陶磁の探求と現代的感性を融合させた唯一無二の表現を確立していきました。

 

特に、限界に挑戦するような大壺や土瓶など、大胆なフォルムと確かな轆轤技術を兼ね備えた作品は、土と対話し遊ぶような五郎氏の陶芸哲学を体現しています。

 

陶芸家・西岡悠氏の回想にも、「他人より一つ抜きん出た武器を持て」と指導された逸話や、天然原料の活かし方についての助言など、鈴木五郎の厳しさと懐の深さが滲んでいます。

 

 

鈴木五郎の代表作──ロスオリベと五利部

 

 

ロスオリベ

ロスオリベ

1993年から手がけられた「ロスオリベ」は、鈴木五郎の織部焼の進化形。
「古田織部が飛行機に乗って異国へ行ったら何を作るか?」という自由な発想から生まれた作品で、黒・紫・青・朱・黄・緑・ピンクなど鮮やかな色彩とモダンな意匠が特徴です。窓に描かれた鳥やストライプの線など、遊び心あふれる表現が見られます。

 

 

鈴木五郎 五利部1 黄瀬戸の部分

鈴木五郎 五利部1 黄瀬戸の部分

 

 

鈴木五郎 五利部2 青織部の部分

鈴木五郎 五利部2 青織部の部分

 

 

鈴木五郎 五利部3 黒織部の部分

鈴木五郎 五利部3 黒織部の部分

 

 

鈴木五郎 五利部4 赤織部の部分

鈴木五郎 五利部4 赤織部の部分

 

五利部
「五利部」とは、鈴木五郎の「五」、千利休の「利」、古田織部の「部」を組み合わせた造語です。
黄瀬戸・青織部・黒織部・赤織部など、複数の釉薬や焼成技法を一器の中に融合させた、まさに鈴木五郎独自の創作世界が展開されています。
志野、黄瀬戸、鳴海オリベ、鉄絵オリベ、天然呉須、青瓷など、様々な技法が用いられ、古の美に現代の視点から敬意を込めて応答するシリーズです。

 

 

 

鈴木五郎の略歴

 

1941年:愛知県豊田市に生まれる

 

1957年:愛知県窯業公共職業補導所に入所し作陶を開始

 

1960〜70年代:日展、朝日陶芸展などで多数受賞。アメリカで個展開催

 

1975年:ロードアイランド美術大学に招聘

 

1978年:愛知県豊田市に薪窯を構える

 

1992年以降:東京・大阪・京都など全国で個展多数

 

2001年:日本陶磁協会賞受賞

 

2015年:「鈴木五郎-土に生きる 土に遊ぶ-」(メナード美術館)

 

 

 

よくあるご質問(Q&A)

Q. 1点でも買取可能ですか?
A. もちろん可能です。ただし内容により出張が難しい場合もあります。まずはご相談ください。

 

Q. 真贋が不明ですが、査定してもらえますか?
A. 問題ございません。当店で確認いたします。画像をLINEやメールでお送りいただければ、簡易査定も可能です。

 

Q. 出張査定は可能ですか?
A. はい。陶器以外の骨董品や絵画も含めて出張対応いたします。

 

Q. 共箱がないのですが……
A. 共箱がなくても査定は可能ですが、評価はやや下がる傾向があります。

 

Q. 画像だけで査定できますか?
A. 可能な範囲で対応します。ただし、正確な査定は現物拝見が必要な場合があります。

 

Q. 他の作家作品も買取してもらえますか?
A. はい。陶芸作品以外にも絵画・骨董品など幅広く対応しております。

 

 

当店が選ばれる理由

 

人件費・運営コストを抑え、その分査定額に反映

 

昭和25年創業、秘密厳守にて対応

 

オークション相場をもとに適正な価格提示

 

ご都合が合えば即日出張買取も可能

 

店主自らが誠意を持って鑑定に伺います

 

 

査定額のポイントと買取相場

 

鈴木五郎の作品は同じカテゴリーでも、以下のような要素で大きく評価が異なります。

 

作品の種類:黄瀬戸・志野・ロスオリベ・五利部などが高額査定の対象となります。(5万円〜15万円が目安)

 

保存状態:使用痕や汚れ、箱の状態によって減額の可能性があります。

 

完成度:展示会出品作や技術的に優れたものは評価が上がります。

 

制作時期:初期作品や晩年の円熟した作品は高値で取引される傾向があります。

 

※美術市場や相場の変動により価格は変わるため、最新の情報に基づく査定をおすすめします。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年5月11日

黄賓虹(こうひんこう) の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の掛軸買取りブログ

御所蔵の中国人作家 黄賓虹の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

黄賓虹(こうひんこう) の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、黄賓虹の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

黄賓虹の掛軸をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の黄賓虹のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた王冕の作品を鑑定して買取りいたします。

 

美術品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の黄賓虹の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

黄賓虹 本人

黄賓虹 本人

 

黄賓虹は、1865年1月27日〜1955年3月25日は、中国近代を代表する山水画家・書家・芸術理論家であり、伝統的な文人画の最後の革新者の一人とされています。彼の作品は、伝統と革新を融合させた独自のスタイルで知られています。

 

黄賓虹は浙江省金華で生まれ、祖籍は安徽省歙県潭渡村です。幼少期から書画や篆刻に親しみ、特に新安派(徽派)の影響を受けました。青年期には古典的な山水画の技法を学び、詩文や金石学にも深い関心を持ちました。

 

その後、上海や北京で芸術活動や教育に従事し、晩年は杭州に移り住み、国立芸術専科学校(現在の中国美術学院)で教授を務めました。

 

黄賓虹 四幅対

黄賓虹 四幅対

 

黄賓虹の画風は大きく「白賓虹」と「黒賓虹」の二つの時期に分けられます。初期の「白賓虹」時代(60歳頃まで)は、線描を中心とした明快で清新なスタイルが特徴です。

 

その後、各地を旅して自然の風景を写生する中で、墨の濃淡や重ね塗りを駆使した「黒賓虹」時代へと移行しました。この時期の作品は、濃密な筆致と深い墨色によって、山水の奥深さや霧の中の景色を表現しています。

 

晩年には西洋の印象派の影響も取り入れ、色彩と墨を融合させた豊かな画風を確立しました。生前はその革新的な画風が十分に評価されなかったものの、黄賓虹は自ら「50年後に理解される」と語っていました。

 

実際、彼の没後、その芸術的価値が再評価され、現代中国画壇に多大な影響を与えています。彼の作品は、浙江省博物館や黄賓虹記念館(杭州)などで鑑賞することができます。

 

 

黃賓虹 Huang Binhong 毛姑嶺圖

黃賓虹 Huang Binhong 毛姑嶺圖

 

 

 

黄賓虹の関連施設と資料

黄賓虹記念館(杭州):​彼の晩年の住居を改装した記念館で、作品や遺品が展示されています。

浙江省博物館:​黄賓虹の代表作を多数所蔵し、定期的に特別展も開催されています。

 

 

 

黄賓虹の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.黄賓虹の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.黄賓虹の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.黄賓虹の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.黄賓虹の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.書や絵画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

黄賓虹の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.黄賓虹の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

黄賓虹 査定価格におけるポイント

 

黄賓虹の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

黄賓虹先生の作品は、青緑山水の作品に高値の査定価格がつきます。

100万円から500万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

黄賓虹の作品は、淡彩の作品が評価されます。偽物がたくさんあります。

 

軸装の仕立てが良いと評価されます。共箱や箱書きにより値段が変わります。

 

黄賓虹の展示会での画集掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

黄賓虹の作品は、状態の良い作品が高値で取引されております。

 

※このように同じ黄賓虹の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年5月11日

絵画相続の手続きと相続税のおさえるポイントを解説 絵画買取コラム1

絵画は相続財産として価値があるものもあります。しかし、相続手続きは複雑であるため十分な注意が必要です。

相続税の申告に必要な手続きがスムーズに行えるように、今回のコラムが役に立てば幸いです。

 

 

絵画の遺産相続のことを考えましょう

絵画の遺産相続のことを考えましょう

 

 

絵画相続とは

 

絵画相続とは、故人が遺した絵画や美術品を相続人が受け継ぐ行為を指します。受け継いだ側は、その作品をどのように保存・活用・売却するかといった管理方法を考える必要があります。

絵画は一般的な資産と異なり、美術的・市場的価値を伴うため、正確な査定が欠かせません。適正な評価額に基づき、相続税の負担も変わってくるため、専門家への依頼が望ましいでしょう。

 

 

絵画相続の流れ

 

手続きの第一歩は、対象となる絵画の価値を明確にすることです。作者、保存状態、希少性などが評価の決め手となるため、美術鑑定士に査定を依頼しましょう。

その後、相続人全員で評価結果を共有し、分配方法について協議します。合意形成のためには、事前の話し合いが重要です。

最終的に、相続登記や税務申告を行うことで、法的な所有権が正式に移転されます。円滑な手続きを目指し、計画的に進めましょう。

 

 

必要な書類について

 

相続人を確認するためには、戸籍謄本の用意が必要です。これは手続きを始めるうえでの基本書類となります。

また、遺言書がある場合は、その写しを提出し、記載内容に従った相続を行います。

絵画に関しては、専門家の評価書も提出資料となります。これは相続税評価に必要不可欠な要素です。

 

 

手続きのステップ

 

相続開始後は、まず遺品である絵画の保管状況を確認し、専門鑑定によって評価を受けます。

次に、相続人間での分配について協議し、合意が得られたら必要書類を整えて、相続税の申告や登記を進めます。

これらが完了すれば、絵画の相続は正式に成立します。手続きの全体像をあらかじめ把握しておくと、スムーズに進められます。

 

 

相続税の算出方法

 

絵画の相続税は、まずその作品の評価額を確定することから始まります。この評価は専門鑑定士の協力を仰ぐのが一般的です。

相続財産の総額が算出された後、基礎控除を差し引いたうえで課税対象が決まり、法定相続人の人数に応じて税額が計算されます。

税率は累進方式であり、評価額が高ければ高いほど、税負担も増加する仕組みです。

 

 

評価の基準

 

絵画の価値は市場価格や取引実例に基づいて判断されます。作家の知名度や制作年、保存状態、芸術的意義などが評価の指標となります。

また、オークションやギャラリーでの取引実績も有力な参考材料となり、ジャンルやテーマ性も考慮されます。



専門鑑定士による総合的な評価が重要です。

 

売買価格の実例

 

絵画の市場価格は、作家や作品の特徴によって大きく異なります。有名作家の人気作品であれば高額で取引されますし、状態の悪い作品は評価が下がります。

売買実例を参考にすることで、より現実的な評価が可能となります。適正な評価は、相続税を抑える鍵となるでしょう。

 

 

精通者意見価格とは

 

「精通者意見価格」とは、美術品の評価において専門家が提示する価格のことをいいます。これは税務上の参考価格として用いられることが多く、非常に重要です。

信頼できる鑑定士による判断は、税務調整の場でも有利に働く可能性があります。高価な絵画であるほど、的確な評価が求められます。

 

 

 

絵画相続と節税対策

 

絵画の価値が高い場合は、相続税も高額になりやすいため、早めの節税対策がカギとなります。

 

 

生前贈与の活用

贈与税の基礎控除(年間110万円)を活かして、絵画を生前に少しずつ譲渡する方法があります。これにより、相続財産の総額を抑えることができます。

 

 

生前贈与の利点

定期的な贈与により、財産を計画的に次世代へ移転でき、遺産分割に伴う争いの予防にもなります。

 

 

注意すべき点

贈与後3年以内に贈与者が死亡した場合、当該資産は相続財産に加算されます。また、贈与を受けた側の税務申告も忘れてはなりません。

 

 

特定美術品の納税猶予制度

特定の文化財に該当する絵画については、一定条件下で納税の猶予を受けることが可能です。国や地方自治体に登録された文化財であり、美術館等への寄託・公開を行うことが条件です。

 

 

家族信託による管理

家族信託を利用すれば、特定の信託受託者が絵画を管理でき、相続時の混乱や争いを防止できます。高額美術品の保全と相続対策を両立できる有効な方法です。

 

 

相続時の留意点

絵画は市場価格の変動が激しいため、評価の正確性が極めて重要です。鑑定書の取得により、相続人間の争いを防ぎやすくなります。

また、相続税の申告は10ヶ月以内と定められているため、早期の対応が求められます。

遺言書の有無も重要で、記載内容を忠実に反映した相続を進めましょう。

 

 

鑑定の重要性

適切な評価を得ることは、相続を成功させるための要です。市場に精通した専門鑑定士の判断により、絵画の真の価値を把握することが可能です。

鑑定書があれば、相続税対策にも有効であり、親族間の紛争防止にも役立ちます。

 

 

申告漏れへの警戒

評価が高額になる絵画の場合、申告漏れが大きな問題となるリスクがあります。

正しく申告しなければ、税務調査の対象となる可能性があり、追徴課税や延滞金が課せられることもあります。

 

 

相続税申告の期限と罰則

相続税は、発生から10ヶ月以内に申告を行う必要があります。期限超過は、ペナルティ対象となり、加算税や延滞税が発生します。

意図的な未申告の場合は、重加算税も課されるため、確実な手続きが必要です。

 

 

まとめ

 

絵画の相続においては、価値の見極めと正しい手続きが欠かせません。適正な評価と専門家のサポートにより、円満な相続が実現できます。

必要書類の整備や税務申告も忘れずに行い、リスクを未然に防ぐ姿勢が大切です。

相続対策は早めの準備が成功の鍵を握っています。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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2025年5月10日

茶道の流派 三千家やその他の流派の特徴などについて解説します。 茶道具買取コラム10

茶道は古くから日本の伝統文化の一つとして発展を遂げてきました。

その茶道には、表千家裏千家などの有名な流派以外にも、さまざまな流派が存在し、それぞれに独自の作法や理念を代々受け継いで継承して行っております。

このコラムでは、茶道における流派について、様々な流派や特徴などをご説明いたします。

 

 

京都市上京区・小川通に面する裏千家今日庵の兜門 茶道具を買取ます

京都市上京区・小川通に面する裏千家今日庵の兜門

 

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茶道の流派について

 

茶道における「流派」とは、茶を点てる技法や作法、精神性、そして茶室の様式や茶道具の選び方に至るまで、独自の伝統を受け継ぐ集団を指します。千利休が大成させた茶道は、時を経るごとに多様化し、現在では500を超える流派が存在しているといわれています。

流派ごとに大切にしている価値観や美意識が異なるため、茶の湯を学ぶ際には、各流派の特色を把握し、自分に合ったものを選ぶことが重要です。

 

三千家の概要と特色

 

なかでも知名度が高いのが、千利休の子孫によって受け継がれてきた「表千家」「裏千家」「武者小路千家」の三つの流派で、総称して「三千家」と呼ばれます。それぞれが利休の思想を基盤としながらも、表現や所作に独自の工夫が見られます。

 

表千家

表千家(おもてせんけ)は、千利休を祖とする茶道の家元三千家の一つで、千宗旦の長男・千宗左を初代とする流派です。千宗旦の茶風を最も正統に継承した家系とされ、「不審庵(ふしんあん)」を表千家の家元道場としています。不審庵は京都・小川通寺之内に位置し、現在も茶の湯の修練と伝承の拠点となっています。

表千家の茶風は「質実剛健」と評され、簡素で無駄のない構成を重んじるのが特徴です。利休以来の精神を重視し、道具の扱いや点前作法にも厳格さが保たれています。茶室の設えや道具組みにおいても、飾り気を排した幽玄な美意識が貫かれています。

歴代家元は茶の湯文化の発展に大きく寄与しており、特に七代・如心斎宗左は中興の祖として知られ、濃茶の点前に「相伴(しょうばん)」という形式を導入しました。明治期には十一代・碌々斎が、激動の時代の中でも茶道の伝統を守り抜きました。

現在の家元は十六代・千宗左氏で、国内外に茶道を広める活動にも積極的に取り組んでいます。表千家は伝統を大切にしつつも、現代社会との調和を図りながら、茶の湯の心を今に伝える役割を担い続けています。

 

裏千家

裏千家は、千利休の曾孫・千宗室(せんそうしつ)を初代とする茶道の流派で、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の中で最も多くの門弟を抱える最大流派として知られます。初代・千宗室(元は仙叟宗室)は、千家屋敷の裏手に自らの居所「今日庵(こんにちあん)」を構えたことから「裏千家」と称されるようになりました。

利休の「わび茶」の精神を受け継ぎつつも、裏千家は時代に即した柔軟な茶風を展開し、特に江戸時代以降、武家や町人の文化の中で広く普及しました。歴代家元は、茶の湯の技法だけでなく礼法や作法の体系化にも力を注ぎ、明治以降は近代化と国際化の中で積極的な茶道の普及活動を行います。

15代家元・千宗室(現・玄室)は、第二次世界大戦後に茶道を国際交流の手段として位置づけ、「一盌からピースフルネスを(Peacefulness through a Bowl of Tea)」という理念を掲げ、世界中に茶の湯を紹介しました。現在の16代・坐忘斎宗室もまた現代に即した活動を続け、学校茶道や海外支部の拡充にも尽力しています。

裏千家の特徴は、点前作法に柔軟性があり、台子や長板などの扱いに独自性があること、また客との間合いや所作において和やかさや親しみやすさを大切にする点です。宗教性よりも日常性を重視するその茶風は、多くの人々に受け入れられ、現在も日本全国、そして海外へと広がっています。千宗旦が隠居所を構えた「裏の家」が起源で、現在では最も多くの人々に親しまれている流派です。柔軟かつ開かれた姿勢を持ち、茶筅を細かく振ることで泡をしっかり立てるのが特徴。盆略点前といった簡略化された稽古法など、初心者にも親しみやすい構成が魅力です。

 

武者小路千家

武者小路千家は、茶道三千家のひとつに数えられ、千利休の孫・千宗旦の次男である一翁宗守(いちおうそうしゅ)を家祖とします。宗守は、宗旦の最初の妻との間に生まれた次男で、長男には宗拙(そうせつ)という兄がいました。その後、宗旦が再婚してもうけた子が、表千家の千宗左と裏千家の千宗室です。家督は次妻の長男・宗左が継いだため、宗守は自身の茶風を求めて、京都の武者小路に居を構えました。これが武者小路千家の起源です。

宗守は父・宗旦の教えを受けつつも、自らの思想と美意識を加え、理知的で清廉な茶風を築きました。その精神は「無駄を省き、動きに理を通す」ことに現れ、形式美と実用性の調和を大切にしています。彼が住んだ庵は「官休坊」と呼ばれており、後に官休庵(かんきゅうあん)と名付けられ、今日に至るまで家元の居所となっています。

武者小路千家は、表千家や裏千家に比べて門弟数は少ないながらも、精神性の高さと茶風の緊張感において独自の評価を得てきました。点前や道具組に無理がなく、客をもてなす所作にも洗練された節度があり、静かな美を好む流派とされています。とくに道具の選定や床のしつらえには簡素の中に格調を漂わせる意識が貫かれています。

代々の家元は「宗守」の名を継ぎながら、茶の湯の本質を守り続けてきました。近代以降も、流派としての誇示を避けつつ、文化的活動や教育面での貢献を重ねてきました。現在は十四代・千宗守氏が家元を務め、国内外での茶道振興にも力を注いでいます。武者小路千家は、茶の湯における「理」と「心」の交差点として、現代においても静かな存在感を放ち続けています。

 

 

三千家以外の代表的流派

 

三千家以外にも、独自の美学を持つ流派が各地に存在します。

 

藪内流

藪内流(やぶのうちりゅう)は、戦国時代末期に始まった茶道の流派の一つで、千利休の高弟であった武野紹鴎の弟子・藪内剣仲宗頴(けんちゅうそうえい)によって創始されました。初代宗頴は利休の孫・宗旦と同時代の人物で、侘び茶の精神を引き継ぎつつも、独自の礼法と点前を築きました。京都・上京区の「燕庵(えんなん)」を藪内家の茶室とし、代々の家元がそこを拠点として活動しています。

藪内流の特徴は、武家の礼法に通じた格式ある点前と、緊張感を帯びた凜とした茶風にあります。とくに袱紗の捌きや道具の扱いにおいて、直線的かつ端正な所作が重視され、動きに無駄がありません。また、床の間に飾る掛物や花入にも厳格な約束事が多く、静謐な空間の中に精神性を深く宿すことを重んじます。

表千家・裏千家・武者小路千家の「三千家」に比べると規模は小さいながらも、藪内家は代々京都御所や公家との関係が深く、その品格と格式から「御家流(おいえりゅう)」とも称されてきました。特に茶事の際における所作や道具組みの緻密さ、清楚な美意識は高く評価され、今もなお茶の湯の根源的精神を伝えています。藪内流は現在も伝統を守りながら、国内外に門弟を持つ茶道流派として存在感を保ち続けています。

 

遠州流

遠州流(えんしゅうりゅう)は、江戸時代初期の大名茶人・小堀遠州(こぼりえんしゅう)こと小堀政一(1579–1647)によって創始された茶道の流派である。遠州は近江小室藩主であり、徳川将軍家の茶道指南役も務めたことから、武家風の格式を備えた流儀として知られる。彼は千利休・古田織部の精神を受け継ぎつつ、より洗練された美意識を打ち出した。その理念は「綺麗さび(きれいさび)」に象徴され、簡素さの中に優美さを宿す美の世界を築いた。

遠州は作庭家・建築家としても名高く、茶室や庭園においても彼の美意識が表れている。代表的な遺構としては、京都・南禅寺金地院の茶室「八窓席」などがある。茶器の選定においても、唐物・和物を巧みに取り合わせ、文人趣味や公家文化の影響を受けた雅やかな構成が特徴的である。

遠州流の点前作法は、直線的で端正な所作を重んじ、型の美しさに定評がある。礼法にも通じており、茶の湯を通じて礼節を学ぶ精神が息づいている。現在も東京や関西を中心に多くの門人を抱え、茶会や講習会を通じてその伝統が受け継がれている。遠州流は、武家茶道と公家文化、文人趣味の融合という独自の美意識を持ち、茶の湯の多様性を今に伝えている。

 

江戸千家

江戸千家(えどせんけ)は、江戸時代中期に千宗旦の三男・江岑宗左の庶子である川上不白(かわかみふはく)によって創設された茶道の一派である。江戸において茶の湯を普及させた中心的存在であり、「江戸三千家」の一つとして知られる。不白は元来、表千家の出身でありながら、将軍徳川吉宗の命を受けて江戸に下り、武家社会を中心に茶の湯の布教に尽力した。彼の教えは質素で実践的、精神性を重んじるものであり、「不白流」とも称された。

江戸千家の茶風は、利休のわび茶の精神を根本としつつも、武家や町人に寄り添った柔軟な様式が特徴である。不白自身が書いた『茶道筌蹄(さどうせんてい)』や『不白筆記』などに、その教えの詳細が記されており、技術よりも心得や心の持ちようが重視された。不白は、宗旦の茶を「道の用」として体現することに尽力し、江戸という大都市での日常生活に即した茶の湯を追求した。

江戸千家は、表千家・裏千家に比べて知名度こそ劣るが、精神性の高さと簡素さに美を見出す姿勢に定評がある。茶室や道具も過度な装飾を避け、品位と静寂を尊ぶ設えが多く見られる。現在も宗家は東京・新宿区にあり、川上家によって茶道の伝統が守られている。不白の「稽古とは一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一」の言葉は、江戸千家の稽古理念を象徴している。

茶道の精神を都市生活に融合させた江戸千家は、現代においても静かに支持を集めており、質実な茶の湯を志す者にとって学ぶべき多くの教訓を残している。

 

松尾流

松尾流は、江戸時代中期に京都で成立した茶道の流派で、その創始者は松尾宗二とされています。宗二は表千家や裏千家の茶を学びつつも、自らの美意識と理念に基づき独自の茶風を築き上げました。流派の成立は18世紀前半とされ、京都の町人文化と深く結びつきながら発展していきます。

松尾流の茶風は、格式を重んじつつも、柔軟な姿勢を併せ持つ点に特徴があります。表千家の端正さと裏千家の温雅さの中間に位置づけられ、礼法と実用性を調和させた点が流儀の美徳とされてきました。亭主と客との間に生まれる静かな対話を重視し、道具の取り合わせには繊細な配慮が見られます。

また、松尾流は茶道の精神性に重きを置いており、「和敬清寂」の理念を日常の中で実践することを説きます。稽古では基本点前を丁寧に学ぶことを重視し、流派独自の点前や作法も伝承されています。近年では女性の家元が代々継承していることも特徴で、女性ならではの柔和な感性が流儀の中に表現されています。

関西圏を中心に活動しており、学校教育や地域文化活動との連携も進んでいます。茶道を通じた人間教育に注力し、現代社会においても心の育成や礼儀作法の指導として注目されています。伝統を大切にしつつも、現代に即した茶の在り方を模索している点で、松尾流は今日も静かに茶の道を歩み続けています。

 

石州流

石州流(せきしゅうりゅう)は、江戸時代初期の大名茶人・片桐石州(1605–1673)を流祖とする茶道の一派です。石州は大和国郡山藩の藩主でありながら、茶の湯に深く傾倒し、武家にふさわしい礼法と実用性を兼ね備えた茶風を確立しました。彼は千利休の精神を尊重しつつも、織部や遠州の流れを汲み、独自の「石州好み」を形成していきます。

石州流の茶風は、武士らしい簡潔さと格式を重んじる点にあります。茶室や道具には過度な装飾を避け、整然とした佇まいを求めます。また、客に対して丁重な作法を尽くすことを重視し、表千家・裏千家よりも礼法的な要素が強いのが特徴です。表千家の三代・宗左に茶を学んだことからも、千家との関係が深い流派といえます。

石州流では、四畳半の茶室を好み、直線的で明快な動作を大切にします。さらに、掛物や道具の取り合わせにも理が通っており、形式美と機能性が融合しています。江戸時代には武家社会に広まり、紀州徳川家などでも重用されました。現在では複数の分派に分かれつつも、「礼と理の茶道」としてその伝統を守り続けています。

 

宗徧流

宗徧流(そうへんりゅう)は、江戸時代前期の茶人・山田宗徧(やまだそうへん)によって創始された茶道の流派です。山田宗徧(1627〜1708)は、千宗旦の高弟として四天王の一人に数えられ、宗旦の侘茶を受け継ぎつつも、武家社会に適した格式ある茶風を確立しました。宗徧はもともと儒学を修めた学者肌の人物で、武士や知識人に向けて理知的で実践的な茶の指導を行ったことで知られます。徳川綱吉の側近・柳沢吉保の庇護を受け、江戸や甲府を拠点に茶道を広めました。

宗徧流の茶風は、簡素でありながらも端正な所作と明快な理論が特徴です。流派の理念としては「質実剛健」や「理と礼の調和」を重視し、道具の取り合わせにも過度な装飾を避け、機能性と精神性の両立を追求しました。また、宗徧自身が残した茶書『茶道四規』などの文献を通じて、合理的な教授体系を築き上げた点も注目されます。宗徧流は、その後甲府・駿河・尾張などの武家社会に浸透し、武士の教養としての茶道の発展に大きく寄与しました。現在でも山田家が家元を継承し、宗徧の精神を現代に伝えています。

 

三斎流

三斎流(さんさいりゅう)は、戦国武将・細川忠興(三斎)を流祖とする茶道の一派であり、千利休の高弟としてその教えを深く受け継ぎつつも、武家風の厳格さと美意識を融合させた独自の茶風を確立しました。忠興は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三代に仕えた有力大名でありながら、茶道への造詣も深く、利休七哲の筆頭とされています。

三斎は利休没後、その教えを基礎にしながらも、より簡素かつ機能的な道具遣い、端正な作法を重視しました。とくに茶室の構成や点前においては、無駄を省きつつも風格を失わないことを追求しており、武家の精神性を体現するものとして高く評価されます。

三斎流では、利休形を踏襲した小間の茶室を基本としながらも、時に書院風の広間も用いる柔軟性が見られ、茶事では実用と格式の両立が図られます。道具に関しても、唐物や名物よりも実直な和物を好み、抑制された美に重きを置きました。

今日では、熊本を中心にその流れが伝えられ、細川家の文化とともに受け継がれています。三斎流は、数ある茶道流派の中でも「武家の茶」の典型として、利休精神を実直に体現する流派の一つと位置付けられています。洗練と質実を兼ね備えたその茶風は、静けさの中に凛とした緊張感を湛えた魅力を持ち続けています。

 

織部流

織部流(おりべりゅう)は、安土桃山時代の武将茶人・古田織部(1544~1615)を祖とする茶道の流派です。千利休の高弟として茶の湯を学んだ織部は、利休の侘びの精神を継承しつつも、独自の美意識を追求しました。とくに豪放かつ斬新な造形を好み、歪みや非対称を積極的に取り入れた器づかいや道具選びが特徴です。

織部の名を冠した「織部焼」には、緑釉や大胆な文様、変形した器形などが多く見られ、従来の静謐な美とは異なる新風を吹き込みました。茶室の設計においても、窓の配置や炉の位置に工夫を凝らすなど、自由な発想が見られます。こうした「意匠の茶」とも呼ばれる独自性は、後の茶道界にも多大な影響を与えました。

一時は織部の切腹により流派としての継続が危ぶまれましたが、弟子や愛好者たちによってその系譜は受け継がれました。現在も織部流を名乗る流派が複数存在し、独創性と自由を重んじる姿勢を大切にしています。格式や型にはまらず、創意を大切にする点において、織部流は現代においても注目される茶風のひとつです。

 

有楽流

有楽流(うらくりゅう)は、織田信長の実弟であり、茶人としても高名な織田有楽斎(おだ うらくさい/長益)を流祖とする茶道の一派です。安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した有楽斎は、千利休の茶を学びつつも、独自の美意識と武家文化に基づいた様式を確立しました。利休が追求した侘びとは異なり、有楽流は格式と雅趣、そして武家の品格を重視した点が特徴とされます。

有楽斎は利休七哲に数えられる一方で、豊臣政権下において利休の切腹事件後も政治的影響力を保ち、徳川家康にも重用されました。彼が創設した有楽流は、その後、尾張徳川家を中心に伝承され、名古屋を拠点に発展していきました。流儀の名称も「有楽流」または「如庵流」と称されますが、これは有楽斎が晩年に建立した茶室「如庵」(じょあん)に由来します。

如庵は、国宝に指定された三名席の一つであり、有楽流の美意識を象徴する建築です。その意匠は簡素ながらも品格があり、有楽流の茶風の基礎となりました。有楽流の点前は、動作においては静謐で、所作はやや大ぶりで堂々としており、武家の所作としての美しさが際立ちます。使用される茶道具にも豪壮なものが好まれ、唐物や金銀装飾のある茶入なども用いられました。

また、有楽流は千家流とは異なり、家元制度による全国的な展開を図ることはせず、限定された家系と地域を中心に継承されてきたため、やや閉鎖的とも言えます。とはいえ、尾張藩をはじめとする有力な武家に支えられたことで、形式美を保ったまま静かに継承されてきた流派でもあります。現在では如庵を保存・維持する活動とともに、有楽斎の精神を受け継ぐ流儀として再評価が進んでいます。

 

上田宗箇流 

上田宗箇流(うえだそうこりゅう)は、戦国武将であり茶人でもあった上田宗箇(1563~1650)を流祖とする武家茶道の一派です。宗箇は、千利休・古田織部に茶を学び、特に織部から大きな影響を受けました。利休の簡素なわび茶に対し、宗箇流の茶は武家らしい威厳と華やかさを兼ね備えています。宗箇は加藤清正の家臣として文禄・慶長の役にも従軍し、のちに広島藩主福島正則の重臣となりましたが、改易後は安芸広島に入封した浅野家に仕え、広島城下に屋敷を構えました。

屋敷内に設けた庭園「縮景園(しゅっけいえん)」は、宗箇の美意識と茶の湯観を体現する名勝で、現在も上田家の茶の文化を今に伝えています。上田宗箇流の茶道は、点前においても独自性が高く、道具の扱いや所作、懐石の進行などに武家ならではの緊張感と格式が宿ります。茶室の設えも質実剛健ながら洗練されており、古田織部の意匠を継ぐ意匠が色濃く残っています。

また、宗箇流は「和敬静寂」に加えて「不易流行」の精神を重んじ、伝統を守りつつ時代に応じた創意工夫も許容する姿勢を持ちます。上田家は代々広島に居を構え、当主が家元を継承する家元制度を守っており、現在も広島を拠点に活動が続けられています。京都や東京にも支部があり、国内外に門弟を抱えています。武家茶道の凛とした空気と、芸術的な美しさが融合した流派として、現代においても根強い支持を集めています。

 

庸軒流

庸軒流(ようけんりゅう)は、江戸時代前期の茶人・久田宗榮(ひさだ そうえい)によって創始された茶道の一派で、宗榮の号「庸軒」に由来します。久田家は、千利休の孫である千宗旦の長女が嫁いだ家系であり、千家との深いつながりを持ちながら独自の茶風を築いていきました。とりわけ、千宗旦から直接茶を学んだ宗榮は、千家の精神を忠実に受け継ぎつつ、より武家風で質実な作法を重視する流儀を形づくりました。庸軒流の茶風は、簡素でありながら格調が高く、過度な装飾を避けた道具組が特徴です。

また、久田家は代々「表千家の家元代行」的な役割を担うこともあり、格式と実用の調和を重んじる姿勢が受け継がれました。茶室の構成や点前も千家と共通点を多く持ちつつ、より端正で練達な印象を与えるのが庸軒流の持ち味です。江戸時代には武家を中心に支持され、近代以降も数寄者の間で根強い人気を保っています。流派の教えには、日常の中にある礼節や静謐な心持ちを重んじる精神があり、現代においても茶道の本質を伝える存在となっています。

 

 

おわりに

 

このように、茶道は一つの形式ではなく、多様な流派によって育まれてきた総合芸術です。それぞれが独自の哲学や作法を持ち、学ぶ人の心に寄り添う奥深い世界を形作っています。自身の志向に合った流派を選ぶことで、茶道の魅力をより深く味わうことができるでしょう。

 

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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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2025年5月10日

黄冑(こうちゅう)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の掛軸買取りブログ

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黄冑 こうちゅう/Huang Zhou

黄冑 こうちゅう/Huang Zhou

 

 

1925年3月〜1997年 黄冑(こうちゅう/ホアン・ジョウ、Huang Zhou)

本名は、梁淦堂は、中国現代美術を代表する人物のひとりであり、特に写意人物画の革新者として知られています。黄冑の作品は、豪放でありながら繊細な筆致と、社会への強いまなざしを兼ね備え、20世紀中国の大衆的リアリズム絵画において重要な位置を占めています。

 

作風と特色は、人物画の巨匠で特に農民、放牧民、革命兵士など、庶民のたくましい姿を題材とした作品で高く評価されました。 筆墨の奔放さと緻密さを融合し、力強く自由な筆致でありながら、対象の生命力をしっかりと捉えた画風で、新疆シリーズ、ヤクを引く牧童や、踊る女性など、民族色豊かな題材は黄冑の代表的モチーフです。 教育者としては、政策立案者としての貢献と後進の育成や美術教育にも積極的に関与しました。

 

黄冑は、現代中国における水墨画の巨匠といわれている画家です。黄冑の「掛け軸」は高価買取対象で有名になっています。中でも、「群驢」や「飛雪迎春」は本人の作品と確認できた場合には、150万円以上の値がつきます。

 

 

黄胄 飞雪迎春

黄胄 飞雪迎春

 

近代中国の画家ひとりで、河北省蠡県の人です。小さいころから画に親しんでいて、12歳より独学で画家を学び、14歳で師と出会い本格的に学び始めます。

 

日中戦争後は疎開先の陝西省から家族と共に西安に移り、呉昌碩の門人趙雲壑に認められ入門することになります。その後、人民解放軍として、蘭州や新疆の軍区で少数民族の写生に取り組みます。

 

新中国建設後には、様々な展覧会に作品を出品し多くの賞を獲得していきます。辺境の地域を舞台にした豪放な画は有名な作品のひとつで、驢馬や駱駝などのモチーフにしたものを得意としています。

 

その他の作品では、人物画や動物や風俗画などを絵筆で表しています。独特な筆使いはひと筆書きかのような手法で、動物の息吹などを表現し生きているかのように描いています。天才的な写生力として国内外で高い評価を得ている画家です。

 

 

 

 

黃冑 送糧圖

黃冑 送糧圖

 

 

黄冑の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.黄冑の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.黄冑の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.黄冑の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.王黄の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.書や絵画の作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

黄冑の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.黄冑の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

黄冑 査定価格におけるポイント

 

黄冑の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

黄冑先生の作品は、人物画や動物や風俗画の作品に高値の査定価格がつきます。

50万円から100万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

黄冑の作品は、農民、放牧民、革命兵士などの作品が評価されます。

 

額装や軸装の仕立てが良いと評価されます。共箱や箱書きにより値段が変わります。

 

黄冑展などの展示会での画集掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

黄冑の作品は、蘭州や新疆の軍区で少数民族の写生に定評があります。

 

※このように同じ黄冑の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

 

 

黃冑 鶏圖

黃冑 鶏圖

 

 

黄冑 こうちゅう/ホアン・ジョウ Huang Zhou 略歴

 

1925年
河北省徐水県に生まれる。幼いころから絵を好む。

 

1940年代
抗日戦争の時期に、革命芸術の影響を受ける。軍や人民生活を描く写実的な絵画に取り組む。

 

1950年代
北京中央美術学院で学び、呉作人や徐悲鴻らの影響を受ける。特に徐悲鴻のリアリズムと民族的要素を融合する姿勢に感化される。

 

1960年代
新疆(ウイグル)地方をたびたび訪れ、少数民族や放牧民の姿を生き生きと描いた作品群を制作。これにより名声を高める。

 

1970年代
文革期にも比較的活動を継続し、後に文化政策にも関与する。

 

1980年代以降
中国美術家協会副主席、中国画研究院副院長などを歴任。教育や文化行政にも力を入れた。

 

1997年
北京にて逝去。

 

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どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

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