2024年10月31日

十四代酒井田柿右衛門の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

御所蔵の十四代酒井田柿右衛門の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

十四代酒井田柿右衛門の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、十四代酒井田柿右衛門の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

十四代酒井田柿右衛門の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の十四代酒井田柿右衛門のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた十四代酒井田柿右衛門の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の十四代酒井田柿右衛門の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

十四代酒井田柿右衛門は、有田焼の「柿右衛門様式」を継承する陶芸家です。このスタイルは、白い磁器の背景に明るい赤を基調とした色彩で、野生の草花を細密にスケッチしてから様式化して描くという特徴があります。 この独特な作風により、平成13年には色絵磁器の分野で国の重要無形文化財、つまり人間国宝に認定されました。

 

 

十四代酒井田柿右衛門 本人

十四代酒井田柿右衛門 本人

 

十四代酒井田柿右衛門は、日本の色絵磁器発祥の地である佐賀県有田町に昭和9年に生まれました。 13代柿右衛門の長男として、350年以上続く柿右衛門窯の当主を受け継ぐことは、彼の生まれながらの宿命でした。 高校では祖父である12代柿右衛門の勧めで美術部に所属し、その後、東京の多摩美術大学日本画科へ進んで日本画を学びます。

 

卒業後、父からはロクロの技術を、祖父からは絵付けや絵具の調合を学びますが、伝統に縛られて窮屈さを感じ、何度も家出をしたこともありましたが祖父が迎えにきたそうです。

 

父や祖父との親子の関係からやがて、「余白の美」を大切にする柿右衛門様式の奥深さに少しずつ心が惹かれていきます。昭和57年に14代柿右衛門を襲名し、器の形や絵柄を決めるだけでなく、40人以上の職人たちを見守り育てる指導的立場になりました。

 

いかに自分の個性を表現するかを追求して、伝統と創造のはざまで格闘するのが、14代酒井田柿右衛門の人生でした。

 

 

 

十四代酒井田柿右衛門 濁手桜紋壺

十四代酒井田柿右衛門 濁手桜紋壺

 

初代酒井田柿右衛門は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立しました。

 

柿右衛門様式の作品はヨーロッパなどにも輸出されマイセン窯などでは模倣品も作られました。

 

主に大和絵的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴です。

 

上絵の色には赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられます。

 

また、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉が施されている例も多いです。同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせます。

 

 

 

十四代酒井田柿右衛門の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.十四代酒井田柿右衛門の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.十四代酒井田柿右衛門の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.十四代酒井田柿右衛門の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.十四代酒井田柿右衛門の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

14代酒井田柿右衛門 略歴

 

1934(昭和9)年8月26日、佐賀県西松浦郡有田町に、酒井田渋雄(のちの十三代酒井田柿右衛門)とツネの長男として生まれます。襲名までの本名は正(まさし)。

 

多摩美術大学日本画科に進み、絵画的な構想力や描画技術の基礎を習得します。

 

1958年に卒業すると帰郷し、祖父の十二代柿右衛門と父が復興させた「濁手(にごしで)」の製陶技術とともに、とくに祖父からは絵具の調合と絵付け技術を、父からは素地の成形と焼成技術を受け継ぎました。

 

作品としての発表は66年からで、一水会と西部工芸展に入選し、陶芸家としてデビューした。翌年には一水会で一水会会長賞を受賞。68年からは日本伝統工芸展にも入選を果たし、その後も日本伝統工芸展をはじめ、一水会や西部工芸展、さらには佐賀県展や九州山口陶磁展等で実績を積みます。

 

1970年にはヨーロッパに旅行して各国の美術館や窯業地を視察。また、柿右衛門初期におけるオランダ貿易と東西交通や、在欧作品と仿製品についても見聞を重ねた。71年日本工芸会正会員。この年、柿右衛門製陶技術保存会の「柿右衛門(濁手)」技法が重要無形文化財の総合指定を受けました。

 

1976年には技術保持団体として認定。同年、東京で初の個展を開催します。

 

1982年7月、父・十三代柿右衛門の死去にともない柿右衛門製陶技術保存会の会長に就任、同年10月には十四代柿右衛門を襲名しました。

 

1984年日本陶磁協会賞受賞

 

1986年には第33回日本伝統工芸展で「濁手山つつじ文鉢」が日本工芸会奨励賞を受賞した。この頃より海外において十四代柿右衛門展の開催機会が増え、「濁手」と呼ばれる独特の白素地に、赤絵を基調として草花を描いた作品の評価が高まりをみせます。

 

1992(平成4)年の第39回日本伝統工芸展では「濁手蓼文鉢」が二度目となる日本工芸会奨励賞受賞し、色絵磁器の陶芸家としての地位を確固たるものとする。翌年には国際陶芸アカデミー(IAC)名誉会員となります。

 

1960年を歳を過ぎたころより、地元陶芸団体等において要職に就き、後進の指導とともに、地域の陶磁文化発展のために力を注きます。

 

1998年、長年にわたる国際文化交流の功績により外務大臣表彰されます。

 

1999年には濁手の伝統的技法の伝承に努め、地域の文化発展と向上に貢献したことにより文部大臣賞表彰を受けます。その後も、作家として濁手を中心とした創作活動と、技術保存会会長として様式美の継承の両立をはかります。

 

2001年には父も受けることがなかった重要無形文化財「色絵磁器」(人間国宝)の保持者に認定された。

 

2005年、旭日中授章受章。2006年には有田町名誉町民の称号を受けます。十四代柿右衛門は、柿右衛門家の当主として、祖父と父が再興を成し遂げた「濁手」の技術を継承する。と同時に、独特の白地と柿右衛門伝統の赤絵を効果的に用いた優美な絵付と模様構成により独自の作風を築き上げ、濁手の新たな境地を切り拓いた陶芸家でした。

 

2008年前後に癌が見つかってからは治療しながら制作活動を続けていました。

 

2013年5月、急に体調が悪くなり佐賀大学医学部附属病院に入院します。それから約1か月後の6月15日、直腸がんと転移性肝腫瘍のため、死去しました。78歳没。死没日付をもって従五位に叙されました。JR九州のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」の洗面所に使用されている洗面鉢が遺作となりました。

 

 

14代酒井田柿右衛門  濁手紅葉文額皿

14代酒井田柿右衛門  濁手紅葉文額皿

 

濁手は従来の青味がかった磁器の色に対し、米の研ぎ汁のようなミルキーホワイトに仕上げるのには大変な手間と労力を要します。

 

濁手の制作に使われる土は、有田町内にある泉山、白川、岩谷川内の三種類の陶石を6:3:1の割合で調合しています。しかし、この土は粘着力が低く、轆轤での成形が難しいうえ、成形後に天日干しすると割れやすいため、時間をかけて陰干しする必要があります。

 

さらに、焼成も非常に難しく、温度調整が繊細に求められるだけでなく、陶石ごとの収縮率の違いから破損が多発する問題があります。

 

素焼き段階で10個中3~4個、本焼きで1~2個残れば成功とされるほど、歩留まりが低いのです。このように、濁手の技法は全工程で高い技術を必要とし、かつ非効率的であるため、江戸中期には一度途絶えてしまいました。

 

 

 

十四代酒井田柿右衛門 査定価格におけるポイント

 

十四代酒井田柿右衛門の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

十四代酒井田柿右衛門先生の作品は、華やかな草花模様の作品が高値の傾向にあります。

細かい絵付けの作品に高値の査定価格がつきます。

15万円から200万円ぐらいの買取相場です。

作品は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります。300万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

色彩が鮮やかな作品が高値で売れる傾向にあります濁手の作品が高値で取引されています。

十四代酒井田柿右衛門展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

十四代酒井田柿右衛門先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ十四代酒井田柿右衛門の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

 

 

 

 

 

2024年10月30日

十三代酒井田柿右衛門の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

御所蔵の十三代酒井田柿右衛門の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

十三代酒井田柿右衛門の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、十三代酒井田柿右衛門の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

十三代酒井田柿右衛門の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の富本憲吉のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた十三代酒井田柿右衛門の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の十三代酒井田柿右衛門の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

酒井田柿右衛門作品の大きな特徴のひとつに、「濁手素地」と呼ばれる柔らかで温かみを感じさせる乳白色の素地が挙げられます。

 

 

 

十三代酒井田柿右衛門 濁手雪持椿紋花瓶

十三代酒井田柿右衛門 濁手雪持椿紋花瓶

 

この素地は、美しい赤絵が特徴の柿右衛門様式に最も調和するものであり、製法が完成したのは1670年代とされています。しかし、江戸中期(1700年代)に入ると、「柿右衛門様式」に代わって金と赤を多用した「金襴手様式」が色絵の主流となり、さらに中国・景徳鎮の磁器輸出が内乱を経て再び盛んになったことで、オランダ東インド会社による肥前磁器の輸出が減少しました。

 

また、江戸幕府の貿易制限など国内情勢の変化も重なり、濁手の製作は一時中断を余儀なくされました。その後、時代が明治・大正・昭和へと移る中で、濁手復興への期待が高まりました。十二代柿右衛門(1878年生~1963年没)は、十三代柿右衛門(1906年生~1982年没)と共に、柿右衛門家に伝わる古文書である「土合帳」などを基に試行錯誤を重ね、長い間失われていた濁手素地の復元に尽力しました。

 

 

十三代酒井田柿右衛門 本人

十三代酒井田柿右衛門 本人

 

十三代酒井田柿右衛門は、「赤絵の家門に生きることの厳しさと楽しみをかみしめながら筆をとっている」との言葉を残しています。

 

彼は有田の酒井田柿右衛門窯の伝統を受け継ぎつつも、新たな表現の境地を開拓し、18世紀末に途絶えていた「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色の地色の技法を見事に復活させました。

 

その功績が評価され、1971年には重要無形文化財保持者(人間国宝)として認定されています。

 

 

十三代酒井田柿右衛門の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.十三代酒井田柿右衛門の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.十三代酒井田柿右衛門の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.十三代酒井田柿右衛門の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.十三代酒井田柿右衛門の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

十三代酒井田柿右衛門の略歴

 

 1906年(明治39年)9月20日、佐賀県に生まれる。本名は渋雄(しぶお)で、12代酒井田柿右衛門の長男です。

 

1924年に有田工業学校製陶科を卒業します。

 

1953年に父とともに濁手(にごしで)素地の技法を再現することに成功します。

 

1964年に日本工芸会正会員に認定されます。

 

1970年に佐賀県陶芸協会会長に就任します。

 

1971年に「濁手」が国重要無形文化財総合指定を受け、十三代柿右衛門は重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。

 

1972年に紫綬褒章を受章します。

 

1982年(昭和57年)7月3日に死去し、75歳でした。正五位に叙せられ、有田名誉町民の称号を受章しています。

 

柿右衛門様式は、花鳥図などの題材を暖色系の色彩で描き、乳白色の余白と豊かな構図が特徴です。

 

 

十三代酒井田柿右衛門 査定価格におけるポイント

 

十三代酒井田柿右衛門の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

十三代酒井田柿右衛門先生の作品は、華やかな草花模様の作品が高値の傾向にあります。

細かい絵付けの作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から150万円ぐらいの買取相場です。

作品は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります。200万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

色彩が鮮やかな作品が高値で売れる傾向にあります濁手の作品が高値で取引されています。

十三代酒井田柿右衛門展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

十三代酒井田柿右衛門先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ十三代酒井田柿右衛門の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年10月29日

三代山田常山の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の三代山田常山の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

三代山田常山の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、三代山田常山の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

三代山田常山の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の三代山田常山のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた山田常山の作品を鑑定して買取りいたします。

 

三代山田常山の陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の三代山田常山の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

三代山田常山(1924~2005)は、大正13年、愛知県常滑市に生まれた陶芸家です。

 

生家は祖父・初代常山の代から急須作りの名匠として知られ、三代常山は、祖父、そして父・二代常山より教えを受け、十代から急須作りに本格的に取り組みました。

 

 

三代山田常山 本人

三代山田常山 本人

 

以後、81年の生涯に100種類もの形を生み出したといわれるほど、多彩な急須の世界を築き上げます。

 

その功績により、平成10年(1998)、陶芸分野では愛知県で初めて、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。陶芸の技法ではなく、「常滑焼(急須)」という器種による認定は、三代常山の急須に対する高い評価を物語っています。

 

 

山田常山の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.山田常山の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.山田常山の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.山田常山の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.山田常山の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

三代山田常山 常滑南蛮茶注

三代山田常山 常滑南蛮茶注

 

手中に収まるほどの小さな茶注です。

 

古典にその軸を持ちながらも現代的な発想で常滑急須の世界を大きく広げた山田常山先生、急須作りの名工として知られた祖父の初代山田常山、父二代山田常山に師事しその技術を磨きました。

 

窯変や糸目を付けた変化に富んだ日本的な朱泥、古陶磁の壷や釜に着想を得た新たな造形、更には常滑焼の登窯で焼成された自然釉の作品など、それまでにない自由な発想で独自の常滑急須を作り続けた三代山田常山先生の素晴らしい急須です。

 

 

三代 山田常山作 常滑焼朱泥茶器揃

三代 山田常山作 常滑焼朱泥茶器揃

 

三代山田常山はよく『使いやすさを追求していくと自然と美しい形になる。』と仰っていたそうです。

 

急須作りは数ミリ単位の誤差も許されない世界です。

 

茶葉をじっくり蒸らして開かせるため、蓋と胴を寸分の狂いなく合わせることが重要です。

 

自然の恵みを一身に受けた茶葉から入れたお茶の一滴も無駄にしないため、切れのよい注ぎ口であること。

 

把手の位置や茶漉しの穴の数や大きさなど、気を抜けるところなど一つもない世界です。

 

それでいて現代に於いても劣ることの無い気品ある美しさを常山の急須は放っている。

 

 

 

三代山田常山 略歴

 

1924(大正13)年10月1日、愛知県常滑市に祖父・初代山田常山、父・二代常山と二代続く急須づくりを専門とする陶家の長男として生まれます。

 

本名は稔。祖父は妥協を許さない厳しさと精緻な作風で名工と謳われ、父もその技を継承した名手として名を馳せた陶工でありました。

 

1930年、模範的な活動を通して技術の継承に尽力し、多くの後進を育て上げるとともに、急須の発展に貢献しました。 

 

その二人に少年のころから基礎的な陶技を学び、中学に入るころには急須づくりを始めます。

 

1941(昭和16)年、愛知県立常滑工業学校窯業科を卒業。翌年、常滑にある愛知県陶器試験場に入所し、窯業に関する専門知識を学びます。

 

1946年からは本格的に修業するため、父・二代常山に師事します。

 

1948年、同志と常滑工芸会を設立。同年、第1回常滑陶芸展で「朱泥茶注」が常滑町長賞を受賞し、作家としてのデビューを果たす。また、この頃から父の号であった小常山を名乗ります。

 

1958年、ブリュッセル万国博覧会の日本第三部陶器類でグランプリを受賞。同年、第5回日本伝統工芸展で横手タイプの朱泥の急須が初入選し、以後、同展を中心に活動を展開する。初入選は朱泥の急須であったが、その後は朱泥土に二酸化マンガンを混ぜ込んだ紫泥や烏泥、自然釉の急須を出品しつつその存在を知らしめていきます。

 

1961年、名古屋の百貨店で初の個展を開催。また同年に父の死去に伴い、三代常山を襲名する。三代常山の急須は、地元で産出される粘りの強い朱泥土(田土)を用い、本体、注口、把手、蓋のすべてを、轆轤を使って成形し、それらを組み立ててつくり上げます。

 

1975年(昭和50)年に「常滑『手造り急須』の会」が設立されると会長に就任します。

 

技法からみると、朱泥土をベースとした、朱泥、紫泥、烏泥に加え、象牙色の白泥、古常滑を祖とする自然釉や、土そのものの風合いを生かした焼き締めによる南蛮などがある。また、表面の装飾を伴う技法では、窯変を利用した緋襷や、常滑独特の海藻を用いた藻掛、炭化焼成する燻しに加え、梨の肌を思わせる梨皮や、糸を巻いたような糸目、櫛状の道具で線を引いた櫛目などがある。

 

形のバリエーションは広く、胴部が算盤の玉のように張り出した算盤形や、鎌倉期の古常滑の壺を思わせるような肩が大きく張った鎌倉形、そのほかにも野菜や果物をはじめ、身近にあるさまざまなものから着想を得た形などがあり、煎茶具として用いる伝統的なものから、北欧のデザインに触発されたモダンなものまで、100種類以上を優に超える。

 

また把手の付き方では、注口と一直線上に把手が付く茶銚、一般によく知られる横手や把手がなく注口だけの茶注、把手がなく注口が胴部に受け口のように付く宝瓶、注口が胴部と一体となった絞り出し茶注がある。

 

これらには古典に敬意を表しながら、形や意匠などを試行錯誤で探った成果がしっかりと映し出され、すべてに卓越した轆轤技術があってこそ生み出される、手づくり急須のスタイルが確立されている。

 

1993年(平成5)年、日本陶磁協会賞受賞

 

1994年には、「陶芸 ロクロによる手造り朱泥急須技法」で愛知県指定無形文化財保持者に認定される。

 

1996年、勲五等瑞宝章受章。

 

1997年には愛知県陶磁資料館で「常滑急須―山田常山三代展」が開催され、その全貌とともに、祖父や父の作品も紹介される。

 

1998年には「常滑焼(急須)」の重要無形文化財保持者に認定。

 

2004年、旭日小授章を受章、また三代常山は、早くから後進の指導にも積極的に行いました。

 

2005年、「常滑焼(急須)」の重要無形文化財保持者の三代山田常山は、10月19日午後5時6分、転移性肝がんのため愛知県常滑市の病院で死去した。享年81。

 

 

 

 

三代山田常山 常滑茶注 登り窯焼成焼〆急須

三代山田常山 常滑茶注 登り窯焼成焼〆急須

 

 満容量120ml 常滑焼煎茶器です。

 

山田常山の急須を使ってお茶を淹れたいですね。

 

1煎目は玉露の渋み、2煎目は玉露の甘みを愉しみます。お湯の温度や量、 使う急須などで味が変わります。

 

お煎茶は、お抹茶と違っておもしろいですね。淹れる人によっても味が全然違いますからお茶を淹れる音に風情があります。

 

風情を感じられるように淹れる。これがなかなか難しい。蒸らす時間によってもお茶の味は変わります。

 

 

 

山田常山 査定価格におけるポイント

 

山田常山の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

山田常山先生の作品は、朱泥の急須の作品が有名です。

灰釉の作品が高値の査定価格がつきます。

5万円から20万円ぐらいの買取相場です。

初期の作品は査定価格が低くなります。

急須が高値が付く傾向にあります。40万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

急須などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

割れやヒビがありますと査定価格が安くなります。

 

作品の出来・不出来

 

急須が高値で売れる傾向にあります。常滑焼の壺も売れます。

 

山田常山展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

山田常山先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ山田常山の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

 

 

 

2024年10月28日

岩本将弥の個展の紹介をアートコレクターズ11月号に掲載 北岡技芳堂の絵画買取ブログ

アートコレクターズ11月号に岩本将弥展の記事を掲載いたしました。

 

弊店での秋の2回目の展覧会です。若手注目作家による静謐な世界をぜひご高覧ください。

 

『– White – 岩本将弥 個展』

 

【会期】
2024年11月6日(水)  〜11月12日(火)

 

【営業時間】
10時〜18時/最終日は16時まで/会期中無休

 

【会場】
北岡技芳堂 NORTH HILL GALLERY 460-0018 名古屋市中区門前町2-10 0120-853-860

 

 

 

岩本将弥「雪の花束」 P10号

岩本将弥「雪の花束」 P10号

 

【画歴】

1992 福岡生まれ

2014 愛知県立芸術大学 卒業

2017 第93回白日会展 初入選

2019 岩本将弥・石川総一郎 二人展 飯田美術

2021 個展 美岳画廊

2022 個展 ギャラリー北岡技芳堂

2023 個展 美岳画廊 現在 白日会 会員

 

【販売方法について】

全作品抽選となります。 作品一覧は11月6日(水)10時より、こちらの弊社HP北岡技芳堂

 応募締切:11月10日(日)12時まで 結果発表:11月10日(日)夕方より順次ご連絡いたします 詳細につきましてはHP、またはお電話にてお気軽にお問い合わせください。

 

アートコレクターズ11月号に岩本将弥展

 

記事の中の一部を紹介いたします。

 

一つのドレスや背景を複数の作品にわたって描き続けるのも岩本将弥の特徴です。

 

「私の中で美しさは積み上げていくものではなく、削ぎ落としていくものです。だから、何を描きたいかではなく、何は描くべきではないかという基準でモチーフやあしらいを決めています。だから私が描く全ての箇所に私なりの美の理由づけが施されています」

 

あくまでもストイックに作品に臨む岩本だが、休む間もなく描き続ける生活が祟り、つい最近身体を壊し一時期制作の中断を余儀なくされた。しかし休養の間、自分の絵を見つめ直すうちに、進むべき道が見えてきたという。

 

「今までは、どう上手く描くかに固執していた自分がいました。けれども、今私が描きたかったのは、自分の内面だということに気がついたのです。ビカソはその画業で様々な表現を展開してきましたが、キュビスムのような究極の技術を目指す時代もあれば、青の時代や蓄薇色の時代のように自身の心情を詩よりも詩的に描き出すこともありました。卓越した技術と冷静な思考、そして芳醇な情緒、ビカソのようにこれらを兼ね備えた表現を今後は目指していきたいです」

 

迷いの森を抜けた画家の、新たな船出に期待を持たずにはいられない。

 

岩本将弥

1992年福岡県生まれ。2014年愛知県立芸術大学卒業。

 

 

アートコレクターズ11月号

 

アートコレクターズ11月号は本日10/24発売です。

 

巻頭特集

 

「アート脳を刺激する 焼きもの脱構築」と題した本特集は、焼きものに定義づけられる素材や技法、ジャンルを再検討しながら、その区分けを解くことで焼きもの本来の姿に思いを馳せます。

 

「焼きものは土と炎の芸術だ」「工芸としての焼きものか、現代アートとしての焼きものか」⋯⋯

 

このように焼きものを定義づける際に、素材や属するジャンルが取り沙汰されることは多々あります。

これは、作品を方向づけるという意味では有益に働くこともありますが、作品そのものの創造性の矮小化にも繋がりかねません。

本来焼きものは、様式や素材の原理に無数の展開を内包しているからこそ、一括りにはできない複数形の表現を生み出し続けてきました。

素材や技法に端を発しながらも、そこから無限の創造に繋がっているということは、自明のことのようにも思われますが、こと焼きものにおいてはその事実が見えづらくなることもままあります。

そこで、本特集では世代や立場の異なる様々な識者、作家の寄稿やインタビュー、グラビアして、定義や二項対立では摑みきれない焼きもの本来の姿の一端を捉えます。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

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まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

 

2024年10月27日

富本憲吉の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

御所蔵の富本憲吉の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

富本憲吉の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、富本憲吉の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

富本憲吉の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の富本憲吉のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた富本憲吉の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の富本憲吉の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

富本憲吉は1886年に奈良県生駒郡安堵村の法隆寺寺侍の出である旧家富本家の長男として生まれました。

 

7歳の頃より祖父の友人で日本画家の嘯園について南画を学ぶなど、幼いころから美術や芸術に触れて感性を磨いていきました。

 

1908年に東京美術学校図案科建築部を卒業すると、ウィリアム・モリスの思想と工芸の仕事に興味を持ちロンドンに自費留学します。

 

ロンドン州議会立セントラル・スクール・オブ・アーツ・アンド・クラフツの夜学に通ってステンドグラスの技法を学びました。

 

また、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に日参してスケッチを重ねたり、イスラム建築調査の為にインドを旅行、パリ・マルセイユ・カイロを訪問するなど、1900年初頭の西洋美術を自らの目にしっかりと焼き付けてその後の装飾図案家としての糧にしました。

 

25歳の時に帰国すると、来日中であったイギリス人画家バーナード・リーチと出会い親交を深めました。

 

ともに訪れた上野の博覧会会場で楽焼に興味を持ったバーナード・リーチに六代尾形乾山を紹介し、その通訳をしているうちに自分でも楽焼を始めるようになりました。

 

 

富本憲吉 本人

富本憲吉 本人

 

人間国宝の陶芸家である富本憲吉は、「模様から模様を造らず」という言葉を残しています。これは、工芸製作における富本憲吉の信念であり、作家としての創造性を重要視する言葉として知られています。

 

 

富本憲吉の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.富本憲吉の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.富本憲吉の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.富本憲吉の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.富本憲吉の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

富本憲吉 白磁八角壺

富本憲吉 白磁八角壺

 

富本憲吉先生は白磁について、「厚く柔らかい白磁釉を壺に用いて、一種特別な感じのする陶器を造り出そうと考え出したのは、私がまだ陶磁家として身を立てなかった若いで、フランスでマイヨール作の小像を見てその柔らかくふくよかな肉付きに感心した時に始まると、『陶技感想五種』で述懐している。

 

色彩や模様によるごまかしが一切きかない白磁には、轆轤で整形した段階で最も形の整ったものを用いたという。

 

写真の作品は八角に面取りした壺で、そのしっとりとしたやわらかさと深く沈んだ気品が漂う白磁釉と、当時の常識を破る首の低い安定感と力強さを持つ壺の形は、富本憲吉独特の美意識を示すものである。

 

 

 

富本憲吉 白磁壺

富本憲吉 白磁壺

 

「形は身体骨組であり、模様はその衣服である。模様や色で飾られた衣服を脱ぎすて、裸形になった人体の美しさは人皆知るところであろう。」

 

下図なしで思うがままに壺を轆轤成形したあと、青空の下に一列に並べ、最も形の整った3分の1を白磁に、それに次ぐ3分の1には呉須や彫線を施し、残りを色絵の素地とするとも述べています。

 

「未だ白定に遠い私の白磁を その同一位置に迄漕ぎつけるのは モウ永くはない私の死に至る迄の望みであり 又責任であろふと考へる」との言葉からも、白磁への強いこだわりが感じられます。

 

白定は宋代定窯白磁を意味します。

 

「造らんとする壷の外線を心におきつつ轆轤すれば、軟らかき陶土の無数の異なりたる外線は内に外に動きて止まず。

 

われはこれを「線の戦い」と名づけたり」

 

富本先生の言葉からは形に対する厳しい追求が感じられます。

 

瑪瑙質の白磁の肌は柔らかで美しく、壷の中からは高雅な香りが立ち昇っているかのようです。

 

 

富本憲吉 染付祖師ヶ谷風景飾壺  1929年

富本憲吉 染付祖師ヶ谷風景飾壺  1929年

 

富本憲吉の染付は、独自性の高い模様が描かれています。

 

呉須象嵌の技法が使用されていて、自然や草花をモチーフにした詩情豊かな模様が特徴 です。

 

富本憲吉の染付作品の特徴は、従来にない斬新な造形と高い技術で描かれた独自性の高い模様、素地に模様を刻みつけて、青い顔料である呉須を埋めて模様とする「呉須象嵌」の技法が使用されている 代表的な常用模様に「竹林月夜」「大和川急雨」「四弁花」「羊歯」などがあります。

 

 

富本憲吉 色繪飾壺

富本憲吉 色繪飾壺

 

「白磁丸壷」とほぼ同型の器体に、紫を地として緑・黄で四弁の花模様を描き、口縁をあざやかな朱で彩っている。四弁の花はテイカカズラの花をモティーフとして考案された作品です。

 

本来は五弁の花を連続模様とするため四弁に変更したもので、富本憲吉独自の模様です。

 

富本憲吉は、奈良の安堵町から東京の祖師谷にテイカカズラを移植し、自宅の玄関脇に植えていました。

 

幼少期に花の中心に糸を通して吹くと花弁が風車のように回ったという思い出があり、この花を身近に感じていました。

 

富本憲吉は、この花を模した四弁花模様を作品に取り入れ、独自の作陶の世界を構築しました。

 

四弁花模様は、単独の模様として使われるほか、連続模様として用いられる場合もあります。連続模様のタイプはインドの更紗と類似していることから「更紗模様」とも呼ばれます。

 

 

富本憲吉 色絵金銀彩羊歯文飾壺 1958年

富本憲吉 色絵金銀彩羊歯文飾壺 1958年

 

色絵金銀彩の作品を多く発表した京都時代らしい華やかな作品です。

 

羊歯模様は、植物の生命感を保ちつつ連続文様として多彩な展開が可能で、晩年に多く用いられました。

 

晩年の京都時代は独自の造形とさらに複雑な模様が昇華した作品が生まれます。

 

模様は、金銀彩で描かれた羊歯(しだ)模様が特に有名で、従来の色絵時期に金彩・銀彩を一緒に施す技法を確立しています。

 

融点の異なる金と銀を、赤化粧の上に加彩した飾壺は代表作のひとつです。

 

奈良県立美術館や、京都国立近代美術館に収蔵される「蓋付飾壺」などが該当します。

 

「従来にない作品を作る」という信念が新たな作風と技法を次々と生み出していきました。

 

 

富本憲吉 略歴

 

大阪府平群郡安堵村(現・奈良県生駒郡安堵町)の大地主の家に生まれ、幼少より絵を学びます。

 

東京美術学校に入学して建築、室内装飾を専攻し、在学中にウィリアム・モリスの工芸思想に影響されます。

 

1908年(明治41年)、卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。ヴィクトリア&アルバート美術館に日参し、アーツ・アンド・クラフツの作品にふれる。

 

ロンドンで建築家・新家孝正と出会い、写真助手としてインドを巡ります。

 

実家から帰国命令が届いたため1910年(明治43年)帰国します。清水組(現・清水建設)に入社するが、ほどなく退社。

 

1912年(明治45年)『美術新報』に「ウイリアム・モリスの話」を発表します。

 

その後来日していたバーナード・リーチと出会い、交友を深めていきます。

 

バーナード・リーチは陶芸に熱中しており、陶芸家の六代目尾形乾山に学んでいた。富本も影響を受けて興味を持つようになり、1913年(大正2年)に故郷の裏庭に簡単な窯を作り楽焼作りを始めます。

 

1914年(大正3年)『青鞜』の同人で「新しい女」として評判だった尾竹紅吉(尾竹一枝)と結婚します。

 

1915年(大正4年)、故郷奈良に本格的な窯を築きいっそう創作に励みます。独学で多くの技術を身に付けました。

 

陶磁器の研究のため信楽、瀬戸など各地の窯場や朝鮮半島にも足を運びます。また、奈良の陶芸家今西洋が波佐見・中尾山で収集した「くらわんか茶碗」の破片などを今西洋の仕事場で「肥前中尾山 茶碗集」としてスケッチし、雑誌『工藝』に寄稿します。

 

李朝に影響された物や民芸調の作品を制作する中で、白磁の焼成に成功します。この奈良にいたのは主に大正年間だったため、この時期を富本の「大和時代」ともいいます。

 

1926年(大正15年)、奈良から世田谷に住まいを移し窯を築きます。(以後を「東京時代」ともいいます)。

 

主に白磁、染付の作品を制作します。この時点ではまだ世に知られる存在ではなかったが、1927年(昭和2年)の特別展で評判を得た。

 

昭和10年代は本格的に色絵磁器の制作に励んでいます。このころは柳宗悦の民藝運動にも共感を寄せているが、のちに訣別します。

 

長く在野だったが、1935年(昭和10年)帝国美術院(日本美術院、帝国芸術院の前身)の改革に伴い会員に選ばれます。

 

1944年(昭和19年)には東京美術学校教授になります。

 

第二次世界大戦中は疎開のため生徒とともに一時高山に移ります。

 

終戦後の1946年(昭和21年)には美術学校および芸術院会員を辞し、家族とも別れ京都へ移る。以後を「京都時代」ともいいます)。色絵に加えて金銀を同時に焼き付けるという技法・金銀彩を完成させ、羊歯文様などによる独自の作陶様式を確立しました。

 

1949年(昭和28年)京都市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)客員教授

 

1950年(昭和29年)京都市立美術大学教授

 

1955年(昭和30年)2月15日には重要無形文化財「色絵磁器」保持者として人間国宝に認定、前年の文化財保護法改正によって新設された重要無形文化財の保持者認定制度発足後に最初に認定された人間国宝の一人となった。晩年の1961年(昭和36年)には文化勲章を受章している。その2年後満77歳で死去した。

 

 

富本憲吉 査定価格におけるポイント

 

富本憲吉の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

富本憲吉先生の作品は、金彩や銀彩の作品が高値の傾向にあります。

細かく絵付けが鮮やかな作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から100万円ぐらいの買取相場です。

染付だけの作品は安値の傾向にあります。初期の作品は査定価格が低くなります。

作品は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります。500万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

色彩が鮮やかな作品が高値で売れる傾向にあります「四弁花」「羊歯」の題材の作品が高値で取引されています。

模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。富本憲吉展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

富本憲吉先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ富本憲吉の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

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