2024年12月2日

河井寛次郎の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の河井寛次郎の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

河井寛次郎の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、河井寛次郎の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

河井寛次郎作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の河井寛次郎のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた河井寛次郎の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の河井寛次郎の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

河井寛次郎は、濱田庄司とならび、近代陶芸界における先駆者のひとりです。河井寛次郎は東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科を卒業の後、京 都市立陶磁器試験場の技手となり、近代的手法に基づく窯業技術者として作陶を行ないました。

 

また自らの窯を築き、個人作家として独立後には、宗教哲学者にして民藝運動の主催者としても知られる柳宗悦らと出会うことにより、新たな表現を模索すると共 に、民藝運動の主導者のひとりとして活動したことでも知られています。

 

河井寛次郎は、陶器という形での表現のみならず、詩文を以て彼自身の美への思い、彼自身の言葉によるならば「祈り」を表現しました。雑誌『工藝』(1931-1948)への寄稿、詩集『火の願ひ』(1947 年刊行)などを通じて見られる河井寛次郎の表現には、当然ながら共に活動を行っ てきた民藝運動の同士である柳宗悦の影響が強く認められます。

 

釉薬の研究などにも余念がなく、ロンドン、ニューヨークなどでの個展や昭和32年にミラノ、トリエンナーレ国際工芸展における最高賞受賞など国際的にも活躍しました。

 

 

河井寛次郎 本人

河井寛次郎 本人

 

「暮しが仕事 仕事が暮し」 陶工・河井寬次郎の言葉です。 陶工でありながら、木彫やデザインなど陶器以外の仕事も手掛けた河井寛次郎は、同時に多くの言葉や文章を残しています。そしてそれらの言葉や文字からは本人の内面、人柄を知ることができ、またその言葉によって、受け手の私たちは励まされ、生きる上でのヒントや大きな力を与えられます。

 

河井寛次郎の人柄がわかるいくつかの言葉を紹介致します。

 

「過去が咲いている今 未来の蕾で一杯な今」

 

目の前に咲いている花は過去の積み重ねが今につながっている姿であり、まだ咲かない蕾はこれからの未来に咲く準備をしていることを意味しています。

 

「何という今だ 今こそ永遠」

 

河井寛次郎は、陶芸以外にも、彫刻、書、詩、金属、民藝運動等を精力的に行った人ですが、「今」を大切にしたということがわかるエピソードですね。

 

 

 

河井寛次郎 草花絵扁壺 1934年

河井寛次郎 草花絵扁壺 1934年

 

河井は常々、美しい仕事、正しい仕事は、美しい暮らし、正しい暮らしから生まれてくる、という思いをもっていました。 ですので、日の出とともに起きて日の入りまで仕事をされるお百姓さんのお仕事をとても尊いものとしていました。 “穀物や野菜は育てることは出来るけれども作る事は出来ない。作る仕事はごまかすことも出来るが、育てる仕事にはそれは出来ない。農家が、農家の暮しが美しくならないはずがない” と随筆「部落の總體」にも書いております。

 

河井寛次郎における仕事は、穀物や野菜ではなく陶器でしたが、それもやはりものづくりには変わりがなく、ごまかすことのない育てる仕事を目指していたのではと思っています。

 

 

 

河井寛次郎 辰砂扁壺 

河井寛次郎 辰砂扁壺 1948年 京都国立近代美術館蔵

 

辰砂の赤の発色が良い見事な扁壺です。造形も素晴らしく惚れ惚れします。

 

そのまま李朝箪笥の上にでも飾ってみても良いですが、どのように花を入れようかと思ったりします。

 

 

 

河井寛次郎の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.河井寛次郎の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.河井寛次郎の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.河井寛次郎の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.河井寛次郎の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

河井寛次郎 略歴

 

 明治23年(1890) 8月24日、島根県能義郡安来町(現、安来市)に生れます。

 

明治43年、松江中学校卒業、東京高等工業学校(現東京工大)窯業科に入学します。

 

明治44年、赤坂、三会堂で、バーナード・リーチの新作展を見て感激、その後間もなくリーチを桜木町の寓居に訪ねます。

 

大正3年、東京高等工業学校卒業、(前年、腸チフスを病み、一カ年休学)。 京都市立陶磁器試験所に入ります。

 

大正5年、同試験所に浜田庄司入所、爾後、研究、制作をともに励みます。

 

大正6年、試験所を辞し、清水六兵衛の顧問となり、各種の釉薬をつくる。浜田とともに琉球及び九州諸窯を視察します。

 

大正8年、浜田とともに朝鮮、満州、大連等を旅します。

 

大正9年、山岡千太郎の好意により、京都、五条坂に窯を築き鐘溪窯と名づけます。 三上やす(現、つねと改名)と結婚。

 

大正10年、東京と大阪の高島屋で、当時同店の宣伝部長川勝堅一の斡旋により、宋、元、明、李朝等古陶磁の手法を逐った作品「第一回創作陶磁展」を開き、絶讃をうける。(爾後、年次展を開催)また、東京、流逸荘で「李朝陶磁展」を見て、李朝陶磁器の真髄に触れるとともに、この会を主催した柳宗悦を知ります。

 

大正11年、前年中の快心作の写真集『鐘溪窯第一輯』を刊行。

 

大正12年、黒板勝美博士の知遇を受け、また大毎京都支局長、岩井武俊を識る。創作についての反省が始まる。

 

大正13年 、イギリスより帰朝した浜田を介し、柳宗悦との親交始まる。 恩賜京都博物館で「陶器の所産心」と題して講演を行ない、新たな所信を披瀝す。

 

大正14年、第5回東京高島屋展に用途を重んじた新しい作風を示します。

 

大正15年、柳宗悦、浜田庄司とともに「日本民芸美術館」設立の念願起こす。黒板博士の努力で「河井氏後援会」生れる。作家としての一大転換機をむかえ、作品の発表を差し控えて、制作に専念します。

 

昭和2年 「河井氏後援会」主催の作品展を、東京丸の内の日本工業倶楽部で開く。柳編纂の『雑器の美』に「陶器の所産心」を掲載します。

 

昭和3年、御大礼記念国産振興博覧会に、柳、浜田、その他日本民芸美術館同人とともに、民芸品で家具調度を整え「民芸館」と名づけた建物を新築出品す。 昭和4年 帝国美術院より院展無鑑査として推薦さる。3カ年の沈黙ののち、東京高島屋で、第6回作品展覧会を開きます。

 

昭和5年、米国ハーヴァード現代芸術協会主催の「日英現代工芸品展覧会」に出品。大阪高島屋主催大阪美術倶楽部で「作陶10年記念展」を催します。

 

昭和6年、柳宗悦、浜田庄司とともに雑誌『工芸』を発刊。柳宗悦とともに鳥取、島根を旅し、鳥取の牛の戸窯の開窯に立会い、松江では郷里の工人を指導します。この年の展覧会に色絵を出品します。

 

昭和7年、ロンドンの山中商会支店で個展を開きます。練上手、抜蝋の作を出品。

 

昭和8年、日本民芸美術館主催の東京高島屋での「綜合新工芸展覧会」に作品を出品します。東京、上野で開催の第8回国展に賛助出品す。倉敷文化協会主催の個展を倉敷市商工会議所で開く。柳宗悦とともに現代民窯展準備のため、中国、九州の諸窯を歴訪す。

 

昭和9年、東京、上野の松坂屋で開催の「陶匠十家展」に出品。バーナード・リーチを自窯にむかえて、ともに制作す。東京高島屋で開催の「現代日本民芸展」にモデルルームとして浜田庄司の食堂、リーチの書斎とともに台所を設計し出陳します。

 

昭和10年、再度リーチを自窯にむかえる。大原孫三郎翁より柳宗悦に対し、民芸美術館設立の資金寄付の申出をうけ、協議に参画します。この年陶硯の制作に没頭す。柳宗悦と四国に旅します。

 

昭和11年、東京高島屋で陶硯百種展を開きます。柳宗悦、浜田庄司とともに朝鮮を旅し会寧を経て満州吉林にはいる。大阪高島屋で陶硯展を開く。『工芸』68号は河井寛次郎特輯号を刊行。東京駒場に、「財団法人日本民芸館」を設立。理事となる。

 

昭和12年、パリ万国博覧会に出品の鉄辰砂草花丸文大壺がグランプリを受賞す。再度、柳宗悦、浜田庄司とともに朝鮮を旅します。

 

昭和14年、民芸協会同人とともに沖縄に渡島す。米人ギルバートソンは2カ年間作陶のため弟子入りす。

 

昭和15年、銀座鳩居堂で富本憲吉、浜田庄司、河井寛次郎の「三人展」を催しこの機会に三人の作品図録を出版します。東京、大阪両高島屋で「作陶20周年展」を催します。

 

昭和16年、柳宗悦、浜田庄司とともに華北を旅します。

 

昭和18年、東西高島屋で浜田庄司との二人展開く。

 

昭和19~20年、戦火はげしくほとんど窯立たず、文筆に没頭します。棟方志功は版画にて鐘溪窯を賛える「鐘溪版画柵」24図を制作します。

 

昭和21年、長女、良に養嗣子、博(現在博次と改名)をむかえる。高島屋での個展復活。

 

昭和22年、寛次郎詞「火の願ひ」を棟方志功版画にて制作47図を完成す。自詞を自刻した陶版「いのちの窓」を完成。酒瓶を主とした個展を開く。

 

昭和23年 『化粧陶器』『いのちの窓』を出版。陶版「いのちの窓」の個展を開く。

 

昭和24年、日本民芸館西館で「辰砂について」と題し講演を行なう。柳著『河井寛次郎』を札幌の鶴文庫より出版。この年から異なった角度による不定形の造型始まります。

 

昭和25年「還暦記念展」を東京、大阪両高島屋で開く。日本民芸館では、館所蔵の河井作品300点を陳列、還暦記念展。

 

昭和26年、フランスで開催の陶器展に出品。この頃しきりに木彫を試作します。

 

昭和27年、仏人ラルー入洛し、1カ年余弟子入りす。東京高島屋増築記念として富本憲吉、浜田とともに「三人展」を開きます。

 

昭和28年、朝日新聞社より『火の誓ひ』出版。『いのちの窓』の英訳を刊行。夏、リーチ、柳宗悦、浜田庄司とともに共著『陶器の本』(仮称)の原稿執筆のため信州松本在霞山荘に滞在。東京高島屋主催「作陶40年展」を東京の光輪閣、大阪高島屋で催す。陳列作品700点。

 

昭和29年、大丸神戸店でリーチ、浜田庄司と「陶芸3人展」を開きます。東京高島屋でリーチ、富本憲吉、浜田庄司とともに「陶芸4人展」を催す。泥刷毛目の手法を制作。前年よりひきつづき共著『陶器の本』の原稿執筆のため、春、千葉県房州、夏信州松本在霞山荘にて、リーチ、柳宗悦、浜田庄司とともに滞在します。

 

昭和31年、日本民芸館本館建物修理のため、浜田庄司とともに抹茶碗を寄贈し、柳宗悦の書軸を加えて、民芸館にて頒布会を行います。東京と大阪の高島屋で個展を開催。20年振りに新型陶硯、練り上げ手、陶板花手文の筒描き始めます。

 

昭和32年、朝日新聞社主催で、京都、東京両高島屋および名古屋のオリエンタル中村で「陶芸40年展」を開く。ミラノ、トリエンナーレ展で「花文菱形扁壺」グランプリを受賞。京都の民芸使節団をひきいて沖縄に渡島。

 

昭和33年、木彫で手、人物像、動く手、動く足、面等を造る。またこれらで陶土の原型をつくる。一方幾何学的貼付陶文の試作、色釉を使った打薬の手法を始む。腸閉塞と腸癒着のため大手術をうける。

 

昭和34年、木彫の制作つづく。秋の高島屋展に木彫の面20余点を出品。三彩打薬の手法漸く安定し、壺、大鉢、茶碗、皿等の製作に打ち込む。緑釉および陶彫の試作始まる。北海道、青盤舎で柳、浜田との「三人展」開催。

 

昭和36年 大原美術館は四人の陶匠(富本憲吉、リーチ、河井寛次郎、浜田庄司)作品の常時陳列施設として「陶器館」を開設。

 

昭和37年、雑誌『民芸』1月号に「六十年前の今」の第1回を掲載、第59回まで続く。和蘭のマーガレット王女来訪。天満屋広島店で、個展を開催。

 

昭和38年、名古屋オリエンタル中村、天満屋岡山店で個展を開く。 昭和39年 東京、大阪両高島屋および名古屋オリエンタル中村で個展開催。

 

昭和40年、大原美術館は『河井寛次郎作品集』の刊行を企画。天満屋広島店で個展を開き、広島より郷里安来に旅します。また天満屋福山店の「日本民芸館同人陶器展」に賛助出品。

 

昭和41年、京都高島屋で「寛次郎、博次、武一三人展」を催す。名古屋オリエンタル中村で「寛次郎博次父子展」を開く。天満屋岡山店、東西両高島屋でそれぞれ個展を開く。6月頃より躰の衰弱はげしく、11月2日、専売公社病院に入院、11月18日午後1時5分永眠す京都市東山区の専売公社京都病院で老衰のため死去した。享年76才。12月1日紫野大徳寺山内の真珠庵で日本民芸協会葬を執行。法名、清心院鐘溪寛仲居士。享年77才。

 

昭和42年 3月、京都府立総合資料館で、河井寛次郎コレクション約300点を出品し「民芸展」を催す。5月、東西高島屋で、6月、大原美術館で「河井寛次郎遺作展」を催す。またこの年に、大原美術館より大型図録、『河井寛次郎作品集』を出版。

 

 

 

河井寛次郎 木彫像 昭和29年頃

河井寛次郎 木彫像 昭和29年頃 河井寛次郎記念館蔵

 

このような木彫の作品は少なくオークションにはなかなか出て来ません。

 

陶芸作品でも手の作品や顔の作品が出ましたら高値での取引が予想されます。

 

 

河井寛次郎 書

河井寛次郎 書 

 

ひとりの仕事で

ありながら

ひとりの仕事で

ない仕事

 

このような書の作品も時々見かけます。書の作品もお探しの方がお見えです。

 

お問い合わせください。

 

 

河井寛次郎の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.河井寛次郎の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

河井寛次郎 査定価格におけるポイント

 

河井寛次郎の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

河井寛次郎先生の作品は、鐘渓窯の初期の作品に高値の査定価格がつきます。

 

晩年の三色扁壺や独特の個性的な形の壺も高値で取引されております。

 

20万円から300万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

河井寛次郎の作品は扁壺や壺、ぐい呑みの作品が評価されます。

 

河井寛次郎展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

河井寛次郎先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ河井寛次郎の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年12月1日

長野垤志の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の長野垤志の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

長野垤志の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、長野垤志の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

長野垤志作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の長野垤志のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた長野垤志の作品を鑑定して買取りいたします。

 

工芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の長野垤志の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

日本における茶の湯釜は、千利休の侘茶の発展とともに茶道の美意識を体現するものとして発展してきました。主な類系として、西の芦屋釜、東の天命釜と称されました。芦屋釜は福岡県芦屋で作られた茶の湯釜で室町時代に隆盛し、近年には終焉されたといわれています。一方の天命釜は栃木県佐野天明で作られ、芦屋釜よりやや遅れて室町時代から桃山時代に隆盛しました。

 

長野垤志 本人

長野垤志(てつし) 本人

 

江戸時代初めの侘茶の確立とともに茶釜の生産は京都にその位置を譲るようになります。京都では西村道仁といった名工達が、茶人の要求を汲んだ「京釜」を制作するようになりました。江戸期になるとさまざまな流儀が発生して、釜師はその流儀にあった枠の中で制作をするようになりした。

 

近代になって、その枠を超えて自由で斬新な茶の湯釜を制作する釜師が登場しました。「茶の湯釜」のジャンルにおいて初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されましたのが長野垤志です。

 

 

初代 長野垤志(作) 責紐釜 炉用 和銑造

初代長野垤志 責紐釜 炉用 和銑造

 

和鉄(わずく)で製作された責紐釜です。高さの低い釜ですので炭手前も使用しやすいと思われます。 膚は打膚仕上げで波頭が四カ所に鋳出されております。鐶付は骰子(さい)でその昔毒物を入れられないように封をしていたといわれております。

 

晩年の作品です。釜は使用感が若干ありますが、茶事での使用に問題はありません。 和鉄の釜は上手く使えば数百年使用できますし、お湯を入れたお茶が美味しく頂けます。 箱は国内産の桐の一枚板で板目の素晴らしい山中製の箱です。

 

 

長野垤志系図

初代長野垤志

二代長野垤志

現在長野新さんが活躍されております。

 

現在は長野新さんのお父様が2代目の当代として活躍しております。数多くの展覧会で評価の高い作品を生み出されており、 二代目長野垤志さんのご子息の長野新さんは茶釜のみならず金属工芸作品も手掛けております。新たな今の時代ならではの独自の表現を作品に取り入れております。

 

初代長野垤志が桶川の地を選び、父が工房を構えて50年経ちました。 長野新さんは桶川生まれの桶川育ちで、すくすくと成長をされました。 長野新さんの祖父との思い出は、祖父のお住まいの東京の十条から、あんぱんとポテトチップをお土産に持って桶川へ訪ねて来てくれた事だそうです。

 

そんな祖父は長野新さんが5歳の時に亡くなられたそうで、 「人間国宝の頭をぺしぺしと叩いていたのは新だけだよ」と後に言われたそうです。 幼い頃は危ないので仕事場に「決して近づいてはいけない」と言われていましたが、 中学校に入って初めて父の手伝いをしたそうです。

 

 

長野新 和鉃鉄瓶

長野新 和銑鉄瓶

「日本古来の鉄である「和銑」(わずく)による茶の湯釜を製作。 惣型鋳造のホロ引きや甑炉による鉄の溶解などの伝統技術を用いて現代人発想の作品の創造を目指しています。」

 

長野新さんは初めから釜師を目指したのではなく、一度、大学を出て就職もされました。 ただ、ずっと心の中にモヤモヤする想いがあり、20代の後半に選択しなかった道の家業のものづくりの道へ進みたいと父に相談したそうです。

 

近くで見て来たからこそ分かる「この世界では本当に良い作品を作らないと認めてもらえない」 そんな緊張感のある道を選択し、最初の一年間は父の教えを受け、後に、30歳まで4年間は山形県に修行に行きました。 鉄粉にまみれながらハードでも、充実した楽しい毎日を過ごしましたが、修行先は山形県だったので雪には苦労されたそうです。

 

そして山形県からの修業を終えてから、自分独自の表現しようと考えても、 経験不足で上手く形にすることが出来ないという時期もあったそうですが、 その時があるから今がある、と近年思うようになったそうです。

 

 

 

長野垤志の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.長野垤志の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.長野垤志の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.長野垤志の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.長野垤志の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.釜作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

長野垤志 略歴

 

明治33年10月28日名古屋市東区に生れで本名松蔵

 

画家を志して16歳で上京、郵便局の集配人や市電の変電所勤めなどしながら画を学びました。

 

早稲田大学附属早稲田工手学校、本郷洋画研究所に学びます。関東大震災により同所焼失のため、これを転機に鋳金家に転じました。はじめ山本安曇に師事し、のち香取秀眞に就き作品指導のほか古美術研究の指導を受けました。

 

帝展には美術工芸科創設の昭和2年第8回展より出品しております。「収穫」(銀製小箱)が入選しました。

 

名古屋の釜師、伊藤一正を知って茶の湯釜鋳造の研究に専念し、至難とされた和銑による釜の鋳造法を30年余かけて完成、また芦屋釜、天明釜などの古釜の伝統を現代に生かした第一人者となった。

 

昭和3年第9回には「飛躍」(鋳銅花瓶)が、第11回「青銅水盤」、第12回「蔓付花瓶」、第13回「青銅菱形花器」が入選し、第14回「青銅方盤」では特選となりました。第二次大戦終了前後5ヶ年程出品を休止しましたが第4回日展で審査員となります。その後もあわせ、3回に及ぶ。また日本工芸会に参加し理事、審査員などを務めました。茶の湯釜制作の第一人者で、日本古来の製造技術を生かして独特の作品を生みました。

 

昭和38年、重要無形文化財保持者(人間国宝)

 

昭和42年紫綬褒章を受章しました。茶の湯釜のほか善光寺(愛知)、輪王寺(仙台)、極示寺(大阪)、内光寺(新潟)、薬師寺(奈良)、建長寺、(半鐘、鎌倉)ほか梵鐘の制作も多く。著書-「あしやの釜」(昭和27)、「天命の釜」(昭和29)、「あしや系の釜」(昭和32)、「茶之湯釜の見方」(昭和31年秦東書房)、「茶の湯釜」。

 

昭和52(1977)年7月14日 鋳金家長野垤志は、7月14日乳頭腺がんのため東京北区上十条五丁目の原外科病院で死去した。享年76。

 

 

 

 

 

長野 垤志 造 環摘 腰筋 砲口 丸形 鉄瓶 共箱

長野垤志作 環摘 腰筋 砲口 丸形 鉄瓶 共箱

 

初代長野垤志の評価される所以は、製造が難しいとされていた 砂鉄による「和銑釜(わずくかま)」の復元を成功し 大きな功績を残しました。 古来の釜の技法や様式を体系的に研究し 現代に甦らせた釜師の第一人者と言えます。

 

 

 

長野垤志の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.長野垤志の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

長野垤志 査定価格におけるポイント

 

長野垤志の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

長野垤志先生の作品は、釜の種類によってお値段は変わりまが、箱書き、流派によって家元の書き付けによって価格が左右する場合が多いです。

 

市場では、釜は10万円ぐらいが相場です。20万ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

痛み傷など、使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

長野垤志の鉄瓶の作品が評価されます。

 

釜は初代が高値です。10万前後で取引されております。

 

長野垤志展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

長野垤志先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ長野垤志の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月29日

角谷勇圭の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の角谷勇圭の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

角谷勇圭の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、角谷勇圭の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

角谷勇圭作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の角谷勇圭のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた角谷勇圭の作品を鑑定して買取りいたします。

 

工芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の角谷勇圭の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

角谷勇治(雅号:角谷勇圭)は茶釜の造形のみならず、釜に見られる花鳥風月文様の表現に卓越し、鐶付の形にも優れた造形力を発揮しています。また、文様を外型にヘラ押し技法で反転して描くための絵画的表現に熟練の技と感性を有しています。

 

日本伝統工芸展や同近畿支部展で数多くの入選歴、受賞歴があり、わが国有数の金属工芸作家です。また、大阪工芸協会の運営にも寄与し、平成4年(1992)に大阪府工芸功労賞、平成13年(2001)に大阪府知事表彰を受けて、令和三年(2021)7月に『人間国宝(重要無形文化財保持者・茶の湯釜)』に認定されました。

 

 

角谷勇圭 本人

角谷勇圭 本人

 

父の仕事は小さいころから見ていました、大きくなってくると父の手伝いに行きました。  

 

ごく自然にこの道に入りました。父はああしろこうしろとは厳しくは言いませんでした。じーっと見ていると技はこちらまで伝わってきますね。人間国宝を父に持つという事はどうしても比較されるので、非常に悩みました。   

 

父は日展を目指していて、入選するためには昔通りのものを作っていては通りませんから、新しい昭和の時代の釜を作るために、本とか、美術館に行って勉強しました。父は研究心が凄かったです。新しいものを作って行こうと常に考えていました。 

 

 

 

角谷勇圭 翡翠繰口釜

角谷勇圭 翡翠繰口釜

 

 

重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されましたが、責任を果たせるかどうか心配をしました。まだとても父の力には及びません。  

 

父は80代でも仕事をしていましたので、見習いたいとは思います。鉄は使えば使う程味が出て来ます。しょっちゅう使っていると艶が出て来ます。愛着をもって使っていただけると釜も喜びます。  

 

松籟(しょうらい 松風のそよぐ音)と言って、音響的な効果もあります。沸いて来る音色がいろいろ変わってきますので、響きが出て来ます。話題になるような釜も作っていきたい、線も繊細で大胆な釜を考えています。  

 

 

- いものことば - 釜の鋳型

 

鋳物を作るときに、溶けた金属を注ぐ型。

耐熱、耐圧が求められ、釜は上下2つの外型と中型からなり、その隙間に鉄を流し込む。

銘は、文様と同じように鋳型に左右反転して、押し刻む。

 

 

 

角谷勇圭の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.角谷勇圭の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.角谷勇圭の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.角谷勇圭の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.角谷勇圭の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.釜作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

角谷勇圭 略歴

 

1942(昭和17年) 釜師 角谷一圭の次男(勇治)として大阪市に生まれる

 

1961(昭和36年) 大阪市立工芸高等学校 図案科 卒業 東洋紡 意匠課 勤務

 

1970(昭和45年) 父 一圭に師事

 

1990(平成 2年) 第37回日本伝統工芸展「和銑流水文釜」(文化庁蔵)

 

2001(平成13年) 角谷鋳金工房 設立(大阪府八尾市美園町)

 

2002(平成14年) 勇圭と改める

 

2004(平成16年)~2005(平成17年) 現代の「日本の金工」展(デンマーク王立工芸博物館他)

 

2013(平成25年) THE世界一展(グランフロント大阪 / 日本科学未来館・東京)

 

2015(平成27年) 大阪府指定無形文化財「茶の湯釜」 保持者 認定

 

2017(平成29年) なにわの伝統工芸 受け継がれゆく匠の技と美(大阪府立弥生文化博物館)

 

2019(令和元年) 現代工芸の展開 2019(金沢市立安江金箔工芸館)

 

2021(令和3年) 平成の寶玉展(薬師寺・奈良)「流線文繰口釜」奉納 重要無形文化財「茶の湯釜」 保持者 認定

 

2022(令和4年) 工芸・Kôgeiの創造-人間国宝展- (銀座和光)

 

2024(令和6年) 特別展 式年遷宮と日本伝統工芸(神宮美術館)

 

 

 

 

角谷勇圭 御子息と工房にて

角谷勇圭 御子息と工房にて

 

「恐れ多く…。父にはとても及ばない。責任を感じるが、地味な仕事を評価いただき、ありがたい」

 

父親は茶の湯釜の世界で釜師の現代最高峰として知られ、人間国宝だった故・一圭(いっけい)さん。

 

その技を受け継ぎ、親子2代での人間国宝となった。

 

途絶えていた技術を復元するなど挑戦し続けた父の生き方に「共鳴し、憧れがあった」

 

 

 

 

角谷勇圭の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.角谷勇圭の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

角谷勇圭 査定価格におけるポイント

 

角谷勇圭の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

角谷勇圭先生の作品は、釜の種類によってお値段は変わりまが、箱書き、流派によって家元の書き付けによって価格が左右する場合が多いです。

 

市場では、6万円ぐらいが相場です。25万ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

痛み傷など、使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

角谷勇圭の作品は芦屋釜の写の作品が評価されます。

 

角谷勇圭展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

角谷勇圭先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ角谷勇圭の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月28日

藤原雄の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の藤原雄の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

藤原雄の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、藤原雄の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

藤原雄作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の藤原雄のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた藤原雄の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の藤原雄の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

藤原啓の長男として備前市穂浪に生まれる。昭和30年に明治大学文学部を卒業後、父について作陶を始めます。日本伝統工芸展を中心に、壺や鉢、花入など伝統的な備前焼を制作する傍ら、東京、大阪、岡山、広島などに大型の創作レリーフを納めます。

 

豪放で力強く鷹揚とした作風を持ち味とし、平成8年に国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)となりました。国内外から多くの弟子を受け入れて、諸外国で講演会や展覧会を行うなど、備前焼の国際化に努めました。

 

 

藤原雄 本人

藤原雄 本人

 

父は同じく陶芸家で人間国宝の藤原啓、子息もまた陶芸家で、陶心会会長で備前陶友会理事を務める藤原和です。

 

藤原雄は魯山人ばりの美食家であった。

 

明治大学の日本文学科に通われていた頃、岡山の陶芸通に紹介されて鎌倉の魯山人のところを訪ねました。 その初対面の日に、

 

「また一人で飯でも食べに来いよ」

 

といわれ、毎週土曜日に出かけ、月曜日に下宿に帰ってくる学生生活を三年間続けました。

 

「魯山人先生には日本的感性とか、美意識とか、風情、人生を粋に生きるというか、モノを上手に活かしていくことなど陶芸の哲学を学んだ。なにしろ先生の影響を受けたものだから知らず知らずに食いしん坊になった」

 

料理の名店や寿司屋、そして魚市場などへもご一緒されたほど北大路魯山人に可愛がられました。

 

「料理を手伝いながら、器と料理の調和を言葉ではなく厳しい修業として味合わせていただいた。私の生涯に二度とない素晴らしさをもたらしてくれた魯山人先生に感謝しながら日夜、器造りに精進している」

 

父の藤原啓から

 

「父の助手の仕事を終えて、夜、自分の時間に制作したが、はじめの5年間は焼く前に全て父に壊され、ようやく焼くことを許された作品の中に口がすぼまった壺を見て、『今までの備前にない、おもしろいのを造っている』とはじめて褒められた」

 

 

藤原 啓 窯変備前花入

 藤原 啓 窯変備前花入

 

見事な焦げと境目に出た窯変やぼたもちの景色が見事にあらわれております。

 

大きさも茶席に良い大きさです。底にはサインが入っております。

 

 

藤原雄の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.藤原雄の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.藤原雄の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.藤原雄の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.藤原雄の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

藤原啓 略歴

 

1932(昭和7)年6月10日、同じく備前の陶芸家で人間国宝となった父・藤原啓の長男として岡山県和気郡伊里村穂浪(現・備前市)に生まれます。

 

1955年、明治大学文学部を卒業後、一時みすず書房に編集者として勤務するが、父の看病のため岡山へ戻る。復帰した父の助手となり、備前焼の技法を学びました。

 

1958年、第5回日本伝統工芸展に<備前壷>を出品し初入選、また第7回現代日本陶芸展でも入選を果たします。

 

1960年には、初の個展(岡山天満屋、東京日本橋三越)を開催します。

 

1961年には日本工芸会正会員となり、またスペイン・バルセロナにおける国際陶芸展では、グランプリを受賞(63年)するなど、備前焼の俊英としての地歩を固めました。

 

1964年にアメリカ、カナダ、メキシコ、スペイン等の国々を廻り、各地で備前焼講座や個展(アメリカ、カナダ)を開催、同時に米国コロンビア大学における第1回国際工芸家会議で日本代表として備前焼の解説を行うなど、海外へ広く備前焼を紹介した。こうした経験は後年、備前焼を世界に普及するという雄の一貫した活動へと結びついていきます。

 

1967年に独立。同年、日本陶磁協会賞を受賞。金重陶陽や父・啓たちが拓いた茶陶としての現代備前陶という認識から出発した雄は、備前の土味を生かし、穏やかで明快な器形に削ぎや透かし、箆目、線彫で作家の作為性を加味した作風を確立した。とくに壷の制作に焦点を絞り、「百壷展」(岡山天満屋 1972年、及び東京日本橋高島屋 1974年)を開くなど、どっしりとした豪放な壷で新境地を開拓した。「古備前と藤原啓・雄父子」展(パリ市立チェネルスキー美術館他 1976年)、「備前一千年、そして今、藤原雄の世界」展(韓国国立現代美術館 1988年)など海外での発表も積極的に行い、備前焼の発展と普及に貢献しました。

 

1996年、備前焼で重要無形文化財保持者の認定を受けます。

 

1998年、紫綬褒章受章

 

1996年から99年まで倉敷芸術科学大学で芸術学部教授も務めた。主な作品集に『藤原雄 備前 作陶集』(求龍堂 1987年)、『藤原雄 陶の譜:作陶生活40周年記念』(藤原雄陶の譜刊行会 1995年)があります。

 

2001年、備前焼の陶芸家で国指定重要文化財保持者(人間国宝)の藤原雄は、10月29日午前6時34分、多臓器不全のため岡山県倉敷市の川崎医大付属病院で死去した。享年69歳

 

 

 

藤原雄の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.藤原雄の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

藤原雄 査定価格におけるポイント

 

藤原雄の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

藤原雄先生の作品は窯変の作品に高値の査定価格がつきます。

 

1万円から10万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

藤原雄の作品は花入や徳利、ぐい呑みの作品が評価されます。

 

藤原雄展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

藤原雄先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ藤原雄の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月27日

関谷四郎の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の関谷四郎の彫金作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

関谷四郎の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、関谷四郎の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

関谷四郎作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の関谷四郎のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた関谷四郎の作品を鑑定して買取りいたします。

 

工芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の関谷四郎の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

関谷四郎は明治40年、現在の秋田市外旭川に生まれた鍛金家です。秋田市内の金銀細工店で修業を積み、昭和2年に東京の鍛金家の河内宗明の内弟子となりました。独立後は異なる金属を結合させる「接合せ(はぎあわせ)」の技法を取り入れて各展に多数の作品を発表します。昭和52年に国の重要無形文化財保持者、(人間国宝)に認定され、日本金工界に大きな業績を残しました。

 

 

関谷四郎 本人

関谷四郎 本人

関谷四郎は「鍛金屋は金槌以外持っちゃいかん」とおっしゃっていた。

 

 

 

関谷四郎 純金打出天女香炉

関谷四郎 純金打出天女香炉

 

 

 関谷四郎作 純金打出香炉 “天女” 480.2g 

 

本体底部に”純金四郎作 徳力”と刻印があります。

 

純金打出天女香炉関谷四郎作 と箱書きがあります。

 

関谷四郎の作品は純金の目方相場よりも高値で取引される可能性が高い作家です。

 

 

関谷四郎の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.関谷四郎の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.関谷四郎の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.関谷四郎の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.関谷四郎の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.鍛金作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

関谷四郎 銀打出湯沸 純銀刻印 重量936g 共箱

関谷四郎 銀打出湯沸 

 

こちらの銀便は、波模様のモダンなデザインが素敵な作品です。

純銀刻印 重量936g 共箱

 

 

 

関谷四郎 略歴

 

明治40(1907)年2月11日、秋田市外旭川字家ノ前(現、秋田市保戸野新町)に生まれます。

 

明治45年、5才の時、父を失い幼時の大病によって足が不自由になったことから、座業を生業とするべく秋田市内の森金銀細工工店で秋田の伝統工芸、銀線細工を学びます。

 

昭和2(1927)年、秋田県主宰の鍛金講習会のため来県していた河内宗明に出会い、同年弟子入りします。

 

昭和6年より日本鍛金協会展に出品を重ねる。同13年独立して東京の本郷団子坂に工房を設立

 

昭和17年第5回新文展に「銀流し花瓶」で初入選。以後同展、日展に出品します。

 

昭和37年より日本伝統工芸展に出品し、同38年伝統工芸新作展で奨励賞

 

昭和40年日本伝統工芸展で優秀賞、同年の伝統工芸新作展で優秀賞、教育委員会賞

 

昭和43年日本伝統工芸展で総裁賞を受賞

 

昭和44年以降日本伝統工芸展に招待出品を続け、たびたび審査員を努めます。

 

昭和48年新作工芸展20周年記念展で特別賞、同51年同展で稲垣賞受賞

 

昭和52年国指定重要無形文化財保持者に認定された。彫金による表面加工を行わず鍛金のみで豊かな質感をもたせる工夫として、異種の細い板金をろうで溶接する接着技法を創出しその織りなす洗練された、幾何学文様と、表面の質感を特色とする斬新な作風を示した。

 

昭和56年、金工作家グループ東京関友会設立します。

 

昭和60年、秋田関友会を設立、後進の育成にも尽力しました。

 

昭和62年秋田魁新報社主催により傘寿記念展を開催。

 

平成6年8月28日から10月2日まで秋田市立赤れんが郷土館で「米寿記念人間国宝関谷四郎展」を開催しました。

 

平成6(1994)年12月3日、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)の鍛金家関谷四郎は12月3日午前3時10分、肺炎のため東京都板橋区の東京都老人医療センターで死去した。享年87。

 

 

 

関谷四郎の作業姿

関谷四郎の作業姿

 

関谷四郎は、日本の伝統工芸の中でも独特の領域を持つ鍛金に、常に新しい金属の美を追い求める。鍛金の技術を保持する貴重な打物師でした。

 

作品は、花生、壺、接合せ(はぎあわせ)皿など多彩である。しかもその作風には現代感覚が盛り込まれ、器物そのものの感情がみずみずしいまでに表現されている。

 

花器などは、銀と銅、赤銅の3種の地金を用いて、鍛金の中でも難しいとされる接合せの技法で制作される。

 

 

 

関谷四郎の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.関谷四郎の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

関谷四郎 査定価格におけるポイント

 

関谷四郎の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

関谷四郎先生の作品は、金瓶、銀瓶、香炉の作品に高値の査定価格がつきます。

 

市場では、5万円ぐらいが相場です。30万ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

痛み傷など、使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

関谷四郎の作品は細かい仕事の作品やオシャレな作品が評価されます。

 

関谷四郎展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

関谷四郎先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ関谷四郎の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

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