2025年1月8日
前田正博の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の前田正博の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
前田正博の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、前田正博の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
前田正博の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の前田正博のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた前田正博の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の前田正博の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

前田正博 本人
子供の頃から美術が好きだった前田正博は、東京藝大に入学して、毎日が楽しく朝から晩までずっと学校で制作していました。2年生までに絵画や彫刻、工芸を一通り学んだ上で、進むごとに変化する工程が楽しく自分に向いていると思うのが陶芸だったそうです。
前田正博は、在学中は、伝統的な和絵具による花鳥風月や幾何学模様を一般的な余白を活かした意匠ではなく、全面に絵付をする独自の色絵磁器の表現をされていました。
大学卒業後も同じ手法で作品を発表していましたが、キャンバスに絵を描くように色を塗り重ねたり引っ掻いたりしたいとの想いから、洋絵具を取り入れております。
洋絵具は幕末頃より導入された素材で、色数が豊富で薄くのばし色同士を重ねることができる等、和絵具にはない性質を持っています。 形を作ってから色と絵を考えるという前田正博の作陶の特徴として、まずその形に注目するべきです。

前田正博 色絵銀彩鉢
デザインも絵付も基本的にはぶっつけ本番です。様々な画集や美術展での刺激を受けてイメージが浮かぶと轆轤で成形し、手作業で削り整えて、作っていく工程でのイメージを実際の形に近づけていきます。
前田正博は 素焼した器に透明釉を掛け本焼きし白磁に仕上げ、赤、青、黄、緑、金、銀等を刷毛で打つように彩色し焼成を何度も繰り返すことで生まれる緻密で複雑な質感、鮮やかな色調を背景に、洒脱な梟や仙人掌、椰子の木が器を覆いつくします。
また近年では、極細のマスキングテープを活用したより幾何学的な模様の、塗を思わせるシックな陶芸作品も発表しています。器全面を色絵に覆われた作品は、色彩の豊かさがある故、磁器であることを忘れてしまします。

前田正博 色茶碗
前田正博「1・2・3mmのマスキングテープを使い模様をつくり、色をのせてはテープをはがして焼く、を繰り返してます。色はムラをつけるために刷毛でのせていて、ムラによって表情を出しています。いかにきれいに自分なりのムラを出すかがポイントです。」
何度も焼いて大丈夫なんですか?
前田正博「ええ、磁器は一度本焼きすると固く焼きしまっちゃうんで、温度をゆっくり上げてゆっくり下げると複数回焼いても平気なんです。絵の具がガラス質ではなく洋絵具だから、より多くの回数焼くことが出来るんです。」
何回ぐらい焼いているんですか?
前田正博「素焼き・本焼き・黒地の焼き付けに加え上絵を描くのに3回ほど、6~7回は焼いています。」
前田正博の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.前田正博の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.前田正博の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.前田正博の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.前田正博の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
前田正博 略歴
1948年
京都府久美浜町に生まれる。
1973年
日本陶芸展入選します。
1975年
東京芸術大学大学院工芸科陶芸専攻修了。 日本伝統工芸展入選します。
1983年
今日の日本陶芸展出品 (ワシントン スミソニアン博物館、ロンドン ヴィクトリア& アルバート美術館)
1988年
日本伝統工芸展日本工芸会奨励賞受賞 。
1996年
現代日本陶磁秀作アジア巡回展出品します。
1998年
伝統工芸新作展奨励賞受賞。
2002年
日本伝統工芸展にて鑑査委員となります。
2005年
菊池ビエンナーレ展優秀賞受賞。
現在、東京都六本木で工房を構え作陶しています。
前田正博 査定価格におけるポイント
前田正博の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
前田正博先生の作品は壺の作品に高値の査定価格がつきます。
5万円から10万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
茶碗は使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
前田正博の作品は華やかな大皿の作品が評価されます。
大きい作品の高値が期待できます。
前田正博展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
前田正博先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ前田正博の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2025年1月7日
須田菁華の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の須田菁華の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
須田菁華の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、須田菁華の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
須田菁華の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の須田菁華のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた須田菁華の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の須田菁華の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

初代須田青華 本人
須田青華は九谷焼の名窯です。北大路魯山人が陶芸の師と呼んだのが、初代須田青華です。魯山人は青華の影響を強く受けております。
九谷焼は江戸時代前期1655年頃、大聖寺初代藩主で茶人でもあった前田利治が領内の九谷(現在の加賀市山中温泉九谷町)の鉱山で磁器の原料となる陶石が発見されたことに着目して、藩の命により有田で陶技を学んだ後藤才治郎が陶石の産地となった九谷村で開窯したことから「九谷焼」と呼ばれるようになりました。
それから数十年後の1700年代の初頭、生産が終了してしまいますが、その当時の記録はなく、現在もその原因は謎となっております。
この間に焼かれたものは、のちに、古九谷と呼ばれ、緑の色絵の具を印象的に配色して絵付けされたスタイルの「青手」や、「九谷五彩」と呼ばれる、緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用した絵付け技法「色絵(五彩手)」とともに、現代に名作として残されています。
その後、約100年、江戸時代後期に石川県の金沢や小松に発祥の地、大聖寺藩内の九谷や山代などで、磁器生産が再開されました。 加賀市にある須田菁華窯は、初代・須田菁華が1891年に築いた九谷焼の名窯です。1915年には北大路魯山人も訪れ、初代菁華から陶芸の手ほどきを受け、作陶の魅力を開眼させいったきっかけになったといわれています。

須田青華 金蘭手鉢
須田青華の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.須田青華の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.須田青華の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.須田青華の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.須田青華の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
初代須田菁華 略歴
文久2年
1862年金沢の商家に生まれます。 初名は与三郎。
明治13年
1880年石川県勧業試験場陶画部を卒業します。
明治16年
1883年九谷陶器会社に入社し、画工長となります。
明治18年
1885年山代温泉に錦窯を築きます。
明治39年
1906年自家専用の登窯「菁華窯」を築きます。
大正4年
1915年北大路魯山人(当時福田大観)が訪れ陶芸の手ほどきを受ける。 江沼郡九谷陶器同業組合長を務める。
昭和2年
1927年に没する。
初代須田菁華と北大路魯山人は師弟関係にあります。北大路魯山人は須田菁華を作陶の理想や人生の師として仰いでいました。
北大路魯山人は、篆刻家として山代温泉の旅館「吉野屋」の看板を作った時に、九谷焼の窯元である須田菁華の菁華窯の看板も制作しております。この時、菁華窯で初めて作陶し、約半年滞在しました。
北大路魯山人は、初代須田菁華を「當代陶磁界に於ける第一の異才なり」と称え、その出会いを人生を変える大きなものとして捉えています。
須田菁華の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.須田菁華の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます
須田菁華 査定価格におけるポイント
須田菁華の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
須田菁華先生の作品は懐石料理の食器の作品に高値の査定価格がつきます。
2万円から8万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
茶碗は使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
須田菁華の作品は向付などの料亭で使う食器の作品が評価されます。
魯山人風の作品が高値が期待できます。
須田菁華展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
須田菁華先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ須田菁華の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2025年1月6日
愛知県美術館にて、待望の「パウル・クレー展」 北岡技芳堂の絵画ブログ買取
こんにちは!芸術ファンの皆様に、大切なお知らせです。
愛知県美術館にて、待望の「パウル・クレー展」がいよいよ始まります 特に注目したいのは、クレーの特徴である「夢のような幻想的な世界」を描いた作品の数々をご覧ください。
私の最も好きな芸術家で、知的でおしゃれで、オリジナリティに溢れている20世紀の最も優れた画家の一人と思っております。
20代で、初めてみた時の吸い込まれるような印象を、今でも覚えております。世の中にはこんな素敵な作家がいるのかと思ったものです。
絵画というのは、誰もやっていないことをしなくてはいけないとまだ鮮明に思っていなかったですが、絵画とは一体なんなのかと、毎日自問自答するような日々が長く何年も続いていました。
草間彌生さんも当時から知っていました。当時サムホールがちょうど7万円でした。
今では数千万!
名古屋市内の画廊にゴロゴロ転がっていました。
簡単に買えたと思いますが、何故か買わなかったです。あの頃買っておけば良かったとつくづく思う事がありました。
結果論ですが!
日本人は、まだあんまり現代アートが何が良いのか分かっていないと思っております。
専門で美術商をやっている私もここ10年ぐらいで、何となく分かってきたような感じですから、風通の一般の人が現代アートが何なのかよく分からないのもよく分かります。
話は横道にそれましたが、日本人作家で、私はパウル・クレーの影響を受けた戦後美術の作家はかなり多いのではないかとも思っております。
瑛九なんかもかなり影響を受けているのではないかと、画風を見てよく思いました。そして、パウル・クレーから脱したいと思い続けてちょっと晩年に脱したと思う作品がありますし、フォトデッサンなんかはかなりオリジナルな作品だと思っております。
皆さんも、現代アートにご興味があり、将来の値上がりや、何が絵画は良いのか知りたい場合は、パウルクレーは絶対観離せません。
しっかりパウル・クレーを見ていただきパウルクレーの芸術を美術館で見て何かを感じていただきたいと思います。
きっと人生のプラスになると思います。

愛知県美術館 パウル・クレー展
[会期] 2025年1月18日(土)- 3月16日(日)
[会場] 愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
[開館時間] 10:00-18:00、金曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
[休館日] 月曜日(2月24日 [月・振休] は開館)、2月25日(火)
[観覧料] 一般 1,800円(1,600円) 高校・大学生 1,200円(1,000円) 中学生以下無料 ※
( )内は前売券および20名以上の団体料金です。
【平日限定券】 一般シングル(1枚) 1,300円 一般ペア(2枚)2,400円 【クレー展×フォロン展 ダブルチケット】 一般3,000円
公式サイト:愛知県美術館公式HP
是非、ご家族やご友人と一緒に足を運んでみてくださいね では、素晴らしいアート体験!!
「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも一緒に住んでいるのだから。」
パウル・クレーのこの言葉は、1920年にクレーの作品を売り出した画廊の販売戦略に用いられて、孤独に瞑想する芸術家としての彼のイメージを広めました。
たしかにクレーの作品は謎めいているかもしれません。しかし、同じ時代を生きたほかの多くの前衛芸術家たちと同様に、クレーもまた、仲間たちと刺激を与え合ったり、夢を共有したりしながら、困難な時代を生き抜いたひとりの人間でした。
パウル・クレーは、人生の根源的な悲劇性と向き合いながら、線と色彩によって光を呼び起こし、抽象のなかに生命のエネルギーを描き出しました。
その作品は、歴史的な文脈のなかに置かれることで、また新たな姿を見せることでしょう。本展では、スイスのパウル・クレー・センターとの学術協力のもと、クレーと交流のあった芸術家の作品との比較や、当時の貴重な資料の参照を通じて、多くの人や情報が構成する星座=コンステレーションのなかでパウルクレーを捉え直し、その生涯にわたる創造の軌跡をたどります。

パウル・クレー 本人
「芸術は見えないものを見えるようにする」と主張していたクレーの作品は通常のキャンヴァスに油彩で描いたものはむしろ少なく、新聞紙、厚紙、布、ガーゼなどさまざまな支持体に油彩、水彩、テンペラ、糊絵具などさまざまな画材を用いて描いています。
クレーの絵画は音楽の影響を受けている!
1879年、スイスの首都・ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれた。父は音楽教師、母も音楽学校で声楽を学ぶという音楽一家であった。クレー自身も早くからヴァイオリンに親しみ、11歳でベルンのオーケストラに籍を置くなど、その腕はプロ級であり、1906年に結婚した妻もピアニストであった。クレーの音楽に対する深い理解はバッハやモーツァルトらの古典音楽からストラヴィンスキーやヒンデミットら現代音楽にまで幅広く及び、クレーの作品の画題にはポリフォニーやフーガといった音楽用語が用いられているものもある。
その一方で絵画への関心も既に幼少の頃から芽生えていた。また文学にも興味を持ち、創作に手を染めたこともあったが、迷った末にクレーは音楽や文学ではなく絵の道を選ぶことになる。ただ絵に専念することを決めた後も音楽や文学への関心は薄れることがなく、一日にヴァイオリンを何時間も演奏したり、また詩を作って日記に記したりもしている。18歳の頃から書き始めた日記は日々の出来事や創作した詩を書くだけのものに留まらず、クレーの絵画及び芸術に対する考えや方向性を鍛え上げていく場となった。
1898年、当時はパリと並ぶ芸術の都だったミュンヘンに出て、2年後に美術学校に入学し、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックの指導を受ける。なお、シュトゥックはカンディンスキーの恩師でもあった。ただ学校の画一的な教育はクレーにあわず、1年後の1901年には退学している。同年から翌年にかけてイタリアを旅行してルネサンスやバロックの絵画や建築を見て回り、特に建築の純粋さから多くを学んだ。
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出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
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2025年1月5日
織田信長文書の世界永青文庫珠玉の60通 北岡技芳堂の骨董品の買取りブログ
「織田信長文書の世界 永青文庫珠玉の60通」
2024年の10月4日に勉誠社から出た本です。
織田信長は、私が名古屋市の住んでいることから興味があるのと、子供の時から戦国時代が好きでした。
織田信長の直筆の手紙は3通しか発見されておりません。
なかなか信長の直筆の手紙は無いんですよね。
信長の手紙はほとんどが右筆書きです。
右筆(ゆうひつ)は、中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のことです。文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられました。
私は、なんでも鑑定団に出演されております、増田孝先生に文字を習っておりまして。下記の本を知りました。
信長の書は、アバンギャルドで同時代の戦国武将よりずば抜けて先進的だとおしゃっておりました。
私も、信長の書を拝見してそのように感じました。
ちょっと気の短さも書から感じ取れるとも増田先生がおしゃってました。
豊臣秀吉の書は、ちょっと子供っぽいようなあどけなさがあり、明智光秀は、真面目な役人のような書のように感じます。
書は人なり
「人間書道」と北大路魯山人は言いますが典型的に私もそのように思います。
下記にほんの紹介をします。
織田信長文書および関連文書から、一瞬の対応が迫られる波乱の時代の言葉遣いを読み解く。新たに発見された信長文書を初収録されてます。
60通の信長の手紙に加え、藤孝・光秀・秀吉などの文書も含めた全76点を反省掲載。
詳細な解説・翻刻・現代語訳なども付した決定版です。
織田信長が発給した貴重な文書を中心にまとめられた書籍です。
永青文庫は、日本の歴史的な文書や美術品を保存していることで知られる施設で、特に戦国時代や安土桃山時代の資料が豊富です。
細川護煕元首相の先祖は戦国武将の肥後熊本藩の細川幽斎ですから。そう言えば殿、殿と首相の時、言われてましたよね。
織田信長が書いた書状や命令書、外交文書など60点を厳選し、それらの内容や歴史的意義を紹介する本んです。
文書は、信長の政治的手腕、外交戦略、あるいは個人的な人間性を理解する手掛かりを与えてくれる貴重な資料です。

織田信長文書の世界 永青文庫珠玉の60通
戦略的文書: 同盟締結や敵対勢力への警告など。
外交関係: 朝廷や諸外国とのやり取りを示す文書。
内部統制: 家臣や領民への命令や政策に関する文書。
個人的な手紙: 信長の人間的な一面を垣間見ることができる内容。
これらの文書は、信長がどのように時代を切り開き、権力を築き上げたのかを具体的に示してくれるものです。
なかなか良い本だと思いましたのでご紹介しました。
皆様も、生の書体を拝見したりして、信長の人間性を感じてみてはいかがでしょうか。
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美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
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2025年1月4日
杉山寧の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ
御所蔵の杉山寧の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
杉山寧の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、杉山寧の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
杉山寧の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の杉山寧のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた杉山寧の作品を鑑定して買取りいたします。
絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の杉山寧の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

杉山寧 本人
杉山寧は、明治・大正・昭和を生きた著名な日本画家でした。杉山寧は東京美術学校在学中 から頭角を表し、画家としての輝かしい一歩を 踏み出したが、30歳代の約10年間は結核闘病に 潰え、終戦を迎えています。
さらに娘婿が三島由紀夫であったため、三島の自決はその後の杉山寧の生き方に少なからず影響を及ぼしたと考えられます。杉山寧の作品には生涯を通じて永遠なるも のへの希求が見られますが、同時に彼には「乾いたものへの希求」が併存していました。
芸術家が永遠なるものへの希求に自分の生涯を捧げることは、決して珍しいことではないが、「乾いたもの、 乾いた大地」への希求は杉山寧独特の精神構造が影響していると考えられます。
「永遠 なるもの」と「乾き」への希求の両側面が感じられます。
杉山寧は、日本画を通して探求し続けたのは、敗戦、結核闘病、三島由紀夫の自決による影響が考えられます。
1958年に杉山寧の長女、瑤子は、日本女子大英文科在学中に三島由紀夫と結婚しました。1960 年代前半から杉山寧は『林』『灼』『絡』などの抽象画を描き、1960 年代中盤から エジプト、ギリシャ、エトルリアを旅し、古代美への憧憬を『悠 』『穹 』『水』『羊 』などに表 現しました。

杉山寧 灼 抽象画
1966年に母のみちが亡くなり、1970年の三島自決前後から、杉山寧は『響』『生』『曈 』『季』 などの裸婦像や『気』『曜』などの鳥をモチー フとした日本画を描き、生命への賛歌を主題としました。 それは女手 1 つで育ててくれた母、三島由紀夫の荒ぶ る魂に対する鎮魂と若くして寡婦になった娘に対する憐憫と慈愛が込められていたのかも知れません。
1974年を最後に、杉山寧は作品を出品することはなくなり、主要な作品群でさえ 1987 年に回顧展が開催されるまで人目に触れることはありませんでした。
1980 年以降、カッパドキアを舞台に幻想的で深い静寂感に満ちた、時が止まっ たかのような作品群を生み出しました。抜群の描写力と緊密な構成力によって、洞窟に隠れ住み、 厳しい自然の中で信仰の証を刻み続けてきた古代キリスト教徒に対する共感の念を描出してい ます。
1980年代後半は敦煌や雲崗の石窟彫刻を描き、1986 年の中国旅行をもとに『歴』を描 いています。石仏の背景に描かれた紺碧の空は若 き日に『穹 』で描いたスフィンクスの背景の空と繋がっているのかも知れません。

杉山寧 穹
1993 年 10 月 20 日、杉山寧は誕生日の朝に 84 歳の生涯を閉じました。 杉山寧は日展評議員、日本芸術院会員とな り、1974 年には文化功労者となり、文化勲章を叙勲されましたが、芸術家としての栄達を極めた 1974 年以降、表舞台から再び身を引き、出展期日の時間枠に縛られることのない、杉山寧自身の時間枠の中で創作活動を意欲的に続ける晩年を過ごしたことは非常に興味深いです。
杉山寧の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.杉山寧の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.杉山寧の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.杉山寧の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.杉山寧の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。
杉山寧 略歴
明治42(1909)年10月20日、紙や文具類を売る店を営んでいた杉山卯吉、みちの長男として東京浅草に生まれる。東京府立第三中学校を卒業しました。
昭和3年
1928年に東京美術学校日本画科に入学します。
昭和6年
第12回帝展に「水辺」を初出品して入選する。翌年の第13回帝展にも「磯」が入選し、特選となります。
昭和8年
同校を首席で卒業、在学中に師事した松岡映丘が主宰する研究会「木之華社」の例会に時折出席するようになる。翌年、第14回帝展に出品した「海女」が再び特選となります。この作品は、卓抜した描写力と構成力とともに、清新な感覚で描かれた作品であり、戦前期の画風の特色をよくつたえています。またこの年、松岡映丘門下の有志とともに「瑠爽画社」を結成、翌年同人とともに銀座資生堂ギャラリーにおいて第1回展を開催します。
昭和13年
第3回展までつづく。同17年、中国大陸を旅行、ことに雲岡石窟寺院では、約半月にわたり石仏の写生に励みました。
昭和21年
文部省主催日本美術展覧会(日展)が発足し、出品を委嘱されたが応じませんでした。
昭和26年
第7回日展に戦後初めての大作であり、ギリシャ神話に取材した「エウロペ」を出品します。以後、日展には、同組織が社団法人となった昭和33年から会員として、昭和49年まで出品をつづけ、その間評議員、常務理事、また審査員などをつとめました。
昭和51年
日展を退会、しかし請われて顧問に就任しました。
昭和26年
東京美術学校出身の橋本明治、山本丘人、東山魁夷等とともに、画会「未更会」(兼素洞主催)の発足にあたり、会員として加わったのをはじめ、多くの画会に参加、そのつど新作を発表した。また、雑誌「文藝春秋」の表紙絵原画を昭和31年4月から昭和57年6月号まで毎号制作します。
昭和32年
第12回日展出品の「孔雀」(東京国立近代美術館蔵)に対して、第13回日本芸術院賞を送られます。この作品は、緊張感のある画面構成ながら、新鮮な華やかさをもった作品で、中期の代表作となりました。
昭和36年
沖縄旅行、翌年のエジプト、ヨーロッパ旅行を契機に、それまでの平明な自然描写にかわって、重厚なマチエールによって自然を抽象化する傾向を強め、また「穹」(昭和39年、東京国立近代美術館蔵)に代表されるように、エジプトの古代遺跡を題材に象徴的な画面づくりに向かっていきました。
昭和48年
夢幻的な空間の中に裸婦、鳥、動物を配した作品へと展開していきました。
昭和53年、昭和56年に中近東に旅行し、トルコのカッパドキアの遺跡や風物など、その折の取材をもとにした作品が生まれました。
昭和49年
文化勲章を受け、また文化功労者として顕彰されました。
昭和57年
11月から昭和61年6月まで、日本芸術院の第一部長をつとめました。
昭和62年
8月には、東京国立近代美術館において、本画、素描等総点数123点からなる本格的な回顧展として「杉山寧展」が開催され、同年10月にも富山県近代美術館において回顧展が開催されました。
平成4年
1993年には、東京美術倶楽部において「杉山寧の世界」展が開催された。(同氏の年譜及び出品歴については、上記の展覧会図録に詳しい。
平成5年
1993年、日本芸術院会員で、文化勲章受章者の日本画家杉山寧は10月20日午前0時5分、心不全のため東京都文京区の東京日立病院で死去した。享年84。

杉山寧 水
杉山寧は1962年(昭和37年)にエジプトを旅行し、翌年の日展にはエジプトをモティーフとした作品を多く出品しました。
こちらの作品、「水」は、その旅行から3年後に制作さレました。第8回日展に出品作品。
横2メートルにもおよぶ画面は、全体が砂漠の国エジプトを思わせるザラザラとした絵肌で仕上げられており、杉山寧はこの特殊な質感を実現するために、伝統的な日本画で用いる絹本や紙ではなく、洋画に用いるカンヴァスを支持体に選択しました。水瓶を頭にのせた黒衣の女性の後ろを流れる青い背景はナイル川でしょう。エジプトの取材の中で見出したものは、巨大なピラミッドやスフィンクスだけではなく、日常を生きる人間の姿も描きました。
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杉山寧 査定価格におけるポイント
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300万円から500万円ぐらいの買取相場です。版画は3万から6万が相場です。
保存状態
シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
杉山寧の作品は晩年の作品が評価されます。
初期の作品は掛軸の事もあります、比較的安値の傾向です。
杉山寧展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
杉山寧先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ杉山寧の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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