2025年9月18日

張大千(ちょうだいせん)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の中国人作家 張大千(ちょうだいせん)の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

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張大千の掛軸をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の張大千のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた張大千の作品を鑑定して買取りいたします。

 

美術品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の張大千の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

張大千(ちょう だいせん、Zhang Daqian/1899–1983)は、中国近代絵画史において最も国際的に名を知られた画家のひとりであり、20世紀中国美術の巨匠と評されています。

 

四川省内江に生まれた張大千は、若くして書画の才能を発揮し、伝統的な文人画の継承と革新の両面で活躍しました。初期は古画の臨模に力を注ぎ、宋・元・明・清の名作を徹底的に研究・模写することで筆法や構図を身につけました。その力量は非常に高く、ときには専門家でさえも見分けが難しいほどの精緻な模写を描いたといわれています。

 

 

張大千 本人

張大千 本人

 

やがて張大千は、自らの独自の画風を切り開きます。特に山水画においては、伝統的な筆墨法を基盤にしつつも、大胆な色彩と構図を取り入れることで新境地を開きました。1940年代以降は世界各地を旅し、特に敦煌莫高窟に滞在して壁画の臨写を行った経験は、その後の作品に大きな影響を与えました。敦煌の古代壁画の鮮やかな色彩感覚や装飾性は、彼の画業に新たな広がりをもたらしたといえます。

 

1950年代以降は台湾や南米に居を移し、最終的にはアメリカ・カリフォルニアに定住しました。国外で活動する中で、西洋の抽象表現や色彩感覚をも吸収し、伝統的な山水画に大胆な潑墨潑彩(はつぼくはっさい)の技法を用いた作品を多数制作しました。墨を流し、彩色をにじませるようにして生まれる壮大で幻想的な山水は、伝統の延長にありながら現代的な感覚を備えており、国際的にも高い評価を得ました。

 

 

張大千 喬木芳暉

張大千 喬木芳暉

 

張大千はまた、その人物像や生き方そのものも注目されました。豪放磊落な性格で知られ、世界各地で個展を開き、ピカソとも交流を持つなど国際的な文化交流に積極的に関わりました。晩年まで旺盛な制作活動を続け、1983年に台北で没します。

 

彼の画業は、伝統と革新の両立、そして中国絵画を世界に広めた功績において、20世紀最大の巨匠のひとりとして今日も評価されています。

 

張大千(ちょうだいせん)の作品をお持ちの方へ。北岡技芳堂では、張大千による山水画・花鳥画・人物画など幅広い作品を丁寧に査定し、適正に評価して買取しております。

 

張大千(1899–1983)は、20世紀中国美術を代表する巨匠であり、国際的にも高い評価を受けた画家です。若い頃は古画の模写に傾倒し、宋・元・明・清の名作を徹底的に研究しました。その力量は専門家をも欺くほど精緻であり、やがてその技術を基盤に独自の画風を築き上げました。敦煌莫高窟での壁画臨写を経て、伝統的な筆墨に鮮やかな色彩感覚を融合させ、潑墨潑彩による豪放な山水画は彼の代名詞となりました。晩年は台湾やアメリカを拠点に活動し、ピカソとの交流など国際的な舞台でも存在感を示しました。

 

張大千 溪山碧翠

張大千 溪山碧翠

 

張大千の作品は、伝統と革新を兼ね備えた独自性に加え、国際的な評価の高さから美術市場でも安定した需要があります。作品のジャンルや制作年代、画面の保存状態、落款や印章の種類、来歴や展覧会出品歴などにより評価額は大きく変わります。北岡技芳堂では、豊富な経験と知識をもとに丁寧な真贋確認と査定を行い、お客様にご納得いただける形での買取を心がけております。

 

掛軸や絹本、紙本に描かれた作品、大幅な山水画から小品まで幅広く対応可能です。査定は無料で承っており、名古屋市内はもちろん、全国への出張買取も行っております。

 

張大千の作品をご売却の際は、ぜひ北岡技芳堂にお任せください。大切なお品を一つひとつ丁寧に拝見し、その真価を適正に評価させていただきます。

 

 

張大千 略歴

 

1899年

四川省内江に生まれる。本名は張正權、後に張爰と改名

 

1917年

上海に出て画を学び、伝統的な筆墨法を徹底的に修得する

 

1920年代

古画の模写や研究に打ち込み、宋・元・明・清の名画を臨写し、その技量は専門家をも欺くほどと称される

 

1930年代

花鳥画・人物画を中心に活動。国内外で作品が注目され始める

 

1941年

敦煌莫高窟に滞在し、壁画の大規模な臨写を行う。この経験がその後の色彩感覚や装飾性に大きな影響を与える

 

1949年

中華人民共和国成立後、海外に移住。香港やインドを経て南米アルゼンチン、ブラジルに滞在する

 

1950年代

台湾に拠点を移し、さらにアメリカ・ヨーロッパ各地でも活動。国際的に名声を高める

 

1960年代

潑墨潑彩の技法を発展させ、大胆な色彩と抽象性を備えた山水画を数多く制作

 

1970年代

アメリカ・カリフォルニア州に定住。ピカソとも交流を持ち、国際画壇で存在感を示す

 

1983年

台北にて逝去(享年84歳)

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年9月17日

張善孖(ちょうぜんし)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の中国人作家 張善子(ちょうぜんし)の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

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張善孖の掛軸をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の張善子のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた張善孖の作品を鑑定して買取りいたします。

 

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張善子(ちょう ぜんし、Chang Shan-mai/1875年-1949年)は、中国近代を代表する動物画家で、特に虎の絵で名を馳せた人物です。字は慈白、号は虎痴。四川省自貢の出身で、兄は「中国画壇の革命児」と呼ばれた張大千(ちょうたいせん)です。

 

 

 

張善孖 本人

張善孖/張善子 本人

 

生涯と活動

張善孖/張善子は幼い頃から動物を好み、特に虎に強い関心を寄せました。生涯を通じて虎を描き続け、その写実性と生命感あふれる表現によって「虎画の大家」と称されました。兄の張大千が人物画や山水画で革新を進めたのに対し、張善孖は虎を中心とする動物画の分野を切り開いた存在です。

 

清末から民国期にかけて活躍し、上海を拠点に画家としての名声を確立しました。その作風は写実に基づきながらも迫力ある筆致を特徴とし、野生動物の力強さを画面に表現することに成功しました。虎の筋肉や毛並み、眼光の鋭さなどを的確に描き出し、観る者に強い印象を与えます。

 

 

張善子 翠澗嘯虎

張善子 翠澗嘯虎

 

 

作風と評価

張善孖の虎画は、単に形態を写すだけでなく、その霊性や威厳までも描き込んでいる点に特徴があります。作品には西洋画的な写実表現を部分的に取り入れつつも、中国画の伝統的な筆墨の魅力を活かしており、古典と近代的感覚が融合しています。

 

彼の虎画は中国国内のみならず、海外でも高く評価されました。特に清末民初期には「虎といえば張善孖」と言われるほどの名声を得ており、その影響は後の動物画家にも及びました。

 

総評

張善孖は、一生を通じて虎を描き続けた稀有な画家であり、中国近代美術における動物画の頂点を築いた人物といえます。兄・張大千と並んで、20世紀前半の中国美術史に確かな足跡を残しました。

 

張善孖(ちょうぜんし)の作品をお持ちの方へ。北岡技芳堂では、張善孖による書画作品を誠実に鑑定し、適正な価格で買取しております。

 

張善孖(1875年-1949年)は、中国近代を代表する動物画家で、特に虎の絵において高い評価を受けた画家です。生涯を通じて虎を描き続け、その写実的な筆致と生命感あふれる表現によって「虎画の大家」と称されました。

 

筋肉の張り、毛並みの質感、眼光の鋭さなどを的確に表現し、単なる写生を超えて霊性や威厳までも描き出しています。

 

その迫力ある画風は当時から人気を集め、中国国内はもちろん、海外でも「虎といえば張善孖」と呼ばれるほどの名声を得ました。

 

兄である張大千が人物画や山水画で革新を進めたのに対し、張善孖は動物画、特に虎の表現で独自の世界を築いた点に大きな特徴があります。

 

当店では、張善孖作品の落款や印章、制作年代、紙や絹本の状態、保存環境、さらには来歴や展覧会出品歴、図録掲載の有無といった要素を総合的に検証し、長年の経験をもとに正しく評価いたします。

 

査定は無料で承っており、名古屋市内はもちろん、全国各地への出張買取も可能です。掛軸や額装作品、大幅な絵画まで幅広く対応しておりますので、安心してご相談いただけます。

 

張善孖の作品をご売却の際は、ぜひ北岡技芳堂にお任せください。大切なお品を丁寧に拝見し、その真価に見合った評価をご提示いたします。

 

 

張善孖/張善子 略歴

1875年
四川省自貢に生まれる。字は慈白、号は虎痴

 

1890年代
幼少より絵を学び、とりわけ虎の描写に強い関心を寄せる

 

1900年代
上海を拠点に活動を開始し、虎の画家として次第に名声を得る

 

1910年代
虎を中心とした動物画で独自の地位を確立し、「虎画の大家」と称される

 

1920年代
写実的で迫力ある虎の作品が国内外で高く評価される
兄・張大千との交流も深めながら、それぞれ異なる分野で画壇に影響を与える

 

1930年代
上海や各地で作品を発表し、盛名を博す
西洋画の写実的表現を取り入れつつ、中国画の伝統を融合させる

 

1940年代
晩年を迎えるが、なお精力的に創作を続ける

 

1949年
逝去(享年74歳)

 

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2025年9月16日

下重ななみ展 「水庭の遊魚たち」 もうすぐ始まります。絵画買取ブログ

下重ななみ展





水庭の遊魚たち

 

 

水庭の游魚たちへ 10号円形 2025年

 

9月24日(水)〜9月30日(火)





18:00 ─ 10:00





会期中無休





最終日は16:00まで



静謐なまなざしの奥に、ふとした揺らぎを感じさせる美人画——

下重ななみの作品は、ただ「美しい」だけでは語り尽くせぬ奥行きを持っています。三十歳前後という若さでありながら、その筆致には驚くほどの深みと確かさがあり、鑑賞者の心に静かに染み込んでゆきます。

 

彼女の絵に描かれる女性たちは、いずれも夢と現(うつつ)のあわいに佇むような、どこか浮世離れした佇まいを持ちながら、それでいて見る者の記憶のどこかにそっと触れてくるような、やわらかな存在感を放っています。その表現には、単なる写実を超えた詩情が宿り、絵の具の重ねや余白の取り方ひとつにも、画家の造形感覚と繊細な美意識が息づいています。

 

とくに、和紙に広がる絵の具のにじみやぼかしの美しさは格別で、それらは偶然と計算のあわいにある「間(ま)」を自在に操る彼女の技術と感性の賜物といえるでしょう。伝統的な日本画の技法を丁寧に受け継ぎながらも、どこか現代的な気配が漂うその画風は、世代や国境を超えて多くの人々を惹きつけてやみません。

 

今回の個展では、下重ななみのこれまでの歩みと、今まさに芽吹こうとしている新たな表現の兆しを一堂にご覧いただけます。時間がゆっくりと流れるような空間の中で、静かに佇む美のかたちに、ぜひ心をゆだねてみてください。

 

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北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

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2025年9月16日

時代も国境も超える、山口長男の静かな抽象画

抽象芸術に「難しい」という印象をお持ちの方は、意外と多いのではないでしょうか。しかし抽象芸術の奥には、見たことも感じたこともない新しいアートの世界が無限に広がっています。「自分には縁がない」と敬遠してしまうのは実にもったいないことです。そこでこの記事では日本の抽象絵画の第一人者である山口長男(1902〜1983)を紹介しながら、抽象芸術の楽しみ方と、高額で取引される理由についてご案内していきます。ご興味のある方は、ぜひご一読ください。

 

■「わけのわからない絵」が目指す世界

確かに、抽象画の始祖であるカンディンスキー(1866〜1944)の抽象画をみると、一見子どもが描いた絵のようで、何が何やらさっぱりわかりません。ワーグナーの無調的な音楽に感動した彼は「音楽が人の感情を揺さぶるのと同じことを絵画でもやりたい」と考え、どうにかして自らの心のありようをカンバスに描こうと試みます。その結果、何の絵かわからない=具体的な対象がない絵画がこの世に生まれたのです。

これは大事件でした。何しろそれまでの絵画には「現実にあるものをモチーフにする」という無自覚の縛りがあったのに対し、カンディンスキーの絵にはその制約がなかったのです。前衛的と呼べる絵画制作は19世紀の印象派に始まり、ゴッホやセザンヌ、そしてピカソのキュビズムなどへとつながっていきました。しかし、どれだけ対象の解体・変形・再構築を図っても具象の表現には限界があるのではないか、ピカソらがそんな行き詰まりを感じていたところに、カンディンスキーが限界突破の糸口となるブレイクスルーを起こしたわけです。

今でこそこうした「何が描いてあるかわからない絵こそアート」という風潮がありますが、カンディンスキーが登場する以前には一切ありませんでした。世界中の美術館にも画廊にもそんな絵画は一枚もなかったのです。抽象表現という新しい自由を手に入れた当時の芸術家たちの興奮が、これだけでもなんとなく伝わるのではないでしょうか。

 

■孤独なパイオニアの再評価

日本でも戦前から抽象芸術家がいるにはいたのですが、完全に異端扱いされ、まともな評価を得ることはありませんでした。戦後になりようやく「具体美術協会」や「もの派」などの前衛芸術運動が活発になっていくのですが、この中で日本における抽象絵画の先駆者として知られているのが山口長男です。

東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業した山口は、1927年に渡仏。ピカソやジョルジュ・ブラックらからの影響を受けましたが、とりわけオシップ・ザッキンの前衛的な立体作品に衝撃を受けます。ザッキンのアトリエに出入りしながら立体的な造形について学び、「これまでのことはすべて忘れて一からやり直そう」と、1937年に帰国してからは具体美術協会の吉原治良や、前衛女性画家の桂ゆきと親交を温めながら、抽象表現の実験に取り組みます。山口の作品は対象を完全に排除した純粋抽象で知られ、シンプルな色と形、絵の具の質感のみで構成されています。当時、周囲のアーティストらが感情の爆発を描く傍らで、ひとり山口は「静かな均衡の美」の表現を目指しました。戦前の日本の美術界では「奇妙なもの」「役に立たない芸術」と理解も評価もされませんでしたが、戦後の米国の抽象画家ジャクソン・ポロック(1912〜1956)らの活躍により、西洋のモダニズム美術が一気に流入。「抽象こそが国際的アートの最前線」という価値観が広がる中で、山口の欧米作家にはない日本的な間、余白、抑制されたリズムが改めて評価されます。その後1960年代にはニューヨークのグッゲンハイム美術館や近代美術館(MoMA)に所蔵されるなど、いち早く世界から注目を集める作家となりました。

 

■抽象画の人気が高まっている理由

具象画の鑑賞が「何をどう表現しているか」を楽しむのに対し、抽象画は「どのようにみるか、何を感じるか」を楽しむという違いがあります。そもそも何が描いてあるのかわからないのですから、制作当時の時代背景や文化などを考慮する必要はありません。時代や国境を越えて、作品そのものを純粋に味わうことができる。その「普遍性」は抽象芸術がもつ魅力の一つだといえるでしょう。山口長男も同様です。彼の作品を見てみるとわかりますが、おそらく当時も今も変わらないモダンさと静けさ、今にも動き出しそうな厚塗りの質感に目と心を奪われるはずです。そして100年後に見る人も、私たちと同じ感想を抱くのではないでしょうか。

一方、制作の背景を知ることで、また別の楽しみ方もできます。山口長男が活動した1950〜1960年代の日本を知れば知るほど、「よくもあの時代に、こんな作品を生み出せたな」という先進性に驚愕せざるを得ません。特に日本人は抽象に対する理解度が低いことで知られています。周囲からの評価が得られない逆風の中、世に送り出された奇跡を思うと、やはり特別な価値がある作品であることを痛感します。

世界的な現代アートへの関心の高まりを受け、山口が現代美術史に与えた影響の大きさが近年再評価されています。2017年に香港で開催されたサザビーズのオークションでは、数百万円〜数千万円の高額で取引されました。あれから8年が経ち現在はさらに値上がりしているものと見られます。お手元に作品をお持ちの方、査定だけでも受けてみたい方がいらっしゃれば、ぜひ当ギャラリーにご相談ください。

 

弊社画廊展示風景 山口長男《叉》1965年 oil on plywood

山口長男の作品につきましては、よろしければこちらもご覧ください。

https://gihodo.jp/19703/
https://youtube.com/shorts/9txYtQlFU68?si=HLHN9n7a0QELpvA8

 

■山口長男の作品もそれ以外も 骨董・アートの高価買取は北岡技芳堂へ

北岡技芳堂では骨董品の他にも絵画や茶道具、貴金属、趣味のコレクションなど、さまざまなジャンルの品物を買受しております。ここ名古屋の地で長年にわたり取引を重ねてきた実績をベースに、多種多様なニーズに対応できる販売チャネルをもつため、あらゆる骨董品の高価買取を実現しています。

ご実家の片付けや相続などの際、手持ちの骨董品について「どうしたら良いか分からない」という方も多くいらっしゃると思います。どのような品物でも、どのようなことでも構いません。私たち北岡技芳堂にお任せください。出張買取も実施しています。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせください。

 

 

記事監修:北岡淳(北岡技芳堂 代表)

初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた

 

2025年9月15日

李朝陶磁の作品を買取致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

李朝陶磁の魅力

 

李朝陶磁の世界はきわめて幅が広く、多彩な要素と性格を併せ持っています。その理由のひとつは、李朝という王朝の長さにあります。1392年に建国され、1910年まで約五百年余り続いた李朝は、その間に大きな政治的・社会的変化を経験し、それに応じて陶磁器も姿を変えていきました。李朝陶磁史の時代区分については、浅川伯教や奥平武彦らの説、戦後の鄭良謨の説など複数ありますが、決定的な統一見解は存在せず、ここでは便宜的に世紀ごとに三期に分けて考えてみましょう。

 

15世紀から16世紀にかけては、日本で「三島」と呼ばれた粉青沙器が全盛を誇り、同時に白磁が完成し、白磁青花が誕生した時期でした。17世紀になると、やや粗質な白磁である「堅手」と、そこに鉄砂で加飾した器が盛んに作られるようになります。さらに18世紀から19世紀には、広州の金沙里や分院里に官窯が定着し、大規模かつ安定した生産が行われるようになりました。こうした流れは、李朝陶磁が単なる継承ではなく、時代ごとに大きな変化を遂げてきたことを物語っています。

 

李朝陶磁はまた、中国陶磁からの影響を色濃く受けながらも、やがてそこから脱却し独自の様式を確立しました。高麗青磁を受け継いだ粉青沙器は、技法的には似ていても造形や意匠においてまったく新しいものへと展開しました。白化粧による装飾が生まれ、器形は流麗な瓶子形から安定感のある壺形へと変化。文様も、繊細で情緒的な雲鶴文や蒲柳水禽文から、現世的で実用的な十長生文や「寿福康寧」といった文字文様へと移り変わります。高麗陶磁の「優美・精緻・繊細」という特質から、李朝陶磁は「頑健・素朴・大らか」な美へと転じていったのです。

 

 

李朝鉄砂虎鷺文壺 17世紀後半

李朝鉄砂虎鷺文壺 17世紀後半

 

その作風の変化を見ていくと、李朝陶磁には常に相反する性格が現れてきたことがわかります。精細と粗放、整斉と歪、平滑と荒削り、均整とまだら、規則的と不規則的、純と不純。これらの対立する特徴が時代ごとに交互に現れるのです。磁器の歴史を例にとれば、15〜16世紀が「正」、17世紀が「反」、18〜19世紀が「合」といった弁証法的な展開を見せています。

 

多様性を形づくる要因は、時代だけではありません。李朝時代には多くの地方窯があり、やがて広州の官窯へ統合されましたが、地方窯と中央官窯の違いが作品の幅を生み出しました。さらに用途も大きな要因です。李朝陶磁はもともと国王への貢物を中心とする官需用が主であり、その頂点には御器がありました。祭器も多く作られましたが、17世紀以降は民需用が増え、18世紀後半にはむしろ民需用の方が質的に優れた作品を生み出すようになります。官需と民需の力関係の変化は、そのまま造形や質の変化として表れました。

 

このような多様性の中にあっても、李朝陶磁には共通する美意識があります。それは「非完成主義」とでも言うべき態度です。材質は純度の高い精選されたものではなく、不純な土を用いながらも、それを生かしきる技術がありました。成形も最後の削りをあえて粗く残し、釉薬も均一にはかけず、釉だまりや不規則な表情を残しました。その結果、自然で素朴な味わいが生まれ、完璧さを避けることに美の理想を見出したのです。この傾向は特に17世紀の作品に典型的に見られます。

 

欠点が欠点とされず、むしろ魅力として受け入れられるのも李朝陶磁の大きな特徴です。石はぜ、釉はげ、しみ、ゆがみ、へたり、窯変、生やけなど、通常であれば瑕疵とされるものが、李朝陶磁では自然な表情として美を深めています。中国の青磁や日本の柿右衛門、鍋島焼といった完成度を追求したやきものであれば許されない欠陥が、李朝ではむしろ「味わい」として評価されるのです。

 

この独自の美意識を理解するために、多くの研究者や思想家が言葉を残しています。高裕燮は「無技巧の技巧」「無計画の計画」と評し、金元竜は「徹底した平凡さこそ李朝陶磁の特色であり、それは自然らしさにほかならない」と述べました。英国の学者ゴンパーツは「形を越えた形」「均整を越えた均整」と形容しました。そして、李朝陶磁の美を日本に紹介した柳宗悦は「李朝の器というものは生まれ出たものである。作られたものではない」という名言を残しています。これらの言葉はいずれも、李朝陶磁が意図して完璧に作り込まれたものではなく、自然に生まれたかのような魅力を備えていることを示しています。

 

李朝陶磁の魅力を総じて言えば、それは「清貧の美」と表現できるでしょう。儒教的な精神を背景に、制作する側も受容する側も、飾らず、求めすぎず、自然な姿を尊んだのです。そこには文人画に通じる精神も感じられます。技巧を誇示せず、装飾を避け、むしろ素朴な中に美を見出す態度。高度な技術を持ちながらも、心は常にアマチュア的で新鮮であること。まさに「偉大なアマチュアリズム」が李朝陶磁を支えていたのです。

 

こうして見ると、李朝陶磁は多様でありながら一貫した精神を宿し、完成と非完成、精緻と素朴、官需と民需といった矛盾をすべて抱え込みながらも、そこに独自の美を生み出しました。その魅力は今なお色あせることなく、東アジア陶磁史の中でも特別な位置を占め続けています。

 

 

李朝白磁 月壺

サザビーズのオークションで、360万ドル(約5億3000万円)の値が付いた朝鮮王朝時代の月壺

 

 

李朝白磁・月壺(満月壷)の魅力

李氏朝鮮時代の中期に生み出された名品「月壺(満月壷/タルハンアリ)」は、提灯壺とも呼ばれ、その独特な姿と美意識によって韓国陶磁の象徴とも言える存在です。李朝時代は儒教思想が社会の根幹をなしており、工芸においてもその精神は色濃く反映されました。豪華な装飾を排し、清らかな白磁の美そのものを際立たせるところに、儒教的な質素と節度の美意識があらわれています。

 

月壺の最大の特徴は、その柔らかな丸みと大らかな存在感にあります。大きな胴部が満月のように膨らみ、静けさと迫力を同時に感じさせます。その形は単なる実用の器を超え、自然や宇宙の象徴を思わせるものです。名称の「月壺」は、20世紀の韓国を代表する抽象画家・金煥基(キム・ファンキ)が、その形を満月に見立てて呼んだことから広まりました。こうした大壺は17世紀に多く作られたとされ、李朝陶磁の成熟を示す代表的な作例です。

 

その白の色調もまた、月壺を特別なものにしています。純白一色ではなく、乳白色・雪白色・灰白色・青白色と多彩で、同じ白磁であっても一つとして同じ色合いは存在しません。ひとつの壺の中にすら複数の白のグラデーションが宿り、光や時間の経過によってその表情を変え続けます。時には酸化や不完全燃焼による黄斑、あるいは使用による染みや変色が見られますが、それもまた月壺独自の趣として受け入れられています。

 

装飾のない大壺というものは、世界の陶磁史においてもきわめて稀です。白一色の大きな球体は、ある種の「空白」とも言うべき存在であり、そこに人間の根源的な欲求を呼び起こします。もし表面に絵付けや文様が加えられれば、それはもはや「月壺」とは呼べません。無装飾のままに成立するこの大壺は、節制と匿名性の極致であり、欲望や自己主張を超えた無作為の説得力を湛えているのです。

 

李朝白磁の月壺が放つ静謐な美は、人々の内面に思索を促し、時代を超えてインスピレーションを与えてきました。厳粛でありながらも柔和、質素でありながらも雄大。この相反する性格を一つの器の中に宿した存在は、まさに李朝人の美意識を体現しています。

 

その姿を評して、日本の思想家・柳宗悦は「李朝の器は作られたものではなく、生まれ出たものである」と述べました。人の意図や技巧を超えて、自然そのものが形をとったかのように見える。月壺は、まさにその言葉にふさわしい存在といえるでしょう。

 

記事監修:北岡淳(北岡技芳堂 代表)

初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

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北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

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