2025年1月11日

吉向十三軒の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の吉向十三軒の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

吉向十三軒の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、吉向十三軒の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

吉向十三軒の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の吉向十三軒のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた和太守卑良正博の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の吉向十三軒の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

八代吉向十三軒 坐忘斎箱 黒茶碗

 

江戸時代の大坂の焼物には生産と作家活動共に見るべきものがない中で、初代吉向治兵衛の存在は特筆すべきである。その活動は大洲藩の御庭焼を初め、全国6カ藩に窯を築くなど広範囲に及びます。現在は、八代吉向十三軒窯と九世吉向松月窯の二家に別れて、各々活発に作家活動を行い大阪の文化活動の一翼を担っています。

 

 

陶芸家初代吉向治兵衛は、通称亀次、元の名を戸田治兵衛といいます。号は十三軒、俳名は松月、法名は行阿です。(ぎょうあ)伊予国大洲上灘村(現在の愛媛県大洲市)で生まれて、父戸田源兵衛の姉婿に砥部(とべ)焼の土器職人帯屋武兵衛がいました。

 

陶芸家吉向治兵衛の源流である砥部焼は、大洲藩9代藩主加藤泰候(やすとき)の肝いりで完成した白地に藍色の模様を施した磁器です。治兵衛は砥部焼の技法を身につけた後、享和年間(1801年~1804年)、修業の旅に出て京都へ入り、楽吉左衛門の9代了入の指導を受けます。

 

現代の吉向窯にも楽の伝統が引き継がれており、さらに初代清水六兵衛、初代高橋道八、浅井周斎などの京焼の名手に指導を受けています。元大坂の豪商で南山焼の創始者浅井周斎からは、独立して窯を開く許可を受けました。

 

文化元年(1804年)、吉向治兵衛は人目に付きやすいところを求めて、祇園の元芸者であった妻のさとの実家があり、当時交通の要衝であった大坂の十三の渡しの近くに窯場を設けました。

 

二十歳のときです。初めのうちは、旅人相手の土産品を売っていましたが、基盤ができると砥部から良質の土を取り寄せ、茶碗などの日用品から置物、飾り物と徐々に本格的な焼き物を製作していきます。

 

これに自分の幼名「亀次」にちなんで、「亀甲焼」と命名したのが人気を博し、長寿の象徴で縁起が良いと往来する参勤交代の大名の目に留まるようになっていきます。

 

 

八代吉向十三軒造 飴釉鯉桶 水指用ヲ菓子鉢

八代吉向十三軒造 飴釉鯉桶 水指 菓子鉢

 

 

十三村にて開窯していた時代(1817年、33歳)、愛顧を受けた代官の岸本武太夫の紹介で、当時の寺社奉行水野忠邦(後の大坂城代)の依頼により、十一代将軍徳川家斉の慶事に当たり金魚鉢と鶴と亀の食籠と蓋物の菓子鉢を製作し、上納しました。

 

徳川家斉はこれをいたく気に入り、面目をほどこした水野忠邦は吉向治兵衛に対し、亀甲に因んで「吉向」の窯号と金印・銀印を与えました。吉向を紹介した岸本武大夫も面目をほどこし、祝意を表して当時著名な歌人で能書家の加茂季鷹に「吉向」の二大文字の揮毫を委嘱し贈っています。現在、その書は八代吉向十三軒により所蔵されていますので文政2年(1819年)37歳頃から吉向姓を名乗るようになりました。

 

陶名が大いに上がった吉向治兵衛は、文政2年(1819年)出身地の大洲藩主加藤泰済の御庭焼を興し、同10年(1827年)大和小泉城主八世片桐貞信に招かれて、瓢形「十三軒」印を拝領しました。(瓢箪は初代石州流の祖片桐貞昌の号浮瓢軒に由来します)。これより「吉向十三軒」を名乗りました。

 

また、天保10年(1839年)、片桐貞信の参勤交代に随行し、江戸屋敷で窯を築きます。これに先立つ天保5年(1834年)、石州流の流れをくむ岩国藩主吉川経禮に招聘され、藩窯の多田焼を再興しました。

 

弘化2年(1845年)信濃須坂藩主堀直格の招きで須坂に入り窯を築きます。江戸で還暦を迎え行阿と号しました。松代藩、津山藩、江戸屋敷等の御庭焼も務めます。

 

作品は、楽焼に始まり交趾や染付等があります。鶴亀等の彫塑的な陶芸作品にも妙技を発揮しました。鶴と亀の食籠は初代吉向治兵衛の代表作として残っています。

 

その後治兵衛は江戸に定住する決意をし、「隅田川焼」と称する焼き物を始めるが、間もなく文久元年(1861年)に死亡しました。墓所は本誓寺(東京都江東区)。没年は満77歳であるが、生年を天明3年(1783年)とする説がありこれによると満78歳となります。

 

初代吉向治兵衛には子供いない為、父の姉の夫帯屋武兵衛の子亀治(従弟)を養子にして二代目を継ぎ、さらに姉の子(甥)の與右衛門も養子にして三代を継がせて大坂の窯を任せました。

 

 

 

八代吉向十三軒作 饒釉茶入

八代吉向十三軒作 饒釉茶入

 

江戸では旗本の次男吉向一郎を養子にして、江戸二代としました。四代治平は二代亀治の子供で、治平には長男萬三郎と実蔵の二子あり、萬三郎が松月を、実蔵が十三軒を名乗り、今日の二窯につながります。

 

吉向十三軒家では、江戸二代の吉向一郎を四代とし、先述の四代治平を五代と数える。かくて五代治平〔明治24年(1891)没〕の次男実蔵を六代吉向十三軒とする。七代治一郎は実蔵の三男で、当代は治一郎の四男了一氏で、八代吉向十三軒である。

 

現在、当代は東大阪市布市町に窯と会館を構えます。登り窯築窯のため伊賀市丸柱にも陶房を設立して、茶室も整えて初代以下各代の作品を中心に資料館の設立準備もしています。

 

作風は交趾、楽焼に加え、青磁、黄瀬戸、御本手、焼〆等の様々な技法に挑戦し、裏千家今日庵出入方として毎年各地で作品展を精力的に開催しています。長男翔平氏も九代目を目指しています。

 

 

 

吉向十三軒の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.吉向十三軒の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.吉向十三軒の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.吉向十三軒の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.吉向十三軒の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

吉向十三軒の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.吉向十三軒の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます

 

 

 

吉向十三軒 査定価格におけるポイント

 

吉向十三軒の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

吉向十三軒先生の作品は茶道具に高値の査定価格がつきます。

 

2万円から7万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗は使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

吉向十三軒の作品黒茶碗の作品が評価されます。

 

吉向十三軒展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

吉向十三軒先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ吉向十三軒の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年1月10日

和太守卑良の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の和太守卑良の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

和太守卑良の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、和太守卑良の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

和太守卑良の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の和太守卑良のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた和太守卑良正博の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の和太守卑良の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

和太守卑良 芒雲花文器

和太守卑良 芒雲花文器

 

和太守卑良は作陶に使った模様だけで「杉文」「彡文」「雲花文」「云花文」「鳥文」「飛鳥文」「砂瓷」「風草文」「連蕾文」「函文」「踊文」「蝉文」「千文」「繋千文」「其風文」「泰枼文」「曼文」「種文」「環種文」「吉花文」「方円器」「赫玄器」「花俑」「SEKKA-ON」「穫秋」等々がありその仕事は年々国内のコレクターだけではなく、海外の愛陶家にも拡がりを見せています。

 

「芒雲花文」は「層雲花文」の持つ上下の方向性に白土も加わり造形も変化したことから名付けたと語っています。鋭利な造形とこの模様が一体化することによって産まれる和太守卑良の特徴的な陶芸作品の一つです。

 

和太守卑良 本人

和太守卑良 本人

 

和太守卑良は、昭和19年に兵庫県西宮市で和田卯三郎の長男として生まれ。本名は和田守弘。1962年に大阪府立北野高校卒業すると、京都市立美術大学の工芸科陶磁器専攻に入学。教授であっ陶芸家で人間国宝の富本憲吉から教えを受けます。すでに文化勲章を受章していた富本憲吉教授は、1963年に生涯を閉じており、和太守卑良は最晩年の教え子でした。

 

昭和42年に京都市立美術大学を卒業して、高知県安芸市で古窯の復興に専念します。かつて同大学で学長を務めた長崎太郎が、地元である安芸に和太守卑良を招いたことがきっかけであった。そのころの和太守卑良は、大学の11年先輩にあたる陶芸家・加守田章二と交流を深めていきます。兄のように慕っていた加守田章二から「和太守卑良は高知に長くいすぎた」という一言で、安芸から離れることを決意します。

 

 

和太守卑良 赫玄条文茶碗

和太守卑良 赫玄条文茶碗

 

昭和51年に茨城県笠間市に移住して窯を築き、素地に地土を用いた作陶生活に入ります。この笠間を拠点とした活動により、和太守卑良の持ち味とする「器面に施す線紋の絵柄」の技術を、数多くの作品で製作していきます。杉紋や雲花紋をはじめ、踊文、其風文、連蕾文、風草文、雲花文など、その技術はとどまることを知りませんでした。

 

また、「彩土」と呼ばれる、和太守卑良ならではの幻想的かつ独創性の高い技術も編み出しています。焼成時に異なった発色を放つ陶土を混ぜ合わせることで成しえる、高度な作陶作品です。

 

昭和55年以降は日本伝統工芸展の入選を繰り返し、1990年代には海外進出も果たして成功を収めました。陶印は「守卑良」「W」など。ぐい呑や湯飲み、茶碗、土鍋、徳利、盃といった実用性のある陶芸作品を手がけました。

 

 

 

和太守卑良の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.和太守卑良の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.和太守卑良の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.和太守卑良の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.和太守卑良の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

和太守卑良 略歴

 

1944年
兵庫県西宮市に生まれます。

 

1962年
大阪府立北野高校卒業します。

 

1967年
京都市立美術大学陶磁器専攻卒業。高知県安芸市にて陶器の制作をはじめ 大学卒業後は同学長でもあった長崎太郎氏から要請を受け、高知県安芸の古窯の復興に従業します。

 

1975年
より二位本陶芸展に毎回出品します。

 

1977年
茨城県笠間市に移り築釜。以降、笠間を拠点とし、笠間焼のスタイルを継続します。

 

1980年
ファエンツァ国際陶芸展で金賞を受賞する。北関東美術展にて優秀賞を受章します。

 

1983年
日本工芸会の正会員に就任します。

 

1987年
日本陶芸展にて優秀作品賞・日本陶芸展賞を受賞します。

 

1988年
第32回日本陶磁協会賞を受賞します。

 

1990年
日本工芸会を脱退。東京や大阪、ニューヨークにて個展を開催します。

 

1998年
茨城県つくば美術館で「陶のエンドレスストーリー 和太守卑良展」が開催されます。

 

2008年
すい臓がんにより東京都新宿区の病院で逝去。享年64歳

 

2016年 第30回真岡市美術展に出品されます。

 

 

 

 

和太守卑良 茶碗

和太守卑良 茶碗

 

 轆轤を使わずすべての形成を手捻りにより行っており、現代的な造形力を発揮しています。さらにその器体に線紋の絵付を施し、焼成時に 異なった発色をする陶土を混ぜ合わすことにより幻想的な作品など独創性の高い陶芸作品を展開しています。

 

 

 

 

和太守卑良の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.和太守卑良の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます

 

 

 

和太守卑良 査定価格におけるポイント

 

和太守卑良の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

和太守卑良先生の作品は「賞スーツ」「飛鳥文酒盃」の作品に高値の査定価格がつきます。

 

2万円から8万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗は使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

和太守卑良の作品はオブジェの作品が評価されます。

 

大きくて鮮やかな作品が高値が期待できます。

 

和太守卑良展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

和太守卑良先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ和太守卑良の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年1月9日

大樋長左衛門の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の大樋長左衛門の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

大樋長左衛門の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、大樋長左衛門の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

大樋長左衛門の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の大樋長左衛門のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた大樋長左衛門の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の大樋長左衛門の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

九代大樋長左衛門 楽茶碗

九代大樋長左衛門 楽茶碗

 

市場では、九代大樋長左衛門の黒楽茶碗が人気で、今もお茶道具がお値打ちになったとはいえ高値で取引されております。売却をご検討されております方は、九代大樋長左衛門の黒楽茶碗は重要な高値売却作品でありますのでお持ちの方は気に留めておいてください。

 

大樋焼とは江戸時代初期の1666年ん寛文6年、加賀百万石、加賀藩5代藩主の前田綱紀が京都から茶道茶具奉行として仙叟、裏千家4代千宗室を招いた際に、楽吉左衛門4代一入に師事し、最高弟であった土師長左衛門が同道しました。

 

仙叟が京都に帰る1686年の貞享3年も長左衛門は加賀に残り、河北郡大樋村(現、金沢市大樋町)に楽焼の土を見出したことで大樋焼と称され、以後は加賀藩の御用窯として栄えました。

 

明治期になると、加賀藩の保護が途絶え一時衰退しましたが、それ以後の生活の安定して茶道の普及で復興しました。京都の玉水焼が明治初期に途絶えた結果、樂家の技術を直接受け継ぐただ一つの脇窯であります。

 

大樋焼は、轆轤は使わず手で捻りながら成形し、ひとつひとつ箆で削りながら造り上げていきます。小さな窯に釉薬を施した作品を入れ、短期間に温度を上げた後、引き出して急冷します。この温度差の急な焼成は楽焼と大樋焼だけに見られる手法です。

 

また独特の飴色は、初代長左衛門が京都より金沢に出向く際に楽家より与えられました。雪国にふさわしい暖かい味わいが特徴です。金沢市橋場町に十代大樋長左衛門窯、大樋美術館があります。

 

 

 

大樋長左衛門の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.大樋長左衛門の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.大樋長左衛門の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.大樋長左衛門の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.大樋長左衛門の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

九代大樋長左衛門 略歴

 

1901年
明治34年、9代大樋長左衛門は8代大樋長左衛門の次男として石川県に生まれました。本名を長次郎、名を長左衛門、号を陶土斎

 

1917年
大正6年、石川県立工業学校窯業科を卒業後、父に師事して作陶に精進します。

 

1923年
大正12年、金沢市東山公園麓の松林の中に工房「芳土庵」を設立します。

 

1927年
昭和2年、9代大樋長左衛門を襲名しました。大徳寺488世全提要宗より「大樋」印を授かります。

 

1930年
昭和5年、宮中、大宮御所の茶室用品の御用命を受けます。

 

1935年 
昭和10年、宮中、大宮御所、秋泉御茶室用御茶碗の御用命を受けます。

 

1936年
昭和11年、茶碗12ヶ月作陶展を開催します。

 

1940年
昭和15年、内閣総理大臣・近衛文麿より自筆の「長左衛門」金印を授かります。

 

1942年 
昭和17年、工芸技術保存作家の指定を受けます。

 

1958年 
昭和33年、日本工芸会正会員となります。

 

1970年
昭和45年、裏千家15代鵬雲斎宗室より「陶土斎」の号を授かります。

 

1973年
昭和48年、日本陶芸展に推薦招待され、「数印黒楽茶碗」を出品しました。手捏ねによる樂焼本来の伝統的手法を忠実に守って歴代の中でも優れた陶才を発揮し、「近代における茶盌造りの名手」と称され、江戸時代から続く大樋焼の茶陶技術は非凡の境地を示します。

 

1986年 
昭和61年 死去

 

胎土には歴代が使用した大樋村の陶土に信楽土が混合されており、ねっとりとした飴釉(鉄釉を酸化焔焼成)や薄造りの茶碗に特色があります。4代以降に本格的に取り組まれた黒樂茶碗の胴に垂れ幕のように白斑が生じた漆黒釉は「幕釉」と呼ばれ、たっぷりと黒釉を二重掛けした「黒幕釉」は高い評価を受けています。

 

 

 

 

十代大樋長左衛門

十代大樋長左衛門 略歴

 

1927年
昭和2年生、10代大樋長左衛門は9代大樋長左衛門の長男として石川県に生まれました。名を年郎(展覧会出品では年朗)。

 

1949年
昭和24年、東京美術学校(現:東京芸術大学)工芸科を卒業しました。作品がイタリア・ファエンツァ美術館に買い上げられます。

 

1954年
昭和29年、高松宮殿下に御台臨を賜ります。

 

1956年
昭和31年、日展で北斗賞を受賞します。

 

1957年
昭和32年、日展で特選北斗賞を受賞します。

 

1958年
昭和33年、日本陶磁協会賞を受賞します。

 

1961年
昭和36年、日展で特選北斗賞を受賞します。

 

1964年
昭和39年に朝日陶芸展評議員・審査員、日本現代工芸美術展評議員・審査員に就任します。

 

1967年
昭和42年、日展審査員に就任します。

 

1968年
昭和43年、北国文化賞を受賞しました。皇太子殿下に飴釉壺を献上します。

 

1972年
昭和47年、石川県美術文化協会理事に就任します。

 

1973年
昭和48年、中日国際陶芸展評議員・審査員に就任します。

 

1976年
昭和51年、金沢市文化賞を受賞します。

 

1978年
昭和53年、金沢市工芸会会長に就任しました。日展評議員に就任しました。日展の出品作品が外務省に買い上げられます。

 

1980年
昭和55年、現代工芸美術家協会理事に就任します。

 

1982年
昭和57年、現代工芸美術家協会石川会委員長に就任しました。石川県陶芸協会理事に就任しました。日展で文部大臣賞を受賞します。

 

1983年
昭和58年、現代工芸美術家協会常務理事に就任しました。天皇両陛下が石川県行啓の際に献上の抹茶碗一対、天覧茶碗、食器一式を制作します。

 

1985年
昭和60年、石川テレビ賞、日本芸術院賞を受賞しました。日展理事に就任します。

 

1986年
昭和61年、中日文化賞を受賞します。

 

1987年
昭和62年、10代大樋長左衛門を襲名しました。皇太子両殿下が石川県行啓の際に献上の抹茶碗一対を制作します。

 

1988年
昭和63年、石川県陶芸協会会長、金沢大学教授に就任します。

 

1989年
平成元年、金沢卯辰山工芸工房長に就任します。

 

1991年
平成3年に天皇両陛下が石川国体行啓の際、献上の抹茶碗一対、天覧茶碗、菓子器を制作します。

 

1992年
平成4年、国民文化祭石川’92土と炎の芸術祭陶芸展審査員に就任します。

 

1993年
平成5年、伊勢神宮式年遷宮の際に献納の「大樋飴黒天目茶碗一対」を制作します。

 

1994年
平成6年、三笠宮両殿下に御台臨を賜ります。

 

1995年
平成7年、日本陶磁協会理事、金沢市美術館等の構想懇話会委員に就任します。高円宮両殿下に東京テーブルウェアーフェスティバル御台臨を賜ります。

 

1996年
平成8年、石川県芸術文化協会理事に就任します。

 

1997年
平成9年に石川県美術文化協会理事、現代工芸美術家協会理事、世界工芸都市会議・金沢’97開催委員会会長、国民文化祭美術展審査員に就任します。サッチャー英国元首相に花瓶を献上します。スウェーデン国王両陛下に金沢卯辰山工芸工房の御来館を賜りました。
「大樋飴黒茶碗一対」が石川県よりスウェーデン王室へ献上されました。米国ロチェスター工科大学より名誉博士号を授与されます。

 

1998年
平成10年、金沢十匠会会長に就任しましす。

 

1999年
平成11年、日本芸術院会員となります。

 

2000年
平成12年、金沢学院大学美術文化学部学部長・教授に就任します。

 

2001年
平成13年、日本現代工芸美術展審査主任、日展常務理事審査員に就任します。

 

2003年
平成15年、茶道文化振興賞を受賞します。

 

2004年
平成16年、文化功労者として顕彰を受けました。日本陶磁協会特別記念功労賞を受賞します。

 

2005年
平成17年、金沢市名誉市民の称号を受けます。

 

2006年
平成18年、金沢学院大学副学長に就任します。

 

2008年
平成20年、日展顧問に就任します。

 

2009年
平成21年、陶治斎拝命記念個展を催します。

 

2010年
平成22年、金沢世界工芸トリエンナーレ実行委員長に就任します。

 

2011年
平成23年、日本現代工芸美術展審査主任に就任します。文化勲章を受章します。石川県名誉県民の称号を受けます。伝統ある大樋焼の茶陶造りを継承すると共に日展を中心に意欲的に活躍しています多彩な釉技によって古典をよく咀嚼した現代感覚に溢れる陶芸世界を展開しています。

 

 

 

十一代大樋長左衛門

十一代大樋長左衛門 略歴

 

1958年
昭和33年、大樋年雄は10代大樋長左衛門の長男として石川県に生まれます。

 

1981年
昭和56年、玉川大学文学部芸術学科を卒業します。

 

1984年
昭和59年、ボストン大学大学院を終了します。

 

1985年
昭和60年、ボストン大学講師に就任します。

 

1986年
昭和61年、北国賞、石川県知事賞を受賞します。

 

1987年
昭和62年、金沢市長最優秀賞を受賞します。

 

1988年
昭和63年、北国賞を受賞します。

 

1989年
平成元年、ロチェスター工科大学客員講師に就任します。

 

1990年
平成2年、現代美術展で最高賞を受賞します。

 

1991年
平成3年、石川県美術文化協会会員・審査員、金沢市工芸協会理事・審査員に推挙されます。

 

1993年
平成5年、日本工芸会正会員となります。

 

1995年
平成7年、北の菓子器展で大賞を受賞します。

 

1997年
平成9年、現代美術展で美術文化大賞を受賞しました。いしかわインテリアデザイン賞大賞を受賞します。

 

1998年
平成10年、金沢の月心寺で得度し、「大玄雄月」の号を授かります。

 

2000年
平成12年、日本現代工芸美術展で現代工芸賞を受賞します。

 

2002年
平成14年、金沢市文化活動賞、石川県インテリアデザイン賞を受賞します。日展で特選を受賞します。日本現代工芸美術展で現代工芸賞を受賞します。

 

2003年
平成15年、全国伝統的工芸品公募展で中小企業庁長官賞を受賞します。

 

2004年
平成16年、日本現代工芸美術展で本会員賞を受賞します。グッドデザイン賞を受賞します。

 

2005年
平成17年、日展で特選を受賞します。

 

2008年
平成20年、日本現代工芸美術展で東京都知事賞を受賞します。

 

2009年
平成21年、日展で会員賞を受賞します。

 

 

 

 

大樋長左衛門 査定価格におけるポイント

 

大樋長左衛門の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

大樋長左衛門先生の黒楽茶碗の作品に高値の査定価格がつきます。

 

10万円から20万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗は使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

大樋長左衛門の作品は茶碗の作品が評価されます。水指もあります。

 

飴釉作品が有名です。香合はお値打ちな価格です。

 

大樋長左衛門展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

大樋長左衛門先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ大樋長左衛門の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年1月8日

前田正博の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の前田正博の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

前田正博の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、前田正博の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

前田正博の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の前田正博のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた前田正博の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の前田正博の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

前田正博 本人

前田正博 本人

 

 

子供の頃から美術が好きだった前田正博は、東京藝大に入学して、毎日が楽しく朝から晩までずっと学校で制作していました。2年生までに絵画や彫刻、工芸を一通り学んだ上で、進むごとに変化する工程が楽しく自分に向いていると思うのが陶芸だったそうです。

 

前田正博は、在学中は、伝統的な和絵具による花鳥風月や幾何学模様を一般的な余白を活かした意匠ではなく、全面に絵付をする独自の色絵磁器の表現をされていました。

 

大学卒業後も同じ手法で作品を発表していましたが、キャンバスに絵を描くように色を塗り重ねたり引っ掻いたりしたいとの想いから、洋絵具を取り入れております。

 

洋絵具は幕末頃より導入された素材で、色数が豊富で薄くのばし色同士を重ねることができる等、和絵具にはない性質を持っています。 形を作ってから色と絵を考えるという前田正博の作陶の特徴として、まずその形に注目するべきです。

 

 

前田正博 色絵銀彩鉢

前田正博 色絵銀彩鉢

 

デザインも絵付も基本的にはぶっつけ本番です。様々な画集や美術展での刺激を受けてイメージが浮かぶと轆轤で成形し、手作業で削り整えて、作っていく工程でのイメージを実際の形に近づけていきます。

 

前田正博は 素焼した器に透明釉を掛け本焼きし白磁に仕上げ、赤、青、黄、緑、金、銀等を刷毛で打つように彩色し焼成を何度も繰り返すことで生まれる緻密で複雑な質感、鮮やかな色調を背景に、洒脱な梟や仙人掌、椰子の木が器を覆いつくします。

 

また近年では、極細のマスキングテープを活用したより幾何学的な模様の、塗を思わせるシックな陶芸作品も発表しています。器全面を色絵に覆われた作品は、色彩の豊かさがある故、磁器であることを忘れてしまします。

 

 

 

前田正博 色茶碗

前田正博 色茶碗

 

前田正博「1・2・3mmのマスキングテープを使い模様をつくり、色をのせてはテープをはがして焼く、を繰り返してます。色はムラをつけるために刷毛でのせていて、ムラによって表情を出しています。いかにきれいに自分なりのムラを出すかがポイントです。」

 

何度も焼いて大丈夫なんですか?

 

前田正博「ええ、磁器は一度本焼きすると固く焼きしまっちゃうんで、温度をゆっくり上げてゆっくり下げると複数回焼いても平気なんです。絵の具がガラス質ではなく洋絵具だから、より多くの回数焼くことが出来るんです。」

 

何回ぐらい焼いているんですか?

 

前田正博「素焼き・本焼き・黒地の焼き付けに加え上絵を描くのに3回ほど、6~7回は焼いています。」

 

 

 

前田正博の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.前田正博の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.前田正博の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.前田正博の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.前田正博の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

前田正博 略歴

 

1948年
京都府久美浜町に生まれる。

 

1973年
日本陶芸展入選します。

 

1975年
東京芸術大学大学院工芸科陶芸専攻修了。 日本伝統工芸展入選します。

 

1983年
今日の日本陶芸展出品 (ワシントン スミソニアン博物館、ロンドン ヴィクトリア& アルバート美術館)

 

1988年
日本伝統工芸展日本工芸会奨励賞受賞 。

 

1996年
現代日本陶磁秀作アジア巡回展出品します。

 

1998年
伝統工芸新作展奨励賞受賞。

 

2002年
日本伝統工芸展にて鑑査委員となります。

 

2005年
菊池ビエンナーレ展優秀賞受賞。

 

現在、東京都六本木で工房を構え作陶しています。

 

 

 

前田正博 査定価格におけるポイント

 

前田正博の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

前田正博先生の作品は壺の作品に高値の査定価格がつきます。

 

5万円から10万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗は使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

前田正博の作品は華やかな大皿の作品が評価されます。

 

大きい作品の高値が期待できます。

 

前田正博展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

前田正博先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ前田正博の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年1月7日

須田菁華の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の須田菁華の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

須田菁華の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、須田菁華の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

須田菁華の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の須田菁華のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた須田菁華の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の須田菁華の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

初代須田青華 本人

初代須田青華 本人

 

須田青華は九谷焼の名窯です。北大路魯山人が陶芸の師と呼んだのが、初代須田青華です。魯山人は青華の影響を強く受けております。

 

九谷焼は江戸時代前期1655年頃、大聖寺初代藩主で茶人でもあった前田利治が領内の九谷(現在の加賀市山中温泉九谷町)の鉱山で磁器の原料となる陶石が発見されたことに着目して、藩の命により有田で陶技を学んだ後藤才治郎が陶石の産地となった九谷村で開窯したことから「九谷焼」と呼ばれるようになりました。

 

それから数十年後の1700年代の初頭、生産が終了してしまいますが、その当時の記録はなく、現在もその原因は謎となっております。

 

この間に焼かれたものは、のちに、古九谷と呼ばれ、緑の色絵の具を印象的に配色して絵付けされたスタイルの「青手」や、「九谷五彩」と呼ばれる、緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用した絵付け技法「色絵(五彩手)」とともに、現代に名作として残されています。

 

その後、約100年、江戸時代後期に石川県の金沢や小松に発祥の地、大聖寺藩内の九谷や山代などで、磁器生産が再開されました。 加賀市にある須田菁華窯は、初代・須田菁華が1891年に築いた九谷焼の名窯です。1915年には北大路魯山人も訪れ、初代菁華から陶芸の手ほどきを受け、作陶の魅力を開眼させいったきっかけになったといわれています。

 

 

須田青華 金蘭手鉢

須田青華 金蘭手鉢

 

 

 

須田青華の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.須田青華の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.須田青華の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.須田青華の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.須田青華の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

初代須田菁華 略歴

 

 文久2年
1862年金沢の商家に生まれます。 初名は与三郎。

 

明治13年
1880年石川県勧業試験場陶画部を卒業します。

 

明治16年
1883年九谷陶器会社に入社し、画工長となります。

 

明治18年
1885年山代温泉に錦窯を築きます。

 

明治39年
1906年自家専用の登窯「菁華窯」を築きます。

 

大正4年
1915年北大路魯山人(当時福田大観)が訪れ陶芸の手ほどきを受ける。 江沼郡九谷陶器同業組合長を務める。

 

昭和2年
1927年に没する。

 

 

初代須田菁華と北大路魯山人は師弟関係にあります。北大路魯山人は須田菁華を作陶の理想や人生の師として仰いでいました。

 

北大路魯山人は、篆刻家として山代温泉の旅館「吉野屋」の看板を作った時に、九谷焼の窯元である須田菁華の菁華窯の看板も制作しております。この時、菁華窯で初めて作陶し、約半年滞在しました。

 

北大路魯山人は、初代須田菁華を「當代陶磁界に於ける第一の異才なり」と称え、その出会いを人生を変える大きなものとして捉えています。

 

 

 

須田菁華の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.須田菁華の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます

 

 

 

須田菁華 査定価格におけるポイント

 

須田菁華の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

須田菁華先生の作品は懐石料理の食器の作品に高値の査定価格がつきます。

 

2万円から8万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗は使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

須田菁華の作品は向付などの料亭で使う食器の作品が評価されます。

 

魯山人風の作品が高値が期待できます。

 

須田菁華展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

須田菁華先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ須田菁華の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

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