2025年11月3日

陳半丁(ちんはんちょう)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の中国人作家 陳半丁(ちんはんちょうの作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

陳半丁の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、陳半丁の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

陳半丁の掛軸をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の陳半丁のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた陳半丁の作品を鑑定して買取りいたします。

 

美術品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の陳半丁の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

陳半丁 肖像画

陳半丁 肖像画

 

(1876-1970)は、中国近代絵画史において「京派」を代表し、北・南の画壇をつなぐ架け橋となった傑出した画家です。浙江省紹興山陰(現在の紹興市)に生まれ、幼くして父母を失い、家境は貧しく学徒生活から書画・拓印業に携わりながら、芸術家としての道を切り開いていきました。

 

若き日には上海へ出て、印章・拓本を生業としながら、海上画壇の重鎮 任伯年 や 吴昌硕 と出会い、特に吴昌硕に師事して花鳥・山水・人物・篆刻・書法を学びました。

 

その後北京へ移住し、北京画院創設にも関わるなど、北京を中心とした画壇(京派)の形成に大きく貢献。花鳥画を中心としつつ、山水・人物にも卓越した画風を展開し、「陳派」とも言われる独特の小写意画法を確立しました。 

 

作品の筆致には、明末・清初の画人たち(例えば 石涛、徐渭 など)からの影響が感じられつつも、近代の感覚で花鳥に生命の気配を宿らせ、「老練ながらも重たくならず、清秀ながらも弱さを感じさせない」表現として今日高く評価されています。

 

1970年1月29日に北京で逝去。享年94。晩年には文化大革命の混乱期を経験しながらも、その芸術的足跡は揺るぎないものとして、現代の中国画壇に大きな影響を残しています。

 

 

主な画風・テーマ

陳半丁は花鳥画を得意とし、とりわけ梅・菊・牡丹・竹・蘭などの植物を題材に、広幅・連作・屏風形式でも多くの作品を残しました。色彩は落ち着いていながらもしっとりと諧調を帯び、筆線は鮮明で骨格が明らかなものが多く、「詩・書・画・印」が相互に響きあう統合的な芸術を目指しました。

 

花鳥だけでなく、山水では石涛風の豪放な筆致と構図も見せ、書法・印章とともに作品の完成度を高めています。市場では「運古派」の代表格ともされ、伝統の系譜を活かしつつも、近代の視点を取り入れた芸術性が人気です。

 

陳半丁 巖洞問法 洞窟の啓蒙

陳半丁 巖洞問法 洞窟の啓蒙

 

北岡技芳堂では、中国近代絵画の巨匠・陳半丁(ちんはんちょう)の作品を丁寧に査定・買取しております。陳半丁は、清末から中華民国、そして新中国成立後にかけて活躍した画家で、北京画壇を代表する「京派」の中心的存在として知られます。花鳥画をはじめ、山水や人物画にも優れ、詩・書・画・印が一体となった高雅な芸術性を確立しました。

 

陳半丁の作品は、伝統的な文人画の精神を継承しながらも、近代の感覚を取り入れた独自の小写意画風により、国内外で高い評価を受けています。特に、梅・菊・牡丹・竹などを題材とした花鳥画は人気が高く、現在でもコレクターの間で需要が絶えません。

 

北岡技芳堂では、陳半丁の掛軸、画帖、扇面、巻物、書画など幅広い作品を対象としており、真贋鑑定から市場価値の分析まで、専門の鑑定士が一点ずつ丁寧に拝見いたします。箱書きや印章、落款、保存状態なども重要な査定要素となりますので、そのままの状態でお気軽にご相談ください。

 

査定はすべて無料で行っており、出張・持込・オンライン査定のいずれにも対応しております。名古屋を拠点に全国各地で買取を行っておりますので、遠方の方でも安心してご利用いただけます。昭和25年創業の北岡技芳堂が、誠実な対応でお客様の大切なお品物を適正に評価し、次の世代へと受け継ぐお手伝いをさせていただきます。

 

 

陳半丁 略歴

 

1876年
中国・浙江省紹興山陰(現・紹興市柯橋区)に生まれました。 若年期には上海へ移り、拓印業や書画制作に携わる中で、 呉昌碩 や 任頤 といった画家たちと交流し、画の道を深めていきました。 

1916年頃
北京の芸術専門学校などで講師を務め始め、教育活動にも取り組みました。

1918年
北平(北京)にて美術教育の立場を得て、画壇における存在感を高めていきます。

 

1950年代以降
中国美術家協会、北京画院などの要職に就き、近代中国画の発展にも尽力しました。

 

1970年
北京にて逝去しました。享年はおおよそ94歳とされています。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年11月1日

型破りな魯山人の、型破りな焼き物たち 〜北岡技芳堂の骨董品買取りブログ〜

美食家で有名な北大路魯山人(1883〜1959)ですが、芸術や骨董の世界では陶芸に革命を起こした存在として知られています。それまでの陶芸は古陶磁の再現を目指した伝統工芸品か、河井寬次郎や濱田庄司ら高い作家性をもつ陶工がつくる芸術作品かのどちらかでした。そのため魯山人が掲げた「器は料理の着物である」という考え方はかなり異質で、発想の出発点が異なるために画期的な作品が次々と生まれたというわけです。ここでは魯山人の代表作をご紹介しながら、彼の作品が陶芸界にどのようなインパクトを与え、後世にどのような影響を残したのか。いくつかの実例をご紹介しながら振り返ってみたいと思います。

 

作陶する北大路魯山人

作陶する北大路魯山人

 

■織部まな板皿

「織部焼」は岐阜県発祥の陶磁器で、桃山時代(1605〜)にはじまったとされています。千利休の弟子である茶人・古田織部の手によって生み出され、彼が目指す「破調の美」を体現する奇抜な形状や模様が特徴です。緑釉に絵付けをした青織部が最も知られていますが、試行錯誤のうちに黒織部、織部黒、赤織部、志野織部などさまざまなバリエーションがつくられました。その後、元和年間(1615〜1624)に入ると形状・模様の単純化が進み、瀟洒な作風へと変貌していきます。

焼き物にはいろいろな技法や窯があり、それぞれに個性があるのですが、魯山人は特にこの織部焼を好んだといいます。その変幻自在な釉調、斬新なデザインに魅せられた魯山人は、織部焼を研究し自らの作陶に取り入れていきました。当時忘れられつつあった織部焼の再生に努め、より一層の発展を促した功績により、魯山人は「国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)」認定の打診を受けました(後に固辞しています)。

そんな魯山人の織部のうちの一つが、前代未聞の「まな板皿」です。その名の通り、まな板のような大ぶり(一辺50cm以上のものも!)かつ厚手の板状をしていて、四隅が少し上を向いています。やや歪な形に仕上げることで手仕事のあたたかみを、釉薬をかけずあえて肌を見せることで自然で素朴な風合いをそれぞれ演出しています。枝や葉などが描かれた模様も美しいどっしりとした大皿です。

魯山人が切り盛りした会員制料亭「星岡茶寮」では、伊勢海老や大きな魚の焼いたものを豪快に盛り付けたり、皿を川に見立てて焼き鮎を盛り付けたり、色とりどりの寿司をゆったり盛り付けて余白の美を演出したり・・・まさに料理を芸術に仕上げるためのカンバスとして使われました。普通は美しい器を探してきて、それに見合った盛り付けを考えるものですが、まな板皿は「この料理に合う皿とは?」という逆の発想から生み出されたものなのです。

 

北大路魯山人 織部まな板皿

北大路魯山人 織部まな板皿

 

 

■乾山風 椿絵鉢&土器(かわらけ)皿

江戸時代を代表する画家の一人に尾形光琳(1658〜1716)がいます。豊かな装飾性・デザイン性で知られる「琳派」を代表する一人ですが、魯山人が惹かれたのは光琳ではなくその弟・尾形乾山でした。絵描きであると同時に陶芸家でもあった乾山は、絵と器の融合を目指した独自の美学で知られています。魯山人は乾山を「陶画家」と呼び、楽焼による男性味溢れた作風に惚れ込み、自らの作品に進んで取り入れました。

そのうちの一つが乾山風椿絵鉢です。国宝である乾山の「色絵竜田川文透彫反鉢」を思わせる作品で、白地に透明釉をかけて本焼きし、緑の絵具を塗る際に型紙を用いて椿の輪郭を明瞭にする技法は、乾山焼に見られる特徴の一つです。

そのほか乾山の土器皿にも魅了された魯山人は、粗めの赤土に白化粧を施し、乾山風の文様を描いた皿をいくつも手がけています。しかし単なる再現にとどまらず、余白に金泥や金箔を用いる独自のアレンジを加えるなど、星岡茶寮で提供される料理を華やかに演出する工夫がなされました。金彩の施し方も魯山人特有で、厚くぽってりと盛る独特の技法からは「乾山の写しを下地に金襴手をつくってやろう」という気概を感じます。こうした焼き物の中には高台に鉄絵具で「乾山」と入れられた作品もあり、魯山人の乾山に対する敬意と憧憬の強さを窺い知ることができます。

ちなみに魯山人は、刺身や酢の物を盛る浅い皿のことを「平向」と呼びました。茶の湯においては皿よりも平向の方を格上と見るからなのですが、京都生まれということもあってか茶道にも精通していた彼は、皿と平向の違いを意識して作陶に取り組んでいたようなのです。料理人の視点だけではなく数寄者としての視点も持ち合わせていた陶芸家は、魯山人のほかにいないのではないでしょうか。

 

 

北大路魯山人 乾山風 椿絵鉢

北大路魯山人 乾山風 椿絵鉢

 

 

■紅志野

多種多様な器を世に送り出してきた魯山人が、最初期から最晩年に至るまで一貫して制作を続けたのが「志野焼」です。もともと相当な勉強家で、古今東西のあらゆる美について研究を重ねた彼が「志野の出来のよい物になると、足利前後の絵画彫刻に比して一歩も譲らない芸術的価値を持っているといえよう」「長次郎も及ばない凛とした格を備えている」と絶賛するほどですから、その入れ込みようは尋常ではなかったはずです。

志野は織部焼と同じ岐阜県発祥で、始まった時期も同じ桃山時代とされています。日本ではそれまでになかった「白い焼き物」として珍重され、以降は国焼きの代表格に据えられるようになりました。

当初、魯山人は志野焼に一般的な白いモグサ土を使っていました。しかし、モグサ土は多孔質で焼き締まりが弱いため、茶碗などの器として用いた時に水や油が浸潤してしまいます。あくまで「器は料理の着物」と考える彼はこうした不都合を解決するべく、大胆にも肌理が細かく汁染みが少ない信楽産の赤土を用いるようになりました。戦後に手掛けはじめた赤色が特徴的な「紅志野」は、この赤土に由来しています。さらに強い赤を出すために鬼板という鉄分を多く含む化粧泥で表面を覆うなど、魯山人の紅志野は年を経るごとに熟成され、最晩年にはまるで炎が燃え立つような鮮やかな緋色になりました。白い焼き物として知られた志野焼を真っ赤に染めてしまう技法は、当時の陶芸界に大きな衝撃を与えたそうです。

伝統を重んじる当時の茶道家・美術関係者たちからはバッシングを受けたものの、そういった声には耳を貸さず、魯山人は自らが理想とする作品をつくり続けました。その結果、加藤唐九郎や荒川豊藏らフォロワーが生まれ、現在の志野焼において紅志野がスタンダードの一つに数えられるまでになったのです。

 

北大路魯山人 紅志野燕子花四方鉢

北大路魯山人 紅志野燕子花四方鉢

 

■日本文化に与えた影響

魯山人の登場以前にも、茶の湯および懐石料理の場では「器」が重要視されていました。しかしこれはあくまで茶道に限定された話で、京料理や料亭文化が発達したのちも器の選定は料理人の仕事ではありませんでした(たまに茶人や文化人が選ぶ程度)。ここに「料理は器も含めた総合芸術」という文化を創出したのが、他ならぬ魯山人です。以降、料亭での器選びは料理人の仕事の一部となり、今では村田吉弘や道場六三郎、三國清三など名だたる料理人たちが器の美意識を語る文化が根付きました。決して大袈裟ではなく、彼がいなければこうした美意識が社会に広く浸透することはなかったでしょう。

また、先ほどご紹介した織部焼や志野焼の再生も忘れてはいけません。魯山人は桃山時代に栄えた織部焼・志野焼・黄瀬戸などに強く惹かれ、独自に研究を重ねながら伝統技法を現代に甦らせました。江戸時代以降は京焼や伊万里焼が主流になり、「忘れられた古陶」になっていた織部や志野。魯山人はその本質的な美しさを見抜き、眠れる伝統技法の再生に尽力したのです。これにより戦後の人間国宝である荒川豊蔵、金重陶陽たちにも強い影響を与えました。

独善的な性格から周囲との衝突が絶えなかった魯山人ですが、自らの美意識への絶対的な信頼と強い意志が日本の陶芸界を変えたといっても過言ではありません。その功績に感謝するとともに、日本の伝統的な美意識をしっかり受け継いでいかなければならないですね。

 

北大路魯山人 日月腕

北大路魯山人 日月腕

 

■作品価値はどれくらい

自らの窯を持ち、生涯を通じて数十万点という作品を生み出した魯山人。小ぶりなものから大作に至るまで作品の幅も非常に広いのですが、小品でも最低数十万円はしますし、質の高いものについては数百万〜1,000万円超という高額で取引されています。現在でも一部の料亭で客に提供する際に使われるなど、彼が目指した「用の美」は今も息づいています。そのほか各地の美術館に収蔵されたものも多いですし、オークションや骨董品店などでも度々見られます。興味をお持ちの方は一度そちらをのぞいてみてください。もし、お手元にお持ちでしたら、査定だけでも結構ですので、ぜひ当ギャラリーにご相談ください。過去に魯山人作品を多くみてきた鑑定人が、責任を持って見させていただきます。

 

■魯山人の作品もそれ以外も 骨董・アートの高価買取は北岡技芳堂へ

北岡技芳堂では陶磁器の他にも骨董品や絵画、茶道具、貴金属、趣味のコレクションなど、さまざまなジャンルの品物を買受しております。ここ名古屋の地で長年にわたり取引を重ねてきた実績をベースに、多種多様なニーズに対応できる販売チャネルをもつため、あらゆる骨董品の高価買取を実現しています。

ご実家の片付けや相続などの際、手持ちの骨董品について「どうしたら良いか分からない」という方も多くいらっしゃると思います。どのような品物でも、どのようなことでも構いません。私たち北岡技芳堂にお任せください。出張買取も実施しています。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせください。

 

記事監修:北岡淳(北岡技芳堂 代表)

初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。

 

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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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2025年10月30日

天然水晶を見分けるポイント、お教えします 〜北岡技芳堂の骨董品買取りブログ〜

水晶の査定・買取は、宝飾品にも骨董品にも強い北岡技芳堂にお任せください!

 

こんにちは。北岡技芳堂・鑑定人の北岡です。「水晶」というと、占い師が手をかざす透明な球体を思い浮かべる方も多いかもしれませんね。そのイメージの通り、古くから神秘的な力を持つとされた水晶は、宝飾品や宗教・祭祀用品として用いられてきました。

いろいろな形状で世に多く出ていることから、水晶の価値の有無をパッと見分けることは難しいと思います。その点、昭和25年から続く当ギャラリーでは、宝飾品や骨董品に精通した私が鑑定し、査定の根拠をきちんとご説明させていただくので、ご安心いただければと存じます。

 

 

水晶の買取

水晶を買取いたします。

 

<歴史>紀元前の昔から人間とともに

人類と水晶との関わりは、紀元前数千年前の古代文明にまで遡ります。エジプト、中南米、オセアニア、ヨーロッパ各地域、アジア各地域など、古くから世界各地でお守りや宝飾品に加工されて使われてきたのです。

中国では漢の時代の書物に水晶の記述が見られ、シルクロードを通じて西方から流入したとされています。甘粛省や新疆ウイグル自治区の墓地からは水晶製の玉(ぎょく)や装飾品が出土しており、交易品や副葬品として使われたことがわかります。その透き通った美しさは「水精」や「白玉」と呼ばれ、王族や貴族が好んで身につけました。そのほか水晶の数珠は仏教の修行道具として用いられるなど、長い歴史を持つ国の人々とともに歩んできた鉱物といえます。

一方、日本では縄文時代の遺跡から水晶の矢じりが出土していることから、少なくとも縄文時代には使われていたことがわかっています。平安時代には微量のアメジストを薬として服用したという記録がありますが、お体を傷つける恐れがあるため、決して真似をなさらないようにお願いします。江戸時代には加工技術が大きく発展し、明治時代には発掘の最盛期を迎えました。山梨県産が特に有名で、ここで加工された水晶の加工品は、昭和51年には経済産業大臣指定の伝統的工芸品にもなっています。

 

<原石の種類>カラーバリエーションが豊富

二酸化珪素が結晶化することでできる鉱物を石英と呼びますが、この中で特に無色透明の結晶を「水晶」と呼びます。含有物や埋石環境により色が変わるため、色が違う水晶は下記のような種類分けがされています。

◎紫水晶(amethyst /アメジスト):神秘的な紫色が人気の宝石。昔から高貴な人物が身につけてきたことでも知られ、色付き水晶の中では最も高い評価がつく

◎黄水晶(citrine /シトリン):淡いレモン色のものから深みのあるブランデーシトリンと呼ばれるものまで、色味にかなり幅がある。流通量が多く、比較的入手がしやすい

◎煙水晶(smoky quartz /スモーキークォーツ):茶水晶と呼ばれることも。特に色が濃く光をほとんど通さないものはモリオン(黒水晶)と呼ばれる

◎紅水晶(rose quartz /ローズクォーツ):薄いピンク色の水晶。半透明〜不透明のものが多く、透明度が高く発色の良いものはジュエリーとして使用されることも

◎赤水晶(red quartz /レッドクウォーツ):水晶の中に酸化した鉄分ヘマタイトが入り込むことで赤みを帯びる。こちらも透明度が高いほど希少とされる

そのほかにも緑水晶、青水晶などのカラーバリエーションや、「変わり水晶」といって特殊な結晶化やインクルージョンと呼ばれる包有物の種類によって、特殊な美しさが発現するものもあります。しかしやはり最も価値があるのは透明度が高く、不純物の少ない水晶です。

 

<産地>産地ごとに異なる特徴・魅力

水晶は豊富な元素(酸素、ケイ素)からできているため、現在は世界各地で産出されています。その中でも有名な産地としてヒマラヤ山脈周辺、インド、ブラジル、アメリカ、それから日本の山梨県も有名です。産地ごとに特徴が異なるため、それぞれが違う輝き、魅力を持っています。

◎ネパール・インド:ヒマラヤ山脈周辺で採れるものは「ヒマラヤ水晶」と呼ばれ、標高の高い山地で鉱夫が手掘りで採取するため、希少石として珍重されています。ガネッシュヒマールやカンチェンジュンガで採れるものが代表的です。インド北部のマニカラン地区で採れる「マニカラン水晶」は、氷河によってゆっくりと冷やされたことから、美しい結晶の水晶が多く発掘されています。

◎ブラジル:ブラジルは工業用なども含め、多種多様な水晶が採れる一大産地として知られています。中でもミナスジェライス州のトマスゴンザガやゼッカデソーザで採れる水晶は、世界でもトップクラスの透明度を有するため人気を集めています。

◎アメリカ:「アーカンソー水晶」や「ハーキマーダイヤモンド」の名で知られる水晶が有名です。どちらも透明度が高く独特な美しさを備えていますが、近年は産出量が減少し、希少価値が高まっています。

◎コロンビア:ペナ・ブランカ鉱山で採れる「コロンビアレムリアン」は抜群の透明度と美しいツヤで知られ、サンタンデール州で採れる「パスウェイクォーツ」は、結晶内に白い線や羽根のようなインクルージョンが見られるのが特徴です。

◎日本:山梨県産の水晶は無色透明なものが多いですが、黒褐色のトルマリンが針状に内包された「ススキ入り」や2つの水晶結晶が接合した「日本式双晶」と呼ばれる世界的にも珍しい形状の水晶も存在します。

 

<価値>透明度が高く大きいものほど高額に

質の高い水晶は無色透明ですが、ガラスも同じように透き通っていますよね。ここでは皆さまだけに、水晶玉とガラス玉との見分け方をこっそりお教えしましょう。まず、白い紙の上に髪の毛を置き、その上から水晶とガラス玉それぞれを通して覗き見ます。すると天然水晶であれば結晶特有の「光の複屈折現象(ダブリング)」に髪の毛が2本に見え、ガラス玉なら1本に見えるのです。不思議ですよね。また、肌触りも異なります。水晶は冷たく、ガラス玉は暖かく感じます。そのほか、人工水晶もありますが、こちらは天然物との判別が難しいため、我々専門家でなければ見分けるのは難しいかもしれません。

水晶は不純物が少なく透明度が高いもの、そしてできるだけ大きな結晶が高価になるとお考えいただいて結構です。水晶玉のほかにも香炉や彫刻品など、お手持ちの水晶加工品の価値を知りたい方は、どうぞお気軽にご相談ください。あらゆる品物を丁寧に査定・買受いたします。

 

 

◎鑑定人プロフィール

北岡淳(北岡技芳堂 代表)

初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。

 

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2025年10月29日

宮﨑優展 – 境界 – 〜北岡技芳堂の骨董品買取りブログ〜

宮﨑優展 – 境界 –

2025年11月12日(水) 〜2025年11月18日(火)



【営業時間】

10:00~18:00 (最終日は15:00まで / 会期中無休)





【会場】

北岡技芳堂 NORTH HILL GALLERY

460-0018 名古屋市中区門前町2-10

0120-853-860





【作家在廊日】

15(土)13:30~

16(日)







【作品の販売方法】

全作品抽選となります。

作品一覧は11月12日(水)10時より、弊社HPよりご覧いただけます。



応募締切:11月16日(日)12時まで



結果発表:11月16日(日)夕方頃より順次ご連絡いたします。



詳細につきましてはHP、またはお電話にてお気軽にお問い合わせください。







【画歴】

大阪府生まれ

大阪府立港南高等学校美術科を卒業

2011年 初の個展を開催

鉛筆・色鉛筆・アクリルなど多様な画材で制作を続け、2015年より独学で日本画の制作を始める

2016年 画集『美人画づくし』に作品が掲載され、美人画作品として発表を重ねる

2018年 第9回アダチUKIYOE大賞 大賞受賞

2019年 Seed山種美術館日本画アワード2019 入選

同年 第8回 郷さくら美術館桜花賞展 奨励賞受賞

2022年 初画集『つむがれゆく縁』(芸術新聞社)刊行

2023年 映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』劇中画制作・日本画指導を担当

ノーベル賞作家カズオ・イシグロの小説『浮世の画家』を原作としたNHKドラマ『浮世の画家』に登場する絵の制作を担当し、その制作過程がNHK『日曜美術館』で紹介される

現在 無所属にて活動中






 

 

 

「花の宴」 P20 絹本着彩

「花の宴」 P20 絹本着彩









「境界」という曖昧でありながら確かな場所。

そこに佇む女性像は、他者との関わりの中で生まれる揺らぎや、心の奥に潜む陰影を静かに映し出します。

この機会にぜひご高覧いただけますと幸いでございます。 

 

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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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2025年10月28日

実体のないデジタル世界を形にする彫刻家 〜北岡技芳堂の骨董品買取りブログ〜

現代アートがとる形は多種多様です。絵画や彫刻、音楽だけでなく、肉体を使ったパフォーマンスから先進テクノロジーを駆使したデジタル作品、さまざまなメディアを組み合わせたインスタレーションまで、ありとあらゆる表現方法が取り入れられています。今回ご紹介する名和晃平(1975〜)の肩書は「彫刻家」ではありますが、木や金属を削る一般的なイメージの彫刻ではなく、まったく新しいアプローチによる造形に挑み続けている作家です。今回は、世界から注目を集めるこの気鋭のアーティストをご紹介します。

 

■アートとサイエンスの融合で彫刻を拡張

名和晃平は1975年京都生まれ。父親が実家で子供向けのクラフトワークショップを開催していたこともあり、小さい頃から絵や版画、彫刻などに親しみました。学生時代はこれといった明確な目標がなく進路に迷いましたが、京都市立芸術大学で彫刻と運命的な出会いを果たします。大学院に進学後、ロンドンのRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)に留学。ここで初めて「現代美術こそが自分の生きる道」だと確信をもちました。

それというのも、名和が留学した1999年は美術史上で何度目かの「絵画は死んだ」と言われていた時期で、世界中のアートシーンからニューペインティングなどの新しい概念が続々と生まれていました。その渦中に身を置くことで「現代美術は単に今新しいものをつくるだけではない。宗教芸術から連綿と続くコンテクストの上に積み木を置いていく行為だ」ということに気づくことができたのです。さらに当時のイギリスでは「YBAs(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ)」と呼ばれる若手作家が活躍しており、彼らの斬新かつコンセプチュアルな取り組みに強く影響を受けました。その過程で「日本の彫刻教育では教わらない、素材と意味の関係の自由さ」を発見し、帰国後の活動指針の一つになりました。

 

名和 晃平 PixCell-Red Deer 2012

名和 晃平 PixCell-Red Deer 2012 mixed media h.209 x w.163 x d.194.5 cm

 

もう一つ、名和晃平は科学を愛する少年でした。アインシュタインやガリレオなどに関する本を好み、高校では美術部と数学研究部を掛け持ちしたほど。そうしたバックグラウンドから、学生時代はアートとサイエンスを分け隔てなく学びます。透明な球体による巨大な鹿の造形物「PixCell」シリーズは、こうした背景から生み出されました(詳細は後述)。

2002年の帰国後はPixCellシリーズのほかにも「自然も人工物もすべては粒子の集合である」という認識を形にした「LIQUID(リキッド)」シリーズをはじめ、デジタル時代の知覚をいち早く美術に取り込み、その先進性が注目を集めます。2009年にはサンドイッチの廃工場をリノベーションした「SANDWICH」という創作拠点を京都に構え、アート、建築、映像、ファッションなどジャンルを横断したクリエイターたちが協働できるスペースを創出しました。2011年には東京都現代美術館で大規模個展「SYNTHESIS」を開催。これまでの作品を体系的に紹介したこの展示は、多くの批評家から「彫刻の定義を拡張した」と絶賛され、名和の評価を決定づけることになりました。

その後2016年のフランスの振付師・ダミアン・ジャレとのコラボレーションや、2018年の京都・清水寺インスタレーションなどの発表により国際的評価も高まり、日本の現代アーティストとして初めてアメリカのメトロポリタン美術館に作品が収蔵されます。2020年代に入ってからはAR・AI・3Dスキャンなどの新技術を活用し、情報と身体の関係性を再構築した作品を発表。国内外の批評家から「ポスト・デジタル時代の彫刻家」として位置づけられるなど、現代アートの最前線をひた走っています。

 

■デジタルの概念を現実世界に取り出す

先ほども少し触れましたが、鹿の剥製を大小さまざまなガラス玉で覆った「PixCell-Deer」をはじめとしたPixCellシリーズが彼の代表作です。このPixCell というのは「Pixel(画素)」と「Cell(細胞、粒、器)」を組み合わせた造語で、大きさの異なる透明な球体越しに鹿を見ると、くるくると球体に映る像が移り変わり、改めて私たちが世界をたくさんのレンズの重なりとして捉えていることを知覚できます。「表面をレンズで覆うことで光学的なエフェクトをかけ、映像性を帯びたオブジェクトへの変換を図る」とのコンセプトで制作された作品は、高度情報化が進む時代の空気感を見事に捉えました。

また彫刻を空間の一部と捉え、展示スペース全体をプロデュースするインスタレーションの制作にも熱心に取り組みます。GINZA SIX(東京都中央区)の吹き抜け空間を埋め尽くす巨大な鹿や噴き上がる雫のイメージから構成される「変容の庭」(2021)は、彫刻にスマートフォンのアプリケーションをかざすことで、名和の彫刻とARイメージが調和しながら変容する様子を楽しむことができ、ダミアン・ジャレとのコラボも話題を呼びました。そのほかにも高さ13メートルのアルミ彫刻「Manifold」(韓国)や、ルーヴル美術館のガラスピラミッド内に展示された金箔仕上げの巨大作品「Throne」、金沢21世紀美術館で行われた巨大な泡によるインスタレーション「Form」など、設置した空間そのものを変えてしまうスケールの作品も多く生み出しています。

デジタル世界の概念を、質量を持つ物体へと変換させるために、さまざまな素材やテクノロジーを駆使しながら先鋭的な造形、空間表現を追求してきた彼。生成AIが日常生活に当たり前のように入り込むなど、変化を続ける人間とデジタルの関係性を今後どう描き出していくのか、さらなる表現の進化が期待されています。

 

■作品の価値は?

2021年に全高2mを超える鹿の剥製作品「PIX-CELL DEER 23」が9,200万円を超える高値で落札されるなど、近年は美術市場から大きな注目を浴びています。2024年に香港のオークションでも鹿の腰部剥製をガラス玉で覆った「PixCell-Deer #10」が7,900万円で落札されており、国内外で現在も変わらず高い評価を得ています。ドローイングやシルクスクリーン作品は比較的多く流通しているものの、代表作である立体作品の流通量は少なく、もし市場に出された場合は高額での取引が必至です。お手元にお持ちの方は大切に保存していただき、価値が気になる方はぜひ当ギャラリーにご相談ください。責任をもって査定させていただきます。

 

■名和晃平の作品もそれ以外も 骨董・アートの高価買取は北岡技芳堂へ

北岡技芳堂では現代アートの他にも骨董品や絵画、茶道具、貴金属、趣味のコレクションなど、さまざまなジャンルの品物を買受しております。ここ名古屋の地で長年にわたり取引を重ねてきた実績をベースに、多種多様なニーズに対応できる販売チャネルをもつため、あらゆる骨董品の高価買取を実現しています。

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記事監修:北岡淳(北岡技芳堂 代表)

初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。

 

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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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