2025年9月7日

スティーブ・ジョブズの部屋に生涯ずっと飾られたもの

スマートフォンの生みの親として知られる米Apple創業者のスティーブ・ジョブズ(Steve
Jobs /1955〜2011)。生前、彼が日本の美術に傾倒していたことをご存知でしょうか?明治
から昭和にかけて制作された「新版画」をこよなく愛した彼。その愛は相当なもので、新
製品の性能の高さを誇示するために、橋口五葉の「髪梳け流女」をプレゼン会場の巨大ス
クリーンにでかでかと映し出したほど。この記事ではジョブズが新版画を好んだ理由と、
高額で取引される理由について記載しています。ジョブズや川瀬巴水に興味のある方は、
ぜひご一読を。

 

■ジョブズが惚れ込んだ日本の新版画
我々のライフスタイルを一変させる製品を次々と生み出したスティーブ・ジョブズ。彼が
デジタルデバイスを開発する際、製品の外観やインターフェースのデザイン、フォント、
操作性に至るまでのあらゆる部分に「シンプルな美しさ」を執拗に追求したことはよく知
られています。ジョブズはいわゆるミニマリストで、部屋に余計なものを一切置きません
でした。1983年にジョン・スカリー(後のApple社社長)がジョブズ邸の寝室をのぞいた
際には、ベッドの他にわずか4つの物しか置いてなかったそうです。その4つというのがア
インシュタインの肖像、ガンジーの肖像、スタンド型のルームランプ、そして日本女性を
描いた一枚の木版画でした。
この木版画は明治後半から昭和初期につくられた「新版画」と呼ばれるもので、衰退して
いた江戸時代の浮世絵の復興を目指してリバイバルされたものです。伝統的な技法を継承
しつつも、洋画のエッセンスを取り入れるなどモダンなアプローチが随所に見られます。
ジョブズがとりわけ好んだのが川瀬巴水(1883〜1957)の作品で、幼少期に親友の家に飾
られているのを見て一目惚れして以来、56歳でこの世を去る間際までコレクションし続け
ました。ジョブズの娘さんによると、父親が亡くなった部屋には「寺院の黄昏を描いた川
瀬巴水の版画がかけられていた」とのことです。

 

川瀬巴⽔ ⻄伊⾖⽊負

川瀬巴⽔ ⻄伊⾖⽊負(にしいずきしょう)1937(昭和12)年

 

■DTP=新版画?
江戸時代の浮世絵は人気が高く、一枚一枚手で描いていたのでは生産がまったく追いつき
ませんでした。そこで取り入れられたのが版画の技法。元になる版をつくれば何枚も複製
できるこの技法のおかげで、浮世絵は日本を代表する一大文化に発展することができたの
です。そして大量生産を実現するために、絵を描く人(絵師)、絵を硬い木に貼りつけ彫
る人(彫師)、彫られた版木に顔料や墨を塗り和紙に刷る人(刷師)といった工程ごとに
職人を置き、分業による流れ作業のシステムが確立されました。
一方、明治以降にはじまった新版画では、生産効率よりも表現の豊かさが優先されました
。しかし、繊細で入り組んだ線や、今までになかった色合いを表現しようと思うと、既存
のやり方では限界があります。そこで絵師は、どんな版を組み合わせて、どの手順で刷っ
ていくのか、その工程をも自ら設計する必要があったのです。葛飾北斎の「凱風快晴」が
7回の刷りで完成したのに対し、新版画では30回以上刷らないと完成しないものも多くあ
ったそうです。
ジョブズは新版画の美しさの裏にあるこの複雑な工程を見抜き、「作家がすべての工程を
一貫して扱い、理想とする表現を形にしていく」という制作思想に感銘を受けたというの
です。それはなぜでしょうか。
当時、ジョブズがパーソナル・コンピューター(PC)の開発で実現したかったことの一つ

に「デスクトップパブリッシング(DTP)」があります。それまでのグラフィックデザイ
ンはデザイン制作から印刷までの工程それぞれに専門業者がいて、完全に分業化されてい
ました。江戸時代の浮世絵づくりと同じですね。しかし、DTPが実現すれば、すべての工
程を一台のPC上で行うことができます。つまり彼は「DTP=新版画」と捉えたわけです。
分業による制約をなくし、個人のイメージを思うまま形にできる環境をつくりたい。その
夢の先に、新版画のような美しい表現世界が待っている。シンプルな美とエレガンス、自
己表現の可能性。自らが追い求めるそれらの理想を、ジョブズは新版画に見出したのでし
ょう。

 

川瀬 巴水 江の島

川瀬 巴水 江の島

 

■川瀬巴水作品が高額で取引される理由
ジョブズが愛した川瀬巴水は、高い写実性と鮮やかで深みのある色彩、洗練された構図を
用いて日本の景色を叙情的に描き出しました。国内はもとより、海外の愛好家たちからも
「昭和の広重」と高い評価を受けています。作品の美しさ、人気の高さに加えて、戦争や
震災により多くの作品が失われてしまったことから流通量も少なく、高額で取引されてい
る作家です。過去に当ギャラリーでも扱った経験がありますが、高額なものでは数百万円
の値がつくものもあります。もし、お手元にお持ちの方がいらっしゃいましたら、お気軽
にご相談ください。用いられた技法や作品の状態にもよりますが、可能な限り高額で買取
いたします。

 

■川瀬巴水もそれ以外も 骨董・アートの高価買取は北岡技芳堂へ
北岡技芳堂では骨董品の他にも絵画や茶道具、貴金属、趣味のコレクションなど、さまざ
まなジャンルの品物を買受しております。ここ名古屋の地で長年にわたり取引を重ねてき
た実績をベースに、多種多様なニーズに対応できる販売チャネルをもつため、あらゆる骨
董品の高価買取を実現しています。
ご実家の片付けや相続などの際、手持ちの骨董品について「どうしたら良いか分からない
」という方も多くいらっしゃると思います。どのような品物でも、どのようなことでも構
いません。私たち北岡技芳堂にお任せください。出張買取も実施しています。愛知県、三
重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。まずは、お電話にてお気軽に
お問い合わせください。

 

記事監修:北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都で
の修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品
や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた

2025年9月6日

宋文冶(そうぶんじ)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の中国人作家 宋文冶(そうぶんじ)の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

宋文冶(そうぶんじ)の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、宋文冶の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

宋文冶の掛軸をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の宋文冶のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた宋文冶の作品を鑑定して買取りいたします。

 

美術品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の宋文冶の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

宋文冶(そう ぶんじ、1853年-1922年)は、中国清末から民国初期にかけて活躍した画家であり、呉派の伝統を受け継ぎながらも独自の作風を展開した人物です。浙江省杭州の出身で、字は仲温、号は夢湘などと称しました。

 

宋文冶 本人

宋文冶 本人

 

生涯と背景

宋文冶は、幼いころから絵画に親しみ、特に山水画や花鳥画において優れた才能を示しました。彼が活動した時代は、清朝末期から民国初期という大きな社会変動期であり、その中で伝統を尊重しつつも新しい感覚を取り入れた作品を残しています。

 

作風の特徴

宋文冶の山水画は、元・明の古法を重んじながらも、墨色の変化や筆致の妙を活かして清新な趣を生み出しています。花鳥画においては柔らかな線描と穏やかな色彩で、品格のある画境を示しました。特に淡雅な水墨表現と、繊細ながらも生気あふれる描写が特徴とされます。

 

活動と評価

彼の作品は当時の文人層に愛され、地方画壇でも広く評価を受けました。宋文冶は師法に忠実でありながらも個性を追求した画家として知られ、近代中国絵画史において清末画壇の重要な存在の一人と位置づけられています。

 

総評

宋文冶は、動乱期にあって伝統と革新の間で誠実に絵画表現を模索した画家といえます。山水画・花鳥画の双方において高い完成度を見せ、清末から民初にかけての絵画史を理解するうえで欠かせない存在です。

 

宋文冶(そうぶんじ)の作品をお持ちの方へ。北岡技芳堂では、宋文冶による山水画や花鳥画、人物画など多岐にわたる作品を丁寧に鑑定し、適正な価格で買取しております。

 

宋文冶(1853年-1922年)は清末から民国初期にかけて活動した画家で、杭州出身です。呉派の伝統を受け継ぎながらも、墨の濃淡を巧みに操り、繊細で清新な趣をもつ独自の作風を築きました。山水画では重厚さの中に清らかさを感じさせ、花鳥画では柔らかな線描と品格ある彩色表現を見せるなど、その表現は近代画壇において高い評価を受けています。

 

 

宋文治 江南三月 春の江南村

宋文治 江南三月 春の江南村

 

当店では、落款や印章、制作年代、来歴、展覧会出品歴や図録掲載の有無などを総合的に検証し、長年の経験に基づいた確かな鑑定で作品の価値を見極めます。査定は無料で承っており、名古屋市内をはじめ全国各地への出張買取にも対応可能です。掛軸や屏風などの大型作品から、保存状態が気になるお品物まで、安心してご相談いただけます。

 

宋文冶の作品をご売却の際は、ぜひ北岡技芳堂にお任せください。大切なお品物を誠実に評価し、ご満足いただけるお取引をお約束いたします。

 

 

宋文冶 略歴

 

1853年
浙江省杭州に生まれる

 

1870年代
幼少期から画才を示し、山水や花鳥を中心に伝統的な画法を学ぶ

 

1880年代
呉派の古法を基盤としながら、写生を取り入れて独自の作風を模索する

 

1890年代
地方画壇で評価を高め、山水画や花鳥画で名声を確立する

 

1900年代
清末から民国初期にかけて活動の幅を広げ、伝統と近代的感覚を融合させた作品を制作する

 

1910年代
花鳥・山水・人物など多彩な画題に取り組み、画壇での地位を確立する

 

1922年
逝去(享年69歳)

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年9月5日

山下清と、世界の天才たちとの共通点

2022年に生誕100年を迎えた画家・山下清(1922〜1971)。昭和〜平成の世代の方にはド
ラマ「裸の大将」でもお馴染みですね。彼の類稀な芸術性と、常人離れした貼り絵の技術
の秘密を追いながら、今なお高額で取引される人気の理由をご紹介していきます。山下清
の作品をお持ちの方、興味のある方であれば楽しんでいただけると思います。

 

■素朴な人柄からは想像できない緻密な作品
人気テレビドラマ「裸の大将」は、1980年6月1日に放送がスタート。放浪の画家・山下清
が旅先で出会う人々との交流を描いたコメディタッチのドラマで、17年続く長寿番組にな
りました。丸坊主に白いタンクトップ、朴訥と話しながらおにぎりを食べる主人公の姿を
覚えている方も多いのではないでしょうか。ダ・カーポの主題歌「野に咲く花のように」
も印象的でしたね。
主人公のモデルとなった山下清は、その才能と作品スタイル、波瀾万丈な人生から「日本
のゴッホ」と称された画家です。特に有名なのが貼り絵の作品ですが、そのほかにも油性
マーカーによるペン画なども高い評価を受けています。
代表作である「長岡の花火大会」の貼り絵を間近で見ると、大量の細かい紙片をびっしり
と敷き詰めた密度の濃さ、微妙にグラデーションする色彩の美しさ、夜空に広がる素朴で
きらびやかな花火の様子に圧倒されます。額の中に広がる緻密な世界は「本当に全部指先
でちぎってつくったのか?」と疑わしくなるほどです。

 

■類稀な創造力はどこからやってくる?
1922年、東京に生まれた山下清は、3歳の頃に重い消化不良を患います。完治はしたもの
の、言語障害や知的障害などの後遺症が残りました。その後10歳の時に父が他界。小学校
では後遺症が原因でいじめに遭うなど、彼の少年時代は決して明るいものではなかったよ
うです。
しかし、この頃から彼は飛び抜けた記憶力を示し、トランプで神経衰弱をすればすべての
カードの配置を覚えてしまいますし、大人でも書けない難解な漢字をパッと覚え、すらす
らと書くことができたといいます。これらの特徴は発達障害、とりわけ自閉症スペクトラ
ム症(ASD)患者に見られるサヴァン症候群と良く似ていることから、山下清もそうした
障害を抱えていたのではないかと推測されています。
サヴァン症候群とは、対人コミュニケーションを苦手とし、行動パターンに強いこだわり
をもつなどの障害を示す一方で、床にこぼした大量のマッチ棒を瞬時に数えたり、初めて
聴いた曲をすぐさまピアノで演奏できたり、数千年先の◎月◎日が何曜日であるか即答でき
たりといったある種の天才的な能力を発揮する人を指します。
山下清は旅先で見た景色を驚くほど詳細に記憶しており、先ほどご紹介した長岡の花火の
ような特定の瞬間を捉えた作品制作に役立てています。モーツァルトやトーマス・エジソ
ン、アインシュタインも近い種類の発達障害を抱えていたとされており、精神医学が発達
した現在、こうした資質が山下清の作品づくりを支えていたとする説も有力視されていま
す。

 

■若き天才画家として一躍時の人に
学校に馴染めず何度かの転校を経験した彼でしたが、12歳の時に通い始めた養護施設・八
幡学園でちぎり紙細工に出会います。ここで画用紙にちぎった色紙を貼り付けていく貼り
絵に夢中になった彼は、周囲の大人たちを驚嘆させる作品を次々と生み出していきました

16歳の時には初の個展を開催。梅原龍三郎や安井曾太郎などの巨匠たちから絶賛を浴び、
その才能は瞬く間に世間の注目を集めます。17歳の時に銀座で開催した個展では、人が集
まりすぎて画廊の床が抜けたというエピソードが残っていることからも、当時のフィーバ
ーぶりがうかがえます。
米国「LIFE」誌で取り上げられるなど時の人となっていた山下清。しかし1940年、18歳に
なった彼は突如として学園を飛び出し放浪の旅に出ます。突然の失踪に周囲は大慌て。朝
日新聞を巻き込み一大捜索キャンペーンを展開し、ほどなく九州・鹿児島で発見されます
。その後は失踪することもなくコツコツと制作をつづけ、49年という短い人生の多くを作
品づくりに捧げました。

 

■山下清作品が高額で取引される理由
代表作に日本全国を放浪しながら描いた「長岡の花火」「桜島」「日本平の富士」などが
あります。ただ、作品の多くが遺族によって保管されており、そもそも市場に出回ってい
る数が少ないことが高額で取引される一つの要因となっています。
また、山下清は画壇に所属しておらず、展覧会への出展や公的な記録が残っていないため
、真贋の鑑定が困難な作家です。さらに貼り絵は劣化が早く、保存状態の悪いものに関し
ては適切な修復を行わなければ、作品の価値を毀損してしまう可能性もあります。
当ギャラリーではこれまで貼り絵、ペン画、水彩画など多くの山下清の作品を取り扱って
きました。それらの経験を踏まえ鑑定を行っておりますが、困難なものに関しては必要に
応じて公式鑑定機関への依頼も行なっています。「これはもしかして?」と気になるもの
がお手元にございましたら、お気軽にご相談ください。

 


弊画廊にて、買取させていただいた山下清の作品と共に撮影いたしました

 

■山下清もそれ以外も 骨董・アートの高価買取は北岡技芳堂へ
北岡技芳堂では骨董品の他にも絵画や茶道具、貴金属、趣味のコレクションなど、さまざ
まなジャンルの品物を買受しております。ここ名古屋の地で長年にわたり取引を重ねてき
た実績をベースに、多種多様なニーズに対応できる販売チャネルをもつため、あらゆる骨
董品の高価買取を実現しています。
ご実家の片付けや相続などの際、手持ちの骨董品について「どうしたら良いか分からない
」という方も多くいらっしゃると思います。どのような品物でも、どのようなことでも構
いません。私たち北岡技芳堂にお任せください。出張買取も実施しています。愛知県、三
重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。まずは、お電話にてお気軽に
お問い合わせください。

 

記事監修:北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都で
の修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品
や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた

2025年9月4日

孫文(そんぶん) の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の中国人作家 孫文(そんぶん) の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

孫文(そんぶん) の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、孫文の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

孫文の掛軸をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の孫文のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた孫文の作品を鑑定して買取りいたします。

 

美術品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の孫文の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

孫文(そんぶん、1866年-1925年)は、中国近代史において「国父」と称される革命家・政治家です。名は文(もん)、字は逸仙(いつせん)、号は中山(ちゅうざん)で、日本では「孫中山」とも呼ばれます。

 

孫文 本人

孫文 本人

 

生涯と活動

1866年、広東省香山県(現・中山市)に生まれました。若くして海外に留学し、西洋の学問や思想に触れたことで、清朝の専制体制を打倒し、近代国家を建設する志を抱きました。1894年に興中会を結成し、その後中国同盟会を設立して、清朝打倒を掲げた革命運動を展開しました。

 

1911年の辛亥革命が成功すると、清朝は滅亡し、孫文は臨時大総統として中華民国の樹立を宣言しました。彼は「三民主義」(民族・民権・民生)を掲げ、近代国家建設の理念を示しました。

 

政治的試練

しかし、軍閥勢力や列強の干渉、内部抗争によって理想の実現は困難を極め、孫文自身も政権を追われるなど多くの挫折を経験しました。その後も中国統一と近代化を目指して活動を続け、日本を含む海外で支援を得ながら革命運動を継続しました。

 

晩年と評価

1925年、北京で病没しました。享年59歳。生前に掲げた「三民主義」は、その後の中国国民党の基本理念となり、また中華人民共和国の建国理念にも一定の影響を与えました。孫文は清朝を倒して共和制を実現した功績により、中国の近代化の先駆者として「国父」と称えられています。

 

孫文(そんぶん)に関する資料や遺品をお持ちの方へ。北岡技芳堂では、孫文に関連する歴史資料、書簡、肖像画、揮毫作品、また記念品や遺品などを丁寧に鑑定し、適正価格で買取しております。

 

孫文(1866年-1925年)は「国父」と称され、辛亥革命を主導して清朝を倒し、中華民国の成立に尽力した中国近代史の偉大な革命家です。彼が掲げた「三民主義」は後世に大きな影響を与え、近代中国建国の理念として受け継がれました。そのため孫文にまつわる資料や遺品は、歴史的価値のみならず、美術的・文化的な側面からも極めて高く評価されています。

 

孫文 博愛 書

孫文 博愛 書

 

当店では、書簡や署名入り文書、揮毫(書)、肖像画や版画、さらには孫文にゆかりのある記念品など、幅広い対象を取り扱っております。保存状態、来歴、証明資料の有無などを総合的に考慮し、専門的な視点から真価を見極めます。査定は無料で承っており、名古屋市内をはじめ全国各地への出張査定にも対応可能ですので、貴重なお品物も安心してお任せいただけます。

 

孫文関連の資料や遺品のご売却をお考えでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。歴史的背景をふまえた正確な鑑定で、大切なお品物を誠実に評価し、ご満足いただけるお取引をお約束いたします。

 

 

 

孫文 略歴

 

1866年

広東省香山県(現・中山市)に生まれる

 

1870年代

基礎教育を受け、伝統的な儒学に親しむ

 

1880年代

ハワイに渡り、西洋文化や思想に触れる

 

1892年

香港西医書院(医学校)を卒業し、医師資格を得る

 

1894年

清朝打倒を掲げて「興中会」を結成

 

1905年

東京で「中国同盟会」を組織し、清朝打倒と共和政体樹立を掲げる

 

1911年

辛亥革命が勃発、中華民国臨時大総統に就任

 

1912年

袁世凱に大総統職を譲り、一時政界を退く

 

1919年

「三民主義」(民族・民権・民生)を体系化し、革命理念を明確にする

 

1924年

中国国民党を改組し、連ソ・容共・扶助工農の三大政策を打ち出す

 

1925年

北京で逝去(享年59歳)

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年9月3日

ウォーホルの作品がユニクロのTシャツになる理由

米国のポップ・アーティスト、アンディ・ウォーホル。死後数十年が経つ現在もその人気は衰えを知らず、遺された作品たちは今もなお高額で取引されています。このページでは彼の作品の根底に流れる思想とともに、その人気の理由についてご紹介しています。ウォーホルの作品をお持ちの方、作品に興味のある方は、ご一読いただくと何かの参考になるかもしれません。


「マリリン(Sunday B. Morning)」シルクスクリーン 

 

■「ウォーホル=浮世絵」説

アンディ・ウォーホル(Andy Warhol/1928年〜1987年)は、主に1960〜1980年代に活躍した米国のアーティストで、ポップアートの旗手・アイコンとされている人物です。世界的な芸術家ではあるのですが、存命中から日本国内での人気は相当高く、TVコマーシャルにもたびたび登場したほどです。昭和世代の方には「あか、みどり、あお、ぐんじょういろ、きれい」と辿々しい日本語を喋る銀髪のウォーホルを見たという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。死後40年近く経過した現在もしばしば大規模な回顧展が開催されており、ユニクロで毎年のように彼の作品をモチーフにしたTシャツが販売されていることからも、彼の不動の人気ぶりが伝わると思います。

彼が作品制作に用いたシルクスクリーン技法が版画技術の一種であること、流行りのスターや人気者をモチーフにしていること、パキッとしたわかりやすい色面構成から、日本国内では彼の作品と浮世絵の共通点が指摘する声が多く、偶然とはいえもともと日本人に好まれる作風なのかもしれません。

 

■美術史を動かした芸術家

ウォーホルが身を投じた「ポップアート」は1950年代にはじまりました。それまでの近代美術が貴族やブルジョワを対象としたのに対し、ポップアートはその名の通りポピュラー、つまり一般大衆を対象にした芸術運動です。それまでにも江戸時代の浮世絵や19世紀フランスのポスターアート、20世紀前半のアメリカの雑誌・コミックなど大衆芸術と呼ばれるジャンルは存在しましたが、近代美術の文脈に大衆文化を取り入れ、美術館に展示されるほどの高い芸術性をもたせることに成功したポップアートは、美術史の転換点ともいえる重要なムーブメントだったといえます。

当時の美術界では、作家の内面に潜む感情をカンバスに叩きつけるような、難解な「抽象表現主義」がもてはやされていました。しかし、ウォーホルが取り上げたモチーフはスープの缶詰や洗剤のパッケージ、人気ミュージシャンや映画俳優など一般大衆に馴染みが深いものばかり。大戦後の世界は大量生産・大量消費の時代へと突入し、当時のアメリカ社会には「確かに生活は豊かになったが、本当にこのままでいいのだろうか?」という漠然とした不安が広がっていました。一見わかりやすくポップですが、見ようによっては悪趣味にも低俗にも見えるウォーホルの作品群は、こうした時代の気分を見事に捉え、当時の若者たちから熱狂的な支持を受けます。また、サステナブルな経済活動を目指す現代社会においても、彼の作品が内包する批判性は新たな共感を呼びそうです。

 

■ウォーホル作品の真贋を見極めるポイント

芸術的な価値はもちろん、世界の美術史に与えたインパクトの大きさから、存命時から現在に至るまで揺るがない評価を得ているウォーホルの作品。2022年にはクリスティーズのオークションで「ショット・セージブルー・マリリン」が、1億9500万ドル(約253億円)で落札されたことが大きな話題になりました。

ただ、その人気ゆえに偽物が多く出回っていることも事実です。巧妙な贋作も多く、真贋鑑定が難しい作家の一人とされています。こうした状況に対応するべく、米国の公式管理団体が鑑定を行ってきましたが、相次ぐ訴訟に耐えきれず、2011年に解散。ウォーホルが生涯に手がけた作品数は10,000点を超えるとされ、依然として未鑑定の作品が市場に多く出回っている状況です。

当ギャラリーではこれまで多くのウォーホル作品を扱った実績があります。その過程で額装や箱の状態、エンボスやサインの雰囲気から真贋を見極めるノウハウを蓄積してきました。「もしかしたら本物かな?」という作品をお持ちでしたら、お気軽にご相談ください。経験豊富な北岡が責任を持って鑑定し、高額で買取いたします。

 

■ウォーホルもそれ以外も 骨董・アートの高価買取は北岡技芳堂へ

北岡技芳堂では骨董品の他にも絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど、さまざまなジャンルの品物を買受しております。ここ名古屋の地で長年にわたり取引を重ねてきた実績をベースに、多種多様なニーズに対応できる販売チャネルをもつため、あらゆる骨董品の高価買取を実現しています。

ご実家の片付けや相続などの際、手持ちの骨董品について「どうしたら良いか分からない」という方も多くいらっしゃると思います。どのような品物でも、どのようなことでも構いません。私たち北岡技芳堂にお任せください。出張買取も実施しています。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせください。

 

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初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた

 

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