2014年3月20日

西郷孤月 天才と呼ばれた幻の画家

西郷 孤月
天才と呼ばれた幻の画家
明治6年(1873年)9月23日〜大正元年(1912年)8月31日)
松本藩士の家に生まれる。

明治22年(1889年)、英語学校で同窓だった横山大観や、下村観山らとともに東京美術学校の第一期生として学ぶ。校内臨時試験で、観山と共に乙組に編入された。同27年2月に絵画科を卒業。この頃から橋本雅邦に見出され、同校研究科へ進む。
明治31年(1898年)に岡倉天心が東京美術学校を辞任するのに従い辞職し、日本美術院の設立に尽力、評議員に挙げられる。雅邦門下の四天王、大観・観山・弧月・菱田春草のうち、最も将来を嘱望され、同年末橋本雅邦の娘と結婚。媒酌人は岡倉天心であった。しかし、ある酒席で雅邦と激突、以降、酒と遊蕩に明け暮れるようになり、それが要因となり1年後に離婚してしまう。
明治36年(1903年)、弧月会をつくり渡欧資金集めようとしたが、上手くいかず挫折する。同年6月木村武山と東北を巡遊したのち、中央画壇を離れ各地を放浪することとなる。
明治39年(1906年)、大観と春草は弧月の才能を惜しみ、日本橋倶楽部の展覧会に参加させるが、もはや昔日の面影はなかった。だが、明治44年(1911年)に盟友の春草が病死した後、何かが吹っ切れたように翌大正元年(1912年)に台湾へ渡り「台湾風景」(山種美術館蔵)を描く。大陸への更なる進出を望んでいたものの、台北で発病し7月帰国するが、自宅で急逝した。
場所
宝蔵院の書院

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