2025年5月6日

花入の美的変遷と諸流儀の比較考察 茶道具ブログ

千利休から宗旦、三千家、藪内家、諸大名茶人、そして近代数寄者に至るまで を解説します。

茶の湯における「花入(はないれ)」は、茶席において花を活けるための器であると同時に、亭主の美意識、自然観、空間構成を象徴する存在でもある。

中でも、千利休を祖とするわび茶の流れにおいては、花入は単なる花器ではなく、精神性と時代感覚の結晶として尊重されてきた。

本稿では、千利休を起点とし、千宗旦、三千家、藪内家、ならびに遠州、織部、石州、宗和、さらには明治以降の近代数寄者たちの美意識を時代順に検討し、花入の美的変遷を明らかにする。

 

 

竹一重切花入 銘「園城寺」

竹一重切花入 銘 園城寺

この「園城寺(おんじょうじ)」と銘された一重切花入は、千利休が天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐に随行した折、伊豆・韮山の竹を用いて自ら作ったと伝わる、三種の竹花入のうちのひとつです。利休から娘婿である千少庵に贈られたこの花入は、時代を超えてその由緒を今に伝えています。

一重切(ひとえぎり)とは、一本の青竹を節を含めて真っ直ぐに切り出したもので、節上に口を設け、内側をくり抜いて花を生ける、竹花入の基本形ともいえるものです。なかでも利休の手によるものは、素朴ながらも寸法・取り口・肉厚・皮肌の風情において卓抜した「用の美」を備え、単なる素材の活用にとどまらない、精神性の結晶とされています。

銘「園城寺」は、滋賀県大津市の古刹・三井寺(園城寺)にまつわる伝説に因んだもの。平家物語にも見える、武蔵坊弁慶がこの寺の鐘を引きずって比叡山へ持ち帰ろうとしたものの、鐘が「いかほど引けども響きが帰る」と音を返したという逸話に由来します。この花入の表面には、経年により自然に生じた干割れがあり、その裂け目の姿が、まるで鐘の破損を思わせることから、風雅を好む茶人たちによってこの銘が与えられたのでしょう。

その後、本作は江戸後期の大名茶人・松平不昧(まつだいらふまい)の手元に伝わり、彼の蒐集眼にかなった名品としても知られています。不昧は「好古堂」と号し、数々の古器名物を鑑賞・記録した人物であり、その旧蔵品であるというだけでも、この花入の格式と品格を物語るに足ります。

利休の侘びの心と、不昧の審美の眼とを経た「園城寺」は、竹という無垢の素材に、歴史と精神性を宿した名花入として、数寄の道において高く評価され続けています。

 

 

一、千利休と「野にあるように」の原点

 

千利休(1522–1591)は、わび茶の完成者として知られ、花の扱い方においても徹底した自然観を示した。利休は「花は野にあるように」と弟子に説き、野趣を損なわない自然な挿花を理想とした。これに伴い、花入には竹一重切や宗全籠、耳付籠花入など、簡素で素材の風趣を活かしたものを好んだ。なかでも「寸切」「柴庵」「銘・時雨」など、利休好みの竹花入は、素材の節やひび割れ、経年変化までも美として受容するわびの極致を示している。花入は、草花と同様、過度な作為を避けるべきものとされ、道具というよりも自然との調和を担う媒介として位置づけられた。

 

 

籠花入に芙蓉を生ける

籠花入に芙蓉を生ける

九月、長月。日毎に夜の帳が降りるのが早まり、ふと空を見上げる時の静けさが増してゆきます。やがて訪れる中秋の名月。旧暦八月十五夜の月を愛でる風習は古代中国に始まり、わが国では平安の昔より貴族の間に親しまれてまいりました。さらに日本では、旧暦九月十三夜にも「後の月(のちのつき)」あるいは「後見の月」と呼び、ふたたび月を賞でる風雅を重ねてきました。こうして、秋の夜空に浮かぶ月影に、古来より日本人は殊のほか深い情趣を寄せてきたのです。

 

 

二、千宗旦と「素」の深化

 

千宗旦(1578–1658)は千利休の孫にして、茶の湯を江戸初期に再興した重要人物である。宗旦の茶風は、利休の精神をさらに推し進めた「素」の美意識に特徴づけられる。宗旦は、簡素で無装飾な花入を重視し、竹や素朴な籠を好んで用いた。その選定には明確な意図があり、客人の心に静謐さと余白をもたらすための“語らぬ美”が込められていた。この精神は後の三千家各家元にも強く影響を与えた。

 

瓢花入 銘「顔回」

千利休は、瓢箪をことのほか好み、花入や炭斗などの茶道具にたびたび取り入れました。なかでもこの「顔回」は、旅の巡礼が腰につけていた瓢箪を、利休が所望して花入としたものと伝えられます(千宗旦『茶話指月集』)。

銘の「顔回」は、孔子の高弟にして第一の賢者の名。顔回は、一箪の飯と一瓢の水をもって満足とし、粗末な庵にあっても学問の楽しみを失わなかったと『論語』に記されています。

この花入に「顔回」と名づけた利休の心は、まさに侘びの境地そのもの。質素を貴び、簡素の中に真の美を見出す茶の湯の精神が、ここに結晶しています。

 

 

三、三千家と花入の展開

 

表千家

  • 江岑宗左(1613–1672)宗旦の茶風を受け継ぎながらも、より礼式的・端正な方向へ整えていった点から、花入の選定にもその傾向が見られたと考えられています。

  • 七代以降:如心斎の影響を受けつつ、竹・籠・陶磁などを床の間の構成と一体的に活用。

裏千家

  • 一燈宗室(1719–1771)(八代):如心斎の後継者。花入には侘びと軽妙さを融合させた造形を重視。

  • 玄々斎(1810–1877)(十一代):文人趣味を導入し、鉄や竹根など異素材を使った創意ある花入を用いた。特に「鉄柵花入」や「竹根一重切」など、素材の意外性と機能の調和が際立つ。

武者小路千家

  • 一翁宗守(1642–1711):千宗旦の次男で、官休庵の初代。簡素と潔さを重視。

  • 有隣斎(1775–1833):南蛮・文人趣味の花入を積極的に取り入れ、趣味性の高い茶風を示した。

 

 

藪内休々斎 竹一重切花入

藪内休々斎 竹一重切花入

 

 

四、藪内家の花入観と歴代の特色

 

藪内家は、利休の高弟・剣仲宗養を祖とし、「庭の花」を重視する草庵茶の系譜を守る流派である。

 

  • 初代・剣仲宗養(1536–1627):竹や籠を用い、庭の草花と一体となった空間演出を志向。

  • 三代・竹心宗元(1627–1702):『源流茶話』を著し、花入を含む道具類の由緒を文献化。

  • 七代・竹窓宗意:詩文に秀で、文人的審美による花入の運用に特色を見せた。

 

 

 

伊賀花入 銘生爪

伊賀花入 銘 生爪

力強く、かつ素朴な趣を湛えたこの伊賀花入は、太い筒形の胴に鐸(たく)のように水平に開いた口縁をもち、胴のやや下方に太い胴筋を一筋めぐらせています。全体の作行には、荒土と自然釉によって生まれる桃山陶の奔放な美が存分に表れています。

正面の口縁から裾へかけては、草緑釉がまるで瀑布のごとく流れ落ち、その動勢は見る者に静と動の対比を印象づけます。背面は焼成によって赤く焼き締まり、ところどころ灰色や黒色の焦げが生じ、景色を一段と豊かにしています。背面にはカン(掛け金具)を付け、正面上部には紋付穴を埋めた跡が残されており、用途と手入れの工夫がうかがえます。

その器形は、千利休在判の伊賀花入と類似しており、天正年間後期の焼成と推定される初期伊賀の佳品であり、利休好みの道具であった可能性も指摘されています。

とりわけ興味深いのは、これが古田織部の所持品であったという伝承です。織部が所持していた当時の書状が添えられており、次のように記されています。

 

「花筒つめをはかし候やうに存候。宗是ことって進入候。我等より参候茶入宗是に可被遺候。来春万々可得貴意候間、不能詳候。以上、恐惶。古織部 大晦日(花押) 宗ヶ 老人々御中」

 

この書簡において織部は、譲渡する花入を「爪を剥がされるような思い」とまで述べており、その深い愛着がにじみ出ています。この表現に因んで、本作は「生爪(なまづめ)」と銘されたのです。

この花入を懇望したのは、茶人として名高い上田宗箇であり、のちに道朴、伊丹屋宗不へと伝わりました。名品の系譜とともに、侘びの美と数寄の情熱を今に伝える一器といえるでしょう。

 

 

古銅象耳花入 銘 秋月

古銅象耳花入 銘 秋月

本作「秋月」は、古代中国の青銅器を写したいわゆる「倣古(ほうこ)銅器」の流れを汲み、日本において花入として作られたものであります。その原型は、北宋以降に中国で盛行した青銅の祭器様式「壺(こ)」に求められ、両肩に象の耳をかたどった装飾を備えることから、「象耳(ぞうじ)花入」と称されます。

青銅器は元来、神聖な祭祀具として古代中国において尊ばれ、その象徴的な形式や文様は、宋以降、文人の美意識の対象として再評価されました。これを模した倣古銅器は、わが国でも「唐物(からもの)」として室町・桃山期の茶人たちに深く愛好され、とりわけその威厳と静謐を湛えた佇まいが、茶の湯の世界においても重んじられました。

本品は、そうした唐物青銅器の造形を受け継ぎながら、日本国内で花入として意匠化されたものであり、鋳肌の深みと重量感、経年による緑青の風情が、荘重な床の間にふさわしい気配を漂わせます。

銘の「秋月(あきづき)」は、江戸時代初期の名茶人にして武家礼法と数寄を融合させた小堀遠州による命銘です。秋の澄み切った夜空に浮かぶ名月のごとき、清冽にして端正な姿をこの花入に見出したのでしょう。遠州の命銘らしく、雅趣と象徴性を兼ね備えた銘であり、その美意識が色濃く反映されています。

本作は、単なる模倣にとどまらず、日本の美意識のなかで再解釈された「唐様数寄(からようすき)」の結晶ともいえる優品であり、静かに佇む中にも深い精神性を湛えた花入です。

 

 

五、武家・公家茶人の創案と様式化

 

古田織部(1544–1615)

利休の弟子でありながら、奇抜な造形と遊び心を重視した茶風を確立。歪んだ造形や大胆な見立てを反映させた「織部耳付花入」などはその典型である。また、伊賀焼の花入にも強い関心を寄せ、武骨で力強い伊賀の土味を活かした「伊賀筒花入」「伊賀耳付花入」などを用い、造形的な主張を茶席に取り入れた。

 

小堀遠州(1579–1647)

大名茶人として「綺麗さび」を標榜。端正で品格ある唐物花入や、籠に造形的工夫を凝らしたものを好んだ。茶室全体の設計と花入との調和を重視した点が特徴である。遠州好みの「紹鷗棚に合う籠花入」や「竹透彫掛花入」などは洗練された印象を与える。

 

片桐石州(1605–1673)

石州流の祖。礼法を重視し、壺形や腰高形の花入を多く用いた。格式と実用を両立させた花入選定に定評がある。石州好みの「青磁壺花入」「信楽焼胴締花入」などに見られるように、重厚で安定感のある意匠が重んじられた。

 

金森宗和(1584–1656)

公家趣味と雅な装飾性を茶の湯に導入。青磁・染付・宗和籠など、美観を重視した花入が特徴。洒脱で遊興的な趣味を持ち、空間を詩的に演出する力を有した。特に「染付瓢形花入」や「銀葉掛花入」は、花と器の共演を意図した構成美に優れている。

 

 

 

如心斎作 竹舟形吊り花入

如心斎作 竹舟形吊り花入

 

 

六、如心斎と町人文化の受容

 

裏千家七代・如心斎(1705–1751)は、宗旦茶風を継承しながら、町人文化や遊芸の精神を茶道に導入した。如心斎好みの「瓢掛花入」は、親しみやすい形状に茶人の風趣が表れた優品であり、茶道具における「遊びの美」を象徴する存在である。また、「栗形釣花入」「四方籠掛花入」など、多様な素材と形式の中に軽妙さを込めた作品を多く好んだ。

 

 

尺八花入 銘 高砂 益田鈍翁作 

尺八花入 銘 高砂 益田鈍翁作 

 

 

七、近代数寄者と現代茶の湯における花入

 

明治以降、武家による保護から離れた茶の湯は、数寄者と呼ばれる民間の文化人・財界人によって支えられるようになった。彼らは古典の尊重とともに独自の美意識をもって茶道具を蒐集・活用し、花入の選定においても先人の精神を新たな解釈で継承した。

原三渓(1868–1939)

横浜の実業家・文化人であり、近代数寄者の代表格。室町〜桃山の古花入に強い関心を持ち、瀬戸や唐物の壺形花入を重用した。また、庭園設計とともに自然と調和する花入の空間的機能を重視した。

益田鈍翁(1848–1938)

三井財閥の総帥として財力を背景に茶の湯の復興に尽力。利休や遠州を敬愛し、唐物や古瀬戸・高麗物などの名品を蒐集・披露した。花入においても、唐銅製や青磁、さらに侘びた竹花入などを組み合わせ、格式と自由を兼ね備えた道具組を構成した。

松永耳庵(1875–1971)

「電力王」と称された実業家でありながら、茶人としての感性に優れた人物。耳庵は、「奔放さの中の美」を追求し、時に中国古銅器や鉄製花入など異風の器を用いた。また、自作の竹花入なども愛用し、伝統と個性の融合を試みた。

 

 

結語

茶道具としての花入は、時代を通じて様式や素材を変化させながら、茶人の美意識を最も如実に表す存在であり続けてきた。利休による自然観の提示、宗旦の「素」、織部の「奇」、遠州の「綺麗」、石州の「礼」、宗和の「雅」、如心斎の「遊」、さらに三千家・藪内家における形式化と多様化、そして明治以降の数寄者たちによる復興と独自性、花入は常にその時代の精神と美を映し出す鏡であった。現代においても花入は、単なる道具を超えた文化的・思想的装置として、再評価されるに値する存在である。

 

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