2025年4月15日

汪亜塵(おうあじん)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の掛軸買取りブログ

御所蔵の中国人作家 汪亜塵(おうあじん)の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

汪亜塵、汪亞塵  (おうあじん)の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、汪亜塵の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

汪亜塵の掛軸をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の汪亜塵のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた汪亜塵の作品を鑑定して買取りいたします。

 

美術品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の汪亜塵の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

汪亞塵 本人

汪亞塵 本人

 

汪亜塵は、号は雲隠、別に雲隠楼主、雲隠居士とも署しました。淅江杭州の人。幼少の時から書画を好み、日本の東京美術学校(現 東京藝術大学)に入学します。1911年に劉海粟らと上海図画美術院(上海美術専科学校の前身)を創設します。西欧に留学した後、アメリカで個展を開きました。書も秀逸で有名である。

 

シンガポール・ポール画壇の発展に貢献しました。洋画のほか、墨彩の花鳥や金魚を得意としていました。また、国民党とともに台湾に渡り、台湾で活躍しました。

 

 

汪亞塵 金魚

汪亞塵 金魚

 

 

汪亜塵の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.汪亜塵の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.汪亜塵の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.汪亜塵の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.汪亜塵の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.絵画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

 

汪亞塵 洋画

汪亞塵 洋画

 

 

 

汪亜塵の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.汪亜塵の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

汪亜塵 査定価格におけるポイント

 

汪亜塵の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

汪亜塵先生の作品は、金魚の作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から50万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

汪亜塵の作品は、金魚画や花鳥画の作品が評価されます。

 

軸装の仕立てが良いと評価されます。書の作品もあります。

 

汪亜塵展などの展示会での画集掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

汪亜塵の作品は、大作の作品が高値で取引されております。

 

※このように同じ汪亜塵の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

 

汪亞塵 略歴

 

1894年〜1983年

彼は17歳で高校を卒業し、18歳で家を出て上海に行き、呉世光と劉海素が設立した上海絵画美術学院で教師になった。 1年後、彼は教職を辞し、呉世光とともに写真スタジオや劇場の大規模な広告背景画を専門とする華大社を設立した。王亜塵は若い頃多くの著作を残し、書道にも優れていた。彼は書家沈隠墨の師であり友人でもあった 。

 

1915年
陳抱一などと「東方画会」を結成します。

 

1916年
日本に行き、翌年東京美術学校に入学した。

 

1921年
学業を終えた後、中国に戻り、上海美術学院に西洋絵画の教授として採用され、理論の授業も教えた。この時期、彼は美術に関する研究論文を発表し始めた。

 

1928年
この年の終わりに彼はフランスへ留学します。1928年から1931年まで調査のためヨーロッパへ行き、帰国後は清芸術専科学校教務長、新華芸術師範学校校長を務めます。

 

1931年
この年の終わりに中国に戻り、上海でヨーロッパの作品展を開催します。ヨーロッパから帰国後、中国絵画の研究と改革に尽力しました。その後すぐに、彼は新華芸術学院の学務部長および師範学校の校長に就任しました。彼はヨーロッパ旅行で貯めた1万4000元を新華芸術学院に移し、土地を購入して校舎を建てた。彼はまた、 Wang Gezhi、Wang Shengyuan、Zhang Yuguang、Zhang Shanzi、Lu Yifei、Gu Kunbo、Zhou Bichui、 Wu Hengqin、Jiang Danshuらを教師として雇用しました。

 

1937年
春、彼は美術教育を学ぶために朱其戦とともに日本に行き、横山大観を訪ね、大量の本と石膏像を購入した。抗日戦争勃発後、彼は学校を運営するという日本の誘いを断わりました。

 

1947年
王亜塵は美術を学ぶためにアメリカに行き、エール大学、ハーバード大学、コロンビア大学の夏期絵画クラスに招かれ、花、鳥、魚、昆虫などを教え、講演や絵画展を開催し、中国絵画を広める活動を行いました。

 

1975年
王亜塵は親戚を訪ねるために中国に戻ります。

 

1980年7
月、台湾、香港を経由して上海に戻ります。

 

1983年
10月13日に上海で没します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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