2023年5月17日
中村正義の絵画を買取り致します。
中村正義の日本画を買取り致します。
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近代日本画の巨匠中村正義を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、中村正義作品を探しています。
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北岡技芳堂では、様々な絵画を買取致しておりますが、
中村正義は地元、愛知県出身ですし、特に自分自身が好きな作家でもあります。
中村正義先生と娘の倫子さんの写真
子供のころから病弱で、美術学校に行くこともできなかったが、
日本画壇の重鎮・中村岳陵の画塾に入門し、22歳で日展に初入選。
たちまち頭角をあらわす。
速水御舟の再来とも言われ将来を嘱望されたが、その後モディリアーニやデュビュッフェ、さらにポップアートなどを自分流に咀嚼した破天荒な画風に転じ、日展を脱退、師の元も離れる。
日本画壇から激しいバッシングを受け、外の世界に仕事を求めた結果、映画用の注文作品や、雑誌の表紙や、リアリズム風の絵も手がけた。
1977年4月16日、呼吸不全のため神奈川県川崎市の聖マリアンナ医科大学病院にて死去。52歳。死後、遺族(娘の中村倫子)が家を美術館として公開している。
現在、中村正義の美術館では、春秋の年2回、娘の倫子さんが企画をして展示をされていらっしゃいます。
日本画の買取り価格が全体的に下落傾向にあるということもあり、
少しでも日本画の良さを知って頂きたいと「再考中村正義展」を2023年2月に弊廊にて行いました。
若い方にも知って頂き、日本画のコレクターが増えれば値打ちが出てくるのではないか、
買取り価格が上昇するのではないかと思っております。
2023年アートコレクターズ2月号
Amazonでコチラの雑誌はご購入いただけます。
120ページから123ページの 4ページにわたって、 中村正義の美術館 館長の中村倫子さんと対談致しました。
画家 中村正義について 深い話が出来たと思っております。
再考 中村正義 展
現在、こちらの展覧会は終了しております。
中村倫子館長との対談ページ①
中村倫子館長との対談ページ②
以下、生活の友社 『アートコレクターズ2023年2月号』より抜粋いたします。
特別対談
中村倫子(中村正義の美術館館長)×北岡淳(ギャラリー北岡技芳堂)
バスキアに負けない「顔」
北岡
私は表具師の家に生まれ、日展や院展の画家の絵には馴染みがありました。
しかし20代のある日、中村正義先生の「題」を見た時の衝撃は今でも忘れられません。
当時、不平等や不公平な世の中への反発心を秘めていた私は、
こんなアバンギャルドな表現をする人がいたのかと共感したのを覚えております。
それから10年以上かけてようやく展覧会を実明することができました。
中村
今回、父が懸点にしていた名古直屋で個展をしていただけて嬉しいです。
北岡
アメリカの画家バスキアは1960年に生まれ、70年代後半からスプレーペインティングを開始しました。
その約20年も前に正義先生はストリートアートのような「顔」を描かれた。
自分自身を見つめ続け、「顔」というテーマで日本画とは思えない斬新な表現をした作家を他に私は知りません。
中村正義 顔 8号
日展脱退からの新しい表現
北岡
正義先生は36歳の若さで日展審査員になり、そして翌61年、日展会員になった直後に脱退された。
病気だけでなく世間とも戦い、悩み苦しまれたと思います。
日本画の基礎は中村岳陵先生に学ばれたのでしょうか。
中村
はい。父は岳陵先生を尊敬していました。
勉強熱心な先生で、毎月、先生の画塾「蒼野社」では研究会を行い、
作品の批評をし合ったりしていたそうですが、やがてそういうことをしなくなりました。
北岡
61年の中村岳陵先生の四天王寺大壁画の設置中に弟子の日比野嘉径が亡くなります。
中村
そうですね。その対応などもめぐって、以前のように研究会をしようと、我妻碧字さんや森緑翠さんら名古屋の仲間たちと父が働きかけ、先生も一度は納得されたのですが、それを妬んだ東京のお弟子さん達の進言によって元に戻ってしまいました。
それで我妻さんと森さんが画塾と日展を抜けることになって、年齢的に一番下の父も辞めざるをえなかったのでしょう。
でも今は、日展の作家さんたちもうちの美術館に父の絵を見に来てくれます。
北岡
その後、我妻碧字や森緑翠は白士会を結成しますが、正義先生は参加しなかった。
脱退の影響で百貨店で発表できない時期もあったそうですね。
中村
ええ。銀座の百貨店の方は「中村正義展なんて企画したら刺されるよ」と言われたことがあったそうです。
北岡
一方で、厳しい状況でも支援者がいたのは、絵にもご自身にも魅力があったからでしょうか。
中村
作家仲間によると、とにかく絵が魅力的だったと言います。
丸栄の社長、川崎音三さんにはお世話になりました。
北岡
日展に入選するには師事する先生に従う必要があります。
正義先生は脱退してよかったのかもしれませんね。自由に描けるようになられた。
中村
ただ食べていけるかは別問題。
北岡
現在も日展は力がありますが、草問彌生さんをはじめとする日本人アーティストが世界から評価されるようになって、その構造が崩されつつあります。
57年に草間さんが渡米し、60年代は日本と世界のアートがめまぐるしく動き出しました。
正義先生が無所属になって、作風を大きく変化された時期です。
試行錯誤して辿り着いた「薔薇」
北岡
正義先生の絵の色調は、はセピア色でしたが、脱退直後に原色的な色へと大きく変化します。
中村
ともかく絵を変えたかったんです。ふと、父は決まった色ばかり使っているのに気がついた。
変わるためには今まで自分が好まなかった色を使う必要があると思ったみたいです。
日展時代は畳に座って制作し、絵具が少しでも撥ねると拭いていました。
それが、絵を変えると思い立ったら、絵具が落ちてもそのままになった。
何もかも変えて、特に色は意識したと思います。
北岡
正義先生の作品でも「薔薇」と「雪景」が特に人気があります。
中村
でもその2つのシリーズのうち、「雪景」はうちの美術館にはありません。
中村正義 花 20号
北岡
人気があったからでしょうね。中村うちにあるのは「顔」がほとんどです。
「薔薇」も最初の頃は全然売れませんでした。
北岡
薔薇までの花の絵も目まぐるしく変化されています。
中村
絵を変えようと思って、変えられるから面白い(笑)。
最初はいろんな種類の花を描いて、ダリアやケシ、パンジ-、名のわからない花もあります。
61年1月に今の美術館のある場所に引っ越してきて、
脱退後は赤い花のシリーズ、63年から「薔薇」や「顔」を描くようになります。
北岡
「花」(120頁)の薔薇は怪奇というか妖艶というか、
画面から力強いパワーを感じます。なんだか怒っている感じがする。
中村
そういうふうに感じていただけるのはすごい。確かに日展を辞めた頃で怒っています。
北岡
私には試行錯誤を経て辿り着いた、圧倒的な存在感のある花の完成形に見えます。
一番多く描いた「風景」
北岡
「雪」(122頁)は太陽の光が射し込むあたたかい雪景色であり、
また月と枯れ枝の見える厳寒の雪景色にも見える。
あたたかさと厳しさが同居しています。
中村
太陽と月のシリーズですね。
69年の五都展に出品した「雪景色」が最初で、同じ年に銀座三越で「中村正義個展:太陽と月のシリーズ」を開催しました。
そこで美術部の方から「お客様が太陽か月か知りたがっている」と言われた父は、
「お客様がいいと思うように返事をしてくれたらいい」と答えたそうです。
中村正義 雪 10号
北岡
鑑賞者に委ねるのはわかりますが、そう言い切れる作家はそういません。
中村
実は一番多いのが風景画で、ものすごい数のデッサンがあります。
日展や白士会の人たちとのスケッチ旅行では、みんなが1枚描く間に父は20枚も描いたとか。
筆が早くて、多く描くことを大切にしていました。
「雪」は父の風景の中でも最晩年の太陽と月のシリーズです。
見なくても描けるくらいに頭に叩き込まれている。
長年自分が描いてきた、記憶の中の風景です。一方、初期の作品は本画とよく似たデッサンや下図、写真があります。
その頃は風景を忠実に描くことを大切にしていたのだと思います。
北岡
長い間に風景画を試行錯誤された。出品作の「雪」は、その中でも非常にまとまっている優品だと思います。
「顔」=自画像
北岡
今、私が一番惹かれるのが顔です。常に死と向き合ったからこそ、「顔」すなわち自画像を描き、己の気持ちをぶつけたのでしょう。
だから怖くも悲しくも寂しくもある複雑な表情です。
当時の日本画家としては異端児で、早すぎる表現にも思います。
中村
だから全く売れなかったですし、冗談で描いているとか、頭がおかしくなったとか言われたようです。
北岡
「絵が変わって狂ったとされるのは進んだ芸術家にありがちです。
市場に「顔」はほとんど出てきませんが、美術館には何点くらいあるんですか?
中村正義 舞妓 SM
中村
300点程です。
把握している範囲で市場には80点くらいあります。
ただその中で売れたのはほんの少しで、他は御礼であげたものだと思います。
北岡
正義先生には油彩もあります。油絵具を使ったのはなぜですか。
中村
「顔」を描き始めた60〜61年頃は油彩で、立体的に表現したかったのだと思います。
でも思うように表現できず、乾くのに時間がかかる油絵具は合わなかったみたい。
途中から岩絵具に木工用ボンドを混ぜていました。やはり日本画の画材が性に合ったのだと思います。
死に向き合いながら描く
北岡
常に死を意識していたことが自画像に表れています。
絵が生々しく、真剣で気を抜いていない。
中村
考えていたようです。私が生まれた年に結核の手術をしてよくなりましたが、日展脱退後に癌になった。
そこから逆戻りして、病とともに生きてきました。
当時は癌になると死ぬしかない時代でしたが、病弱という印象はありません。
風邪で寝込むことはなくて、人一倍気を付けていたと思います。
絵をたくさん描いて、いろんなところにでかけて、写楽の本を作って、他にも活発に活動していました。
父は誰も描いていない、今までにない何かを描きたかったのだと思います。
北岡
真実を知る芸術家は自分と向き合い、己の芸術を追求します。
正義先生はやがてくる死を見つめ、地位や名誉にとらわれることなく、人間とは何か、どう人生を生きるべきかを考え、本質を求めて「顔」を描かれたのだと思います。
代表作の「舞妓」シリーズにしても、貧しい家に育ち、旦那衆に売られて囲われる美しい舞妓の真実を無惨に描いています。
私もあと2年で先生の亡くなられた52歳になるので、先生が晩年にどう生きてこられたかを展覧会に向けて考えています。
今日、お話できたおかげでより深く正義先生について知ることができました。ありがとうございました。
※中村正義の絵画以外にも様々な絵画を買取り致しております。
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映画 父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯
映画 父をめぐる旅 異才の日本ん画家・中村正義の生涯
こちらの映画はDVDにてご覧いただけます。
当時の日本画の世界がわかりやすく、素敵なDVDでした。
一度、ご覧いただけますと幸いでございます。
反抗と祈りの日本画 中村正義の世界 (集英社新書)
大塚信一著 中村正義の世界
こちらの本は分かりやすく中村正義の事が書かれております。
中村正義の事をあまりご存知ない方にも読みやすい一冊ではないでしょうか。
『画壇のエリートはなぜ異形の舞妓を描いたのか?』
日本の伝統的美意識の象徴として、昔から様々な画家に美しく描かれてきた舞妓たちですが、
しかしそれは本来の舞妓の姿を捉えているのでしょうか。
美しく表現するだけでは、舞妓の本質を捉えたことにはならないのではないか、
真実は他にあるのではないか。
中村正義はエリートの道を選ばず画壇の旧い体質と対決、
これまでの画風や使用する絵の具の色も全て変え、怪異な舞妓像を描き続けたました。
生涯を通して病気がちだった正義でしたが、そのような舞妓に自らを重ね合わせ、仏画のごとく描いたり、
舞妓の姿も様々な形に変化して行きます。
異端の画家と呼ばれた彼の生涯を見つめ、舞妓像や仏画、風景画、顔の連作といったジャンルごとにその作品を解説されています。
ドキュメント 時代と刺し違えた画家中村正義の生涯
こちらの本は、中村正義の生涯が非常に細かく明記されております。
丁寧に書かれており、正義への愛情も感じます。
笹木繁男著『ドキュメント 時代と刺し違えた画家 中村正義 の生涯』
本著は従来の一般書籍とは全く異なる手法で、日本画家中村正義の生涯をたどったものです。
ご存じのように中村正義は、戦後の荒涼とした 1946 年に開催された、 第 2 回日展(10 月:第 1 回日展は同年の 3 月)に、彗星のように登場 します。
敗戦の翌年のことです。以来日展を主舞台として、生来の肺の病と闘い、一時画業の中断をするなど、苦難な道をたどりながら一度の落選もなく 10 回出品しました。
その間特選 2 回、最後の日展では審査員を務め、日展会員となります。
ところがその直後の 1961 年、正義は大方の期待を振り切って日展を脱 退します。特記すべきは、結核が再発し死線をさまよい、日展への出品を中断して、4 年後に日展に再登場した 1957 年以降の 4 作です。
爾来自分の描きたい絵を描くと宣言し、貧窮に甘んじ、それを実行に 移しました。
また国に買上となった作品を破棄するなど、自作に最後までこだわった稀有の画家でもありました。
その後、発ガンを自覚しながら「从展」「東京展」を創設し、絵画の変 革を試みました。
享年 52 歳の短い生涯でした。
その正義の語られざる画業が、ここで初めて 明らかになります。
本著ではまた、ドキュメントの手法で当時の展覧会評の全文、特定できた出品作をすべて明記し、時代の証言も丹念に収録しています。
一 方当時のパンリアル美術協会、日本画研究会、从展、東京展、などそ の全貌が初めて浮き彫りにされ、当時の美術状況も一望できるよう配 意されました。
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