2026年9月24日

東山魁夷とは?日本の風景を描き続けた国民的画家の魅力と作品価値 〜名古屋・北岡技芳堂の骨董品買取ブログ〜

戦後を代表する日本画の巨匠、東山魁夷(1908〜1999年)。静かな森や湖、山々、一本の道などを描いた作品は、深い精神性と澄んだ色彩をたたえ、今なお多くの人々を魅了しています。なかでも「道」「残照」「緑響く」「白馬の森」などは広く知られ、美術に詳しくない方でも、一度はその作品を目にしたことがあるのではないでしょうか。

本稿では、骨董品・美術品の鑑定に携わる立場から、東山魁夷の経歴、作品の特徴、代表作、そして現在の美術市場における価値についてわかりやすく解説いたします。ご自宅に東山魁夷の作品がある方はもちろん、日本画に興味のある方にもお読みいただければ幸いです。

(北岡技芳堂代表・鑑定人 北岡淳)

 

 

東山魁夷 花明り

東山魁夷 花明り

 

 

■東山魁夷の経歴|戦後日本を代表する風景画家への歩み

東山魁夷は1908年(明治41年)、横浜に生まれました。本名は東山新吉。父親の仕事の関係で3歳のときに神戸へ移り、幼少期から絵を描くことに親しんで育ちます。旧制中学校時代には油絵を独学するようになり、やがて画家を志すようになりました。

当初、父親は画家になることに反対していましたが、学校の教諭の説得もあって美術学校への進学を認められ、1926年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画科へ入学します。在学中の1929年には「山国の秋」が第10回帝展に初入選。1931年に卒業した後は研究科へ進み、結城素明に師事しました。「魁夷」という雅号を用いるようになったのもこの頃です。

1933年にはドイツへ留学。ベルリン大学でドイツ語を学んだ後、哲学科美術史部に入学し、西洋美術史を学びます。留学中にはドイツだけでなく、フランス、イタリア、スイスなどヨーロッパ各地を巡りました。しかし1935年、父親の病気の知らせを受け、予定していた留学期間を残して帰国します。

1940年には、日本画家・川崎小虎の長女であるすみと結婚。その後、戦争が激しさを増すなかで、東山の人生にも大きな転機が訪れます。1942年に父を亡くし、1945年には自身も召集されて熊本の部隊へ入隊。終戦後に復員しますが、その年に母を、翌1946年には弟を亡くしました。すでに兄も亡くしていたため、38歳になるまでに両親と兄弟すべてを失うことになります。

戦後の1947年、東山は千葉県の鹿野山から九十九谷を望んだ風景をもとに「残照」を制作。第3回日展で特選となり、政府買い上げ作品に選ばれました。この作品を一つの転機として、東山は風景画家としての道を確かなものにしていきます。

1956年には、前年の日展に出品した「光昏」によって日本芸術院賞を受賞。1960年には東宮御所大広間の「日月四季図」、1961年には皇居吹上御所の「萬緑新」を手掛けるなど、国家的な仕事も任されるようになります。1965年には日本芸術院会員となり、1968年には皇居新宮殿の大壁画「朝明けの潮」を完成させました。翌1969年には文化勲章を受章し、文化功労者にも選ばれています。

一方で、東山は国内にとどまらず、北欧やドイツ、オーストリア、中国など各地を繰り返し訪れ、精力的に取材を続けました。1962年にはデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドを巡り、1969年にはドイツ・オーストリアへ長期旅行。1976年から1978年にかけては3度にわたり中国を訪れ、北京、西安、南京、揚州、桂林、黄山などを旅しています。

その画業のなかでも、とりわけ大きな仕事となったのが唐招提寺御影堂の障壁画です。唐招提寺から障壁画制作の依頼を受けると、日本各地の海岸や山々を巡って取材を重ね、1975年に第一期となる「山雲」「濤声」を奉納。さらに中国での取材を経て、1980年には第二期の「黄山暁雲」「揚州薫風」「桂林月宵」を完成させました。構想から完成まで約10年を費やした、東山魁夷の生涯を代表する大仕事でした。

1987年には本制作や習作、スケッチ、下図など500点を超える作品を長野県へ寄贈することを決定し、1990年には長野県信濃美術館に東山魁夷館が開館しました。

晩年まで制作活動を続け、1999年5月6日に90歳で逝去。従三位、勲一等瑞宝章が贈られました。現在もその作品は国内各地の美術館に所蔵され、20世紀の日本美術を代表する画家として高い評価を受け続けています。

 

■東山魁夷の作品の特徴|静かな風景に心の世界を映し出す

東山魁夷が生涯にわたって描き続けたのは、山、森、湖、海、道といった自然の風景です。しかし、その作品は単に目の前にある景色を写実的に描いたものではありません。実際の風景を出発点としながら、そこに自身の記憶や感情を重ね、現実を超えた静謐な世界へと昇華している点に大きな特徴があります。

◎人物をほとんど描かない静かな風景

東山魁夷の代表的な風景画には、人間がほとんど登場しません。こうした独自の自然観が形づくられるうえで、戦争体験は大きな転機となりました。軍に召集された東山は、死を身近に感じる軍隊生活のなかで阿蘇の風景を目にし、その美しさに強く心を動かされます。死を意識したからこそ、自然の中にかけがえのない「生」を見出したのです。代表作「道」に描かれているのも、草原を伸びていく一本の道だけ。人物がいないからこそ、見る者はそこに自らを重ね、その先にあるものを想像します。東山にとって自然は単なる描写の対象ではなく、自らの人生や心を映し出す存在でもあったのです。

◎「東山ブルー」と呼ばれる青と緑

東山作品を特徴づけるもう一つの要素が、青や緑を基調とした独特の色彩です。深い森や湖、山々を描いた作品では、青、緑、青緑などの近い色を幾重にも重ね、静かで奥行きのある空間を生み出しています。この特徴的な青や緑の色彩は、しばしば「東山ブルー」と呼ばれます。東山が用いた日本画の岩絵具は、粒子の大きさや重ね方、光の当たり方によって色の見え方が微妙に変化するため、印刷物では味わえない深みや輝きを生み出すことができるのです。

◎現実の風景から生まれた「心象風景」

東山は各地を実際に歩き、数多くのスケッチを残しました。しかし、本制作では目の前の景色をそのまま再現するのではなく、必要なものを残し、不要なものを取り除きながら画面を構成しています。つまり、実在する風景でありながら、完成した作品は東山の心を通して再構成された風景なのです。例えば「緑響く」では、深い緑に包まれた湖のほとりを一頭の白い馬が歩いています。モチーフとなった場所は長野県の御射鹿池として知られていますが、実際の景色をそのまま写したものではありません。現実の自然を基礎としながら、白馬という象徴的な存在を加えることで、現実と幻想の境界にあるような世界がつくられています。「白馬の森」などにも登場するこの白い馬は、1970年代以降の東山作品を象徴するモチーフの一つとなりました。

◎日本だけでなく北欧や中国にも広がった風景

東山魁夷というと日本の山河を描いた画家という印象がありますが、その制作の舞台は海外にも広がっています。1962年の北欧旅行では、湖や森、白夜の風景に接し、その後「北欧風景」と呼ばれる作品群を発表しました。また、若い頃に留学したドイツへの思いも深く、晩年まで繰り返しヨーロッパを訪れています。さらに唐招提寺障壁画の制作を契機として中国各地を訪問し、中国の山河を題材とした水墨表現にも取り組むなど、自然美を描くことへの探究心は尽きることがありませんでした。

◎代表作「道」「残照」「緑響く」から唐招提寺障壁画まで

東山魁夷の代表作には、戦後の出発点となった「残照」、一本の道だけを描いた「道」、日本芸術院賞を受賞する契機となった「光昏」、白馬を描いた「白馬の森」「緑響く」などがあります。そして画業の集大成とされるのが、唐招提寺御影堂障壁画です。第一期の「山雲」「濤声」では、日本の山と海を壮大なスケールで描き、第二期の「黄山暁雲」「揚州薫風」「桂林月宵」では、中国の山水を水墨によって表現しました。五室六十八面の襖や壁面などに描かれ、その全長は80メートルを超えます。日本へ仏教を伝えるために海を渡った鑑真和上に対し、故郷である中国と、たどり着いた日本の風景を捧げる――。その構想と規模、制作に費やされた歳月を考えても、東山魁夷の画業を象徴する作品群といえるでしょう。

 

 

東山魁夷 緑響く

東山魁夷 緑響く

 

 

■東山魁夷の作品価値と買取相場|今なお高い人気を誇る近代日本画の巨匠

東山魁夷は、日本近代・現代美術のなかでも特に知名度が高く、美術市場でも根強い人気を持つ画家です。美術館級の代表作の多くは公的機関などに所蔵されていますが、市場に出る一点物の肉筆画についても高い評価がなされています。実際に近年の国内オークションでも、東山魁夷の肉筆による日本画には数百万円から数千万円規模の価格が付く例が見られます。作品の内容や大きさ、制作年代、来歴などによっては、非常に高額な取引となる作家です。

ただし、東山魁夷の査定で特に注意したいのが、「東山魁夷の絵」として流通している作品にはさまざまな種類があることです。一点物の肉筆画のほか、習作、素描、木版画、リトグラフなどがあり、さらに既存作品を高精細に再現した複製画や新復刻画なども数多く制作されています。例えば「道」「緑響く」「白馬の森」「花明り」といった人気作品は、原画そのものだけでなく、木版画やリトグラフ、複製工芸画などとしても広く普及しています。同じ「東山魁夷」の名前が入っていても、一点物の肉筆画と版画、印刷による複製画では、美術市場における評価は大きく異なります。

版画の場合には、木版、リトグラフなどの技法、制作年代、限定部数を示すエディション、作家のサインや印、版元、保存状態などが査定の重要なポイントです。生前に作られた版画と没後の復刻作品でも評価が異なる場合があります。

肉筆画では作品の大きさ、画題、制作年代、出来栄え、展覧会への出品歴、画集への掲載歴、来歴などを総合的に確認します。東山を象徴するモチーフを描いた作品や、充実した時期に制作された作品は特に注目されます。

また、東山魁夷ほどの著名作家になると、真贋の確認も非常に重要です。落款や印があるからといって、それだけで本人の作品と判断することはできません。作品そのものに加え、額裏の共シール、箱、鑑定に関する資料、購入時の記録、展覧会歴や来歴などを総合的に確認する必要があります。日本画は岩絵具や紙、絹など繊細な素材でできているため、保存状態も評価を左右するポイントです。

ご自宅にある作品が「肉筆なのか、版画なのか、複製画なのかわからない」というケースも珍しくありません。価値を判断するためには、まず作品がどのような技法で制作されたものなのかを正確に見極めることが大切です。

 

■東山魁夷の査定・買取は北岡技芳堂へ

東山魁夷は、日本人に最も親しまれてきた画家の一人であると同時に、査定には専門的な知識を必要とする作家でもあります。ご家族が以前に百貨店や画廊で購入した作品でも、「東山魁夷の作品だとは聞いているが、詳しいことはわからない」ということは少なくありません。

北岡技芳堂では、近代・現代日本画をはじめ、長年にわたってさまざまな美術品・骨董品の査定、買取に携わってきました。東山魁夷の作品についても、技法や制作年代、サイン・落款、共シール、鑑定に関する資料、保存状態、来歴などを確認し、現在の美術市場における取引状況を踏まえて総合的に評価いたします。

東山魁夷は現在もコレクターからの需要が高く、作品によっては思いがけない評価につながることがあります。一方で、版画や複製画と思っていたものが別の技法による作品だったというケースもあるため、ご自身だけで判断して処分することはおすすめできません。

「昔から家に飾ってあるが、本物なのかわからない」「肉筆画か版画かを知りたい」「現在どのくらいの価値があるのか知りたい」といった場合も、まずはお気軽に北岡技芳堂へご相談ください。作品の価値を正しく見極め、次の持ち主へ大切に受け継いでいくことも、私たち骨董・美術品を扱う専門家の役割だと考えています。

 

◎鑑定人プロフィール

北岡淳(北岡技芳堂代表)

初代である祖父は掛け軸の表具師を生業としていたため、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

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