2026年8月10日

白隠の「金棒」から、ジョン・レノンの「Imagine」へ 〜名古屋・北岡技芳堂の骨董品買取ブログ〜

 

 

白隠慧鶴 金棒図画賛 「このわろを恐るる人は極楽へ」

白隠慧鶴 金棒図画賛 「このわろを恐るる人は極楽へ」

 

この作品を初めて見る方は、
「これは何を描いたものだろう」
と思われるかもしれません。

描かれているのは、
地獄の鬼そのものではありません。

鬼が手にする一本の金棒です。

そして、その金棒の傍らには、

「此のわろを恐るる人は極楽へ」

と書かれています。

「此のわろ」とは、
「このこいつ」といった意味。

つまり、

「この金棒を恐れる人は、極楽へ行く」

という、白隠らしいユーモアを含んだ言葉です。

しかし、よく考えてみると、
ここには白隠の面白さがあります。

白隠は、
鬼そのものを描いていません。

金棒だけを描いて、
その向こうにいる鬼を、
見る人の心の中に想像させる。

そして、
その金棒を恐れる自分自身の心に
目を向けさせる。

恐怖を描いているようで、
実は描かれているのは
人間の心なのかもしれません。

 

 

 


 

 

 

白隠慧鶴の自画像

白隠慧鶴の自画像

 

白隠は、なぜこれほど凄いのか

白隠慧鶴(1686–1769)は、
江戸時代を代表する禅僧です。

その偉大さは、
素晴らしい書や絵を残したことだけではありません。

江戸時代、
臨済禅が衰退していた時代に、
白隠は厳しい修行を重ね、
禅を再び活性化させ、
多くの弟子を育てました。

現在の日本の臨済宗の多くの法脈は、
白隠の弟子たちへとつながっています。

つまり白隠は、

一人の偉大な禅僧であると同時に、
日本の臨済禅を再興し、
次の時代へと渡した人物

なのです。

さらに白隠は、
禅を僧侶だけのものにしませんでした。

武士や商人、農民など、
普通の人々にも分かる言葉で禅を説き、
達磨、布袋、観音、鬼などを題材に、
書や絵によって人々の心に直接語りかけました。

難しい禅の思想を、
難しい言葉だけで説くのではなく、

笑わせ、
驚かせ、
考えさせ、
最後には自分自身の心を見つめさせる。

そこに白隠の凄さがあります。

 

 

 


 

 

白隠の墨には、白隠自身が残っている

私は古美術を見るとき、

「書には、その書を書いた人間が現れる」

と思っています。

技術だけではありません。

その人の生き方。
考え方。
心の強さ。
優しさ。
厳しさ。

一人の人間が長い年月をかけて積み重ねてきたものが、
一本の筆線に滲み出ることがあります。

もちろん、
書だけを見てその人の人格すべてを知ることはできません。

しかし、
一つの道を究めた人間が、
自分の精神を筆に託したとき、

その人の内面が、
墨の濃淡や筆の勢い、
かすれや余白となって現れる。

白隠は、
何十年にもわたって修行し、
苦しみ、迷い、悟り、
人を導き、
最後まで禅を追い求めました。

その白隠が、
自らの手で紙に置いた墨。

だから私は、
白隠の書を見るとき、

「古い紙に墨が残っている」

とは感じません。

300年前の白隠という人間の精神が、
紙の上に残っている。

そう感じます。

人格者の書には、
その人格の美しさが滲み出る。

白隠の書には、
禅に生きた一人の人間の精神が、
今も筆線の中に息づいているように思えるのです。

 

 

 


 

 

 

白隠慧鶴 金棒図画賛 「このわろを恐るる人は極楽へ」

白隠慧鶴 金棒図画賛 「このわろを恐るる人は極楽へ」

 

そして白隠は、現代アートとしても見ることができる

白隠の書を、
単に「江戸時代の古い書道作品」として見るのは、
少しもったいないと思います。

大胆な筆線。

巨大な文字。

激しい運筆。

墨の濃淡。

かすれ。

余白。

そして、
紙からはみ出してしまいそうな勢い。

そこには、
整った美しさだけを求める書とは異なる、

身体そのものを使った表現

があります。

その後の近代・戦後の前衛書を考えるとき、
白隠の存在は非常に興味深いものです。

特に、
戦後の前衛書を代表する井上有一の作品を見ると、

一文字を美しく整えるのではなく、

一本の線そのものを、
人間の存在として見せる

ような表現があります。

白隠と井上有一を同じものとして語ることはできません。

時代も、目的も違います。

しかし、

「書」という枠を越えて、
筆線そのものを生命ある表現として見せる。

その視点から見ると、
白隠の書は、
現代書道、さらには現代アートの感覚からも
見ることができます。

だからこそ、
300年前の白隠が、
現代の私たちにも新しく見えるのだと思います。

 

 

 


 

 

 

Imagine John Lennon

Imagine John Lennon

 

金棒から「Imagine」へ

そして、
この金棒を見ていると、
私はジョン・レノンの「Imagine」を思い出します。

ジョン・レノンは、
東洋思想や禅に関心を持っていました。

1971年には、
オノ・ヨーコと日本を訪れています。

その際、
東京・湯島の古美術店「羽黒洞」を訪れ、
店主の証言によれば、

白隠や仙厓の作品を実際に購入した

とされています。

ジョン・レノンにとって、
日本の禅や美術は、
単なる異国趣味ではなく、
自分自身の表現を考える上でも
身近な存在だったと考えられます。

そして、
「Imagine」。

この曲のタイトルは、
そのまま、

「想像してみて」

という意味です。

ジョン・レノンは、
私たちが当たり前だと思っている世界を、
一度取り払ってみるように語りかけます。

国境。

所有。

宗教。

そして、

天国も地獄もない世界。

「もし、そうだったら?」

と想像してみる。

これは単なる空想ではなく、

今ある現実を一度外側から見て、
別の世界を思い描いてみること

なのだと思います。

 

 

 

 


 

 

 

 

ジョンレノンとオノヨーコ

ジョンレノンとオノヨーコ

 

禅と「Imagine」に響き合うもの

もちろん、

「Imagine」が白隠や禅から直接生まれた

という証拠があるわけではありません。

そこは明確に分けて考えるべきです。

しかし、
両者には興味深い共通点があります。

禅は、

「こうでなければならない」

という固定観念や、
欲望、所有、地位、執着にとらわれず、
一度それらを手放して、
物事をそのまま見ることを求めます。

一方、「Imagine」も、

国境がなかったら。

所有に縛られなかったら。

宗教によって分断されなかったら。

そして、
天国も地獄もなかったら。

「もし、今まで当然だと思っていたものがなかったら?」

と想像させます。

つまり、

余計なものを一度取り払い、
その先にあるものを見る。

この感覚には、
禅と「Imagine」が
どこか響き合うところがあります。

 

 

 


 

 

 

「極楽」と「天国」

「極楽」と「天国」

ここで、
「極楽」と「天国」という言葉についても
考えてみたいと思います。

仏教の「極楽」と、
キリスト教などで語られる「天国」は、
宗教的には同じものではありません。

しかし、
人間が長い歴史の中で思い描いてきた、

苦しみから解放された、
安らぎの世界

という意味では、
重なる部分があります。

白隠は、

「此のわろを恐るる人は極楽へ」

と書いた。

地獄の鬼そのものは描かず、
その手にある金棒だけを描く。

そして、
その金棒を恐れる心から、
「極楽」という言葉へ導いていく。

一方、「Imagine」では、

天国も地獄もない世界を、
「想像してみて」と語りかける。

ここには、
とても面白い対比があります。

白隠は、
金棒を見せて、見る者の心に地獄を想像させる。

ジョン・レノンは、
言葉によって、見る者・聴く者の心に別の世界を想像させる。

どちらも、
すべてを説明してはいません。

残された余白を、
見る人、聴く人自身の心に委ねている。

私は、
ここに二つの表現が響き合う
一つの面白さがあるように感じます。

 

 

 


 

 

 

そして、もう一人の重要な人物

「Imagine」を語る上で、
オノ・ヨーコの存在も忘れることはできません。

「Imagine」は長く
ジョン・レノンの代表曲として知られてきましたが、
ジョン自身、
歌詞やコンセプトに
ヨーコの大きな影響があったことを認めています。

2017年には、
オノ・ヨーコが「Imagine」の共作者として
正式にクレジットされました。

つまり、
「Imagine」を考えるときには、

ジョン・レノンとオノ・ヨーコ

二人の思想と表現として見ることもできます。

 

 

 


 

 

 

一本の金棒、一滴の墨

江戸時代の白隠。

20世紀のジョン・レノンとオノ・ヨーコ。

直接の師弟関係があるわけではありません。

「Imagine」が白隠から生まれたわけでもありません。

しかし、

白隠は、描かれていない鬼を、
一本の金棒によって想像させた。

ジョン・レノンは、
「Imagine――想像してみて」と、
まだ存在しない世界を心の中に描かせた。

そして、その根底には、

「当たり前だと思っているものを一度手放し、
その先を見てみる」

という、
禅にも通じる感覚があります。

白隠が紙に置いた一滴の墨は、
やがて乾きました。

白隠自身も、
300年前にこの世を去りました。

それでも、

その精神は消えていません。

一本の筆線に。

一つの言葉に。

そして、
この一本の金棒に。

そこには、
白隠という一人の人間が生き、
修行し、
苦しみ、
悟り、
人を導こうとした時間が残っています。

だから私は、
白隠の書を見るとき、

「古い紙に墨が残っている」

とは思いません。

白隠の精神が、
墨となって紙に残っている。

そう感じます。

そして、
人格者が書いた書には、
その人の人格が滲み出る。

長い修行を積み、
一つの道を究めた人間の精神は、
言葉だけではなく、
筆の動きそのものに現れる。

それこそが、
白隠の書が300年近く経った今も
私たちを惹きつける理由の一つなのだと思います。

一幅の白隠。
一本の金棒。
一滴の墨。
そして一曲の「Imagine」。

江戸時代の禅と、
20世紀の音楽。

古美術と、
現代アート。

極楽と天国。

描かれたものと、
描かれていないもの。

その間にある余白を、
私たち自身の心で埋めていく。

白隠の書は、
300年前に描かれたまま、
今もなお私たちに「想像すること」を
求めているのかもしれません。

 

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