2023年5月17日

中村正義の絵画を買取り致します。

中村正義の日本画を買取り致します。

中村正義の買取価格を知りたい、高額査定をご希望でございましたら北岡技芳堂にお任せください 。

近代日本画の巨匠中村正義を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、中村正義作品を探しています。
もし中村正義の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。
中村正義の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

北岡技芳堂では、様々な絵画を買取致しておりますが、
中村正義は地元、愛知県出身ですし、特に自分自身が好きな作家でもあります。

 

中村正義と子

中村正義先生と娘の倫子さんの写真

 

子供のころから病弱で、美術学校に行くこともできなかったが、
日本画壇の重鎮・中村岳陵の画塾に入門し、22歳で日展に初入選。
たちまち頭角をあらわす。
速水御舟の再来とも言われ将来を嘱望されたが、その後モディリアーニやデュビュッフェ、さらにポップアートなどを自分流に咀嚼した破天荒な画風に転じ、日展を脱退、師の元も離れる。
日本画壇から激しいバッシングを受け、外の世界に仕事を求めた結果、映画用の注文作品や、雑誌の表紙や、リアリズム風の絵も手がけた。
1977年4月16日、呼吸不全のため神奈川県川崎市の聖マリアンナ医科大学病院にて死去。52歳。死後、遺族(娘の中村倫子)が家を美術館として公開している。

 

 

 

 

現在、中村正義の美術館では、春秋の年2回、娘の倫子さんが企画をして展示をされていらっしゃいます。

 

日本画の買取り価格が全体的に下落傾向にあるということもあり、

少しでも日本画の良さを知って頂きたいと「再考中村正義展」を2023年2月に弊廊にて行いました。

若い方にも知って頂き、日本画のコレクターが増えれば値打ちが出てくるのではないか、

買取り価格が上昇するのではないかと思っております。

 

 

2023年アートコレクターズ2月号 

アートコレクターズ中村正義

Amazonでコチラの雑誌はご購入いただけます。

アートコレクターズ2023年2月号

 

120ページから123ページの 4ページにわたって、 中村正義の美術館 館長の中村倫子さんと対談致しました。
画家 中村正義について 深い話が出来たと思っております。

 

再考 中村正義 展

ギャラリー北岡技芳堂
2023年2月20日(月)から3月1日(水)まで
10時〜18時(最終日は16時まで)/日曜休廊
 

現在、こちらの展覧会は終了しております。

 

中村正義展

中村倫子館長との対談ページ①

中村正義 中村のりこ 北岡淳

中村倫子館長との対談ページ②

 

以下、生活の友社 『アートコレクターズ2023年2月号』より抜粋いたします。

特別対談 

中村倫子(中村正義の美術館館長)×北岡淳(ギャラリー北岡技芳堂)

 

バスキアに負けない「顔」

北岡

私は表具師の家に生まれ、日展や院展の画家の絵には馴染みがありました。
しかし20代のある日、中村正義先生の「題」を見た時の衝撃は今でも忘れられません。
当時、不平等や不公平な世の中への反発心を秘めていた私は、
こんなアバンギャルドな表現をする人がいたのかと共感したのを覚えております。
それから10年以上かけてようやく展覧会を実明することができました。

中村

今回、父が懸点にしていた名古直屋で個展をしていただけて嬉しいです。

北岡

アメリカの画家バスキアは1960年に生まれ、70年代後半からスプレーペインティングを開始しました。
その約20年も前に正義先生はストリートアートのような「顔」を描かれた。
自分自身を見つめ続け、「顔」というテーマで日本画とは思えない斬新な表現をした作家を他に私は知りません。

 

 

 

中村正義 顔

中村正義 顔 8号

 

 

日展脱退からの新しい表現

 

 

北岡

正義先生は36歳の若さで日展審査員になり、そして翌61年、日展会員になった直後に脱退された。
病気だけでなく世間とも戦い、悩み苦しまれたと思います。
日本画の基礎は中村岳陵先生に学ばれたのでしょうか。

中村

はい。父は岳陵先生を尊敬していました。
勉強熱心な先生で、毎月、先生の画塾「蒼野社」では研究会を行い、
作品の批評をし合ったりしていたそうですが、やがてそういうことをしなくなりました。

北岡

61年の中村岳陵先生の四天王寺大壁画の設置中に弟子の日比野嘉径が亡くなります。

中村

そうですね。その対応などもめぐって、以前のように研究会をしようと、我妻碧字さんや森緑翠さんら名古屋の仲間たちと父が働きかけ、先生も一度は納得されたのですが、それを妬んだ東京のお弟子さん達の進言によって元に戻ってしまいました。
それで我妻さんと森さんが画塾と日展を抜けることになって、年齢的に一番下の父も辞めざるをえなかったのでしょう。
でも今は、日展の作家さんたちもうちの美術館に父の絵を見に来てくれます。

北岡

その後、我妻碧字や森緑翠は白士会を結成しますが、正義先生は参加しなかった。
脱退の影響で百貨店で発表できない時期もあったそうですね。

中村

ええ。銀座の百貨店の方は「中村正義展なんて企画したら刺されるよ」と言われたことがあったそうです。

北岡

一方で、厳しい状況でも支援者がいたのは、絵にもご自身にも魅力があったからでしょうか。

中村

作家仲間によると、とにかく絵が魅力的だったと言います。
丸栄の社長、川崎音三さんにはお世話になりました。

北岡

日展に入選するには師事する先生に従う必要があります。
正義先生は脱退してよかったのかもしれませんね。自由に描けるようになられた。

中村

ただ食べていけるかは別問題。

北岡

現在も日展は力がありますが、草問彌生さんをはじめとする日本人アーティストが世界から評価されるようになって、その構造が崩されつつあります。
57年に草間さんが渡米し、60年代は日本と世界のアートがめまぐるしく動き出しました。
正義先生が無所属になって、作風を大きく変化された時期です。

 

 

試行錯誤して辿り着いた「薔薇」

 

 

北岡

正義先生の絵の色調は、はセピア色でしたが、脱退直後に原色的な色へと大きく変化します。

中村

ともかく絵を変えたかったんです。ふと、父は決まった色ばかり使っているのに気がついた。
変わるためには今まで自分が好まなかった色を使う必要があると思ったみたいです。
日展時代は畳に座って制作し、絵具が少しでも撥ねると拭いていました。
それが、絵を変えると思い立ったら、絵具が落ちてもそのままになった。
何もかも変えて、特に色は意識したと思います。

北岡

正義先生の作品でも「薔薇」と「雪景」が特に人気があります。

中村

でもその2つのシリーズのうち、「雪景」はうちの美術館にはありません。

 

 

中村正義 薔薇

中村正義 花 20号

 

北岡

人気があったからでしょうね。中村うちにあるのは「顔」がほとんどです。
「薔薇」も最初の頃は全然売れませんでした。

北岡

薔薇までの花の絵も目まぐるしく変化されています。

中村

絵を変えようと思って、変えられるから面白い(笑)。
最初はいろんな種類の花を描いて、ダリアやケシ、パンジ-、名のわからない花もあります。
61年1月に今の美術館のある場所に引っ越してきて、
脱退後は赤い花のシリーズ、63年から「薔薇」や「顔」を描くようになります。

北岡

「花」(120頁)の薔薇は怪奇というか妖艶というか、
画面から力強いパワーを感じます。なんだか怒っている感じがする。

中村

そういうふうに感じていただけるのはすごい。確かに日展を辞めた頃で怒っています。

北岡

私には試行錯誤を経て辿り着いた、圧倒的な存在感のある花の完成形に見えます。

 

 

一番多く描いた「風景」

 

 

北岡

「雪」(122頁)は太陽の光が射し込むあたたかい雪景色であり、
また月と枯れ枝の見える厳寒の雪景色にも見える。
あたたかさと厳しさが同居しています。

中村

太陽と月のシリーズですね。
69年の五都展に出品した「雪景色」が最初で、同じ年に銀座三越で「中村正義個展:太陽と月のシリーズ」を開催しました。
そこで美術部の方から「お客様が太陽か月か知りたがっている」と言われた父は、
「お客様がいいと思うように返事をしてくれたらいい」と答えたそうです。

 

 

中村正義 雪景

中村正義 雪 10号

 

 

北岡

鑑賞者に委ねるのはわかりますが、そう言い切れる作家はそういません。

中村

実は一番多いのが風景画で、ものすごい数のデッサンがあります。
日展や白士会の人たちとのスケッチ旅行では、みんなが1枚描く間に父は20枚も描いたとか。
筆が早くて、多く描くことを大切にしていました。
「雪」は父の風景の中でも最晩年の太陽と月のシリーズです。
見なくても描けるくらいに頭に叩き込まれている。
長年自分が描いてきた、記憶の中の風景です。一方、初期の作品は本画とよく似たデッサンや下図、写真があります。
その頃は風景を忠実に描くことを大切にしていたのだと思います。

北岡

長い間に風景画を試行錯誤された。出品作の「雪」は、その中でも非常にまとまっている優品だと思います。

 

 

「顔」=自画像

 

 

北岡

今、私が一番惹かれるのが顔です。常に死と向き合ったからこそ、「顔」すなわち自画像を描き、己の気持ちをぶつけたのでしょう。
だから怖くも悲しくも寂しくもある複雑な表情です。
当時の日本画家としては異端児で、早すぎる表現にも思います。

中村

だから全く売れなかったですし、冗談で描いているとか、頭がおかしくなったとか言われたようです。

北岡

「絵が変わって狂ったとされるのは進んだ芸術家にありがちです。
市場に「顔」はほとんど出てきませんが、美術館には何点くらいあるんですか?

 

 

中村正義 舞妓

中村正義 舞妓 SM

 

中村

300点程です。
把握している範囲で市場には80点くらいあります。
ただその中で売れたのはほんの少しで、他は御礼であげたものだと思います。

北岡

正義先生には油彩もあります。油絵具を使ったのはなぜですか。

中村

「顔」を描き始めた60〜61年頃は油彩で、立体的に表現したかったのだと思います。
でも思うように表現できず、乾くのに時間がかかる油絵具は合わなかったみたい。
途中から岩絵具に木工用ボンドを混ぜていました。やはり日本画の画材が性に合ったのだと思います。

 

 

死に向き合いながら描く

 

 

北岡

常に死を意識していたことが自画像に表れています。
絵が生々しく、真剣で気を抜いていない。

中村

考えていたようです。私が生まれた年に結核の手術をしてよくなりましたが、日展脱退後に癌になった。
そこから逆戻りして、病とともに生きてきました。
当時は癌になると死ぬしかない時代でしたが、病弱という印象はありません。
風邪で寝込むことはなくて、人一倍気を付けていたと思います。
絵をたくさん描いて、いろんなところにでかけて、写楽の本を作って、他にも活発に活動していました。
父は誰も描いていない、今までにない何かを描きたかったのだと思います。

北岡

真実を知る芸術家は自分と向き合い、己の芸術を追求します。
正義先生はやがてくる死を見つめ、地位や名誉にとらわれることなく、人間とは何か、どう人生を生きるべきかを考え、本質を求めて「顔」を描かれたのだと思います。
代表作の「舞妓」シリーズにしても、貧しい家に育ち、旦那衆に売られて囲われる美しい舞妓の真実を無惨に描いています。
私もあと2年で先生の亡くなられた52歳になるので、先生が晩年にどう生きてこられたかを展覧会に向けて考えています。
今日、お話できたおかげでより深く正義先生について知ることができました。ありがとうございました。

 

 

 

※中村正義の絵画以外にも様々な絵画を買取り致しております。
絵画の売却をご検討なさっているお客様は、北岡技芳堂までご連絡ください。
高価格買取り致します。お電話、メール、LINEにて随時受け付けております。

絵画を買取り致します。

 

 

映画 父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯

 

中村正義 父をめぐる旅

映画 父をめぐる旅 異才の日本ん画家・中村正義の生涯

こちらの映画はDVDにてご覧いただけます。

当時の日本画の世界がわかりやすく、素敵なDVDでした。
一度、ご覧いただけますと幸いでございます。

 

 

 

 

 

反抗と祈りの日本画 中村正義の世界 (集英社新書) 大塚信一著 中村正義の世界

反抗と祈りの日本画 中村正義の世界 (集英社新書)

大塚信一著 中村正義の世界

こちらの本は分かりやすく中村正義の事が書かれております。
中村正義の事をあまりご存知ない方にも読みやすい一冊ではないでしょうか。

反抗と祈りの日本画 中村正義の世界

『画壇のエリートはなぜ異形の舞妓を描いたのか?』

日本の伝統的美意識の象徴として、昔から様々な画家に美しく描かれてきた舞妓たちですが、

しかしそれは本来の舞妓の姿を捉えているのでしょうか。

美しく表現するだけでは、舞妓の本質を捉えたことにはならないのではないか、

真実は他にあるのではないか。

中村正義はエリートの道を選ばず画壇の旧い体質と対決、

これまでの画風や使用する絵の具の色も全て変え、怪異な舞妓像を描き続けたました。

生涯を通して病気がちだった正義でしたが、そのような舞妓に自らを重ね合わせ、仏画のごとく描いたり、

舞妓の姿も様々な形に変化して行きます。

異端の画家と呼ばれた彼の生涯を見つめ、舞妓像や仏画、風景画、顔の連作といったジャンルごとにその作品を解説されています。

 

 

ドキュメント 時代と刺し違えた画家中村正義の生涯

中村正義の生涯

こちらの本は、中村正義の生涯が非常に細かく明記されております。

丁寧に書かれており、正義への愛情も感じます。

 

 

 

笹木繁男著『ドキュメント 時代と刺し違えた画家 中村正義 の生涯』

 

本著は従来の一般書籍とは全く異なる手法で、日本画家中村正義の生涯をたどったものです。

ご存じのように中村正義は、戦後の荒涼とした 1946 年に開催された、 第 2 回日展(10 月:第 1 回日展は同年の 3 月)に、彗星のように登場 します。

敗戦の翌年のことです。以来日展を主舞台として、生来の肺の病と闘い、一時画業の中断をするなど、苦難な道をたどりながら一度の落選もなく 10 回出品しました。

その間特選 2 回、最後の日展では審査員を務め、日展会員となります。

ところがその直後の 1961 年、正義は大方の期待を振り切って日展を脱 退します。特記すべきは、結核が再発し死線をさまよい、日展への出品を中断して、4 年後に日展に再登場した 1957 年以降の 4 作です。

爾来自分の描きたい絵を描くと宣言し、貧窮に甘んじ、それを実行に 移しました。

また国に買上となった作品を破棄するなど、自作に最後までこだわった稀有の画家でもありました。

その後、発ガンを自覚しながら「从展」「東京展」を創設し、絵画の変 革を試みました。

享年 52 歳の短い生涯でした。

その正義の語られざる画業が、ここで初めて 明らかになります。

本著ではまた、ドキュメントの手法で当時の展覧会評の全文、特定できた出品作をすべて明記し、時代の証言も丹念に収録しています。

一 方当時のパンリアル美術協会、日本画研究会、从展、東京展、などそ の全貌が初めて浮き彫りにされ、当時の美術状況も一望できるよう配 意されました。

 

 

※中村正義の絵画以外にも様々な絵画を買取り致しております。
絵画の売却をご検討なさっているお客様は、北岡技芳堂までご連絡ください。
高価格買取り致します。お電話、メール、LINEにて随時受け付けております。

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
 
 
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
 
 
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
裁判所にも有効な書類を作成させて頂く事も出来ます。
 
 
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
 
 
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。
 
 
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愛知県名古屋市中区門前町2-10
 
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2023年5月16日

児玉希望の絵画を買取り致します。

児玉希望の日本画を買取り致します。

児玉希望の買取価格を知りたい、高額査定をご希望でございましたら北岡技芳堂にお任せください 。

近代日本画の巨匠児玉希望を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、堂本印象作品を探しています。
もし児玉希望の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。
児玉希望の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

北岡技芳堂では、様々な絵画を買取致しておりますが、児玉希望は特に自分自身が好きな作家でもあります。

児玉希望は大正・昭和に活躍した日本画家です。 風景画や人物画、歴史画などさまざまなジャンルの絵画を描いており、いずれも緻密で繊細な描写、独特の淡い色調が特徴として挙げられます。また優れた水墨画を残した画家でもあり、全盛期にはヨーロッパ各国をめぐって学びつつ水墨画の展覧会を開催して好評を博しました。その作品は日本国内外で高い評価を得ており、代表作の多くは美術館・博物館に所蔵されています。

 

 

児玉希望 富士

児玉希望 富士山 

このような富士山が描かれた構図が人気です。現在も30万から50万はするでしょう。

 

児玉希望の高い買取価格のポイント

①描き込みよく明るい色彩。

②図柄が富士山が人気。

③晩年の作品は評価が高い。

 

児玉希望(こだま きぼう)は明治から近代にかけて活躍した日本画の巨匠です。児玉希望と聞いて真っ先に思い出されるのはやはり写実性の高い水墨画でしょう。

晩年の児玉自身が「水墨画は素人が描けるようなものではない」と語っているように、水墨画は児玉にとって特別に思い入れがあり、実際数多くの秀作を残しています。

『枯野』、『浮御堂』、『雨後』などの繊細かつ写実性の高い水墨画は児玉の集大成と言われており、後世の日本画家に多大な影響を与えました。

しかし、児玉希望は画家人生の最初から水墨画を志していたわけではありません。児玉は並々ならぬバイタリティであらゆる画題に挑戦し、試行錯誤の末、水墨画にたどり着いたのです。

児玉希望は1898年、広島県に生まれます。幼少から絵画の手ほどきを受け、13歳の頃には緻密な筆致による院体画(伝統を重視した写実的な画風)を完成させ、周囲を驚かせます。早熟な児玉はその後も絵の練達を重ね、20歳のときに上京し、日本画家の川合玉堂の弟子となりました。

そしてそのわずか3年後、帝展で初入選となります。 児玉自身が初めて出品する展覧会、しかも名誉ある帝展で入選を果たしたことで話題になり、有望な新人として注目を集めました。

その後も帝展、日展、文展などの展覧会に出品、徐々に日本画家としての地位を確立させた児玉は30歳のときに『盛秋』で特選の受賞を果たします。当代切っての日本画家のエリートとして、順風満帆な道を進む児玉でしたが、一人の芸術家として絵の可能性に頭を悩ませてもいました。

初期の児玉希望の作品の多くは明媚な色彩のコントラストや色彩と主題の調和など、鋭い色彩感覚に基づいています。しかし、そうした作品を制作し続けるうち、色彩の効能だけに依存した作風で本当に良いのか、絵というものは絵の具や墨を見せるものではないはずだ、という思いが日増しに強くなります。そうした疑問に自らが答えるために、南画、歴史画、人物画など新しい領域の絵画技術を独学し、さらに59歳のときにはヨーロッパに1年間渡り、西洋古今の芸術を学びました。

こうした試行錯誤の果てにたどり着いたのが児玉の水墨画です。鋭い観察眼を失うこと無く完成度を追求した晩年の水墨画は国内外で高評価を受け、さらに写実性のみならず「抽象水墨画」とでも言うべき新しい水墨画の可能性を追求しました。

 

児玉希望 花と銀鶏

児玉希望 花と銀鶏

色彩鮮やかで色の組み合わせが良くバランスに優れた花鳥画です。

 

 

 

児玉希望の晩年の水墨山水図

児玉希望の晩年の水墨山水図 

墨の使い方が見事です。空気や湿気まで感じさせる技量は師匠の川合玉堂ゆずりですね。

 

 

児玉希望の水墨画

児玉希望の水墨画

師匠が川合玉堂弟子が奥田元宗というなんとも繋がりのご縁の良さを感じます。

 

 

 

 

児玉希望鑑定委員会

児玉希望鑑定委員会 東京都中央区日本橋小伝馬町10-6 芳山堂内 03-3823-7536にて鑑定を行なっていましたが現在休止中

 

 

 

児玉 希望(こだま きぼう)略歴

1898年7月5日 〜 1971年5月2日

日本画家、日本芸術院会員。 経歴 広島県高田郡来原村原田(現・安芸高田市高宮町原田)出身。

本名・省三。尾竹竹坡門下を経て、1918年に川合玉堂の門に入る。

「希望」の号は竹坡がつけたもの。

1921年に帝展に出品し「夏の山」で初入選。

1928年帝展では洋画の手法を取り入れた「盛秋」で特選となる。以後、新文展、日展に出品。

1950年日展運営会参事、伊東深水門下の白鳥映雪らとともに日月社を結成。

1952年の作品「室内」により日本芸術院賞を受賞。

1958年日展評議員

1959年日本芸術院会員。

1961年日展常務理事。

1970年勲三等旭日中綬章受章。画塾の門下には佐藤太清、奥田元宋、船水徳雄らが在籍した。賀茂鶴酒造社長・会長を歴任した石井泰行は娘婿。賀茂鶴酒造副社長・石井裕一郎(石井泰行の長男)は公益財団法人奥田元宋・小由女美術館理事。

作品

「大楠公」 絹本著色 佐久市立近代美術館蔵1941年(昭和16年) 第4回新文展

「花下吟詠」 絹本著色 額装1面 東京国立近代美術館蔵1942年(昭和17年)献納展

「仏蘭西山水絵巻(山・海・河)」 絹本墨画 3巻 東京国立近代美術館1958年(昭和33年)

著書など

水墨滞欧記 誠文堂新光社 1958

現代日本絵巻全集 14 児玉希望・東山魁夷 小学館 1982

児玉希望 日本画と写生の世界 泉屋博古館分館 c2007

 

※児玉希望の絵画以外にも様々な絵画を買取り致しております。
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2023年5月13日

児玉幸雄の絵画を買取り致します。

児玉幸雄の油彩画を買取り致します。

児玉幸雄の買取価格を知りたい、高額査定をご希望でございましたら北岡技芳堂にお任せください 。

近代洋画の巨匠児玉幸雄作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、児玉幸雄作品を探しています。
もし児玉幸雄の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。
児玉幸雄の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

 

児玉幸雄本人写真

児玉幸雄本人写真

児玉幸雄の作風

児玉幸雄といえば、パリの街並みを題材にした絵画作品が有名ではないでしょうか。
フランスのパリを中心にヨーロッパの街並みを描き続けた作家です。
初期には人形や着衣の婦人像を多く描いていましたが、
渡欧後は異国の人々の生活感と活力がみなぎる広場を主なモチーフとしました。

大胆な小気味良い筆使いで、絵の具をキャンバスにのせるように描いたマチエールからは表現力の高さを感じます。

 

高価買取のポイント

人々が行き交う朝市や広場が人気図柄でしょう。
基本的には、ヨーロッパの街並みや風景は評価が高く高く買取りができます。
モンマルトルなどのパリを舞台に、そこで生活をする人々の動きを色とりどりに表現されている作品が高評価になりやすいです。
暗い作品は価格が下がる傾向にあります。
技法により評価が分かれますので順にご説明いたします。

 

 

児玉幸雄 パリの朝市 10号

児玉幸雄 パリの朝市 10号

 

このような図柄は、高価買取をすることができます。

 

 

児玉幸雄の現在の買取り時の評価と価値

 

 

① 油彩画作品

油絵の具体的な構図としては画面の両サイドに建物が描かれ、
中央に広場や通りを配置し、人々で賑わっている様子の構図が良いとされています。
号数やコンディションにもよりますが、70万前後の買取価格が多い印象です。
港の風景や人形を描いている作品は、代表作と比べますと買取り価格は下がります。
油彩画作品は、東美鑑定評価機構鑑定委員会の鑑定書が必要となる場合があります。
鑑定書が無くても査定後に鑑定に出すことも可能でございますので、お気軽にお問い合わせください。
油彩画は、ワレ・カビ等のダメージが出ていると評価が下がります。
たまに額縁が割れていたり塗装が剥げてたりする場合がありますが、多少の事は問題としません。

 

② 水彩画作品

パステル 紙に水彩絵の具で描かれている作品です。
油絵のように細かい書き込みが無いと買取価格は厳しいでしょう。
一方、下絵としてではなく1つの作品として成立するクオリティでしたら、
買取金額は期待できるかもしれません。
原画作品は鑑定書がある方が好ましいですが、
鑑定の費用と市場価値を考慮すると敢えて取得しない場合もあります。

 

③版画作品

人気作家の原画作品は、値上がりして簡単には購入できない金額になります。
児玉幸雄の作品も、バブル期には非常に高い価格が付けられていました。
原画作品ですとなかなか購入できないファンに気軽に楽しんでもらうため、
一度にまとまった枚数を制作できる版画作品が世に送り出されます。
このような経緯から、美術品としての評価は原画に比べると元々の価格もお値打ちな為、買取価格にも影響します。
今の相場を考慮すると、厳しい査定額になるかもしれません。
児玉幸雄本人のサイン(ykodama)と、娘である児玉純子のサイン(jkodama)の2パターン存在し、
買取価格は本人サインの方が評価は高いです。
版画作品は、シミや退色などのダメージに注意が必要です。

 

 

 

児玉幸雄 パリの朝市 10号

児玉幸雄 版画 リトグラフ作品

 

 

 

児玉幸雄画集

児玉幸雄画集

こちらの画集で児玉幸雄の作品のおおよその全体像が分かります。

 

著者児玉幸雄
編集 日動出版編集部
出版社  日動出版
発行年 2009年
 
 

目次
児玉幸雄 人と作品 瀧悌三

 
作品
油彩作品目録
水彩作品目録
版画作品目録
最初の渡欧 児玉幸雄
児玉幸雄年譜

 

 

児玉幸雄 水彩作品 オンフルールの港

児玉幸雄 水彩作品 オンフルールの港

 

 

 

児玉幸雄の買取査定のポイント

 

作家評価

大正~平成にかけて活躍した洋画家。
パリなどのヨーロッパの街角を描いた風景画が多く、全体的に淡い色彩でまとめられたほんわりしたものや、赤などの差し色が効いた小気味の良いものがあり、落ち着いた温かい画風が特徴です。

 

技法評価

師匠の田村幸之助譲りで、作品の奥行きを感じることが出来る。
直筆作品は大量に流通できない為、評価が高く高価買取に繋がりやすいです。

 

絵柄評価

ヨーロッパ独特の石造りの建物の重厚感までしっかり描かれた「パリの朝市」「ムフタール通り」を描いた作品は、高価買取に繋がりやすい傾向があります。
特に「空」が晴れている作品は高価買取に繋がりやすい傾向があります。

 

 

 

 

児玉幸雄 フランス人形 6号

児玉幸雄 フランス人形 6号

 

 

 

 

児玉幸雄 (こだまゆきお)略歴

 

1916年 大阪市の薬品店に生れる。

1934年 関西学院大学経済学部に進学。

1936年 高村孝之介に師事。大学在学中に関西美術展に入選。

1937年 二科展に「赤い背景の人形」初入選。

1938年 関西美術展全関賞受賞。

1939年 大学卒業後、入隊。

1946年 7年の中国での兵役後復員。

1947年 大阪市展市長賞受賞。二紀会創立に参加。

1950年 二紀会同人優賞受賞。

1952年 二紀会医院に就任。

1956年 東京に転居。

1957年 初の渡欧。その後、行く度も渡欧し、パリを初めとした街中の人々の暮らしを温かで明るい色彩で描き続ける。

1964年 アメリカ、メキシコを旅する。

1992年 東京にて逝去。享年75歳。

 

※児玉幸雄の絵画以外にも様々な絵画を買取り致しております。
絵画の売却をご検討なさっているお客様は、北岡技芳堂までご連絡ください。
高価格買取り致します。お電話、メール、LINEにて随時受け付けております。

絵画を買取り致します。

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
 
 
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
 
 
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
裁判所にも有効な書類を作成させて頂く事も出来ます。
 
 
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
 
 
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。
 
 
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
 
 
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
 
愛知県名古屋市中区門前町2-10
 
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
 
 
#骨董品買取#骨董品#古美術#絵画#版画#茶道具#日本刀#彫刻#金#掛軸
 

 

 

 

 

 

 

2023年5月13日

小倉遊亀の絵画を買取り致します。

小倉遊亀の日本画を買取り致します。

相続などで小倉遊亀の買取価格をお知りになりたい場合や、
高額査定がご希望でございましたら北岡技芳堂にお任せください 。

日本画の巨匠小倉遊亀作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、小倉遊亀作品を探しています。
もし小倉遊亀の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。
小倉遊亀の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

 

小倉遊亀 本人

小倉遊亀 本人 

 

 

 

 

小倉遊亀の絵画の作風

高値で売買されるのは日本画の本画ですが、版画作品も多数ございます。
小倉遊亀は花を中心に、身近にあるものを題材にしている作品が多いです。
特に古九谷の皿や壺、富本憲吉の徳利作品は人気の図柄です。
大胆に色を使い形態を簡略化する画面構成は、近代的であり洗練された印象を持ち、
女流画家ならではの美しさと力強さを作品から感じることができます。
20号以下の作品が多く、初期作は掛軸作品もございます。
日本間や応接間のインテリアを目的として描かれた作品は、梅や椿などをモチーフにしたものが多く、
非常に艶やかで高い評価を得ています。
小倉遊亀の日本画は、小倉健一氏ギャラリー鉄樹が所定鑑定機関となりますが、鑑定書が無くても先ずは査定いたします。

 

 

 

小倉遊亀 好日

小倉遊亀 好日

 

 

 

 

小倉遊亀の現在の買取り評価

 

小倉遊亀の作品は日本画・書・版画の大きく3つに分けることができます。
作品の種類によって見るべきポイントや買取金額が異なりますので順に見ていきます。

① 日本画

小倉遊亀の作品で最も高価なジャンルです。
本画と呼ばれて作家が最も力を入れている作品で、バブル期に比べ美術市場が落ち着いている現在でも、作品によっては高価買取が可能となります。
作品の構図、サイズ等によって買取価格が大きく異なり、70万から300万円の幅があります。

 

②版画 木版画 リトグラフ

日本画家が制作する版画は、既存の日本画から作品にすることが殆どです。
日本画の種類に比べると版画の種類は少ないため、必然的に作家にとって良い作品が版画に選ばれます。
裏を返せば、版画になっている絵は良い作品と言えます。

 

③書

文字通りの「書」です。
茶掛けの様な厳かな書ではなく、絵画作品のような色鮮やかな紙を使用した作品や、日本画の顔料で書かれているのが特徴的です。
ユニークな作品が多いですが、買取査定額は5万~10万円前後となります。
日本画と比べると二次的な扱いになるのが現状です。
小倉遊亀先生が書かれたからありがたい、長寿の大らかさが書に表れて癒されるなど、
書を好まれる方もいらっしゃいますし、料理屋さんなどにぴったりではないでしょうか。

 

 

小倉遊亀画集画業70年

小倉遊亀画集画業70年

著者 小倉遊亀著 出版社 朝日新聞社 刊行年 昭61 ページ数 53p 図版118枚

小倉遊亀先生の日本画作品がかなり網羅されております。

 

 

小倉遊亀 全版画集 

小倉遊亀 全版画集 

著作者 : 小倉遊亀
作品名 : 全版画集
監修 : 有限会社鉄樹
発行所 : 株式会社アートジャパン 靖山画廊
印刷 : 株式会社光和印刷

女流日本画の第一人者でもある小倉遊亀先生の初となる版画集。

1980年から2012年まで発行された版画133点が掲載されています。
数々の人気作が詰まった一冊となっています。

こちらの版画集で全ての版画を確かめることができます。

 

小倉遊亀 書 明恵上人 

小倉遊亀 書 明恵上人 

あかあかや

あかあかあかや

あかあかや

あかあかあかや

あかあかや月

意味

明るいなあ。ほんとうに明るく明るいよ。飽か ないなあ。いやが上にも明るく広くいっぱいに 満ちている月だ。
「あか」を12個重ねて読んだ歌ですが、この歌は「陀羅尼(だらに)」と言われ、 真言密教の経文(きょうもん)を翻訳せず に読みあげたものとされています。
同じ単語を何度も使う歌を畳句歌といわれ、このような遊びは多く行われていますが、 12個使われているのは他にないと思います。

 

 

 

 

小倉遊亀 姉妹 滋賀県立美術館

小倉遊亀 姉妹 滋賀県立美術館

 

 

 

 

小倉 遊亀 おぐら ゆき 略歴

1895年3月1日 – 2000年7月23日)は、日本画家。本名はゆき。旧姓は溝上。女性初の日本美術院同人。

上村松園・片岡球子と並ぶ日本を代表する女性画家の一人。

代表作品に「O夫人坐像」「小女」「浴女」など。 経歴 現在の滋賀県大津市中央に生まれる。

1913年、滋賀県立大津高等女学校(現在の滋賀県立大津高等学校)を卒業。

1913年、奈良女子高等師範学校(現在の奈良女子大学)国語漢文部に入学。

1917年、奈良女子高等師範学校を卒業し[2]、京都第三高等小学校に着任。

1919年、椙山高等女学校教論。

1920年、捜真女学校教諭を務める[2]。同年、安田靫彦に師事する。

1926年、「胡瓜」が院展に入選。

1932年、女性として初めて日本美術院同人に推挙される。

1938年、山岡鉄舟門下の小倉鉄樹と結婚し、それ以降は鎌倉に居住した。

1976年、日本芸術院会員。

1978年、文化功労者。

1980年、上村松園に次いで女性画家2人目となる文化勲章を受賞。

1981年、大津市名誉市民。

1990年から1996年まで、日本美術院理事長を務めた。

1995年、鎌倉市名誉市民。

1998年、奈良女子大学初の名誉博士。

2000年7月23日、105歳で死去した。同日、従三位に叙される。戒名は「大梅院天池遊亀大姉」。

 

 

小倉遊亀 初夏の花 名都美術館

小倉遊亀 初夏の花 名都美術館

 

 

 

遊亀の作風は1950年頃までは、細密な描写や端正な作品構成が特徴的である。
1951年から1965年頃までの作品は、マチスやピカソといった西洋絵画を研究した成果が大胆に取り入れられる。
1966年頃から1976年頃までの作品は、円熟期に達した遊亀独自の境地と評される。
奈良女子大学の講堂の緞帳は遊亀の「爛漫」、滋賀県立大津高等学校の体育館の緞帳は「うす霜」という原画によるものである。

 

 

受賞歴

1954年 – 「O夫人坐像」などで第4回上村松園賞

1955年 – 「裸婦」(第39回院展出品)で芸術選奨美術部門文部大臣賞

1957年 – 「小女」(第41回院展出品)で第8回毎日美術賞

1962年 – 「母子」(第46回院展出品)で第18回日本芸術院賞

1975年 – 神奈川文化賞

1979年 – 滋賀県文化賞

1980年 – 文化勲章

 

※小倉遊亀の孫・寛子氏は編集者として 介護の様子を書に記す 小倉遊亀は2000年に105歳の高齢で亡くなりますが、
その介護記録を孫の寛子氏が70冊もの介護ノートにまとめていました。
編集者でもあった寛子氏は、その様子を「小倉遊亀 天地の恵みを生きる」で残し、出版しています。
寛子氏は現在作品の管理や講演会などで幅広く活動されています。

 

 

※小倉遊亀の絵画以外にも、様々な絵画を買取り致しております。
絵画の売却をご検討なさっているお客様は、ぜひ北岡技芳堂までご連絡ください。
高価格買取り致します。まずはお電話、メールにて受け付けております。

絵画を買取り致します。

簡単LINE査定も随時お受けしております。

 

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美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

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出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させて頂きます。

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

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2023年5月12日

小田野尚之の絵画を買取り致します。

小田野尚之の日本画を買取りいたします。

相続などで小田野尚之の買取価格をお知りになりたい場合や、
高額査定がご希望でございましたら北岡技芳堂にお任せください 。

小田野尚之作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。
豊富な買取実績がある北岡技芳堂では、小田野尚之作品を探しています。
もし小田野尚之の作品がお手元にございましたら、北岡技芳堂へぜひご相談ください。
小田野尚之の作品を無料査定し、少しでも高く、お客様にご満足いただける価格で買取いたします。

 

小田野尚之先生といえば赤い電車の作品が目に浮かびます。
廃線となった路線で、かつて走っていた赤い電車を思い出して描いていらっしゃるそうです。

小田野尚之 本人写真 自身の作品の前で

小田野尚之 本人写真 自身の作品の前で

 

作風

小田野尚之といえば、田舎の風景を題材にした作品が特徴的です。
近年コレクターからの人気も高い院展作家です。
田園風景や田舎の線路などをモチーフにする事が多く、草木や田んぼの表現が特に秀逸です。
光を浴びた緑を丸みを帯びたタッチで表されており、離れて見ても近くで見ても感動を与えてくれます。
都会の喧騒とかけ離れた優しさと温かみを感じる作品を制作しています。

 

現在も活躍している作家のため、ここで紹介する評価額は変動する可能性が高いです。
お問い合わせいただいたタイミングで市場評価を確認するため、こちらで記した金額は参考の買取り価格となります。

小田野尚之の作品で「緑」を基調とした構図はどれも人気がありますが、赤い電車が描かれていると高価買取となる場合が多いです。
線路だけの作品も数多くありますが、電車が少しでも描かれていると評価は上がります。

 

 

 

2013年アートコレクターズ8月号の表紙に小田野尚之先生の作品が表紙になりました。

2013年アートコレクターズ8月号の表紙に小田野尚之先生の作品が表紙になりました。

まだ販売してます。小田野尚之先生の表紙のアートコレクターズ

 

 

 

 

① 路線が描かれている作品

小田野尚之が描く風景は緑を基調とした風景が多く、そこに路線が描かれていると評価しやすいです。
電車が描かれているかどうかにより、買取り価格は変化致します。

 

② 路線が描かれていない作品

緑を基調とした風景画でも、路線が描かれていないと若干評価が下がる傾向です。
サイズや制作年、構図次第になりますので、実物を拝見させて頂き買取り価格をお伝え致します。

 

小野田尚之 作品

小野田尚之 作品

 

小田野尚之(おだのなおゆき)略歴

1960年 神奈川県横浜市に生まれる

1986年 東京藝術大学大学院美術研究科日本画修了

1989年 東京藝術大学大学院後期博士課程保存修復技術満期退学

1991年 有芽の会 日本更生保護協会理事長賞

1992年 東京セントラル美術館日本画大賞展優秀賞受賞 1

996年 日本美術院賞大観賞(同’01)

1997年 院展奨励賞(同’98, ’99, ’00)

1999年 院展 足立美術館賞

2002年 MOA美術館 岡田茂吉賞優秀賞 院展 天心記念茨城賞

2004年 『更生保護表紙絵による 小田野尚之作品展』(ナカジマアート)

2006年 日本美術院同人推挙

2012年 春の院展 足立美術館賞

2013年 院展 文部科学大臣賞

2017年 院展 内閣総理大臣賞

2019年 個展『小田野尚之vs.小田野尚之』(ナカジマアート)

 

※小野田尚之の絵画以外にも様々な絵画を買取り致しております。
絵画の売却を検討されていましたら北岡技芳堂までご連絡ください。
高価格買取り致します。まずはお電話、メールにてお気軽にお問い合わせください。

絵画を買取り致します。

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美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
 
 
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
裁判所にも有効な書類を作成させて頂く事も出来ます。
 
 
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
 
 
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