2019年8月20日

藤田嗣治の白い猫を買取いたしました。

藤田嗣治

白い猫

1929年

32.5cm×44.5cm

版上サイン有

肉球が可愛い!

 

 

藤田嗣治の作品を買取いたしております。

油彩画の藤田嗣治の作品から、版画、デッサン、素描など様々な作品がありますが高額で買取いたします。

藤田嗣治は人気がありますので高値で取引されております。

まずは、お電話、メールにてお問い合わせください。

 

 

 

 

 

 

2019年7月9日

弥七田織部渦巻紋茶碗が入荷

弥七田織部渦巻紋茶碗

使うなら今の時期かな!

前回ご紹介した古瀬戸茶碗の二番目にお出ししてます。

「古池や蛙飛びこむ水の音」

という事で春から今ぐらいの時期に良いお茶碗じゃないですかね!

 

 

ご来店いただきましたらこのお茶碗でお茶をお出し致します。

 

 

水たまりに雨が落ちたようにも感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月4日

古瀬戸茶碗 藤村庸軒書付

古瀬戸茶碗

詫びててお茶が美味しく頂けます。

藤村庸軒好み

白庵茶碗在判

箱書と高台横の漆書共に藤村庸軒

 

 

お茶が美味しです。

 

 

古瀬戸特有の釉薬がたまらない。

 

 

いい茶わんだな〜〜!

宗旦四天王の一人、藤村庸軒の所持していた茶碗ということで、なぜか嬉しくなってきます。

 

 

 

 

 

2019年7月2日

徳川宗春 尾張徳川7代藩主 入荷

徳川宗春

尾張徳川7代藩主

風月「ふげつ」

心地よい風と美しい月。自然の風物。「花鳥風月」

自然の風物を題材に詩歌・文章を作ること。また、文才のあること。「風月の才に富む」

 

 

 

 

 

 

自然の風物を題材に詩歌・文章を作ること。また、文才のあること。「風月の才に富む」

宗春鉸彫と落款に書かれており、自筆をいろ紙で切り抜いて本紙に張り付けた文字。

宗春の風流さを感じさせて素晴らしい珍品。

徳川宗春は、数が少なく貴重なお軸です。

名古屋を盛り上げるには宗春さんですね!

 
 
 
 

2019年5月1日

須田剋太の絵画 ひまわり 入荷

須田剋太 ひまわり

1986年 グワッシュ

 

 

須田剋太【すだこくた】

埼玉県生れ。本名勝三郎。熊谷中学卒。

1935年光風会入選,

1940年同会員となる。

1949年の退会後は国画会で活躍。力強く荒々しい作風で風景や静物などを描いた。

司馬遼太郎《街道を行く》の挿絵を担当する。

多くの作品が埼玉県立近代美術館,飯田市美術博物館に所蔵されている。

文展・日展をはじめ現代日本美術展・国際展等で活躍する。力強く奔放なタッチによる生命力のある表現が異彩を放つ。書・陶芸でも知られる。

 

※須田剋太の絵画 を高価格にて買い取りいたします。書や立体作品も製作されております。どんな作品でもまずはお問い合わせください。

 

2019年4月22日

仙厓義梵 色変えぬ我呉竹の命かな

仙厓義梵

色変えぬ我呉竹の命かな

竹は色褪せず寒さに耐える植物であることから、松と梅、梅と水仙などと共に「歳寒三友」として描かれます。
また、雪の重みにも負けない姿も画の題材として人気です。

御所の清涼殿には漢竹と呉竹が植えられ、左近の桜と右近の橘と同じように対として扱われるものです。
呉竹の方が葉が細いですね。

仙厓の俳句は、辛い環境にあっても色褪せぬことなき我が命は呉竹と同じであるというような意味になります。

 

 

 

 

高僧の墨跡。書の掛軸を買取いたします。

白隠禅師、仙厓禅師、慈雲尊者などを買い取りいたします。

お気軽にお問い合わせしてください。

 

 

 

 

2019年3月9日

小杉放庵の書  先一杯

小杉放庵の書

先一杯

お酒やお茶をどうぞ!

喫茶去と同じ意味でしょうね。

ユーモラスでいて品格のある花鳥画や人物画を描き、紙にもごだわり、越前和紙を使用、放庵の注文した紙は、放庵紙といわれている。

晩年のサインは、印に腰掛けるように書くことから「腰掛落款」といわれたていて書、画、いずれも独特の境地に達し、晩年になるほど洗練された画境に達する。

 

 

 

経歴

明治14年12月30日生
昭和39年4月16日没
二荒山神社宮司の六男として生まれる
16歳の時、洋画家五百城文哉の内弟子となる
明治33年吉田博に感化され上京
小山正太郎の不同舍に入る。未醒と号する
明治35年太平洋画会会員
明治40年「方寸」同人
明治41年文展初入選。のち受賞を重ねる
大正2〜3年渡欧
大正3年日本美術院を再興、洋画部同人となる
大正9年院展を脱退
大正11年春陽会を結成し、以後、日本画の制作が中心となる。
大正6年から、放庵
昭和4年から放菴を名乗る
昭和10年帝国美術院会員
(のち日本芸術院会員)
昭和20年戦災のため新潟県赤倉に移住
平成9年出身地である日光市に小杉放庵記念美術館が開館

 

 

 

小杉放庵の絵画、掛軸を買取致しておりますので、メール、電話などでお問い合わせください。

高価買取致します。

 

 

2019年2月28日

明珍義通 三十二間筋兜を買取

明珍義通

三十二間筋兜

大永元年(1521 )〜享禄5(1532)頃の作

筋兜は、細長い鉄の板をつなぎ合わせ、その縁を折り返して筋を立てた兜です。このような兜は、鎌倉時代の終わり頃から江戸時代まで作られ、新しいものほど筋の数が多くなり、筋が多いほどより頑丈な作りになります。

戦国時代の甲冑師。明珍家16代義保の弟。
通称は左近

京都一条堀川、常陸、府中、上野などに住した。

17代中興の信家(のぶいえ)(室町後期)は名工として名高く、甲冑と鍔の製作を併行し、桃山初期に全盛した。ほかに高義(たかよし)そして、画像の兜、義通(よしみち)も知られている。

江戸時代にはこの三工を三作と称して珍重したとされる。
正系は京都にあり各地に分派した。

 

 

 

 

鉄の鍛(きたえ)が良く、堅牢(けんろう)で実用的であることがこの派の特徴であり、甲冑のほかに鉄鐔、茶道具の鐶、火箸、馬の轡(くつわ)などの自在に動く置物なども生み出した。
そのほかにも古甲冑の鑑定にも権威を示した。

平安時代末に初代出雲守紀宗介(きのむねすけ)が京都九条に居住し、近衛天皇から明珍の号を賜ったとされる。

しかし、実際に甲冑の作品をみるのは室町時代以降からであり、鎌倉雪ノ下、相州小田原、上野国小幡、常陸国府中、白井などの各地に分派が出来ていたとされる。

江戸時代となると、江戸、高知、金沢、姫路、広島、福井、仙台、弘前などにも分布した。

甲冑師ではこの明珍の系統がいちばん広まったとされる。

 

 

 

甲冑、鎧を買取致します。

兜だけでも買取致しますので、御気軽にお問い合わせして下さい。

 

 

 

 

 

2019年2月28日

小山冨士夫の書 去来

小山冨士夫の書

 

去来

 

【意味】

1・去ることと来ること。行ったり来たりすること。

2・過去と未来

 

 

 

 

 

 過去の陶磁器を研究することにより、古格の高められた造形を自らの作陶に取り入れ、未来の作品を生み出して行った小山冨士夫の「去来」という文字に重みを感じます。

小山冨士夫が六古窯という言葉を作ったといわれています。 六という数字が確定するのは戦後のことです。

それは日本の陶磁研究者は、中国の名品を研究することが多かったのですが、小山冨士夫は日本の古い陶磁器にも注目し、その研究の大切さを主張した人だからです。

古い文献に出てくる瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前の五つの古い窯、そして越前を訪れたとき、地元の研究者である水野九右衛門さんが集めた古い焼物の資料を見せられ、六番目に越前を加えて六古窯が成立しました。

ちなみに、その時まで越前焼という言葉はなく、織田焼や氷坂焼という名前で伝わっていました。 しかし、それではあまりに小さい地域の名前なので、より大きな名前として越前焼と命名しました。

 六古窯に数えられる窯は、いずれも平安時代の末期から鎌倉時代に生産を始め現代まで続いている窯です。

 過去と未来をつなぐ古陶磁の研究を純粋にされた小山冨士夫の書には何処か凛とした空気が漂っています。

去年が、去り、今年が来る、という事でお正月に掛けると相応しい掛軸と思いましたが、新年度が4月からなので床間に掛けてみました。

 

2019年2月26日

胡蘭成の書を買い取りました。

胡蘭成の書

 

春日空山幽夢遅

 

のどかな春の一日

 

人のいないひっそりとした山の中にいると

 

静かな夢がゆったりと

 

くりひろげられる

 

【経歴】
浙江省に生まれる。燕京大学を国民革命軍の北伐中に中退後、やがて政治に関わり、汪兆銘政府法制局長官に就くも、汪と意見の対立あって辞職。ジャーナリストとして漢口大楚報社長をつとめた。中国の著名な小説家、張愛玲と1944年に結婚するも1947年に離婚し、1950年に日本に政治亡命。上海黒社会の大物呉四宝の未亡人であった佘愛珍と再婚した。

1974年、台湾の中国文化学院(今は中国文化大学)で教えて台湾の文壇にも影響を与え、同大学から永世教授の称号を受けたが、1976年に台湾からも追われる。日本では筑波山に居を構え、数学者の岡潔や物理学者の湯川秀樹、日本浪曼派の保田與重郎、川端康成等々と親交を結んだとされる。

1981年、東京都福生市で永眠。張愛玲は、小説「色、戒」(映画『ラスト、コーション』の原作)に登場するスパイ機関幹部の易という人物(モデルは丁黙邨とされる)に、かつての夫である胡蘭成を重ね合わせて描いたとも評される。

 

 

 

●ご紹介の胡蘭成の書は、1969年、昭和44年3月11日付の中日新聞の夕刊に掲載された今はなき丸栄百貨店での個展にて買い求められた作品であろう。
丸栄百貨店の包紙とその当時の新聞が額の中に入っており当時の資料が揃った魅力的な作品です。
新聞の記事に(「これは是非見て行って下さい」と胡氏が指さしたのは汪精衛氏の亡くなる前に作ったという詩で「梅花に素心あり、雪月と同に一色、照徹す、長い夜の中。遂に天下をして白からしむ」というもの。売国奴といわれていた汪氏が、その真心で、夜の様な中国を正しい道に返そう、という心をうたったものだった。)という当時の胡蘭成の言葉が掲載されている。

 

 

胡蘭成の書の作品を買取致しております。

中国人の書の作品があれば御気軽にご一報下さい。高価格にて買取致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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