2024年11月15日
音丸耕堂の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の音丸耕堂の彫漆作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
音丸耕堂の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、音丸耕堂の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
音丸耕堂作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の音丸耕堂のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた音丸耕堂の作品を鑑定して買取りいたします。
骨董品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の音丸耕堂の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
漆芸家の石井碧堂に師事し、「讃岐彫」と呼ばれる木彫と彫漆を学びました。独立後は玉楮象谷の作風を研究し、象谷の作風を模して造られた漆器を多く制作します。その後古来の色漆を用いた彫漆を行い、さらに緑漆と黒漆の色彩的コントラストをいかした西洋風の作風に移行します。色漆の色彩の幅を広げ、新色を取り入れるなど、彫漆の新しい表現を積極的に追求し重要無形文化財(人間国宝)「彫漆」の保持者となりました。
音丸耕堂 彫漆紫陽花茶器
彫漆紫陽花茶器は、咲き誇る紫陽花の姿をまさに彫漆の技法で表現しているようです。 音丸耕堂は、自然の美しさをテーマに、動く植物や花々を思い浮かべた作品を多く制作しました。
今日でも漆の技法は進化を続けていますが、その底には音丸耕堂の立ち上がりが息づいています。より力強く美しい表現を追求し続けています。
彫漆は、もともと中国・唐の時代に続く技法で、仏具や漆器などの装飾に用いられてきました。何層にも重ねて塗り重ねた色漆を、専用の彫刻刀で丁寧に書き出すことで、立体的な模様が表現されます。この過程にはおよそな手間と時間がかかりますが、その結果として独特の伝統と存在感を持つ作品が生まれます。
音丸耕堂は、この彫漆の技法に新たな創意を加えました。色漆の色彩表現を拡張し、金や銀の粉を沈殿させて模様をつくるなど、削り出す角度を変えることで漆の模様に変化を与え、立体的な美しさをさらに引き出すなど、彫漆の可能性を大きく広げました。
音丸耕堂の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.音丸耕堂の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.音丸耕堂の作品以外にも他の骨董品などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.音丸耕堂の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.音丸耕堂の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.彫漆作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
音丸耕堂 堆漆嘉来香合
「嘉びが来る」と書いてかき(柿)香合。収穫の秋を愛でるような色鮮やかな素晴らしい作品です。
音丸耕堂 略歴
本名芳雄。明治31(1898)年、6月15日、香川県高松市に生まれます。
小学校を卒業後、13歳で讃岐彫りを専門とする石井磬堂に弟子入りし、4年間讃岐彫りを学ぶ。16歳で独立自営しつつ、独学で彫漆を学び、20歳のときに香川漆器の玉楮象谷(たまかじしょうこく)の作風にひかれて私淑しました。漆芸家の磯井如真、金工家の北原千鹿、大須賀喬らと交友し、大正期から昭和10年ころまで堆朱、堆黒、紅花緑葉など古来の色漆を用いた彫漆を行い、さらに緑漆と黒漆の色彩的コントラストをいかした西洋風の作風へと移行していきました。
昭和7(1932)年第13回帝展に「彫漆双蟹手箱」で初入選。以後官展を中心に出品しました。
昭和12年上京してからは、色漆の色彩の幅を広げ、新色を用いる試みを行ないました。
昭和17年第5回文展に「彫漆月の花手箱」を出品して特選受賞。戦後も日展に出品しました。
昭和24年第5回日展に「彫漆小屏風」を出品して特選を受賞する。工芸家の地位の向上を目指して香川県の工芸家たちと香風会を設立。
昭和30年重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定される。日本工芸会の創立に参加し、日本伝統工芸展にも出品を続けます。
昭和48年第20回日本伝統工芸展に「彫漆菊水指」を出品して20周年記念特別賞を受賞。
昭和51年2月東京・板橋常盤台の日本書道美術館で20余点の作品を展示する展覧会を開催しました。色漆を数十回から数百回塗り重ねた厚い漆の層に文様を彫り込む彫漆の技法を完成させます。
昭和52年ころから色彩の断層面を表に出した平行しま模様を用いた作品を多く制作して、伝統的工芸技術による斬新な作風を打ちだした。色漆に金銀粉を混入して塗り、漆の固まる間に金銀が沈澱して層をつくるのをいかし、文様があらわれるように研ぎ出す技法や、彫り口の傾斜の角度により、重ねた色漆の層の断面を加減して微妙な文様をあらわす技法など、彫漆による多様な表現の可能性を引きだしました。
昭和57年、後進の育成に寄与すべく「公益信託音丸漆芸研究奨励基金」を設立しました。
昭和63年、東京池袋の西武アートフォーラムで「音丸耕堂鳩寿記念回顧展」が開催され、平成6(1994)年に回顧展が開催されています。
音丸耕堂 彫漆鉄線茶器
彫漆(ちょうしつ)とは、素地の表面に漆を塗り重ねた層に刀で文様を浮き彫り状に表した作品の事です。
音丸耕堂は大胆な面の構成の作品で彫漆の新境地を開拓しました。鉄線の花が美しく咲き誇る大胆な図案の色気のある作品です。
音丸耕堂の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.音丸耕堂の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
音丸耕堂 査定価格におけるポイント
音丸耕堂の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
音丸耕堂先生の作品は複雑な造形の作品に高値の査定価格がつきます。
20万円から50万円ぐらいの買取相場です.
保存状態
漆作品ですので割れや痛みがありますと査定価格が下がります。
箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
音丸耕堂の作品は人間国宝に認定された複雑な漆を使った棗や香合の作品が評価されます。
音丸耕堂展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
音丸耕堂先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ音丸耕堂の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年11月14日
神農巌の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の神農巌の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
神農巌の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、神農巌の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
神農巌作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の神農巌のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた神農巌の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の神農巌の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
京都府福知山市に生まれた神農氏は、大学のサークルで陶芸と出会い、その面白さにのめり込んでいきました。そして、在学中に見た中国宋時代や朝鮮高麗時代の青磁作品に感銘を受け、本格的に陶芸の道へ進むことを決意しました。
大学卒業後、京都市立工業試験場(現・京都市立産業技術研究所)で釉薬と成形の基礎を学び、京都府立陶工職業訓練校(現・京都府立陶工高等技術専門校)で轆轤の技術を磨いた神農巌は、さらに青磁の釉薬を研究するために、再び京都市立工業試験場専攻科に進みました。
その後、京都の窯元での5年間の修業を経て、1987年に滋賀県大津市に工房を構え、独立を果たしました。 琵琶湖を見下ろす高台の工房で、憧れの青磁作品に触発されつつ、自分らしい表現を模索する日々の中、転機が訪れるのは、自ら考案した「堆磁」という技法をメインの表現とする作品を発表した2003年に、「堆磁」のヒントとなったのは、京都での修業時代、欠けた器を泥漿によって修復する作業でした。
神農巌 青磁香炉
最初は、模様の輪郭線に用いていましたが、轆轤による端正なフォルムと堆磁による線文とがしっとりと溶け合い、一体化していくような造形へと展開し、水や女性などの生命の根源的イメージを表現するものとなっていきました。
年々、洗練されていく堆磁作品は、つねに高い評価を得て、2012年に紫綬褒章を受章、2013年に滋賀県指定無形文化財「青磁」保持者に認定されました。
泥漿(でいしょう)を何度も筆で塗り重ねて模様を施す「堆磁(ついじ)」という独自の技法を創出し、青磁、白磁による新たな作風を築いた神農巌は、2024年7月19日に、文化庁の文化審議会が重要無形文化財「青磁」の保持者(人間国宝)に認定されるよう文部科学大臣に答申されました。
神農巌 本人
滋賀の地に窯を築き身近な比良の山々や琵琶湖の自然に培われた感性が、私の作品として形を成しているように思います。日々刻々と変化する琵琶湖の、空の青を映して蒼く満々と水を湛えた深い色合いを作品に写し取り表現したいと思っています。
神農巌 青磁香炉
磁土を泥漿(でいしょう)にして、筆で幾度も塗り重ねる手法、これを私の造語で「堆磁(ついじ)手法」と定義して、造形表現をしています。 線文を堆磁し造形表現をした、青磁・白磁・青白磁が作風の主になっております。
神農巌の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.神農巌の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.神農巌の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.神農巌の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.神農巌の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
神農巌 略歴
昭和32(1957)年生まれ。綾部市中ノ町3丁目出身。陶芸家。
昭和56(1981)年、京都市立工業試験場窯業本科修了。
昭和57(1982)年、京都府立陶工職業訓練校卒業。
昭和58(1983)年、京都市立工業試験場窯業専攻科修了。京都清水焼窯元にて修業。
昭和62(1987)年、大津市に築窯し独立。
平成24(2012)年には紫綬褒章、綾部市篤志者、大津市文化特別賞を受ける。
令和6(2024)年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。 現在、日本工芸会理事や京都市立芸術大学工芸科非常勤講師を務める。
これまでに、京都工芸ビエンナーレ1994展優秀賞のほか、第33回日本伝統工芸近畿展滋賀県教育委員会長賞、第35回日本伝統工芸近畿展滋賀県教育委員会長賞、第1回菊池ビエンナーレ優秀賞、第56回日本伝統工芸展朝日新聞社賞、第58回日本伝統工芸展日本工芸会会長賞を受賞。
パブリックコレクションとして宮内庁や文部科学省、外務省国際交流基金、菊池寛実智美術館、兵庫陶芸美術館、滋賀県立陶芸の森、パラミタミュージアム、綾部市、大津市。
神農巌 青磁堆磁線文鉢 2009年
独自の技法で製作された大鉢は神農巌の個性が張り詰めた造形から知ることができる。
神農巌の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.神農巌の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
神農巌 査定価格におけるポイント
神農巌の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
神農巌先生の作品は堆磁の香炉作品に高値の査定価格がつきます。
5万円から25万円ぐらいの買取相場です.
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
神農巌の作品は堆磁技法の作品が評価されます。
神農巌展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
神農巌先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ神農巌の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年11月13日
山本陶秀の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の山本陶秀の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
山本陶秀の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、山本陶秀の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
山本陶秀作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の山本陶秀のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた山本陶秀の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の山本陶秀の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
山本陶秀は、15歳から伊部の窯元、黄薇堂で陶芸の修行を始めます。 備前焼の陶工として独立した後、伊部に窯を築きます。 金重陶陽が再興した茶陶にならい、茶入れ、花入れ、水指などを制作します。
戦前から戦後まで駆け抜けた山本陶秀は 著名人との交流も有名です。 特に陶芸家でもあり、書家や画家、 料理研究家としてさまざまな顔を持つ北大路魯山人、 日系人としてアメリカや日本の文化を受け継ぎ、作品を発表した彫刻家の イサム・ノグチらと親交がありました。
しかし山本陶秀も 戦争に利用された被害者の一人でもありました。 「ろくろの陶秀」や「ろくろの名手」など 通り名が付くほど有名だった山本陶秀は その技術を軍に見込まれ 陶製の手りゅう弾を作らされたこともありました。
戦時中に製造した備前焼製の手榴弾(約 400 個、破片 830 個)、納品箱 4 箱が、山本陶秀さんの息子で陶芸家の山本雄一さんより備前市教育委員会に寄贈されました。
備前焼の手榴弾の前で語る山本陶秀
終戦間近になると、金属が不足し手榴弾の製造も厳しく、代わりに陶製の手榴弾が軍部の要請で日本各地の窯業地で製造されまし た。備前に於いても窯元や各作家によって備前焼製手榴弾が製造されていますが、その全容はあまりわかっていません。
手榴弾は、戦争に利用される目的で製造された備前焼でした。戦時中の備前焼産業の一端を今に伝える物です。手榴弾は高さ約8センチ、直径6センチで、重さは240~270グラム程度。太平洋戦争末期に鉄不足を補う代用品として、軍が全国の焼き物産地に陶器製の手榴弾の製造を命じており、その一環で山本陶秀も作製した。
山本雄一さんは自宅近くで実施された実験の様子を覚えており「『バーン、バーン』という音が頭の中に残っているみたいです。囲いの木の板に破片が深々と突き刺さっていた」と語っています。
山本陶秀 本人
そして、1933年に独立し、雅号を「陶秀」としました。独立から5年後には京都の陶芸家の楠部彌弌のもとで陶芸の基本となる形態の追求と、轆轤の徹底した再修練を行いました。
当時楠部彌弌は帝展などで活躍する一流の作家でしたが、山本陶秀は楠部彌弌が得意とする釉薬の技術よりも、楠部の制作態度を身につけ、その後の作陶生活の基礎としました。
1943年頃には轆轤の冴えを発揮した作品を次々と発表し、備前焼陶芸家の中でも轆轤に抜群の才能を持った作家として知られる存在にまでなりました。
山本 陶秀 大海茶入 1978年 京都国立近代美術館
茶入の制作にあたっては、「時に自分のすべてであった」と語るほど、山本陶秀自身が生涯をかけて探求してきた分野でした。1976年から5回にわたって東京・大阪で開催された「茶入展」では、山本陶秀の備前焼の美の魅力を最大限提示して、多くの鑑賞者からの絶賛を受けました。両手にすっぽりと収まる程の小さな焼き物に、それまで蓄積してきた轆轤技術のすべてを集積した山本陶秀は、名物茶入にも劣らない、風格を備えた現代の備前茶入を一生涯制作し続けました。
山本陶秀の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.山本陶秀の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.山本陶秀の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.山本陶秀の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.山本陶秀の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
山本陶秀 略歴
1906年 岡山県備前市に生まれます。本名政雄。
1921年 窯元・黄薇堂へ入り、陶芸の道に進みます。
1933年 独立して岡山県備前市伊部に築窯、「陶秀」と号す。
1938年 楠部彌弌に師事、後々まで指導を受けます。
1939年 中国・四国九県連合工芸展で優良賞を受賞
1948年 国の技術保存認定(丸技)を受けます。
1951年 イサム・ノグチや北大路魯山人と交友を深めます。
1954年 岡山県重要無形文化財に認定
1959年 日本工芸会正会員。ブリュッセル万国博覧会でグランプリ金賞を受賞
1960年 日本工芸会東中国支部展の審査員に就任
1965年 備前陶芸センターの嘱託講師に就任
1966年 岡山県展の審査員に就任
1969年 備前陶友会の副会長に就任
1970年 日本工芸会理事に就任
1972年 岡山県文化賞を受賞
1975年 山陽新聞文化賞、三木記念文化賞を受賞
1976年 紫綬褒章を受章。中国文化賞、備前市功労賞を受賞
1977年 毎日芸術賞を受賞
1981年 紺綬褒章を受章
1982年 勲四等瑞宝章を受章
1987年 重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定
1991年 備前市名誉市民となります。
1994年 4月22日 没
山本陶秀 作 備前宝瓶
大きな三角形の「マ」の陶印となっています。轆轤の名人らしい緻密に計算された造形で、蓋と本体とが窯変牡丹餅を目印に寸分の狂いなくピッタリと合わさります。珍しい灰被り窯変の焼き上がりも素晴らしい、濃厚な灰被りとほんのりと緋色が差した抜けの取り合わせは素晴らしいです。内側も美しい土味が出ており、使った後は暫く中を眺めたくなります。
山本陶秀の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.山本陶秀の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
山本陶秀 査定価格におけるポイント
山本陶秀の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
山本陶秀先生の作品は茶入れに高値の査定価格がつきます。
5万円から25万円ぐらいの買取相場です.
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
山本陶秀の作品は窯変のある作品が評価されます。
山本陶秀展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
山本陶秀先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ山本陶秀の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年11月12日
前田昭博の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の前田昭博の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
前田昭博の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、前田昭博の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
前田昭博作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の前田昭博のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた前田昭博の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の前田昭博の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
白色と形だけで表現をする磁器。この白磁の重要無形文化財保持者、人間国宝に認定されているのが、鳥取市河原町に窯を持つ前田昭博氏。
真っ白な磁器である白磁を選び、ひとり制作を続けている。
前田昭博 本人
「手本にしているのは、山陰の雪の白。冷たいけれど、どこか温もりも持っている。そして、雪に穴を開けると、少し青みがかったように感じる。そんな雪のような、しっとりした感じの白を目指しています」。
白瓷とは何か。その問いに、前田昭博は「 ”無い”ことの魅力を持つもの」だと教えてくれました。中国の唐の時代に繁栄した白瓷は日本にも伝わり、現在まで続いています。
華美な装飾や色の変化はあまりない。それでも今もなお続いているのは、「何も無い状態」でもフォルムや釉薬に豊かな魅力があるからではないか。
多くの情報や色、考え方が溢れている現代だからこそできる白瓷を作りたいと前田昭博は語ります。
「九谷焼や有田焼などの日本的な絵付けも美しいなと思う。同時に、そういうものが”無い”世界もあっていい。僕は作品の省略をしていきながら、あるものと同じぐらいか、それを超えるようなものを作りたい。”無い”ことの魅力というものを伝えていけたら、この白瓷を継承して、次の人に渡すことができるのかなと。だから、ただ白い焼き物じゃなくて『白瓷』という定義がある。そう思ってますね」。
そう言いながら、前田昭博は今日も轆轤に向かう。
前田昭博 白瓷面取壷
白磁は中国で生まれた磁器のひとつで、絵付けや色付けをしないことが特徴です。形によって陰影が変わり、さまざまな表情を見せる。真っ白な器は食材や花を映えさせ、どんな場面でも使いやすい。日本では佐賀の有田焼や、長崎の波佐見焼などが名産地として知られていますが、前田昭博は故郷の鳥取で師匠をとらず、ひとりで向き合う道を選びました。
前田昭博は白磁のことを「白瓷(はくじ)」と表現している。瓷(じ)は「かめ」や「かたく緻密に焼いた焼き物」という意味があり、本場中国では磁器のことを指します。
単なる壺ではなく芸術としての作品を作りたい、土のような柔らかい白磁を目指したいという想いを込めました。 前田昭博の作品を見ていると、磁器とは思えないほどの柔らかさやあたたかみを感じます。光の当たり具合や、曲面から生まれる影によって、灰色や青い色合いもあわせもちます。
前田昭博 白瓷面取壷
前田昭博の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.前田昭博の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.前田昭博の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.前田昭博の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.前田昭博の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
前田昭博 略歴
1954年 鳥取県八頭郡河原町本鹿(現鳥取市河原町本鹿)に生まれます。
1977年 大阪芸術大学工芸科陶芸専攻卒業します。
1991年 第11回日本陶芸展「毎日新聞社賞」受賞
1993年 第48回新匠工芸展「富本賞」受賞
1999年 「日本の工芸(今)100選」展招待出品「パリ」
1999年 鳥取市文化賞受賞 2000年 第47回日本伝統工芸展「朝日新聞社賞」受賞
2003年 20回記念田部美術館大賞「茶の湯の造形」展大賞受賞
2003年 第2回京畿道世界陶磁ピエンナーレ銅賞受賞「韓国」
2003年 第50回日本伝統工芸展「第50回展記念賞」受賞
2004年 日本陶磁協会賞受賞
2005年 第60回新匠工芸展「60回記念大賞」受賞
2007年 紫綬褒章受章
2010年 鳥取県文化功労賞受賞
2012年 鳥取県指定無形文化財(陶芸)認定されます。
2013年 国の重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定されます。
2024年 旭日小綬章受章
前田昭博の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.前田昭博の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
前田昭博 査定価格におけるポイント
前田昭博の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
前田昭博先生の作品は複雑な造形の作品に高値の査定価格がつきます。
10万円から20万円ぐらいの買取相場です.
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
前田昭博の作品は人間国宝に認定された白磁の作品が評価されます。
前田昭博展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
前田昭博先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ前田昭博の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年11月11日
国宝黄檗山万福寺について 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
黄檗山万福寺の隠元禅師が、インゲン豆を中国から渡来して持ち込んだお土産だったって知ってました?
隠元豆、煎茶、西瓜、蓮根、揚げ物さらにダイニングテーブルに椅子 「一家だんらん」は隠元禅師が持ちこんだらしい!
しかし調べると、インゲン豆を日本に伝えたという事には諸説あり、隠元禅師が伝えたのは別種の「藤豆」フジマメともいわれ、関西ではフジマメをインゲンといい,本種をサンドマメという。
隠元豆は年に3度収穫できることから「三度豆」とも呼ばれます。 隠元禅師が中国から持ち込んだとされる豆は「藤豆」ですが、隠元は二種の豆を持ち帰り、関東には「五月豇豆」ゴガツササゲ、関西にはフジマメを広めたという説もあります。
国宝に指定された黄檗山万福寺については、これからますます注目されると思っております。
骨董品も和の物よりも中国人が好む骨董品が高値で取引されております。
ですので、これから骨董品が好きな人も商う人から見ても、ますます黄檗山万福寺から眼が離せない!
【準公式】国宝 黄檗山萬福寺𝕏まんぷくじ
今回国宝に指定されて、Xのアカウントが盛り上がっているみたいですね。
隠元禅師は当初、渡来して三年で中国に帰国する予定でしたが、その人気ぶりが凄まじく、結局は日本に引き留められ、4代将軍徳川家綱に与えられた10万坪という広大な寺領に萬福寺を開創することになりました。「黄檗山 萬福寺」という名前は、隠元禅師が中国で住職を務めていたお寺と全く同じ名前です。そこには「旧を忘れない」という意味が込められており、伽藍も仏像も従来の日本式とは異なる明朝様式で整えられています。
本尊は「お釈迦さま」「萬福寺」の本堂にある本尊は釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)で、いわゆる仏教の開祖とされる「お釈迦さま」です。釈迦の十大弟子となる摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)が脇侍として安置されています。
宇治市にある禅宗の寺、黄檗山萬福寺の本堂などが、新たに国宝に指定されることになりました。
新たに国宝に指定されるのは、1661年創建の黄檗宗大本山の万福寺
大雄宝殿
(だいおうほうでん)本堂の事です。
法堂
(はっとう)説法を行う場所です。
天王殿
(てんのうでん)寺の玄関にあたります。
の三棟です。
大雄宝殿 国宝
寛文8年(1668年)建立
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺、正面月台附属
チーク材が全面に使われている大雄宝殿は、正面の扉には魔よけとされる桃の実の彫刻が施され、左右に円い形をした窓が配置されるなど、中国仏教建築のデザインがうかがえます。
大雄宝殿には、十八羅漢像が安置されています。
「羅漢」とは?
羅漢は阿羅漢の略で、敬われるべき人の意です。 阿羅漢ですが、これはサンスクリット語(梵語)のアルハンを漢字で音写した言葉だそうです。
漢訳すると、<応供(おうぐ)>で、「尊敬・施しを受けるに値する聖者を意味します。
インドの宗教一般において、尊敬されるべき修行者をさしました。
釈尊は10の別称(十号)を持っておられて、その一つに応供があったそうです。 ところが、後になると、仏の別称であることとは区別して、仏の弟子に阿羅漢の称が当てられるように変化しました。
仏の十大弟子は勿論最高の阿羅漢ということになります。 原始仏教・部派仏教では修行者の到達し得る最高位を示すことになり、一方、大乗仏教では批判的に声聞を阿羅漢と呼び、仏と区別したという経緯があるそうです。
声聞はサンスクリット語では教えを聴聞する者を意味し、もともとは出家、在家を問わずに使われる言葉だったのですが、後に仏教では、出家の修行者だけを意味することになり、出家の修行者は阿羅漢を目指すということになります。
まず、十六羅漢ですが、これは中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を称する言葉だそうです。
法堂 国宝
寛文2年(1662年)建立
桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、こけら葺
法堂とは、仏教寺院において、僧侶が仏教を講義する建物のことです。主に禅宗寺院で用いられ、そのほかの宗派では講堂(こうどう)と呼ばれることが多いです。
法堂の成立はインドではなく、中国であり、仏教が貴族階級に浸透し始めた南北朝時代には既に成立していたものと思われます。
仏舎利を祀る塔、仏像を祀る仏殿(金堂)とともに、伽藍を構成する最重要の建物であり、日本においてのその位置関係は、時代によってそれぞれ異なりますが、仏殿の次の重要な建物として位置づけられるようになり、大抵は寺院の中心に設置されています。
住職や講義僧がここで経典の講読や説法を信者や他の僧侶に向けて行い、特に禅宗では、ここで法席に昇って説法することを「上堂説法」といい、そこで話された内容を上堂語といって、『臨済録』などの語録に収録されている。
天王殿 国宝
寬文8年(1668)に建立
天王殿は萬福寺の玄関にあたる位置づけで、中国では一般的な建て方です。
五間三面、単層、屋根は入母屋造り、本瓦葺きのお堂で、正面の石段を上り、右に右折して堂内に入ります。
萬福寺は、江戸時代初期に創建された寺で、三棟共に江戸時代初期の建築です。中国仏教建築と日本の寺院建築とが折衷した独自の様式が特徴で、いまも国内に420ほどある黄檗宗の寺院建築の規範として高い価値があると評価されています。
隠元隆琦禅師
いんげんりゅうき・1592-1673は、福州(福建省)に生まれました。29歳の時、福州黄檗山にて出家します。
隠元禅師は、1654年に中国から来た渡来僧です。臨済宗を代表する費隠通容(ひいんつうよう)禅師の法を受け継いだ高僧で、福建省にある「黄檗山萬福寺」の住職となり多くの弟子を育成していました。
43歳の頃、費隠通容(ひいんつうよう)の法嗣となる。承応3年(1654〉、先に来日した興福寺(長崎県)の僧逸然性融〈いつねんしょうゆう・1601-68〉より度重なる懇請を受け、弟子20余名を連れて、ついに長崎へ渡った。時に63歳。のち徳川家綱〈とくがわいえつな・1641-80〉から宇治の地を与えられ、黄檗山万福寺を創建しました。
日本黄檗宗の宗祖となる。かれは、宋の蔡襄(さいじょう)1012年〜1067年や明の董其昌(とうきしょう)1555年〜1636年の書を学んだといわれ、文人的書風から出発して、気品に加え、独自な力強さを持つ、いわゆる黄檗流という書風に至りました。
中国風精進料理である普茶料理を伝え、美術、医術、建築、音楽、史学、文学、印刷などの分野に貢献しました。
黄檗山萬福寺とは
1661年に中国僧の隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開創されました。
黄檗山萬福寺は黄檗宗です。中国から伝来したとされる伝統的な宗派で、臨済宗・曹洞宗と並び日本三禅宗の一つに数えられています。三つの禅宗のなかでも中国式の考えが強く残っているのが特徴で、葬儀の流れやマナーにも他の宗派との違いが見られます。
黄檗宗の教えや歴史、葬儀の流れ、葬儀のマナーを解説
中国式の考えが強く残っている宗派 黄檗宗は、江戸時代頃に中国から伝えられました。当初は臨済宗の一派とされていましたが、その後独立し黄檗宗と改宗しました。同じ禅宗でも、既に日本に伝来していた臨済宗や曹洞宗と比べると、中国式の考えが強く残っているのが特徴です。 例えば、黄檗宗のお寺は中国明朝形式で建てられたものが多く、日本の他のお寺と比べるとカラフルな外観をしています。仏具も中国式のものが多いです。
お経は般若心経が基本
「行」
行を重んじ、自分の心と向き合って悟りを開く 黄檗宗では、人は生まれつき悟りを持っているとする「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の考えが重んじられています。その悟りを開くためにも、自分自身の心と向き合うのが大事であるとされ、修行においては経典を数多く読むことより、座禅などの「行」が重視されています。 また、「己身の弥陀(己心の弥陀)・唯心の浄土(こしんのみだ・ゆいしんのじょうど)」という教えもあります。阿弥陀仏や極楽浄土は、自分自身の心の中にあるという意味です。 考えるほどに深みのある教えですが、平易にすれば、誰か他の人のことよりもまず自分のことを考え、自身の人生をどう生きるかを大切にしなさいということと受け取れます。
万福寺は煎茶のお寺
煎茶が有名になったのは、売茶翁が黄檗宗の僧だったからです。
売茶翁という呼び名はあくまでもニックネーム。彼の名は高遊外(こうゆうがい)と言います。
江戸時代前期の1675年佐賀県に生まれ、13歳の時に黄檗宗の総本山である宇治の黄檗山萬福寺で修行をしました。
日本で現在ポピュラーな仏教である鎌倉六宗(浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗)に比べて新しい宗派です。
中国の臨済宗をルーツとする禅宗の一つで、日本における他の禅宗(臨済宗・曹洞宗)と異なり、中国的な特色を多く残しています。
隠元禅師は来日する際、黄檗宗とともに多くの中国文化を持ち込みました。代表的なものが中国で一般的だった釜炒り茶だったのです。
釜炒り茶を始めとする中国文化を取り入れて、黄檗宗の僧になった高遊外(売茶翁)は、全国各地を周って修行を重ねる中、33歳の時に長崎で煎茶の知識を習得しました。
長崎には華僑たちが築いた「長崎三福寺」と呼ばれる唐寺があり、黄檗宗における中国と日本の橋渡し的な役割を果たす地でした。
煎茶を学んだ高遊外は、50歳後半になって煎茶を売り歩き始めます。
茶を売り歩く翁(おきな)ということから「売茶翁」と呼ばれるようになりました。
彼の売り方は独特で、価格は客の気持ち次第で無料でもOK」だったそうです。
このことが京の市中に煎茶を広めることになりました。 還暦を過ぎた高遊外は、京都東山に通仙亭(つうせんてい)という茶亭を開き、晩年は通仙亭で禅を説きつつ、人々に煎茶や茶器を売って過ごしました。
売茶翁がいたこともあり、煎茶のお寺としても有名です。隣接する煎茶道会館には全日本煎茶道連盟の本部があり、毎年5月に連盟主催で全国大会を開いています。
近年、中国人や香港人、台湾人などが日本の急須を求めて日本にお越しです。ですのでお抹茶を飲む茶道よりも、煎茶を飲む煎茶道の方が骨董品やお茶道具も高値になっております。
黄檗宗は、渡来僧が多く黄檗宗の僧の書かれた書も、昔より価格が上がっております。
初代隠元禅師の「穏健高尚な書」
二代木庵禅師の「雄健円成な書」
三代即非禅師の「奔放闊達な書」
隠、木、即と評され「唐風」あるいは「黄檗風の書」として珍重されています。
木庵性瑫(もくあんしょうとう)1611年〜1684年即非如一(そくひにょいち)・1616年〜1671年とともに「黄檗の三筆」と呼ばれ、江戸時代の唐様(からよう)書道勃興の起爆剤となった。
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どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
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