2025年9月21日
翡翠の買取なら、 名古屋随一の目利きがいる 北岡技芳堂にお任せください!
こんにちは。北岡技芳堂・鑑定人の北岡です。古くから宝飾品や工芸品に使われてきた「翡翠」ですが、処分をお考えのお客さまにとって「正しい価格で買いとってもらえるか?」は最も気掛かりな点でしょう。
しかし、ご安心ください。昭和25年から続く当ギャラリーでは、宝飾品や骨董品に精通した鑑定人である私が常時在籍しております。どのようなご質問、売却・鑑定のご相談も、お客様にご納得いただけるまでお話させていただきます。ご相談だけでも大歓迎です。
処分をお考えの皆さまの参考になればと考え、以下のページで翡翠についてご紹介しています。お時間がある時にご一読いただければ幸いです。
<歴史>三種の神器にも使われたとされる宝石
非公式ではあるものの、日本には国花や国鳥が制定されています。それぞれ菊・桜と雉なのですが、実は「国石」もあるのをご存じですか?
日本の国石、それこそが「翡翠」です。翡翠の歴史はとても古く、人間が使い始めたのは旧石器時代ごろ。硬玉と呼ばれる種類はとても頑丈で、石斧などに用いられたのが初めだそう。加工品として出回るのは紀元前5000年以降で、世界最古のものはなんと日本の新潟県糸魚川近辺で発掘されています。当時は勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)に加工され、祭祀・権威を象徴するアイテムとなりました。ご存じ、三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」にも翡翠が用いられていた説が有力です。
中国でも紀元前から装飾品に使われていて、玉斧、玉璧、玉琮などが宗教儀式の道具として用いられたそう。その後、腕輪・数珠・装身具として珍重されるようになり、現在に至るまで中国の骨董市場で中心的存在となっています。
欧州では17世紀後半から中国趣味(シノワズリ)が流行。陶磁器や家具・調度品に中国風のデザインを取り入れる動きが広がりました。このとき欧州に渡った翡翠は、既存の宝石にはない色合いから「神秘の石」として人気を集めます。20世紀に入ってからはカルティエやヴァンクリーフ&アーペルが翡翠を使ったハイジュエリーを製作するなど、アメリカを含めた欧米各国で翡翠人気が定着していき、近年のグローバルオークションではミャンマー産の特に美しい翡翠が数億〜数十億円規模で取引されるなど、アジア発ラグジュアリーマテリアルとしての認識が広がっています。
翠玉白菜(すいぎょくはくさい)
国立故宮博物院が収蔵する文物の中でも圧倒的な人気を誇る国宝
<特徴>不透明〜半透明の深いグリーンが美しい
翡翠には軟玉と硬玉があり、前者はネフライト、後者はジェダイトと呼ばれています。現在、宝石として扱われているのは後者のジェダイトですが、翡翠の巨大市場である中国ではネフライト製の製品も多く存在しています。一般的に緑色のイメージが強い鉱石ですが、実は白や黒、赤、ラベンダー色など、カラーバリエーションが豊富です。ただ、翡翠という漢字はもともとカワセミを指す言葉で、カワセミの体色は緑色ですから、昔から緑色のものこそが翡翠という認識なのでしょうね。
<産地>ミャンマー産が特に有名
産地としてはミャンマーや日本、グアテマラなどが知られています。中でもミャンマーは透明度が高く美しい翡翠が採れることで有名です。ミャンマー北部カチン州の鉱山は13世紀頃から翡翠の名産地として知られており、現在でも世界の総生産量のおよそ90%を占める一大産地です。大昔から翡翠を珍重する中国人の中には、道中の悪路や襲撃・略奪に遭う危険を顧みず、国境を超えてカチン州の鉱山まで出かけて直接買いつけたり、自らの手で採掘する者が多くいたそうです。もちろん、リスクに見合う価格で取引されるからこその無茶ですし、現在も価格は高騰を続けていることから、近年は危険な雨季でも採掘を行うようになったとのこと。そのせいで現地では過酷な環境下で強いられる労働問題などが新たに浮上しています。
<採掘>数百年におよぶ鉱山開発
17〜18世紀ごろから本格的な開発が始まった主要産地のカチン州では、もともと川底に沈む鉱石を採集していたそうですが、早い段階に枯渇してしまいます。その後1880年頃にトーモー高原に初生鉱床が発見されて以降は、鉱山を掘り進む露天掘りなどがメインとなり、現在は重機を用いて山肌を削るなどしているようです。インペリアル・ジェイドなど高品質な翡翠原石はすでに掘り尽くされているともいわれており、翡翠の希少さは今後ますます高まっていきそうです。
<中国と翡翠>世界最大の翡翠マーケット・中国
最古の記録は前漢(紀元前206〜8年)の頃。司馬遷の「史記」をはじめ、その後もさまざまな書物にその名前が登場します。清(1636〜1912年)の時代からミャンマー産の翡翠が輸入されるようになりますが、後漢(25年〜220年)時代の書物には、ピュー族(かつてミャンマー北部に住んでいた民族集団)についての記載があり、彼らが最初に中国にミャンマー産の翡翠を伝えたともいわれています。王侯や富裕層に代々好まれ、かの西太后が熱狂的なコレクターであったことでも有名ですね。
こうした歴史的背景と石が持つ美しさから、古代から現在に至るまで中国で愛される翡翠。秦の始皇帝の遺体が翡翠で覆われていたという伝承が残るほど、古くから霊的な作用があるとされてきました。今も幸運をもたらす力が宿ると信じられていて、結婚や出産などのお祝いに翡翠の装飾品を贈る習慣が残っているそうです。ある調査によると、2023年の世界の翡翠ジュエリー市場は約135億米ドル(約2兆円)に達しています。この巨大市場の60〜70%を中国マーケットが占めており、このデータからだけでも中国国内の人気・需要を読み解くことができると思います。
<価値>精緻な加工の骨董品は超高額に
まず原石ですが、翡翠は何十万年という歳月をかけて生成される鉱物ですので、生まれた年代には左右されません。色合いやサイズによって価値が変わってくるとお考えください。特にロウカンやインペリアル・ジェイドと呼ばれる鮮やかな緑色の翡翠は高額で取引されています。
一方、骨董品としての価値となると、加工された年代と品質によって大きく左右されます。翡翠は古代中国で特に珍重され、精緻な加工が施された装飾品や工芸品が多くつくられました。こうした製品は現在の骨董市場でも非常に人気があります。中国の故宮博物館に所蔵されている「翠玉白菜」など、翡翠を使った加工品の中には世界的な文化遺産、国宝級の美術品や工芸品が多く残されており、世界のマーケットで高額で取引されています。
近年はブレスレットやペンダント、灰皿などにも使われており、当店ではそうした小物も買い受けいたします。手持ちの翡翠製品の価値や真贋を知りたい方は、どうぞお気軽にご相談ください。あらゆる種類の製品を丁寧に査定いたします。
◎鑑定人プロフィール
北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
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