2025年9月16日
時代も国境も超える、山口長男の静かな抽象画
抽象芸術に「難しい」という印象をお持ちの方は、意外と多いのではないでしょうか。しかし抽象芸術の奥には、見たことも感じたこともない新しいアートの世界が無限に広がっています。「自分には縁がない」と敬遠してしまうのは実にもったいないことです。そこでこの記事では日本の抽象絵画の第一人者である山口長男(1902〜1983)を紹介しながら、抽象芸術の楽しみ方と、高額で取引される理由についてご案内していきます。ご興味のある方は、ぜひご一読ください。
■「わけのわからない絵」が目指す世界
確かに、抽象画の始祖であるカンディンスキー(1866〜1944)の抽象画をみると、一見子どもが描いた絵のようで、何が何やらさっぱりわかりません。ワーグナーの無調的な音楽に感動した彼は「音楽が人の感情を揺さぶるのと同じことを絵画でもやりたい」と考え、どうにかして自らの心のありようをカンバスに描こうと試みます。その結果、何の絵かわからない=具体的な対象がない絵画がこの世に生まれたのです。
これは大事件でした。何しろそれまでの絵画には「現実にあるものをモチーフにする」という無自覚の縛りがあったのに対し、カンディンスキーの絵にはその制約がなかったのです。前衛的と呼べる絵画制作は19世紀の印象派に始まり、ゴッホやセザンヌ、そしてピカソのキュビズムなどへとつながっていきました。しかし、どれだけ対象の解体・変形・再構築を図っても具象の表現には限界があるのではないか、ピカソらがそんな行き詰まりを感じていたところに、カンディンスキーが限界突破の糸口となるブレイクスルーを起こしたわけです。
今でこそこうした「何が描いてあるかわからない絵こそアート」という風潮がありますが、カンディンスキーが登場する以前には一切ありませんでした。世界中の美術館にも画廊にもそんな絵画は一枚もなかったのです。抽象表現という新しい自由を手に入れた当時の芸術家たちの興奮が、これだけでもなんとなく伝わるのではないでしょうか。
■孤独なパイオニアの再評価
日本でも戦前から抽象芸術家がいるにはいたのですが、完全に異端扱いされ、まともな評価を得ることはありませんでした。戦後になりようやく「具体美術協会」や「もの派」などの前衛芸術運動が活発になっていくのですが、この中で日本における抽象絵画の先駆者として知られているのが山口長男です。
東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業した山口は、1927年に渡仏。ピカソやジョルジュ・ブラックらからの影響を受けましたが、とりわけオシップ・ザッキンの前衛的な立体作品に衝撃を受けます。ザッキンのアトリエに出入りしながら立体的な造形について学び、「これまでのことはすべて忘れて一からやり直そう」と、1937年に帰国してからは具体美術協会の吉原治良や、前衛女性画家の桂ゆきと親交を温めながら、抽象表現の実験に取り組みます。山口の作品は対象を完全に排除した純粋抽象で知られ、シンプルな色と形、絵の具の質感のみで構成されています。当時、周囲のアーティストらが感情の爆発を描く傍らで、ひとり山口は「静かな均衡の美」の表現を目指しました。戦前の日本の美術界では「奇妙なもの」「役に立たない芸術」と理解も評価もされませんでしたが、戦後の米国の抽象画家ジャクソン・ポロック(1912〜1956)らの活躍により、西洋のモダニズム美術が一気に流入。「抽象こそが国際的アートの最前線」という価値観が広がる中で、山口の欧米作家にはない日本的な間、余白、抑制されたリズムが改めて評価されます。その後1960年代にはニューヨークのグッゲンハイム美術館や近代美術館(MoMA)に所蔵されるなど、いち早く世界から注目を集める作家となりました。
■抽象画の人気が高まっている理由
具象画の鑑賞が「何をどう表現しているか」を楽しむのに対し、抽象画は「どのようにみるか、何を感じるか」を楽しむという違いがあります。そもそも何が描いてあるのかわからないのですから、制作当時の時代背景や文化などを考慮する必要はありません。時代や国境を越えて、作品そのものを純粋に味わうことができる。その「普遍性」は抽象芸術がもつ魅力の一つだといえるでしょう。山口長男も同様です。彼の作品を見てみるとわかりますが、おそらく当時も今も変わらないモダンさと静けさ、今にも動き出しそうな厚塗りの質感に目と心を奪われるはずです。そして100年後に見る人も、私たちと同じ感想を抱くのではないでしょうか。
一方、制作の背景を知ることで、また別の楽しみ方もできます。山口長男が活動した1950〜1960年代の日本を知れば知るほど、「よくもあの時代に、こんな作品を生み出せたな」という先進性に驚愕せざるを得ません。特に日本人は抽象に対する理解度が低いことで知られています。周囲からの評価が得られない逆風の中、世に送り出された奇跡を思うと、やはり特別な価値がある作品であることを痛感します。
世界的な現代アートへの関心の高まりを受け、山口が現代美術史に与えた影響の大きさが近年再評価されています。2017年に香港で開催されたサザビーズのオークションでは、数百万円〜数千万円の高額で取引されました。あれから8年が経ち現在はさらに値上がりしているものと見られます。お手元に作品をお持ちの方、査定だけでも受けてみたい方がいらっしゃれば、ぜひ当ギャラリーにご相談ください。
弊社画廊展示風景 山口長男《叉》1965年 oil on plywood
山口長男の作品につきましては、よろしければこちらもご覧ください。
https://gihodo.jp/19703/
https://youtube.com/shorts/9txYtQlFU68?si=HLHN9n7a0QELpvA8
■山口長男の作品もそれ以外も 骨董・アートの高価買取は北岡技芳堂へ
北岡技芳堂では骨董品の他にも絵画や茶道具、貴金属、趣味のコレクションなど、さまざまなジャンルの品物を買受しております。ここ名古屋の地で長年にわたり取引を重ねてきた実績をベースに、多種多様なニーズに対応できる販売チャネルをもつため、あらゆる骨董品の高価買取を実現しています。
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記事監修:北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた
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