2025年4月22日

郭沫若(かくまつじゃく)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の掛軸買取りブログ

御所蔵の中国人作家 郭沫若の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

郭沫若(かくまつじゃく)の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、郭沫若/郭沫若の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

郭沫若の掛軸をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の郭沫若のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた郭沫若/郭沫若の作品を鑑定して買取りいたします。

 

美術品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の郭沫若の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

 

郭 沫若(グオ・モールオ) 本人

郭 沫若(グオ・モールオ) 本人

 

1892年11月16日 〜1978年6月12日)は、中華民国・中華人民共和国の政治家、文学者、考古学者、歴史学者です。中国の近代文学、歴史学の開拓者の一人でもある。 原名は郭開貞で、開貞は諱、沫若は号。字は「鼎堂」。執筆時に用いた筆名は多くあり、高汝鴻、麦克昂、易坎人、杜頑庶、杜衎などであります。

 

 

 

郭沫若 书法欣赏

郭沫若 书法欣赏

 

 

郭沫若の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.郭沫若の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.郭沫若の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.郭沫若の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.郭沫若の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.中国の書作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

郭沫若の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.郭沫若の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

郭沫若 査定価格におけるポイント

 

郭沫若の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

郭沫若先生の作品は、文学の作品に高値の査定価格がつきます。

45万円から110万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

郭沫若の作品は、文士ならでわの味のある書風の作品が評価されます。変化のある紙は高評価です。

 

軸装の仕立てが良いと評価されます。共箱や箱書きにより値段が変わります。

 

郭沫若展などの展示会での画集掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

郭沫若の作品は、状態の良い作品が高値で取引されております。

 

※このように同じ郭沫若の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

郭沫若 書

郭沫若 書

 

郭沫若(1892.11.16~1978.6),1892年11月16日出生,原名郭开贞,四川乐山人,中国现代著名学者、文学家、社会活动家,精通数国语文,早年赴日本留学,毕业于日本东京帝国大学医科。后接受斯宾诺沙、泰戈尔、惠特曼等人思想,决心弃医从文,五?四运动后与郁达夫、成仿吾等创立“创造社”,发刊创造周刊、月刊、季刊及文学丛书,倡导文学革命,积极从事新文学运动。 这一时期的代表作诗集《女神》摆脱了中国传统诗歌的束缚,充分反映了“五四”时代精神,在中国文学史上开一代诗风,是当代最优秀的浪漫主义诗作。

 

 

 

郭沫若 略歴

 

1892年
11月16日、当時は嘉定(路)と呼ばれていた大肚河沿いの沙湾という小さな町で生まれます。この町は現在、四川省楽山市の中心市街地となっています。郭が生まれた当時、沙湾には約180世帯が住む町でありました。

 

地主である郭家の8番目の子として四川省嘉定府楽山県に生まれます。郭沫若には出生にまつわる一つの逸話があり、母親が彼を身篭った際に不思議な豹の夢を見た経験から、「豹の生まれ変わり」として「文豹」と名付けられます。

 

故郷である楽山が大渡河(沫水)と雅河(若水)が合流するところにあることから、郭沫若は後年、この二本の河の古称をとって自分のペンネームとします。

 

郭沫若はまだ物心のつかない頃から母親の啓蒙教育を受け、漢詩の手ほどきを受けます。この影響で学問に目覚めた郭沫若は、四歳半にして郭家の中に開かれた家塾で兄達と共に勉強がしたいと自ら両親に申し出ます。

 

家塾での厳しい教育は基本的に科挙の試験に必要なものであったが、当時中国には近代化の波が訪れ、学校では洋学が浸透し、古典教育の見直しが計られ科挙も廃止されました。近代式教育を行う学堂が成都に次々とできる中、郭家の家塾にも変化が起こり、近代的な書籍をテキストに取り入れ始めます。

 

1906年
春、15歳になった郭沫若は嘉定にある高等小学校に入学します。大自然に囲まれた嘉定での多様な経験は、後に彼が詩人となるための感性を育み、この地は郭沫若の原点となります。高等小学校では様々な近代的な教科を勉強したが、興味も持ったのはやはり幼少期から学んでいた古典でありました。中でも今文学派の影響を受け、『史記』の解釈も試みます。

 

1907年
秋、嘉定中学校に入学します。西洋の書物や日本への留学経験を持つ兄達の影響から、郭沫若はこの頃から海外への興味を持ち始めます。しかしその夢を叶える術がなく、郭沫若は自暴自棄に陥り、精神的に荒れて遊びと詩作に走るようになります。そんな時期に郭沫若はさらに腸チフスと他の病気を併発し、後遺症で生涯難聴となります。

 

1910年
郭沫若は成都高等学校学堂分設中学校に編入するにあたって、嘉定から成都に移住します。同年、北京、天津で国会開設請願運動が起きます。瞬く間に全国に広がり、郭沫若も運動に参加するも失敗に終わり、一時退学の仮処分を受けます。

 

1914年
中高生時代の苦悶と1912年の不本意な結婚に苦しめられた郭沫若は日本へ留学します。留学前、天津陸軍軍医学校の試験を受験します。実際は医学を学ぶ意志は無く、現実から逃れるための選択でした、日本へ留学してから郭沫若は真面目に医学を勉強しようと考えるようになり、第一高等学校予科に入学して1年間学びます。その後、3番目の成績で卒業すると岡山の第六高等学校第三部医科に配属されます。岡山に移住した郭沫若は、この地の風景と故郷を重ね合わせて懐かしんだ。

 

1918年
9月、九州帝国大学医学部に無試験で入学します。医学部での解剖実習がきっかけで創作意欲を抱き始めます。最初の小説「髑髏」を構想したり、外国語の授業で読んだ文学作品から、小学校の頃から興味があった文学への意欲が再燃、郭沫若は文学への思いに燃えていきます。何度も医学をやめようと考える中、難聴により打診と問診がうまくいかず、医業に従事するには大きな支障となることから、ついに医師への道を諦めざるを得なくなります。熱狂的に詩歌創作を行なっていた郭沫若は、そのまま文学の道に進むこととなります。

 

1921年、郭沫若はついに大学を一時休学し、創造社の設立の準備を始める。上海泰東書局で編集の仕事をしながら、創造社成立後の機関誌出版の作業にも取り掛かった。そして同年7月、文学結社創造社を設立した。この設立の仲間は日本留学の友人である、成仿吾・郁達夫・張資平らであった

1922年8月、処女詩集『女神』を発表。文学史において、『女神』は五四時期浪漫主義思潮の代表作というのが定評となっている。郭沫若の新体詩は中国近代詩歌に確実な礎を築くこととなります。

 

1923年
3月、郭沫若は大学を卒業するも、以来医療に携わることはありませんでした。その後国民党に参加するも、反帝国主義運動によって発生した五・三〇事件で左傾化した。北伐軍の総政治部主任となります。

 

1927年
蔣介石と対立後に南昌蜂起に参加し、直後に中国共産党に加入。蔣介石に追われます。

 

1928年
2月日本へ亡命。千葉県市川市須和田に居を構え、中国史の研究に没頭する。『中国古代社会研究』、『両周金文辞大系考釈』、『我的幼年』などを執筆します。

 

1937年
盧溝橋事件が起こると日本人の妻らを残し帰国して国民政府に参加します。

 

1942年
重慶で戯曲『屈原』を発表、大きな反響を呼びます。

 

1945年
郭沫若なりの古代の思想家研究の集大成『十批判書(中国語版)』を書き上げます。

 

1946年
国共合作のための協商会議に参加します。決裂後に内戦反対運動を推進し、戦後は中華人民共和国に参画して政務院副総理、中国科学院の初代院長になります。

 

1950年
全国文学芸術連合会主席。

1954年
全人代常務副委員長に就きます。

 

1958年
共産党に入党します。

 

1963年
中日友好協会名誉会長。文学、史学の指導に努めるが、反右派闘争以降は発言や作風が毛沢東に迎合するようになります。しかし毛沢東が郭を嫌ったために迎合は実らず、次々に郭沫若の家族は迫害されます。人民共和国建国後の作品には、『蔡文姫』『武則天』などがあり、いずれも北京人民芸術劇院によって上演されます。特に『蔡文姫』は焦菊隠の演出が高く評価され、話劇の代表作の一つとして21世紀の今日まで繰り返し上演されています。

 

1966年
文化大革命発生直後の4月14日、全人代副委員長として常務委員会に出席した郭沫若は、「今日の基準で言えば、私が以前に書いた全てのものは、厳格に言えば全て焼き尽くすべきで少しの価値も無い」とする「焚書」発言を行います。既に呉晗・廖沫沙らが打倒されるなか自身を守るための自己批判であったが、毛沢東は許さず、過去に郭沫若が『十批判書』で毛沢東が尊敬する秦の始皇帝を批判し、毛沢東が嫌いな孔子を褒めたことを不快に思っており、中国の国会に当たる「中国共産党第八届中央委員会」の「十二中全会」(1968年)の閉会式(同年10月31日)で列席していた郭を名指しで「そこにいる郭老人と范老人は孔子を崇拝しているようだな。馮友蘭もそうだがな。あなた方は偏向している。私は孔子は評価できない。孔子というのは貴族や奴隷主の代表だろう。郭老人の『十批判書』は儒教を褒めて法家をそしっている。私は一つも賛同できない。」と面罵した。 毛沢東に嫌われた郭はその後毛沢東や江青らの詩を賛美し、批林批孔運動に乗り、著書『李白と杜甫』で杜甫を貶め、毛沢東が好きな李白を讃えた。また、当時の政策を褒める詩を多く発表した。しかし、毛沢東は郭を許さず、ことあるごとに郭をいびり、郭の『十批判書』を小馬鹿にする漢詩を与えたり、林彪事件発生後は「郭沫若と林彪は同じ思想を持っている」と攻撃したりしました。

 

1974年
1月18日には郭を出席させた上で江青らに『十批判書』を攻撃させる吊し上げを行います。毛沢東はこの時も「郭老人は柳宗元に及ばない」という屈辱的な漢詩を郭に与えます。郭は内心、憤懣やる方なかったが従わざるを得なかった。四人組が逮捕されると一転して彼らを批判する詩を発表します。これら文革期の言動が彼全体の評価に影響している。郭の息子二人は文革中に殺害されるが、郭は文革中に常にいじめられながら迎合を繰り返したために評価を落とすこととなります。

 

1971年
科学院院長と全国人民代表大会常任委員会副委員長を務め、ウマル・ハイヤームの詩集『ルバイヤート』を翻訳していた縁から同年10月のパーレビ国王主催のイラン建国二千五百年祭典に招かれて出席予定だったが、当時中国に亡命していたノロドム・シハヌーク元カンボジア国王の中国北西部訪問や訪中したエチオピア帝国皇帝ハイレ・セラシエ1世の万里の長城訪問に同行したその前の過密な日程により疲労を訴えたことで代理の特使が派遣された

 

1978年
北京で病没。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

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