2024年11月21日

板谷波山の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の板谷波山の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

板谷波山の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、板谷波山の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

板谷波山作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の板谷波山のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた板谷波山の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の板谷波山の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

明治5(1872)年、茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)に生まれた板谷波山(本名、嘉七、1872-1963)は、開校間もない東京美術学校で木彫を学びました。教師として赴任した石川県工業学校で本格的に陶芸の研究を始め、最新の釉薬技術や西洋のアール・ヌーヴォー図案から多くを学びます。明治36(1903)年、陶芸家として独立することを決心し上京します。東京田端に窯を築き、郷里の筑波山にちなんで「波山」と号しました。

 

「芸術としてのやきもの」を目指した板谷波山は、卓越した彫刻技術を活かした薄肉彫と、釉下彩による豊かな表現によって「葆光彩磁」などの格調高い独自の作風を確立していきました。昭和9(1934)年に帝室技芸員、昭和28(1953)年には陶芸家として初の文化勲章を受章し、近代陶芸史に大きな足跡を残しています。

 

 

板谷波山 本人

板谷波山 本人

 

近代陶芸の祖・板谷波山は、自分は職人ではなく、「工芸」の分野に「個人作家」の創作という意識を持ち込んだ陶芸作家です。

 

アーティストだという意識が強かった板谷波山は、1960年には「人間国宝」を辞退しています。

 

「自分は単なる伝統文化の継承者ではなく、芸術家である」

 

人間国宝を辞退したということは、芸術家であるということの自負があったことが証明しています。

 

「私は世の中のことを何も考えないで、土をいじり、窯を燃やしていたい。これが私の志願だ。楽しさは自ずとその中にある。」

 

「私は何から何まで自分自身でやらないと気が済まないのだ」

 

という完璧主義者でした。

 

 

板谷波山葆光 彩磁花卉文花瓶 出光美術館

板谷波山葆光 彩磁花卉文花瓶 出光美術館

 

昭和3年(1928)頃 高 23.4cm 木蓮や紅梅など、早春に花ひらく植物があらわされています。臙脂(えんじ)、青、淡緑の花々は、端正な薄肉彫(うすにくほり)の上に彩色され、葆光釉(ほこうゆう)の淡くかがやくヴェールに包まれて、朝靄に匂い立つかのようです。明治末期から始められた、波山独自の技法である葆光彩が完成を迎えた頃の本作は、器形と意匠のバランス、葆光釉の淡い光の効果、花々の優美な色あいなど、どこをとっても完成度が高く、波山芸術の到達点といわれています。

 

 

 

葆光彩磁

 

葆光彩磁は板谷波山による装飾技法です。葆光 釉はいわゆるマット釉の一種です。これを施釉して1,230℃で焼成すると、艶消しの効果によって霧が立ちこめたような幻想的な釉調が得られます。 葆光とは「光を包む・保つ」という意味を持ち、彩磁は「磁胎に描画・彩色する」技法を指します。つまり磁器の表面に加飾したのち、葆光釉をかけて艶消しをすることで淡い光そのものを表現しています。 彩磁で使われる植物や鳥獣などのモチーフは、使う顔料ごとにはっきりと発色します。この上に葆光釉をかけて焼成すると顔料の発色がおさえられ、赤・青・緑・黄など鮮やかな色彩は朝もやの中にあるような自然で柔らかい色調となります。

 

 

薄肉彫りと彩色

 

葆光釉をかけるのは最後の仕上げの段階になります。その前に素地を成形して薄肉彫りという彫作業があります。薄肉彫りとは浮き彫りの一種で、私たちの身近な例では100円硬貨などの貨幣があります。 硬貨の表面をみると、数字や模様が薄く浮かびあがって見えますね。ただし硬貨は機械でプレスして作りますので、薄い凹凸の質感が分かれば薄肉彫りのイメージとしては十分です。 実際の作品はこれを手彫りするわけですが、膨大な時間と労力が必要となります。ただ線を描くだけではなく葉脈の陰影や花びらの立体感、鳥の羽の空気感を表現するため、精緻な彫が施されたあとに素焼きされます。

 

 

板谷波山 彩磁瑞花祥鳳文花瓶

板谷波山 彩磁瑞花祥鳳文花瓶 1916年 MOA美術館

 

板谷波山の制作の大きな特徴としては、明治前期までの陶工の常識を破り、個人で本格的な高火度焼成の窯を構えて磁器焼成に挑んだことが挙げられます。しかし、当時窯の焼成は薪によるもので、炎のコントロールが困難で失敗のリスクも大きかった。そのため、板谷波山の作品には唯一無二の名品が多くあったいっぽう、波山は60歳を過ぎるまで借金生活で苦しんでいたという。

 

また、明治前期の輸出陶磁器の制作において、絵付けは浮世絵師や狩野派の画工を雇い入れ、磁器の素地は瀬戸や有田など窯業産地へ発注する分業システムがメインだった。しかし波山は、図案のデザインや絵付けだけではなく、素地も自らつくり、釉薬や顔料の調合も吟味した。また、東京美術学校彫刻科で立体造形や木彫の技法を学んだ波山は、写実主義の影響を受け、立体的な文様を作品に取り込んだ。

 

 

 

板谷波山の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.板谷波山の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.板谷波山の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.板谷波山の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.板谷波山の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

板谷波山 略歴

明治5年(1872) 3月3日、茨城県下館市に生まれる。本名嘉七。生家は醤油醸造業を営む旧家で、父善吉は半癡と号し風流文事を愛し南画を描いた。母は宇多子、波山はその三男である。

 

明治15年(1882) 7月、父善吉没す。

 

明治18年(1885) 下館小学校卒業。

 

明治20年(1887) 上京し成城学校(陸士予備校)に入学。

 

明治21年(1888) 陸士予備試験の体格検査に不合格、軍人志望を断念、下宿の近所の河久保正名の画塾に通う。

 

明治23年(1890) 東京美術学校に入学。

 

明治27年(1894) 東京美術学校彫刻科を卒業。同予備校美術学館彫刻科に教鞭をとり、同時に攻玉舎中学図画経師を兼ねる。卒業制作「元禄美人」(木彫)

 

明治28年(1895) 瓜生岩子媼の媒酌により福島県出身の鈴木まると結婚、新居を本郷に構える。

 

明治29年(1896) 9月、白井雨山氏の勧めにより石川県立工業学校木彫科主任教諭として金沢に赴任。31年木彫科廃止のため辞職を決意したが、校長の要望により陶磁器科を担当。この間約7年焼物の研究に没頭した。当時勤川と号した。

 

明治33年(1900) 9月、母宇多子没す。

明治36年(1903) 陶芸作家を決意し、8月石川県立工業学校を退職、9月上京、東京高等工業学校窯業科嘱託となる。東京田端に住家、工房をつくり、11月3日移住。このころより波山の号を使用す。

 

明治37年(1904) 平野耕輔氏の指導により、三方焚口の洋風倒焔式丸窯を夫人まると2人で築き、1年3カ月で完成す。ロクロ工人として深海三次郎(有田出身)工作を手伝う。

 

明治39年(1906) 4月、初窯を焼上げ好成績を得る。

 

明治40年(1907) 1月、第2回窯は地震の被害をうけ、完全な作品は、「窯変瓢型花瓶」1点のみ。内国勧業博覧会美術部に出品、入賞。出品作「窯変瓢型花瓶」「染付百合花図花瓶」「錆釉八ツ手葉花瓶」

 

明治43年(1910) 第1回東京美術工芸展審査員となる。深海三次郎中国に招聘され、現田市松(石川県小松出身)後任となる。

 

明治44年(1911) 9月、窯業共進会へ出品、一等賞金牌を受く。「フキの葉文花瓶」「菊花図飾皿」「蝶貝名刺皿」東京勧業展審査員となる。大正2年(1913) 7月東京高等工業学校嘱託を辞職。マジョリカ陶器を製作。夫人まる協力し作銘玉蘭を用う。東京府工芸展に花瓶を出品、八百円で東京府買上となり、名声を挙ぐ。「彩磁花鳥文花瓶」(東京府工芸展出品)「貝水指」このころインド、ペルシャなどのサラサ文様に興味をもち図案に取入れる。

 

大正3年(1914) 3月東京大正博覧会審査員となる。出品作宮内省買上。「彩磁花鳥文花瓶」(大正博出品)

 

大正4年(1915) 東京府工芸図案会審査会委員となる。シカゴ市博覧会に「笹葉文花瓶」を出品受賞。

 

大正天皇御大典にさいし、東京市献上品「東京十五景」のうち、磁製扇面浅草観音風景額を作る。

 

大正5年(1916) 「白磁八ツ手葉彫文花瓶」

 

大正6年(1917) 日本美術協会展覧会に出品金牌第1席を受賞。「葆光彩磁珍果文花瓶」(日本美術協会展)『白磁瑞獣香炉』

 

大正8年(1919) 「葆光彩磁紅牡丹文花瓶」

 

大正9年(1920) 「彩磁獅子騎乗童子文大花瓶」

 

大正10年(1921) 「葆光彩磁草花文花瓶」

 

大正11年(1922) 3月平和記念東京博覧会審査員となる。出品作宮内省買上。「白磁宝相葉彫文花瓶」(平和博出品)

 

大正12年(1923) 12月摂政宮殿下御成婚を祝し、久邇宮家献上の「彩磁瑞鳳文花瓶」及全国文武官献上の「彩磁松竹梅花瓶」を作る。「窯変天目茶碗」「肩衝茶入」

 

大正14年(1925) 大正天皇御成婚25年奉祝の文武官献上文房具中硯屏および筆架をつくる。小型磁器焼成窯を築く。工芸家にて工芸済々会を結成、11月第1回展を高島屋にて開催。「紅棗磁花瓶」(第1回工芸済々会展出品)「葆光彩磁呉須模様鉢」

 

昭和1年(1926) 「葆光彩磁葡萄文香炉」(第2回工芸済々会出品)

 

昭和2年(1927) 東京府美術館開館記念聖徳太子奉讃展覧会審査員となる。6月帝国美術院展覧会に工芸部新設され、その委員。7月帝展審査員となる。茨城工芸会を主催し現在に至る。関東在住の陶芸作家の団体東陶会結成され、それを主宰、現在会長として在任、「氷華磁瑞花文大花瓶」「葆光彩磁禽果文大花瓶」(奉讃展出品)「紫金磁珍果彫文花瓶」(帝展出品)

 

昭和3年(1928) 9月帝展審査委員となり、出品作は院賞を受く。「彩磁草花文花瓶」(帝展出品)「白磁枇杷彫文瓶」

 

昭和4年(1929) 帝国美術院会員となる。「彩磁唐花文様花瓶」(帝展出品)

 

昭和5年(1930) 10月フランス政府よりバルム・オフィシェー・アカデミー賞を贈らる。「彩磁草文様花瓶」(帝展出品)

 

昭和6年(1931) 「彩磁柘榴文花瓶」(帝展出品)

 

昭和7年(1932) 帝展出品の「彩磁草花文花瓶」政府買上。「彩磁花卉文花瓶」「葆光彩磁草花文花瓶」(帝展出品)

 

昭和8年(1932) 帝展出品作政府買上。「黄飴瓷文壺」(帝展出品)

 

昭和9年(1934) 12月帝室技芸員を拝命。

 

昭和10年(1935) 帝国美術院改組にさいし会員となる。「葆光彩磁草花文花瓶」「窯変鶴首花瓶」(帝展出品)

 

昭和11年(1936) 「淡紅磁四方香炉」(文展出品)

 

昭和12年(1937) 6月帝国美術院、帝国芸術院と改組、会員となる。「彩磁名華文花瓶」

 

昭和13年(1938) 「朝陽磁鶴首花瓶」(文展出品)

 

昭和14年(1939) 「彩磁水差」(文展出品)

 

昭和15年(1940) 紀元2600年展覧会審査員となる。「彩磁山草文水差」(2600年展出品)

 

昭和16年(1941) 学士会館において全工芸美術家による古稀の祝賀宴を受く、長岡市の有志により古稀記念の作品展開催、「彩磁草花文花瓶」(文展出品)

 

昭和17年(1942) 「白磁延寿文様花瓶」(文展出品)

 

昭和20年(1945) 4月、戦災により住居工房全焼、下館市に移住し、茨城県筑波郡菅間村洞下に仮工房を設け制作を続行。「黒飴瓷仏手柑彫文花瓶」(日展出品)

 

昭和21年(1946) 「彩磁唐華文水差」(日展出品)

 

昭和22年(1947) 「彩磁草花文花瓶」(日展出品)

 

昭和23年(1948) 「白磁牡丹彫文花瓶」(日展出品)

 

昭和24年(1949) 「凝霜磁蓮口花瓶」(日展出品)

 

昭和25年(1950) 東京旧地に工房を再建、現窯を復興。「蛋殻磁鳳耳花瓶」「彩磁美男蔓水指」(日展出品)

 

昭和26年(1951) 3月、下館市名誉市民に推挙される。「祥桃瑞芝文花瓶」(日展出品)

 

昭和27年(1952) 「蚕殻磁呉須絵鯉耳花瓶」(日展出品)

 

昭和28年(1953) 6月下館小学校に胸像建立さる。11月文化勲章を受く。「彩磁桔梗文水差」(日展出品)

 

昭和29年(1954) 3月、茨城県名誉県民に推挙さる。「黄磁枇杷彫文花瓶」(日展出品)

 

昭和30年(1955) 「彩磁桜草文水差」(日展出品)

 

昭和31年(1956) 5月、水戸市にて大観・波山展を開催。「銅燿磁唐花文花瓶」(日展出品)

 

昭和32年(1957) 「簸釉草文花瓶」(日展出品)

 

昭和33年(1958) 8月、夫人まる病没。10月、日本橋三越においてはじめて個展を開催。「青磁瓢花瓶」「彩磁花禽文水指」

 

昭和34年(1959) 4月、東京会館において米寿賀宴催さる。「凝霜鯉耳水指」(東陶会出品)

 

昭和38年(1963)1月6日、53年の長きにわたって助手を務めてきた片腕というべき轆轤師の現田市松(げんだ いちまつ)が満78歳(数え年79)で死去すると、波山は仕事の上でも精神的打撃を受けたと見られ、春のうちに病いを得て、4月2日、順天堂病院に入院します。手術を経て6月に退院するも、10月10日、工房のある田端にて生涯を終えた。波山は1964年東京オリンピックの開幕を楽しみにしていたが、開会式のちょうど1年間前に息を引き取りました。享年92、満91歳没。絶作の作品となった「椿文茶碗」は没年の作品であり、彼の技巧が死の直前まで衰えていなかったことを示している。

 

 

板谷波山 青磁竹節香炉 

板谷波山 青磁竹節香炉 大正末~昭和初期

 

「青磁」とは中国から伝わった技法による青緑色の磁器のことです。「竹節」は植物の竹の節。「香炉」は香を焚く器で、茶道具の一つでもあります。作品は底にかけてややすぼまった円筒形で、胴にぐるりと巡らされた突起は竹の節を模しています。

 

器の表面全体に網のように入るヒビは「貫入(かんにゅう)」とよばれる文様で、器の見どころの一つとされます。三つ足で、高さは7.5㎝ほどの両手に収まるサイズ。木製の瀟洒な透かし彫りの蓋は波山の他作品にも多く使われています。すっきりと整った器形と、華美なところのない落ち着きのある風格は波山作品の特質をよく表しています。

 

 

板谷波山の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.板谷波山の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

板谷波山 査定価格におけるポイント

 

板谷波山の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

板谷波山先生は葆光彩磁にこだわりさまざまな陶芸作品があります、大壺の作品に高値の査定価格がつきます。

 

市場では、青磁の香炉をよく見かけます。100万から300万円ぐらいが相場です。

 

150万円から2000万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

板谷波山の作品は葆光彩磁の作品が評価されます。

 

板谷波山展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

板谷波山先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ板谷波山の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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