2025年11月11日

壺の買取は、 名古屋随一の目利きがいる 北岡技芳堂にお任せください!

こんにちは。北岡技芳堂・鑑定人の北岡です。陶磁器づくりの技術が高まるとともに、さまざまな歴史的・美術的価値をもつようになった壺の中には、びっくりするような高値で取引されるものも多くあります。ただ、そのバリエーションの豊富さから「正しくその価値を見抜くのは難しいのでは?」との不安をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
しかし、ご安心ください。昭和25年から続く当ギャラリーでは、宝飾品や骨董品に精通した鑑定人である私が常時在籍しておりますので、どのようなご質問、売却・鑑定のご相談もお客様にご納得いただけるまでお話させていただきます。
処分をお考えの皆さまの参考になればと考え、以下のページで壺全般についてご紹介しています。お時間がある時にご一読いただければ幸いです。

 

常滑二筋壺(鎌倉時代初期)

 

常滑二筋壺は、主に貯蔵容器として使用されていました。 具体的な用途としては、以下のようなものが考えられます。

 

種籾(たねもみ)の貯蔵:次の作付けシーズンまで種を湿気や害虫から守るために使われました。

 

穀物の貯蔵:米や他の穀物を保存するのに利用されました。

 

水甕(みずがめ):水を貯めておくために使われることもありました。

 

塩や調味料などの貯蔵:生活必需品を保管するための容器としても広く用いられていました。

 

常滑焼の壺は、鉄分を多く含む土壌で作られており、しっかりと焼き締まるため水漏れが少なく、貯蔵に適していました。また、二筋壺に見られるような装飾は、単なる実用品でありながらも、当時の人々の生活や美意識を反映したものでした。

 

<歴史>紀元前から人の営みとともに発展

「壺の世界史」は、新石器時代にまで遡ります。土を焼き固める方法が発明された紀元前8000年ごろから、主に食料や穀物の種を保存するための道具として使われてきたようです。その後、青銅や鉄の発明により金属製の壺がつくられるなど、素材や製法の発展、陶工らの技術向上に伴いさまざまなタイプの壺が登場するようになります。やがて各地域に土着した宗教の儀式で使われるなど、その土地土地の文化や風習にあわせた形に進化していきました。

◎中国:中国文明の象徴の一つである彩文土器に代表されるように、数千年の昔から壺と共にあった中国の文化。唐・宋代(7~13世紀)に白磁や青磁の技術が急速に発展し、邢州窯や定窯、汝窯などの名窯が生まれ、高品質な壺が生産されるようになります。明・清代(14~19世紀)には青花(染付)、斗彩、五彩といった技法が生み出され、実用品から美術品へと昇華。シルクロードなどを通じて古くから東西の文化交流が盛んだったこともあり、一つの作品から時代の移り変わりを読み取れる中国の壺は、芸術性と共にその歴史的価値から特に人気が高い骨董品の一つです。

◎朝鮮:宋の越州窯から持ち込まれた青磁の技術をアレンジする形で、10世紀の前半から朝鮮半島でも壺がつくられるようになります。高麗時代(10〜14世紀)には象嵌など独自の装飾を施した壺が生み出され、李氏朝鮮時代(14〜19世紀)には粉青沙器や李朝白磁へと発展します。粉青沙器は青い素地に白化粧の装飾を施したもので、一方の李氏白磁は装飾が少なく、時代が進むにつれ純白から青みを帯びた白、濁った白色へと変化していく色合いが特徴です。この清廉な白色の陶磁器は、儒教の影響を受けているともいわれています。朝鮮で発展した白磁は、その後日本の伊万里焼などに大きな影響を与えました。

◎日本:日本でも縄文時代から食物の保存などに使用され、弥生時代には稲作の普及とともに米を貯蔵するための壺がつくられるようになります。奈良・平安時代以降、中国の影響を受けて陶磁器の技術が発展。鎌倉時代の頃から常滑焼、瀬戸焼、信楽焼などの産地が興り、17世紀には有田焼や伊万里焼で知られる有田で本格的な磁器生産がスタートします。安土桃山時代から江戸時代にかけて茶道の文化が花開くと、茶壷に適したものを茶事に用いるようになりました。ただ、ほとんどの壺は茶壺に適しておらず、唐物の茶壺や珍しい壺の中から、適したものを探し出して使うようになります。自然釉薬「自然釉」の灰釉など釉薬の変化を景色として楽しみ、壺を一つ一つ鑑賞しながら出来の良さや仕上がりの良さを見抜いて珍重するようになったのです。装飾品としての壺づくりが本格的にはじまるのは明治以降で、さまざまな作家がこの時期に製作をはじめました。特にパリ万博(1889年)向けの輸出が増加して以降、薩摩や伊万里などの色絵壺が多くつくられるようになります。昭和に入ってからも名工が続々と生まれ、人間国宝の誕生や現代アート作家による壺づくりが始まるなど、古くから続く伝統や文化が脈々と受け継がれています。

 

縄文土器 壺

 

縄文土器の壺の用途は、貯蔵、煮炊き、祭祀・儀礼、そして墓制など、多岐にわたります。具体的には、種子や食料の保存、液体を貯蔵する容器、音を出す太鼓、儀式で使う容器、そして「再葬墓」の容器として使われたと考えられています。

 

 

<特徴>生活や文化に応じて異なる形に

一部金属製などの例外があるものの、壺は基本的に陶磁器です。胴部が膨らみ、開口部と底部が狭まっている形状をしており、元々は食料や調味料、水などの貯蔵容器として使用されました。その他、小さなものは骨壷として使われるケースもあります。現在では水を運ぶ水瓶、酒を貯蔵する酒壺、花を生ける花瓶などが一般的ですね。

◎中国の壺の特徴:長い歴史の中で時代ごとに異なる技術や美意識を反映した名品がつくられてきた中国は、世界の陶磁器界をリードしてきた存在といっても過言ではありません。時間をかけて発展し続けてきた中国の陶磁器は、造形の優雅さ、釉薬の多様さなどに特徴を見出すことができます。紀元前にはすでに植物の灰からつくられる灰釉を用いた原始青磁なるものが登場しており、交易が盛んな時期には西方やイスラム文化の影響を受けた壺が生み出されました。「中国陶磁の黄金期」とされる宋代には、実用性と美とを兼ね備えた造形がなされるようになります。清代(17〜19世紀)に至り、壺は贈答品・儀礼品として用いられる芸術品となり、超絶技巧によるきらびやかな装飾は一つの頂点を極めたといえるでしょう。時代のトレンドを取り入れながら、さまざまな窯で職人たちが技巧をつくしてきた中国の壺。美しさだけでなく、悠久の歴史を歩んできた希少価値のある作品が豊富なことから、日本だけでなく海外コレクターからも高い人気を誇る骨董品目となっています。

◎朝鮮の壺の特徴:中国の影響を受けつつも、独自の美意識と造形感覚を発展させてきました。自然なゆがみ、控えめな装飾、静かな気品などが中国陶磁との相違点といえます。高麗時代は胴がふくらみ、頸がすっと立ち上がる優雅な壺形が特徴的。余白を生かした品のある絵付けや、象嵌技法による精緻な装飾も独特です。李氏朝鮮時代に入ってからは、胴が大きくふくらんだ、口と底が小さく丸い「月壺(ウォルホ)」が知られています。完璧な球体ではなく、わずかな歪みを残すことで不完全さを表現しているとのこと。高麗青磁の伝統を継ぎつつ、より庶民的で素朴な様式となった「粉青沙器」も有名です。完璧ではないが、調和している。そんな「ゆらぎの美」が朝鮮陶磁の真髄とされています。

◎日本の壺の特徴:中国や朝鮮から伝わった技術を基盤としながらも、侘び寂びや用の美、自然との調和など独自の美意識とともに発展してきました。日本人にとって壺は実用品であると同時に、国土由来の精神性や感性を込めた造形物でもあるともいえます。日本には多くの壺の有名産地がありますが、その中でも諸外国の影響を受けながら独自の発展を遂げた「日本六古窯」と呼ばれる窯場は、特に独自性の強い焼き物をつくることで知られています。平安時代から江戸時代にかけて六古窯でつくられた壺のほとんどは作者不詳で、明治に入ってから名のある陶工らによる壺づくりが始まりました。

瀬戸

(愛知県瀬戸市):約1000年前から現在に至るまで途切れることなく焼き物を生産し続けている、世界的にも大変珍しい窯場です。中世においては国内で唯一施釉陶器を生産していた窯場で、壺では鎌倉時代につくられた古瀬戸の瓶子が有名ですね。その後技法が発展し、江戸時代には染付の壺や鉄釉の壺などもつくられました。

越前

(福井県丹生郡越前町):素朴で力強い造形、温かみのある風合いで知られる焼き物です。陶土に石英などのガラス成分を多く含むため、硬く緻密な焼き上がりが特徴です。鎌倉時代に考案された「陶芸越前大がめ捻じたて成形技法」が今も継承されており、当時から続く大型の壺の製作を現代に伝えています。

常滑

(愛知県常滑市):瀬戸焼同様およそ1000年の歴史を持つ、六古窯の中でも最大規模を誇る窯場。中世から続く巨大登り窯で知られています。鉄分を多く含む赤褐色の陶肌が特徴的で、壺では中世につくられた「三筋壷(さんきんこ)」などが知られています。

信楽

(滋賀県甲賀市):たぬきの置物でも有名な信楽焼は、鎌倉時代に常滑焼の技がこの地に伝わったことから始まったとされています。その自然な風合いと温かみのある「火色(ひいろ)」と呼ばれる赤橙色が特徴的な壺が製作されています。

丹波

(兵庫県丹波篠山市):素朴で自然な風合いが特徴。良質な粘土を薪窯で高温焼成することで、独特の色合いや質感を持つ壺を生み出しています。

備前

(岡山県備前市):独特の自然や胡麻、火襷などの窯変を愛でる焼き物で、北大路魯山人は「世界一の焼き物」と評しました。

 

 

信楽大壺 室町時代

 

 

<現代>日本の陶芸を芸術に変えた二人の作家

実用品・芸術品として発展してきた日本の陶芸。近代に至っても美を追求する手を止めることなく、多くの芸術家・名工たちが優れた作品を世に送り出してきました。ここではそのうちの二人をご紹介しましょう。

黒田泰蔵:1946年滋賀県生まれ。現代日本を代表する陶芸家の一人で、白磁の究極的な美を追求したことで知られています。極限まで薄くした釉薬、シンプルに削ぎ落とされた造形美から「白磁の詩人」と称されました。「白磁は、私にとっては形態とか釉調だけではなく、一つの真理みたいなものかもしれない」などの発言からは陶芸家というよりも芸術家・哲学者に近いマインドを読み取ることができ、その精神性が陶芸を純粋芸術の域まで高めたともいえるでしょう。国内はもとより海外での評価も高く、サザビーズやクリスティーズなどの国際オークションでも高額で取引されています。

 

黒田泰三 白磁壺

黒田泰三 白磁壺

 

富本憲吉:1886年奈良県生まれ。もともとは画家を目指していましたが、イギリス人陶芸家との出会いなどを経て陶芸の道へ。伝統とモダンデザイン、西洋美術と日本の美意識を融合により陶芸を芸術の域まで高めた功績などから、「近代陶芸の開拓者」と評されています。若い頃は柔和で温かみのある作風、40代に入ってからはきらびやかで華やかな作品で知られます。晩年は華やかな装飾を離れ、静謐な白磁・染付を追求。1955年には重要無形文化財である「色絵磁器」の保持者として人間国宝に指定されました。黒田同様、近代日本の陶芸を語る上で欠くことのできない存在です。

 

富本憲吉 白磁壺

富本憲吉 白磁壺

 

 

 

<価値>中には数十億円の価値を持つものも。国内では初期の壺ほど高額に

いかがでしたか。長い時間をかけて、単なる道具から芸術的な価値を持つ作品へと発展していった様子がおわかりいただけたでしょうか。現在も壺は世界中で取引されており、2024年に中国・北宋時代の「北宋汝窯天青釉洗(ほくそうじょようてんせいゆうせん)」がサザビーズで約42億4800万円(2億9430万香港ドル)で落札されるなど、揺るがぬ人気の高さがうかがえます。
日本の著名作家による作品も高額で取引されており、中には数千万円を超えるものも珍しくありません。国内においても長い歴史を持つ壺ですが、他の骨董品同様、始まりの頃のものが高く評価される傾向にあります。例えば平安時代に製作されたものは口が広く肩が張り、底は細くすぼまった力強い形状をしているのに対し、江戸時代のものは口が狭くなり、垂直にすとんと落ちるシンプルな形状へと変わっています。これは文化や価値観、製造方法などの変化によるものですが、現在の骨董市場においては平安期のものの人気が高く、高値で取引されています。江戸時代の壺は数そのものが多いこともあり、それほど値がつかないのが現状です。
ご自宅にある壺の価値が気になっている方、処分を検討している方は、これまで多くの骨董的価値のある壺を扱ってきた当ギャラリーにお任せください。あらゆる品物を丁寧に査定し、評価の根拠をしっかりと説明させていただきます。

◎鑑定人プロフィール
北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた

 

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