2025年10月13日
特別展 藤田嗣治 絵画と写真」に行ってみた。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ
雨の日曜日、名古屋市美術館で開催中の「特別展 藤田嗣治 絵画と写真」に出かけました。同じ敷地内に「木下大サーカス」が来ているせいか、いつも静かな美術館周辺は少し賑やかな雰囲気です。前髪ぱっつんのおかっぱ頭に丸メガネ、ちょび髭というキャラ付けが渋滞している藤田嗣治のポスターを横目に、私は静かな大人の空間へ。今回はこちらの企画展のレポートをお送りします。
藤田嗣治 絵画と写真 名古屋市美術館
■藤田嗣治(レオナール・フジタ)ってどんな画家?
藤田嗣治(1886〜1968)は、20世紀前半に世界的な活躍をした日本人画家です。幼い頃から絵画に才能を発揮し、高校生の頃には「画家としてフランスに留学したい」と考えるようになります。お父さんは医師で、後に帝国陸軍の軍医総監を任されるほどの人物でした。肩書だけを見ると保守的な堅物のようにも思えますが、相当に開明的なインテリだったそう。そんな父の後押しもあって嗣治は1913年に渡仏を果たします。27歳のことです。
パリに到着した嗣治は、町外れの安アパートを借ります。アパートの周辺には世界中から集まった画家志望の若者たちがたくさんいて、ここでアメディオ・モディリアーニやマルク・シャガール、パブロ・ピカソらと出会います。彼らは「エコール・ド・パリ(パリ派)」と呼ばれ、互いに刺激しあいながらキュビズムやシュールレアリスムなどの新しい手法を生み出していきました。嗣治も日本画と西洋画を融合させた独自の画風を確立させます。
パリでの藤田嗣治
その独特な感性はファッションにも現れます。おかっぱ頭に丸メガネ、ちょび髭。白いスーツを身にまとい、ピアスを開け、気に入ったシャツがあれば女ものでも構わず着る。着たい服がなければ、自らミシンで仕立てたそうです。どことなく「ジョジョの奇妙な冒険」を思わせる中性的な風貌も相まって「エキゾチックな東洋人画家」として注目され、1917年に開いた初の個展では110点の作品がすべて完売。ピカソは嗣治の作品を見て「数年後、フジタの絵はマティスと私の絵に挟まれて壁に掛けられることになるだろう」と絶賛しました。
1920年代には「フジタを知らないフランス人はいない」と言われるほどの有名人になった嗣治。その後活動の拠点を南米に移すもその人気は変わらず、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた個展には6万人もの客が押し寄せました。
その後日本に帰国。第二次大戦下には戦争画を手がけ、そのクオリティの高さが絶賛されたものの、終戦後には戦争協力者として世間から非難されることに。そのことに嫌気がさした嗣治は、再びパリに舞い戻ります。晩年はフランスに帰化。カトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタと改名した後も活動を続けますが、1968年、前立腺がんによりスイスのチューリッヒで81年の生涯を閉じました。
■画風の特徴は?
いろいろありますが、最大の特徴は?と聞かれれば「陶磁器のような乳白色」と多くの人が答えるのではないでしょうか。人の肌を塗るために特別に調色された色で、初めて見るその質感に、パリの人々は「素晴らしい白い下地(grand fond blanc)」と感嘆しました。嗣治は、この色の出し方を生涯誰にも明かさなかったそうです。その秘密主義ぶりは、肌を描くときにいちいちアトリエから人払いをするなど徹底していました。
しかし時は経ち2008年、遂にその秘密が解き明かされる日が来ました。科学的な分析により、チョークや白色塗料の原料として用いられる炭酸カルシウムを油絵具のシルバーホワイトと調合したものを塗布していたことがわかったのです。カルシウム化合物は脂と混ざるとほんの少し黄色くなる傾向にあることから、その性質を利用したと考えられています。さらに表層からはタルク(滑石)が検出されたため、調べたところなんと和光堂のシッカロール(ベビーパウダー)が仕上げに使われていたこともわかりました。人々を虜にしたあの乳白色は、理想を追い求めた嗣治があれこれ試した末に発見したものだったのでしょう。「誰にも教えたくない」という心理も納得です。
絵のモチーフとしては特に猫と女性(裸婦)が多いことで知られています。一時期10匹以上の猫を飼っていたほどの猫好きで、あの絵にもこの絵にも猫がいます。ある記者がなぜ猫を描くのかと聞いたところ「女も猫も同じようなものだから」と答えたとか。面相筆を使ったなめらかで細い稜線も特徴的。茶碗など小物に描かれた模様や、残り数本で潰れかけたタバコの袋などの細部まで丁寧かつ精密に描いており、その場の雰囲気がありありと目に浮かぶようです。
全体の印象としては洗練された洋画の雰囲気をもちつつも、平面的な構図や輪郭線による描写などはとても日本的です。そこかしこで見る「東洋と西洋の融合を成し遂げた芸術家」との評は的を射ているように感じました。
藤田嗣治 猫を抱く少女 1950年代
■稀代の芸術家を「写真と絵画の関係性」から紐解く
今回の展示は嗣治の写真にスポットを当てて、絵画制作との関係性を紐解いていこうという試みです。まず被写体としての嗣治ですが、彼を有名にした一つの要因にインパクト大の風貌があります。この露出に一役買ったのが写真でした。「変わった風貌のアジア人画家」の物珍しさを、新聞をはじめとしたメディアが話題にしたからです。しかしこれは「いかに無名画家である自分を売り込むか?」を考えた末の、嗣治本人による戦略的な自己演出だったそうです。まだテレビもない時代に、メディア映えを意識した芸術家がいたことに私はとても驚きました。今や誰もが「他人にどのような印象を与えるか」を意識して、自分を編集することに躍起になっていますが、そんな私たち現代人とまったく同じ感覚ですよね。
次に撮影者としての嗣治です。多くの画家がそうであったように、嗣治も自らの絵画制作に写真を活用しました。ヨーロッパ各国、中南米各国、アジア各国と人生の多くを旅に費やした嗣治は、行く先々で何度もシャッターを切ります。会場には嗣治の手による写真がかなりの点数展示されていたのですが、「思わずカメラを取り出して撮った」といった生々しい写真が多く、つくり込まれた構図の写真はほぼなかったように思います。パリでも蚤の市などの日常風景を描くことが多かった嗣治は、やはり写真でも出来のいい一枚を狙うのではなく、その場の空気を切り取るスナップを好んで撮影しているようでした。膨大な写真は、その後必要に応じ一部が切り出されて絵画作品に転用されていきます。まさにスケッチブック代わりですね。素材となった写真と完成された絵画を並べて展示してあるので、制作プロセスが丸わかりで面白かったです。
若くして日本を飛び出し、世界を渡り歩いた稀代の画家。写真と絵画とを見比べながら、その人生を追体験できるような面白い展示でした。まだの方は12月まで開催していますので、ぜひお出かけになってみてください。一緒に見られる常設の展示も面白いですよ。
「特別展 藤田嗣治 絵画と写真」
会期:2025年9月27日(土)~12月7日(日)
会場:名古屋市美術館(名古屋市中区)
時間:午前9時30分から午後5時まで(金曜日は午後8時まで)※入場は閉館30分前まで
休館日:毎週月曜日、10月14日(火)、11月4日(火)
※10月13日(月・祝)、11月3日(月・祝)、11月24日(月・休)は開館
記事監修:北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。
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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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