2025年5月9日
黄公望(こうこうぼう)の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の掛軸買取りブログ
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黄公望/Huang Gongwang 富春山居圖之剩山圖
黄公望/Huang Gongwangは、咸淳5年8月15日(1269年9月12日)〜至正14年10月25日(1354年11月10日))は、中国・元代の著名な文人画家であり、明代以降の山水画に絶大な影響を与えた人物です。とくに、彼の手によるとされる《富春山居図(ふしゅんさんきょず)》は、中国絵画史上、最も重要な山水画のひとつとされています。
元末の水墨画家。倪瓚・呉鎮・王蒙と並び「元末四大家」と賞され、その中でも、もっとも広い画風をもち、後代に与えた影響も一番大きいと言われます。あるいは董其昌・陳継儒・王思任・楊龍友・倪瓚・王時敏・夏雲鼎・孔尚任などとあわせて「金陵九子」とも呼ばれた。
黄公望は、北宋の李成(りせい)や范寛(はんかん)などの古典山水を学びつつ、それを再構成して自らの詩情と理想を融合させたスタイルを築きました。彼の山水画は、豪放でありながら静謐、構図は広がりがあり、筆致は自由で軽妙です。
特に重視されたのは、「斧劈皴(ふへきしゅん)」と呼ばれる、斧で割ったような岩肌の表現方法。力強い皴法(しゅんぽう)を用いて、岩山の質感や深遠な空間性を表現しました。
南宋の咸淳5年(1269年)、蘇州常熟県に生まれる。両親が早世したため、温州永嘉県の黄家に養子に出され、黄家で十分な教育を受け育ちます。
黄公望は才能はあったが、元代は士大夫の登竜門であった科挙が不定期にしか実施されず、行われたとしても旧南宋領域の住人(いわゆる「南人」)には著しく不利であったため長らく官に就けず、40歳を過ぎて初めて蘇州の属吏となるも、程なく黄公望自身は無関係の徴税不正事件に連座して失職し、官界での前途を断たれた。
その後黄公望は官途に就こうとせず占い師・戯曲家・道士などの遍歴を重ねるが、この間、趙孟頫の知遇を得て絵画を志し、50歳を過ぎて本格的な画家活動に入り「九峰雪霽図」などを世に送り出した。
79歳の頃、杭州富陽県に移住、この地で描かれた「富春山居図」は水墨画の代表的な傑作として知られている。
富春山居図
富春山居図は、連なる山並み、川の流れ、村落や舟を点在させた長巻構図を取り、墨の濃淡と筆致の変化で四季の移ろいや大自然の悠然たるリズムを表現しています。
遠景・中景・近景をゆるやかに変化させつつ、連続性を持たせる山水構成で、 建物や人物は極めて控えめに描かれ、むしろ自然との調和を重視しています。 「皴法(しゅんぽう)」と呼ばれる筆法を用いて、岩の質感や山の量感を表現し、墨の濃淡だけで色彩を排し、精神性の高い静謐な空気を醸成しました。 これは単なる写生ではなく、黄公望自身の理想的な隠者的生活への思いが投影された心象風景とされています。
富春山居図は、断裂と分裂の運命をたどり長らくひとつの巻物でしたが、明代末期に火災で損傷を受け、清代に2つの断片に分けられてしまいました。 分かれた2つの部分は、《無用師巻》(原本の後半)現在は、台北故宮博物院が所蔵の黄公望自身の筆による真筆とされ、完成度が高いです。 《剩山図巻》(原本の前半)現在は、浙江省博物館(杭州)が所蔵火災の焼損痕があり、巻頭の一部が失われている。 このため富春山居図は、離れた名作として有名になり、台湾と中国本土の文化的象徴ともなっています。
東洋絵画の最高傑作のひとつとして、宮廷画や文人画の理想的な山水画として高く評価される。 明・清代を通して無数の模写・模倣が生まれ、文人画の「規範」となった。 2011年には、台北と杭州の双方で《富春山居図》の「合体展」が開催され、両巻が360年ぶりに一時再会したことが大きな話題となりました。
富春山居図は、ただの風景画ではなく、画家の心と哲学、理想の生活観を投影した精神的風景です。その詩的構成と時間的展開は、絵画を超えた思想的表現として、今も多くの人に感銘を与えています。
黄公望 略歴
1269年
江蘇省常熟に生まれる(浙江省とも)。 科挙に失敗後、道士となり、「大癡道人(だいちどうじん)」の号を名乗る。生涯を通じて名利を求めず、清貧の文人生活を送る。
1320年代
以降 浙江・富春江流域に隠棲し、山水画に打ち込む。
1350年頃
晩年に《富春山居図》を描く(約4年かけて制作されたとされる)。
1354年
86歳で死去。
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