2025年3月12日
須田剋太の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ
御所蔵の須田剋太の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
須田剋太の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、須田剋太の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
須田剋太の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の須田剋太のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた須田剋太の作品を鑑定して買取りいたします。
絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の須田剋太の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
須田剋太 本人
埼玉県に生まれます。本名は勝三郎、中学生在学中より画家を志し、ほぼ独学で洋画を学びます。1935年の昭和10年第23回光風会展に初入選します。以後受賞を重ね、1940年の昭和15年会員となります。
それから1936年の昭和11年文展に初入選します。1939年の昭和14年には第3回新文展で特選となります。1949年の昭和24年光風会を辞して国画会に参加します。、1959年の昭和34年同会員に推挙されます。
現代日本美術展、日本国際美術展のほか、海外展にも数多く出品します。戦後は西宮に在住して、西宮市内の小中学校や市民美術教室で指導にあたるほか、西宮美術協会代表もつとめました。
須田剋太は、当初具象画の絵画世界で官展の特選を重ねました。1949年以降抽象画へと進みます。力強い奔放なタッチが特徴と評されます。司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の挿絵を担当し、また取材旅行にも同行しました。
須田剋太 ひまわり
「永劫に働き続けよ 体験行動を続けよ絶えずその体験を否定し破壊しなければダメ」
曹洞宗の開祖道元の禅の世界を愛しました。文展に入選した翌年の昭和9年には寺内萬治郎が浦和の別所沼畔のアトリエを訪れ激励して、光風会に入ることを勧められ入会しました。
寺内萬治郎の門下生が集まる武蔵野会に参加します。浦和画家のひとり、光風会の里見明正とは同じ熊谷中学校で、別所沼のアトリエも隣り合っていました。また、四方田草炎や林倭衛とも交流しています。
1962年の昭和37年西宮市民文化賞、1971年の昭和46年兵庫県文化賞、1977年の昭和52年大阪芸術賞など受賞歴が多数あります。
須田剋太の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.須田剋太の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.須田剋太の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.須田剋太の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.須田剋太の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.絵画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

須田剋太 椿 1988年
須田剋太の言葉
持続出来ることが、生きることが、ものになるのです。形になるのです。線になるのです。
「私の造形」より
須田剋太の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.須田剋太の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
須田剋太 査定価格におけるポイント
須田剋太の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
須田剋太先生の作品は、瓶花の作品に高値の査定価格がつきます。
10万円から30万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
須田剋太の作品は、抽象画と書の作品が評価されます。
掛軸の仕立てが良いと評価されます。
須田剋太展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
須田剋太の作品は、抽象時代の作品が高値で取引されております。
※このように同じ須田剋太の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
須田剋太 抽象作品
「絶対矛盾の自己同一・具象も抽象も帰するところはひとつ」というように、結果的には天衣無縫、感じるままに作品を受け取る見方が正解なのです。
須田剋太 略歴
明治39年
1906年5月1日埼玉県吹上町に、須田代五郎、ふくの三男として生まれます。本名は勝三郎。昭和2年埼玉県立熊谷中学校を卒業後、東京の本郷の川端画学校で学び東京美術学校入学を期したが都合4回失敗した。最初光風会展へ出品します。
昭和12年
第24回展で光風特賞を受賞します。
昭和15年
光風会会員となります。また、新文展では第3回特選を受けます。
昭和14年
「読書する男」第5回に「神将」で二度特選を受けます。
昭和16年
関西に移住、戦中から戦後にかけて東大寺に寄寓し、仏像や堂塔を多く題材とします。
昭和22年
第3回日展に「ピンクのターバン」で特選を受けたが、同年光風会を退会し国画会会員となり、いわゆる官展の流れから離れます。この頃、前衛画家長谷川三郎を知り刺激を受けます。
昭和24年
抽象画に没頭します。以後、国画会展、現代日本美術展(昭和29~41年)、日本国際美術展(昭和30~41年)をはじめ、サンパウロ・ビエンナーレ展(昭和32年)、ヒューストン美術展(昭和34年)、プレミオ・リソーネ展(昭和35年)、ピッツバーグ・カーネギー展
昭和36年
国際展に制作発表し、激しい感情をこめたダイナミックな抽象表現を展開します。その後、再び具象画を手がけたのち、具象、抽象にこだわらぬ独特な画境を拓いた。また、須田剋太自身が道元禅師の「正法眼蔵」に深く傾倒したように、画業の根底に東洋思想が流れているとの指摘がしばしばなされます。一方、縄文土器や土偶などのプリミティーフな美へも強い関心を示し、そこから独自の絵画論を展開、こども美術展を主宰したりもします。
昭和44年
毎日新聞連載の犬養道子「日本人の記録 犬養木堂」の挿絵を描きます。
昭和46年
週間朝日で1月1日号から連載の始まった司馬遼太郎の「街道をゆく」の挿絵を担当します、後者は平成2年2月16日発行分(第897回)まで及んだ。「街道をゆく」の挿絵原画は毎月8枚から10枚描かれ続け、「一枚一枚を、完全な絵と思って描く」態度に貫かれ掲載紙ではモノクロ印刷であるにもかかわらず全て彩色されました。その迫力ある重量感が挿絵の“革命”としての評価を得ます。
昭和58年
作品集『原画 街道をゆく』で第14回講談社出版文化賞を受賞します。
昭和40年
西宮市民文化賞を受けたのをはじめ、兵庫県文化賞。
昭和49年
吹上町文化賞、大阪文化賞。
昭和52年
主な個展は、東京・日本橋三越以来、同店、名古屋丸栄、大阪・阪急の三ケ所でほゞ半年間隔で開催されたものがあげられる。
昭和63年
国画会を退会。晩年は天衣無縫な生活とは別に、関西の画家中所得番付がトップを占めるなどその作品の評価と価格は上がったが、平成元年、手持ちの自作の全てを公的機関(大阪府2134点、埼玉県立近代美術館225点、飯田市美術博物館458点)に寄贈し話題を呼びました。
昭和59年
画集『私の曼陀羅-須田剋太の世界』を刊行します。
平成2年
具象画、抽象画にこだわることなく独自の力強く生命感あふれる作風を築きあげた洋画家の須田剋太は、7月14日心不全のため神戸市北区の社会保険中央病院で死去しました。享年84。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
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