2025年2月20日
村上華岳の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ
御所蔵の村上華岳の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
村上華岳の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、村上華岳の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
村上華岳の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の村上華岳のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた村上華岳の作品を鑑定して買取りいたします。
絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の村上華岳の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
村上華岳 本人
京都市立絵画専門学校に学んだ日本画家の小野竹喬、 土田麦僊、村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰により、大正 7 年の1918年に京都で創立された国画創作協会は、約 10 年間にわたって、7 回の展覧会、国画創作協会 展覧会を開催しました。 村上華岳は、その前期にあたる第 1 回〜第 3 回展に人物像を各 1 点 出品しています。
第 1 回展に出品した《聖者の死》1918 年・関東大震災により焼失。 大下絵が京都市美術館に伝存している作品では、悲嘆に暮れる群衆の中で聖者が涅槃に入る様子を描き、第 2 回展の《日高河清姫図》1919 年・東京国立近代美術館蔵には紀州道成寺伝説に基づいて、僧安珍を追いかけた末、日高川に身を投じる刹那の清姫を発表 し、第 3 回展では《裸婦図》1920 年・山種美術館蔵によって、村上華岳の理想とした 「久遠の女性」を表現しました。
村上華岳 日高河清姫図 1919年
村上華岳が第 1 回展のために準備したものの、展覧会へは恐らく出品しな かった作品として、目の見えない一人の男性を描いた《盲者の春》(現存不詳。『新京都』1918 年 11 月にモノクロ図版が掲載という作品の存在を確認することができました。 この時期から村上華岳は特に目を意識して制作するようになったと考えられ、その後、村上華岳のほぼ全ての作品において、神仏など尊崇の対象となる存在は開眼し、俗人は目を閉 じて表現されています。
この描写には、国画創作協会で顧問を務めた美学者の中井宗太郎からの影響を指摘することができます。中井宗太郎は、大正 7年の1918年 2 月の雑誌『中外美術』に発表しました「釈迦金棺出現図と色彩象徴」という文章の中で、モーリス・メーテルリンクの戯曲「群盲」(Les Aveugles)にも触れながら、「衆生は道と光とを失つた群盲である。この群盲に道と光を與ふるものは聖者である。」として、釈迦金棺出現図について解説しています。
釈迦金棺出現図 平安時代・11世紀 京都国立博物館
この頃、直接村上華岳が《釈迦金棺出現図》(京都国立博物館蔵)の解説を中井宗太郎から受けて、釈迦と摩耶夫人の母子の物語に創作意欲をかき立てられていた様子も確認できることから、村上華岳が《聖者の死》で展開した世界観や表現も《釈迦金棺出現図》やその解説を参照した可能性が高いです。 第 2 回展のために準備されながら未発表となった《母と子》などを含めて、主に前期国画創作協会時代の目の描写の変遷を考察し、村上華岳の制作態度や女性観が感じる事ができる。
村上華岳 聖者の死 下絵 1918年
加えて、主に《日高河清姫図》について、西洋絵画の影響で「引目鉤鼻」を否定し、解剖学的視点に基づいて多くが伏目で描かれた聖女像や美人画、あるいは物語の再現性に主眼を置いて発展した歴史画といった明治期以降の面貌表現を踏まえ、伝統的な引目を「盲目」すなわち俗人の苦悩に置き換えた手法に前時代とは異なる象徴性を指摘し、同作を大正期の美術に画期をもたらした作例として、近代日本美術史上に重要な作品と考えられます。
村上華岳 裸婦図 1920年
国画創作協会を設立し新様式の日本画を描いて活躍した村上華岳の傑作、大正9年に、第三回国画創作協会展に出品された作品で、薄物を纏った女性の姿を上品に絹本に描いている。インドの仏教美術や西洋の宗教画なども研究した村上華岳による人体表現の到達点を示す日本画作品であり、我が国大正期の日本画による裸体画の代表作です。
村上華岳 瞻部樹下悉達太子禅定之図 1933年
箱書に難しい漢字が並んでいます、「瞻部(せんぶ)」と(えんぶ)」ともいわれる樹木「ジャンブ」の事です。はインド、ひいては人間世界を「瞻部(せんぶ)(閻浮(えんぶ))堤(だり」と称するほど、インドでは親しまれてきた木です。「とは、釈迦の皇太子時代の名前「悉達多(シッ意味します。「禅定」とは、座禅をして瞑想する事です。この絵画には、出家前の釈迦が、樹下で心静かに座禅を組んでいる姿が描かれています。墨の濃淡で葉と茎とその影をあらわす事、不明瞭で混沌とした場となり、端正な顔立ちの王子は、薄墨の線でそこに溶けこむかのように描かれています。若き日の釈迦が心身を深く統一していく感覚が、みずみずしくも穏やかに表現されている日本が作品です。
村上華岳 山澗含春図 1936年
晩年の村上華岳は慣れ親しんだ六甲の山を数多く描きました。題名の「澗」は山間を流れる谷川を、「含春」は春の気配を意味します。この水墨画が描かれた当時、村上華岳は学生時代から活躍ていた京都から、神戸の実家に戻っていました。持病の喘息の悪化で床に就く事が多くなり、製作活動は続けていたものの、画壇の表舞台からは身を引いていました。この水墨作品ではさまざまな薄墨の表現によって、芽吹く山や川の流れが描かれていますが、山肌から湧き立つ霞に揺ぐように混沌としています。喘息の症状が出やすくなる冬を乗り越えたあとの、春を待ち望む思いを反映しているかのように、自由でのびやかな筆遣いで描かれた日本画作品です。
村上華岳の言葉
〈制作は密室の祈り〉といい、〈仏陀山水であり山水菩薩である〉という言葉は、作家の描くものは仏画も山水も同じように生命の深淵を研ぎ出す行為であるという境地を示しています。
村上華岳の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.村上華岳の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.村上華岳の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.村上華岳の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.村上華岳の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります
村上華岳の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.村上華岳の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
村上華岳 査定価格におけるポイント
村上華岳の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
村上華岳先生の作品は、菩薩や山水の作品に高値の査定価格がつきます。
30万円から500万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
村上華岳の作品、絶筆の場合は入江波光箱書きです。波光の箱書の作品も評価されます。
晩年の作品で山水や菩薩が描かれていると評価されます。
色紙サイズでも図柄が良ければ高値で取引されます。
村上華岳展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
村上華岳の作品は、晩年の水墨作品が、高値で取引されております。
※このように同じ村上華岳の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
村上華岳 略歴
明治21年
7月大阪に生れます。武田誠三の長男、武田震一
明治28年
神戸小学校に入学します。神戸村上家に寄居。
明治34年
同校卒業、京都美術工芸学校に入学します。
明治37年
村上家を継ぎます。
明治40年
美術工芸学校卒業します。
明治41年
第13回新古美術品展「木枯」4等、文展第2回「驢馬に夏草」3等
明治42年
第14回新古美術品展「春の雨」4等。京都絵画専門学校設立、入学します。
明治44年
第16回新古美術品展「早春」3等、文展第5回「二月の頃」褒状、京都絵専第1回卒業、入江波光、榊原紫峰、土田麦僊、小野竹喬等同期生
大正4年
文展第9回「春耕図」
大正5年
文展第10回「阿弥陀」特選
大正6年
文展第11回「白頭翁」、選外
大正7年
1月、入江、土田、榊原、小野、野長瀬等と国画創作協会創立、国展第1回「聖者の死」
大正8年
国展第2回「日高川」
大正9年
国展第3回「裸婦」
大正11年
巴里日本美術展「CINTAMANICAKRA」出品
大正12年
京都を去り阪神沿線に住みます。
大正13年
国展第4回「説法の図」「八重橋」「瓜茄残暑」
大正14年
国展第5回「松山雲煙」
大正15年
久迩宮家へ献上画。以後一切の美術団体を離脱します。
昭和10年
帝院改組に際し無鑑査推挙、所蔵家により東京美術倶楽部にて5月個展開催します。
昭和11年
中井宗太郎主催で京都美術倶楽部にて個展開催します。
昭和12年
三聖代名作美術展へ「山」(連作)出品 昭和14年 11月11日没 画集―「華岳画集」(大正12年発行)、「華岳画集」(大正14年発行)「華岳画集」(大正15年発行)「華岳画譜」(昭和6年発行)「華岳画襍」(昭和14年発行)
**************************************
弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
最近のブログ
月別アーカイブ
- 2025年
- 2024年
- 2024年12月 (32)
- 2024年11月 (29)
- 2024年10月 (32)
- 2024年9月 (32)
- 2024年8月 (1)
- 2024年6月 (1)
- 2024年5月 (1)
- 2024年4月 (1)
- 2024年2月 (2)