2016年3月18日
須田剋太の書 南無仏陀
須田剋太の書
南無仏陀
南無は、絶対的な信仰を表すために唱える語。仏・菩薩(
仏陀は、(ぶっだ、ブッダ、梵:बुद्ध buddha)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟
共箱
略歴
1906年 – 埼玉県北足立郡吹上町(現:鴻巣市)で、須田代五郎の三
1927年 – 埼玉県立熊谷中学校(旧制、現・埼玉県立熊谷高等学校)
その後浦和市(現:さいたま市)に住み、ゴッホと写楽に
東京美術学校(現東京芸大)を4度受験するもいずれも失
1936年 – 文展で初入選。
1939年 – 文展で「読書する男」が特選。
1949年 – 抽象絵画の旗手長谷川三郎と出会い、国画会に入り抽象画
1950年 – 森田子龍編集の「書の美」に論文を発表する。以後「墨美
1955年 – 第3回日本抽象美術展に出品。
1957年 – 第4回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品。
1960年 – 第1回個展(大阪フォルム画廊)。 1961年 – 現代日本絵画展に出品。カーネギー国際現代絵画彫刻展(
1962年 – 西宮市民文化賞を受賞
1971年 – 司馬遼太郎に同行しながら、「街道をゆく」の挿絵を描き
1975年 – 郷里の吹上町文化賞を受賞。
1983年 – 「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞
1989年 – 埼玉県立近代美術館にすべての抽象の油彩画、グワッシュ
1990年 – 油彩画45点、グワッシュ320点、挿絵1858点の計
1990年 – 7月14日午後5時28分、兵庫県神戸市北区の社会保険中央病院にて84歳で死去。