2025年2月7日

織田廣喜の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の織田廣喜の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

織田廣喜の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、織田廣喜の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

織田廣喜の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の織田廣喜のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた東郷青児の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の織田廣喜の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

織田廣喜 本人

織田廣喜 本人

 

福岡県嘉穂郡(現・嘉麻市)に生まれます。昭和6年、町内に住む帝展入選画家の犬丸琴堂に油絵を学びます。翌年上京して学費を稼ぎ、昭和9年から昭和14年まで日本美術学校に在学します。

 

この時に、藤田嗣治や岡田謙三らの指導を受けます。昭和15年第25回二科展に《未完成》が初入選し、以後同展に出品を続けます。昭和21年第31回展に《黒装》で二科賞、昭和43年第53回展に《小川の女たち》《サンドニの少女》で総理大臣賞、昭和46年第56回展に《水浴》で東郷青児賞を受賞します。

 

平成7年、画業50年に対して日本芸術院賞・恩賜賞を受賞します。平成18年には二科会理事長に就任します。少女像や女性たちが行き交う街頭風景などをモティーフに、哀愁とロマンティックな詩情を感じさせる作品を数多く描きました。

 

 

織田廣喜 田園の裸婦 1997年

織田廣喜 田園の裸婦 1997年

 

いい意味で、うそをついた絵のほうがいい。

キャンパスの上では自由。

楽しんで描こう。自分が楽しければ人も楽しいのです。

~「絵筆とリラ」より~

 

 

織田廣喜独自の造形や色使い、女性のやさしい体つぎが独特の表現でなされています。なんとなく胸を締めつけるような儚げな雰囲気が表現されていて、絵を見るものを虜にしていくのではないでしょうか。

 

 

 

織田廣喜の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.織田廣喜の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.織田廣喜の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.裏書やサインがわからないですが買取りしてもらえますか?
A.一度拝見してください。当店で分かる事をご説明いたします。

 

Q.織田廣喜の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.織田廣喜の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.洋画家の作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

織田廣喜 少女 

 

上記の画像ような作品がポピュラーであり、よく見かけます。

人気の図柄で注文が殺到したのでしょう。

弊社もたくさん購入履歴があります。

 

 

 

織田廣喜 略歴

 

1914年
大正3年4月19日、福岡県嘉穂郡千手村(現、嘉麻市)に生まれ、17年に隣村の碓井村に転居します。

 

1929年
昭和4年、碓井尋常高等小学校高等科を卒業。麻生鉱業に勤務していた父が病気になったため、家計を助けるため陶器の絵付けなどをして働き、福岡市の菓子店に勤めたのち、碓井村に戻り郵便局員として勤務します。

 

1931年
同村に住む帝展作家犬丸琴堂(慶輔)に油彩画の指導を受け、同年の福岡県美術展にゴッホの影響を示す「ひまわり」という作品で入選します。

 

1932年
上京し1934年に日本美術学校絵画科に入学します。当時は大久保作次郎が指導しており、後に藤田嗣治、林武らにも師事する。在学中、3年ほど美術雑誌『みづゑ』の編集発行を行っていた大下正男のもとで発送作業などを行います。

 

1939年
日本美術学校西洋画科を卒業します。

 

1940年
第27回二科展に「未完成(室内)」で初入選します。

 

1943年
徴用により横川電機製図部に入ります。

 

1945年
終戦後、進駐軍に雇われ兵舎のホール等に壁画を描きます。

 

1946年
100号のカンヴァスに3人の着衣の女性の立像を白と黒のペンキで描いた「黒装」を第31回二科展に出品して二科賞受賞。47年第1回美術団体連合展に「憩ひ」を出品。以後、同展には第5回まで出品を続けます。

 

1949年
第34回二科展に「楽」「立像」「群像」「黄」「静物」が入選し、二科会準会員となります。

 

1950年
第35回同展に「讃歌」「曲」「女」を出品して同会会員に推挙される。「讃歌」は800号の大作で、当時、画力向上のために大画面制作を奨励していた二科会で高い評価を得ました。

 

1951年
二科会の画家萬宮(まみや)リラと結婚します。

 

1952年
第1回日本国際美術展(毎日新聞社主催)に「無題」「女」「静物」を出品し、以後も同展に出品を続ける。同年、第37回二科展に「酒場」「風景」「女」を出品して会員努力賞受賞します。

 

1954年
第1回現代日本美術展(毎日新聞社主催)に「群像」「風景」を出品し、以後も出品を続けます。

 

1960年
初めて渡仏し、それまで夢見ていたフランスを実見して、現実と想像の差異を認識するとともに、その認識を踏まえた上で想像力をもって描くことの重要性に思い至る。対仏中にサロンドートンヌに出品して翌年帰国します。

 

1962年
渡仏し、スペイン、イタリアを訪れて翌年4月に帰国。

 

1962年
第1回国際形象展に「パリ祭」「モンマルトル」を招待出品し、以後、同展に出品を続けます。

 

1972年
同展同人となります。

 

1966年
4月から9月まで渡欧し、スペイン各地を旅行して制作します。

 

1968年
第53回二科展で「小川の女たち」「サンドニーの少女」を出品して内閣総理大臣賞受賞。71年第56回同展に「水浴」を出品して青児賞受賞。同年、パリのエルヴェ画廊で初めての個展を開催。

 

1970年
1973年にも渡仏します。

 

1980年
11月、「パリの女を描いて20年、織田広喜展」が日本橋三越で開催されます。

 

1982年
3月、福岡市美術館で「憂愁の詩人画家 織田広喜」展が開催されます。

 

1995年
平成7年3月に前年の二科展出品作「夕やけ空の風景」によって日本芸術院恩賜賞・日本芸術院賞を受賞、同年11月に日本芸術院会員(洋画)に選ばれました。

 

1996年
碓井町立織田廣喜美術館が開館します。

 

2003年
フランス政府より芸術文化勲章(シュヴァリエ章)を受章します。

 

2006年
二科会理事長となり、12年には名誉理事長に就任します。現実そのままを描くのではなく、「想像し嘘をつく」ことが絵の制作には必要であると語り、初期から晩年まで、デフォルメされ浮遊するような女性像を特色とする幻想的な作品を描き、人気を博した。主な画集に『織田広喜画集-作品1940-1980』(講談社、1981年)、『織田広喜』(田中穣著、芸術新聞社、1993年)などがあります。

 

2012年
日本芸術院会員で二科会名誉理事長の洋画家織田廣喜は5月30日、心不全のため八王子市の病院で死去。享年98。

 

 

 

 

織田広喜 シャンゼリゼ 6号

織田広喜 シャンゼリゼ 6号

 

1960年に初めてパリを訪れた織田廣喜は、この町のあらゆるところで出くわす「人間の表情が、気が狂うくらいにきれいに見えた」と述べ、以後20年以上、パリジェンヌの姿をカンヴァスに描き続けました。

 

 

 

 

織田廣喜の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.織田廣喜の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

織田廣喜 査定価格におけるポイント

 

織田廣喜の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

織田廣喜先生の作品は、赤い帽子を被った少女の作品に高値の査定価格がつきます。

 

3万円から15万円ぐらいの買取相場です。版画は1万から2万が相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

織田廣喜の作品は、キャンバスの作品が評価されます。

 

女性が描かれていると評価されます。版画の作品もあります。

 

織田廣喜展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

織田廣喜先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。

 

※このように同じ織田廣喜の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

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