2025年2月6日

小林和作の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の小林和作の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

小林和作の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、小林和作の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

小林和作の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の小林和作のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた東郷青児の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の小林和作の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

小林和作 本人

小林和作 本人

 

明治21年8月14日、父・和市、母・ヨネとの間の13人兄弟の次男として、山口県吉敷郡秋穂村東本郷第341番屋敷(現在の吉敷郡秋穂町東1901番地)に生まれました。代々、田畑塩浜などを持つ富裕な地主で、小林和作より6代前から、毛利藩主から苗字帯刀を許された家柄であった。小林和作は生来、どもりであった。明治26年 4月秋穂村立大海尋常小学校に入学します。

 

この前後、父母に連れられてどもりを治すために上京するが、効果はなかったみたです。学校の成績は卒業まで主席で、勉強より昼寝、魚釣り、「三国志」を始めとする読書が好きでした。

 

明治30年3月同小学校を卒業、4月秋穂村立本郷尋常高等小学校高等科に入学します。ここでも主席を通しました。明治33年に病気のため同校を一年間休学します。この頃から読書を覚え、三国志の直訳本(評伝31)などを読みあさりました。明治35年3月同校卒業します。

 

 

小林和作 秋山

小林和作 秋山

 

絵の道を志すが、後継ぎとして商業学校進学をすすめる父と衝突し、一年間浪人します。明治36年 やっと画家志望を認めた父に伴われて上京し、父の知人の友人である山口県出身の日本画家・田中頼璋の門に入門するが、入門翌日風邪をひいて医師の忠告で直ちに帰郷しました。

 

明治37年4月京都市立美術工芸学校絵画科に入学します。同級生にのちの美術評論家の田中喜作のほか、川路柳虹、高畠華宵がおり、一級上には村上華岳、榊原紫峰がいました。絵画科の教授陣は竹内栖鳳、山元春挙、菊池芳文たちでした。米屋の二階に下宿し、郷里から月十円の仕送りを受けた。一年後、下級生として森谷南人子、人見少華が入学してきました。

 

明治39年 父親にすすめられて一ヶ月間休学し、どもり矯正のため上京します。明治の教育者井沢修二が創設した楽石社に入寮して矯正を受けるが、あまり効果もなく帰洛します。あまり効果がなく一ヶ月が終わろうとしていたときに、井沢修二が小林和作に言いました。

「きみは絵描き志望の由だが、絵にはドモリであっても差し支えないはずだ。ドモリを直すのは消極的な方法だから、ドモリであることを恥ずかしがらぬ度胸を養うことがなお大切だよ。」その言葉が、身体的ハンディーを精神的な鍛錬で克服しようとする小林和作の大きな支えとなました。

 

 

小林和作 春雪の山

小林和作 春雪の山

 

明治41年3月、同校絵画科を卒業します。学科の成績は主席で、実技は下位の成績でした。卒業と同時に、前同校助教授の川北霞峰の画熟に入り、号を「霞村」と称しました。明治42年4月京都市立絵画専門学校(予科2年、本科3年)日本画科に入学します。

 

実技の上位合格者は二年に編入されたが、和作は一年、同年4月に本科には森谷南人子が入学します。やがて学校がつまらなくなり、竹内栖鳳の授業以外は出席しませんでした。出欠自由な別科に転科します。

 

別科では一級上に小野竹喬、土田麦僊がいました。転科の甲斐なく出席日数不足で落第、原級に留まります。4月上京し、第三回文展を見に行きます。同展出品の菱田春草「落葉」にいたく感激し、以後菱田春草に心酔します。明治43年4月京都市岡崎勧業館で開催の第15回新古美術品展に出品した「鳩」が高島屋役員の飯田藤二郎に買い取られ、三十円の金をはじめて手にします。

 

 

 

小林和作の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.小林和作の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.小林和作の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.サインが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.サインが無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.小林和作の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.小林和作の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.洋画家の作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

小林和作 バラ花

小林和作 バラ花

 

 

「天地豊麗」の言葉をよく用いた小林和作は「天地豊麗」と言う言葉を、口癖のように使っていたと言います。 豊麗とは豊潤で美麗な様子を表現したもので 「天地豊麗」は小林和作が作品で目指していたものだと考えられます。

 

「天地豊麗」は 小林和作の画集のタイトルにもなっています。 日本画に挫折したから洋画家となったようですが 日本画を学んだ経験も、活かされて、自身の作品に対する信念として形作られました。

 

小林和作は、日本的な風景や花を描こうとしたのではないでしょうか。洋画家が描くヨーロッパの風景などはあまり見た事がないです。太い線でキャンバスに塗り付けるタッチが独特で、そこに小林和作の魅力があるのでしょう。きっと大枠で色や形がつかめるのでしょう。少し離れて作品を眺めると、また違った風に作品が見えてきます。

 

最近、作品が下落傾向にあり残念です。また強く応援する画商やコレクターがいたら作品は再評価されると思います。私は額縁を変えたりして、また違ったように作品を提案させていただくと再評価されると思っております。

 

 

 

 

小林和作 略歴

 

明治21年
1888年8月16日、山口県吉敷郡に生まれ。父は和市、田畑、塩浜などを所有する富裕な地主で、小林和作は7人兄弟の長男でした。小学校を了えると画家になることを希望し、廃嫡を父に申し出で、なかなか許されなかったが、遂に父親もおれて、明治36年小林和作をつれて上京します。日本画家の田中頼璋の門に入ったが、入門した翌日から風邪をひいて寝こみ、直に郷里へ帰りました。初期の雅号を霞村、後年には燦樹の別号をもっていた。

 

明治37年
1904年、京都市立美術工芸学校日本画科に入学、同級に田中喜作、川路柳虹、高畠華宵などがあり、1学年上級に村上華岳がいた。幸野楳嶺、菊池芳文門下の川北霞峰の画塾に入ります。

 

明治41年
同校を卒業、京都市立絵画専門学校に入学し、竹内栖鳳の指導をうけた。絵専在学中も霞峰画塾に通い、霞村と号します。

 

明治43年第4回文展に椿を描いた作品を出品して入選します。

大正二年
1913年京都市立絵画専門学校を卒業し、この年の第7回文展に「志摩の波切村」が入選します、褒状をうけたが、その後出品しても落選します。

 

大正9年
1920年洋画研究を志して鹿子木孟郎の下鴨の画塾に入門して初歩の木炭画から始め、ここで林重義、北脇昇などと知り合う。
 

 

大正11年
1922年春、大正博覧会に上京、偶然紹介された小石川の野島熙正邸を訪ねてその所蔵の洋画コレクションに接し、特に梅原龍三郎、中川一政の作品に感動して洋画への転向と上京を決し、居を東京に移した。中野の前外務大臣伊集院彦吉の邸宅に住い、梅原龍三郎、中川一政、それに林武に油彩画の指導をうけ、春陽会展に出品します。また、梅原龍三郎、中川一政、林武らの作品を蒐集します。京都におけるジャン・ポール・ローレンス系のフランス・アカデミスムの画風から、上京後は印象派以後の近代的画風へと転じていく。

 

大正14、15年
つづけて春陽会賞を受賞します。

 

昭和2年
1927年
第5回春陽会展に「上高地の秋」を出品して春陽会会員にあげられる。

 

昭和3年
1928年1月、林倭衛、林重義、ベルリンへ行く弟と4名でシベリア経由でヨーロッパへ赴き、パリへ行き、さらに山脇信徳と共にイタリア旅行、夏にはイギリスへ旅行しました。

 

昭和4年
1929年、春には約5ヶ月のあいだエクス・アン・プロヴァンスに滞在した。同年5月、再びシベリア経由で帰国します。

 

昭和6年
1931年、経済恐慌で実家の経済状態が悪化し、財産を整理、その前年に創立された独立美術協会に林重義を通じて参加を勧誘されたがこれを断り資金援助だけをします。
 

 

昭和9年
1934年、春陽会を脱会して独立美術協会に会員として参加、また、同年東京から尾道に居を移し、以降、尾道にあって独立展を中心に作品を発表していきます。戦後は、春、秋の二度にわたり長期の写生旅行で日本国内をまわり、その成果を独立展、秀作展、日本国際美術展、現代日本美術展などに発表します。

 

昭和28年
1953年、27年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。

 

昭和46年
1971年、に勲三等旭日中綬章を受賞。なお、80歳を祝って、梅原龍三郎、中川一政、小糸源太郎などを加えて八樹会がおこされ、日動画廊で展覧会が毎年開催される。後半期は日本の古美術、特に肉筆浮世絵、文人画から富岡鉄斎、村上華岳などと幅広い蒐集でコレクターとしても知られ、また、随筆家としてもよく知られており、随筆集に「風景画と随筆」「春雪秋露」「美しき峯々の姿」「天地豊麗」「春の旅、秋の旅」などの著書があり、そのほか、「浮世絵肉筆名品画集―小林和作家蔵」(画文堂)、「備南洋画秀作集」(求竜堂)などがあります。

 

昭和49年
1974年、尾道市在住の独立美術協会員、小林和作は、11月3日出入りの門下生4名とスケッチ旅行中、車から降りたときにドアに接触して約2メートル下の荒地に転落、広島県三次市の双三中央病院で治療中であったが、11月4日午後9時過ぎ、頭蓋内出血のため死去した。享年86歳。

 

 

 

小林和作の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.小林和作の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

小林和作 査定価格におけるポイント

 

小林和作の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

小林和作先生の作品は、風景画の作品に高値の査定価格がつきます。

 

5万円から10万円ぐらいの買取相場です。版画は1万から2万が相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

小林和作の作品は、キャンバスの作品が評価されます。

 

湖が描かれていると評価されます。版画の作品もあります。

 

小林和作展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

小林和作先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ小林和作の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

最近のブログ

月別アーカイブ

ツイッター facebook インスタグラム

電話でお問い合わせ

0120-853-860

フリーダイヤル受付時間

月曜日〜土曜日
10:00〜18:00

電話でお問い合わせ 0120-853-860

受付時間
月〜土曜日 10:00〜18:00
(受付時間 10:00〜18:00)

無料LINE査定 無料Web査定