2025年1月27日

李禹煥の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の李禹煥の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

李禹煥の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、李禹煥の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

李禹煥の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の李禹煥のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた李禹煥の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の李禹煥の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

李禹煥は1936年、韓半島東南部の慶尚南道の山奥で漢方薬を扱うこともあった旧家に生まれている。儒教的な制度やシャーマニズム、仏教が浸透した山間の僻地ながら、彼の祖父は、田舎から出て、どんどん広い世界に行かなくてはいけないと常々言っていたという。

 

新聞記者として各地を飛び回る父親の背中を見ながら、古典文学に造詣の深い母親が日々歌うように本を読む声を聴いて育った李禹煥少年は、やがて彼の家を頻繁に訪れていた文人から、詩や漢文、書などを習うようになります。

 

 

李禹煥 本人

李禹煥 本人

 

李禹煥も「歩みを振り返ってみると、幼い頃の体験が尾を引いていて、それを煮たり焼いたり煎じたりして飲んでいる感じ」と話すように、こうした家庭環境や文人教育を通して筆の使い方を習い、森羅万象の基本として点を打ち、線を繰り返し引く訓練を受けたことが李禹煥の創造行為の核となっています。

 

その後進んだ街の小学校では、日本統治下で日本語教育が行われていました。学校では日本語、家では朝鮮語を使わなければならず、頭が混乱するような状態を経験するが、1945年、入学してから1年半ほどで第二次世界大戦が終わり、日本は敗戦します。

 

その後、都会の釜山の中学に入ると、今度は半年も経たないうちに朝鮮戦争が勃発します。戦争により南部に避難してきた共学のソウル大学付属高校の仮校舎を、山に植物採集に行った帰りに偶然見かけ興味を持った李禹煥は、同校に進学します。ところが、高校1年のときに戦線が変わり、学校が釜山からソウルに戻るのにあわせて自身もソウルへと移ることになりました。

 

こうして、戦争の影響や教育熱心な祖父、父の教え、母親譲りの文学への関心から生まれた外への憧れに数々の偶然が重なり、李は山奥の小さな集落から街、そして首都ソウルへと移動していきました。

 

 

李禹煥 自作と

李禹煥 自作と

 

高校時代は特に文学にのめり込んでいた李禹煥は美術に興味があるわけではありませんでした。教師に「美術なら文学と関係があるから」と説得され、ソウル大学校美術大学に入学します。しかし、入学して間もなく、日本に住む叔父の体調が悪いので漢方薬を届けるように父親に頼まれ、当時は国交がなかったため密航船に乗って日本行きます。ところが、来てみると叔父に帰国を引き止められ、そのまま日本に居続けることになります。

 

日本語が出来なかった李禹煥は、外国人への日本語教育を行う拓殖大学で日本語を学び、開設されたばかりの日本大学文学部哲学科へ編入し。その際も、積極的に美術をやろうと思ったわけではなく、美学を身に付け、社会思想に触れておけば文学の方向に進むのに役立つと思っただけのようでした。

 

しかし、リルケやハイデガーについて研究し、ニーチェや現象学、構造主義に興味を持つようになったことは、彼の思考に大きな影響を与えました。さて、それほど拘りのあった文学の道だが、外国語で文章を書くことに限界を感じ、諦めて大学院に進もうとした矢先、韓国に一時帰国中の1961年5月にクーデターが起こり、すぐに日本に戻れなかったため大学院進学の道を閉ざされてしまいます。

 

また、南北統一運動や軍事政権反対運動にも参加していたが(その関係で70年代の韓国帰国中に拷問も経験している)、自身には向いていないと感じ、徐々に距離を取るようになっていきました。そんな中、仕方なくアルバイトをしていたときに、現代アートとの出会いが訪れました。

 

李禹煥がアルバイトをしていた日本在留の韓国、朝鮮人留学生を支援する朝鮮奨学会のビル内に「ギャラリー新宿」がオープンし、そこで石子順造、中原佑介、赤瀬川原平、中西夏之といった評論家や作家たちに出会う。

 

李禹煥は学生時代にも折に触れて絵は描いており、それを売って学費や生活費を稼いだりしていました。大学時代に、アメリカのジャクソン・ポロックやマーク・トビーなどの作品を本で知り、面白そうだと思い1958~1959年頃に描いてみたりはしたそうだが、ギャラリー新宿での様々な人との出会いや、この頃観た展覧会でオプティカルな錯覚等を通して現実を捉え直した事と、既存の概念に対する批判の可能性を感じた事が、作品制作の直接的な契機となりました。

 

李禹煥いわく、1967年のサトウ画廊での展覧会が、何か考えを打ち出すという形でやった最初の展覧会で、「この時に(美術を)本格的に出来るかな」と感じ、1968年の東京国立近代美術館での「韓国現代絵画展」にピンクの蛍光塗料を用いた作品を展示した際に、「この道でなんとかやっていけるかもしれない」と思ったという。

 

 

李禹煥 ピンクの蛍光塗料を用いた作品

李禹煥 ピンクの蛍光塗料を用いた作品

 

後に「もの派」と呼ばれるようになる関根伸夫らと知り合い、密な関係性を持つことになった李禹煥は、美術評論「事物から存在へ」を執筆します。また、トリックを超える必要も感じていた李禹煥は、関根伸夫が「第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」に出展した《位相―大地》という、地面に円筒形の穴を掘り、その横に掘り出した土を同じ形で置いた作品に衝撃を受けます。

 

西欧モダニズム的な人間主体で対象化する態度ではなく、ありのままの世界を見るべく、作らないことの意味を感じ、関根伸夫論を発表するとともに、この頃に視覚的矛盾や暴力性を感じさせる、自然石とガラス等を組み合わせた、「関係項」シリーズの最初期の彫刻も生み出している。

 

 

李禹煥関係項(石・鉄・ガラスその他の関係)

李禹煥関係項(石・鉄・ガラスその他の関係)

 

以降、李禹煥はもの派の理論的支柱と捉えられるようになっていくわけだが、決して評論家になりたかったわけではなく、作品について理解してちゃんと書いてくれる人がいなかったため仕方なく書いていただけだといいます。

理論と実践の間を行き交うことは、文学的かつ哲学的な資質があって初めて可能であり、作品におけるアート以外の要素の在りようや両義性を考える等、創作にとって大きな意味を持つだけでなく、作家として独自の立ち位置の確立に繋がっていることも事実でしょう。

 

 

 

李禹煥 点より 1980年

李禹煥 点より 1980年

 

アイボリーの淡い平面の上に、特徴的な丸四角の青いかたちが、左上から右方向に薄れながら痕跡をつなげ、消えようとする瞬間また鮮やかな色がよみがえります。そして何度も「改行」しながら同じことが繰り返され、ついには右下隅に到達して全画面を被いつくします。リズミカルに点滅する光源の連続写真のようでもあり、また一時代前のブラウン管テレビの走査線を想い起こさせます。しかし眼をこらすと、これは画家が群青色の岩絵具をたっぷり含ませた「たんぽ」を画面に押しつけ、右に移動させてまた押しつける動作を反復し、絵具がかすれて見えなくなると再び「たんぽ」に絵具を含ませて、同じ動作を上から下へ画面が尽きるまで行った結果とわかります。

 

 

 

李禹煥の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.李禹煥の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.李禹煥の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.李禹煥の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.李禹煥の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

 

 

李禹煥 略歴

 

1956年
ソウル大学校美術大学を中退、来日

 

1961年 
日本大学文理学部哲学科卒業

 

1973年
多摩美術大学着任(~2007年教授職歴任)

 

1990年
韓国文化省より文化勲章花冠受章

 

1991年
フランス文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受章

 

1997年
フランス国立高等美術学校の招聘教授就任

 

2002年
紫綬褒章受章

 

2005年
第1回世界アーティストサミット(京都)

 

2007年
フランス政府よりレジオンドヌール勲章受章

 

2009年
旭日小綬章受章

 

2010年
香川県直島に李禹煥美術館開館

 

2015年
釜山市立美術館敷地に李禹煥ギャラリーを開館

 

 

李禹煥 個展

 

1973年
東京画廊(東京)

 

1974年
田村画廊(東京)

 

1975年
エリックファーブル(パリ・フランス)

 

1976年
ギャラリーm(ボーフム・ドイツ)
スペクトラム・ギャラリー(アントワープ・ベルギー)

 

1977年
東京画廊(東京)
エリックファーブル(パリ・フランス)

 

1978年
ギャラリーm(ボーフム・ドイツ)
デュッセルドルフ美術館(デュッセルドルフ・ドイツ)
ルイジアナ美術館(フムレベック・デンマーク)
現代画廊(ソウル・韓国)
アントワープ・ギャラリー(アントワープ・ベルギー)
シロタ画廊(東京)

 

1979年
ギャラリーたかぎ(名古屋・愛知)
村松画廊(東京)
ジン画廊(ソウル・韓国)

 

1980年
東京画廊(東京)
エリックファーブル(パリ・フランス)
ギャラリー上田(東京)

 

1981年
シロタ画廊(東京)

 

1982年
スタジオ・マルコリーニ(ミラノ・イタリア)

 

1983年
東京画廊(東京)
ギャラリー上田(東京)

 

1984年
現代画廊(ソウル・韓国)
ギャラリー・ド・パリ(パリ・フランス)
シロタ画廊(東京)

 

1985年
鎌倉画廊(東京)

1986年
東京画廊(東京)
ギャラリー上田(東京)
シロタ画廊(東京)
ギャラリー・ド・パリ(パリ・フランス)

 

1987年
現代画廊(ソウル・韓国)

 

1988年
「李禹煥展 −感性と論理の軌跡」岐阜県美術館(岐阜)
ミラノ市立現代美術館(ミラノ・イタリア)
ギャラリー・アンゼルム・ドレアー(ベルリン・ドイツ)

 

1989年
ギャラリーm(ボーフム・ドイツ)
ギャラリー・ド・パリ(パリ・フランス)
ギャラリー上田(東京)
東京画廊(東京)
シロタ画廊(東京)

 

1990年
現代画廊(ソウル・韓国)
鎌倉画廊(東京)
インコン画廊(ソウル・韓国)

 

1991年
東京画廊(東京)
「LEE UFAN 李禹煥」ハラミュージアムアーク(渋川・群馬)
インコン画廊(ソウル・韓国)
ギャラリー上田(東京)
ロレンツェリ・アルテ(ミラノ・イタリア)

 

1992年
ギャラリー・ド・パリ(パリ・フランス)
コンガン画廊(釜山・韓国)

 

1993年
東京画廊(東京)
「李禹煥」神奈川県立現代美術館(鎌倉・神奈川)
シロタ画廊(東京)

 

1994年
「李禹煥」国立現代美術館ソウル館(ソウル・韓国)
インコン画廊(ソウル・韓国)
ムディマ財団(ミラノ・イタリア)

 

1995年
ギャラリーm(ボーフム・ドイツ)
ギャラリー・ド・パリ(パリ・フランス)
「Lee Ufan」レバークーゼン市立美術館(レバークーゼン・ドイツ)
東京画廊(東京)

 

1996年
東京画廊(東京)
リッソン・ギャラリー(ロンドン・イギリス)
コンガン画廊(釜山・韓国)
ギャルリー・J・ムーション(パリ・フランス)

 

1997年
現代画廊(ソウル・韓国)
「Lee Ufan」ジュ・ド・ポム国立美術館(パリ・フランス)
バク画廊(ソウル・韓国)
ロレンツェリ・アルテ(ミラノ・イタリア)
スペース下田(東京)

 

1998年
「Lee Ufan」フランクフルト市立シュテーデル美術館(フランクフルト・ドイツ)
シロタ画廊(東京)
シゴン画廊(大邱・韓国)
新潟市美術館(新潟)
三鷹市美術ギャラリー(三鷹・東京)

 

1999年
東京画廊(東京)
リリアン&ミシェル・デュラン=デッセール画廊(パリ・フランス)
鎌倉画廊(東京)

 

2000年
ギャラリーm(ボーフム・ドイツ)
コンガン画廊(釜山・韓国)

 

2001年
ボン市立美術館(ボン・ドイツ)
シゴン画廊(大邱・韓国)
コンガン画廊(釜山・韓国)
シロタ画廊(東京)

 

2002年
SCAI THE BATHHOUSE(東京)

 

2003年
現代画廊(ソウル・韓国)
サムスン美術館LEEUM(ソウル・韓国)

 

2004 年
「Lee Ufan」フェルネ・ブランカ現代美術館(サン=ルイ・フランス)
リッソン・ギャラリー(ロンドン・イギリス)

 

2005 年
「李禹煥:余白の芸術」横浜美術館(横浜・神奈川)
サン=テティエンヌ近現代美術館(サン=テティエンヌ・フランス)

 

2006年
IBUギャラリー(パリ・フランス)
ギャラリーm(ボーフム・ドイツ)
コンガン画廊(釜山・韓国)
シロタ画廊(東京)
村松画廊(東京)
ギャルリー・ミシュリン・ズワッシャー(アントワープ・ベルギー)

 

2007年
第52回ヴェネツィアビエンナーレ、パルンボ・フォッサーティ宮殿(ヴェネツィア・イタリア)
SCAI THE BATHHOUSE(東京)
ギャラリー・ネイスト・セント・ステファン(ウィーン・オーストリア)

 

2008年
ベルギー王立美術館(ブリュッセル・ベルギー)
ベルリン国立アジア美術館(ベルリン・ドイツ)
ペース・ヴィルデンシュタイン(ニューヨーク・ニューヨーク・アメリカ)
東京画廊(東京)
リッソン・ギャラリー(ロンドン・イギリス)

 

2009年
クッチェギャラリー(ソウル・韓国)
ギャルリー・タドー・ロパック(パリ・フランス)

 

2010年
ブルム&ポー(ロサンゼルス・カリフォルニア・アメリカ)
ガレリア・エルヴィラ・ゴンザレス(マドリード・スペイン)

 

2011年
「李禹煥:Making Infinity」グッゲンハイム美術館(ニューヨーク・ニューヨーク・アメリカ)
ギャルリー・タドー・ロパック(ザルツブルク・オーストリア)
SCAI THE BATHHOUSE(東京)
現代画廊(ソウル・韓国)

 

2012年
アジアソサエティー・テキサスセンター(ヒューストン・テキサス・アメリカ)

 

2013年
狩猟自然博物館(パリ・フランス)
ギャルリー・カメル・メヌール(パリ・フランス)

 

2014年
ヴェルサイユ宮殿(ヴェルサイユ・フランス)
 Kaikai Kiki Gallery(東京)
タティントシャン・ギャラリー(モスクワ・ロシア)

 

2015年
ペース・ギャラリー(香港)
ペース・ギャラリー(ロンドン・イギリス)
ペース・ギャラリー(ニューヨーク・ニューヨーク・アメリカ)
コンタリーニ・ポリニャック宮殿(ヴェネツィア・イタリア)
リッソン・ギャラリー(ロンドン・イギリス)

 

2016年
「李禹煥」シャトー・ラ・コスト(ル・ピュイ=セント=レパラード・フランス)
「Lee Ufan: Les Fragments et la Fenêtre」ギャラリー・ド・セーブル(パリ・フランス)
アマ城(シエナ・イタリア)
エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク・ロシア)

 

2017 年
「Lee Ufan Chez le Corbusier」ラ・トゥーレット修道院(エヴー・フランス)
「Lee Ufan: Ceramics」ペース・ギャラリー(ニューヨーク・ニューヨーク・アメリカ)
オリヴィエ・ドゥブレ現代創造センター(トゥール・フランス)

2018年
「Lee Ufan: Relatum – Stage」サーペンタイン・サックラー・ギャラリー(ロンドン・イギリス)
現代美術 艸居(京都)

2019年
ポンピドゥー・センター・メス(メス・フランス)カイエ・ダール(パリ・フランス)
ハーシュホーン博物館と彫刻の庭(ワシントンD.C.・アメリカ)

 

 

 

 

 

李禹煥 線より

李禹煥 線より

 

油彩、岩絵具、カンヴァス

まっすぐ筆で引かれた線は、上から下へ向かうにつれて絵具がかすれ、最後は見えなくなります。

それを数回ほど繰り返すことで出来あがる画面からは、李禹煥の身振りや息遣いを見て取ることができる。それはまるで緊張みなぎる書道の修練のようです。韓国で生まれ育った李禹煥は、幼いころから書や水墨画、老荘思想といった東洋の文化を身に着け、留学先の日本大学では西洋の哲学を学びました。

その後美術作家としての活動を始めると「アルガママの世界との出会い」を唱え、1970年頃の日本美術の動向である「もの派」を牽引していきました。李禹煥が一筆ごとに画面に線を引いているところを想像してみてください。

そこには、絵画と書、西洋と東洋、面と線といった、対立するようで関わりあう、容易には分かちがたい関係が現れています。

 

 

 

李禹煥の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.李禹煥の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

李禹煥 査定価格におけるポイント

 

李禹煥の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

李禹煥先生の作品は、フロムポイント、フロムラインに高値の査定価格がつきます。

 

500万円から5,000万円ぐらいの買取相場です。版画は30万から100万が相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

李禹煥の作品は、キャンバスに岩絵具の作品が評価されます。

 

版画の作品もあります。

 

李禹煥展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

東京画廊、シロタ画廊などのシールがあると安心して査定できます。

 

 

制作年代

 

李禹煥先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ李禹煥の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

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