2024年12月31日

高山辰雄の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の高山辰雄の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

高山辰雄の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、高山辰雄の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

高山辰雄の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の高山辰雄のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた高山辰雄の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の高山辰雄の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

東山魁夷、杉山寧とともに「日本画三山」とよばれた高山辰雄は、明治四十五年(一九一二年)生まれです。東京美術学校日本画科に入学して、松岡映丘が主宰する画塾、木之華社に入門します。敗戦直後の生活は貧窮を極めて、半年がかりで制作した絵画作品が、第一回日展に落選し、不安と焦りにさいなまれました。

 

 

高山辰雄 いだく

高山辰雄 いだく

 

 

この頃、山本丘人にすすめられてゴーギャンの伝記を読み、強い影響を受けます。「それからは貧乏があまりこわくならなかったし、画についても、入選、落選、特選とか離れて、多少自分というものがわかってきたような気がしました。もう色でも形でも自分の好き勝手に描いてやれという覚悟もできました」

(菊地芳一郎編「現代美術家シリーズ1 高山辰雄」より)

 

昭和二十一年(一九四六年)、第二回日展に「浴室」を出品して特選となります。昭和三十年代から風景画の制作も多くてがけるようになります。日展理事長、日本芸術院会員となり、昭和五十七年、文化勲章を受章しました。

 

 

高山辰雄 本人

高山辰雄 本人

 

 「私は、別に家族愛を描いたわけではないのです。この世には男がいて女がいて、そして子供がいる。人間はみんな孤独で淋しいものです。だから寄り添う。人間とは何か。私はそれを知りたい」

 

(「文藝春秋」平成五年八月号)

 

 

高山辰雄 海の見える道

高山辰雄 海の見える道

 

高山辰雄の日本画作品は、近くで見ると、輪郭線が判別できないほど茫洋と描かれたものが多く、どうやって描くのか不思議に思わせる。

しかし、少し離れてみると、ものの形がおぼろげに浮かび上がってはっとさせられる。人を描いては、その生命を描き出し、風景を描いては、森や家、画面に登場しない住人の息づかいを感じさせる。道を描いては、日々そこを歩く人々を思わせる。

 

神秘的で、静寂を感じながら、高山辰雄の高い品格を画面からじわりと感じる事ができる。

 

 

 

高山辰雄の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.高山辰雄の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.高山辰雄の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.高山辰雄の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.高山辰雄の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

高山辰雄 略歴

 

1912年
明治45年6月26日、大分県大分市大字大分(現、大分市中央町)の鍛冶業の家の二男として生まれる。幼少より同郷の田能村竹田の墨絵に親しみます。

 

1930年
昭和5年東京美術学校の受験を家族に許され、上京して日本画家の荻生天泉のもとで一か月ほど受験準備をするが不合格に終わり、大分県立大分中学校を卒業後、東京に住む実姉をたよりに上京。天泉の紹介で東京美術学校助教授の小泉勝爾に指導を受けます。

 

1931年
東京美術学校日本画科に入学する。

 

1933年
松岡映丘の画塾木之華社に入り、早くから映丘にその才能を嘱望された。同年日本画会に「冬の庭」を出品します。

 

1934年
在学中ながら第15回帝展に「湯泉」が初入選。

 

1936年
卒業制作に「砂丘」を描き、首席で卒業しました。

 

1937年
松岡映丘門下の浦田正夫、杉山寧らが34年に結成した瑠爽画社に参加します。

 

1940年
同会解散

 

1941年
旧会員を中心として新たに一采社を結成します。

 

1943年
川崎小虎、山本丘人らにより結成された国土会にも第1回展より出品した。しかし帝展の後を受けた新文展には入選と落選を繰り返し、必ずしも順調な歩みとはいえない状況が続きます。

 

1946年
春の第1回日展では「子供と牛」が落選。この頃山本丘人よりゴーギャンの伝記を勧められて読み、その生き方に大きな感銘を受けます。

 

1946年
秋の第2回日展で「浴室」が特選を受賞。

 

1949年
第5回日展「少女」が再び特選となり、徐々に画壇での地位を確かなものにしていきます。

 

1951年
第7回「樹下」が白寿賞となり、この時期ゴーギャンの画風に通ずる鮮やかな色彩と簡略化された色面構成の作品を発表する。

 

1953年
第9回日展「月」、54年第10回「朝」

 

1956年
第12回「沼」、57年第13回「岑」など、一転して作者の内面性を強く感じさせる心象的風景画を制作。

 

1959年
日展評議員となってのち、第2回新日展出品作「白翳」により翌年日本芸術院賞を受賞します。

 

1965年
1964年第7回新日展に出品した幻想的な「穹」により芸術選奨文部大臣賞を受賞。杉山寧、東山魁夷とともに“日展三山”として人気を集め、戦後の日本画を牽引する役割を果たしました。

 

1962年
第5回新日展に中国南宋時代の画家梁楷の「出山釈迦図」に啓発されて描いた「出山」を出品して以降再び人物をモティーフにします。

1969年
第1回改組日展「行人」。

 

1969年
同理事。

 

1970年
日本芸術大賞を受けます。

 

1972年
日本芸術院会員、第4回「坐す人」。

 

1973年
常務理事、個展「日月星辰髙山辰雄展」を開催します。

 

1974年
第6回「冬」75年第7回「地」など量塊的な人物表現を展開します。

 

1975年
日展理事長(1977年まで)となります。

 

1979年
文化功労者となります。

 

1977年
第9回「いだく」、80年遊星展「白い襟のある」。

 

1981年
第13回日展「二人」。

 

1982年
文化勲章を受章し、東京芸術大学客員教授となります。

 

1983年
同第15回「星辰」など、人間存在を鋭く追求した作品を発表。

 

1985年
2001(平成13)年にも開催し、風景・人物・静物といった森羅万象からなる「日月星辰」をライフワークとした。この間、61年一采社解散後、同会メンバーらと65年に始玄会を結成。

 

1987年
『文芸春秋』の表紙絵を担当(1999年まで)。

 

1989年
東京国立近代美術館で回顧展を開催、初めて描いたという牡丹の連作が中国の院体画に通ずるものとして話題を呼びます。

1990年
平成大嘗祭後の祝宴大饗の儀に使用する風俗歌屏風「主基地方屏風」を制作。

 

1993年
「聖家族1993年」と題した個展を開催、黒群緑を用いたモノクロームの作品群により新境地を示します。

 

1995年
海外での初めての個展をパリ、エトワール三越で開催。

 

1999年
構想以来16年の歳月を経て高野山金剛峯寺に屏風絵を奉納。亡くなる前年の第38回日展に「自寫像2006年」を出品するなど、晩年まで制作意欲は衰えなかった。回顧展としては1980年に大分県立芸術会館(神奈川県立近代美術館に巡回)、1984年に山種美術館、1987年に世田谷美術館。

 

1989年
東京国立近代美術館(京都府京都文化博物館に巡回)、富山県立近代美術館。

 

1998年
メナード美術館

 

2000年
日本橋髙島屋(大分市美術館、京都髙島屋、松坂屋美術館に巡回).

 

2004年
茨城県近代美術館で開催。

 

2007年
日本画家で日本芸術院会員の髙山辰雄は、9月14日午後4時19分、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。享年95。

 

2008年
練馬区立美術館で遺作展が開催。

 

 

 

 

高山辰雄の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.高山辰雄の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

高山辰雄 査定価格におけるポイント

 

高山辰雄の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

高山辰雄先生の作品は、風景の作品は小さくても高値の査定価格がつきます。

 

20万円から300万円ぐらいの買取相場です。版画は2万から5万が相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

高山辰雄の作品は晩年の作品が評価されます。

 

初期の作品は比較的安値の傾向です。

 

高山辰雄展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

高山辰雄先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ高山辰雄の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

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