2024年11月23日
藤原啓の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の藤原啓の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
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藤原啓作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の藤原啓のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた藤原啓の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の藤原啓の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
少年時代から文学に熱中し、大正8(1919)年上京し、雑誌の編集執筆に携わります。青年期には、社会主義運動に身を投じたり、詩作や絵画、音楽にも親しみます。昭和12(1937)年、文学や思想に疲れ帰郷します。昭和13年39歳の時から三村梅景、金重陶陽の指導のもと備前焼を始めます。
中世雑器の素朴さに傾倒し、大らかな作風を持ち味とし、日本伝統工芸展を中心に活躍する。昭和44(1969)年には新宮殿に擂座壺1対を献納します。翌年、国指定重要無形文化財保持者に認定されます。
藤原啓 本人
藤原啓は、人の物真似を嫌い、自分自身でつかんだ芸術性に基づいた陶芸作品を創作しました。牧歌的で独特な新感覚の作風を確立し、日本陶芸界に大きな影響を与えました。
「陶芸家はやきものだけではなく、絵画も彫刻も音楽もわからなければ、真の芸術家にはなれない」
積極的でロマンチストな青年であった藤原啓は小説や詩集を出版し、絵を描き、バイオリンを弾き、多くの人々と交遊を持ちましたが、志半ばで、極度の神経衰弱になり、これらすべてのことを断念し、三十八歳で郷里の備前市に帰ることになりました。 そして正宗白鳥の弟で万葉学者の正宗敦夫の勧めで備前焼の道に入っていきます。柔らかで弾力のある備前の土の感触に安らぎを覚え、創作意欲をかきたてられ、希望がもてるようになっていきます。
藤原啓が陶芸家として初窯を焚いたのは四十一歳の時です。 「陶酔」 「豪放」 「無心」 「夢」…… 藤原啓の好きな言葉だった。 素人作家の延長として陶芸を楽しんだ藤原啓はあくまでも単純で牧歌的、おおらかで独特な新感覚の作品を確立し、日本陶芸界に強烈な影響を与えました。
藤原啓 備前徳利
見事な灰被り窯変となっています。 こってりとした灰被りはまるで濡れているかのように滑らかで、 酒豪が手掛ける徳利にピッタリの焼き上がりではないかと思います。 柔らかで吸い付くような灰被り窯変は「早く酒を塗ってくれ」と言わんばかりであり、 所々に出た抜けも酒席を盛り上げる最高の景色となっています。
藤原啓の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.藤原啓の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.藤原啓の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.藤原啓の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.藤原啓の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
藤原啓 略歴
岡山県備前市穂浪(当時の和気郡伊里村穂浪)出身。農業藤原伊三郎、世為の三男として生まれます。 少年期から俳句や小説の才能を発揮します。
1915年に博文館が手がける『文章世界』に応募した短編が1等を獲得します。
1919年に上京し博文館編集部に勤務、『文章世界』の編集を担当します。同郷の正宗白鳥、徳富蘆花の影響を強く受け詩の執筆も始めます。そのかたわら早稲田大学英文科の聴講生となり、ロシア・ドイツ文学やシェイクスピアを学ぶが1年あまりで中退。その後は川端洋画研究所に通い、3年間デッサンを学んでいます。
1922年、詩集『夕の哀しみ』を出版
1928年には『ハイネの訳詩集』(生田春月との共著)を新潮社より出版。博文館の『婦人之国』の編集などにも携わりました。
1930年、博文館を辞め作家として独立するが、自己の文学に限界を感じ強度の精神衰弱に陥ります。
1937年、文学を断念し帰郷
1938年、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の正宗敦夫の勧めで、三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始めます。当時40歳という遅いスタートでした。
1948年に国認定の技術保存資格者(丸技)の資格(備前焼では他に金重陶陽、山本陶秀のみ)を受けたのを機に作陶への生涯を決意します。金重陶陽や北大路魯山人らからも指導を受け、技術向上に邁進しました。特に金重陶陽が先駆となった古備前復興の継承に尽力。桃山古備前の技法を基礎にしながらも、窯の中での自然の変容を生かした近代的な造形が特徴です。師である金重陶陽とは対照的で素朴で大らかな作品が、古くから受け継がれた備前焼の新たな展開を示し、後進へ大きな影響を与えました。
1954年、北大路魯山人の斡旋で日本橋髙島屋にて個展を開く。同年、岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定。
1958年には日本工芸理事に就任。1962年プラハ国際陶芸賞を受賞しました。
1970年4月25日、重要無形文化財「備前焼」(人間国宝)保持者に認定。
1972年、勲四等旭日章を受章。
1976年には備前市名誉市民となる。同年備前市には財団法人藤原啓記念館が設立されており、藤原啓自身の作品や数々の古備前を展示している。
1983年、肝臓ガンのため岡山大学付属病院にて逝去。同日、勲三等瑞宝章を受章しました。
藤原啓 備前茶碗
豪放磊落で優しさが滲み出るような温かな作風で万人に愛されました、藤原 啓の備前茶碗です。陶印や土味などから見て藤原啓の中期頃の作品であると思われます。
藤原啓の中期頃の特徴である、良質の土を用いた非常に柔らかな土味が素晴らしいです。同じ茶碗と重ねて焼き上げられており、直接炎に接した部分はトロトロによく溶けた黄胡麻が、重なっていた部分では一目で土の良さが分かる濃厚な緋襷が出ています。
見込みでも抜群の土味が見られ、柔らかで芳醇な明るい茶色の土味は、備前土の最高峰と言っても差し支えのない素晴らしい色合いです。飾りっ気や小手先の技を嫌い、まるで詩を吟ずるかのようにあるがままの心情を土に乗せた藤原啓らしい、シンプルかつ骨太な造形も素敵です。
藤原啓の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.藤原啓の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
藤原啓 査定価格におけるポイント
藤原啓の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
藤原啓先生の作品は窯変の作品に高値の査定価格がつきます。
1万円から10万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
藤原啓の作品は花入や徳利、ぐい呑みの作品が評価されます。
藤原啓展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
藤原啓先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ藤原啓の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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