2024年11月16日
鹿児島寿蔵の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の鹿児島寿蔵の紙塑人形作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
鹿児島寿蔵の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、鹿児島寿蔵の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
鹿児島寿蔵作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の鹿児島寿蔵のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた鹿児島寿蔵の作品を鑑定して買取りいたします。
骨董品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の鹿児島寿蔵の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
人形作家の鹿児島寿蔵は、和紙をおもな原料とした、強靭で繊細な紙の塑像(そぞう)・紙塑(しそ)人形の第一人者です。鹿児島寿蔵はまたアララギ派の歌人としても知られており、生活や自然を詠んだ短歌を数多く発表しています。そして、宮中歌会始の選者を何度も務め上げております。鹿児島寿蔵の生まれは、明治31年福岡の博多です。博多人形を見る環境にあり、少年時代より人形作りと作歌の道を歩き始めました。
大正9年アララギの会員となり島木赤彦、土屋文明、斎藤茂吉などの指導を受け、昭和16年に歌集「朝汐」「新冬」を刊行しました。またテラコッタ(手びねりの素焼きの陶像)から始まった人形作りは和紙との出会いにより、頑丈で温かみのある紙塑人形を作ることになりました。アララギの写生重視の姿勢を、人形作りに生かし、新たな人形芸術への道を切り開いていきました。短歌と紙塑人形の二つの道を歩んで行った鹿児島寿蔵の作品は今も人々の心を惹きつけております。
鹿児島寿蔵 寿染和紙金砂子貼装紙塑人形 おもふくらひめ 昭和51年
写生という事を仕切りに言っておりまして
写生というのは正岡子規から出た道ですけど
生を写すという事だから
何もリアルに現象世界をですね
書いたり作ったりではなく
生を写すということで解釈して
写生は生を映す
寿蔵の歌
紙塑のわざはゆめにあらざる夢なりき 求めもとめてもとめえし夢
ねがひたる一世(ひとよ)はつひにかすかにてわらべごころに人像(ひとが た)つくる
もろもろのことのはげしき世にひそみ心直かれと人形つくる
ひとがたのちいさきものにこのやうに充ちて人には見えざるいのち
※生涯を人形制作にかけた鹿児島寿蔵のひたむきさが歌からもうかがわれます。
鹿児島寿蔵の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.鹿児島寿蔵丸の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.鹿児島寿蔵の作品以外にも他の骨董品などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.鹿児島寿蔵の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.鹿児島寿蔵の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.人形作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
鹿児島寿蔵 略歴
1898(明治31)年12月10日福岡市に生まれます。
1913年小学校卒業後、教育材料を作る製作所に就職し、博多人形に彩色する仕事に従事、工場長格だった有岡米次郎が独立すると彼に師事し、人形制作に打ち込みます。
1917年には福岡市内に窯を築いてテラコッタ風の手稔り人形等を作ります。
1920年個展も開催、この間18年一時上京し岡田三郎助の本郷洋画研究所でデッサンを学んでいます。
1920年人形改革の志を抱いて上京します。
1930年には野口光彦・堀柳女らと人形美術団体「甲戌会」を結成します。また同年夏頃より和紙を材料とした紙塑の研究に没頭し、コウゾ、ミツマタなどの繊維に胡粉、陶土、パルプや木材の粉末を加えて練り固め、乾燥した原型に自ら染めた和紙や金銀砂子などで装飾していく「紙塑人形」の技法を、1932年に完成します。
1933年日本紙塑芸術研究所を開設し、人形の出品が初めて認められました。
1936年第1回改組帝展に「黄葉」を出品、高い評価を受けます。
1938年には、それまで「ヌキ(型抜)」と称していた人形材料の鋸屑練物を「桐塑」と命名する。一方、歌人としての活動も上京後まもなくより始まり、「アララギ」で島木赤彦、土屋文明に師事します。
1928年より10余年にわたって「歌壇風聞記」を『アララギ』に連載します。
1945年には潮汐会を結成し機関誌『潮汐』を発行します。
1946年『アララギ』の再興第1号を編集発行するなど活発な活動を展開し、その豊かな文学的素養は、ロマンティックな彼の人形の造型にも大きく影響します。この時期の人形作品には「稚児大師」「大寿親王比奈」「まんだらの糸」「軍鼓打つ少年」等があり、新文展等にも入選しています。
1946年戦後、日本著作家組合中央委員美術部代表、日本著作権協議会理事・専門委員となり、日本工芸会、日本伝統工芸展でも要職を歴任した。「竹の響」「卑弥呼」「志賀島幻想箕立之事」「奈良朝風智恵の女神ミネルヴァ紙塑像」「若き工人たち」「大森みやげ」「地久」「秘芸曲独楽」「鵜川」「シルクロードの星」「にぎたづ」など、和紙の持つ柔らかさや温かさを生かした叙情性豊かな人形の数々は、伝統的である一方、異国情緒溢れる現代性も併せ持つ。
1961年重要無形文化財(人間国宝)の指定を受けます。
1963年以来宮中歌会始選者をたびたびつとめます。
1967年文化財保護審議会専門委員(77年同会工芸技術部会長) 同年紫綬褒章
1968年歌集『故郷の灯』(短歌研究社)を出版、第2回迢空賞も受賞。人形と短歌、2つの道に足跡を刻みました。
1973年勲三等瑞宝章受章
1983年、紙塑人形の創始者でアララギ派の歌人でもあった人間国宝鹿児島寿蔵は、8月22日午後9時1分、脳血栓のため東京・文京区の日本医科大学付属病院で死去した。享年83。
紙塑人形とは、楮やパルプの繊維などと粘土を練ったものを原型に、和紙を張り重ね染紙を貼って装飾とする鹿児島寿蔵自らが創作したものです。堅牢でありながら和紙の柔らかさが際立っています。これは万葉集に収められた狭野茅上娘子の短歌に想を得て制作された作品で、娘子が両膝をつき天を仰いで情熱的な恋を想うような姿とし、奈良朝的な優雅な装飾の雰囲気で表しています。
鹿児島寿蔵の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.鹿児島寿蔵の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
鹿児島寿蔵 査定価格におけるポイント
鹿児島寿蔵の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
鹿児島寿蔵先生の作品は複雑な造形の紙塑人形に高値の査定価格がつきます。
20万円か70万円ぐらいの買取相場です.
保存状態
漆作品ですので割れや痛みがありますと査定価格が下がります。
箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
鹿児島寿蔵の紙塑人形が高値で取引されます。掛軸や額装の和歌の作品が評価されます。
鹿児島寿蔵展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
鹿児島寿蔵先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ鹿児島寿蔵の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
**************************************
弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00