2024年11月13日
山本陶秀の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の山本陶秀の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
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山本陶秀作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の山本陶秀のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた山本陶秀の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の山本陶秀の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
山本陶秀は、15歳から伊部の窯元、黄薇堂で陶芸の修行を始めます。 備前焼の陶工として独立した後、伊部に窯を築きます。 金重陶陽が再興した茶陶にならい、茶入れ、花入れ、水指などを制作します。
戦前から戦後まで駆け抜けた山本陶秀は 著名人との交流も有名です。 特に陶芸家でもあり、書家や画家、 料理研究家としてさまざまな顔を持つ北大路魯山人、 日系人としてアメリカや日本の文化を受け継ぎ、作品を発表した彫刻家の イサム・ノグチらと親交がありました。
しかし山本陶秀も 戦争に利用された被害者の一人でもありました。 「ろくろの陶秀」や「ろくろの名手」など 通り名が付くほど有名だった山本陶秀は その技術を軍に見込まれ 陶製の手りゅう弾を作らされたこともありました。
戦時中に製造した備前焼製の手榴弾(約 400 個、破片 830 個)、納品箱 4 箱が、山本陶秀さんの息子で陶芸家の山本雄一さんより備前市教育委員会に寄贈されました。
備前焼の手榴弾の前で語る山本陶秀
終戦間近になると、金属が不足し手榴弾の製造も厳しく、代わりに陶製の手榴弾が軍部の要請で日本各地の窯業地で製造されまし た。備前に於いても窯元や各作家によって備前焼製手榴弾が製造されていますが、その全容はあまりわかっていません。
手榴弾は、戦争に利用される目的で製造された備前焼でした。戦時中の備前焼産業の一端を今に伝える物です。手榴弾は高さ約8センチ、直径6センチで、重さは240~270グラム程度。太平洋戦争末期に鉄不足を補う代用品として、軍が全国の焼き物産地に陶器製の手榴弾の製造を命じており、その一環で山本陶秀も作製した。
山本雄一さんは自宅近くで実施された実験の様子を覚えており「『バーン、バーン』という音が頭の中に残っているみたいです。囲いの木の板に破片が深々と突き刺さっていた」と語っています。
山本陶秀 本人
そして、1933年に独立し、雅号を「陶秀」としました。独立から5年後には京都の陶芸家の楠部彌弌のもとで陶芸の基本となる形態の追求と、轆轤の徹底した再修練を行いました。
当時楠部彌弌は帝展などで活躍する一流の作家でしたが、山本陶秀は楠部彌弌が得意とする釉薬の技術よりも、楠部の制作態度を身につけ、その後の作陶生活の基礎としました。
1943年頃には轆轤の冴えを発揮した作品を次々と発表し、備前焼陶芸家の中でも轆轤に抜群の才能を持った作家として知られる存在にまでなりました。
山本 陶秀 大海茶入 1978年 京都国立近代美術館
茶入の制作にあたっては、「時に自分のすべてであった」と語るほど、山本陶秀自身が生涯をかけて探求してきた分野でした。1976年から5回にわたって東京・大阪で開催された「茶入展」では、山本陶秀の備前焼の美の魅力を最大限提示して、多くの鑑賞者からの絶賛を受けました。両手にすっぽりと収まる程の小さな焼き物に、それまで蓄積してきた轆轤技術のすべてを集積した山本陶秀は、名物茶入にも劣らない、風格を備えた現代の備前茶入を一生涯制作し続けました。
山本陶秀の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.山本陶秀の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.山本陶秀の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.山本陶秀の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.山本陶秀の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
山本陶秀 略歴
1906年 岡山県備前市に生まれます。本名政雄。
1921年 窯元・黄薇堂へ入り、陶芸の道に進みます。
1933年 独立して岡山県備前市伊部に築窯、「陶秀」と号す。
1938年 楠部彌弌に師事、後々まで指導を受けます。
1939年 中国・四国九県連合工芸展で優良賞を受賞
1948年 国の技術保存認定(丸技)を受けます。
1951年 イサム・ノグチや北大路魯山人と交友を深めます。
1954年 岡山県重要無形文化財に認定
1959年 日本工芸会正会員。ブリュッセル万国博覧会でグランプリ金賞を受賞
1960年 日本工芸会東中国支部展の審査員に就任
1965年 備前陶芸センターの嘱託講師に就任
1966年 岡山県展の審査員に就任
1969年 備前陶友会の副会長に就任
1970年 日本工芸会理事に就任
1972年 岡山県文化賞を受賞
1975年 山陽新聞文化賞、三木記念文化賞を受賞
1976年 紫綬褒章を受章。中国文化賞、備前市功労賞を受賞
1977年 毎日芸術賞を受賞
1981年 紺綬褒章を受章
1982年 勲四等瑞宝章を受章
1987年 重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定
1991年 備前市名誉市民となります。
1994年 4月22日 没
山本陶秀 作 備前宝瓶
大きな三角形の「マ」の陶印となっています。轆轤の名人らしい緻密に計算された造形で、蓋と本体とが窯変牡丹餅を目印に寸分の狂いなくピッタリと合わさります。珍しい灰被り窯変の焼き上がりも素晴らしい、濃厚な灰被りとほんのりと緋色が差した抜けの取り合わせは素晴らしいです。内側も美しい土味が出ており、使った後は暫く中を眺めたくなります。
山本陶秀の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.山本陶秀の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
山本陶秀 査定価格におけるポイント
山本陶秀の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
山本陶秀先生の作品は茶入れに高値の査定価格がつきます。
5万円から25万円ぐらいの買取相場です.
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
山本陶秀の作品は窯変のある作品が評価されます。
山本陶秀展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
山本陶秀先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ山本陶秀の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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