2013年12月19日
篠田桃紅団扇で仰ぎたい!
松尾芭蕉
夏炉冬扇
予が風雅は夏炉冬扇の如し。衆に逆ひて用ふる所なし
芭蕉は自分の俳諧を「私の風雅は夏の囲炉裏や冬の団扇のようなものだ。一般の人の(好みや求めに)逆らっていて、誰も必要としない。」と言っています。卑下しているようですが、全体を通して読むと、風雅に生きる決意が感じられます。
篠田 桃紅の団扇
篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田満洲子、大正2年(1913年)3月28日 – )は、日本の美術家。映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。
旧満洲国大連に生まれる。五歳頃から父に書の手ほどきをうける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。
1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後日本で制作し、各国で作品を発表している。
和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。
万葉集などをしるした文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。近年はリトグラフも手掛けている。エッセイストとしての彼女のファンも多い。