2024年10月19日

金重陶陽の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

北岡技芳堂は、陶芸家 金重陶陽先生作品を鑑定・買取りを強化中です。 金重陶陽の作品に精通した専門の鑑定士が丁寧に査定致します。

 

もし金重陶陽の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の金重陶陽のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた金重陶陽の作品、備前焼や伊部焼の陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の金重陶陽の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように、当店にご相談下さい。 誠意を持って、ご要望に沿うよう、高価買取をさせていだきます。 出張買取のご希望の方は事情をお聞かせいただきご訪問させていただきます。

 

金重陶陽は、明治29年(1896)1月3日、岡山県和気郡において備前焼窯元の名門“六姓”のひとつに生まれます。本名金重勇 15才の頃から父、金重楳陽に陶製法を学びます。以後、備前焼の制作に没頭し、一時期低俗な雑器焼となっていた備前焼を格調ある作風に復興させるべく室町・桃山期の古備前の作風復元に努力、窯変をもった芸術的作品の制作に成功し、備前焼中興の祖といわれました。昭和31年(60歳) – 備前焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

 

 

金重陶陽 伊部窯 花入

金重陶陽 伊部窯 花入

 

 

金重陶陽の陶印が2種類刻印された珍品の備前花入です。 昭和5年~10年頃までの分銅印から土彫に入れ替わる時期に制作されたと思われる作品です。中期の作品ながら細部まで卓越した陶技を垣間見る事が出来ます。 細工師としての陶技を超え、新たに桃山古備前の美を追求し、研究を重ねて作風が変化し出した頃の作品です。 強烈な降灰による多彩な窯変を見せる備前も魅力的ですが、古備前に見られるような、土の温もりが実感出来る素晴らしい花入です。

 

 

金重陶陽の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?

 

A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?

 

A.金重陶陽の作品は、当店が真贋を拝見させて頂き、判断させて頂きますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.金重陶陽の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?

 

A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?

 

A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.金重陶陽の作品は画像で査定していただけますか?

 

A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。

 

Q.金重陶陽の作品ではありませんが買取りしていただけますか?

 

A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

 

金重陶陽 備前鶴首徳利

金重陶陽 備前鶴首徳利

 

陶印が比較的短めの「ト」になっていることから、 昭和30年代後半に制作された最晩年期の作品であると思われます。 酒を入れれば、濡れてより美しい色合いとなって見る者を楽しませてくれます。

 

 

金重陶陽 略歴

 

1896年に父金重慎三郎(号媒陽)、母竹能の元に長男として和気郡伊部町(現備前市伊部)に生まれます。金重家は備前六姓のひとつです。

 

1901年(5歳)焼物に興味を持ち土いじりを始めます。

 

1907年(11歳)カメ、カブトを博覧会に出品受賞します。

 

1909年(13歳)弟七郎左衛門(素山)生まれます。

 

1910年(14歳)伊部尋常小学校高等科を卒業。父について作陶をはじめます。

 

1911年(15歳)食塩青の技法で、煎茶器を造ります。

 

1912年(16歳)父不在のため、独力で窯焚、製品の販売をします。

 

1915年(19歳)岡山での書画、陶磁器の入札会に欠かさず出かけます。

 

1916年(20歳)耐火度の高い棚板を考案し、窯詰めの形式を改良をする。父媒陽死去。

 

1918年(22歳)大本教に入信。彩色備前を作り始める。「陶陽」の号を用います。

 

1919年(23歳)倉敷市酒津の西山窯にて1年間制作します。

 

1920年(24歳)岡山の富豪佐藤喜久治の依頼で、橋本関雪との合作を制作します。

 

1921年(25歳)ドイツ式マッフル窯を作り、窯変の焼成に工夫を加えます。

 

1922年(26歳) 備前で初めて宝瓶を制作、伊部中に流行。

 

1923年(27歳)橋本関雪来訪、岡山錦園に遊びます。

 

1924年(28歳)名古屋松坂屋にて十五代永楽善五郎と最初の展覧会を開催。

 

1925年(29歳)三村陶景、西村春湖と備前三名工として知られます。

 

1927年(31歳)ドイツ式の窯と備前式の窯を折衷し窯を改良、木炭をくべて棧切の焼成に成功。

 

1928年(32歳)母竹能死去。荻野綾子と結婚。大日本勧業博覧会に「彩色備前孔雀置物」出品。「備前飛獅子置物」「彩色備前鬼瓦に鳩置物」を昭和天皇に献上します。

 

1929年(33歳)長女常子生まれます。

 

1930年(34歳)古備前の土を研究し、桃山調備前の土味を出すことに成功。

 

1931年(35歳)次女幸恵生まれます。

 

1932年(36歳)官休庵来訪し、手造りの茶器等制作。本格的に轆轤を挽いて茶器を制作。「土」の窯印を用います。

 

1934年(38歳)長男道明生まれます。

 

1936年(40歳)川喜田半泥子が唐津行きの途中に来訪、これより交流が始まります。半泥子の千歳窯を訪れ作品制作。

 

1937年(41歳)三女美和子生まれる。「備前糸目水指」「備前糸目掛花入」を表千家家元惺斎宗左好みとして制作。

 

1938年(42歳)大阪阪急百貨店にて初個展開催。川喜田半泥子来訪制作。東京資生堂ギャラリーにて個展開催します。

 

1939年(43歳)川喜田半泥子と相互に行き来し互いに制作。

 

1940年(44歳)次男慎一生まれる。大阪阪急にて第二回作品展開催。半泥子と相互来訪。

 

1941年(45歳)素山出征のため、窯の構造をかえ、画期的な成功をおさめる。加藤唐九郎来訪。

 

1942年(46歳)川喜田半泥子、荒川豊蔵、十代三輪休雪と「からひね会」結成。四女達子生まれる。荒川豊蔵来訪制作。備前焼技術保存者に認定されます。

 

1943年(47歳)表千家家元千宗左即中斎来訪。三男晃介生まれる。

 

1944年(48歳)日本美術協会及工芸統制協会代議員となります。

 

1945年(49歳)四男元郎生まれる。素山と共に美濃大萓に荒川豊蔵を訪ね、制作をします。

 

1947年(51歳) 生活用品芸術陶磁器認定委員となります。

 

1949年(53歳)出口直日(大本教三代教主)来訪し茶碗・水指・徳利などに釘彫りの絵付けをする。川喜田半泥子の廣永窯を訪れる。北大路魯山人来訪し作陶する。藤原啓・山本陶秀・藤田龍峰・金重素山・浦上善次と備前窯芸会を結成。

 

1951年(55歳)京都府亀岡の大本教が花明窯を築窯、指導の為一ヶ月滞在し制作も行う。フランス・イラク・イランで開催された、「現代日本陶芸展」に「備前緋襷輪花花器」を出品します。

 

1952年(56歳)備前焼無形文化財記録保持者に認定される。朝日新聞社主催「第1回現代日本陶展」に「備前台鉢」「備前三角花入」を出品。窯印を「ト」と改める。イサム・ノグチ、北大路魯山人と共に来訪制作。北大路魯山人の依頼で北鎌倉山崎に備前窯を築窯、一月半滞在。魯山人窯で釉薬物を多数制作。石黒宗麿・荒川豊蔵・加藤唐九郎・宇野三吾ら在野の有志と共に「日本工芸会」の設立を協議。

 

1953年(57歳)加藤土師萌来訪し制作。伊部に来訪したバーナード・リーチを囲み、石井不老・三村陶景・山本陶秀と共に会談。田山方南来訪。

 

1954年(58歳)伊豆山「桃李郷」において、石黒宗麿・加藤土師萌・小山富士夫・荒川豊蔵・加藤唐九郎・小森小庵・黒田領治・佐藤進三・金重陶陽の九人で「桃李会」結成。岡山県無形文化財保持者に認定。萩の吉賀大眉の窯で制作。唐津、中里無庵の窯で制作します。

 

1955年(59歳)日本工芸会結成。日本橋壺中居で「第1回桃李会展」開催。

 

1956年(60歳)備前焼の重要無形文化財保持者に認定。シカゴ美術館主催「日本現代陶芸六人展(富本憲吉・石黒宗麿・加藤土師萌・荒川豊蔵・加藤唐九郎・金重陶陽)」に出品。日本橋三越で「作品展」開催。京都裏千家茶道会館で「新しい陶芸の茶会」を開催します。

 

1957年(61歳)広島天満屋で個展開催。石黒宗麿来訪。中村研一来訪制作。武者小路千家十三世家元有隣斎来訪制作。11月、欧米に旅行に出る、翌年2月帰国。アメリカ合衆国にて作品展開催します。

 

1959年(63歳)中国文化賞受賞。東京国立近代美術館開催の「現代日本陶芸展」に「備前水指」出品。上野松坂屋で加藤唐九郎と二人展開催します。

 

1960年(64歳) 山陽新聞賞受賞。岡山県文化賞受賞。岡山県文化財保護協会理事、備前町文化財保護委員長となります。

 

1961年(65歳) 富本憲吉、河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチ来訪。

 

1962年(66歳) 名古屋丸栄にて個展開催。日本工芸会理事となります。

 

1963年(67歳) 奥村土牛・酒井三良来訪、釘彫り制作。小山富士夫来訪制作。立花大亀来訪、釘彫り制作。

 

1964年(68歳) ハワイ大学夏期講師に招待。滞在中ホノルルにて「金重陶陽・道明二人展」開催。「現代国際陶芸展」に「備前壺」出品。加藤土師萌来訪制作。井伏鱒二来訪。

 

1965年(69歳) 磯野風船子・吾妻徳穂・谷川徹三・菊地一雄がそれぞれ来訪。岡山県工業試験所陶磁器指導所の講師になります。

 

1966年(70歳) 「人間国宝五人展」出品。紫綬褒章受章。岡山天満屋にて「陶歴五十五年記念・金重陶陽回顧展」開催します。

 

1967年(71歳) 昭和天皇・香淳皇后備前来訪の際、御前制作。大阪髙島屋にて「金重陶陽・素山・道明三人展」開催。国立岡山病院にて死去。勲四等旭日小綬章受章。

 

 

 

金重陶陽 本人

 

金重陶陽 本人

 

「やきものは教えられるものではなく、自らが感じ とらねばならない。 作品は生れてくるものだから、 本人の人間性を高くしなければ良い作品は生まれてこない」

 

 

 

金重陶陽の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.金重陶陽の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせていただきます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

金重陶陽 査定価格におけるポイント

 

金重陶陽の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

金重陶陽先生の作品は窯で出来る景色が重要で景色によって、高値の査定価格がつきます。30万円から70万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと10万前後になります。壷心庵陶陽のサインの作品は高値が付くこともあり板皿などは500万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

備前焼は窯の焼き上がりの景色を重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。作品の査定価格が、緋襷(ひだすき)藁などを敷いて作る模様や胡麻模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。金重陶陽展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

金重陶陽先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 


※このように同じ金重陶陽の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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電話052(251)5515

 

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