2007年5月31日
熊谷守一の絵について
この作品は熊谷守一先生、生前作の京都版画院が版元の木版画でです。
以前から熊谷守一先生の作品は好きですが、油彩画がとても高額で取引されており、美術商の私でも中々購入する事が出来ません。
生前作の木版画は、守一の版画としては質が良く、本画に比べると購入しやすいので、以前から気にして見ていました。
この熊谷守一先生の作品は、オークションで購入した作品ですけども、そう気も乗らず、最初、まあ生前作の木版画だから図は、あまり良くないけど、値打ちだし、買っておこうかなという気持ちで買いました。
何かわけが分からない絵だなあと思いながら、「売れないだろうな」と思い、毎日お店に掛けて眺めてていました。
「なぜこんな訳のわからない絵を描いたのだろうか」
「良い絵に決まっているが、それが自分にはわからないだけだ」
「何故、松の葉の色が緑と、青に描かれているのだろう」
「何故、空の色が半分空色で、半分闇色なのだろう」
疑問ばかりで、良さが、さっぱり解らないと絵を見ていても気分が悪いです。
それからしばらくして、この絵の題名が、なんだったのかを調べて、朝陽かと思い、見て、見て、しているうちに、画面の右から光が入ってきているのだなと思いました。
松の幹に、わずかに光が入っています。
光が当たっていない所は、松の葉も青という事なのでしょう。
空が半分暗いのは、光が松林の中に入っていないからだと分りました。
なるほど、守一先生は、絵を単純化しながら、光と闇を描きたかったのではないでしょうか。
冷めた目で見るとただのそれだけ?と思われる方もいるかも知れませんが、私には何か人生には、光と影、また陽と陰とか、表と裏とか、楽しい事があったりつらい事がある、そういった内面的なものが表されているような気がしました。
いつも私は思うのですが、良い絵はパッと見は良くないことが多いように思います、明らかに如何にも薔薇や猫を単純化した作品は、販売しやすく一番高値で取引されているのではないでしょうか。でも私は朝陽という今回の作品の方が好きです。
私はとても良い気分で、絵をすっきりとした気持ちで見ることが出来るようになりました。
その後、たまたまお客様が、お店に入ってみえてこの絵の説明をさせていただきましたら、すぐに買っていただきました。
この絵を見てお客様も、私も楽しくお話しすることが出来ました。
一枚の絵について、長くお話が出来るのは、熊谷守一先生の絵が良いからであって、つまらない絵を見ていても、あまり何も感じません。
普段、絵を商って生活をしていますが、まだまだこれからも新しい発見をもとめて、商売をして行こうと思っております。
近々、熊谷守一先生の生前作の版画ばかりを集めた画集が出るそうです。
どなた様か熊谷守一先生の作品は所蔵していませんでしょうか、ありましたら買取させていただきたいです。
愚文で申し訳ございません。
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