2020年1月23日
日蓮宗の日潤の掛軸を買取致しました。
寄道祝
桑門日潤
春奈ほなる
こゝ呂の者那や
知里ひぢの
都もりてたかき
や滿とこと能葉」
●意訳
「素直な小さくうずくまった花があることよ 取るに足らない大和言葉でも積もれば高くなるのだ」
日潤さんを訪ねて中村区の定徳寺に行ってきました。
日蓮宗の素敵なお寺で、創立が元応元年(一三一九)三十番神略縁起が祀られていて三十の神々を一度に拝む事が出来るので便利で有難いと住職のお母様がおしゃっておりました。
定徳寺には、日潤さんのお墓や和歌の石碑があり、かなり当時は知られていたお坊さんだったのでしょう。私は、日潤さんの茶杓も所有しており、定徳寺には、茶室があったようで茶道もたしなんだと言われている。
今後、どんな方だったのかもっと知りたいと思いました。
日潤さんは、江戸後期の僧で尾張名古屋に生まれる。
号は一雨院、俗姓は中島。
名古屋中村区の定徳寺二五世となるが、招かれて京都満願寺に移住。のち名古屋に戻り、身延山久遠寺六十世となる。
元政・日相に私淑し、和歌を日野資枝に、また儒学を磯貝潤洲に学び、詩を能くした。天保9年(1838)寂、80才。