2019年2月28日
明珍義通 三十二間筋兜を買取
明珍義通
三十二間筋兜
大永元年(1521 )〜享禄5(1532)頃の作
筋兜は、細長い鉄の板をつなぎ合わせ、その縁を折り返して筋を立てた兜です。このような兜は、鎌倉時代の終わり頃から江戸時代まで作られ、新しいものほど筋の数が多くなり、筋が多いほどより頑丈な作りになります。
戦国時代の甲冑師。明珍家16代義保の弟。
通称は左近
京都一条堀川、常陸、府中、上野などに住した。
17代中興の信家(のぶいえ)(室町後期)は名工として名高く、甲冑と鍔の製作を併行し、桃山初期に全盛した。ほかに高義(たかよし)そして、画像の兜、義通(よしみち)も知られている。
江戸時代にはこの三工を三作と称して珍重したとされる。
正系は京都にあり各地に分派した。
鉄の鍛(きたえ)が良く、堅牢(けんろう)で実用的であることがこの派の特徴であり、甲冑のほかに鉄鐔、茶道具の鐶、火箸、馬の轡(くつわ)などの自在に動く置物なども生み出した。
そのほかにも古甲冑の鑑定にも権威を示した。
平安時代末に初代出雲守紀宗介(きのむねすけ)が京都九条に居住し、近衛天皇から明珍の号を賜ったとされる。
しかし、実際に甲冑の作品をみるのは室町時代以降からであり、鎌倉雪ノ下、相州小田原、上野国小幡、常陸国府中、白井などの各地に分派が出来ていたとされる。
江戸時代となると、江戸、高知、金沢、姫路、広島、福井、仙台、弘前などにも分布した。
甲冑師ではこの明珍の系統がいちばん広まったとされる。
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