2024年10月31日

十四代酒井田柿右衛門の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

御所蔵の十四代酒井田柿右衛門の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

十四代酒井田柿右衛門の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、十四代酒井田柿右衛門の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

十四代酒井田柿右衛門の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の十四代酒井田柿右衛門のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた十四代酒井田柿右衛門の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の十四代酒井田柿右衛門の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

十四代酒井田柿右衛門は、有田焼の「柿右衛門様式」を継承する陶芸家です。このスタイルは、白い磁器の背景に明るい赤を基調とした色彩で、野生の草花を細密にスケッチしてから様式化して描くという特徴があります。 この独特な作風により、平成13年には色絵磁器の分野で国の重要無形文化財、つまり人間国宝に認定されました。

 

 

十四代酒井田柿右衛門 本人

十四代酒井田柿右衛門 本人

 

十四代酒井田柿右衛門は、日本の色絵磁器発祥の地である佐賀県有田町に昭和9年に生まれました。 13代柿右衛門の長男として、350年以上続く柿右衛門窯の当主を受け継ぐことは、彼の生まれながらの宿命でした。 高校では祖父である12代柿右衛門の勧めで美術部に所属し、その後、東京の多摩美術大学日本画科へ進んで日本画を学びます。

 

卒業後、父からはロクロの技術を、祖父からは絵付けや絵具の調合を学びますが、伝統に縛られて窮屈さを感じ、何度も家出をしたこともありましたが祖父が迎えにきたそうです。

 

父や祖父との親子の関係からやがて、「余白の美」を大切にする柿右衛門様式の奥深さに少しずつ心が惹かれていきます。昭和57年に14代柿右衛門を襲名し、器の形や絵柄を決めるだけでなく、40人以上の職人たちを見守り育てる指導的立場になりました。

 

いかに自分の個性を表現するかを追求して、伝統と創造のはざまで格闘するのが、14代酒井田柿右衛門の人生でした。

 

 

 

十四代酒井田柿右衛門 濁手桜紋壺

十四代酒井田柿右衛門 濁手桜紋壺

 

初代酒井田柿右衛門は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立しました。

 

柿右衛門様式の作品はヨーロッパなどにも輸出されマイセン窯などでは模倣品も作られました。

 

主に大和絵的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴です。

 

上絵の色には赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられます。

 

また、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉が施されている例も多いです。同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせます。

 

 

 

十四代酒井田柿右衛門の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.十四代酒井田柿右衛門の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.十四代酒井田柿右衛門の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.十四代酒井田柿右衛門の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.十四代酒井田柿右衛門の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

14代酒井田柿右衛門 略歴

 

1934(昭和9)年8月26日、佐賀県西松浦郡有田町に、酒井田渋雄(のちの十三代酒井田柿右衛門)とツネの長男として生まれます。襲名までの本名は正(まさし)。

 

多摩美術大学日本画科に進み、絵画的な構想力や描画技術の基礎を習得します。

 

1958年に卒業すると帰郷し、祖父の十二代柿右衛門と父が復興させた「濁手(にごしで)」の製陶技術とともに、とくに祖父からは絵具の調合と絵付け技術を、父からは素地の成形と焼成技術を受け継ぎました。

 

作品としての発表は66年からで、一水会と西部工芸展に入選し、陶芸家としてデビューした。翌年には一水会で一水会会長賞を受賞。68年からは日本伝統工芸展にも入選を果たし、その後も日本伝統工芸展をはじめ、一水会や西部工芸展、さらには佐賀県展や九州山口陶磁展等で実績を積みます。

 

1970年にはヨーロッパに旅行して各国の美術館や窯業地を視察。また、柿右衛門初期におけるオランダ貿易と東西交通や、在欧作品と仿製品についても見聞を重ねた。71年日本工芸会正会員。この年、柿右衛門製陶技術保存会の「柿右衛門(濁手)」技法が重要無形文化財の総合指定を受けました。

 

1976年には技術保持団体として認定。同年、東京で初の個展を開催します。

 

1982年7月、父・十三代柿右衛門の死去にともない柿右衛門製陶技術保存会の会長に就任、同年10月には十四代柿右衛門を襲名しました。

 

1984年日本陶磁協会賞受賞

 

1986年には第33回日本伝統工芸展で「濁手山つつじ文鉢」が日本工芸会奨励賞を受賞した。この頃より海外において十四代柿右衛門展の開催機会が増え、「濁手」と呼ばれる独特の白素地に、赤絵を基調として草花を描いた作品の評価が高まりをみせます。

 

1992(平成4)年の第39回日本伝統工芸展では「濁手蓼文鉢」が二度目となる日本工芸会奨励賞受賞し、色絵磁器の陶芸家としての地位を確固たるものとする。翌年には国際陶芸アカデミー(IAC)名誉会員となります。

 

1960年を歳を過ぎたころより、地元陶芸団体等において要職に就き、後進の指導とともに、地域の陶磁文化発展のために力を注きます。

 

1998年、長年にわたる国際文化交流の功績により外務大臣表彰されます。

 

1999年には濁手の伝統的技法の伝承に努め、地域の文化発展と向上に貢献したことにより文部大臣賞表彰を受けます。その後も、作家として濁手を中心とした創作活動と、技術保存会会長として様式美の継承の両立をはかります。

 

2001年には父も受けることがなかった重要無形文化財「色絵磁器」(人間国宝)の保持者に認定された。

 

2005年、旭日中授章受章。2006年には有田町名誉町民の称号を受けます。十四代柿右衛門は、柿右衛門家の当主として、祖父と父が再興を成し遂げた「濁手」の技術を継承する。と同時に、独特の白地と柿右衛門伝統の赤絵を効果的に用いた優美な絵付と模様構成により独自の作風を築き上げ、濁手の新たな境地を切り拓いた陶芸家でした。

 

2008年前後に癌が見つかってからは治療しながら制作活動を続けていました。

 

2013年5月、急に体調が悪くなり佐賀大学医学部附属病院に入院します。それから約1か月後の6月15日、直腸がんと転移性肝腫瘍のため、死去しました。78歳没。死没日付をもって従五位に叙されました。JR九州のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」の洗面所に使用されている洗面鉢が遺作となりました。

 

 

14代酒井田柿右衛門  濁手紅葉文額皿

14代酒井田柿右衛門  濁手紅葉文額皿

 

濁手は従来の青味がかった磁器の色に対し、米の研ぎ汁のようなミルキーホワイトに仕上げるのには大変な手間と労力を要します。

 

濁手の制作に使われる土は、有田町内にある泉山、白川、岩谷川内の三種類の陶石を6:3:1の割合で調合しています。しかし、この土は粘着力が低く、轆轤での成形が難しいうえ、成形後に天日干しすると割れやすいため、時間をかけて陰干しする必要があります。

 

さらに、焼成も非常に難しく、温度調整が繊細に求められるだけでなく、陶石ごとの収縮率の違いから破損が多発する問題があります。

 

素焼き段階で10個中3~4個、本焼きで1~2個残れば成功とされるほど、歩留まりが低いのです。このように、濁手の技法は全工程で高い技術を必要とし、かつ非効率的であるため、江戸中期には一度途絶えてしまいました。

 

 

 

十四代酒井田柿右衛門 査定価格におけるポイント

 

十四代酒井田柿右衛門の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

十四代酒井田柿右衛門先生の作品は、華やかな草花模様の作品が高値の傾向にあります。

細かい絵付けの作品に高値の査定価格がつきます。

15万円から200万円ぐらいの買取相場です。

作品は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります。300万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

色彩が鮮やかな作品が高値で売れる傾向にあります濁手の作品が高値で取引されています。

十四代酒井田柿右衛門展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

十四代酒井田柿右衛門先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ十四代酒井田柿右衛門の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

 

 

 

 

 

2024年10月30日

十三代酒井田柿右衛門の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

御所蔵の十三代酒井田柿右衛門の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

十三代酒井田柿右衛門の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、十三代酒井田柿右衛門の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

十三代酒井田柿右衛門の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の富本憲吉のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた十三代酒井田柿右衛門の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の十三代酒井田柿右衛門の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

酒井田柿右衛門作品の大きな特徴のひとつに、「濁手素地」と呼ばれる柔らかで温かみを感じさせる乳白色の素地が挙げられます。

 

 

 

十三代酒井田柿右衛門 濁手雪持椿紋花瓶

十三代酒井田柿右衛門 濁手雪持椿紋花瓶

 

この素地は、美しい赤絵が特徴の柿右衛門様式に最も調和するものであり、製法が完成したのは1670年代とされています。しかし、江戸中期(1700年代)に入ると、「柿右衛門様式」に代わって金と赤を多用した「金襴手様式」が色絵の主流となり、さらに中国・景徳鎮の磁器輸出が内乱を経て再び盛んになったことで、オランダ東インド会社による肥前磁器の輸出が減少しました。

 

また、江戸幕府の貿易制限など国内情勢の変化も重なり、濁手の製作は一時中断を余儀なくされました。その後、時代が明治・大正・昭和へと移る中で、濁手復興への期待が高まりました。十二代柿右衛門(1878年生~1963年没)は、十三代柿右衛門(1906年生~1982年没)と共に、柿右衛門家に伝わる古文書である「土合帳」などを基に試行錯誤を重ね、長い間失われていた濁手素地の復元に尽力しました。

 

 

十三代酒井田柿右衛門 本人

十三代酒井田柿右衛門 本人

 

十三代酒井田柿右衛門は、「赤絵の家門に生きることの厳しさと楽しみをかみしめながら筆をとっている」との言葉を残しています。

 

彼は有田の酒井田柿右衛門窯の伝統を受け継ぎつつも、新たな表現の境地を開拓し、18世紀末に途絶えていた「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色の地色の技法を見事に復活させました。

 

その功績が評価され、1971年には重要無形文化財保持者(人間国宝)として認定されています。

 

 

十三代酒井田柿右衛門の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.十三代酒井田柿右衛門の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.十三代酒井田柿右衛門の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.十三代酒井田柿右衛門の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.十三代酒井田柿右衛門の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

十三代酒井田柿右衛門の略歴

 

 1906年(明治39年)9月20日、佐賀県に生まれる。本名は渋雄(しぶお)で、12代酒井田柿右衛門の長男です。

 

1924年に有田工業学校製陶科を卒業します。

 

1953年に父とともに濁手(にごしで)素地の技法を再現することに成功します。

 

1964年に日本工芸会正会員に認定されます。

 

1970年に佐賀県陶芸協会会長に就任します。

 

1971年に「濁手」が国重要無形文化財総合指定を受け、十三代柿右衛門は重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。

 

1972年に紫綬褒章を受章します。

 

1982年(昭和57年)7月3日に死去し、75歳でした。正五位に叙せられ、有田名誉町民の称号を受章しています。

 

柿右衛門様式は、花鳥図などの題材を暖色系の色彩で描き、乳白色の余白と豊かな構図が特徴です。

 

 

十三代酒井田柿右衛門 査定価格におけるポイント

 

十三代酒井田柿右衛門の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

十三代酒井田柿右衛門先生の作品は、華やかな草花模様の作品が高値の傾向にあります。

細かい絵付けの作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から150万円ぐらいの買取相場です。

作品は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります。200万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

色彩が鮮やかな作品が高値で売れる傾向にあります濁手の作品が高値で取引されています。

十三代酒井田柿右衛門展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

十三代酒井田柿右衛門先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ十三代酒井田柿右衛門の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年10月29日

三代山田常山の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の三代山田常山の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

三代山田常山の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、三代山田常山の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

三代山田常山の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の三代山田常山のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた山田常山の作品を鑑定して買取りいたします。

 

三代山田常山の陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の三代山田常山の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

三代山田常山(1924~2005)は、大正13年、愛知県常滑市に生まれた陶芸家です。

 

生家は祖父・初代常山の代から急須作りの名匠として知られ、三代常山は、祖父、そして父・二代常山より教えを受け、十代から急須作りに本格的に取り組みました。

 

 

三代山田常山 本人

三代山田常山 本人

 

以後、81年の生涯に100種類もの形を生み出したといわれるほど、多彩な急須の世界を築き上げます。

 

その功績により、平成10年(1998)、陶芸分野では愛知県で初めて、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。陶芸の技法ではなく、「常滑焼(急須)」という器種による認定は、三代常山の急須に対する高い評価を物語っています。

 

 

山田常山の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.山田常山の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.山田常山の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.山田常山の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.山田常山の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

三代山田常山 常滑南蛮茶注

三代山田常山 常滑南蛮茶注

 

手中に収まるほどの小さな茶注です。

 

古典にその軸を持ちながらも現代的な発想で常滑急須の世界を大きく広げた山田常山先生、急須作りの名工として知られた祖父の初代山田常山、父二代山田常山に師事しその技術を磨きました。

 

窯変や糸目を付けた変化に富んだ日本的な朱泥、古陶磁の壷や釜に着想を得た新たな造形、更には常滑焼の登窯で焼成された自然釉の作品など、それまでにない自由な発想で独自の常滑急須を作り続けた三代山田常山先生の素晴らしい急須です。

 

 

三代 山田常山作 常滑焼朱泥茶器揃

三代 山田常山作 常滑焼朱泥茶器揃

 

三代山田常山はよく『使いやすさを追求していくと自然と美しい形になる。』と仰っていたそうです。

 

急須作りは数ミリ単位の誤差も許されない世界です。

 

茶葉をじっくり蒸らして開かせるため、蓋と胴を寸分の狂いなく合わせることが重要です。

 

自然の恵みを一身に受けた茶葉から入れたお茶の一滴も無駄にしないため、切れのよい注ぎ口であること。

 

把手の位置や茶漉しの穴の数や大きさなど、気を抜けるところなど一つもない世界です。

 

それでいて現代に於いても劣ることの無い気品ある美しさを常山の急須は放っている。

 

 

 

三代山田常山 略歴

 

1924(大正13)年10月1日、愛知県常滑市に祖父・初代山田常山、父・二代常山と二代続く急須づくりを専門とする陶家の長男として生まれます。

 

本名は稔。祖父は妥協を許さない厳しさと精緻な作風で名工と謳われ、父もその技を継承した名手として名を馳せた陶工でありました。

 

1930年、模範的な活動を通して技術の継承に尽力し、多くの後進を育て上げるとともに、急須の発展に貢献しました。 

 

その二人に少年のころから基礎的な陶技を学び、中学に入るころには急須づくりを始めます。

 

1941(昭和16)年、愛知県立常滑工業学校窯業科を卒業。翌年、常滑にある愛知県陶器試験場に入所し、窯業に関する専門知識を学びます。

 

1946年からは本格的に修業するため、父・二代常山に師事します。

 

1948年、同志と常滑工芸会を設立。同年、第1回常滑陶芸展で「朱泥茶注」が常滑町長賞を受賞し、作家としてのデビューを果たす。また、この頃から父の号であった小常山を名乗ります。

 

1958年、ブリュッセル万国博覧会の日本第三部陶器類でグランプリを受賞。同年、第5回日本伝統工芸展で横手タイプの朱泥の急須が初入選し、以後、同展を中心に活動を展開する。初入選は朱泥の急須であったが、その後は朱泥土に二酸化マンガンを混ぜ込んだ紫泥や烏泥、自然釉の急須を出品しつつその存在を知らしめていきます。

 

1961年、名古屋の百貨店で初の個展を開催。また同年に父の死去に伴い、三代常山を襲名する。三代常山の急須は、地元で産出される粘りの強い朱泥土(田土)を用い、本体、注口、把手、蓋のすべてを、轆轤を使って成形し、それらを組み立ててつくり上げます。

 

1975年(昭和50)年に「常滑『手造り急須』の会」が設立されると会長に就任します。

 

技法からみると、朱泥土をベースとした、朱泥、紫泥、烏泥に加え、象牙色の白泥、古常滑を祖とする自然釉や、土そのものの風合いを生かした焼き締めによる南蛮などがある。また、表面の装飾を伴う技法では、窯変を利用した緋襷や、常滑独特の海藻を用いた藻掛、炭化焼成する燻しに加え、梨の肌を思わせる梨皮や、糸を巻いたような糸目、櫛状の道具で線を引いた櫛目などがある。

 

形のバリエーションは広く、胴部が算盤の玉のように張り出した算盤形や、鎌倉期の古常滑の壺を思わせるような肩が大きく張った鎌倉形、そのほかにも野菜や果物をはじめ、身近にあるさまざまなものから着想を得た形などがあり、煎茶具として用いる伝統的なものから、北欧のデザインに触発されたモダンなものまで、100種類以上を優に超える。

 

また把手の付き方では、注口と一直線上に把手が付く茶銚、一般によく知られる横手や把手がなく注口だけの茶注、把手がなく注口が胴部に受け口のように付く宝瓶、注口が胴部と一体となった絞り出し茶注がある。

 

これらには古典に敬意を表しながら、形や意匠などを試行錯誤で探った成果がしっかりと映し出され、すべてに卓越した轆轤技術があってこそ生み出される、手づくり急須のスタイルが確立されている。

 

1993年(平成5)年、日本陶磁協会賞受賞

 

1994年には、「陶芸 ロクロによる手造り朱泥急須技法」で愛知県指定無形文化財保持者に認定される。

 

1996年、勲五等瑞宝章受章。

 

1997年には愛知県陶磁資料館で「常滑急須―山田常山三代展」が開催され、その全貌とともに、祖父や父の作品も紹介される。

 

1998年には「常滑焼(急須)」の重要無形文化財保持者に認定。

 

2004年、旭日小授章を受章、また三代常山は、早くから後進の指導にも積極的に行いました。

 

2005年、「常滑焼(急須)」の重要無形文化財保持者の三代山田常山は、10月19日午後5時6分、転移性肝がんのため愛知県常滑市の病院で死去した。享年81。

 

 

 

 

三代山田常山 常滑茶注 登り窯焼成焼〆急須

三代山田常山 常滑茶注 登り窯焼成焼〆急須

 

 満容量120ml 常滑焼煎茶器です。

 

山田常山の急須を使ってお茶を淹れたいですね。

 

1煎目は玉露の渋み、2煎目は玉露の甘みを愉しみます。お湯の温度や量、 使う急須などで味が変わります。

 

お煎茶は、お抹茶と違っておもしろいですね。淹れる人によっても味が全然違いますからお茶を淹れる音に風情があります。

 

風情を感じられるように淹れる。これがなかなか難しい。蒸らす時間によってもお茶の味は変わります。

 

 

 

山田常山 査定価格におけるポイント

 

山田常山の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

山田常山先生の作品は、朱泥の急須の作品が有名です。

灰釉の作品が高値の査定価格がつきます。

5万円から20万円ぐらいの買取相場です。

初期の作品は査定価格が低くなります。

急須が高値が付く傾向にあります。40万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

急須などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

割れやヒビがありますと査定価格が安くなります。

 

作品の出来・不出来

 

急須が高値で売れる傾向にあります。常滑焼の壺も売れます。

 

山田常山展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

山田常山先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ山田常山の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

 

 

 

2024年10月28日

岩本将弥の個展の紹介をアートコレクターズ11月号に掲載 北岡技芳堂の絵画買取ブログ

アートコレクターズ11月号に岩本将弥展の記事を掲載いたしました。

 

弊店での秋の2回目の展覧会です。若手注目作家による静謐な世界をぜひご高覧ください。

 

『– White – 岩本将弥 個展』

 

【会期】
2024年11月6日(水)  〜11月12日(火)

 

【営業時間】
10時〜18時/最終日は16時まで/会期中無休

 

【会場】
北岡技芳堂 NORTH HILL GALLERY 460-0018 名古屋市中区門前町2-10 0120-853-860

 

 

 

岩本将弥「雪の花束」 P10号

岩本将弥「雪の花束」 P10号

 

【画歴】

1992 福岡生まれ

2014 愛知県立芸術大学 卒業

2017 第93回白日会展 初入選

2019 岩本将弥・石川総一郎 二人展 飯田美術

2021 個展 美岳画廊

2022 個展 ギャラリー北岡技芳堂

2023 個展 美岳画廊 現在 白日会 会員

 

【販売方法について】

全作品抽選となります。 作品一覧は11月6日(水)10時より、こちらの弊社HP北岡技芳堂

 応募締切:11月10日(日)12時まで 結果発表:11月10日(日)夕方より順次ご連絡いたします 詳細につきましてはHP、またはお電話にてお気軽にお問い合わせください。

 

アートコレクターズ11月号に岩本将弥展

 

記事の中の一部を紹介いたします。

 

一つのドレスや背景を複数の作品にわたって描き続けるのも岩本将弥の特徴です。

 

「私の中で美しさは積み上げていくものではなく、削ぎ落としていくものです。だから、何を描きたいかではなく、何は描くべきではないかという基準でモチーフやあしらいを決めています。だから私が描く全ての箇所に私なりの美の理由づけが施されています」

 

あくまでもストイックに作品に臨む岩本だが、休む間もなく描き続ける生活が祟り、つい最近身体を壊し一時期制作の中断を余儀なくされた。しかし休養の間、自分の絵を見つめ直すうちに、進むべき道が見えてきたという。

 

「今までは、どう上手く描くかに固執していた自分がいました。けれども、今私が描きたかったのは、自分の内面だということに気がついたのです。ビカソはその画業で様々な表現を展開してきましたが、キュビスムのような究極の技術を目指す時代もあれば、青の時代や蓄薇色の時代のように自身の心情を詩よりも詩的に描き出すこともありました。卓越した技術と冷静な思考、そして芳醇な情緒、ビカソのようにこれらを兼ね備えた表現を今後は目指していきたいです」

 

迷いの森を抜けた画家の、新たな船出に期待を持たずにはいられない。

 

岩本将弥

1992年福岡県生まれ。2014年愛知県立芸術大学卒業。

 

 

アートコレクターズ11月号

 

アートコレクターズ11月号は本日10/24発売です。

 

巻頭特集

 

「アート脳を刺激する 焼きもの脱構築」と題した本特集は、焼きものに定義づけられる素材や技法、ジャンルを再検討しながら、その区分けを解くことで焼きもの本来の姿に思いを馳せます。

 

「焼きものは土と炎の芸術だ」「工芸としての焼きものか、現代アートとしての焼きものか」⋯⋯

 

このように焼きものを定義づける際に、素材や属するジャンルが取り沙汰されることは多々あります。

これは、作品を方向づけるという意味では有益に働くこともありますが、作品そのものの創造性の矮小化にも繋がりかねません。

本来焼きものは、様式や素材の原理に無数の展開を内包しているからこそ、一括りにはできない複数形の表現を生み出し続けてきました。

素材や技法に端を発しながらも、そこから無限の創造に繋がっているということは、自明のことのようにも思われますが、こと焼きものにおいてはその事実が見えづらくなることもままあります。

そこで、本特集では世代や立場の異なる様々な識者、作家の寄稿やインタビュー、グラビアして、定義や二項対立では摑みきれない焼きもの本来の姿の一端を捉えます。

 

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2024年10月27日

富本憲吉の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

御所蔵の富本憲吉の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

富本憲吉の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、富本憲吉の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

富本憲吉の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の富本憲吉のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた富本憲吉の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の富本憲吉の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

富本憲吉は1886年に奈良県生駒郡安堵村の法隆寺寺侍の出である旧家富本家の長男として生まれました。

 

7歳の頃より祖父の友人で日本画家の嘯園について南画を学ぶなど、幼いころから美術や芸術に触れて感性を磨いていきました。

 

1908年に東京美術学校図案科建築部を卒業すると、ウィリアム・モリスの思想と工芸の仕事に興味を持ちロンドンに自費留学します。

 

ロンドン州議会立セントラル・スクール・オブ・アーツ・アンド・クラフツの夜学に通ってステンドグラスの技法を学びました。

 

また、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に日参してスケッチを重ねたり、イスラム建築調査の為にインドを旅行、パリ・マルセイユ・カイロを訪問するなど、1900年初頭の西洋美術を自らの目にしっかりと焼き付けてその後の装飾図案家としての糧にしました。

 

25歳の時に帰国すると、来日中であったイギリス人画家バーナード・リーチと出会い親交を深めました。

 

ともに訪れた上野の博覧会会場で楽焼に興味を持ったバーナード・リーチに六代尾形乾山を紹介し、その通訳をしているうちに自分でも楽焼を始めるようになりました。

 

 

富本憲吉 本人

富本憲吉 本人

 

人間国宝の陶芸家である富本憲吉は、「模様から模様を造らず」という言葉を残しています。これは、工芸製作における富本憲吉の信念であり、作家としての創造性を重要視する言葉として知られています。

 

 

富本憲吉の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.富本憲吉の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.富本憲吉の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.富本憲吉の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.富本憲吉の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

富本憲吉 白磁八角壺

富本憲吉 白磁八角壺

 

富本憲吉先生は白磁について、「厚く柔らかい白磁釉を壺に用いて、一種特別な感じのする陶器を造り出そうと考え出したのは、私がまだ陶磁家として身を立てなかった若いで、フランスでマイヨール作の小像を見てその柔らかくふくよかな肉付きに感心した時に始まると、『陶技感想五種』で述懐している。

 

色彩や模様によるごまかしが一切きかない白磁には、轆轤で整形した段階で最も形の整ったものを用いたという。

 

写真の作品は八角に面取りした壺で、そのしっとりとしたやわらかさと深く沈んだ気品が漂う白磁釉と、当時の常識を破る首の低い安定感と力強さを持つ壺の形は、富本憲吉独特の美意識を示すものである。

 

 

 

富本憲吉 白磁壺

富本憲吉 白磁壺

 

「形は身体骨組であり、模様はその衣服である。模様や色で飾られた衣服を脱ぎすて、裸形になった人体の美しさは人皆知るところであろう。」

 

下図なしで思うがままに壺を轆轤成形したあと、青空の下に一列に並べ、最も形の整った3分の1を白磁に、それに次ぐ3分の1には呉須や彫線を施し、残りを色絵の素地とするとも述べています。

 

「未だ白定に遠い私の白磁を その同一位置に迄漕ぎつけるのは モウ永くはない私の死に至る迄の望みであり 又責任であろふと考へる」との言葉からも、白磁への強いこだわりが感じられます。

 

白定は宋代定窯白磁を意味します。

 

「造らんとする壷の外線を心におきつつ轆轤すれば、軟らかき陶土の無数の異なりたる外線は内に外に動きて止まず。

 

われはこれを「線の戦い」と名づけたり」

 

富本先生の言葉からは形に対する厳しい追求が感じられます。

 

瑪瑙質の白磁の肌は柔らかで美しく、壷の中からは高雅な香りが立ち昇っているかのようです。

 

 

富本憲吉 染付祖師ヶ谷風景飾壺  1929年

富本憲吉 染付祖師ヶ谷風景飾壺  1929年

 

富本憲吉の染付は、独自性の高い模様が描かれています。

 

呉須象嵌の技法が使用されていて、自然や草花をモチーフにした詩情豊かな模様が特徴 です。

 

富本憲吉の染付作品の特徴は、従来にない斬新な造形と高い技術で描かれた独自性の高い模様、素地に模様を刻みつけて、青い顔料である呉須を埋めて模様とする「呉須象嵌」の技法が使用されている 代表的な常用模様に「竹林月夜」「大和川急雨」「四弁花」「羊歯」などがあります。

 

 

富本憲吉 色繪飾壺

富本憲吉 色繪飾壺

 

「白磁丸壷」とほぼ同型の器体に、紫を地として緑・黄で四弁の花模様を描き、口縁をあざやかな朱で彩っている。四弁の花はテイカカズラの花をモティーフとして考案された作品です。

 

本来は五弁の花を連続模様とするため四弁に変更したもので、富本憲吉独自の模様です。

 

富本憲吉は、奈良の安堵町から東京の祖師谷にテイカカズラを移植し、自宅の玄関脇に植えていました。

 

幼少期に花の中心に糸を通して吹くと花弁が風車のように回ったという思い出があり、この花を身近に感じていました。

 

富本憲吉は、この花を模した四弁花模様を作品に取り入れ、独自の作陶の世界を構築しました。

 

四弁花模様は、単独の模様として使われるほか、連続模様として用いられる場合もあります。連続模様のタイプはインドの更紗と類似していることから「更紗模様」とも呼ばれます。

 

 

富本憲吉 色絵金銀彩羊歯文飾壺 1958年

富本憲吉 色絵金銀彩羊歯文飾壺 1958年

 

色絵金銀彩の作品を多く発表した京都時代らしい華やかな作品です。

 

羊歯模様は、植物の生命感を保ちつつ連続文様として多彩な展開が可能で、晩年に多く用いられました。

 

晩年の京都時代は独自の造形とさらに複雑な模様が昇華した作品が生まれます。

 

模様は、金銀彩で描かれた羊歯(しだ)模様が特に有名で、従来の色絵時期に金彩・銀彩を一緒に施す技法を確立しています。

 

融点の異なる金と銀を、赤化粧の上に加彩した飾壺は代表作のひとつです。

 

奈良県立美術館や、京都国立近代美術館に収蔵される「蓋付飾壺」などが該当します。

 

「従来にない作品を作る」という信念が新たな作風と技法を次々と生み出していきました。

 

 

富本憲吉 略歴

 

大阪府平群郡安堵村(現・奈良県生駒郡安堵町)の大地主の家に生まれ、幼少より絵を学びます。

 

東京美術学校に入学して建築、室内装飾を専攻し、在学中にウィリアム・モリスの工芸思想に影響されます。

 

1908年(明治41年)、卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。ヴィクトリア&アルバート美術館に日参し、アーツ・アンド・クラフツの作品にふれる。

 

ロンドンで建築家・新家孝正と出会い、写真助手としてインドを巡ります。

 

実家から帰国命令が届いたため1910年(明治43年)帰国します。清水組(現・清水建設)に入社するが、ほどなく退社。

 

1912年(明治45年)『美術新報』に「ウイリアム・モリスの話」を発表します。

 

その後来日していたバーナード・リーチと出会い、交友を深めていきます。

 

バーナード・リーチは陶芸に熱中しており、陶芸家の六代目尾形乾山に学んでいた。富本も影響を受けて興味を持つようになり、1913年(大正2年)に故郷の裏庭に簡単な窯を作り楽焼作りを始めます。

 

1914年(大正3年)『青鞜』の同人で「新しい女」として評判だった尾竹紅吉(尾竹一枝)と結婚します。

 

1915年(大正4年)、故郷奈良に本格的な窯を築きいっそう創作に励みます。独学で多くの技術を身に付けました。

 

陶磁器の研究のため信楽、瀬戸など各地の窯場や朝鮮半島にも足を運びます。また、奈良の陶芸家今西洋が波佐見・中尾山で収集した「くらわんか茶碗」の破片などを今西洋の仕事場で「肥前中尾山 茶碗集」としてスケッチし、雑誌『工藝』に寄稿します。

 

李朝に影響された物や民芸調の作品を制作する中で、白磁の焼成に成功します。この奈良にいたのは主に大正年間だったため、この時期を富本の「大和時代」ともいいます。

 

1926年(大正15年)、奈良から世田谷に住まいを移し窯を築きます。(以後を「東京時代」ともいいます)。

 

主に白磁、染付の作品を制作します。この時点ではまだ世に知られる存在ではなかったが、1927年(昭和2年)の特別展で評判を得た。

 

昭和10年代は本格的に色絵磁器の制作に励んでいます。このころは柳宗悦の民藝運動にも共感を寄せているが、のちに訣別します。

 

長く在野だったが、1935年(昭和10年)帝国美術院(日本美術院、帝国芸術院の前身)の改革に伴い会員に選ばれます。

 

1944年(昭和19年)には東京美術学校教授になります。

 

第二次世界大戦中は疎開のため生徒とともに一時高山に移ります。

 

終戦後の1946年(昭和21年)には美術学校および芸術院会員を辞し、家族とも別れ京都へ移る。以後を「京都時代」ともいいます)。色絵に加えて金銀を同時に焼き付けるという技法・金銀彩を完成させ、羊歯文様などによる独自の作陶様式を確立しました。

 

1949年(昭和28年)京都市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)客員教授

 

1950年(昭和29年)京都市立美術大学教授

 

1955年(昭和30年)2月15日には重要無形文化財「色絵磁器」保持者として人間国宝に認定、前年の文化財保護法改正によって新設された重要無形文化財の保持者認定制度発足後に最初に認定された人間国宝の一人となった。晩年の1961年(昭和36年)には文化勲章を受章している。その2年後満77歳で死去した。

 

 

富本憲吉 査定価格におけるポイント

 

富本憲吉の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

富本憲吉先生の作品は、金彩や銀彩の作品が高値の傾向にあります。

細かく絵付けが鮮やかな作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から100万円ぐらいの買取相場です。

染付だけの作品は安値の傾向にあります。初期の作品は査定価格が低くなります。

作品は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります。500万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

色彩が鮮やかな作品が高値で売れる傾向にあります「四弁花」「羊歯」の題材の作品が高値で取引されています。

模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。富本憲吉展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

富本憲吉先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ富本憲吉の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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2024年10月26日

塚本快示の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

御所蔵の塚本快示の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

塚本快示の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、塚本快示の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。

 

塚本快示の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の塚本快示のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた塚本快示の作品を鑑定して買取り致します。

 

陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の塚本快示の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

塚本快示は、中国の白磁や青白磁に魅せられ、凛とした端正な作風を生み出した陶芸家です。中国の古陶磁に詳しかった陶磁研究家の小山富士夫から助言を受けながら、中国磁器の影響が強い作品を残しました。

 

 

塚本快示 本人

塚本快示 本人

 

「千年も前の作品なのに、新鮮に見えた」は、中国の白磁や青白磁の展示作品を見た時の衝撃を口にした言葉です。

 

「飾るだけでなく使える陶磁器を」実用性にこだわっていた塚本快示の器い対しての思い出ある。

 

 

 

塚本快示の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.塚本快示の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.塚本快示の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.塚本快示の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。

 

Q.塚本快示の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

塚本快示 青白磁刻花文碗

塚本快示 青白磁刻花文碗

 

塚本快示の陽刻と陰刻を組み合わせた唐花模様が美的な青白磁の大皿です。

 

轆轤引きで成形した皿をまだ磁土が柔らかいうちに、箆を使って堆土し文様を付け、櫛掻きで細線を入れて陰影をつけています。

 

外側には、片切り彫りの技法を用いた鋭い連弁文が刻みつけられています。

 

薄作りの皿にこれほどの凹凸のある彫模様を入れる技術は他の追随を許さず、塚本快示の神髄といってよいもので、緊張感ある作品に仕上がっています。

 

 

塚本快示 略歴

 

大正元(1912)年12月14日、岐阜県土岐市に生まれる。本名快児。生家は土岐市に江戸中期から続く美濃焼の窯元で、

 

昭和元(1926)年駄知町立尋常高等小学校を卒業後、長男として家業を継ぐべく父に学び、また駄知商工補修学校に通う。

 

昭和8年、11代「快山窯」を継ぐ。同13年より小山富士夫に師事します。

 

昭和16年、その論文「影青雑記」を読み青白磁研究を始めます。

 

昭和14年、クラフトデザイナー日根野作三に師事します。

 

昭和28年沢村茲郎の知遇を得、多大な影響を受けた。影青官窯、磁州窯などの古陶片を入手して研究し、中国宋代の技法を再現します。

 

昭和38年第10回日本伝統工芸展に「青白磁とちり大鉢」で初入選

 

昭和59年カリフォルニア万国博覧会に「釉裏紅金魚文ベリーセット」を出品して金賞

 

昭和40年第12回日本伝統工芸展に「青白磁大鉢」を出品して奨励賞を受け、同年同会会員となります。

 

昭和42年第14回同展では「青白磁大皿」でNHK会長賞、同47年第19回同展では「青白磁組鉢」で日本工芸会長賞を受賞。

 

昭和48年土岐市および岐阜県の無形文化財「青白磁」技術保持者となります。

 

昭和53年日本陶磁協会賞、同55年中日文化賞

 

昭和58年国の重要無形文化財「白磁・青白磁」技術保持者(人間国宝)に認定されます。中国北宋期の白磁・青磁を中心に研究し、古典的な端正な成形、独自の素地の配合、半乾きのうちに加える彫花紋などを特色とする清新で繊細な作風を示した。また、現代に息づく陶磁を重視し、日用品の創作も積極的に行なった。

 

平成2年年塚本快示は、6月10日午前8時45分、呼吸不全のため岐阜県瑞浪市の昭和病院で死去した。享年77。

 

 

 

塚本快示 青白磁

塚本快示 青白磁

 

「白磁」は白い素地に透明釉をかけて焼成したものです。

 

起源は古代中国まで遡り、北斉(6世紀後半)で白磁が焼かれていました。

 

唐代には邢州窯、宋代には定窯や景徳鎮窯で白磁の技術が確立していきます。

 

景徳鎮では影青(インチン)「白磁の一種であり青い発色が特徴の青白磁」が有名です。

 

その技術は10世紀の朝鮮半島の高麗王朝に伝わり、李朝の15世紀には広州官窯で李朝白磁が大成します。

 

日本へは16世紀後半〜17世紀頃に染付の技術と共に伝播したといわれています。

 

塚本快示の生家は土岐市に江戸中期から続く美濃焼の窯元で、長男として家業を継ぐべく父に学び作陶を行います。

 

戦後日本を代表する陶磁器デザイナー日根野作三に師事しクラフト風な磁器の制作と平行しながら中国陶磁の研究を始めました。

 

また、小山富士夫に師事し、その論文「影青雑記」に感銘を受け青白磁の研究をはじめ、自らの技術を更に磨き精度を高めていきました。

 

主に模範としたのは中国の北宋時代の白磁や青白磁、また同じく北宋時代の「影青」です。

 

影青官窯、磁州窯などの古陶磁片を入手して研究し、中国宋代の技法を再現していきます。

 

特に白磁胎がまだ乾ききらないうちに箆で刻まれる片切り模様の精緻さは他の追随を許さず、その技術は日本だけでなく中国の陶磁界でも高い評価を得ました。

 

 

塚本快示の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.塚本快示の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

塚本快示 査定価格におけるポイント

 

塚本快示の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

10万円から30万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと3万前後になります。

皿は、大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります50万円の高値が付いたこともあります。

快山窯という窯ものがあり塚本快示の作品ではないので安値です。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。塚本快示展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

塚本快示の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ塚本快示の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

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営業10:00-18:00

 

 

2024年10月26日

近藤悠三の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

御所蔵の近藤悠三の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

近藤悠三の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、近藤悠三の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。

 

近藤悠三の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の近藤悠三のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた田村耕一の作品を鑑定して買取り致します。

陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の近藤悠三の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

近藤悠三が得意とする染付は、陶磁器の白い生地に酸化コバルトで絵を描き焼く技法で、自らの轆轤のフォルムの上に、伸び伸びとした勢いのある筆さばきが特徴です。

 

若き近藤悠三の陶芸との出会いは京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に通い始めた12歳の頃であった。

 

人の倍努力をすることを誓い、富本憲吉の助手となった19歳の頃に大きな転機が訪れます。

 

「これ以上のロクロの技術を磨くよりも、陶器以外の勉強も幅広くやりなさい。それが身につくほど、作品は立派になる。」

 

そんな富本の言葉に衝撃を受けて決意した。

 

「どんなことがあっても、日本で10指に入る作家になる。そのためには餓死をも厭わないと思った。今もその覚悟で作品を作り続けている。」

 

その言葉からは元来の負けん気がうかがえた。

 

 

近藤悠三 柘榴染付金彩壺

近藤悠三 柘榴染付金彩壺 近藤悠三記念館蔵

 

 

作陶人生70有余年、近藤悠三は初期の頃よりあらゆる陶磁器手法に挑戦し、帝展や文展にて入選を重ねてきました。

 

昭和30年頃より、染付作品の制作を中心とし日本伝統工芸展などにて発表します。

 

自らの轆轤に、自宅の梅、ザクロ、薊などをモチーフにデッサンを行い、陶画として絵付けを行います。 晩年は、赤絵や金彩を取り入れた作品など華麗で重厚な作品を制作しました。

 

 

近藤悠三 本人

近藤悠三 本人

 

白い磁器に酸化コバルトを原料とする「呉須」で絵付けを施し、透明な釉薬をかけて高火度で焼きあげた焼物を染付という。

 

14世紀初頭中国景徳鎮地方で完成したこの染付の技法は、ヨーロッパ、イスラム諸国、朝鮮半島など各地方に伝播していき、近世の世界の陶磁器生産技術に多大な影響を与えました。

 

日本へは16世紀末に九州の有田地方に伝わり、日本人の生活文化にも広く受けいれられるようになりました。

 

京都で本格的に磁器の生産がされるようになったのは18 世紀後半です。 しかし、その多くは「古染付」や「祥瑞」とよばれる中国製品の「写し」や、伝統的な技術やスタイルを中国に習ったものが中心であり、新しい独自の試みはほとんどなされませんでした。

 

近藤悠三は、その染付技法を伝統的な枠組から新しい芸術表現へと昇華させ、陶磁器染付の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定されました。

 

「自分は、し残したことがあるので、生まれ変わっても陶芸家として生まれてくる」と生前に語っていた。

 

 

近藤悠三の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.近藤悠三の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.近藤悠三の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.近藤悠三の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。

 

Q.近藤悠三の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

近藤悠三 略歴

 

明治35、(1902)年2月8日京都市に近藤正平、千鶴の三男として生まれた。本名雄三。家は代々清水寺の寺侍で祖父正慎は勤皇の志士であった。

 

大正3年、京都市立陶磁試験場付属ロクロ科に入所し、同6年に卒業、同試験場助手となり、この時期技手をつとめていた河井寛次郎、浜田庄司を知り、浜田に窯業化学等について学美ました。

 

大正10年、富本憲吉が帰国し大和安堵村に築窯したのを機に試験場を辞し富本の助手となって師事し五年間大和に過します。

 

大正13年、京都へ戻り関西美術院洋画研究所へ通いデッサン、洋画を学ぶとともに、京都清水新道石段下の自宅で作陶を始める。

 

昭和3年、9回帝展に「呉須薊文かきとり花瓶」が初入選、以後15回展まで連続入選し、新文展へも出品、

 

昭和14年、3回文展に「柘榴土焼花瓶」で特選を受けた。

 

昭和18年、奈良で赤膚焼を研究制作するが、戦後は呉須による染付に専念し、この伝統的技法の研究を深めながら、民芸調の素朴な力強さを加え、轆轤成形とともに豪快雄暉で伸びやかな独自の染付けの世界を拓いていった。日展には第5、6回展に出品し6回展では審査員もつとめたが、その後は出品せず昭和26年富本憲吉の主宰する新匠会会員となります。

 

昭和30年、社団法人日本工芸会発足に際しては富本憲吉、稲垣稔次郎とともに入会、以後日本伝統工芸展鑑査員をつとめ、常任理事、陶芸部部長、近畿支部幹事長を歴任する。

 

昭和28年、京都市立美術大学の陶磁器科助教授に就任します。

 

昭和33年、初代学長に教授に就任しました。

 

昭和44年、には京都市立美術大学が京都市立芸術大学と拡大改称されます。

 

昭和46年、初代学長を退官、同学名誉教授の称号を受けます。この間、日本伝統工芸展に制作発表しました。

 

昭和32年、ミラノ・トリエンナーレ展に「染付花瓶」を出品し銀賞を受けます。

 

昭和38年、にはアメリカで開催された現代世界陶芸展に日本から選抜された5名の中に入るなど世界的に名を知られるに至り、オークランド美術館、オックスフォード大学等に作品が収蔵されました。

 

昭和38年、新匠会を退会します。同45年紫綬褒章を受章

 

昭和48年、京都市文化功労者章受章

 

昭和52年4月25日、重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定されました。

 

昭和57年、京都市名誉市民の称号を受けます。

 

昭和58年、東京他で人間国宝「近藤悠三展」が開催されました。

 

昭和59年から昭和ら60年にかけて京都、東京他で「現代陶芸の精華-近藤悠三とその一門展」が開催されました。

 

著書に『呉須三昧』(同47年)があるように、その制作態度は「呉須三昧、焼物三昧の人生」と評されていた。

 

没後遺作27点が京都市に寄贈されました。

 

染付技法の国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)で、京都市立芸術大学名誉教授の陶芸家近藤悠三は、2月25日胃がんのため京都市上京区の京都第二赤十字病院で死去した。享年83。

 

 

 

 

近藤悠三 富士染付赤絵金彩壺

近藤悠三 富士染付赤絵金彩壺 近藤悠三記念館蔵

 

近藤悠三独自の染付で「柘榴」「葡萄」「筍」「薊梅」「山水」等が雄渾な絵画的筆致で表現され、水墨画を思い起こさせる呉須の濃淡が何とも言えない色彩のバランスを作り出しています。

 

後年は金彩と赤絵や呉須染付の併用を確立し、「赤絵金彩壺」「金彩赤地皿」「呉須染付」などの連作を精力的に手掛けました。

 

 

 

 

近藤悠三の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.近藤悠三の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

近藤悠三 査定価格におけるポイント

 

近藤悠三の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

近藤悠三先生の作品は絵付けが軽妙で洒脱な作品に高値の査定価格がつきます。

5万円から20万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと2万前後になります。

大皿は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります90万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

近藤悠三の作品は窯の焼き上がりと絵付けを重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。

金地の作品が高値の傾向にあります。近藤悠三展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

壺の作品が高値が付く傾向にあります80万円の高値が付いたこともあります。

 

制作年代

 

近藤悠三先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ近藤悠三の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

 

 

 

2024年10月25日

田村耕一の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の田村耕一の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

田村耕一の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、田村耕一の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。

 

田村耕一の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の田村耕一のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた田村耕一の作品を鑑定して買取り致します。

陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の田村耕一の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

田村耕一 青磁鷺文壺

田村耕一 青磁鷺文壺

 

陶器に鉄絵で文様を描く分野からは初の人間国宝に認定された田村耕一は富本憲吉に師事して陶芸を学びました。

 

初期の頃は黒色と黄褐色の二種類の鉄釉を用い、蝋抜きや筒描きによる草花文様の作品を発表して高い評価を得ました。

 

その後、刷毛目を施した上に勢いのある筆描きで鉄絵の文様を表し、銅彩を併用して色彩に変化を与え、さらに青磁釉を用いて重厚さを表現するなど鉄絵を基としながら数々の技法を加えて表現内容を豊かにし、高い技術性を持つ陶芸を制作しています。

 

 

田村耕一 本人

田村耕一 本人

 

田村耕一という陶芸家の評価の中で一番特徴的なものとして「簡略化」という言葉があります。これはひとつのモチーフをその器物の中でどの様に形づけたら美しいものになるか、器形に対して違和感がないだろうか、更にはその創り出されたモチーフがありきたりでなく独自のモノ、になっているであろうか……………….

 

とここにその作家としての力量というものを計られる重要な要素があるのです。

 

 

田村耕一の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.田村耕一の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.田村耕一の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.田村耕一の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。

 

Q.田村耕一の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

田村耕一 略歴

 

1918年大正7年6月21日栃木県佐野市富岡町で生まれた。

 

1941年昭和16年 東京美術学校工芸科図案部卒業。大阪府下で楽焼を学ぶが翌年応召する。私立南海商業学校のデザインの教師となります。

 

1942年昭和17年宇都宮第36部隊に召集され兵役に服します。

 

1946年昭和20年京都市の松風工業株式会社松風研究所に入所して陶磁器の本格的研究を開始し、富本憲吉に師事しました。

 

1948年 昭和23年赤見焼の創業に参画する。

 

1949年 24年栃木県佐野市久保町に倒焔式の薪窯を築きます。

 

1950年昭和25年には浜田庄司の勧めで栃木県窯業指導所技官となり、ココ工芸の結成に参加、のち生活工芸集団結成に加わります。

 

1953年昭和28年 佐野市久保町に四袋の登り窯を築きます。

 

1956年 第5回現代日本陶芸展 朝日新聞社賞、松坂屋賞 受賞

 

1967年昭和42年 東京藝術大学助教授となる。 トルコ・イスタンブール国際陶芸展 グランプリ金賞 受賞

 

1951年昭和31年と33年に現代日本陶芸展で朝日賞を受賞

 

1957年 昭和32年日本陶磁協会賞を受賞、さらに同35年と翌年には日本伝統工芸展で奨励賞を連続受賞します。

 

1962年昭和37年日本工芸会正会員となります。この間、陶器に酸化鉄を付けて文様表現する鉄絵の技法を開発し、銅彩で色彩を加えた創造性に富む作風を展開しました。

 

1967年昭和42年トルコ・イスタンブール国際展で金賞を受賞するなど国際的な評価も得ます。

 

1970年昭和45年 栃木県文化功労賞 受賞。 1975年 日本陶磁協会賞金賞 受賞。

 

1977年昭和52年 東京藝術大学教授に就任します。

 

1983年昭和58年 紫綬褒章を受章

 

1984年昭和59年にはミュンヘンで個展を開催します。

 

1967年昭和42年東京芸術大学助教授

 

1986年昭和61年 重要無形文化財(人間国宝)「鉄絵陶器」保持者に認定。東京藝術大学名誉教授に推される。 佐野市名誉市民となる。

 

1976昭和51年教授に就任し母校での後進の指導にもあたります。

 

1985年昭和60年停年退官し同校名誉教授となります。

 

1986年昭和61年国指定重要無形文化財(鉄絵)保持者に認定される。日本工芸会副理事長、佐野市名誉市民でもありました。

 

1987年 1月3日、死去。勲三等瑞宝章受章。1月3日、胆のうがんのため栃木県の栃木県南総合病院で死去した。享年68。

 

 

 

田村耕一 ほたるぶくろ筒花入

田村耕一 ほたるぶくろ筒花入

 

鉄釉を基調に、古陶などを意識しつつ現代的な感覚で再構築した独自の作風を確立しました。

 

白釉・青磁・銅彩(辰砂)など多彩な釉技に取り組み、闊達な鉄絵と共に華やかに器を彩る作風です。

 

 

田村耕一の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.田村耕一の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

田村耕一 査定価格におけるポイント

 

田村耕一の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

田村耕一先生の作品は絵付けが軽妙で洒脱な作品に高値の査定価格がつきます。

5万円から20万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと2万前後になります。

大皿は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります80万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

田村耕一の作品は窯の焼き上がりと絵付けを重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。

無地の作品より草花模様が出ている作品が高値の傾向にあります。田村耕一展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

壺の作品が高値が付く傾向にあります100万円の高値が付いたこともあります。

 

制作年代

 

田村耕一先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ田村耕一の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

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2024年10月24日

松井康成の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の松井康成の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

松井康成の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、松井康成の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。

 

松井康成の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の松井康成のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた松井康成の作品を鑑定して買取り致します。

 

陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の松井康成の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

昭和2年、長野県に生まれた松井康成は、30歳で茨城県笠間市にある月崇寺の住職となり、中国や日本の古陶磁研究ののち、練上の技法に絞って試行錯誤を重ね、独自の表現世界を創造しました。

 

種類の異なる土の組み合わせは、収縮率などの違いから破損しやすいため、基本となる土を同じものとし、そこに少量でも鮮やかに発色する呈色剤を混ぜる「同根異色」の方法により、練上による表現の可能性を格段に拡げました。

線文様に代表される初期の練上作品に始まり、ロクロで内側から膨らませ表面に亀裂を誘う「嘯裂(しょうれつ)」から、磁器に近い土の組成と硬質な輝きを特徴とする晩年の「玻璃光(はりこう)」に至るまで、松井康成は多彩な展開をしました。

 

松井康成は「練上手(ねりあげで)」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

 

 

松井康成 本人

松井康成 本人

 

「私の仕事は、須恵物造りというより、玉造りといったほうがふさわしいかもしれません。いつの間にか、壺のかたちがまあるくなって玉のようになりました。それでもやはり壺と言っていますが、必ずしも花を挿したりする器ではありません」

 

 

松井康成 晴白練上大壺 1989年

松井康成 晴白練上大壺 1989年

 

松井康成が作陶活動を開始したのは、33歳の時で、当初は古陶磁を規範とした灰釉や天目・刷毛目などの実用的な器を手掛けています。

 

まもなく、中国古陶の「交胎」「撹胎」を現代的な意匠で構成させた「練上」を作り上げ、それはモノトーンのストライプ文様を器物に装飾したものでした。

 

47歳頃からは、それまでの実用性を意識した器から、美的装飾性を重要視した作品へと方向転換します。

 

練上作品の形状は丸い形になり、色彩はそれまでの陶芸には無かった極彩色を使うようになりました。

 

制作技法も複雑化し、他の追随を許さぬほどの技術でもって新しいものに挑戦をし続けました。

 

 

松井康成の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.松井康成の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.松井康成の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただけます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.松井康成の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.松井康成の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

松井康成 略歴

 

1927(昭和2)年5月20日、長野県北佐久郡本牧村生まれ。本名宮城美明(みめい)

 

1952年明治大学文学部文学科卒業。同年、茨城県笠間の浄土宗月崇寺(げっそうじ)住職の長女松井秀子と結婚、松井姓となる。

 

1957年月崇寺第二十三世住職となる。60年月崇寺境内に窯を築き、古陶磁の研究に基づく倣古作品を制作していました。

 

1968年頃から陶芸家田村耕一のすすめで練上手の技法に専念するようになる。

 

1969年第9回伝統工芸新作展に「練上手大鉢」が初入選し、奨励賞を受賞。同年、第16回日本伝統工芸展に「練上手壺」を出品し、初入選

 

1970年第10回伝統工芸新作展に「練上手辰砂鉢」を出品し、日本工芸会賞を受賞

 

1971年第18回日本伝統工芸展に「練上線文鉢」を出品し、日本工芸会総裁賞受賞

 

1973年第2回日本陶芸展(公募部門第1部)に「練上線文鉢」を出品し、最優秀作品賞・秩父宮賜杯受賞

 

74年日本陶磁協会賞を受賞。75年第22回日本伝統工芸展に「練上壺」を出品し、NHK会長賞を受賞

 

1976年「嘯裂(しょうれつ)」と「象裂瓷(しょうれつじ)」をあいついで発表。「嘯裂」とは、器の表面を刷毛や櫛などで荒らし、傷を入れることによって生じるひび割れを模様に見立てたもので、また、「象裂瓷」とは異なる種類の色土を二層、三層に重ね、成形後に深く切込みを入れて下層の色土が見えるようにする技法である。いずれも土そのものの粗く厳しい質感をあらわしたもので、それまでの練上にはない、松井康成独自の作品世界を示すものとして高く評価された。

 

1979年から現代工藝展(資生堂ギャラリー)に参加。83年からは「堆瓷(ついじ)」と呼ぶ、彩泥の技法による作品を発表

 

1985年には「破調練上」を発表 

 

1986年第2回藤原啓記念賞を受賞

 

1987年には「風白地(ふうはくじ)」と呼ぶ、器の表面に粗い砂を強く吹き付けることによって荒涼とした雰囲気を表現した作品を発表

 

1990(平成2)年日本工芸会常任理事となる。同年、日本陶磁協会金賞受賞

 

1991年第4回MOA岡田茂吉賞大賞受賞。92年には、釉薬による光沢と鮮やかな色土による華麗な「萃瓷(すいじ)」を発表

 

1993年「練上手」の技法により重要無形文化財保持者に認定される。同年、パリで松井康成展開催(三越エトワール)。同年、茨城新聞社より茨城賞受賞

 

1994年「人間国宝松井康成練上の美」展開催(朝日新聞社主催、日本橋高島屋ほか)。同年、茨城県より特別功績賞受賞

 

1996年「玻璃光(はりこう)」と呼ぶ、焼成後にダイヤモンドの粉末で研磨した、滑らかでしっとりとした光沢を放つ作品を発表。同年、茨城県近代美術館にて「変貌する土――松井康成の世界」展開催

 

1999年平成11年度重要無形文化財「練上手」伝承者養成研修会の講師を勤める(翌年も)。練上手の作品は色の異なる土を組み合わせて成形するため、土の収縮率の違いなどから、焼成の段階で割れる可能性が高いが、松井康成は少量でも発色の良い呈色剤を加えることにより、同じ性質でも色の異なる土を作り出す工夫をし、色彩豊かな練上げ作品を制作した。そして、「嘯裂(しょうれつ)」、「象裂瓷(しょうれつじ)」、「堆瓷(ついじ)」、「風白地(ふうはくじ)」、「萃瓷(すいじ)」、「玻璃光(はりこう)」などの技法を新たに創案し、多彩な作品を制作、練上の技法による表現の可能性を広げ、それまでには見られない独自の作品世界を切り開いていった。作品集に、『松井康成陶瓷作品集』(講談社、1984年)、『松井康成練上作品集1985―1990』(講談社、1990年)。また、著書に『松井康成随想集:無のかたち』(講談社、1980年)、『宇宙性』(講談社、1994年)

 

2023年4月11日午後4時42分、急性呼吸器不全のため死去した。享年75

 

 

 

松井康成 練上嘯裂茜手壺

松井康成 練上嘯裂茜手壺 1982年

 

松井康成の技法の解説

 

嘯裂(しょうれつ)

1976年ごろの陶芸技法のひとつに、陶土の表面に刷毛や釘、櫛を使って最初に傷をつける方法がありました。その傷を残しながら成形することで、土の表面に自然な亀裂や傷跡が独特の模様を生み出し、作品にユニークなテクスチャーと表情を与える技法です。

 

象裂(しょうれつ)

1977年ごろの技法として、異なる色の粘土板を幾重にも重ね、その表面に傷をつける方法がありました。この技法では、嘯裂(しょうれつ)と同様にロクロで成形する際に、裂け目から下の層が見えるようになり、多層的な表現が可能になります。複数の層が互いに重なり合うことで、作品に深みと立体感が生まれる特徴的な技法です。

 

堆瓷(ついじ)

1983年ごろには、「堆」という言葉が意味する「積み上げる」技法が使われていました。この技法は、色のついた泥漿を重ねて模様を描く採泥(さいでい)の一種ですが、異なる色の土を何層にも重ねたり、はめ込んで模様を作り出すことで、立体感のあるデザインを表現します。この堆積した模様は、視覚的な奥行きや豊かな色彩のコントラストを生み出す技術です。

 

破調練上(はちょうねりあげ)

1985年ごろ、「破調」という技法が使われていました。これは、文字通り調和を意図的に崩すことを意味しますが、作為的ではなく、自然に生まれた練上模様をそのまま活かした作品に対して用いられる名称です。この技法によって、偶然性や不規則な美しさが作品に表れ、自然体でありながら独自の表現が生まれるのが特徴です。

 

風白地(ふうはくじ)

1987年ごろ、「風をもって白(さら)す」という意味を持つ技法が生まれました。成形後に削りを行い、表面に砂を吹き付けてから焼成することで、ざらついた質感を表現します。この技法によって、まるで風化した地層のような独特な表情が生まれ、非常に個性的で独創的な作品が仕上がります。

 

晴白(せいはく)

1989年ごろ、白のくすみが一切なく、呈色剤の本来の色が鮮やかに表れる技法が登場しました。明るい色彩が特徴で、この技法にはニュージーランド産の高純度カオリンを焼粉に混ぜて使用していたとされています。これにより、透明感のある発色と美しい色合いが作品に表現されました。

 

翠瓷(すいじ)

1992年ごろ、「集める」という意味を持つ「翠」という名がつけられた技法が誕生しました。この技法は、それまで積み重ねてきた練上技術の「集大成」としての意図を込めて名付けられたと言われています。特に花をモチーフにした連続模様が特徴的な作品が数多く残されており、緻密で美しい装飾が作品全体に広がる点が魅力です。

 

玻璃光(はりこう)

2001年ごろ、松井康成の晩年期に生み出された技法で、「玻璃光」と名付けられた作品群が登場しました。玻璃は仏典に登場する七宝のひとつで、水晶やガラスを指す言葉です。この技法では、特に丸い壺のような形状が特徴で、中国古陶磁に深く通じていた松井康成の美学を集大成したものと言えます。焼成後、表面をダイヤモンドで何度も研磨することで硬質な輝きを引き出し、その独特の光沢は他に類を見ないほど評価が高く、松井の晩年期を代表する傑作として広く知られています。

 

松井康成 査定価格におけるポイント

 

松井康成の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

松井康成先生の作品は窯で出来る景色が重要で景色が鮮やかで綺麗な作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から100万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと5万前後になります。

初期の作品は査定価格が低くなります。

壺は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります200万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

色彩が鮮やかな作品が高値で売れる傾向にあります。

模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。松井康成展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

松井康成先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ松井康成の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年10月23日

清水卯一の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

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清水卯一 蓬莱掛分壺

清水卯一 蓬莱掛分壺

 

当時鉄釉の焼成は還元炎による焼成が一般的であったなか、清水卯一は酸化炎での焼成に成功します。

 

昭和45年大気汚染防止法の施行により京都の市街地で登り窯が使えなくなったことを一つの契機に、滋賀県志賀町へ移り蓬莱窯を築きました。

 

若い頃からの念願であった登り窯を築き、以後堰をきったように新しい釉薬に挑戦していきます。

 

清水卯一の作陶へのこだわりは、比良山系の山中を探し回って見つけた、陶土、磁土、石、など素地です。

 

様々な方法を試行錯誤して釉薬の発色を追求しました。

 

そして氷裂貫入の青磁、青白磁に近い釉薬の蓬莱磁、そして黄蓬莱など、釉薬や素地土の素材の内部にあるものを導き出すように美しい色釉を創出しました。

 

 

清水卯一の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.清水卯一の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.清水卯一の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.清水卯一の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。

 

Q.清水卯一の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

清水卯一 本人

清水卯一 本人

 

陶芸家で鉄釉陶器の重要無形文化財保持者(人間国宝)の清水卯一は、師匠の石黒宗麿の影響を受けた事の一つに、「作陶に必要な材料をすべて自分で賄う」というものがあります。

 

自分に合う土や石を探し続け、焼成具合や試験を徹底して繰り返し行うなど、若い頃から素材への執着は相当なものでした。

 

清水卯一の芸術は素材から滲み出た個性にあると言っても過言ではないのです。

 

 

清水卯一 略歴

 

1926年(大正15)年3月5日、京都市東山区五条橋に、京焼陶磁器卸問屋を営む父清水卯之助、母モトの長男として生まれます。

 

1937年11歳のときに父が病死する。

 

1938(昭和13)年に家業を継ぐため立命館商業学校へ入学するが、作陶に興味を抱き、近隣の轆轤師宮本鉄太郎を知ります。

 

1940年には同校を2年修了とともに中退し、14歳で石黒宗麿に師事し、通い弟子となる。しかし戦時体制の強化に伴い、数ヶ月で五条坂から八瀬への通い弟子を中断し、自宅に轆轤場を設けて作陶を始めます。翌年、伏見の国立陶磁器試験場に伝習生として入所し、日根野作三、水町和三郎らの指導を受けます。

 

1943年には京都市立工業試験場窯業部の助手となるが、終戦を機に辞職し、自宅を工房にして作陶を再開します。

 

1947年、前衛的な陶芸家集団「四耕会」の結成に参加します。

 

1949年には、「緑陶会」「京都陶芸家クラブ」などの結成にも参加します。

 

1951年には第7回日展に初入選

 

1955年の第11回展まで出品。同年、第2回日本伝統工芸展に石黒の推薦を受けて出品します。

 

1957年には日本工芸会正会員となります。翌年の第5回展の奨励賞をはじめ、第7回展では日本工芸会総裁賞、第9回展では優秀賞朝日新聞社賞を受賞するなど、若手の実力派としてふさわしい創作性豊かな作品を発表し評価を得ます。

 

1955年には日本陶磁協会が新設した第1回日本陶磁協会賞を受賞

 

1959年のブリュッセル万国博覧会でグランプリ受賞

 

1962年のプラハでの国際陶芸展で金賞、63年のワシントン国際陶磁器展で最高賞

 

1967年イスタンブール国際陶芸展でグランプリを受賞するなど、めざましい活躍をみせる。この頃の作品は主に、鉄釉や柿釉、天目などの鉄釉系技法に基づくもので、轆轤挽きによる端正なフォルムと融合させて独自の世界をつくり上げました。

 

1970年には、滋賀県志賀町の蓬莱山麓へ工房を移転し、念願であった登窯を築窯。またガス窯も設けて蓬莱窯と名付け、さまざまな作品を制作する場とする。この移転が転機となり、自宅周辺で採集した陶磁器に適した土や釉薬を新たな素材として加え、さらに作域を広げる。

 

1973年の第20回日本伝統工芸展では、蓬莱の地土を使った「青瓷大鉢」の評価と、これまでのすぐれた制作の展開に対する評価によって20周年記念特別賞を受賞。その後も土と釉薬の研究に情熱を傾け、青瓷、鉄耀、蓬莱耀、蓬莱磁など、伝統的な技術と豊かな創造力による意欲的な作品を次々に発表し高い評価を受ける。

 

1985年には石黒宗麿に続いて二人目となる、「鉄釉技法」で重要無形文化財保持者に認定される。

 

1989(平成元)年、ポーラ伝統文化振興財団が記録映画「伝統工芸の名匠シリーズ・清水卯一のわざ-土と炎と人と」を制作します。

 

1992年には京都市文化功労者表彰を受けます。

 

1999年、1940年から1998年までの作品147点を滋賀県立近代美術館に寄贈。とくに認定後は、日ごろの仕事の積み重ねを大切にする姿勢を説きながら、若手陶芸家の指導に蓬莱窯を開放するなどして、積極的に後進の育成にも尽力しました。

 

2004年2月18日、2月18日午後11時、大腸がんのため滋賀県滋賀郡志賀町(現大津市)八屋町の自宅で死去した。享年77。

 

 

清水卯一 蓬莱燿茶碗

清水卯一 蓬莱燿茶碗

 

銀色の煌めきが満天の星を象徴するかのような高雅で幻想的な茶碗です。

 

触れると切れそうな程の鋭く厳しい造形に艶を帯びた黒釉がたっぷりと掛かり、見込みには虹彩を覗く事ができます。

 

 

清水卯一の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.清水卯一の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

清水卯一 査定価格におけるポイント

 

清水卯一の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

清水卯一の作品は窯で出来る景色が重要で景色が鮮やかで綺麗な作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から30万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと3万前後になります。

大壺大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります80万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

清水卯一の作品は焼き上がりの景色を重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。

模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。清水卯一展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

清水卯一の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ清水卯一の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

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