2024年11月28日
藤原雄の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の藤原雄の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
藤原雄の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、藤原雄の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
藤原雄作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の藤原雄のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた藤原雄の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の藤原雄の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
藤原啓の長男として備前市穂浪に生まれる。昭和30年に明治大学文学部を卒業後、父について作陶を始めます。日本伝統工芸展を中心に、壺や鉢、花入など伝統的な備前焼を制作する傍ら、東京、大阪、岡山、広島などに大型の創作レリーフを納めます。
豪放で力強く鷹揚とした作風を持ち味とし、平成8年に国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)となりました。国内外から多くの弟子を受け入れて、諸外国で講演会や展覧会を行うなど、備前焼の国際化に努めました。
藤原雄 本人
父は同じく陶芸家で人間国宝の藤原啓、子息もまた陶芸家で、陶心会会長で備前陶友会理事を務める藤原和です。
藤原雄は魯山人ばりの美食家であった。
明治大学の日本文学科に通われていた頃、岡山の陶芸通に紹介されて鎌倉の魯山人のところを訪ねました。 その初対面の日に、
「また一人で飯でも食べに来いよ」
といわれ、毎週土曜日に出かけ、月曜日に下宿に帰ってくる学生生活を三年間続けました。
「魯山人先生には日本的感性とか、美意識とか、風情、人生を粋に生きるというか、モノを上手に活かしていくことなど陶芸の哲学を学んだ。なにしろ先生の影響を受けたものだから知らず知らずに食いしん坊になった」
料理の名店や寿司屋、そして魚市場などへもご一緒されたほど北大路魯山人に可愛がられました。
「料理を手伝いながら、器と料理の調和を言葉ではなく厳しい修業として味合わせていただいた。私の生涯に二度とない素晴らしさをもたらしてくれた魯山人先生に感謝しながら日夜、器造りに精進している」
父の藤原啓から
「父の助手の仕事を終えて、夜、自分の時間に制作したが、はじめの5年間は焼く前に全て父に壊され、ようやく焼くことを許された作品の中に口がすぼまった壺を見て、『今までの備前にない、おもしろいのを造っている』とはじめて褒められた」
藤原 啓 窯変備前花入
見事な焦げと境目に出た窯変やぼたもちの景色が見事にあらわれております。
大きさも茶席に良い大きさです。底にはサインが入っております。
藤原雄の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.藤原雄の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.藤原雄の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.藤原雄の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.藤原雄の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
藤原啓 略歴
1932(昭和7)年6月10日、同じく備前の陶芸家で人間国宝となった父・藤原啓の長男として岡山県和気郡伊里村穂浪(現・備前市)に生まれます。
1955年、明治大学文学部を卒業後、一時みすず書房に編集者として勤務するが、父の看病のため岡山へ戻る。復帰した父の助手となり、備前焼の技法を学びました。
1958年、第5回日本伝統工芸展に<備前壷>を出品し初入選、また第7回現代日本陶芸展でも入選を果たします。
1960年には、初の個展(岡山天満屋、東京日本橋三越)を開催します。
1961年には日本工芸会正会員となり、またスペイン・バルセロナにおける国際陶芸展では、グランプリを受賞(63年)するなど、備前焼の俊英としての地歩を固めました。
1964年にアメリカ、カナダ、メキシコ、スペイン等の国々を廻り、各地で備前焼講座や個展(アメリカ、カナダ)を開催、同時に米国コロンビア大学における第1回国際工芸家会議で日本代表として備前焼の解説を行うなど、海外へ広く備前焼を紹介した。こうした経験は後年、備前焼を世界に普及するという雄の一貫した活動へと結びついていきます。
1967年に独立。同年、日本陶磁協会賞を受賞。金重陶陽や父・啓たちが拓いた茶陶としての現代備前陶という認識から出発した雄は、備前の土味を生かし、穏やかで明快な器形に削ぎや透かし、箆目、線彫で作家の作為性を加味した作風を確立した。とくに壷の制作に焦点を絞り、「百壷展」(岡山天満屋 1972年、及び東京日本橋高島屋 1974年)を開くなど、どっしりとした豪放な壷で新境地を開拓した。「古備前と藤原啓・雄父子」展(パリ市立チェネルスキー美術館他 1976年)、「備前一千年、そして今、藤原雄の世界」展(韓国国立現代美術館 1988年)など海外での発表も積極的に行い、備前焼の発展と普及に貢献しました。
1996年、備前焼で重要無形文化財保持者の認定を受けます。
1998年、紫綬褒章受章
1996年から99年まで倉敷芸術科学大学で芸術学部教授も務めた。主な作品集に『藤原雄 備前 作陶集』(求龍堂 1987年)、『藤原雄 陶の譜:作陶生活40周年記念』(藤原雄陶の譜刊行会 1995年)があります。
2001年、備前焼の陶芸家で国指定重要文化財保持者(人間国宝)の藤原雄は、10月29日午前6時34分、多臓器不全のため岡山県倉敷市の川崎医大付属病院で死去した。享年69歳
藤原雄の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.藤原雄の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
藤原雄 査定価格におけるポイント
藤原雄の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
藤原雄先生の作品は窯変の作品に高値の査定価格がつきます。
1万円から10万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
藤原雄の作品は花入や徳利、ぐい呑みの作品が評価されます。
藤原雄展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
藤原雄先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ藤原雄の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年11月27日
関谷四郎の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の関谷四郎の彫金作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
関谷四郎の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、関谷四郎の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
関谷四郎作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の関谷四郎のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた関谷四郎の作品を鑑定して買取りいたします。
工芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の関谷四郎の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
関谷四郎は明治40年、現在の秋田市外旭川に生まれた鍛金家です。秋田市内の金銀細工店で修業を積み、昭和2年に東京の鍛金家の河内宗明の内弟子となりました。独立後は異なる金属を結合させる「接合せ(はぎあわせ)」の技法を取り入れて各展に多数の作品を発表します。昭和52年に国の重要無形文化財保持者、(人間国宝)に認定され、日本金工界に大きな業績を残しました。
関谷四郎 本人
関谷四郎は「鍛金屋は金槌以外持っちゃいかん」とおっしゃっていた。
関谷四郎 純金打出天女香炉
関谷四郎作 純金打出香炉 “天女” 480.2g
本体底部に”純金四郎作 徳力”と刻印があります。
純金打出天女香炉関谷四郎作 と箱書きがあります。
関谷四郎の作品は純金の目方相場よりも高値で取引される可能性が高い作家です。
関谷四郎の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.関谷四郎の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.関谷四郎の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.関谷四郎の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.関谷四郎の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.鍛金作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
関谷四郎 銀打出湯沸
こちらの銀便は、波模様のモダンなデザインが素敵な作品です。
純銀刻印 重量936g 共箱
関谷四郎 略歴
明治40(1907)年2月11日、秋田市外旭川字家ノ前(現、秋田市保戸野新町)に生まれます。
明治45年、5才の時、父を失い幼時の大病によって足が不自由になったことから、座業を生業とするべく秋田市内の森金銀細工工店で秋田の伝統工芸、銀線細工を学びます。
昭和2(1927)年、秋田県主宰の鍛金講習会のため来県していた河内宗明に出会い、同年弟子入りします。
昭和6年より日本鍛金協会展に出品を重ねる。同13年独立して東京の本郷団子坂に工房を設立
昭和17年第5回新文展に「銀流し花瓶」で初入選。以後同展、日展に出品します。
昭和37年より日本伝統工芸展に出品し、同38年伝統工芸新作展で奨励賞
昭和40年日本伝統工芸展で優秀賞、同年の伝統工芸新作展で優秀賞、教育委員会賞
昭和43年日本伝統工芸展で総裁賞を受賞
昭和44年以降日本伝統工芸展に招待出品を続け、たびたび審査員を努めます。
昭和48年新作工芸展20周年記念展で特別賞、同51年同展で稲垣賞受賞
昭和52年国指定重要無形文化財保持者に認定された。彫金による表面加工を行わず鍛金のみで豊かな質感をもたせる工夫として、異種の細い板金をろうで溶接する接着技法を創出しその織りなす洗練された、幾何学文様と、表面の質感を特色とする斬新な作風を示した。
昭和56年、金工作家グループ東京関友会設立します。
昭和60年、秋田関友会を設立、後進の育成にも尽力しました。
昭和62年秋田魁新報社主催により傘寿記念展を開催。
平成6年8月28日から10月2日まで秋田市立赤れんが郷土館で「米寿記念人間国宝関谷四郎展」を開催しました。
平成6(1994)年12月3日、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)の鍛金家関谷四郎は12月3日午前3時10分、肺炎のため東京都板橋区の東京都老人医療センターで死去した。享年87。
関谷四郎の作業姿
関谷四郎は、日本の伝統工芸の中でも独特の領域を持つ鍛金に、常に新しい金属の美を追い求める。鍛金の技術を保持する貴重な打物師でした。
作品は、花生、壺、接合せ(はぎあわせ)皿など多彩である。しかもその作風には現代感覚が盛り込まれ、器物そのものの感情がみずみずしいまでに表現されている。
花器などは、銀と銅、赤銅の3種の地金を用いて、鍛金の中でも難しいとされる接合せの技法で制作される。
関谷四郎の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.関谷四郎の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
関谷四郎 査定価格におけるポイント
関谷四郎の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
関谷四郎先生の作品は、金瓶、銀瓶、香炉の作品に高値の査定価格がつきます。
市場では、5万円ぐらいが相場です。30万ぐらいの買取相場です。
保存状態
痛み傷など、使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
関谷四郎の作品は細かい仕事の作品やオシャレな作品が評価されます。
関谷四郎展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
関谷四郎先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ関谷四郎の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
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営業10:00-18:00
2024年11月26日
角谷一圭の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の角谷一圭の作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
角谷一圭の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、角谷一圭の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
角谷一圭作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の角谷一圭のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた角谷一圭の作品を鑑定して買取りいたします。
工芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の角谷一圭の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
鎌倉時代に作られた茶の湯釜の最高峰といわれる筑前芦屋釜を復元し、更に独自の感覚を組み入れた作品を数多く発表して重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。 茶道の釜づくりの重要な部分は鋳型作り。格調高い鋳肌と繊細な模様が釜作りの決め手となります。
角谷一圭 本人
「安心しているとペケがでる」とよく言われたみたいですね。
角谷一圭 牧童図丸釜
釜師・角谷一圭は、日本の伝統工芸の中でも特に高く評価される茶釜の一つ「芦屋釜」を現代に甦らせた名匠です。
江戸時代の初め頃より、侘茶の美意識が主流となり、より簡素な京都の茶釜が好まれるようになり制作が途絶えていきました。
角谷一圭は、消滅してしまった近代、技術や意匠を熱心に研究し、忘れられた伝統を現代に甦らすために尽力しました。その活動により、芦屋釜の芸術性や技術の価値が再認識されました。
近代の茶道文化で再びその存在感を示しています。 角谷一圭の復元は、現代の技術や感性を取り入れることで、伝統と革新の融合を果たした点が特徴です。の美術品としての魅力を持ち、多くの茶人や美術愛好家から愛されています。
角谷一圭の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.角谷一圭の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.角谷一圭の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.角谷一圭の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.角谷一圭の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.釜作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
角谷一圭 略歴
1904(明治37)年10月12日大阪市に生まれる。本名辰治郎。
1917(大正6)年釜師の父巳之助より茶の湯釜の制作技法を習得。のち大国藤兵衛、香取秀真に茶釜、鋳金全般を学ぶ。また細見古香庵からも茶釜制作上の影響を受けました。
1947(昭和22)年昭和天皇大阪行幸の際に釜を献上します。
1952年第8回日展に初入選、以後56年第12回日展まで出品します。
1958年第5回日本伝統工芸展に「海老釜」を出品して高松宮総裁賞を受賞し、以後は同展に出品
1961年には同8回展出品作「独楽釜」で朝日新聞社賞を受賞
その間58年布施市文化功労賞、同年大阪府芸術賞を受けるなど受賞を重ねる。終戦直後に出回った名釜修理・修復に携わり、茶釜の形態、地紋、鉄味を調査、その成果に基づき鎌倉期の筑前・芦屋釜を範とし、のち和銑釜を研究、優雅で格調高い作風を確立しました。
1973年第60回伊勢神宮式年遷宮神宝鏡31面を鋳造
1993(平成5)年第61回遷宮の折も制作を手がけました。
1976年勲四等瑞宝章を受章
1978年国の重要無形文化財「茶の湯釜」保持者(人間国宝)となります。
1984年文化庁企画「茶の湯釜」記録映画で「馬ノ図真形釜」を制作。著書に『釜師―茶の湯釜のできるまで』(1974年 浪速社)がある。弟莎村は釜師、長男征一は金工作家。
1999年、釜師の角谷一圭は1月14日、肺炎のため大阪市の病院で死去した。享年94。
角谷一圭工房
角谷一圭工房をご紹介します。
社名の「角谷一圭」は昭和53年に人間国宝に認定された二代目の名で、現在は三代 角谷征一、四代 角谷圭二郎が日々制作に励んでいます。
工房にて作品のご注文・修理などをお受けしております。 お気軽に営業時間内に下記までご連絡くださいませ。
角谷一圭工房連絡先
https://ikkeikoubou.com/index.html
mail ikkeikoubou1885@gmail.com
fax 06-6782-3377
tel 06-6782-3377
角谷一圭の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.角谷一圭の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
角谷一圭 査定価格におけるポイント
角谷一圭の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
角谷一圭先生の作品は、釜の種類によってお値段は変わりまが、箱書き、流派によって家元の書き付けによって価格が左右する場合が多いです。
市場では、6万円ぐらいが相場です。25万ぐらいの買取相場です。
保存状態
痛み傷など、使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
角谷一圭の作品は芦屋釜の写の作品が評価されます。
角谷一圭展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
角谷一圭先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ角谷一圭の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
**************************************
弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年11月25日
増田三男の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の増田三男の彫金作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
増田三男の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、増田三男の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
増田三男作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の増田三男のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた増田三男の作品を鑑定して買取りいたします。
工芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の増田三男の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
身近な草花や動物を写生し、その生命感あふれる姿を表現した彫金の重要無形文化財保持者(人間国宝)増田三男は、 埼玉県に生まれました。東京美術学校で清水南山(亀蔵)に彫金の技を学び、卒業後は、陶芸家の富本憲吉から工芸制作においても個性を尊重する姿勢、「模様より模様を造るべからず」の精神を学びました。
身近な草花や、蝶や鹿やウサギなどをモチーフとした装飾模様を、確かな彫金のわざで表現したその作品は、生命感あふれ、移ろいゆく季節や時間、その場の気配までもが感じられます。
増田三男 本人
彫金は、金や銀、銅などの金属に、鏨を用いて文様を彫り込んだり、刻印したりするのに使われる技法です。20世紀から21世紀初頭にかけて活躍した増田三男は、作品の中で金を効果的に使い、日本の四季の自然や動植物を豊かに表現した金工家として知られる。
生涯現役をつらぬき、晩年も、自宅の庭先のアトリエ「三愚亭」で、朝から夕方まで制作に打ち込む生活を続けていましたが、2009年(平成21年)、100歳の天寿をまっとうし他界しました。
増田三男 金彩柳文水指 1989年
増田三男は、生前に「彫金で一番大切なことは鏨(たがね)だ」と語っています。自分で自分用の鏨を作ることに始まり、伝統技術の中に新しい表現を発見することが大切だと考えていました。
増田三男の作品の魅力の第一は、描き出された模様にある。桟橋にとまるシギの姿や、竹林や雑木林、柳の木立など、比較的具象的な意匠がある一方で、蝶、兎、鹿など古典に学びながら紋様へと昇華したモチーフもある。
幾何学的な模様とも見える麦畑の図を見ると、増田の着想がとてもユニークであることがわかる。 作品に用いられた意匠はさまざまであるが、一貫しているのは独自性であり、その背景には「模様より模様を造るべからず」という富本憲吉の思想があった。増田は富本の言葉に従い、自然の写生に基づく模様の創作に取り組んでいたという。両者の関係はものづくりの思想、あるいは師弟関係にとどまらない。
富本憲吉 色繪透香爐 火屋 増田三男
1936年、東京美術学校を卒業し、たまたま足を運んだ国画会展の会場で、富本憲吉の陶芸作品を目にした増田は深い感銘を受けました。富本憲吉はこの国画会工芸部の創設に尽力した陶芸家で、増田は自身も国画会工芸部に出品するようになり、尊敬する富本憲吉に自分の作品を見てもらえることが何よりの励みになりました。
富本憲吉は香炉のための火屋の制作を増田に依頼しており、その数は200点を超える。火屋の意匠は、増田三男が富本憲吉の作品を独自に解釈してつくりあげたものであった。とくに富本憲吉の書からとった文字の意匠は富本も気に入っていたと増田三男はかつて語っている。富本憲吉は増田三男の仕事を高く評価しており、作品の箱書きや解説にも増田三男の名前が出るよう気を配っていた。
増田三男の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.増田三男の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.増田三男の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.増田三男の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.増田三男の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.彫金作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
増田三男 略歴
1909(明治42)年4月24日、埼玉県北足立郡大門村に父伸太郎、母チカの7人兄弟の三男として生まれる。
1924(大正13)年、埼玉県立男子師範附属尋常小学校を卒業、埼玉県立浦和中学校、卒業
1929(昭和4)年、20歳で東京美術学校(現、東京藝術大学)金工科彫金部に入学する。大学では清水亀蔵(南山)、海野清らに学びます。
1934年、彫金部を卒業し、さらに同美術学校金工科彫金部研究科にすすみ、1936年同研究科を終了します。
1933年、第14回帝展に「壁面燭台」が初入選する。研究科終了後は同校資料館で国宝をはじめとする文化財の模造制作に従事し、また個人的には柳宗悦が主宰した民芸運動に関心をいだき民芸論を研究した。この頃の工芸関係の公募展は帝展が最高権威であり、また国画会展の工芸部も有力であった。当時国画会工芸部は民芸派の作家が多く活躍しており、帝展の美術品としてのレベルの高さや技術力よりも、実際に生活の場で使える工芸作品が出品されていて、増田三男自身は師である清水南山らが出品していた帝展(のちに文展)と、国画会工芸部の両方に出品しました。
1936年、11回国画会に出品した「筥」2点が初入選をはたしている。この国画会における工芸部門の創設に尽力した陶芸家富本憲吉に図案の指導を受け、以後増田三男は富本憲吉を生涯の師と仰ぐようになる。1939年には第3回新文展出品の「銀鉄からたち文箱」が特選
1942年の第17回国画会展では「野草文水指」が国画奨励賞を受賞した。戦時中はとくに金属使用の規制や奢侈品等製造販売禁止令などが発布されて金工作家はとくに苦境におちいったが、第3回新文展出品の「銀鉄からたち文箱」が入賞したことにより金属材料の配給を受け、その技術保存の立場から制作を続けることができた。第二次世界大戦中の1944年、中学のときの母校である浦和中学の美術講師となります。
1976年に退職するまで30年以上にわたって木工芸の授業を担当しました。
1962年、第9回日本伝統工芸展に初出品した「金彩銀蝶文箱」が東京都教育委員会賞を受賞したのを期に、その活躍の場を日本伝統工芸展とするようになります。
1969年、同展出品の「彫金雪装竹林水指」が朝日新聞社賞を受賞
1990(平成2)年、「金彩銀壺 山背」が保持者選賞を受賞しました。
1991年、82歳で重要無形文化財「彫金」の保持者(人間国宝)に認定される。増田の作品は初期の第14回帝展「壁面燭台」(うらわ美術館蔵)や煙草セット(1937年・東京国立近代美術館蔵)等は、鉄の廃材を利用した当時としてはモダンな作品でした。
1940年代後半からは古文化財の模造によって培われた日本伝統の自然をイメージした小作品を生涯にわたって制作した。箱、壺、水指などを、銀をはじめ素銅、真鍮を打ち出し成形し、そこに菟、鹿や鴛鴦、蝶、梅や柳などの身近な動植物を意匠として、それを蹴彫、切嵌象嵌、布目象嵌によって表し、地には魚々子や千鳥石目を施した作が多い。また金や銀の鍍金による彩金の技法によって季節感、自然感を豊かに表現した。
2009年(平成21年)、彫金家で彫金の無形文化財保持者である増田三男は、9月7日、老衰のため自宅で死去した。享年100。
増田三男 鍍金箱 残月狐影 1964年
一見して名工の名作と判断できる 見事な彫金透かし彫りによる彫金飾箱
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痛み傷など、使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
増田三男の作品は細かい仕事の作品が評価されます。
増田三男展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
増田三男先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
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骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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2024年11月24日
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工芸界の巨匠松田権六は、近代漆芸に偉大な芸術世界を築き上げた作家であり、わが国の伝統工芸の発展にきわめて重要な功績を残しました。 金沢に生まれた松田権六は、加賀蒔絵の伝統を踏まえつつ、正木直彦東京美術学校長や大茶人益田鈍翁との知遇、室町や桃山時代などの古典研究、朝鮮・楽浪漢墓出土の漆器や中尊寺金色堂をはじめとする数々の保存修復をとおして、漆芸の意匠や様式、広範な技法を鋭い洞察と鑑識とで解明し、自らの創作に応用、発展させました。その創作は、まさに近代漆芸の金字塔といっても過言ではないでしょう。
松田権六 本人
松田権六の言葉
「毎日一案は図案を描く。そうするとひと月に30案、1年で365案だから、700、1000案くらいはわけのないことだ。いかに頭の弱い人でも、1000案のあいだに5つから10はすばらしい案があるに決まっている。」
松田権六 蒔絵螺鈿有職文飾箱
松田権六は「漆の神様」を意味する「漆聖(しっせい)」とも呼ばれ、蒔絵の第一人者として文化勲章を受章した人間国宝です。
松田権六 略歴
“うるしの鬼”とも称された漆芸の第一人者松田権六
明治29(1896)年4月20日石川県金沢市に生まれ、既に7歳の時から仏壇職人の兄孝作について蒔絵漆芸を習い始めました。
大正3年石川県立工業学校(漆工科描金部)を卒業し上京、同校教師藤岡金吾の紹介で六角紫水を訪ね、同年東京美術学校漆工科に入学、秋から紫水宅に美校卒業の年まで寄宿しました。
大正8年美校を卒業し、志願兵として1年間入隊する。翌年除隊後、東洋文庫で朝鮮楽浪出土の漆芸品の修理に携わりました。
大正14年、紫水と大村西崖の勧めで並木製作所(パイロット万年筆の前身)に入社し、万年筆やパイプなどに蒔絵を施し世界に広めました。
大正15年、高村豊周、山崎覚太郎らと工芸グループ无型を結成、また、日本工芸美術会結成に参加しました。
昭和2年、並木製作所を退き東京美術学校助教授に就任、この頃、美術校長正木直彦の紹介で益田孝(鈍翁)を知る。
昭和5年、第11回帝展に「多宝塔」を無鑑査出品
昭和8年。には欧州各国へ出張しイギリスではダンヒル商会にパイプの漆加工を指導しました。
昭和11年、日本漆芸院を結成、また、板谷波山、六角紫水らと皐月会を結成します。
昭和6年、帝国議会議事堂御便殿漆工事に携わりました。
昭和14年、には法隆寺夢殿内に新調された救世観音の厨子の漆塗装監督をつとめました。
昭和18年、東京美術学校教授
昭和20年、戦災に遇い自宅を全焼する。戦後は第2回日展から審査員をつとめ、第11回展まで出品したが、日展におけるいわゆる創作工芸になじまずその後日展から離れた。この間、同22年日本芸術院会員となります。
昭和30年、重要無形文化財(蒔絵)保持者に認定され、、社団法人日本工芸会創立に際し理事に就任。以後主に日本伝統工芸展に制作発表を行います。
昭和37年、日本工芸会理事長に就任した。翌38年東京芸術大学を停年退官し、名誉教授となり、同年文化功労者に選ばれました。
昭和39年『うるしの話』(岩波新書)を刊行、同書で翌年第19回毎日出版文化賞を受賞します。
昭和25年、日光二社一寺文化財保存委員会委員となったのをはじめ、国宝中尊寺金堂や正倉院等の保存修理などを指導しました。
昭和49年、日本漆工会結成に際し顧問に就任
昭和51年には文化勲章を受章する。日本と中国の古典技法研究に根ざしながら、漆工芸技術の近代化につとめ豊かで格調高い作品を数多く発表した。代表作に「鶴蒔絵硯箱」(昭和25年、第6回日展)、「有職文蒔絵螺鈿飾箱」(同35年)などがあります。
昭和53年東京国立近代美術館で「松田権六展」が開催される。金沢市、輪島市名誉市民でもあった。没後、6月19日東京都文京区本駒込3-19-17の吉祥寺において、日本工芸会葬(葬儀委員長細川護貞)で葬儀がとり行われました。
昭和61年、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)、文化勲章受章者、東京芸術大学名誉教授の漆芸家松田権六は、6月15日心不全のため東京都千代田区の半蔵門病院で死去した。享年90。
松田権六 蒔絵松桜文棗 1969年
松田の漆芸は古典研究に深く裏付けられ、江戸、桃山、平安、奈良の各時代、さらに中国・朝鮮の文化財にまで研究が及んでいます。
古典研究においても常に制作者としての立場を堅持し、作品意匠や様式などの外的な観察にとどまらず、その構造・技法、使われている用材に至るまで鋭い解明を試み、その成果は松田の作品に見事に結実しています。
「私の師は、物と自然と人である」
と自ら述べているように、その謙虚な心構えと、たゆまない意欲と厳しさがその芸術の基盤となっています。
松田権六の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.松田権六の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
松田権六 査定価格におけるポイント
松田権六の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
松田権六先生の作品は、棗に高値の査定価格がつきます。
市場では、20万円ぐらいが相場です。細かい仕事の作品は200万ぐらいの買取相場です。
保存状態
腕物や棗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
松田権六の作品は細かい漆の蝶貝の作品が評価されます。
松田権六展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
松田権六先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ松田権六の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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