2025年3月16日

深見陶治の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の深見陶治の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

深見陶治の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、深見陶治の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

深見陶治の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の深見陶治のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた深見陶治の作品を鑑定して買取りいたします。

 

深見陶治作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の深見陶治の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

深見陶治 環 2023年

深見陶治 環 2023年

 

泥漿(でいしょう)圧力鋳込みという方法で作品を製作します。その原型は土を使って作ります。土がもっている必然的な形があると思うからです。

 

ですから素材は土じゃないと困るんです。本当は原型は石膏原型でも、ほかの素材を使った ものでも、発泡スチロールでも、なんでも良いんです。しかし、私もやってはみたんですが、やはり私の陶芸作品としての想いの形には到達しないんです。

 

ですので、私は土原型にこだわらなければならないと思っているんですとは、繊細な造形感覚と泥漿 圧力鋳込みという技術によって、陶芸の世界にまったく新しいフォルムをもちこんだ陶芸家の深見陶治の言葉です。

 

そのシャープで、澄明(ちょうめい)な光沢を放つ青白磁の作品は、国内のみならず海外でも高く評価されています。とりわけ日本の現代陶芸が、今日海外で高く評価されている理由のひとつに、深見陶治の陶芸作品が果たした功績は大きいといえるのではないでしょうか。

 

深見陶治 天上の景<渡ル> 1998年

深見陶治 天上の景<渡ル> 1998年

 

純粋造形作品としての陶芸作品の作っているものは、あくまで「焼物」のです。しかし、「焼物」でありながら、どれだけ「焼物」から距離をおけるかということも考えています。

 

つまり、一般通念としての「焼物」とは、距離をおきたいということです。 深見陶治の陶芸は「純粋造形作品」と呼ばれていますが、それは、これまで日本の「焼物」の特徴といわれてきた土味、焼味、手跡、ロクロ目といったもろもろの要素にたよるのではなく、むしろ、そ れらを消し去ることによって、純粋な造形としての作品を創造しようという試みであります。

 

泥漿(磁 土と水に珪酸(けいさん)ソーダを混ぜたもの)による圧力鋳込みという方法も、そのために深見陶治が選択した手法です。泥漿鋳込み(石膏型の吸水性を利用して泥漿を流しこんで成形する方法)そうした手法による「純粋造形作品」に対して、それはもはや、焼物ではなく彫刻ではないかという声も多くあります。

 

普段、私たちは日常的に使われる「焼物」を、見たり触れたりすることでやきものとして捉えていますが、では、なにが「焼物」で、なにが「彫刻」なのかと問われると、その定義はなかなか難しいと思います。しかし、現代陶芸では、粘土-成形-焼成という三つの基本要素にのっとり、陶土-成形-乾燥-削り-施釉-焼成-完成という、「焼物」のプロセスのなかで構築され、かつ土(陶土・磁土)という素材でなければ表現できないものを「焼物」と定義しているようです。

 

 

深見 陶治 青白磁  感

深見 陶治 青白磁  感

 

それに対して「彫刻」とは、同じプロセスで構築されたとしても、とくに土という素材にこだわらず、他の素材でも代用出来るのであれば、それは「彫刻」ということも可能だと思います。 とくに欧米の作家たちにとっては、まず表現したいイメージが優先しますので、たまたま素材のひとつとして土が選ばれることはあっても、土そのものにこだわることはありません。

 

いずれにしても土そのものにはこだわらないとのことでした。むしろ、そういうこだわりは、表現の自由を束縛するものとして嫌われるようです。深見陶治の造形作品が、欧米では彫刻(セラミックスカルプチャー)として捉えられている理由がそこにあります。

 

しかし、深見陶治は、「私の作っているものはやきもので、彫刻ではない」とはっきり断言しています。なぜならば、磁土という素材と青白磁釉を使い、それを焼くという行為を通して、作品を表現したいと考えているからであり、また、土原型に「半磁土(磁土と陶土の両方の性質を兼ねる粘土)」を使うことにこだわるのも、素材として欠かせないものだからです。

 

この土原型は、まず半磁土の手びねりによって作られます。そして、出来上がった軟らかい表面を鉋や鉄ベラなどで削り、なめらかに整えます。その時の微妙な反りや張り、ねじれや稜線(りょうせん)が、深見陶治の作品の命といっ てもいいでしよう。

 

 

 

深見陶治の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.深見陶治の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.深見陶治の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.深見陶治の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.深見陶治の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

深見陶治の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.深見陶治の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます

 

 

 

深見陶治 査定価格におけるポイント

 

深見陶治の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

深見陶治先生の作品は、青白磁オブジェの作品に高値の査定価格がつきます。

 

深見陶治の作品は、大きな立体造形の作品が高評価されます。

 

50万円から150万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

傷や痛みは、査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

深見陶治の作品は、泥漿の作品が評価されます。

 

深見陶治展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

深見陶治先生の作品は、共箱の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ深見陶治の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

 

深見陶治 略歴

 

1947年
京都府に生まれます。

 

1985年
「イタリア・ファエンツア国際陶芸展」グランプリを受賞します。

 

1992年
日本陶磁協会賞受賞。

 

1996年
毎日芸術賞受賞。

 

1999年
イタリア・ファエンツア国立陶芸美術館「世界現代陶芸10人展」に出品します。

 

2005年
ファエンツァ国際陶芸美術館に於いて個展(イタリア)

 

2008年
京都市文化功労者表彰

 

2010年
第三回智美術館大賞「現代の茶─造形の自由」優秀賞受賞

 

2012年
2011年度日本陶磁協会賞・金賞受賞

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年3月14日

小川待子の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の小川待子の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

小川待子の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、小川待子の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

小川待子の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の小川待子のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた小川待子の作品を鑑定して買取りいたします。

 

小川待子作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の小川待子の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

小川待子 作品 1993年

小川待子 作品 1993年

 

幼い頃から鉱物の結晶に惹かれていた小川待子は、その美しさのなかに「かたちはすでに在る」という考え方を見いだし、陶土と釉薬の原型的な魅力を引き出すことによって、作為と無作為の境界を次々と飛び越えてきました。

 

陶芸作品にはどれも、小川待子の独創性をより強固なものとしたアフリカ滞在の経験が息づき、そこに宿る原始の力は観る者を圧倒します。

 

白い陶土の塊から形をとらえ、透明なガラス釉と融合させることによって作り出された「月のかけら」は、採掘された鉱石のような大地の野性を思わせる一方で、宇宙的な幻想世界へと誘います。

 

また、大きな亀裂によって切断された器の中に釉薬がきらめく「燦釉破盤」は、大胆さのなかにも洗練された美が輝き、私たちを魅了します。

 

詩がかたちを持つとしたら、このようなすがたをしているのではないか。小川待子の器とは、これまでも様々な人々に豊かな想像力を喚起させてきました。小川待子は1946年の昭和22年に札幌で生まれます。

 

 

小川待子 立体作品 

小川待子 立体作品 

 

東京芸術大学工芸科を卒業した後、パリでの留学時に鉱物の美しさに衝撃を受けます。何かをすくい取り、水などをたたえておくもの、そして大地から生成し大地に帰ってその器は収縮と拡散のぎりぎりの均衡のなかで、あえて亀裂を見せながらも、その内部に透明な袖薬を輝かせています。

 

その中に包まれ、隠し、たたえる場は、華美で洗練されたこの国の伝統的な工芸を超えて、造型としての原型体をわれわれに示しています。その造型とは、人の作るものの原始的な創生を想起させるとともに、永遠の詩的存在としても見ることが出来ます。

 

 

 

小川待子の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.小川待子の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.小川待子の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.小川待子の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.小川待子の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

小川待子の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.小川待子の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます

 

 

 

小川待子 査定価格におけるポイント

 

小川待子の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

小川待子先生の作品は、オブジェのボール型の鉢の作品に高値の査定価格がつきます。

 

小川待子の作品は、大きな立体造形の作品が高評価されます。

 

10万円から30万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

傷や痛みは、査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

小川待子の作品は、茶碗の様なボール型の作品にガラス釉薬の作品が評価されます。

 

小川待子展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

小川待子先生の作品は、共箱の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ小川待子の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

 

 

小川 待子 略歴

 

1946年
北海道札幌市生まれます。神奈川県湯河原町在住。東京芸術大学工芸科卒。

 

1970年
パリ滞在中、レコール・デ・メティエ・ダールや個人作家のアトリエで陶芸を学びます。

 

1972年
3年半、西アフリカ各地で陶芸を学ぶ。従来の陶器では否定されてきたひびや欠け、釉薬の縮れなど、マイナスの性質をいかした作品を特徴とする。国内外のギャラリー、美術館にて個展・企画展開催。

 

 

受賞履歴

 

1992年
タカシマヤ文化基金新鋭作家奨励賞

 

2001年
日本陶磁協会賞

2007年 第58回芸術選奨文部科学大臣賞

 

2010年
第3回智美術館大賞展 現代の茶ー造形の自由優秀賞

 

2019年
日本陶磁協会賞 金賞

 

 

パブリックコレクション

神奈川県立近代美術館 サントリー美術館 東京国立近代美術館 豊田市美術館 東京オペラシティアートギャラリー 岐阜県現代陶芸美術館 メトロポリタン美術館(ニューヨーク) ヴィクトリア&アルバート美術館(ロンドン) ギメ美術館(パリ) 樂翠亭美術館

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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2025年3月12日

須田剋太の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の須田剋太の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

須田剋太の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、須田剋太の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

須田剋太の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の須田剋太のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた須田剋太の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の須田剋太の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

須田剋太 本人

須田剋太 本人

 

埼玉県に生まれます。本名は勝三郎、中学生在学中より画家を志し、ほぼ独学で洋画を学びます。1935年の昭和10年第23回光風会展に初入選します。以後受賞を重ね、1940年の昭和15年会員となります。

 

それから1936年の昭和11年文展に初入選します。1939年の昭和14年には第3回新文展で特選となります。1949年の昭和24年光風会を辞して国画会に参加します。、1959年の昭和34年同会員に推挙されます。

 

現代日本美術展、日本国際美術展のほか、海外展にも数多く出品します。戦後は西宮に在住して、西宮市内の小中学校や市民美術教室で指導にあたるほか、西宮美術協会代表もつとめました。

 

須田剋太は、当初具象画の絵画世界で官展の特選を重ねました。1949年以降抽象画へと進みます。力強い奔放なタッチが特徴と評されます。司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の挿絵を担当し、また取材旅行にも同行しました。

 

 

須田剋太 ひまわり

須田剋太 ひまわり

 

「永劫に働き続けよ 体験行動を続けよ絶えずその体験を否定し破壊しなければダメ」

 

 

曹洞宗の開祖道元の禅の世界を愛しました。文展に入選した翌年の昭和9年には寺内萬治郎が浦和の別所沼畔のアトリエを訪れ激励して、光風会に入ることを勧められ入会しました。

 

寺内萬治郎の門下生が集まる武蔵野会に参加します。浦和画家のひとり、光風会の里見明正とは同じ熊谷中学校で、別所沼のアトリエも隣り合っていました。また、四方田草炎や林倭衛とも交流しています。

 

1962年の昭和37年西宮市民文化賞、1971年の昭和46年兵庫県文化賞、1977年の昭和52年大阪芸術賞など受賞歴が多数あります。

 

 

須田剋太の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.須田剋太の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.須田剋太の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.須田剋太の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.須田剋太の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.絵画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

 

須田剋太 椿

須田剋太 椿 1988年

 

 

須田剋太の言葉

持続出来ることが、生きることが、ものになるのです。形になるのです。線になるのです。

「私の造形」より

 

 

 

須田剋太の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.須田剋太の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

須田剋太 査定価格におけるポイント

 

須田剋太の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

須田剋太先生の作品は、瓶花の作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から30万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

須田剋太の作品は、抽象画と書の作品が評価されます。

 

掛軸の仕立てが良いと評価されます。

 

須田剋太展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

須田剋太の作品は、抽象時代の作品が高値で取引されております。

 

※このように同じ須田剋太の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

須田剋太 抽象作品

須田剋太 抽象作品

 

「絶対矛盾の自己同一・具象も抽象も帰するところはひとつ」というように、結果的には天衣無縫、感じるままに作品を受け取る見方が正解なのです。

 

 

須田剋太 略歴

 

 

明治39年
1906年5月1日埼玉県吹上町に、須田代五郎、ふくの三男として生まれます。本名は勝三郎。昭和2年埼玉県立熊谷中学校を卒業後、東京の本郷の川端画学校で学び東京美術学校入学を期したが都合4回失敗した。最初光風会展へ出品します。

 

昭和12年
第24回展で光風特賞を受賞します。

 

昭和15年
光風会会員となります。また、新文展では第3回特選を受けます。

 

昭和14年
「読書する男」第5回に「神将」で二度特選を受けます。

 

昭和16年
関西に移住、戦中から戦後にかけて東大寺に寄寓し、仏像や堂塔を多く題材とします。

 

昭和22年
第3回日展に「ピンクのターバン」で特選を受けたが、同年光風会を退会し国画会会員となり、いわゆる官展の流れから離れます。この頃、前衛画家長谷川三郎を知り刺激を受けます。

 

昭和24年
抽象画に没頭します。以後、国画会展、現代日本美術展(昭和29~41年)、日本国際美術展(昭和30~41年)をはじめ、サンパウロ・ビエンナーレ展(昭和32年)、ヒューストン美術展(昭和34年)、プレミオ・リソーネ展(昭和35年)、ピッツバーグ・カーネギー展

 

昭和36年
国際展に制作発表し、激しい感情をこめたダイナミックな抽象表現を展開します。その後、再び具象画を手がけたのち、具象、抽象にこだわらぬ独特な画境を拓いた。また、須田剋太自身が道元禅師の「正法眼蔵」に深く傾倒したように、画業の根底に東洋思想が流れているとの指摘がしばしばなされます。一方、縄文土器や土偶などのプリミティーフな美へも強い関心を示し、そこから独自の絵画論を展開、こども美術展を主宰したりもします。

 

昭和44年
毎日新聞連載の犬養道子「日本人の記録 犬養木堂」の挿絵を描きます。

 

昭和46年
週間朝日で1月1日号から連載の始まった司馬遼太郎の「街道をゆく」の挿絵を担当します、後者は平成2年2月16日発行分(第897回)まで及んだ。「街道をゆく」の挿絵原画は毎月8枚から10枚描かれ続け、「一枚一枚を、完全な絵と思って描く」態度に貫かれ掲載紙ではモノクロ印刷であるにもかかわらず全て彩色されました。その迫力ある重量感が挿絵の“革命”としての評価を得ます。

 

昭和58年
作品集『原画 街道をゆく』で第14回講談社出版文化賞を受賞します。

 

昭和40年
西宮市民文化賞を受けたのをはじめ、兵庫県文化賞。

 

昭和49年
吹上町文化賞、大阪文化賞。

 

昭和52年
主な個展は、東京・日本橋三越以来、同店、名古屋丸栄、大阪・阪急の三ケ所でほゞ半年間隔で開催されたものがあげられる。

 

昭和63年
国画会を退会。晩年は天衣無縫な生活とは別に、関西の画家中所得番付がトップを占めるなどその作品の評価と価格は上がったが、平成元年、手持ちの自作の全てを公的機関(大阪府2134点、埼玉県立近代美術館225点、飯田市美術博物館458点)に寄贈し話題を呼びました。

 

昭和59年
画集『私の曼陀羅-須田剋太の世界』を刊行します。

 

平成2年
具象画、抽象画にこだわることなく独自の力強く生命感あふれる作風を築きあげた洋画家の須田剋太は、7月14日心不全のため神戸市北区の社会保険中央病院で死去しました。享年84。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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2025年3月4日

猪原大華の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

所蔵の猪原大華の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

猪原大華の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、猪原大華の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

猪原大華の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の猪原大華のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた猪原大華の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の猪原大華の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

猪原大華 静日

猪原大華 静日

 

猪原大華は、福山市神辺町の生まれます。画家を志して大阪に出て、同郷で5歳年長の日本画家の金島桂華の知遇を得ます。大正7の1918年に京都市立絵画専門学校に入学して、同校在学中の大正10(1921)年 第3回帝展に《鷄》が初入選します。

 

土田麦僊に傾倒し、麦僊らの主導する国画創作協会にも参加しました。土田麦僊没後は、大学時代の師匠の西村五雲の晨鳥社に入ります。戦後は日展に出品して、昭和29年の1954年に、第10回日展で《池》が特選に選ばれ、続いて昭和32年の1957年の第13回日展出品作《梅》も特選を受賞します。

 

 

猪原大華の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.猪原大華の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.猪原大華の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.猪原大華の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.猪原大華の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

猪原大華 部屋の花

猪原大華 部屋の花

 

 

 

 

猪原大華の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.猪原大華の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

猪原大華 査定価格におけるポイント

 

猪原大華の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

猪原大華先生の作品は、花鳥画の作品に高値の査定価格がつきます。

 

2万円から15万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

猪原大華の作品は、小禽の描かれたの作品が評価されます。

 

額装の仕立てが良いと評価されます。

 

猪原大華展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

猪原大華の作品は、晩年の作品が高値で取引されております。

 

※このように同じ猪原大華の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

 

猪原大華 略歴

 

1897年
明治30年2月17日広島県深安郡に生まれます。本名は寿。

 

1918年
京都市立絵画専門学校に入学します。

 

1921年
在学中、第3回帝展に「群鶏」を出品し初入選します。

 

1923年
卒業とともに同校研究科に進みます。

 

1929年
退学、同校の嘱託教員となった。翌年3月福田平八郎、山口華楊に同道して1ヶ月間中支へ旅行し、8月に京都市立美術工芸学校へ嘱託教員として転勤しています。

 

1937年
正教諭となります。

 

1950年
依願退職し、翌年京都市立美術大学の専任講師なります。

 

1958年
助教授になります。

 

1963年
教授となります。

 

1969年
広島私立比治山短大教授となります。

 

1974年
京都嵯峨美術短大教授をつとめていた。絵は初め土田麦僊に学び、麦僊没後西村五雲の晨鳥社に移ります。

 

1938年
西村五雲が没すると、山口華楊とともに塾の指導にあたった。帝展・文展・日展を中心に活躍します。

 

1954年
と1957年に特選・白寿賞を受賞します。

 

1960年
会員となります。審査員を4度務めます。

 

1968年
評議員になります。

 

1974年
参与となります。

 

1964年
紺綬褒賞を受章します。

 

1972年
第4回日展の「浄池」で総理大臣賞。

 

1974年
芸術院恩賜賞を受け、勲三等瑞宝章を受章した。また京都市文化功労賞、京都府美術工芸功労賞なども受け、その功績を認められている。京都派の流れを汲み花鳥花木図を得意としたが、装飾的画題を荒いタッチで処理した独特の画風を展開した自然観照に基づいた穏健な画風と枯淡な色彩で知られており、写実を越えた現代花鳥画の方向性を導く物として期待され、装飾的画題を荒いタッチで処理した独特の画風を展開しました。

 

 

猪原大華 画歴

1921年
第3回帝展 「郡鶏」

 

1922年 
第4回帝展 「七面鳥」

 

1925年 
第5回国画創作協会展 「干鰈」

 

1926年 
第6回国画創作協会展 「果樹」

 

1927年 
第8回帝展 「若桐」

 

1928年 
第9回帝展 「残る夏」

 

1930年 
第11回帝展 「桃」

 

1931年 
第12回帝展 「牡丹花」-土田麦僊研究所、山南塾となる-1932年 第13回帝展 「春苑」

 

1933年 
第14回帝展 「秋初むる小鳥」京都市美術館記念展 「鉄剪花」

 

1934年 
第15回帝展 「水禽図」第1回京都市展 「後庭浅春」 緑賞

 

1936年 
文展鑑査展 「秋趣」-6月10日麦僊死去、塾閉校-

 

1937年 
-西村五雲塾晨鳥社入塾-

 

1938年 
第2回新文展 「閑日(農具と鶏)」9月5日 五雲死去-塾閉校、9月再興晨鳥社入塾-

 

1940年 
2600年大毎展 「棕梠」秋 紀元2600年奉祝美術展覧会 「首夏」第6回京都市展 「鶏頭」

 

1941年 
第7回京都市展 「椿」

 

1942年 
第8回京都市展 「鶏」 緑賞

 

1943年 
第6回新文展 「鶏舎」

 

1946年 
第2回日展 「鶏」第1回京都市展 京展と改称

 

1947年 
第3回日展 「牡丹」朝日新聞社主催総合現代展(招待)

 

1948年 
第4回日展 「蓮池」第2回 朝日現代展(招待)京都新聞社現代展(招待)

 

1950年 
第1回全関西総合展 「静物」 佳作賞

 

1951年 
第7回日展 「河骨の咲く池」

 

1952年 
第8回日展 「池と材木」京展再出発 「池畔」 紅賞

 

1953年 
第9回日展 「樹間」

 

1954年 
第10回日展 「池」 特選 白寿賞3月 日本画賞 美術評論社

 

1955年 
第11回日展 「池」 無鑑査

 

1956年 
第12回日展 「月」

 

1957年 
第13回日展 「梅」 特選 白寿賞

 

1958年 
第1回新日展 「竹」 委嘱

 

1959年 
第2回新日展 「篁」 審査員滋賀県展 審査員

 

1960年 
第3回新日展 「水」 会員

 

1961年 
第4回新日展 「池」京展 審査員

 

1962年 
第5回新日展 「樹」大阪関西総合展 審査員

 

1963年 
第6回新日展 「池」京展 審査員東京朝日主催選抜秀作展 「樹」(招待出品)(東京三越)

 

1964年 
第7回新日展 「白梅」第2回朝日秀作展 「水草の池」(招待)東日大毎国際展(招待)紺綬褒賞受章

 

1965年 
第8回新日展 「暖」東日大毎展(現代)(招待)

 

1966年 
第9回新日展 「河骨」 審査員京展 審査員大毎主催国際展(招待)

 

1967年 
第10回新日展 「庭の椿」大毎現代展(招待)東京高島屋にて第1回個展

 

1968年 
第11回新日展 「梅花」 評議員京都府主催 素描展

 

1969年 
第1回改組日展 「黄葉」 評議員京展 審査員

 

1970年 
第2回改組日展 「秋の陽」 評議員

 

1971年 
第3回改組日展 「老梅」 審査員 評議員京展 審査員

 

1972年 
第4回改組日展 「浄池」 総理大臣賞、評議員

 

1973年 
第5回改組日展 「清明」 (芸術院恩賜賞を受賞)評議員

 

1974年 
第6回改組日展 「若い松」 参与勲三等瑞宝章を受章富山県展 審査員

 

1975年 
第7回改組日展 「松」 参与京都市文化功労者賞滋賀県展 審査員

 

1976年 
第8回改組日展 「慈光」 参与

 

1977年 
第9回改組日展 「鯉」 参与京都府美術工芸功労者賞を受賞 京都朝日画廊にて個展

1978年 
第10回改組日展 「悠泳」 参与 京都美術館評議員となる。

 

1980年 
日本画家で日展参与の猪原大華は、2月5日午前零時15分、胃ガンのため京都市中京区の丸太町病院で死去した。享年82。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2025年3月3日

石川晴彦の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

所蔵の石川晴彦の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

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石川晴彦の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の石川晴彦のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた石川晴彦の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の石川晴彦の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

 

石川晴彦 観静音菩薩

石川晴彦 観静音菩薩 

 

京都府与謝郡に生まれます。本名は利治。1914年の大正3年に、京都市立美術工芸学校絵画部に入学します。1918年の大正7年、同校を中退して、上京を志しますが、途中京都で第1回国画創作協会展を見て感激します。上京を中止し、翌年入江波光の最初の弟子となります。

 

デューラー、ホルバインにひかれ細密描写を試みます。1923年の大正12年に、同志と結成した生作社展によって村上華岳に認められます。1924年の大正13年、1926年の大正15年に国画創作協会展に連続入選します。

 

1928年の昭和3年国画創作協会解散の後を受けて結成された新樹社の会員となりますが、翌年の同会解散後は専ら個展による活動を続けます。この頃より村上華岳の影響を受けた水墨作品を制作します。1936年の昭和11年妻の病死を機に水墨の仏画を描き始め、これにより高い評価を受けます。1937年の昭和12年頃から晴彦の画号を用います。

 

昭和後期まで活躍した日本画家。入江波光、村上華岳の両巨匠に師事し、特に村上華岳から受けた仏画の影響は 石川晴彦の作品から多分に見て取る事が出来きます。

 

石川晴彦 は西洋の中世宗教画を研究して、仏教を学び座禅をし、古画や仏像を見て歩きました。師の影響を受けながらも、自分なりの仏画を完成させる為にただひたすらに努力を積み重ねました。そんな石川晴彦が描く仏画はどこか西洋的な情緒を漂わせながらも、単なる宗教画ではない人間的な温かみと、安らかで清浄な印象を感じさせます。

 

 

石川晴彦 不動明王

石川晴彦 不動明王

 

 

 

 

石川晴彦の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.石川晴彦の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.石川晴彦の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.石川晴彦の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.石川晴彦の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります

 

 

 

石川晴彦の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.石川晴彦の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

石川晴彦 査定価格におけるポイント

 

石川晴彦の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

石川晴彦先生の作品は、仏画の作品に高値の査定価格がつきます。

 

5万円から20万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

石川晴彦の作品は、観世音菩薩の描かれたの作品が評価されます。

 

表装の仕立てが良いとと評価されます。

 

石川晴彦展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

石川晴彦の作品は、晩年の作品が高値で取引されております。

 

※このように同じ石川晴彦の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

 

 

石川晴彦 略歴

 

明治34年
1901年、京都生まれの画家で、本名は利治といいます。入江波光、村上華岳に師事し、仏画を多く手掛けたことで知られております。彼の作品の中には、村上華岳よりも明るめの色調を使った仏画が多いように思われます。

大正8年
入江波光に師事した後、デューラーやホルバイン風の細密描写を試みるようになります。

 

大正12年
『父母の肖像』などの作品が博覧会で賞を受けたことや、入江波光らから賛助を得たことによって、「生作社」というグループを結成します。そして、グループ展を開催し、村上華岳に認められることになります。その後、第4回国画創作協会展に入選し、「老父」という作品は、村上華岳が買い上げたということです。

 

昭和11年
妻の静子が亡くなってからは、仏画や水墨画の制作に没頭してゆきます。

 

昭和55年
享年78歳でこの世を去ることになります。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

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