2026年1月6日
日本漆器の原点「根来(ねごろ)」の歴史と魅力を解説 〜北岡技芳堂の骨董品買取りブログ〜
今回は、昨年から東京のサントリー美術館で開催されている「NEGORO 根来 ― 赤と黒のうるし」展のレポートです。日本文化と切っても切り離せない存在である「漆器」。その中でも根来(ねごろ)と呼ばれる漆器は「漆器の祖先」と呼ばれ、古今のコレクターの心を掴んでやみません。本記事では根来の歴史や特徴、展覧会の見どころを通して、日本漆器の原点ともいえる根来の魅力を詳しくご紹介します。会期が迫っていますので、ご興味のある方はお早めにどうぞ。
■豊臣秀吉に滅ぼされた技法が400年ぶりに復活|根来塗の歴史
根来の漆器は鎌倉時代に生まれました。高野山(和歌山県伊都郡高野町)での対立を受け、1140年ごろに覚鑁(かくばん)上人という真言宗の僧侶が紀伊国根来寺(現在の和歌山県岩出市)を開創します。この根来寺で僧侶たちがつくりはじめた漆器が、根来の起源とされています。彼らは後に「根来衆」という戦闘集団として歴史に名を残すことになるのですが、もともと鉄や木、漆を自在に加工する技術者集団でもあったのです。根来の製造には一般の漆器にはない独自の工法が用いられ、時を重ねるうちにその技術は発展していきました。
やがて戦国時代に入り1585年、反目していた豊臣秀吉に攻め込まれ、根来寺は焼失。僧侶たちは全国各地に散らばり、根来の伝統的な技法は失われました。この時流出した技術が、地元和歌山県の紀州漆器や石川県の輪島塗に受け継がれたといわれています。
そして迎えた江戸時代、工芸に詳しい知識人たちが根来をブランド品として珍重するようになり、茶の湯などにも用いられるようになります。江戸後期に入っても京の漆芸家・佐野長寛が根来を愛蔵するなどその人気は衰えず、明治期以降も日本画家の橋本関雪や安田靫彦、民芸運動を指導した柳宗悦らも根来の美に注目したことにより、その名は確固たる地位を築きます。
一度は途絶えた漆器づくりでしたが、近代から戦後にかけて岩出市の地元産業として復活します。高度成長期には樹脂成形やスクリーン印刷による蒔絵などを導入し、昭和50年代に最盛期を迎えました。しかし、その後は安価な中国製品に押される形で徐々に衰退。県は漆器の研究機関を設けるなどして、戦国時代に失われた技術を再現する試みに取り組みます。そして2000年、400年以上途絶えていた中世当時の技法を塗師である池ノ上辰山氏が現代に蘇らせ、2019年に文化庁長官表彰を受賞。新たな価値をもつ作品を生み出すとともに、技術の伝承および人材の育成に心血を注いでいます。

根来塗の湯桶
■頑丈で使いやすく、使い込むほど美しい|根来塗の特徴
鎌倉時代に誕生してからおよそ900年。長い歴史を持ち、輪島塗など日本を代表する漆器の源流となったことから「漆器の祖先」とも言われる根来は、堅牢な下地と黒漆の中塗、鮮やかな朱漆の上塗りで知られています。主に食事用の什器としてつくられ、内戦が続く激動の時代に誕生した背景から、使いやすさ、持ち運びやすさ、頑丈さを追求したつくりが特徴です。そのため扱いの難しい漆器が多い中で、根来は特別な気遣いを必要とせず、日常の器として気兼ねなく使えます。例えば、一般的な漆器は沸騰したばかりの熱湯を注ぐと変色やひび割れを起こしてしまいますが、根来はびくともしません。そのため食器洗い乾燥機でも洗うことができますし、うっかり落とした程度で欠けるようなこともありません。それどころか経年変化で表面の朱漆が剥がれ、下地の黒漆が文様のように浮かび上がる様子の美しさから「用の美」を体現した器ともいわれています。
派手な装飾のないシンプルな見た目ですが、その製作工程は非常に複雑です。ケヤキ、ヒノキ、コクタンなどの木材を椀や酒器などの形に削り、まずは木地に下地となる生漆を塗り込みます。その後、砥の粉と生漆を混ぜた錆(さび)をヘラ付けすることで、下地の堅牢さを高めるとともに、器の角や縁などの欠けやすい部分は麻布を貼ることで補強し、布目を錆で埋めて滑らかに仕上げます。19工程に及ぶこの入念な下地づくりこそが、厳しい環境下での実用に耐える根来の強さを支えているのです。
下地が終わるとようやく黒漆の下塗りに入ります。表面の乾燥を待ってから研ぎと塗りを繰り返し、最後に朱色の漆を上塗りしてようやく完成です。一般的な漆器では着手から完成まで1か月程度で済むところ、根来では3か月以上の時間をかけてつくり込んでいきます。特に下地となる漆の層が厚く、一般的な漆器の2〜3倍の厚さに及ぶそうです。
根来寺の焼き討ちから現在に至るまでの間に全国でつくられるようになっており、それぞれの地名をつけた京根来、奈良根来、吉野根来、薩摩根来、堺根来や、朱漆を塗らない黒根来、黒漆の上に青色の漆を塗った青根来など、多種多様な根来を楽しむことができます。

根来瓶子 室町時代
■展覧会の見どころ
盛況のうちに閉会した大阪での前期展示を経て、現在は東京で開催されている後期展示。根来寺でつくられた漆器を起点に、寺院・神社の道具として生まれた器が、時間を経て人々の暮らしへと浸透していく過程を、選び抜かれた作品群とともに辿る展示内容です。また、根来産以外にも東大寺、興福寺、西大寺、法隆寺の品など名だたる奈良の古社寺でつくられた作品たちも展示されており、そのほか東京国立博物館所蔵の陶磁器の天目形を模した根来椀(1391年)や、南北朝時代・明徳元年(1390年)に足利義満らが奉納した熊野速玉大社古神宝類の唐櫃、愛知県一宮市の真清田神社に伝わる室町時代・長禄元年(1457年)の神饌具一式など、数々の重要文化財が出展。最後の「根来回帰と新境地」コーナーでは白洲正子や黒澤明らの文化人が根来を愛したエピソードや、近現代の愛好者の愛蔵品も取り上げられており、普遍的な用の美の魅力を再認識することができます。寺院の道具として生まれ、人々の暮らしへと溶け込み、そして再び美術として見つめ直される――根来という漆器の歩みを、実物を通して体感できる展示構成です。
「NEGORO 根来 — 赤と黒のうるし」
会期:2025年11月22日(土)~2026年1月12日(月・祝)
会場:サントリー美術館(東京都港区赤坂)
時間:10:00~18:00(金曜日は10:00~20:00)
休館日:火曜日
※1月10日(土)は20時まで開館
※いずれも入館は閉館の30分前まで
◎鑑定人プロフィール
北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2026年1月5日
あけましておめでとうございます。
2026年は、暦の上では60年に一度めぐってくる丙午の年になります。60年というと「還暦」と同じ長さで、ひと回りして同じ場所に戻ってきたように見えるのに、実際には景色がすっかり変わっているところが面白いところかもしれません。
前回の丙午だった1966年を思い出すと、空気の温度が伝わってくる出来事がいくつもあります。日本ではビートルズが武道館で公演を行い、東京のど真ん中が少しざわついた時代でした(初日は1966年6月30日)。景気の面では、いざなぎ景気が「戦後最長級の好況」として動き出していて、暮らしの憧れは“3C”──自動車・カラーテレビ・クーラーへ向かっていきます。その一方で、全日空羽田沖墜落事故(1966年2月4日)に象徴されるような痛ましい出来事もありました。 政治の世界でも「黒い霧解散」(1966年12月27日)という言葉が残っていて、成長と混乱が同じ年の中で並走していたことがわかります。 世界に目を向ければ、中国では文化大革命が始まり(1966年)、 サッカーW杯はイングランドが初優勝しています(大会は1966年7月11日〜30日)。

1966年ビートルズ来日
では、60年後の2026年はどうなるのか。もちろん未来は断言できませんが、「時代のクセ」みたいなものなら輪郭が見えてきます。景気や金融の話でいえば、世界全体の成長率は2026年に3.1%程度と見込まれていて、急加速というより“減速しながら続く”絵が想定されています。 日本については、OECDが実質GDP成長率を2026年・2027年とも0.9%程度と見通し、国内需要が主役になりやすいとしています。さらに足元では日銀が「物価・賃金の見通しが整えば利上げを続ける」と発言しており、長い“超低金利の時代”から、少しずつ空気が変わっていく年になりそうです。同じ「景気」という言葉でも、1966年のような一直線の加速ではなく、変化を確かめながら歩く感じが近いのかもしれません。
それでも、2026年が“世界の目線が一つになる瞬間”をいくつも抱えているのは確かです。2月にはミラノ・コルティナ冬季五輪(2月6日〜22日)があり、 夏には北米でサッカーW杯(6月11日〜7月19日)が開催されます。1966年の熱狂が「カラーテレビの前に人を集めた」とするなら、2026年の熱狂はスマホの中で同時に起きて、同時に冷めていくのかもしれません。盛り上がりが速い分、次の日には別の話題に移っている、そんな忙しさも含めて、いまの時代らしさがあります。

2026年1月、丙午の炎のような情熱的な日の出の輝き
丙午という言葉自体も、2026年を語るうえで外せない味付けです。1966年は迷信の影響で出生数が大きく落ち込み、約136万1千人と前後の年より約50万人少なかったとされています。「根拠の薄い噂が、社会の数字を動かしてしまう」ことが本当に起きた年でした。2026年の私たちは、当時よりずっと多くの情報に触れられますが、同時に“それっぽい話”も勢いよく拡散します。だからこそ今年は、火を「燃え広がるもの」にするより、「灯り」にするほうへ意識的に舵を切れる年なのかもしれません。
60年前の丙午は、成長のエネルギーと、社会のざわめきが同居していました。2026年も、きっと似た形で同居する部分がありそうです。ただ、その扱い方は変えられるはずです。勢いに飲まれきらず、噂に縛られすぎず、暮らしの道具も、お金の使い方も、情報の受け止め方も、少しずつ「自分の手触り」に戻していく。そんな一年として書き始めると、丙午という暦の偶然が、今年の“テーマ”に自然となってくれる気がします。
今年1年もどうぞよろしくお願いいたします。
◎鑑定人プロフィール
北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2025年12月27日
長い歴史と幅広い種類をもつ 硯の査定・買取は、 北岡技芳堂にお任せください!
こんにちは。北岡技芳堂・鑑定人の北岡です。普段あまり使う機会のない「硯(すずり)」ですが、種類や産地、時代によっては数十万円〜数百万円の買取価格がつく骨董品が多く存在します。特に唐硯(とうけん)や古硯(こけん)と呼ばれるものは、美術的・歴史的価値が評価され、高価買取の対象となるケースも少なくありません。
もし、お手持ちの硯の査定をお考えの方がいらっしゃいましたら、ぜひ当ギャラリーにご相談ください。あらゆるジャンルの骨董品・宝飾品に精通した鑑定人として、私が責任を持って査定いたします。本記事では硯の価値・査定ポイント・高値がつく硯の特徴を、鑑定人の視点から詳しく解説しております。査定・処分をお考えのお客様の一助となれば幸いです。

古端渓硯
<歴史>単なる道具から美術工芸品になるまで
硯の発祥は中国です。殷代(紀元前1600〜1046年頃)から石の皿などを用いて墨と水を混ぜ合わせていましたが、紀元前5〜3世紀頃になると陶製や石製の簡素な容器が硯として使われ始めます。その後、漢代には墨を磨るための「墨堂(ぼくどう)」と水を貯める「墨池(ぼくち)」を備えた、現在に至る硯の原型が確立されました。
唐代(618~907年)に至ると、科挙制度の確立などにより知識人階級が急増します。書の修練に不可欠な硯は単なる日用品から文化的価値のある美術品へと格上げされ、素材も陶器から天然石(石硯/せきけん)へと移行していきます。この時期は四大名硯(めいけん)をはじめ多様な名硯が生み出されたことなどから「硯の黄金時代」と呼ばれています。
宋代(960〜1279年)での硯は主に鑑賞の用途に使われ、石肌や色、石紋を愛で、その美しさや機能性を称える詩歌を詠む文人たちが多く現れます。この頃につくられたものを「古硯の最高峰」とする専門家も多くいるほどです。その後、文房具一式を揃える「文房清玩(ぶんぼうせいがん)」の思想が広まることで硯は知的ステータスの象徴となりました。
清代〜近代においても四大名硯の産地・技術が変わらず主流である一方、著名な文人や芸術家による銘入りの硯が高く評価されるなど、美術的・文化的価値のバリエーションが広がっていきました。
世界的に見ると、硯の主要産地は二箇所あります。中国と、もう一箇所が日本です。弥生時代後期(1世紀頃)に漢字の文化とともに中国から伝来したとされる硯は、古墳時代以降しばらくは陶製のものが多く使われました。
平安時代中期には中国の影響を受けて石硯が主流となり、日本においても石硯がつくられるようになりました。長崎県産の若田石硯は、紫式部が「源氏物語」の執筆に使ったという伝承が残されています。
鎌倉時代から室町時代にかけては禅宗の普及などにより書院文化が発展。硯を含む文房具は、精神修養の道具として扱われるようになりました。硯箱(すずりばこ)の製作技術が発達し、硯本体を箱に入れて使用・保管するようになるのもこの頃です。中国からの輸入品を珍重・収集する風習が生まれ、特に東山時代には書院に文房具が飾られるなど、唐硯(とうけん/中国の硯)が人気を集めました。
江戸時代に入ると、藩校教育の普及などを受けて書道文化が全国的な広がりを見せます。商業・流通網の発達などもあって日本全国で硯の需要が急速に高まり、和硯(わけん/日本の硯)の全盛期を迎えました。硯箱や硯屏(けんぴょう)など周辺工芸品も発達し、結納品や進学祝いなどの贈答品として使われるようにもなり、道具以外の価値を持つようになっていきます。寛政7年(1795年)に編纂された「和漢研譜」によると、この時の硯産業の発展により全国で100種類以上もの硯石が使われるようになり、多種多様な硯が生み出される一大産業に発展しました。
明治以降の近代では毛筆文化の衰退により日常から遠ざかるものの、書や日本画の分野での重要性・価値が変わることはありませんでした。現在では書道具、工芸品、美術品・骨董品という複数の顔を持ち、上質な石質・作行(さくゆき/作品の出来栄え)を有する硯は依然として高い評価を受けています。
<特徴>唐硯と和硯の違い 〜中国硯と日本硯それぞれの特徴〜
硯は墨・筆・紙と並ぶ「文房四宝」の一つとして、東アジアの書画文化を支えてきた極めて重要な道具です。その歴史は単なる文具としての発展にとどまらず、思想や美意識、工芸技術の変遷とも深く結びついています。
現在主流となっている「石硯」は発墨に優れるなどの機能性はもちろん、石そのものが美しく、彫刻もしやすかったことなどから美術的・工芸的価値を持つ硯の製作に適していたため普及が進みました。石製や陶製のほかにも鉄や銅などの金属、瓦、木材、ガラス、樹脂でできたものなど原材料はさまざまです。
墨を磨(す)るための墨堂、液体状となった墨を一時的に貯めておく墨池から成り、一般的には平べったい箱状の「長方硯(ちょうほうけん)」が知られていますが、陶製の硯にみられる円形の皿を多数の脚で支える「円面硯(えんめんけん)」、平らで墨池のない「板硯(いたすずり)」などさまざまな形状のものがあります。
◎唐硯(とうけん):中国産硯の特徴と価値
中国産の石でつくられた硯を「唐硯」と呼びますが、これまで長い歴史の中で多くの産地が生まれました。その中でも素材の上質さ、墨の発色の美しさ、多くの皇帝や知識人たちに愛されてきた歴史的価値などから、下記の端渓硯(たんけいけん)、歙州硯(きゅうじゅうけん)、洮河緑石硯(とうがりょくせきけん)、澄泥硯(ちょうでいけん)を「中国四大名硯(めいけん)」と呼び、古くから現在に至るまで高く評価しています。諸説あるため、見解によっては松花江緑石硯(しょうかこうりょくせきけん)や紅糸石硯(こうしせきすずり)を含む場合もありますので、あわせてご紹介いたします。

古歙州硯
・端渓硯(たんけいけん):広東省肇慶市(端渓)産。希少な天然石「端渓石」からつくられる硯の最高峰です。古来より書道や観賞用として愛され、権威の象徴として珍重されてきました。鋒鋩(ほうぼう/墨を削る部分)が細かく均一で、滑らかな墨おりと美しい発色が特徴です。石紋が多彩で、「石眼」などの希少な模様が見られることも。
・歙州硯(きゅうじゅうけん):江西省歙州産。端渓硯と並ぶ中国の代表的な名硯です。石質は硬めで緻密ですが肌触りはやや荒く、松煙墨などの硬い墨を磨るのに特に適しており、魚の卵が散らばったような魚子紋や、星を思わせる金色の斑点や雲のような金星・金暈紋といった美しい天然の石紋が特徴です。
・洮河緑石硯(とうがりょくせきけん):甘粛省洮河産。青緑色の「洮河緑石」でつくられた硯で、その希少性から「幻の硯」「究極の硯」とも呼ばれます。墨が滑らかに磨れ、発墨が良い上に、水で洗うだけで硯面がきれいになる実用性と、雲や水のような美しい石紋を持つ高い芸術性を兼ね備えています。その製作技術や文化的価値が高く評価されていることから、保護の対象となっている貴重な硯です。
・澄泥硯(ちょうでいけん):山西省産(諸説あり)。他の3種が天然石であるのに対し、これのみ泥を焼いてつくられる陶硯です。黄河の底に沈む泥を精製・焼成してつくるこの硯は、硬い墨でも驚くほど楽に磨ることができ、きめ細かい墨が必要な淡墨作品に最適とされています。焼成温度や泥の調合、原料の違いによりさまざまな色合いを生み出すことが可能で、その製法の神秘性や芸術性から「伝説の硯」とも呼ばれることもあります。
◎そのほか下記を四大名硯に数える向きもあります。
・松花江緑石硯(しょうかこうりょくせきけん):吉林省松花江産。爽やかな青緑色と美しい縞模様、硬い石質ながら滑らかな鋒鋩が特徴。清代に発見された比較的新しい硯ですが、その品質は端渓硯にも劣らないと高く評価されています。彫刻が施されたものも多く、書画用のほかに収集品としても高い価値があることから、中国国内はもとより日本や東南アジアでも人気が高い硯です。
・紅糸石硯(こうしせきすずり):山東省魯地方産。紅糸石(紅絲石)という石材からつくられる硯です。肌理(きめ/表面の質)が細かく潤いがあり、墨を磨る力が強いことで知られています。黄色や淡紫色の地色に、鮮やかな紅色の糸のような模様が特徴的で、唐の時代から文人たちに珍重されてきました。これら魯地方で産出される硯全般を「魯硯(ろけん)」と呼びます。
◎和硯(わけん):日本産硯の特徴と価値
唐硯に対し、日本でつくられる硯を特に「和硯(わけん)」と呼びます。玄昌石、赤間石、雨畑石、那智黒石など日本各地の良質な硯石を使用しており、唐硯に比べると地味な印象を受けることもありますが、落ち着いた色調や紋様が魅力です。日本にも代表的な硯が多くありますので、唐硯と同じようにいくつかご紹介します。
・雄勝硯(おがつすずり): 宮城県石巻市産。石巻市雄勝町で産出される「雄勝石」を使い、約600年の歴史を持つ手作りの伝統工芸硯です。漆黒の美しい光沢と、墨の磨りやすさ・発色の良さで知られ、耐久性も高く長く愛用できることから、書道界で高く評価されています。東日本大震災で壊滅的な被害を受け生産が一時停止していましたが、幸いなことに技術も採掘場も失われていなかったため、現在では復興されています。
・赤間硯(あかますずり): 山口県産。「赤間石」という天然石を原料につくられる、国の伝統的工芸品に指定された硯です。きめ細かく、発色が良く伸びの良い墨が磨れる実用性と、赤褐色の美しい色合いや彫刻の美しさを兼ね備え、鎌倉時代から続く歴史を持つ書道具として珍重されています。
・雨畑硯(あめはたすずり): 山梨県産。「雨畑石」という黒色の緻密な粘板岩を原料とした、日本を代表する高級和硯です。水分の吸収が少なく墨おりが良いこと、硯表面の鋒鋩が細かく均質で、墨を擦ると滑らかに伸びて墨色が鮮やかに出ることが特徴的です。700年あまりの歴史を持ち、職人の手作業で彫り上げられる伝統工芸品として中国の硯にも匹敵すると高く評価されています。
・那智黒硯(なちぐろすずり): 和歌山県産。黒色で光沢のある「那智黒石」でつくられた硯で、緻密な石質と適度な硬度から墨が馴染みやすく、滑らかで美しい墨色を生み出すため書道家に珍重されています。原石の自然な形を活かしつつ、職人が丁寧に削り磨くことで得られる滑らかで美しい曲面が特徴的な硯です。
<価値>買取価格が高くなる硯の特徴とは?
硯は100年以上前につくられた「古硯(こけん)」と、つくられてから100年に満たない比較的新しい「新硯(しんけん)」に分けられます。古硯には骨董的価値・工芸的価値が高いものが多くある一方、新硯にも一部名硯はあるものの、実用的なものが大半です。古硯の中でも先ほどの中国四大名硯は特に珍重され、端渓硯の中で「老坑」「坑仔厳」「麻子坑」など特定の採掘坑から採れる石でつくられた硯はさらに希少価値が高く、数百万円の値がつくものもあるほど。
石そのものの価値のほかに、観賞用の高級硯では硯石の表面に「青花」「火捺」「翡翠」「石眼」などさまざまな斑紋が見られ、こうした紋様や彫刻の美しさも価格に影響します。また、高級な硯は硯箱に収められているものも多く、こうした付属品とともに作家の印や鑑定書が揃っていると価値がグッと上がります。
単なる書画の道具としての枠を超え、その美しさや歴史的価値からコレクターの人気を集める硯ですが、真贋や市場価格を正しく評価するためには深い知識と豊かな経験が必要不可欠です。もしお手元の硯について詳しく知りたいというお客様がいらっしゃいましたら、ぜひ当ギャラリーにご相談ください。経験豊かな鑑定人である私が、責任を持って査定いたします。
◎鑑定人プロフィール
北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2025年12月20日
記録的高値が続く「銀」の売却タイミングとは? 〜北岡技芳堂の骨董品買取りブログ〜
昨今、金やプラチナの歴史的な価格高騰がニュースになっていますね。しかし、それ以上の価格上昇率を記録し「デビルズ・メタル(悪魔の金属)」と呼ばれている金属があるのをご存じでしょうか。その金属こそが「銀」です。当ギャラリーで扱う骨董品や美術品とも縁の深いこの金属が、なぜ高騰しているのか、今後はどうなるのか、そして今取るべき行動とは。これらについてまとめましたので、ご興味のある方にご一読いただければ幸いです。

純銀インゴット
■1年で2倍!銀価格高騰の要因
貴金属の一種である銀は、美しい輝きと優れた耐久性・耐食性を持ち、宝飾品をはじめ電子機器や太陽光パネルなど幅広い工業分野でも必須とされています。その希少性ゆえ、金やプラチナと同じように安全資産として運用されることも多い金属です。
この銀が近年、稀に見る価格上昇を記録しています。銀は「トロイオンス」という単位で取引されるのですが、2016〜2019年にかけては1トロイオンスあたり15~20米ドル前後で安定して推移してきました。しかし新型コロナウイルスのパンデミック発生を機に価格上昇に転じ、2024年に1トロイオンス30米ドル台に突入します。2025年に入ってからの上昇は凄まじく、年央には40米ドル、12月には65米ドルを突破。2024年比で倍以上(110%超)の価格をつける勢いで、史上最高値を更新し続ける状況が続いています。
記録的な価格高騰の最大の要因は、工業・産業需要の急激な増加です。銀は半導体製品の電極や配線、接合、放熱などに欠かせない金属として、近年のAI向けチップおよびデータセンター用半導体、EV向けパワー半導体の増産による影響をダイレクトに受けています。そのほかにも世界的に需要が拡大し続けている太陽光パネルや通信基地局、医療機器などの製品製造にも必要不可欠です。
また、投資需要の拡大も見逃せません。インフレ懸念や金融市場の不安定さから、投資家が銀をはじめとした実物資産へ資金を移す動きが強まっています。加えて、増え続ける需要に対して供給に追いついていないことや、米国が戦略的鉱物に分類したことで経済安全保障上のリスクが高まっていることなど、複数の要因が重なり現在の高騰を招いているのです。

様々な銀製品
■骨董品・美術品も高値に
銀は金属の中で最も可視光の反射率が高く、美しい光沢で知られています。加工しやすい柔らかさも相まって、古くから鏡やアクセサリー、器などの宝飾品・調度品に用いられてきました。また、希少価値の高さから世界各地で貨幣として流通し、日本でも江戸時代まで銀本位制(通貨の価値基準を銀に置き、貨幣をいつでも一定量の銀と交換できるシステム)が取られていたほどです。
日本では奈良時代に仏具への使用が始まり、江戸時代中期には「銀師(しろがねし)」という専門の職人が現れるなど、広く町人文化の中にも煙管、簪(かんざし)、神輿金具などの銀製品が普及していきます。美術・工芸の分野では、江戸時代後期に微細な表現を可能とする彫金技術が発達し、横谷宗珉(1670〜1733年)をはじめとする名工が活躍します。これらの技術は、1867年のパリ万博で高い評価を受けた「東京銀器」など、芸術性の高い銀製品の製作へとつながっていきました。銀は刀装具にも用いられましたが、叩けば締まり硬くなる実用的な鉄や銅に対し、金銀は柔らかいため実戦向きではありません。そのため武家の実用刀には鉄や銅が多く用いられ、金銀は主に儀仗刀や上層武家刀剣などを美しく装飾するために用いられました。さらに屏風や絵画の「銀地」として銀箔が使われるなど、絵画表現の分野にも活用されています。
欧州では皿、カトラリー、銀瓶などの銀器が古来より王侯貴族に愛され、富と権力の象徴として扱われてきました。これらは現在も世界中のアンティークコレクターの間で人気が高く、王室御用達の「W&H(ウォーカーアンドホール)」「Mappin & Webb(マッピンアンドウェブ)」などのブランドが有名です。
中国では、銀の特性を生かした独特の用途として「毒味」が行われてきました。漢代以降、皇帝や高官の暗殺を防ぐ目的で銀製の食器が用いられ、ヒ素などの毒物に反応して黒く変色する銀の性質を利用して危険を察知したと伝えられています。
このように世界中で愛されてきた銀製品の中には、高い骨董的・美術的価値を持つものが多数存在しています。しかし当然のことながら銀相場の変動はアンティーク製品の価格にも影響します。年代、品質、保存状態、デザインなどが同じものであれば、基本的に銀の重量が多いほうが高価になります。現在はアンティークの銀製品も非常に高値となっており、資産としてどう扱うべきなのか判断が難しい状況といえるでしょう。
■手持ちの銀は売却するべき?
技術革新やグリーン分野での需要拡大により、今後も産業用途の銀需要の増加は当面続くと見られています。世界的に進むインフレが急速に収束する可能性は低く、資産保全の観点から貴金属を保有する意義は依然として大きいといえるでしょう。そのため長期保有も当然一つの選択肢になり得ますが、金に比べ価格変動が大きくリスクを伴う資産でもあります。売却を検討するのであれば、高騰中の今がまさに好機といえます。
当ギャラリーではアンティークをはじめとした各種シルバー製品からシルバーインゴット、純銀(SV1000)、SV958、SV920、銀貨、工業用地金に至るまでのさまざまな銀製品を高価買取しております。骨董的・美術的価値はもちろん、刻々と変化する海外での取引価格、国内の銀相場および為替相場を考慮しつつ、市場全体の傾向として上がり方向にあるのか下げ方向なのかも加味して買取価格を決定いたします。経験豊かな鑑定人が責任を持って査定いたしますので、売却をご検討の方はぜひ当ギャラリーにご相談いただければと存じます。
◎鑑定人プロフィール
北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2025年12月16日
お正月が終わったら、ゴッホ展に出かけてみませんか 〜北岡技芳堂の骨董品買取りブログ〜
2026年、愛知県はゴッホで幕を開けます。1月3日から愛知県美術館で開催される「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」はすでにSNS上で話題になっていて、「絶対に行きたい」「家族で予習してから行く」などのコメントが寄せられています。日本文化とのつながりが強いことで知られるゴッホではありますが、なぜここまで人気を集めているのかその理由を探るとともに、これまでに大阪、東京と巡回してきた今回の展覧会の見どころをご紹介します。

ゴッホ 自画像
■ゴッホと日本の接点
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)はオランダ生まれの画家で、日本との縁が深いことで知られています。もともと彼は貧しい農民の生活を描いた「ジャガイモを食べる人々」(1885年)など、どちらかといえば暗い色調の絵を描いていましたが、ジャポニズムブームに沸くフランス・パリで浮世絵に出会ったあたりから画風が一変。当時、ちょうどモネら印象派の画家たちが世間を賑わしていた時代だったこともあり、「浮世絵のように明るい絵を描きたい」と方向転換を図りました。1888年に南フランスのアルルという町に移ったのも、明るい日差しに照らされたモチーフを求めてのことだったといいます。
画家になるためにオランダからパリに出てきたゴッホでしたが、まったく絵が売れず、画商である弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(テオ)から金銭的な支援を受け生活していました。そんな貧しい暮らしの中でも浮世絵を買い漁っては自宅の壁に飾っていたほどですから、その入れ込みようは半端ではなかったはずです。いつしか日本画のコレクションは膨大な数になり、自らのコレクションで「浮世絵展」を開催したり、生活に困ればその都度売ってしのいだり、まさに浮世絵漬けといえる日々を送っていました。
当然のことながら、当時の作品を見れば日本文化から影響を受けていることを容易に察することができます。「ひまわり」などの代表作に見られる鮮やかな色使い、太い輪郭線などは浮世絵の影響下にあることを本人も認めていますし、「坊主としての自画像」(1888年)は日本の僧侶を真似て自らの頭髪を短く刈り込んだ姿を描いたもの、「タンギー爺さん」(1887年)の背景には浮世絵そのものが何枚も飾られているなど、技法以外の部分でもあちこちに日本を発見できます。
先ほど少し触れた南仏アルルへの移住ですが、これは画家仲間を集めて集団生活するための転居でした。アルルへの引っ越しにあたり、テオに無心して購入した一戸建ての家(黄色い家)は、皆で暮らすための拠点だったのです。なぜゴッホは、画家を集めて暮らそうとしたのか。それは彼が憧れる日本では、画家たちが集団生活により支え合いながら生活しているという誤った情報を得たからだとの説があります。忍者や侍など、海外で日本文化が誤解されて伝わることってありますよね。南仏にわたる前のパリでは日本に関する書物が大量に出版されており、それらを読み漁ったゴッホがアメリカにおけるニンジャのように日本の文化を誤解していたのではないかといわれています。
何はともあれ、日本の文化や芸術がゴッホに与えた影響は計り知れず、「ゴッホと日本」をテーマにした企画展が毎年世界のどこかで開催されるほど、両者は切っても切り離せない関係となっているのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「雨の中の橋(広重の模写)」1887年 ゴッホ美術館所蔵
■日本でなぜこんなにも人気なのか
世界的に人気の高いゴッホですが、特に日本での人気は「濃い」といわれます。その理由の一つとして、先ほども少し触れた浮世絵(日本画)との共通点の多さがあります。例えば、ルネサンス期以降の洋画家たちは、透視図法などの技法を駆使してリアルで奥行きのある空間を表現してきました。それに対し、浮世絵をはじめとした日本画は写実性よりもモチーフの特徴を捉えたデフォルメ表現を得意としており、奥行きのない平坦な画面にくっきり輪郭線で囲まれた対象物を配します。ゴッホはこの日本画的な手法を取り入れ、独自のダイナミックな画面を生み出しました。
また、鮮やかな色使いも浮世絵との共通点です。ゴッホは何枚もの浮世絵を模写しましたが、例えば歌川広重の「江戸名所百景 亀戸梅屋舗」を見てみると、空がピンク→白→水色のグラデーションになっています。こうした色使いは浮世絵では当たり前ではあるものの、西洋の伝統的な宗教画や肖像画で見られることはまずありませんよね。ゴッホが浮世絵にハマった時期に制作された「種蒔く人」(1888)では空は黄色く麦畑は青く塗られており、浮世絵からの影響を強く感じさせます。こうした自由でビビッドな色彩感覚も、日本人に親しみのある表現だったといえるでしょう。
ゴッホの絵は構図も非常に特徴的です。庶民向けの商業美術だった浮世絵は、美人画も名所画も大胆でシンプルな画面構成になっています。最も強調したいモチーフを残し、余分な要素はバッサリ削ぎ落とす。そうすることで、主題の印象がより残りやすくなるのです。広重の風景画もメインの花菖蒲や桜の木が大きくクローズアップされていて、画面の多くを余白が占めています。ゴッホ晩年の「草地の木の幹」(1890年)もこれと同じように、手前に大きく木の幹が描かれ、周囲は低い草花で埋め尽くされています。普通であれば、広がる空や丘に続く草原などをパノラマで描くものですが、こうした主役を際立たせる手法も、日本人は感覚的に理解できたのではないでしょうか。
作品に宿るこうした美意識への共感に加え、生前まったく絵が売れずに苦労したこと、どんな状況でも兄を支え続けた弟の献身、貧しくとも芸術にひた向きに向き合うストイックさ、真っ直ぐな性格ゆえに他者と衝突してしまう不器用さ・・・これらのドラマ性が重なって、特に日本での人気が濃いとされています。確かにドラマチックですから、何度も映画の題材として取り上げられているのも頷けますよね。
■企画展の見どころ
2025年の日本は「ゴッホ・イヤー」ともいわれ、「大ゴッホ展」や「ゴッホ・インパクト―生成する情熱」など、大規模な展示会が相次いで行われました。2026年の年明けから始まるこの「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」も、すでに2025年の7月から8月まで大阪、9月から12月まで東京で開催されていた巡回展が愛知にやってくる形です。
この企画展は弟のテオからテオの妻、テオの息子へと、ゴッホの家族が受け継いだ作品を中心に、手紙や関連作品、浮世絵版画のコレクションなどを展示しています。30点あまりの油彩画、日本初公開のものも含む数々の手紙、500点を超える浮世絵、交流があった前衛芸術家の作品などを通じて、初期から晩年に至るまでの画風の変化と進化、ゴッホに影響を与えた作品や作家、弟テオとの関係性などを追うことができます。そのほかにも会場では映像が多く使われており、わかりやすく一連のストーリーを理解することができるとのこと。先ほどご紹介した「種蒔く人」などの代表作も見られますので、ゴッホに興味がある人なら楽しめるはず。アクセス便利な会場で3月まで開催されていますので、休日に親しい人と出かけてみてはいかがでしょうか。
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」
会期:2026年1月3日(土)~3月23日(月)
会場:愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
時間:10:00〜18:00、金曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
休館日:1月5日、19日、2月2日、16日、3月2日、16日
◎鑑定人プロフィール
北岡淳(北岡技芳堂 代表)
初代である祖父が掛け軸の表具師を生業としており、幼い頃から美術品や骨董品に親しむ。その後京都での修行を経て、3代目として北岡技芳堂を継承。2006年に名古屋大須にギャラリーを構え、幅広い骨董品や美術品を取り扱いながらその鑑定眼を磨いてきた
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どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
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