2024年12月4日
楠部彌弌の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
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楠部彌弌は、大正から昭和期にかけて活躍した陶芸家です。文化勲章を受章し、日本芸術院会員としても名を連ねた人物です。 京都市立陶磁器試験場附属伝習所で学び、大正9年(1920年)には「赤土社」を創設しました。
大正12年(1937年)には、釉薬に固有の色を出させるための呈色剤を混ぜた磁器土を何度も薄く塗り重ねて文様を出す彩埏技法による作品を発表し、近代陶芸の確立に貢献しました。
楠部彌弌(くすべやいち)本人
楠部彌弌の作品の中でも、彩埏技法を用いた作品は特に高い評価を受け、買取市場でも高額で取引されることが多いです。晩年に作られた彩埏技法の作品が、技術と芸術性の成熟した作品ですので高価な買取対象となっております。
楠部彌弌 彩延椿文壺
彩埏とは、顔料を混ぜ合わせた磁土を塗り重ねることで、文様を表現する技法です。
楠部彌弌が考案したもので、塗り重ねの際に、文様に応じたレリーフ表現を施して、奥行きや花弁の膨らみを表しています。
しっとりとした白の器表に、やや濁りを帯びた藍・緑・灰・赤を配するという典型的な彩埏のスタイルを持った、晩年の代表作のひとつです。
楠部彌弌 略歴
明治30(1897)年、9月10日京都市東山区に、楠部貿易陶器工場を経営する父千之助の四男として生まれます。本名彌一。父はかつて幸野楳嶺に日本画を学び僊山と号していました。
明治45年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所に入所、同期生に八木一艸がいました。
大正4年、卒業、家業を継がせたい父の意志に反し、東山の粟田山にアトリエを構え創作陶芸を始めます。
大正7年粟田口の古窯元跡の工房に移り本格的に陶芸を始めると共に河井寛次郎、黒田辰秋、川上拙以、池田遥邨、向井潤吉らと交流を深めます。国画創作協会の活動にも刺激されます。
大正9年八木一艸、河村己多良(喜多郎)ら5人と「赤土」を結成、陶芸を生活工芸から芸術へ高めるべく運動を始めます。第1回展を大阪で開催し4回まで続けるが、昭和12年同会は自然消滅。
大正13年パリ万博に「百仏飾壷」を出品し受賞、一方木喰の展覧会準備を通じて柳宗悦を知り、「劃華兎文小皿」(大正13年)「鉄絵牡丹花瓶」(大正14年)など民芸運動の影響を示す作品を作ります。しかしまもなくこの運動からも離れ、昭和2年八木一艸らと新たに「耀々会」を結成、また同年工芸部が新設された第8回帝展に「葡萄文花瓶」が入選する。
昭和8年、第14回帝展で「青華甜瓜文繍文菱花式龍耳花瓶」が特選を受賞しこの年彌一を彌弌と改名。翌年に帝展無鑑査となり、この頃朝鮮の古陶磁や仁清などの研究に没頭します。
昭和13年、パリ万博で「色絵飾壷」が受賞します。この年の第1回新文展に後年楠部芸術を特色づける「彩埏」の技法を用いた「黄磁堆埏群鹿花瓶」を出品します。彩埏は釉薬を磁土に混ぜ何度も塗り重ねることで独特の深い色あいを生むものである。戦後一時日展改革要求が容れられず京都工芸作家団体連合展を組織(昭和23年)、日展をボイコットしたことがありました。
昭和26年、第7回日展「白磁四方花瓶」が芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。
昭和28年、京都の若手陶芸家達を中心に青陶会を結成し指導にあたると共に伊東陶山らと搏埴会を結成する。同年の第9回日展出品作「慶夏花瓶」
昭和29年、日本芸術院賞を受賞、また中国古来の彩色法を研究しながら早蕨釉、蒼釉(碧玉釉)などの発色法を考案し、「早蕨釉花瓶」(昭和37年第1回現代工芸美術家協会展)「萼花瓶」(昭和44年第1回改組日展)などを発表します。
昭和27年、日展参事
昭和33年、評議員
昭和37年、理事、日本芸術院会員となります。また中国古来の彩色法を研究しながら早蕨釉、蒼釉(碧玉釉)などの発色法を考案し、「早蕨釉花瓶」(昭和37年第1回現代工芸美術家協会展)「萼花瓶」(昭和44年第1回改組日展)などを発表します。
昭和44年、常務理事
昭和48年、顧問
昭和54年、日本新工芸家連盟を結成しました。
昭和44年、京都市文化功労者
昭和47年、毎日芸術賞、文化功労者
昭和50年、京都市名誉市民
昭和53年文化勲章を受章。晩年は彩埏に一層の洗練を加えます。
昭和52年、パリ装飾美術館で「日本の美・彩埏の至芸楠部彌弌展」が開催されました。『楠部彌弌作品集』(昭和43年中央公論美術出版)『楠部彌弌展』(昭和46年毎日新聞社)『楠部彌弌展』(昭和52年講談社)『楠部彌弌』(昭和56年集英社)などがあります。なお、詳しい年譜は「楠部彌弌遺作展」(京都市美術館、昭和61年)等
昭和59年、陶芸界の重鎮として活躍した文化勲章受章者、日本芸術院会員の楠部彌弌は、12月18日午後7時、慢性ジン不全のため京都市中京区の大沢病院で死去した。享年87。
楠部彌弌 青釉鳥文花瓶
楠部彌弌の弟子に対しての言葉に「人間をつくれ」と言った。
「人間をつくれ」。それはどういう意味なのかと尋ねても、楠部彌弌は「自分で考えろ」と言うばかりだった。
楠部彌弌の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
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楠部彌弌 査定価格におけるポイント
楠部彌弌の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
楠部彌弌先生の作品は、彩埏の作品に高値の査定価格がつきます。
10万円から30万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
楠部彌弌の作品は香炉や壺の作品が評価されます。
楠部彌弌展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
楠部彌弌先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ楠部彌弌の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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