2024年10月24日

松井康成の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の松井康成の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

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松井康成の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の松井康成のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた松井康成の作品を鑑定して買取り致します。

 

陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の松井康成の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

昭和2年、長野県に生まれた松井康成は、30歳で茨城県笠間市にある月崇寺の住職となり、中国や日本の古陶磁研究ののち、練上の技法に絞って試行錯誤を重ね、独自の表現世界を創造しました。

 

種類の異なる土の組み合わせは、収縮率などの違いから破損しやすいため、基本となる土を同じものとし、そこに少量でも鮮やかに発色する呈色剤を混ぜる「同根異色」の方法により、練上による表現の可能性を格段に拡げました。

線文様に代表される初期の練上作品に始まり、ロクロで内側から膨らませ表面に亀裂を誘う「嘯裂(しょうれつ)」から、磁器に近い土の組成と硬質な輝きを特徴とする晩年の「玻璃光(はりこう)」に至るまで、松井康成は多彩な展開をしました。

 

松井康成は「練上手(ねりあげで)」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

 

 

松井康成 本人

松井康成 本人

 

「私の仕事は、須恵物造りというより、玉造りといったほうがふさわしいかもしれません。いつの間にか、壺のかたちがまあるくなって玉のようになりました。それでもやはり壺と言っていますが、必ずしも花を挿したりする器ではありません」

 

 

松井康成 晴白練上大壺 1989年

松井康成 晴白練上大壺 1989年

 

松井康成が作陶活動を開始したのは、33歳の時で、当初は古陶磁を規範とした灰釉や天目・刷毛目などの実用的な器を手掛けています。

 

まもなく、中国古陶の「交胎」「撹胎」を現代的な意匠で構成させた「練上」を作り上げ、それはモノトーンのストライプ文様を器物に装飾したものでした。

 

47歳頃からは、それまでの実用性を意識した器から、美的装飾性を重要視した作品へと方向転換します。

 

練上作品の形状は丸い形になり、色彩はそれまでの陶芸には無かった極彩色を使うようになりました。

 

制作技法も複雑化し、他の追随を許さぬほどの技術でもって新しいものに挑戦をし続けました。

 

 

松井康成の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.松井康成の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.松井康成の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただけます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.松井康成の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.松井康成の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

松井康成 略歴

 

1927(昭和2)年5月20日、長野県北佐久郡本牧村生まれ。本名宮城美明(みめい)

 

1952年明治大学文学部文学科卒業。同年、茨城県笠間の浄土宗月崇寺(げっそうじ)住職の長女松井秀子と結婚、松井姓となる。

 

1957年月崇寺第二十三世住職となる。60年月崇寺境内に窯を築き、古陶磁の研究に基づく倣古作品を制作していました。

 

1968年頃から陶芸家田村耕一のすすめで練上手の技法に専念するようになる。

 

1969年第9回伝統工芸新作展に「練上手大鉢」が初入選し、奨励賞を受賞。同年、第16回日本伝統工芸展に「練上手壺」を出品し、初入選

 

1970年第10回伝統工芸新作展に「練上手辰砂鉢」を出品し、日本工芸会賞を受賞

 

1971年第18回日本伝統工芸展に「練上線文鉢」を出品し、日本工芸会総裁賞受賞

 

1973年第2回日本陶芸展(公募部門第1部)に「練上線文鉢」を出品し、最優秀作品賞・秩父宮賜杯受賞

 

74年日本陶磁協会賞を受賞。75年第22回日本伝統工芸展に「練上壺」を出品し、NHK会長賞を受賞

 

1976年「嘯裂(しょうれつ)」と「象裂瓷(しょうれつじ)」をあいついで発表。「嘯裂」とは、器の表面を刷毛や櫛などで荒らし、傷を入れることによって生じるひび割れを模様に見立てたもので、また、「象裂瓷」とは異なる種類の色土を二層、三層に重ね、成形後に深く切込みを入れて下層の色土が見えるようにする技法である。いずれも土そのものの粗く厳しい質感をあらわしたもので、それまでの練上にはない、松井康成独自の作品世界を示すものとして高く評価された。

 

1979年から現代工藝展(資生堂ギャラリー)に参加。83年からは「堆瓷(ついじ)」と呼ぶ、彩泥の技法による作品を発表

 

1985年には「破調練上」を発表 

 

1986年第2回藤原啓記念賞を受賞

 

1987年には「風白地(ふうはくじ)」と呼ぶ、器の表面に粗い砂を強く吹き付けることによって荒涼とした雰囲気を表現した作品を発表

 

1990(平成2)年日本工芸会常任理事となる。同年、日本陶磁協会金賞受賞

 

1991年第4回MOA岡田茂吉賞大賞受賞。92年には、釉薬による光沢と鮮やかな色土による華麗な「萃瓷(すいじ)」を発表

 

1993年「練上手」の技法により重要無形文化財保持者に認定される。同年、パリで松井康成展開催(三越エトワール)。同年、茨城新聞社より茨城賞受賞

 

1994年「人間国宝松井康成練上の美」展開催(朝日新聞社主催、日本橋高島屋ほか)。同年、茨城県より特別功績賞受賞

 

1996年「玻璃光(はりこう)」と呼ぶ、焼成後にダイヤモンドの粉末で研磨した、滑らかでしっとりとした光沢を放つ作品を発表。同年、茨城県近代美術館にて「変貌する土――松井康成の世界」展開催

 

1999年平成11年度重要無形文化財「練上手」伝承者養成研修会の講師を勤める(翌年も)。練上手の作品は色の異なる土を組み合わせて成形するため、土の収縮率の違いなどから、焼成の段階で割れる可能性が高いが、松井康成は少量でも発色の良い呈色剤を加えることにより、同じ性質でも色の異なる土を作り出す工夫をし、色彩豊かな練上げ作品を制作した。そして、「嘯裂(しょうれつ)」、「象裂瓷(しょうれつじ)」、「堆瓷(ついじ)」、「風白地(ふうはくじ)」、「萃瓷(すいじ)」、「玻璃光(はりこう)」などの技法を新たに創案し、多彩な作品を制作、練上の技法による表現の可能性を広げ、それまでには見られない独自の作品世界を切り開いていった。作品集に、『松井康成陶瓷作品集』(講談社、1984年)、『松井康成練上作品集1985―1990』(講談社、1990年)。また、著書に『松井康成随想集:無のかたち』(講談社、1980年)、『宇宙性』(講談社、1994年)

 

2023年4月11日午後4時42分、急性呼吸器不全のため死去した。享年75

 

 

 

松井康成 練上嘯裂茜手壺

松井康成 練上嘯裂茜手壺 1982年

 

松井康成の技法の解説

 

嘯裂(しょうれつ)

1976年ごろの陶芸技法のひとつに、陶土の表面に刷毛や釘、櫛を使って最初に傷をつける方法がありました。その傷を残しながら成形することで、土の表面に自然な亀裂や傷跡が独特の模様を生み出し、作品にユニークなテクスチャーと表情を与える技法です。

 

象裂(しょうれつ)

1977年ごろの技法として、異なる色の粘土板を幾重にも重ね、その表面に傷をつける方法がありました。この技法では、嘯裂(しょうれつ)と同様にロクロで成形する際に、裂け目から下の層が見えるようになり、多層的な表現が可能になります。複数の層が互いに重なり合うことで、作品に深みと立体感が生まれる特徴的な技法です。

 

堆瓷(ついじ)

1983年ごろには、「堆」という言葉が意味する「積み上げる」技法が使われていました。この技法は、色のついた泥漿を重ねて模様を描く採泥(さいでい)の一種ですが、異なる色の土を何層にも重ねたり、はめ込んで模様を作り出すことで、立体感のあるデザインを表現します。この堆積した模様は、視覚的な奥行きや豊かな色彩のコントラストを生み出す技術です。

 

破調練上(はちょうねりあげ)

1985年ごろ、「破調」という技法が使われていました。これは、文字通り調和を意図的に崩すことを意味しますが、作為的ではなく、自然に生まれた練上模様をそのまま活かした作品に対して用いられる名称です。この技法によって、偶然性や不規則な美しさが作品に表れ、自然体でありながら独自の表現が生まれるのが特徴です。

 

風白地(ふうはくじ)

1987年ごろ、「風をもって白(さら)す」という意味を持つ技法が生まれました。成形後に削りを行い、表面に砂を吹き付けてから焼成することで、ざらついた質感を表現します。この技法によって、まるで風化した地層のような独特な表情が生まれ、非常に個性的で独創的な作品が仕上がります。

 

晴白(せいはく)

1989年ごろ、白のくすみが一切なく、呈色剤の本来の色が鮮やかに表れる技法が登場しました。明るい色彩が特徴で、この技法にはニュージーランド産の高純度カオリンを焼粉に混ぜて使用していたとされています。これにより、透明感のある発色と美しい色合いが作品に表現されました。

 

翠瓷(すいじ)

1992年ごろ、「集める」という意味を持つ「翠」という名がつけられた技法が誕生しました。この技法は、それまで積み重ねてきた練上技術の「集大成」としての意図を込めて名付けられたと言われています。特に花をモチーフにした連続模様が特徴的な作品が数多く残されており、緻密で美しい装飾が作品全体に広がる点が魅力です。

 

玻璃光(はりこう)

2001年ごろ、松井康成の晩年期に生み出された技法で、「玻璃光」と名付けられた作品群が登場しました。玻璃は仏典に登場する七宝のひとつで、水晶やガラスを指す言葉です。この技法では、特に丸い壺のような形状が特徴で、中国古陶磁に深く通じていた松井康成の美学を集大成したものと言えます。焼成後、表面をダイヤモンドで何度も研磨することで硬質な輝きを引き出し、その独特の光沢は他に類を見ないほど評価が高く、松井の晩年期を代表する傑作として広く知られています。

 

松井康成 査定価格におけるポイント

 

松井康成の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

松井康成先生の作品は窯で出来る景色が重要で景色が鮮やかで綺麗な作品に高値の査定価格がつきます。

10万円から100万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと5万前後になります。

初期の作品は査定価格が低くなります。

壺は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります200万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

色彩が鮮やかな作品が高値で売れる傾向にあります。

模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。松井康成展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

松井康成先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ松井康成の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

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