詠寄世祝 和歌 三条西實條 | 北岡技芳堂

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2019年2月4日

詠寄世祝 和歌 三条西實條

詠寄世祝 和歌 三条西 實條
田中塊堂 箱書

 

詠寄世祝 和歌 三条西 實條

王(ワ)きて猶 ひかりもそはむ玉鉾(タマホコ)の 道しある世の 時にあふ身は

 

素晴らしい表具です。

 

–解説–
とくに一層、光も備わっている玉桙(美しい矛)があり、その道しるべがある世の中の、時と向き合う身であるよ

後陽成天皇の時代に宮中の歌会にて、
後陽成の治める時代を玉鉾の光と例えて讃えた和歌。

2月5日は、旧暦の1月1日です。昔は1ヶ月ぐらい遅れてきますがなかなか実感がわかないですね。今年は元号が5月1日に改元され新天皇の即位がありますので、ふさわしいのではないかと思いご紹介いたします。

三条西實條“実条”(さねえだ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の公家。
ご染筆されたのは、三条西実条が権中納言の時期、三十歳代、戦国末期の慶長十一年(32歳)から慶長一八年(39歳)。

 

三条西家歴代当主
1. 公時 2. 実清 3. 公保 4. 実隆 5. 公条 6. 実枝 7. 公国 8. 実条

 

三条西家の家職は歌道であり、実条の高祖父で戦国時代前期の当主・三条西実隆は当代随一の歌人と評された。実隆・公条・実枝の三代はいずれも歌道に優れており、家職として歌道を継承した。しかし実枝は子の公国が幼かったため、弟子の一人であった細川藤孝(幽斎)に中継ぎとして歌道を継承した。「たとえ細川家の嫡男の一人といえども、絶対に他人には伝授しないこと、三条西家に、もし相伝が断絶するようなことがあれば、責任をもって伝え返すこと」等を誓わせ、古今伝授を行った。公国成人後、幽斎は歌道を継承しようとしたが、公国が32歳で死去したため、幽斎は改めて公国の子である実条に歌学伝授を行い、師・実枝との約束を果たした。
実条は慶長18年7月11日(1613年8月26日)武家伝奏に任ぜられ、幕府との交渉を担うこととなった。元和9年(1623年)には、幕府3代将軍・徳川家光の将軍宣下に際して上卿(口頭で天皇からの宣旨を伝える役)を務めた。なお家光の乳母・斎藤福(春日局)は、父・斎藤利三が主君・明智光秀の起こした本能寺の変に従い、山崎の戦いに敗死した後、母方の親戚である公国に引き取られ三条西邸で養育された過去があり、実条とも幼少より親交が深かった。寛永6年(1629年)、福が病中の家光の代理として上洛した際、御所へ昇殿する資格がなかったため、同年内大臣となった実条の義理の妹、猶妹(ゆうまい)として縁組を行い、三条西家の女性の資格で参内し、後水尾天皇に拝謁を許されることとなった。

 

 

 

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