2024年11月13日

山本陶秀の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の山本陶秀の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

山本陶秀の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、山本陶秀の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

山本陶秀作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の山本陶秀のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた山本陶秀の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の山本陶秀の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

山本陶秀は、15歳から伊部の窯元、黄薇堂で陶芸の修行を始めます。 備前焼の陶工として独立した後、伊部に窯を築きます。 金重陶陽が再興した茶陶にならい、茶入れ、花入れ、水指などを制作します。

 

戦前から戦後まで駆け抜けた山本陶秀は 著名人との交流も有名です。 特に陶芸家でもあり、書家や画家、 料理研究家としてさまざまな顔を持つ北大路魯山人、 日系人としてアメリカや日本の文化を受け継ぎ、作品を発表した彫刻家の イサム・ノグチらと親交がありました。

 

しかし山本陶秀も 戦争に利用された被害者の一人でもありました。 「ろくろの陶秀」や「ろくろの名手」など 通り名が付くほど有名だった山本陶秀は その技術を軍に見込まれ 陶製の手りゅう弾を作らされたこともありました。

 

戦時中に製造した備前焼製の手榴弾(約 400 個、破片 830 個)、納品箱 4 箱が、山本陶秀さんの息子で陶芸家の山本雄一さんより備前市教育委員会に寄贈されました。

 

 

備前焼の手榴弾の前で語る山本陶秀

備前焼の手榴弾の前で語る山本陶秀

 

終戦間近になると、金属が不足し手榴弾の製造も厳しく、代わりに陶製の手榴弾が軍部の要請で日本各地の窯業地で製造されまし た。備前に於いても窯元や各作家によって備前焼製手榴弾が製造されていますが、その全容はあまりわかっていません。

 

手榴弾は、戦争に利用される目的で製造された備前焼でした。戦時中の備前焼産業の一端を今に伝える物です。手榴弾は高さ約8センチ、直径6センチで、重さは240~270グラム程度。太平洋戦争末期に鉄不足を補う代用品として、軍が全国の焼き物産地に陶器製の手榴弾の製造を命じており、その一環で山本陶秀も作製した。

 

山本雄一さんは自宅近くで実施された実験の様子を覚えており「『バーン、バーン』という音が頭の中に残っているみたいです。囲いの木の板に破片が深々と突き刺さっていた」と語っています。

 

 

山本陶秀 本人

山本陶秀 本人

 

そして、1933年に独立し、雅号を「陶秀」としました。独立から5年後には京都の陶芸家の楠部彌弌のもとで陶芸の基本となる形態の追求と、轆轤の徹底した再修練を行いました。

 

当時楠部彌弌は帝展などで活躍する一流の作家でしたが、山本陶秀は楠部彌弌が得意とする釉薬の技術よりも、楠部の制作態度を身につけ、その後の作陶生活の基礎としました。

 

1943年頃には轆轤の冴えを発揮した作品を次々と発表し、備前焼陶芸家の中でも轆轤に抜群の才能を持った作家として知られる存在にまでなりました。

 

 

 

 

山本 陶秀 大海茶入 1978年 京都国立近代美術館

 

茶入の制作にあたっては、「時に自分のすべてであった」と語るほど、山本陶秀自身が生涯をかけて探求してきた分野でした。1976年から5回にわたって東京・大阪で開催された「茶入展」では、山本陶秀の備前焼の美の魅力を最大限提示して、多くの鑑賞者からの絶賛を受けました。両手にすっぽりと収まる程の小さな焼き物に、それまで蓄積してきた轆轤技術のすべてを集積した山本陶秀は、名物茶入にも劣らない、風格を備えた現代の備前茶入を一生涯制作し続けました。

 

 

 

山本陶秀の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.山本陶秀の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.山本陶秀の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.山本陶秀の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.山本陶秀の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

山本陶秀 略歴

 

1906年 岡山県備前市に生まれます。本名政雄。

1921年 窯元・黄薇堂へ入り、陶芸の道に進みます。

1933年 独立して岡山県備前市伊部に築窯、「陶秀」と号す。

1938年 楠部彌弌に師事、後々まで指導を受けます。

1939年 中国・四国九県連合工芸展で優良賞を受賞

1948年 国の技術保存認定(丸技)を受けます。

1951年 イサム・ノグチや北大路魯山人と交友を深めます。

1954年 岡山県重要無形文化財に認定

1959年 日本工芸会正会員。ブリュッセル万国博覧会でグランプリ金賞を受賞

1960年 日本工芸会東中国支部展の審査員に就任

1965年 備前陶芸センターの嘱託講師に就任

1966年 岡山県展の審査員に就任

1969年 備前陶友会の副会長に就任

1970年 日本工芸会理事に就任

1972年 岡山県文化賞を受賞

1975年 山陽新聞文化賞、三木記念文化賞を受賞

1976年 紫綬褒章を受章。中国文化賞、備前市功労賞を受賞

1977年 毎日芸術賞を受賞

1981年 紺綬褒章を受章

1982年 勲四等瑞宝章を受章

1987年 重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定

1991年 備前市名誉市民となります。

1994年 4月22日 没

 

 

 

山本陶秀  備前宝瓶

山本陶秀 作 備前宝瓶

 

大きな三角形の「マ」の陶印となっています。轆轤の名人らしい緻密に計算された造形で、蓋と本体とが窯変牡丹餅を目印に寸分の狂いなくピッタリと合わさります。珍しい灰被り窯変の焼き上がりも素晴らしい、濃厚な灰被りとほんのりと緋色が差した抜けの取り合わせは素晴らしいです。内側も美しい土味が出ており、使った後は暫く中を眺めたくなります。

 

 

 

山本陶秀の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.山本陶秀の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

山本陶秀 査定価格におけるポイント

 

山本陶秀の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

山本陶秀先生の作品は茶入れに高値の査定価格がつきます。

 

5万円から25万円ぐらいの買取相場です.

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

山本陶秀の作品は窯変のある作品が評価されます。

 

山本陶秀展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

山本陶秀先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ山本陶秀の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月12日

前田昭博の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の前田昭博の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

前田昭博の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、前田昭博の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

前田昭博作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の前田昭博のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた前田昭博の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の前田昭博の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

白色と形だけで表現をする磁器。この白磁の重要無形文化財保持者、人間国宝に認定されているのが、鳥取市河原町に窯を持つ前田昭博氏。

 

真っ白な磁器である白磁を選び、ひとり制作を続けている。

 

 

前田昭博 本人

前田昭博 本人

 

「手本にしているのは、山陰の雪の白。冷たいけれど、どこか温もりも持っている。そして、雪に穴を開けると、少し青みがかったように感じる。そんな雪のような、しっとりした感じの白を目指しています」。

 

白瓷とは何か。その問いに、前田昭博は「 ”無い”ことの魅力を持つもの」だと教えてくれました。中国の唐の時代に繁栄した白瓷は日本にも伝わり、現在まで続いています。

 

華美な装飾や色の変化はあまりない。それでも今もなお続いているのは、「何も無い状態」でもフォルムや釉薬に豊かな魅力があるからではないか。

 

多くの情報や色、考え方が溢れている現代だからこそできる白瓷を作りたいと前田昭博は語ります。

 

「九谷焼や有田焼などの日本的な絵付けも美しいなと思う。同時に、そういうものが”無い”世界もあっていい。僕は作品の省略をしていきながら、あるものと同じぐらいか、それを超えるようなものを作りたい。”無い”ことの魅力というものを伝えていけたら、この白瓷を継承して、次の人に渡すことができるのかなと。だから、ただ白い焼き物じゃなくて『白瓷』という定義がある。そう思ってますね」。

 

そう言いながら、前田昭博は今日も轆轤に向かう。

 

 

前田昭博 白瓷面取壷

前田昭博 白瓷面取壷

 

白磁は中国で生まれた磁器のひとつで、絵付けや色付けをしないことが特徴です。形によって陰影が変わり、さまざまな表情を見せる。真っ白な器は食材や花を映えさせ、どんな場面でも使いやすい。日本では佐賀の有田焼や、長崎の波佐見焼などが名産地として知られていますが、前田昭博は故郷の鳥取で師匠をとらず、ひとりで向き合う道を選びました。

 

前田昭博は白磁のことを「白瓷(はくじ)」と表現している。瓷(じ)は「かめ」や「かたく緻密に焼いた焼き物」という意味があり、本場中国では磁器のことを指します。

 

単なる壺ではなく芸術としての作品を作りたい、土のような柔らかい白磁を目指したいという想いを込めました。 前田昭博の作品を見ていると、磁器とは思えないほどの柔らかさやあたたかみを感じます。光の当たり具合や、曲面から生まれる影によって、灰色や青い色合いもあわせもちます。

 

 

前田昭博 白瓷面取壷

前田昭博 白瓷面取壷

 

 

前田昭博の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.前田昭博の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.前田昭博の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.前田昭博の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.前田昭博の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

前田昭博 略歴 

 

1954年 鳥取県八頭郡河原町本鹿(現鳥取市河原町本鹿)に生まれます。

 

1977年 大阪芸術大学工芸科陶芸専攻卒業します。

 

1991年 第11回日本陶芸展「毎日新聞社賞」受賞

 

1993年 第48回新匠工芸展「富本賞」受賞

 

1999年 「日本の工芸(今)100選」展招待出品「パリ」

 

1999年 鳥取市文化賞受賞 2000年 第47回日本伝統工芸展「朝日新聞社賞」受賞

 

2003年 20回記念田部美術館大賞「茶の湯の造形」展大賞受賞

 

2003年 第2回京畿道世界陶磁ピエンナーレ銅賞受賞「韓国」

 

2003年 第50回日本伝統工芸展「第50回展記念賞」受賞

 

2004年 日本陶磁協会賞受賞

 

2005年 第60回新匠工芸展「60回記念大賞」受賞

 

2007年 紫綬褒章受章

 

2010年 鳥取県文化功労賞受賞

 

2012年 鳥取県指定無形文化財(陶芸)認定されます。

 

2013年 国の重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定されます。

 

2024年 旭日小綬章受章

 

 

 

前田昭博の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.前田昭博の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

前田昭博 査定価格におけるポイント

 

前田昭博の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

前田昭博先生の作品は複雑な造形の作品に高値の査定価格がつきます。

 

10万円から20万円ぐらいの買取相場です.

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

前田昭博の作品は人間国宝に認定された白磁の作品が評価されます。

 

前田昭博展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

前田昭博先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ前田昭博の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月11日

国宝黄檗山万福寺について 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

黄檗山万福寺の隠元禅師が、インゲン豆を中国から渡来して持ち込んだお土産だったって知ってました?

 

隠元豆、煎茶、西瓜、蓮根、揚げ物さらにダイニングテーブルに椅子 「一家だんらん」は隠元禅師が持ちこんだらしい!

 

しかし調べると、インゲン豆を日本に伝えたという事には諸説あり、隠元禅師が伝えたのは別種の「藤豆」フジマメともいわれ、関西ではフジマメをインゲンといい,本種をサンドマメという。

 

隠元豆は年に3度収穫できることから「三度豆」とも呼ばれます。 隠元禅師が中国から持ち込んだとされる豆は「藤豆」ですが、隠元は二種の豆を持ち帰り、関東には「五月豇豆」ゴガツササゲ、関西にはフジマメを広めたという説もあります。

 

国宝に指定された黄檗山万福寺については、これからますます注目されると思っております。

 

骨董品も和の物よりも中国人が好む骨董品が高値で取引されております。

 

ですので、これから骨董品が好きな人も商う人から見ても、ますます黄檗山万福寺から眼が離せない!

 

【準公式】国宝 黄檗山萬福寺𝕏まんぷくじ

 

今回国宝に指定されて、Xのアカウントが盛り上がっているみたいですね。

 

隠元禅師は当初、渡来して三年で中国に帰国する予定でしたが、その人気ぶりが凄まじく、結局は日本に引き留められ、4代将軍徳川家綱に与えられた10万坪という広大な寺領に萬福寺を開創することになりました。「黄檗山 萬福寺」という名前は、隠元禅師が中国で住職を務めていたお寺と全く同じ名前です。そこには「旧を忘れない」という意味が込められており、伽藍も仏像も従来の日本式とは異なる明朝様式で整えられています。

 

本尊は「お釈迦さま」「萬福寺」の本堂にある本尊は釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)で、いわゆる仏教の開祖とされる「お釈迦さま」です。釈迦の十大弟子となる摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)が脇侍として安置されています。

 

宇治市にある禅宗の寺、黄檗山萬福寺の本堂などが、新たに国宝に指定されることになりました。

 

新たに国宝に指定されるのは、1661年創建の黄檗宗大本山の万福寺

 

大雄宝殿

(だいおうほうでん)本堂の事です。

 

法堂

(はっとう)説法を行う場所です。

 

天王殿

(てんのうでん)寺の玄関にあたります。

 

の三棟です。

 

 

黄檗山 万福寺 大雄宝殿

大雄宝殿 国宝

 

寛文8年(1668年)建立

 

桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺、正面月台附属

 

チーク材が全面に使われている大雄宝殿は、正面の扉には魔よけとされる桃の実の彫刻が施され、左右に円い形をした窓が配置されるなど、中国仏教建築のデザインがうかがえます。

 

大雄宝殿には、十八羅漢像が安置されています。

「羅漢」とは?

羅漢は阿羅漢の略で、敬われるべき人の意です。 阿羅漢ですが、これはサンスクリット語(梵語)のアルハンを漢字で音写した言葉だそうです。

 

漢訳すると、<応供​(おうぐ)​>で、「尊敬・施しを受けるに値する聖者を意味します。

 

インドの宗教一般において、尊敬されるべき修行者をさしました。

 

釈尊は10の別称(十号)を持っておられて、その一つに応供があったそうです。 ところが、後になると、仏の別称であることとは区別して、仏の弟子に阿羅漢の称が当てられるように変化しました。

 

仏の十大弟子は勿論最高の阿羅漢ということになります。 原始仏教・部派仏教では修行者の到達し得る最高位を示すことになり、一方、大乗仏教では批判的に声聞を阿羅漢と呼び、仏と区別したという経緯があるそうです。

 

声聞はサンスクリット語では教えを聴聞する者を意味し、もともとは出家、在家を問わずに使われる言葉だったのですが、後に仏教では、出家の修行者だけを意味することになり、出家の修行者は阿羅漢を目指すということになります。

 

まず、十六羅漢ですが、これは中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を称する言葉だそうです。

 

 

黄檗山 万福寺 法堂

法堂 国宝

 

寛文2年(1662年)建立

 

桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、こけら葺

 

法堂とは、仏教寺院において、僧侶が仏教を講義する建物のことです。主に禅宗寺院で用いられ、そのほかの宗派では講堂(こうどう)と呼ばれることが多いです。

 

法堂の成立はインドではなく、中国であり、仏教が貴族階級に浸透し始めた南北朝時代には既に成立していたものと思われます。

 

仏舎利を祀る塔、仏像を祀る仏殿(金堂)とともに、伽藍を構成する最重要の建物であり、日本においてのその位置関係は、時代によってそれぞれ異なりますが、仏殿の次の重要な建物として位置づけられるようになり、大抵は寺院の中心に設置されています。

 

住職や講義僧がここで経典の講読や説法を信者や他の僧侶に向けて行い、特に禅宗では、ここで法席に昇って説法することを「上堂説法」といい、そこで話された内容を上堂語といって、『臨済録』などの語録に収録されている。

 

 

黄檗山 万福寺 天王堂

天王殿 国宝

 

寬文8年(1668)に建立

 

天王殿は萬福寺の玄関にあたる位置づけで、中国では一般的な建て方です。

 

五間三面、単層、屋根は入母屋造り、本瓦葺きのお堂で、正面の石段を上り、右に右折して堂内に入ります。

 

萬福寺は、江戸時代初期に創建された寺で、三棟共に江戸時代初期の建築です。中国仏教建築と日本の寺院建築とが折衷した独自の様式が特徴で、いまも国内に420ほどある黄檗宗の寺院建築の規範として高い価値があると評価されています。 

 

 

隠元禅師

隠元隆琦禅師

 

いんげんりゅうき・1592-1673は、福州(福建省)に生まれました。29歳の時、福州黄檗山にて出家します。

 

隠元禅師は、1654年に中国から来た渡来僧です。臨済宗を代表する費隠通容(ひいんつうよう)禅師の法を受け継いだ高僧で、福建省にある「黄檗山萬福寺」の住職となり多くの弟子を育成していました。

 

43歳の頃、費隠通容(ひいんつうよう)の法嗣となる。承応3年(1654〉、先に来日した興福寺(長崎県)の僧逸然性融〈いつねんしょうゆう・1601-68〉より度重なる懇請を受け、弟子20余名を連れて、ついに長崎へ渡った。時に63歳。のち徳川家綱〈とくがわいえつな・1641-80〉から宇治の地を与えられ、黄檗山万福寺を創建しました。

 

日本黄檗宗の宗祖となる。かれは、宋の蔡襄(さいじょう)1012年〜1067年や明の董其昌(とうきしょう)1555年〜1636年の書を学んだといわれ、文人的書風から出発して、気品に加え、独自な力強さを持つ、いわゆる黄檗流という書風に至りました。

 

中国風精進料理である普茶料理を伝え、美術、医術、建築、音楽、史学、文学、印刷などの分野に貢献しました。

 

 

黄檗山萬福寺とは

 

1661年に中国僧の隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開創されました。

 

黄檗山萬福寺は黄檗宗です。中国から伝来したとされる伝統的な宗派で、臨済宗・曹洞宗と並び日本三禅宗の一つに数えられています。三つの禅宗のなかでも中国式の考えが強く残っているのが特徴で、葬儀の流れやマナーにも他の宗派との違いが見られます。

 

黄檗宗の教えや歴史、葬儀の流れ、葬儀のマナーを解説

中国式の考えが強く残っている宗派 黄檗宗は、江戸時代頃に中国から伝えられました。当初は臨済宗の一派とされていましたが、その後独立し黄檗宗と改宗しました。同じ禅宗でも、既に日本に伝来していた臨済宗や曹洞宗と比べると、中国式の考えが強く残っているのが特徴です。 例えば、黄檗宗のお寺は中国明朝形式で建てられたものが多く、日本の他のお寺と比べるとカラフルな外観をしています。仏具も中国式のものが多いです。

 

お経は般若心経が基本

特徴①日本語ではなく唐音(とういん)で読経する。
 
黄檗宗の葬式などであげるお経は、仏教の代表的な経典である「般若心経」が基本です。
 
唐音とは、漢字の中国式の読み方「音読み」の一種で、唐末または宋代以降に黄檗宗などの禅僧によって日本に伝えられました。「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみたしんぎょう)」を唐音で唱えると「ポゼポロミトシンキン」となります。
 
特徴②梵唄(ぼんばい)がある。
 
四拍子のリズムを刻みながら歌うように読経することを梵唄と言います。黄檗宗の法要は、梵唄に合わせて木魚や銅鑼・太鼓といった鳴り物を使用し、賑やかな雰囲気でおこなわれます。また中国では床に座る習慣がないので、立って読経するのも他の宗派と異なる点です。

 

「行」

行を重んじ、自分の心と向き合って悟りを開く 黄檗宗では、人は生まれつき悟りを持っているとする「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の考えが重んじられています。その悟りを開くためにも、自分自身の心と向き合うのが大事であるとされ、修行においては経典を数多く読むことより、座禅などの「行」が重視されています。 また、「己身の弥陀(己心の弥陀)・唯心の浄土(こしんのみだ・ゆいしんのじょうど)」という教えもあります。阿弥陀仏や極楽浄土は、自分自身の心の中にあるという意味です。 考えるほどに深みのある教えですが、平易にすれば、誰か他の人のことよりもまず自分のことを考え、自身の人生をどう生きるかを大切にしなさいということと受け取れます。

 

 

万福寺は煎茶のお寺

 

煎茶が有名になったのは、売茶翁が黄檗宗の僧だったからです。

 

売茶翁という呼び名はあくまでもニックネーム。彼の名は高遊外(こうゆうがい)と言います。

 

江戸時代前期の1675年佐賀県に生まれ、13歳の時に黄檗宗の総本山である宇治の黄檗山萬福寺で修行をしました。

 

日本で現在ポピュラーな仏教である鎌倉六宗(浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗)に比べて新しい宗派です。

 

中国の臨済宗をルーツとする禅宗の一つで、日本における他の禅宗(臨済宗・曹洞宗)と異なり、中国的な特色を多く残しています。

 

隠元禅師は来日する際、黄檗宗とともに多くの中国文化を持ち込みました。代表的なものが中国で一般的だった釜炒り茶だったのです。

 

釜炒り茶を始めとする中国文化を取り入れて、黄檗宗の僧になった高遊外(売茶翁)は、全国各地を周って修行を重ねる中、33歳の時に長崎で煎茶の知識を習得しました。

 

長崎には華僑たちが築いた「長崎三福寺」と呼ばれる唐寺があり、黄檗宗における中国と日本の橋渡し的な役割を果たす地でした。

 

煎茶を学んだ高遊外は、50歳後半になって煎茶を売り歩き始めます。

 

茶を売り歩く翁(おきな)ということから「売茶翁」と呼ばれるようになりました。

 

彼の売り方は独特で、価格は客の気持ち次第で無料でもOK」だったそうです。

 

このことが京の市中に煎茶を広めることになりました。 還暦を過ぎた高遊外は、京都東山に通仙亭(つうせんてい)という茶亭を開き、晩年は通仙亭で禅を説きつつ、人々に煎茶や茶器を売って過ごしました。

 

売茶翁がいたこともあり、煎茶のお寺としても有名です。隣接する煎茶道会館には全日本煎茶道連盟の本部があり、毎年5月に連盟主催で全国大会を開いています。

 

近年、中国人や香港人、台湾人などが日本の急須を求めて日本にお越しです。ですのでお抹茶を飲む茶道よりも、煎茶を飲む煎茶道の方が骨董品やお茶道具も高値になっております。

 

黄檗宗は、渡来僧が多く黄檗宗の僧の書かれた書も、昔より価格が上がっております。

 

初代隠元禅師の「穏健高尚な書」

 

二代木庵禅師の「雄健円成な書」

 

三代即非禅師の「奔放闊達な書」

 

隠、木、即と評され「唐風」あるいは「黄檗風の書」として珍重されています。

 

木庵性瑫(もくあんしょうとう)1611年〜1684年即非如一(そくひにょいち)・1616年〜1671年とともに「黄檗の三筆」と呼ばれ、江戸時代の唐様(からよう)書道勃興の起爆剤となった。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月9日

三浦小平二の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の三浦小平二の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

三浦小平二の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、三浦小平二の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

三浦小平二の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の三浦小平二のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた三浦小平二の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の三浦小平二の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

1933年(昭和8年)に新潟県の佐渡の無名異焼窯元の長男として生まれました。三浦小平二は、東京芸大の彫刻科を卒業しました。卒業後にいったん故郷に帰りますが、家業 を継いで5代目とはならず、島を飛び出します。 京都や多治見で焼物の修業を積み、東京芸大の陶磁研究室の副手に就きました。しかし、副手といっても当時は無給でした。また、日本伝統工芸展に作品を応募しても落選が続き苦渋の時代が続きました。

 

 

三浦小平二 本人

三浦小平二 本人

 

その後、焼締め、鉄絵、灰釉、黄瀬戸など多岐にわたる作風を経て、1970年代のはじめ頃に鈞窯や辰砂に行き着きます。

 

鈞窯は藁灰釉を展開した結果として作品に投影され、藁灰釉を厚掛けし銅を入れて還元焼成すると辰砂になります。 そのことと、灰釉を施して還元焼成した灰釉小鉢が、たまたま越州窯風な青磁に焼きあがった経験とが重なり、将来の青磁への道が少しずつ定まっていきました。鈞窯も青磁も、基本は同じ灰釉です。

 

灰釉を厚く掛けて還元焼成すれば青磁になり、三浦小平二の独特の青磁が展開されるようになりました。青磁作家として頭角を現し始めた三浦小平二は、次第に中近東諸国や中国の影響を受けた独特の世界観を構築していきます。

 

三浦小平二は台湾の故宮博物院で官窯青磁の逸品を見て作品に活かし、一層深みのある作品を作り出していきました。それから、1976年に伝統工芸展で文部大臣賞を受賞するなど、ようやく青磁作家としての頭角を現すようになりました。

 

 

 

三浦小平二 青磁豆彩 インド文茶碗

三浦小平二 青磁豆彩 インド文茶碗

 

43歳から 同時に、中近東諸国やアフガニスタンから中国へとシルクロードへの取材の旅をするようになりました。その成果は、青磁に色絵を施した独特の作品にいきつきました。砂漠の民や風物が暖かい視線で捉えられ、色絵を青磁に表現された作品は三浦小平二独特の表現になり彼の独特の世界観が表現されました。

 

そして、故郷の佐渡の土を悩みながら試した多様な技法と作品を発表していきます。旅をして描いたスケッチを陶磁器に生かし多作品それらすべてが渾然一体となった三浦小平二のオリジナルスタイルの青磁作品となって完成していきました。

 

 

三浦小平二軸装 トルファンにて

三浦小平二軸装 トルファンにて

 

トルファンは「吐魯番」と書き、中国北西部の辺境の地・新彊ウイグル自治区にある盆地です。各々の土地の人物や風物が生き生きと活写され、微笑ましささえ感じられるのがこれらの絵の特徴です。

 

 

三浦小平二 ヘラートへの道

三浦小平二 ヘラートへの道

 

イランに近いアフガニスタン西北部にある都市・ヘラート。ラクダに揺られる母子が、実に愛らしく描かれています。

 

 

 

三浦小平二の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.三浦小平二の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.三浦小平二の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.三浦小平二の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.三浦小平二の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

三浦小平二 略歴

 

1933(昭和8)年に現在の新潟県佐渡市相川に生まれる。父は佐渡無名異焼の三浦小平

 

1951年東京芸術大学美術学部彫刻科に入学し平櫛田中に指導を受ける。高田直彦らと陶磁器研究会(陶研)をつくり、加藤土師萌に師事し、芸大最初の窯を築きます。また、父の薦めで京都の製陶会社や岐阜県陶磁器試験場にて陶技を根本から学美ます。その後、母校に戻り、副手、非常勤講師を務めながら制作の目標を灰釉陶器から鈞窯、青磁へと定めました。

 

1976年、第23回日本伝統工芸展に出品した「青磁大鉢」において文部大臣賞を受賞。これは、作者の生地・佐渡の朱泥土の素地を轆轤成形で薄く挽き上げ、明るい青白色の青磁釉がたっぷりとかかった作品です。

 

1972年台北の故宮博物院における宋代青磁の調査から佐渡の朱泥土を使用することを思い立ち実現したという。その後、1992(平成4)年、郷里に「三浦小平二小さな美術館」を設立します。

 

1993年に日本陶磁協会賞金賞

 

1994年にはMOA岡田茂吉賞工芸部門大賞

 

1995年には第42回日本伝統工芸展に出品した「青磁飾壺『寺院』」が日本工芸会保持者賞

 

1996年紫綬褒章を受章。三浦の作風はアジア・アフリカの風物をモチーフとしたものが見られ、これらは本人が「創作の原点」と語った海外への旅の影響といわれている。東アフリカ牧畜民のマサイ族との出会いやアフガニスタン砂漠の中の湖バンディ・アミールの神秘的な青色の感動が作域を広げたと考えられます。

 

1997年、青磁で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2000年東京芸術大学名誉教授、文星芸術大学陶芸科主任教授に就任

 

2005年文星芸術大学陶芸科客員教授にと後進の指導に心血を注ぎました。

 

2006年、「[作陶50年]人間国宝三浦小平二展」を日本橋三越、新潟三越で開催した同年、逝去。没後、遺族が作品30点を佐渡市へ寄贈

 

2006年10月3日東京都国立市の自宅にて逝去、享年73。10月3日午前1時56分に急性心筋梗塞のため死去した。享年73。

 

2008年「[特別展]人間国宝三浦小平二の世界―青磁以前の作品、青磁の世界、画家・三浦小平二―」展が佐渡博物館、両津郷土博物館、相川郷土博物館にて開催されました。

 

 

 

三浦小平二 青磁盃

三浦小平二 青磁盃

 

青磁は青から緑色に発色する青磁釉がかけられた 陶磁器のことです。青磁釉はもともと灰と土石を混ぜた釉薬です。

 

現代では石灰と長石に1~2%の酸化鉄を添加することで得られます。 また素地に含まれる微量な鉄分(これも1~2%程度)も、青磁の発色には重要な要素です。

 

素地の粘土は磁器・陶器・半磁器にわかれ、上記の通り微量な鉄分が含まれるのが理想です。

 

そして釉調の深みを出すため、青磁釉は幾層かに重ねがけされるのが一般的です。

 

これを高温で還元焼成すると、分厚い釉と素地に含まれる鉄分が淡い青色から緑色に発色します。

 

 

 

三浦小平二の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.三浦小平二の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

三浦小平二 査定価格におけるポイント

 

三浦小平二の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

三浦小平二先生の作品は青磁豆彩に高値の査定価格がつきます。

 

20万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと10万前後になります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

三浦小平二の作品は窯の焼き上りを重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。

 

三浦小平二展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

三浦小平二先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ三浦小平二の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月8日

吉田美統の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の吉田美統の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

吉田美統の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、吉田美統の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

吉田美統の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の吉田美統のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた吉田美統の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の吉田美統の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

吉田美統は、金箔の薄箔と厚箔を使い遠近感を出す技法が特徴です。 その技術は釉裏金彩(ゆうりきんさい)のいわれておりその第一人者です。

 

使用する金箔が極薄の為、金箔のカットの技術を必要とします。 磁器に金箔を焼付けた後、透明釉を施し、金本来の色を際立たせているのも特徴です。その金色は変色することなく金本来の色を永続することができます。 落ち着いた格調の高い、優美な陶芸技術として国内外から高く評価されています。

 

 

吉田美統 本人

吉田美統 本人

 

九谷焼独特の赤絵金襴手を継承した。吉田美統も高校在学中から陶芸技法を学び始めて、卒業後1951年に家業である錦山窯の三代目となり、九谷の伝統的な絵付け等の技法を習得します。

 

1962年には武蔵野美術短期大学の特修生として工芸デザインを学んでいます。

 

釉裏金彩技法を用いた加藤土師萌の作品に出会ったことをきっかけに、自らの作陶にもその技術を取り入れる事を決意しました。

 

九谷焼の伝統の色絵具をかけた素地を、本焼きして、地色とし、その上に二種類の金箔を文様にして、切り取ったものを載せて焼き付け、更に仕上げとして全面に透明な釉薬をかけて焼き仕上げる。その1つ1つの工程に於いて独自の研究を為し、技術の洗練度を高めました。

 

 

 

 吉田美統 釉裏金彩芙蓉文花瓶(紫)

 吉田美統 釉裏金彩芙蓉文花瓶(紫)

 

代表的作品である釉裏金彩で「芙蓉」を見事にあしらっております。花びらの一枚一枚、葉、枝の部分全て手作業で貼りう付けられております。

 

作品の細部にまで綿密に計算され、濃淡などを表現されております。

 

 

吉田美統の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.吉田美統の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.吉田美統の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.吉田美統の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.吉田美統の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

吉田美統  釉裏金彩芙蓉文花瓶

吉田美統  釉裏金彩芙蓉文花瓶

黄金に輝く芙蓉の花。金箔で象られた形は、萌黄色の地にやさしく浮かびあがり、たおやかに咲いています。華麗でありながら派手さはなく、かえって奥ゆかしくも感じられるのは、吉田美統の技術が成せる業です。

 

吉田美統は、数ある九谷焼の上絵付技法のなかでも、金彩による装飾を代々得意としてきた窯元、錦山窯の三代目当主です。

 

加藤土師萌の釉裏金彩作品に出会い、その斬新さに衝撃を受けたことをきっかけに、この技法に取り組み始めました。

 

以来30年以上に渡り技を磨き続け、現在では重要無形文化財保持者(人間国宝)の指定を受けています。

 

本作では、扱いが困難といわれる金箔を巧みに操り、花や葉の陰影や奥行きまで見事に表現されています。繊細な金箔を透明釉で閉じ込める「釉裏金彩」の美を語るにふさわしい品格を備えた陶芸作品である。

 

 

 

吉田美統 略歴

 

1932年 石川県小松市に生まれ、本名を稔。

 

1951年 錦山窯3代を継承して上絵付けや金襴手の技法習得に努める。

 

1963年 九谷焼新作展で県知事賞を受賞。

 

1970年 日本万国博覧会に石川県より選抜され百人一首大花瓶を出品。

 

1974年 日本伝統工芸展入選。

 

1976年 朝日陶芸展で受賞。

 

1979年 釉裏金彩鉢外務省買上作品に選定される イタリア・フィレンツェ・コンクール’79に選抜出品

 

1980年 伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞。

 

1982年 一水会陶芸展で会員優賞を受賞。

 

1984年 中日国際陶芸展で受賞。 日本伝統工芸展で奨励賞を受賞。

 

1992年 日本伝統工芸展で高松宮記念賞を受賞。 石川県指定無形文化財に認定。

 

1993年 釉裏金彩鉢がワシントン・スミソニアン研究機構のサックラー 美術館の永久保存作品に選ばれます。

 

1995年 日本陶磁協会賞を受賞。 日本伝統工芸展鑑査委員となります。

 

1997年 国際色絵陶磁器フェア’97九谷で受賞。

 

2000年 日本伝統工芸展鑑査委員となる。 日本伝統工芸展で保持者賞を受賞。

 

2001年 紫綬褒章を受章。 重要無形文化財「釉裏金彩」の保持者(人間国宝)に認定 される。 北國文化賞、石川県文化功労賞を受賞。

 

2002年 小松市文化賞を受賞。

 

2003年 石川テレビ賞を受賞。

 

2006年 旭日小受賞 財団法人石川県美術文化協会理事

 

2007年 「わざの美」大英博物館に選抜出品します。

 

2010年 日本橋三越に於いて傘壽記念展開催

 

2018年 文化庁企画による工芸技術記録映画製作されます。

 

2012年 文化庁主催海外展 「日本のわざと美・近代工芸の精華」 (イタリア・フィレンツェ市)選抜出展

 

 

吉田美統 釉裏金彩菊鳳凰飾皿 

吉田美統 釉裏金彩菊鳳凰飾皿 

 

飾皿は、令和を記念して特別に製作されました。人間国宝・吉田美統氏による作品の釉裏金彩菊鳳凰です。

 

高貴な紫地に、縁起の良い菊花と鳳凰が美しく描かれており、そのデザインは気品と華やかさを見事に融合させています。

 

伝統と現代が調和したこの飾皿は、現代の空間を美しく彩ります。

 

 

 

 

吉田美統の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.吉田美統の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

吉田美統 査定価格におけるポイント

 

吉田美統の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

吉田美統先生の作品は「釉裏金彩」に高値の査定価格がつきます。

10万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと1万前後になります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

吉田美統の作品は窯の焼き上りを重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。

吉田美統展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

吉田美統先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ吉田美統の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月7日

加藤孝造の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の加藤孝造の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

加藤孝造の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、加藤孝造の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

加藤孝造の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の加藤孝造のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた加藤孝造の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の加藤孝造の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

二〇一〇年に美濃焼の技法「瀬戸黒」で国の重要無形文化財保持者(人間国宝)となった陶芸家加藤孝造さんは、昭和を代表する陶芸家で人間国宝の荒川豊蔵(一八九四~一九八五年)に師事、美濃桃山陶の伝統を受け継ぎながら、独自の表現を追求してきた。
 
 
 
 
加藤孝造 本人

加藤孝造 本人

 
瀬戸黒は鉄分を含む釉薬をかけた器を、高温になった窯から真っ赤に焼けた状態で引き出し、水で急冷する。すると表面が艶やかな黒に染まる。タイミングの見極めが重要で、一度の焼成で二十点ほどしか作れない。
 
 
「世界で類を見ない技術だし、黒は茶の緑に最も映える。今でも失敗はあり、思い描く漆黒にはならないけれど、だからこそ引きつけられてやまない」
 
 
吸い込まれるような黒に、自らが一番魅了されているという。

 

「自分の気持ちが投影できたかが最も大事」。陶芸の人間国宝加藤孝造さんは、作陶の心構えについて話す。

 

師の荒川豊蔵の教えを象徴するのが「窯を焚いとれば、温度も上がるし、釉薬も溶けてくる」という言葉。「窯を焚くと三、四日と時間がかかる。早く焼けないかと焦る私に、荒川豊蔵先生は『焦るな』と言いたかったのだと思う」。合理性や効率を求めず、自然の中で、土、炎、そして自らとじっくり向き合う作陶。

 

やがて師が亡くなり、ガス窯や電気窯の性能が向上しても、加藤孝造さんはその姿勢を貫いた。「合理性は否定しないが、焼き継がれた美濃の陶芸がなくなるのは違う。

 

 

加藤孝造 瀬戸黒茶碗

加藤孝造 瀬戸黒茶碗

 

瀬戸黒とは、桃山時代に生み出された技法で一度廃れてしまったが、人間国宝の故・荒川豊蔵氏によってよみがえり、加藤孝造さんに受け継がれた。

 

桃山時代に現在の岐阜県大萱周辺で焼かれた茶陶です。漆黒茶碗が茶人に好まれたため、瀬戸黒はほとんど茶碗しか作られる事はありませんでした。胎土は志野と同じ百草土で、轆轤で成形され、底が平たく高台は小さめの円筒型の茶碗が特徴です。釉薬は長珪石と土灰を合わせ、これに鬼板(酸化鉄・マンガン等を含む天然の原料)を加え、窯に入れて焼きます。

 

1200度という窯のなかから引き出して急激に冷さないと出ない色。引き出すタイミングを見計らう勘と、炎に対する気迫が必要不可欠な焼き物である。

 

加藤孝造は、「新しさの根底には伝統がなければいけない」という。

 

釉薬についても、加藤孝造は試験場で研究し、あれこれブレンドして、志野や織部を造っていたが、荒川豊蔵は、「探せば、必ず原材料はある」と言うのだ。

 

「自分の足で見つけるのも、ひとつの研究ではないか」。むしろ、そういうものを見つけることが大事であると荒川豊蔵から薫陶をうけた。

 

桃山時代茶陶の再興を遂げた荒川豊蔵との出会いにより、多大な影響を受けて加藤孝造自身も美濃焼に生涯を捧げました。

 

瀬戸黒以外にも「志野」「黄瀬戸」「鉄釉」などをすべて穴窯で薪を使って焼成しました。豊かな造形と、独自の緋色など、桃山古作に迫る作品は国内外でも高く評価され、国立近代美術館やニューヨーク・クラフト美術館などにも多数作品が所蔵されています。

 

 

加藤孝造の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.加藤孝造の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.加藤孝造の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.加藤孝造の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.加藤孝造の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

加藤孝造 略歴

 

1935年 岐阜県瑞波市に生まれる。

 

1953年 光風会展(洋画)に初入選以後八回出品。 この年より岐阜県陶磁器試験場にて加藤幸兵衛氏に陶芸の指導を受ける。

 

1954年 第十回日展(洋画)に初入選しこの年の全国最年少者入選、以後三回出品。

 

1955年 岐阜県陶磁器試験場工芸科(主任技師)のころより進路を陶芸に固める。

 

1957年 皇太子殿下ご成婚を祝し岐阜県より献上の染付「浅間山」陶板を制作する。

 

1959年 朝日新聞社主催現代日本陶芸展に初入選する。 ニューヨーク・ボニエル工芸店にて初個展。

 

1962年 朝日新聞社主催 現代日本陶芸展課題作の部にて三席に入賞する。 日本伝統工芸展に「志野日帯文壺」初入選、以後同展に出品する。

 

1963年 朝日陶芸展入選入賞、以後受賞を重ねる。

 

1965年 岐阜県より献上の染付「鵜飼」陶板二面を制作する。 多治見市星ヶ台に薪・石炭併用の倒焔式単独窯を築く。

 

1966年 日本工芸会の正会員となる。

 

1967年 朝日陶芸展にて「鉄釉壺」が優秀賞受賞。同展の評議委員となる。

 

1968年 第十五回日本伝統工芸展にて「鉄釉花器」で優秀賞(朝日賞)を受賞する。

 

1969年 第一回東海伝統工芸展最高賞(第一席)を受賞する

 

1970年 岐阜県陶磁器試験場工芸科を退職し多治見市星ヶ台に独立し制作活動に入る。 この年、陶房に来訪された荒川豊藏氏の助言を得て穴窯築窯を決意する。

 

1971年 多治見市星ヶ台に半地上式単室穴窯を築く。 朝日陶芸展審査員となる。

 

1972年 東京三越本店にて個展、以後隔年開催。 大阪高島屋にて個展。

 

1973年 可児市久々利平柴谷に穴窯と登窯二基を築き制作の場とし、桃山の陶芸技術の追求に努める。

 

1975年 中日国際陶芸展評議員となる。以後主として個展を作品発表の場とする。

 

1979年 名古屋松坂屋本店にて「志野・瀬戸黒・黄瀬戸」による、茶盌五十選展を開く。

 

1981年 名古屋松坂屋本店にて作陶二十年記念個展を開催する 中華民国歴史博物館主催日華現代陶芸展に招待出品。

 

1982年 読売新聞主催現代の茶陶百盌展招待出品。 名古屋松坂屋本店にて「中国の秘境探訪」をテーマに陶画展を開く。

 

1983年 加藤幸兵衛賞が創設され第一回加藤幸兵衛賞を受賞する。東海伝統工芸展監査員となる。 東京国立近代美術館主催 伝統工芸三十年の歩み展出品。

 

1984年 中日国際陶芸協会賞を受賞する。

 

1985年 日本陶磁協会賞を受賞する。岐阜新聞社賞教育文化賞を受賞する。

 

1986年 中日国際陶芸展審査員となる。 大阪ツイン21ナショナルタワーとMIDタワーのメインロビーに 志野陶壁 「漠煌平」・「織部陶壁」・「海潮音」を制作。 東海信用金庫本店ロビーに志野陶壁「みのり」を制作。

 

1990年 大阪IMPビルロビーに陶壁「展」制作。 平成天皇即位の礼を祝って志野扁壺(岐阜県)を献上。 美濃陶芸協会会長となる。

 

1991年 多治見市無形文化財に指定される。 1992年 岐阜市葬祭殿ロビーに陶壁「夢」を制作。 多治見市産業会館に陶壁「清輝」を制作。

 

1994年 多治見市役所に陶壁「涛」を制作。 東海テレビ文化賞を受賞する。

 

1995年 瑞浪市瑞浪小学校ロビーに陶壁「風魂」を制作。 志野・瀬戸黒の技法で、岐阜県重要無形文化保持者に認定される。

 

1996年 現代日本陶芸の秀作 アジア巡回展に出品する。

 

1997年 社団法人美濃陶芸協会会長を辞し、名誉会長となる。

 

1998年 中日文化賞を受賞する。 岐阜県芸術文化顕彰を受賞する。

 

1999年 可児市の陶房に小民家を移築し「風塾」を創設する。

 

2002年 丸沼芸術の森にて幽玄の世界「瀬戸黒孝造展」を開催する。

 

2003年 第四回織部賞を受賞する。 日本伝統工芸展50周年記念「わざの美」展出品する。岐阜県文化財保護審議委員となる。

 

2005年 岐阜県陶磁資料館顧問となる。 地域文化功労者文部科学大臣表彰。

 

2007年 紺綬褒章を受章される。

 

2008年 日本橋三越本店にて作陶五十年記念「加藤孝造展」開催する。

 

2009年 社団法人美濃陶芸協会名誉顧問となる。平成21年度岐阜県各界功労者表彰。

 

2010年 第29回伝統文化ポーラ賞を受賞する。瀬戸黒の技法で国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。

 

2012年(平成24年)旭日小綬章受章し同年瑞浪市の名誉市民に選ばれる。

 

2013年(平成25年)に多治見市名誉市民に推挙され[6]可児市名誉市民にも選ばれた。とうしん美濃陶芸美術館の2015年5月開館(平成27年)に際して陶壁「連」(つらなり)を制作。美術館の入り口から入って真正面に展示されている。最晩年及び晩年は孝造自身の作品はもとより、長年師と仰ぎ自ら傾倒し各種方面から大収集した故人間国宝荒川豊蔵の代表作品や関連する美濃陶磁資料を地元ならず各地の美術館などに寄贈した。

 

2023年4月17日(令和5年)岐阜県多治見市の病院で急性心不全で死去。88歳没。

 

2023年(令和5年)6月下旬から7月2日まで、とうしん美濃陶芸美術館(地元多治見市にある信用金庫本店の、東濃信用金庫関連施設)において追悼展が開催され、「黄瀬戸、志野、灰釉など初公開含む15点」が展示された。

 

2023年(令和5年)7月10日、美濃陶芸協会は「若手陶芸家の育成や美濃陶芸発展への貢献をたたえ」「美濃陶磁育成智子賞」で初の特別顕彰を贈った。

 

2023年(令和5年)7月31日、バロー文化ホール(多治見市文化会館)において瑞浪市、多治見市、可児市、美濃陶芸協会の主催により「名誉市民 故 加藤孝造氏追悼式」が執り行われ、約900人が参列した。7月31日から8月31日まで岐阜県セラミックス研究所(多治見市星ケ台)において、「加藤孝造追悼展」として氏の陶磁器試験場職員時代の「見本試作品」64点が展示される。

 

岐阜県可児市は2023年(令和5年)8月23日の定例会見で「加藤孝造さんが生前に作陶していた窯などの寄付を受ける考えを明らかにした」。同市久々利平柴の窯場の土地、付随する建物(古民家移築群)、平成時代に築き上げ整備した登り窯や穴窯等の全て。市によると、寄贈されるのは、建物3棟(計406平方メートル)と土地(9803平方メートル)、敷地内の窯や道具、加藤さんが収集した美術品などが遺族親族側より寄付寄贈される申し出と公式に発表。市は荒川豊蔵資料館と並んで「美濃桃山陶の聖地」「志野焼誕生地の聖地」として幅広く世界に可児市としてもPRしていく考えだと表明している。

 

 

加藤孝造 志野茶碗

加藤孝造 志野茶碗

 

志野焼は、日本の焼物の歴史を代表する美濃焼の一種です。 釉薬のかかっている部分は、美しい乳白色でぽってりと仕上がり、釉薬の薄い部分には緋色が見えます。

 

現在の陶芸家も志野焼を作陶される方は多いですね。しかし桃山時代の志野焼に到達する作家はなかなかいませんね。志野焼の中でも桃山志野と呼ばれる安土桃山時代の作品は、骨董業界でも非常に評価が高く高値で取引されています。

 

加藤孝造の志野は、どっしりとした志野焼独特の豪快さと釉薬のやわらかさも共に感じる素晴らしい作品です。

 

 

 

加藤孝造の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.加藤孝造の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

加藤孝造 査定価格におけるポイント

 

加藤孝造の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

加藤孝造先生の作品は瀬戸黒茶碗に高値の査定価格がつきます。

40万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと3万前後になります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

加藤孝造の作品は窯の焼き上りを重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。

豪快な作行きの作品が高値の傾向にあります。加藤孝造展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

平紫谷のサインが追加された作品が高値で取引されています。

 

制作年代

 

加藤孝造先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ加藤孝造の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年11月6日

涼しくなるどころか寒くなったような! 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

暑かったのが涼しくなり少し寒くなりましたね!

 

「秋がない」は「飽きない」と「商い」を掛け合わせた言葉で、「いくら食べても飽きない、商売繁盛」を願う団子屋さんのユーモアが込められていると言われています。

 

しかし本当に秋がない!

 

地球温暖化の影響で、日本の四季が二季に変化する可能性はありますが、秋が完全に消えてしまうわけではありません。

 

ただし、地球温暖化による気候変動によって、四季の変化が極端化したり、快適な気候が少なくなったりする傾向にあるように感じます。

 

ファッションにとってゆゆしき問題です。

 

なぜなら、春と秋はファッションを楽しむのに絶好の時期で、旅行にも最適です。

 

暑くなるとジャケットを着れないし、寒くなるとすぐにコートを着なくてはいけなくなる。

 

春・秋ならではの味覚やレジャーもあり、そうした春・秋が短くなると、人生を快適に過ごす時間が半減します。

 

地球温暖化の原因となっているCO2(温室効果ガス)を急激に下げたとしても、地球には慣性があるので急に改善することはなく、少なくともこの先10年はがまんが必要と聞いたことがあります。

 

 

 

香嵐渓の紅葉

香嵐渓の紅葉

 

 

海面の水温が上がって水蒸気が大量発生すると豪雨が増え、台風も巨大化し、夏は40℃級の酷暑が続き、熱中症の患者が増える。

 

今年も暑かったですね!来年はどうなることか。

 

その一方、日本海では冬でも海面水温が高く、水蒸気が線状降雪帯の雲を作り、寒波到来のたび、容赦ない大雪が降る。

 

寒すぎるのもどうかなと思います。異常気象が頻繁に起こる確率が急速に増しているみたいですね。

 

時折、冬は冬らしく寒くなる。温暖化なんて嘘だと言う人がいますが、実は寒暖の変化が激しいのが温暖化時代の冬の特徴みたいですね。

 

多くの気象学者が、産業革命前(1850年)の世界の平均気温との温度差が1.5℃を超えると、もう後戻りできないほど、生活に悪影響を及ぼすと考えています。

 

というのも、北極の氷やシベリアの永久凍土などがいったん溶けたら、再凍結しないからです。

 

そうなると、人類が経験したことのない予測不能な事態が発生します。

 

実は、世界の平均気温は産業革命前と2023年を比べると、1.48℃も上昇しているみたいです。

いまさらどうすることもできないのか?

 

理論上は『取り返しのつかないアナザーワールド』にほぼ突入しているみたいです。

 

私たちは気候への意識を高め、危機感を持ち直す必要がありますが果たしてどうすればよいのか?

 

5月からセミが鳴き、7月に豪雨が増え、8・9月は灼熱の酷暑となり、紅葉は12月に色づくようになるという。

 

このまま夏が長引くのが当たり前になれば、「紅葉はまだかな」なんて思っているうちに雪が降ってくるようになるでしょう。

 

つまり、〝秋の消滅〟がすぐそこまで迫っています。

 

四季を楽しむ日本の文化も季節がずれたり短くなると、色々とこれから不都合なことが起こりそうに思います。

 

どうなるか!子や孫の時代は?

地球は?

 

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美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

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裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

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2024年11月5日

ブライトリングの腕時計の話 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

26歳ぐらいで買った時計

懐かしい!

 
今つけている時計は、スイスにオーバーホールに出しているから4ヶ月ぐらい帰って来ない。
 
この時計は、ブライトリングの1965年製のコパイロット、CPと言うらしい。
 
ホコリをかぶっていたから綺麗に掃除して、しばらくこの時計を使おうと思っている。
 
ベルトがちぎれていたから、ブライトリングの名古屋ブティックに行って新しく新調した。
 
この時計は大事に使いたいから純正のベルトにしたかった。そしたら10万ぐらいした。
 
結構ベルト高いな!
 
 
 
 
 
ブライトリング 1965 コ・パイロット

ブライトリング 1965 コ・パイロット

 
 
 
 
1965 コ・パイロット
 
REF. 765 CP
 
モディファイヴィーナス 178
 
41 MM
 
このクロノグラフを製造した目的は、どんなパイロットにとっても信頼のおけるパートナーであるナビタイマーの補足版、ウィリー・ブライトリングはこのクロノグラフに、そんな意味合いを完璧に反映する「コ・パイロット」という名前を授けた。
 
私が確か26歳ぐらいで必死に買った腕時計、ずっとほったらかしだった。
 
良い物を身に付けて自分のランクを上げたいとか思っていたのだろう。
 
確か35万ぐらいしたと思う。
 
ロレックスとかのデイトナとかは高くて買えなかった。
 
しかし、この時計を眺めると20歳代の当時の事を思い出す。
 
必死に生きていたな。
 
何もかも上手く行かず苦しかったな。
 
いろいろな思いがあるからこの時計は手放せないな。
 
時計を買って長く持つ良さはあるな。
 
改めて眺めるとなかなか良い時計を買ったな。
 
26歳で1960年代の時計を買った自分を褒めてあげよう。
 
なかなかええセンスしとったと。
 
最近、それからこの時計を買ったお店に久しぶりに行った。
 
この時計を買ったから時計屋さんと当時の思い出話に花が咲いた。
 
今は100万以上あるよと言って頂いた。
 
極端に数が少ないらしい。
 
2020年に復刻版が出たみたい。
 
一度もオーバーホールをしてないから暫くしたらオーバーホールをしてあげよう。
 
 

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美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

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裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

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出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

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2024年11月4日

原清の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の原清の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

原清の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、原清の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

原清の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の原清のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた原清の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の原清の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

原清のひと抱えもある大きな壷に描かれた馬を見ていると、ラスコーの洞窟絵を思い出します。

 

原の馬は、先史時代に描かれたようなプリミティブな素朴さを秘めつつも、フォルムは洗練の極みに表現され、天まで昇っていくのではないかという軽やかな足どりに思わず惹き込まれます。

 

眺めていて、あきることがなく、そのうちに、愛おしくなってきて、壷ごと抱きしめたくなります。

 

大鉢の周りに咲く草花、木々の間で羽根を休める鳥など、原清が作品に表す植物や動物へ注ぐ視線は、限りなくやさしくて温かくて慈愛に満ちています。

 

 

 

原清 鉄釉馬紋大壺

原清 鉄釉馬紋大壺 

 

原清は、石黒宗麿と清水卯一に師事します。

 

鉄釉陶器の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。鉄釉陶器は、釉に含まれる鉄分によって黒色・茶色・黒褐色・柿色などに呈色させる陶芸技法で、東洋で独自に発展しました。原清は、鉄釉の特性を生かした制作を続け、独自の作風を確立しています。

 

 

原清 本人

原清 本人

 

原清は、釉薬の研究に長年取り組んだことで生み出された碧釉、柿釉、鈞窯などの作品で知られており、特に鉄釉陶器が評価されています。

 

鉄釉陶器は、釉薬に含まれる鉄分によって黒色や茶色、黒褐色、柿色などに呈色する陶器の制作技法で、鎌倉時代から室町時代に中国から日本に伝わりました。

 

この鉄釉の特色を生かして黒釉と褐色釉を二重掛けし、動植物の文様を表現しました。

 

原清は、「文様には陶器を一層輝かせる役割がある」という言葉を述べております。

 

 

 

原清の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.原清の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.原清の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.原清の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.原清の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

原清 略歴

 

1936年 島根県に生まれます。埼玉県寄居在住

 

1954年 京都にて石黒宗麿・清水卯一に師事します。

 

1958年 日本伝統工芸展に初入選します。

 

1961年 日本工芸会正会員に推薦されます。

 

1963年 国立近代美術館・朝日新聞共催の「現代国際陶芸展」に 招待出品

 

1965年 東京都世田谷区に築窯独立します。

 

1969年 伝統工芸新作展優秀賞受賞 日本伝統工芸展奨励賞受賞

 

1970年 京都国立近代美術館にて開催の「現代の陶芸・ヨーロッパと 日本展」招待出品

 

1976年 埼玉県寄居に工房を移転。 1981年 台北市国立歴史博物館開催の国際交流協会主催 「日華現代陶芸展」招待出品

 

1982年 香港ミュージアム オブ アート開催「現代日本陶芸展」 招待出品

 

1983年 ワシントン スミソニアン ナショナル ミュージアム開催 「日本現代陶芸展」招待出品。 毎日新聞社主催「全日本伝統工芸選抜作家展」招待出品。 国立近代美術館開催「伝統工芸30年の歩み展」招待出品

 

1986年 世田谷美術館開館展招待出品。同館買上げとなります。

 

1990年 日本工芸会理事就任する。

 

1995年 紺綬褒章授章

 

1996年 国際交流基金主催「現代陶磁器の秀作アジア巡回展」 招待出品

 

1997年 日本伝統工芸展優秀賞受賞

 

2003年 日本伝統工芸展50周年記念展「わざと美」招待出品

 

2005年 鉄釉陶器が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。 日本工芸会参与就任

 

2006年 NHK主催人間国宝制度制定50周年記念「人間国宝展」 招待出品

 

 

 

 

原清 鉄釉方形草花文花瓶

原清 鉄釉方形草花文花瓶

 

原清は、端正な器形に、草花や鳥のような愛らしいモチーフを組み合わせ、緊張感と叙情性が共存する作品を目指しています。

 

作品は、量感ある壺に黒と茶色の二色の鉄釉を重ね掛けし、花鳥文を大らかに描き出しています。

 

 

 

原清 鉄釉鳥文大鉢

原清 鉄釉鳥文大鉢

 

石黒宗麿の内弟子となった原清だが、最初に、ろくろや土に触ることはならぬと言い渡された。

 

何はともあれ、すべてを預けよう。

 

「今日で死ねと言われたら、死んでもいいというくらいの覚悟でした」。

 

朝は7時に朝食を出すから、それまでに、犬2匹の散歩と、庭に箒の目を入れておくように、と言われる。

 

そんなの簡単、1時間もあればできる。

 

そう思っていたら、犬は仲が悪くて1匹ずつしか散歩ができず、庭は600坪もあって時間がかかる。

 

初日は終了が10時半。当然、大目玉をくらう。

 

お詫びをして、次の朝から4時に起きた。

 

ある冬の日、庭に積もる雪を見て、今日は箒の目は入れなくていいだろうと勝手に判断。

 

すると、またまた大目玉。「ここは八瀬のあばら家だけど、ここでやっていることは大きなお寺と同じこと。あばら家でも修行はできるんだ」と、石黒宗麿が言う。

 

以来、不思議なのだが、人生観が変わったみたいに、朝が楽しくなってきた。

 

お坊さんと同じ修行をしているという自信のようなものか。

 

そのうち、犬の散歩をしながら俳句が浮かぶ。

 

そうなると、これまで見過ごしていた草花がハッキリと目に映る。

 

ものの見方や考え方も少しずつ変わってきた。

 

 

 

原清 査定価格におけるポイント

 

原清の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

原清先生の作品は、鉄釉の作品が高値の傾向にあります。

5万円から30万円ぐらいの買取相場です。

作品は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります。50万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

草花、木々の間で羽根を休める鳥、馬の図柄が高値の傾向にあります。

 

碧釉、柿釉、鈞窯の作品もございます。

 

原清展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

原清先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ原清の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただくます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

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2024年11月3日

伊勢﨑淳の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の伊勢﨑淳の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

伊勢﨑淳の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、伊勢﨑淳の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

伊勢﨑淳の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の伊勢﨑淳のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた伊勢﨑淳の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の伊勢﨑淳の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

伊勢﨑淳は、日本の陶芸界を代表する陶芸家の一人であり、備前焼の分野でその名を知られています。重要無形文化財保持者、(人間国宝)に認定されている伊勢﨑淳は、伝統的な備前焼の技法を継承しつつも、独自の表現を追求することで、伝統と革新を融合させた作品を生み出しています。

 

 

 伊勢﨑淳 本人

    伊勢﨑淳 本人

 

備前焼は六古窯のひとつとして知られ、長い歴史と伝統を持つ焼き物です。その中でも伊勢﨑淳は、現代の備前焼を代表する陶芸家として高く評価されています。独自の技法と美学で備前焼の新たな地平を切り拓き、多くの作品が国内外で評価されています。

 

伊勢崎淳の作品は、焼成時に生まれる胡麻や緋襷、牡丹餅などと呼ばれる独特な景色と渋い色の土肌という備前焼の伝統を感じさせる美しさと、モダンな形が融合した独特な作風で、大胆でありながら落ち着きのある雰囲気を備えていることが特徴です。

 

伝統と革新、無機質的な形と有機的な土色と質感、人間の技術と自然が生み出す偶然など、異なる性質を持つ特徴が混然一体となった作風は高い人気を誇っています。

 

 

 

伊勢崎淳 備前徳利

伊勢崎淳 備前徳利

備前焼の分野では現在5人が重要無形文化財(人間国宝)に認定されています。 「金重陶陽」「藤原 啓」「山本陶秀」「藤原雄」そして「伊勢崎淳」の5人です。

 

 

 

姑耶山の古窯跡に窖窯

姑耶山の古窯跡に窖窯

 

備前焼は、岡山県備前市伊部の一帯で焼かれる陶器で、1000年近い歴史を持ちます。

 

平安時代末期(12世紀)に現れた窯場で、桃山時代(16世紀後半)に作られた茶器は、侘び寂びを重んじる茶人たちに愛された名器として現在でも珍重されています。

 

備前焼の魅力は、その土肌の渋い味わいにあります。 釉薬を使わず、絵筆で文様を描くこともございません。2週間にも及ぶ焼成で焼き締め、その長い時間の中で起きる窯変が命なのです。

 

備前焼に使われる粘土は耐火度が低く収縮率が大きいため、急激な温度変化を受けると破損しやすいです。そのため、時間をかけて窯の温度を上げて焼き締める技法が生まれました。

 

1961年に兄の伊勢崎満とともに、姑耶山の古窯跡に窖窯(あながま)と呼ばれる幅1.8メートル、長さ15メートルもある備前特有の窯を100年ぶりに復元しました。

 

窖窯は山の斜面を利用し、地面に穴を掘抜いて構築した窯です。

 

室町時代末期に朝鮮から登り窯が入ってくるまで、須恵器などはこの形式の窯が使用されていました。 この窖窯を使って焼くことで、「火襷」や「桟切」などの備前焼の特徴がよく出るようになります。

 

 

 

 

伊勢崎淳の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.伊勢崎淳の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.伊勢崎淳の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.伊勢崎淳の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.伊勢崎淳の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

伊勢崎淳 略歴

 

1936年 2月20日、岡山県備前市伊部に陶芸家伊勢﨑陽山(ようざん)の次男として生まれます。

 

1959年 岡山大学教育学部特設美術科を卒業と同時に、父・陽山について兄・満と共に作陶生活に入ります。

 

1960年 9月より翌年3月まで備前高校教師を務めます。

 

1961年 2月、父死去 5月、兄と共に半地上式窖窯を復元、初窯の焼成に成功する。 東京、名古屋、大阪にて二人展開催

 

1966年 日本工芸会正会員になる。 1971年 ヨーロッパに巡遊します。

 

1975年 毎日新聞社主催「備前一千年展」に出品します。

 

1976年 五島美術館・東京新聞社主催「日本のやきもの備前・萩展」に出品します。

 

1978年 岡山大学教育学部特設美術科の講師となります。(S62年まで)

 

1979年 アメリカに巡遊します。

 

1981年 金重陶陽賞を受賞。 中華民国・国立歴史博物館の「現代日本陶芸展」に招待出品します。

 

1982年 インドに旅行。 香港市政局香港芸術館の「現代日本陶芸展」に招待出品します。

 

1983年 毎日新聞社主催「第1回全日本伝統工芸選抜展」に招待出品します。

 

1985年 清心学園百周年記念館に陶壁を製作します。

 

1986年 「八木一夫現代陶芸展」に出品します。

 

1987年 田部美術館「茶の湯の造形展」にて優秀賞受賞

 

1989年 神戸商科大学玄関ホールに陶壁を製作します。

 

1922年 岡山市山陽病院藤崎苑に陶壁を製作します。

 

1993年 岡山県文化奨励賞を受賞

 

1996年 山陽新聞賞(文化功労)を受賞

 

1997年 「備前焼一千年の伝統美展」に出品(フランス国立陶磁器美術館)

 

1998年 日本工芸会理事になる。 日本工芸会中国支部幹事長になる。 岡山県重要無形文化財に認定されます。

 

2002年 新総理官邸の陶壁を製作します。

 

2003年 「わざの美展」に出品(日本伝統工芸展50周年記念展)

 

2004年 茨城県立陶芸美術館「備前焼の魅力展」に出品します。 重要無形文化財に認定される。 岡山県三木記念賞を受賞

 

2005年 岡山県文化賞を受賞。 「備前 土と炎の輝 伊勢崎 淳」(山陽新聞社)出版 

 

2006年 茨城陶芸美術館「日本陶芸100年の精華展」に出品。 「人間国宝展」出品 NHK各地巡回。 アメリカボストンにて一門展(後援 ボストン美術館 ハーバード大学 ジャパンソサエティ)。 山陽新聞社新社屋玄関ホールに陶壁を製作します。

 

2007年 イギリス大英博物館「わざの美 伝統工芸の50年展」に出品します。

 

 

 

 

伊勢崎淳 備前焼 茶碗

伊勢崎淳 備前焼 黒茶碗

 

鉄分の多い土を表面に吹き付け黒発色させる技法を用いた作品です。

 

本作は豪快な灰釉の付着した箇所と黒色の重厚感が感じられる箇所など様々な見どころがあるお茶碗です。

 

 

 

 

 

伊勢﨑淳 査定価格におけるポイント

 

伊勢﨑淳の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

伊勢﨑淳先生の作品は、胡麻や緋襷、牡丹餅などと呼ばれる独特な景色と渋い色の土肌の作品が高値の傾向にあります。

6万円から20万円ぐらいの買取相場です。

作品は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります。80万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

備前焼は窯変の景色によって価格は大きく違います。

伊勢﨑淳展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

制作年代

 

伊勢﨑淳先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ伊勢﨑淳の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

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北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

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まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

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